■ 昨年と今年の正月に善光寺の参道で同じ庚申塔の写真を撮った。 昨年は三猿までは写し込んでいたが、その下の酉の文字を写していなかった。
星座のことを知らなければ満天の星空を見上げても星がランダムに散らばって見えるだけで、星座は見えない。照合すべき星座に関するデータが脳にないから視覚的な情報が脳に伝わっても、脳は星座を認識しない。中途半端なデータしか脳が持ち合わせていないと、星座を構成する星の一部を写さないということもあり得る。
庚申塔の酉の文字を写さなかったのは、このことと同じことで、要は庚申塔のことがよく分かっていなかったということだ。
撮影日140102
撮影日150102
今年は酉の文字にすぐ気がついた。申の次は酉、早く庚申の年(または日)から次ぎの辛酉になって欲しいという願いを込めて酉の文字を刻んだということが分かっていればこの文字を見落とすことはない。
写すべき対象のことが分かっていないと、過不足なく的確に写し撮ることはできない。余分なものまで写し込んでしまうと、一体何が撮りたかったのか上手く伝わらない写真になってしまう。
写真には対象の理解度が表れるものだ。
ただし、これは説明的な写真を撮るときのことであって、美しい写真を撮るときはたぶん事情が違う。
庚申塚は友だちがよく撮っていますが、意味など全くわからず、というか、あまり興味もないので、漫然と見ているだけですが。
好きなモノ興味のあるモノには知りたいと思って勉強しますけどね。星座はけっこう知ってます。
一時期は1等星の名前をそらで言えるくらいに。
旧暦が好きだったので、十二支十干などの成り立ちとかは少しかじったことがありますが。
もうすぐ奈良に行かれるのですね。お天気に恵まれ良い旅をされますように。
ひらりんさんの美しい写真には本稿の理屈は
当て嵌まらないでしょう。
石仏の手前に咲く花が像の一部を隠していても
構わないわけです。
私は星座は全く分かりません。ロマンチストでは
ないようです。
雪の奈良で思い出すのは土門拳の室生寺の五重塔
の雪景色の写真です。
気の置けない仲間と楽しい旅行をしてきたいと思います。
今年もよろしくお願いします。