透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

繰り返しの赤い鳥居

2007-10-13 | B 繰り返しの美学


 伏見稲荷大社の赤い鳥居の連続(友人のKさん提供)

既に書いたことをまた書く。雑誌「新建築」の日本現代建築家シリーズの一冊、『出江寛』1989年発行に「感性が読み取る美」と題する出江さんのエッセイが掲載されている。その最後の一節。

**赤い鳥居を千本もくりかえすことでデザインとしての奇抜さを生み、畏怖感のようなものを表現している。平凡なものの集合はときとして芸術にまで高められるのである。**

私が繰り返しの美学に関心を持つきっかけとなったこの文章に取り上げられている伏見稲荷の鳥居。先月関西方面へ旅行に出かけてこの神社も見学したという友人に送ってもらった写真、アップを了解してもらった。「繰り返しの美学!」とシャッターを切ったかどうかは訊かなかった。

例えば野原一面に咲くコスモスやヨーロッパの古い町の同色の屋根のように平面的に同じものが広がっている状態も「繰り返し」と捉えることができるが、私が取り上げるのはこのように同じ要素の一方向への繰り返し。

いつかこの空間を体験してみたいと思う。紅葉の京都か・・・。

生命の原理と建築との遭遇 

2007-10-13 | A あれこれ



■ 建築家の黒川紀章さんが亡くなった。

建築家の書いた本で最初に読んだのが黒川さんの『情報列島日本の将来』第三文明社だった。これは黒川さんが30代のときに書いた本だが、既にこの本の「二元論からの脱出」という章で「共生」という概念について触れている。

日本の伝統的な住宅にみられる縁側、内でも外でもない空間。建築と自然とを繋ぐ役割を果たす「縁」。建築と自然、あるいは都市との共生はこの「縁」空間、「中間領域」を設けることで可能となる。要するにこういう考え方だと私は理解している。

この考え方を最も明快に具体化したのが福岡銀行本店だと、私は思う。アーバンルーフという屋根のついた屋外空間を都市に開放している。学生時代に見学に出かけてこの空間に設えてある黒御影石のベンチに座ったことを今でも憶えている。

黒川さんは建築のみならず中国やロシアの地方都市の計画なども手掛けて、国際的に活躍した建築家だがその実績に相応しい評価を必ずしも得ていないように思う。何故だろう。



この本に黒川さんが自身の人生を総括する文章を載せている。

**黒川紀章は自ら、建築家であるまえに、思想家であると語っていた。一九六〇年から彼が語り、書いた言葉=コンセプトは、新陳代謝、循環(リサイクル)、共生、突然変異、情報、生態系(エコロジー)、中間領域、曖昧性、遺伝子、アブストラクト・シンボリズム等、実に目まぐるしい。しかし、四十年の創作活動の末に、それらがすべて生命の原理の基本コンセプトであるという種明しをされると、その思想の一貫性に驚かざるを得ない。(中略)アブストラクト・シンボリズムは、彼の創作活動の作法(手法)とでもいうもので、近代建築の遺産としての抽象化を継承しながら、それぞれの異なる土地や文化のアイデンティティをシンボリズムとしてとり入れようとするものであった。(後略)**

黒川さん、長い間お疲れ様でした。