撮影日 160930 朝6時半頃 朝日に向かって鳴く
■ この頃、隣家の柿の木でヒヨドリが鳴いている。朝は寒いくらいだが、新鮮な外気を取り込むために窓を開けているとよく聞こえる。
柿の木の葉に隠れているヒヨドリの姿を撮るのはなかなか難しい。今朝は柿の木の上まで伸びた竹の枝にとまっているところを撮ることができた。
ヒヨドリは繰り返し何回も観察しているので遠くからでも分かるようになり、もう「君の名は?」ということはなくなった。
撮影日 160930 朝6時半頃 朝日に向かって鳴く
■ この頃、隣家の柿の木でヒヨドリが鳴いている。朝は寒いくらいだが、新鮮な外気を取り込むために窓を開けているとよく聞こえる。
柿の木の葉に隠れているヒヨドリの姿を撮るのはなかなか難しい。今朝は柿の木の上まで伸びた竹の枝にとまっているところを撮ることができた。
ヒヨドリは繰り返し何回も観察しているので遠くからでも分かるようになり、もう「君の名は?」ということはなくなった。
♪ 私の唇に 人さし指で くちづけして あきらめた人
『レバ刺しの丸かじり』に収録されている「蕎麦のズルズル」で東海林さだおさんは**人類はなぜ、食べ物としての材料を、わざわざ長っ細くして食べようとするのか**(41頁)という疑問を提示している。老舗の蕎麦屋には蕎麦掻きもメニューにあるのに、なぜズルズルすすって食べるのか。
山形村のまるなか食堂 賞味日160325
東海林さんは一生懸命考えて唇が快感器官でもあるということに思い至る。**蕎麦は明らかに唇をこすりながら、さすりながら口の中に入っていく。(中略)気持がいいじゃないですか。**(44頁)と書き、**世界中の人々が、これを求めていたのです。**と続けている。
**映画の場合は、これを恋人がやってくれることになるのだが、恋人だって、そう年中、相手の唇をさすってばかりもいられないわけだから、人々はこれをうどんや蕎麦に求めた。**(45頁)
そういえば黛ジュンが歌った「天使の誘惑」にはこのことを裏付けるような歌詞がある。
だが、東海林さんはこれで一件落着!と思った直後、スパゲティのことが浮かび、自説を取り下げてしまった。スパゲティはフォークにくるくる巻きつけて唇に触れさせもしないで(とはいかないが)口に入れて食べる、そう上品に。このことに気がついたのだ。で、**勉強して出直してまいります。** とこのエッセイを結んでいる。
確かにスパゲティは東海林さんの説にとって困った存在。でも日本人はスパゲティだって蕎麦と同じように口をすぼめてすすってはいないか(なんて一般化しちゃいけないか)。
「大人のマナー講座☆すすらない麺の食べ方編」という動画を見た。講師の女性がスパゲティをフォークにくるくる巻きで食べてはいたが、唇の外に残った数本をすすっていた。
本場イタリアの人たちだって本当はズルズルしたいんじゃ。いや、彼らはズルズル食べることができないんだっけ?
東海林さんの説にはなるほど!な説得力があると思うけどな~