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「暗夜行路」を読む

2024-02-20 | A 読書日記

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朝カフェ読書@スタバ 
『暗夜行路』志賀直哉(新潮文庫1990年3月15日発行、1994年9月5日12刷)

 志賀直哉唯一の長編小説『暗夜行路』をおよそ30年ぶりに再読した。やはり日本の近代小説は良い。ほぼ同時期に発表された島崎藤村の『夜明け前』を読んでいた時にもやはり感じた、満たされているという気持ち。昔の細かい活字の文庫だと尚更「小説を読んでいる」という気持ちになる。

『暗夜行路』のあらすじはよく知られていると思う。だからあらすじを記すことなど不要であろうが、本書のカバー裏面の紹介文から引く。**祖父と母との過失の結果、この世に生を享けた謙作は、母の死後、突然目の前にあらわれた祖父に引き取られて成長する。鬱々とした心をもてあまして日を過ごす謙作は、京都の娘直子を恋し、やがて結婚するが、直子は謙作の留守中にいとこと過ちを犯す。(後略)**

長編ではあるが、東京編、尾道編、京都編、鳥取大山編というように括れるほど、分かりやすく構成されているし、文章は衒いもなく読みやすい。

読みながら何か所か付箋を貼った。その中の鳥取大山編から引きたい。

**人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くという事は果たして自然の意思であろうか。こういう無制限な人間の欲望がやがて何かの意味で人間を不幸に導くのではなかろうか。人智におもいあがっている人間は何時かその為め酷い罰を被ることがあるのではなかろうかと思った。**(473頁) 90年近く前の志賀直哉の危惧は、現代の状況にそのまま当て嵌まるなぁ・・・。

主人公の謙作は自分が祖父と母親の間に生まれたことを知り、我が子を生後間もなく亡くし、さらに妻がいとこと過ちを犯すという「暗夜行路」な人生を歩む。

長編小説の最後、鳥取大山編では、過酷な運命を懸命に乗り越えて行こうとする謙作に光明の兆しが見え始めるところが描かれる。例えば次の件のように。

**疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感ぜられた。彼は自分の精神も肉体も、今、この大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。その自然というのは芥子粒(けしつぶ)程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のような眼に感ぜられないものであるが、その中に溶けて行く、――それに還元される感じが言葉に表現出来ない程の快さであった。**(503頁)

これは大山に夜行登山をして途中で疲れ果てて休んでいるときのことだ。その後、次第に米子の町の夜が明けていく様子が描かれる。その件は敢えて引用しないが、実に印象的で記憶に残るだろう。

謙作は体調不良のために大山登頂をあきらめて、夜が明けてから引き返し、宿泊している寺に十時頃帰って来る。寺では謙作の顔色が悪いことに驚き、離れに寝かせるも熱が40度にも昇る。医者の診断で急性大腸カタルだった。知らせを受けて、謙作の妻、直子が京都から夜汽車で駆けつける。

直子は謙作の顔を見つめながら、**「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分はこの人を離れず、何処までもこの人に随(つ)いて行くのだ」というような事を切(しきり)に思いつづけた。**(514頁)

この最後の一文は夫婦の心からの和解。暗夜行路の先の光。よかった、と安堵の涙。ふたりのその後は読者に委ねられている。


巻末に「志賀直哉の生活と芸術」という阿川弘之(*1)の解説文が掲載されている。その文中に、芥川龍之介が夏目漱石に**「志賀さんの文章みたいのは、書きたくても書けない。どうしたらああいう文章が書けるんでしょうね」**(560頁)と訊ねると、**「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」**(560頁)と漱石が答えたということが紹介されている。なるほどねぇ。

*1 志賀直哉に師事した阿川弘之。娘の佐和子さんは小学校入学祝いに志賀直哉からランドセルを贈られたそうだ。このことを佐和子さんのエッセイか何かで読んだ(って、この小説とは何も関係ない)。


 


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