透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

小正月の火祭り 三九郎

2014-12-28 | D 新聞を読んで


撮影日 141227 松本市島立にて

■ 正月明けに行われる「三九郎」の骨組みが早くも組まれている。3角錐を成す櫓で、3本の柱を横架材で繋ぐ構造であることが見て取れる。

私の暮らす鄙里でもかつては落葉松材を使って写真と同様の骨組みを組んでいた。私が小学校のPTAの役員をしていた時も落葉松を山から伐り出してきて使った。だが、いつ頃からか竹が使われるようになった。竹は容易に調達できて、軽いので運ぶのも楽、ということがその理由だろう。

三九郎は小正月に行われる(正月明けの休日に行われる地域も少なくない)火祭りの呼び名で、全国的にはドンド焼、サギチョウ、サイノカミなどと呼ばれている。

長野県内でもこの火祭りの呼び名はいくつもあって、今月14日付市民タイムスに三九郎の呼び名に関する記事が載った(ふるさとの民俗44)。

記事には呼び名の分布図が載っている。それによると木曽南部(岐阜県寄り)の呼び名はサンチョ、サギチョーとなっている。今読んでいる藤村の『夜明け前』にも**(前略)正月十五日とあるから、山家(やまが)のことで言えば左義長(さぎちょう)の済む頃であるが(後略)**第一部上(324頁)と出てくる。 

左義長には注釈がついていて、巻末に**平安時代以来、小正月(一月十五日)に行われる火祭りの行事、どんど焼ともいう。松飾などを焼き、その火で餅や団子を焼いて食べ、無病息災を願った。**と説明されている。

新聞記事に**サンクロウと呼ぶ地域は、塩尻市から東筑摩郡・松本市・安曇野市・北安曇郡南部にかけてであり、その範囲は江戸時代の松本藩内に収まっている。**とある。

呼び名の分布については興味があって、以前調べてみたことがあった。過去ログ だが、松本藩のエリアと関連付けてみることには気がつかなかった・・・。 

記事には**火祭りの呼び名は、江戸時代初頭に改易された石川玄蕃頭康長に対する御霊信仰から生まれたもので、三九郎は康長の幼名ではないか**とする私の友人()の説が紹介されている。

正月の松飾りをしない家も増えてきた。離農や減反で米をつくらなくなり、藁の入手が困難になってきたし、飾りのつくり方も伝承されなくなってきている。こうしてこの国の伝統的な行事が次第に廃れていく・・・。

我が家では出来栄えはよくないが私がつくった松飾りを今日飾った。やれやれ。


 友人は道祖神と御柱、三九郎との関係について興味深い論考をしている。