透明タペストリー

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「北斎まんだら」読了

2023-08-26 | A 読書日記

 『北斎まんだら』梶よう子(講談社文庫2019年)を24日(木)に一気読みした。葛飾北斎を中心に娘・お栄、弟子の善次郎、高井三九郎、それから北斎の孫・重太郎によって描き出される曼荼羅図。

長野県立美術館で北斎展を観た直後だったから、北斎自ら、あるいは他の登場人物たちが北斎の代表作、富嶽三十六景についてあれこれ語るという場面を勝手に期待していたが、残念ながらそれはほとんどなかった。さらに、もっと北斎作品を総括的に論ずるような物語を。タイトルのまんだらからもこの様な内容を期待していた・・・。松本清張が小説『火の路』の中で古代史について自説を展開したような(過去ログ)。だが、考えてみれば、人物を描いているわけだから、私が無理なことを期待していたようだ。

お栄が地面に小石で「神奈川沖浪裏」を描く場面があり、そこで**「(前略)つまり物ってのは、円と四角でできているってのが、親父どのの考えさ」**(206頁)と父親である北斎の物の捉え方を語り、さらに**北斎の画は、丸と四角の組み合わせで形を取り、対角線や点、相似形を使い画面を構築する。緻密な構成があるのだと、お栄はいう。**(210頁)

お栄は続けて**発想は、珍奇で奇想かもしれない。が、北斎はその眼で風景をそう捉えているともいった。**(210頁)まあ、これだけ北斎の物の捉え方や描き方について説かれていれば十分とすべきかもしれない。だが、できれば作者・梶さんご自身の北斎画の捉え方をもっと誰かに語らせて欲しかった。なるほど、北斎画ってこんな観方もできるのか、と思えるような。枕絵のことをお栄が語るがそれより、富嶽、富嶽。  

以下に印象に残る北斎のことばを引用しておきたい。

**「おれの富嶽にケチつけやがった。絵組は面白くとも、どこから見たかもわからねえ富士の画なんざ、いかさまだと。あれは奇想の産物だ。北斎翁も眼が濁ったかねぇだと」**(150,1頁)北斎の富嶽にケチをつけた歌川広重に対する怒りのことば。


左:歌川広重「名所江戸百景 品川すすき」
右:葛飾北斎「神奈川沖浪裏」

**「ああ、てめえの画は生写(しょううつし)だと? 真の景色を写してこそ名所絵だぁ? 利いた風なこといってるつもりか知らねえが、そこに己の筆を加えることで画となるだと。偉そうにいいやがって、ようは、てめえは見たまんましか描けねえってことじゃねえか。画を描くってのはな、画の中にてめえを映すことでもあるんだ」**(151頁 太文字化は私)上掲写真は北斎のことばの理解の助けになるだろう。

このことばを読んだだけで満足。こうあるべきだと自分も思っている。「映すことでもあるんだ」は「映すことなんだ」と言い切って欲しかったという気持ちもあるけれど・・・。


※ 茲愉有人様のコメントを受けて加筆、修正しました。コメントも併せてお読みいただければ、と思います。


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4 コメント

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感想です (茲愉有人)
2023-08-25 21:05:41
 あくまで、私の読後印象ですが、感想を含めて書いてみます。
この小説で冨嶽三十六景についてあれこれ語るには、時期の設定として難しいのではないでしょうか。そんな気がします。北斎の意識は、冨嶽三十六景は、己にとって既に過去のもの。三九郎が北斎に弟子入りした時点では、北斎が冨嶽百景を描くという方向に走り出した時期ですよね。p104で、お栄に「流行だからじゃねえよ。親父どのが描きたいんだ。それで銭が入れば、あたしはいいさ」と語らせています。小説の背景の比重は時期が移っていると思います。もう少し時期が前の設定だと冨嶽三十六景が語りやすいし、冨嶽百景が世に出た後なら、北斎の冨嶽図として、登場人物に談論させやすいかもしれませんね。そうすると三九郎の登場とのタイミングが合わなくなる・・・・。深く踏み込めるタイミングではない。そんな気がします。

