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■『諏訪の神 封印された縄文の血祭り』戸矢 学(河出書房新社2014年12月30日初版発行、2023年1月30日6刷発行)を読み終えた。
論より証拠。さらに、証拠を以って論ぜよ。つまり、確たる証拠を示して、論考を展開していくこと。このようなことが本書が扱うようなテーマで、できるものだろうか、やはり無理なのだろうか・・・。
松本清張に『火の路』(文春文庫 2021年上下巻とも新装版第3刷)という長編小説がある。松本清張が飛鳥時代の謎の遺跡に関する自説を主人公、ある大学の史学科助手(助教)の若い女性に語らせる。酒船石や益田岩船、猿石など飛鳥の謎の石造物がペルシャ(古代イラン)に始まったゾロアスター教と大いに関係があるとする論考だが、大変おもしろく読んだ(初読は1978年7月)。
ぼくは、『諏訪の神』も『火の路』と同じように、ものがたりとして読んだ。本書の性急な結論出しも、ものがたりであれば気にはならない。大変おもしろかった。
原始農耕文化の弥生のモレヤ神と狩猟文化の縄文のミシャグジ。これが混合・重層していた諏訪。そこに入り込んできた建御名方神と八坂刀売神。諏訪信仰は縄文の古層にまでつながっている・・・。
やはり諏訪は深い。**弥生時代以降に成立した神道と、それ以前に縄文時代から連綿と続く土俗信仰が共存併存、あるいは融合混合して、なんとも不可思議な状態にある。**(1頁 )と著者の戸矢氏は諏訪についてまえがきに書いている。戸矢氏はこのような状態にある諏訪の縄文の神・精霊に迫る。
縄文人の自然を畏怖する心、自然を崇拝する心がミシャグジをいう精霊を生み、それを巨石や巨木に託した。本書を読んでぼくはこのように理解した。
戸矢氏はミシャグジはミサクチだろうとし、その意味を「境目」、「割く地」と解して、諏訪湖が巨大断層の真ん中にできた臍であることから、ミシャグジを地震の神であろうとしている(171頁)。
第五章の「「縄文」とは何か」では、「巨大断層を封じる諏訪の神」「「まつり」の本質は「祟り鎮め」」「神が宿るもの」などについて論じられる。この中では「巨大断層を封じる諏訪の神」がおもしろかった。
**断層の中心に鎮座して大地を押さえ込む大いなる力、あるいは二度と大災害が起こらないよう祈りを込めてここにいざなわれた強力な神・建御名方神。**(185,6頁)
**諏訪を中心に、とりわけミシャグジ信仰が目立つのは、その大地震によって出現した奇岩巨石への畏敬があったからだろう。**(186頁)
戸矢氏も本書で触れているが、諏訪は大きな断層が交叉しているところだ(過去ログ)。大きな地震が縄文人も弥生人も、その前も後もいつの時代の人たちも驚かせただろう。もちろん現代人も。自然への畏怖、地震に対する恐怖感。
建築工事や土木工事に着手する時に行われる「地鎮祭」。この神事を執り行う現代人のこころは古代の人たちのこころと同じなのだろう・・・。
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『神と自然の景観論』野本寛一(講談社学術文庫2015年第7刷発行)
この本が『諏訪の神』の第五章の参考資料として巻末のリストに掲載されている。ぼくはこの本を2020年9月に読んだが、興味深い内容だった。
**日本人はどんなものに神聖感を感じ、いかなる景観のなかに神を見てきたのだろうか。(中略)古代人は神霊に対して鋭敏であり、聖なるものに対する反応は鋭かった。「神の風景」「神々の座」は、常にそうした古代的な心性によって直感的に選ばれ、守り続けられてきたのである。**(6頁)
『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(人間社 2017年9月15日初版1刷発行、2024年1月28日7刷発行)
『諏訪の神』を読んだだけでは、深い諏訪を理解することは到底できない。この類書を読むことにした。それから更に「諏訪」に入り込むかは未定。