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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

高野山参拝 3

2014-11-22 | 旅行記


英霊殿

 高野山の大門を通過して街中を進み、中の橋の駐車場でバスを降りて徒歩で奥之院、弘法大師御廟を目指す。



杉の大木がそそり立つ参道、その両側にはおびただしい数の墓石が立ち並ぶ。



五輪塔 仏教の世界観を表現する。案内していただいた方から梵字ではなく漢字で書いてあるのは珍しいと聞いたような・・・。



 御廟橋から燈籠堂を望む。ここから先は撮影が禁止されている。燈籠堂の内部には信者が献じたものすごい数の燈籠が吊り下げられていた。右隣に新たな燈籠堂が建設されたが、そこも既に燈籠でほぼ一杯だとか。燈籠堂の背後に弘法大師御廟がある。



 弘法大師に供する食事をつくる御供所と試食をする嘗試(あじみ)地蔵。その後奥の院弘法大師御廟へと向かう。毎日朝6時と10時半の2回続けられているという。宝来という名前の絵を切り抜いた紙が張ってある。



御供所の門 下は屋根の棟端の飾り





応其上人廟 

 高野山を攻略しようとしていた豊臣秀吉を説得し、高野山を救った高僧・木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)の廟。案内の方の説明を聞いて説得力のある僧だったんだな~と感じ入りカメラを向けた。



後方は豊臣秀吉の墓



参道に立ち並ぶ燈籠 繰り返しの美学



宿泊した宿坊「恵光院」の山門(上)と中庭(下)




供された夕食 精進料理 お酒もOK。食レポは以上!



 


高野山参拝 2

2014-11-22 | 旅行記


九度町上古沢の休憩場所から 撮影日141118

■ 急な斜面に住宅が点在している。この辺りは冨有柿の産地。斜面一面柿畑。確か和歌山は柿の生産量が全国で最も多い県。ここは戦国時代の武将、真田幸村が隠棲していた町だという。長野県にも縁があるわけだ。


550

午後2時半ころようやく高野山に到着。出発したのが朝5時半だったから、9時間かかったことになる。以前から高野山に行きたいと思っていたが、ようやく念願がかなった。

山上に寺院と民家が共存する街並みが形成されていた。高野山は海抜850m前後、東西6km、南北2km弱の盆地だ。周囲をさらに高い山が囲む。それら峰々を蓮華の花びらに見た立てて(内の八葉、外の八葉)、この世の浄土だと古くからと伝えられているという。

『高野山』岩波新書で著者の松長有慶氏は**現実の俗なる世界の中に、真実なるもの聖を見出す、インド以来の密教が目指す宗教的な目標であった。(中略) 密教では(中略)俗を無条件に排除することはない。聖が俗を包摂しつつ、時間をかけて俗の浄化をはかる。聖と俗との混在、これも密教の特色の一端を映し出したものといえるであろう。**(13、4頁)と記している。

*****

あらかじめ調べておいた火の見櫓がバスの前方に見えた。車内から撮影した。添乗員との雑談で私が火の見櫓好き(火の見ヤグラー)だと伝えてあったので、「近くでバスを停めますよ」と言ってもらったが、固辞した。団体旅行で我が儘は禁物だ。

宿泊予定の宿坊からはそんなに遠くないはず、なんとか時間を見つけてここまで来よう・・・。

聖地に来てもやはり火の見櫓が気になる。この心をどう捉えたものか・・・。


 

 


517 あっ 火の見櫓!

2014-11-22 | A 火の見櫓っておもしろい


517

 大型観光バスはすれ違いがやっとの狭い道路を上っていく。と、カーブの先に突然火の見櫓が出現! だが、無情にもバスは通り過ぎて行く・・・。

ところがしばらくすると休憩予定場所に到着。 添乗員に頼んで停めてもらったわけではない。バスから降りて火の見櫓目がけて走った。距離はざっと500メートル。で、観察したのがこの火の見櫓。所在地は和歌山県九度山町上古沢(かみこさわ)。

やはり所変われば火の見変わるで、これは初めて見るタイプ。簡易な送電鉄塔か、無線アンテナ用の櫓のような構造だ。平鋼の交差ブレースと片掛けブレースを交互に設置している。梯子は櫓の外付け。

屋根の下に半鐘を設置して雨を防いでいる例が多いが、この火の見櫓は腕木を持ち出し、その先に吊り下げている。右利きが多いから半鐘は梯子の右側に付けて当然。見張り台が無いから、屋根の下に半鐘を吊り下げても叩くことができないだろう。

屋根の下の平面に小型のモーターサイレンが設置してあるようだが、これはおそらく半鐘の代わりに後から設置したものだろう。ならば、屋根が建設当初からあったとすれば、その屋根の意味は? 櫓のてっぺんを視覚的にまとめるためか?


 

 


高野山参拝 1

2014-11-22 | 旅行記



18日、朝5時半過ぎに大型観光バスで出発。東海環状自動車道の刈谷PAを過ぎたところで車内から撮った写真。それにしても分かりにくい道路案内だ。黒い道路が何を意味しているのか全く分からない。




出発から6時間、11時半に奈良県五条市の吉野川(紀ノ川上流)沿いの食堂で昼食。行きつけのカフェ  バロのカクさんから食レポ依頼(?)があったので、写真をアップしておく。

野鳥の撮影も難しいが、料理の撮影も難しい。料理のことがよく分かっていないと的確なアングルも分からない。数枚撮った内の1枚を載せるだけでレポートとする。


 

バスの席は前から2番目。1番前の席に座る添乗員から相談を受けることもあるから、その後ろが幹事の指定席。おかげで前方の景色がよく見えた。これは南海高野線の丹生川橋梁(大正14年完成)。フロントガラスの雨粒にピントが合ってしまったのは残念だが、車内からのとっさの撮影だから仕方無い・・・。高野山まではすれ違いがやっとの狭い道路を上っていく・・・。