 引用された箇所の北斎とお栄の言葉の中に、私も、著者・梶よう子さんの北斎画の捉え方が反映していると思います。
 さらに北斎画の捉え方や背景について、次の箇所の台詞も著者の思考は反映して語らせているのではないでしょうか。
1.p40~41の三九郎の言:先生がどんな眼を持っているのか。北斎にしか見えない幻想の富士。
2.善次郎が三九郎の京での師匠が岸駒と聞いて、三九郎にいう台詞。p82
 骨接ぎ医者通いと西洋の解剖図との睨めっこのくだり。
3.p334~335での、重太郎と北斎のやりとり:河村岷雪の『百富士』の絵組の拝借

 読んでいた時は、整理して考えていなかった視点でしたので、私なりに再考してみる良い機会になりました。
 ありがとうございます。
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茲愉有人様 (U1)
2023-08-26 22:42:41
コメントありがとうございます。
ご指摘の箇所を読むと、確かに登場人物が北斎図について語っていますね。

長野県立美術館で開催されている北斎展で富嶽三十六景に強く惹かれた直後、ということもあり、この小説で富嶽について、登場人物が多くを語る場面を期待していました。もっと後年になって、総括的に北斎作品を振り返るというような設定でも良かったのですが、その中でも富嶽三十六景がメインになるような。

それから、北斎が小布施に来て、岩松院の天井絵を描く場面にまで物語が続いていれば嬉しかったのですが・・・。

絵画では対象をどう捉えているのか、そのことの表現という事に尽きると思っていますので、このことについて語る北斎のことばを太文字にしました。
1(p40、41)の箇所はこのことに通ずる内容だと思います。
2(p82)対象を分析的にきちんと捉え、理解しようとする姿勢は理解できます。そうでないと描けないということが経験的に分かります。私もスケッチでは樹木に隠されてしまっている建物の様子なども近くまで行って確認しますので。
3(p334~335)河村岷雪の『百富士』の絵組の拝借という指摘、は知りたくないという意識があったようで、さらっと読み流していました。

付箋を貼った箇所をすべて記事に挙げはしませんでしたが、**「(前略)己の内にあるものを画に表したいと懸命に思っています」**(p200)という三九郎のことば。
**「こいつの画はそうじゃねえ、てめえの心の内に巣食う、人間の汚えもんや戦きだ」**(p263)という北斎のことば。
**北斎の眼には、すべてが映っている。時の流れも、吹く風も、雨粒も、色を変える光も、そして妖も、霊獣すらも。**(p347)
以上なども、見えているもの、捉えたもの表現するという事に言及した箇所として付箋した箇所です。

以上、私の言い訳のようなコメントです。

ご指摘を受けて、記事に手を加えたいと思います。

ありがとうございました。
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二伸 (茲愉有人)
2023-08-27 12:37:21
 拙感想へのご返事ありがとうございます。

 次の箇所も重みを持っていますね。

 三九郎がお栄に「なぜ画を描くのですか」と問いかける。お栄の返答の一部。
*これは業みたいなもんさ。天から授かった力だ。  p350
*それしかないと思い極めることができるかってことだからさ。  p350
*なりふり構わず、絵が絵が描けるかえ?  p351
*絵師として一度死ぬ。親父どのは、死ぬたんびに別の画法を学んで、いまのものを捨てる。・・・・でもね、そうして苦しんでいるときこそ、上手くなるんだ。それを繰り返すんだよ。  p350-351

 最後の引用フレーズは、改めて読み直すと、まずピカソを想起し、次にゴッホを連想しました。

 『百富士』の関連ですが、この小説では、北斎に「昔から先人の画を真似ることは当たり前にあった。その画がいい、巧ぇと思えば当然じゃねえか。名所の広重だってやってらぁ」(p336)と、語らせていますね。
 創造は既知のものの新たな組み合わせと言われますので、北斎は『百富士』の絵組の良さを採り入れて、そこに己の視点での発想と組み合わせ、統合して、北斎独自の絵を生み出したのでしょうね。誰も描かなかった北斎オリジナルの絵を。
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茲愉有人様 (U1)
2023-08-28 20:30:10
コメントありがとうございます。
返信が遅くなりました。
私も**絵師として一度死ぬ。(後略)**p351の箇所には付箋を貼りました。
これを機に画家や絵画を取り上げた作品を読んでみようと思います。
「なるほど、この絵、こんな見方もあるのか・・・」
拙ブログをお読みいただきありがとうございます。
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