■ 考現学、生活学の今 和次郎(こん わじろう)。今は北海道から九州、さらに朝鮮半島まで各地を訪ね歩いて生活空間としての民家を観察して膨大なスケッチとメモを残した。大正から昭和初期にかけてのことだ。それらの多くを収録した『民家 見聞野帖』柏書房を久しぶりに取り出して眺めた。
やはり民家観察は、いや対象がなんであれスケッチが大切だと改めて思った。きちんと対象を詳細に観察してスケッチして初めて気がつくことが少なくないことは私も経験している。上の写真に納めたのは東京檜原村数馬の民家、1923年のスケッチだ。
私が檜原村を訪れたのは1978年のことだった。その頃は東京で生活していたが休日によく郊外に出かけていた。少しまとまった休みには遠出もした。北は北海道や東北、南は四国、九州にも出かけた。だが、民家と出会っても全景写真を撮るのみ。詳細な観察をすることなどほとんどしなかった。
あの頃もっと系統的に細部まできちんと観察して記録に残してたら、今頃有効な資料となっただろうに・・・。
人生を航海に喩えることがあるがその航海にはなんと後悔の多いことか。後悔なんてしても意味ないのに・・・。そういえば「愛とは決して後悔しないこと」とかいう映画のコピーがあったっけ。そうポジティブに!ポジティブに!
あれ、民家の観察記録の話じゃなかったのか。
対象を観察すること、観ているようで実はきちんと観ていない、すっかり観たつもりでいる、そんなことが多々あるように私も思ったりします。
今さんのまなざしは、あたたかくも冷静クール、両面備わっているよう、絵のタッチもイイですね。
本日、繰り返しの美学の基本形を載せました。
カテゴリーは設定していませんので繰り返しの
美学でブログ内検索してみてください。
漫然と見ていたのでは分からないことって沢山
ありますよね。
今氏のスケッチがこの写真の民家ということは私も気がついていました。
各地に民家は数多あっても取り上げられるものは案外限られているようですね。
自分で撮った民家を本などで目にするという経験が過去にありました。