6 村野藤吾展/汐留ミュージアム
セクション1 建築家・村野藤吾を読み解く15のキーワード
セクション2 村野藤吾のインテリア
セクション3 建築家の内的世界
村野藤吾の建築、とりわけディテールへのこだわりの凄さをあらためて実感しました。村野藤吾の作品は実用的な建築の世界を越えて美術品、工芸品にまで高められています。あるクライアントの「建築が芸術であることを初めて知った」という言葉を、以前八ヶ岳美術館で行われた長谷川尭さんの講演で知りましたが、その言葉がこの展覧会でも紹介されていました。
箱根樹木園休憩所貴賓室のインテリアとその詳細図、日生劇場の螺旋階段、新高輪プリンスホテル(グランドホテル新高輪)客室前の空間に設えた枝折戸と照明器具、自邸の緑豊かな庭の計画。この展覧会で村野藤吾の代表的な作品をいくつも観ましたが、私は重要文化財にも指定されている広島の世界平和記念聖堂(1954年)が好きです。
建築は時の流れの中にあって、時が建築を規定するということを実感できる作品です。同じ広島にある丹下健三の平和記念資料館とよく比較されますが、この2つの作品はふたりの建築観の違いをよく示していると思います。
以上で週末東京の記録を終わりにします。
5 週末東京の目的は「フェルメール」とこの「東京都庭園美術館の公開」でした。期間中は写真撮影がOK、ということで何枚も撮りましたが、照明器具の写真をアップします。
コードペンダントなどの照明器具は室内のデザインの大きな要素です。各室各様の照明器具のデザインを鑑賞してきました。
東京都庭園美術館/JR山手線目黒駅東口から徒歩で7分 公開は10月13日までです。
佃島もすっかり様変わりしていた
天安 撮影日 20081004
天安 撮影日 19820429 プリントを接写した。
4 **佃煮発祥の地、江戸時代、このあたりに大阪から移り住んだ漁師たちが保存食として食べ始めたのが佃煮の起源。いまも3件の佃煮屋さんが、その伝統を引きついでいます。**地下鉄(有楽町線、大江戸線)の月島駅の近くにこんな説明を書いた案内看板が立っていた。
前から佃煮屋の天安を再訪してみたいと思っていた。昨日の朝、早めにホテルを出て行ってきた。店の周りはすっかり様変わりしていたが、店は昔のままだった。前の道路を掃除しておられた店の方に伺うと屋根の上の看板を今年1月に代えたとのことだった。看板の両側の鏡板も更新されたようだが、のれん、建具も昔のままだ。
26年ぶりの再訪だった。街の記憶を留める建物が次第に消えていくのは寂しい。が、この店は昔のままの姿で凛としていた。開店は朝9時、まだ時間前だったから佃煮を買うことは出来なかったが、その味もきっと昔のままにちがいない。「昔からの佃煮の味を守る」という店主の意思をこの昔と変わらない店構えから感じた。
追記:軒先の樋、この加工に板金職人の美意識と仕事へのこだわりをみることができる。
ミュージアムショップで買い求めた絵はがき
2「ミレイ展」@Bunkamura ザ・ミュージアム
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/08_jemillais/list.html
「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」のミレーではなくてミレイ、イギリスビクトリア朝絵画の巨匠。夏目漱石もイギリス留学中にミレイの作品を観たそうですが、この画家のことは何も知りませんでした。しばらく前にNHKの「新日曜美術館」で紹介されていましたから、展覧会のことは知ってはいましたが。
東京の友人に誘われて昨日(4日)渋谷の文化村へ観に行きました。展覧会は7つのセクションで構成されていて80点近くの作品が展示されています。目玉はなんといっても「オフィーリア」。シェイクスピアの「ハムレット」の悲劇のヒロインを描いたというこの作品は漱石の「草枕」にも出てくるとパンフレットに紹介されています。「ハムレット」も知りませんし、「草枕」も記憶の彼方・・・。
**ミレーのかいたオフェリアの面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。(中略)オフェリアの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧と胸の底に残って、棕梠帚で烟を払う様に、さっぱりとしなかった。**
手元の新潮文庫で調べてみました(パンフレットに紹介されていないところを引用しました。漱石はこの画家をミレーと表記していました)。
展覧会場で最初に観た「ギリシャ騎士の胸像」はミレイが9歳位の時のデッサンですが、ずば抜けて優れた技量の持ち主だったことがこのデッサン1枚で分かりました。
二十歳過ぎに描いた「マリアナ」(左)のなんとも艶っぽいポーズ。細密な描写がフェルメールとは違う「リアル」を伝えています。
ミレイ晩年の作品「露にぬれたハリエニシダ」(右) 若い頃とは異なる筆遣いで幻想的に風景を描いています。
この画家は人生の後半には意識的に筆遣いを変えたそうですが、その違いが展示作品からはっきり分かりました。器用な画家だったんですね。肖像画も何枚も描いていて収入も安定していたそうです。
ミレイは若い人妻と恋仲になって結婚したそうですが、その奥さんの後年の肖像画を観ると、ミレイを尻に敷いて、キッチリとコントロールしていたんだろうなと思わせる風貌でした。
「あなた、早く仕上げて、次の作品に取り掛かって!」友人は奥さんの肖像画からこんな声を聞いたそうです。緻密な描写に加えて大胆なタッチも使ったのは案外奥さんのこんな声のせいだったのかもしれません!?。
1 フェルメール展の会場の東京都美術館の外壁の打ち込みタイルと秋空の雲の様子が、デルフトの街を描いた「小路」のレンガ造りの家と雲によく似ていますね。
今回の週末東京、金曜日の午前中にまずフェルメール展を観ました。
「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」 確かに解釈だらけなのもどうかなとは思います。でも敢えて「優れた作品は多様な解釈を許容する」と書いておきます。背後の壁に掛けられている絵やテーブルの上の果物、ステンドグラスに描かれた女性などはそれぞれ何かを暗喩しているそうですが、描かれた女性の表情などと共にいろいろな解釈が示されているそうですね。
来歴不明な作品、真贋をめぐって研究者で意見が分かれる作品などフェルメール作品には謎も多いとのことですが、「真珠の首飾りの少女」のモデルは誰なのかも謎。諸説あるようですが、フェルメール家のお手伝いさんになった若い女性がモデルだとした小説が2002年に映画化されました。松本でも公開されて観ましたが、フェルメールの光りの表現を意識した映像が印象的でした。今回の展覧会を記念してこの映画が11月に再び上映されるそうですね(1日から3日間、展覧会場の東京都美術館で)。おすすめします。
やはりフェルメールといえばこの2点の作品のように室内での女性の日常を描いた作品が浮かびます。何気ない日常の光景がなぜ崇高に見えるのか、絵の中の時間はなぜゆっくり流れているのか・・・。私には説明できません。
ミュージアムショップで買い求めた絵はがき、印象に残った作品
今回の展覧会に出品予定だった「絵画芸術」が出品されないことになって、替わり出品された「手紙を書く女と召使」。左側の窓から直接射しこむ光とカーテンを透過してくる柔らかな光、その違いの表現。手紙を書き終えるのを待っている女性の表情。テーブルに掛けられたクロスの質感。窓とテーブルとの距離が絶妙な空間構成・・・。すばらしい!
この絵の床の白と黒のタイルのパターンが1階の展示室に再現されていました。
展覧会のポスターにもなっている「二人の紳士と女」。ドレスの赤とテーブルクロスの濃い青の色彩の対比。柔らかな光に満たされた室内、読み取れない女性の表情の意味・・・。
展示作品7点のうち特に印象に残った2点を挙げました。