透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

牛車

2008-12-17 | A あれこれ
■ いいくに(1192)つくると鎌倉幕府。昔こう覚えましたが、鎌倉時代の始期には諸説あって今では1185年という説が一般的のようです。試みに「鎌倉時代」を検索してみて下さい。

先日県内のある小学校を訪ねる機会がありました。普通教室の後ろの壁に張ってある歴史年表をみて、歴史の復習。

710、794、1185、1333、1573、1603、1868、1912、1925、1989 奈良時代から平成までの時代区分をメモしてきました。

もうかなり前から時々、通勤時に前の車のナンバーを見てあれは平安期代、あれは江戸中期、あれは・・・、とやっています。例えば32××というナンバーならば、12××と読み替えます。1185~1333の間に入りますから鎌倉時代ということになりますね。

歴史には、もとい歴史にも疎いので、何時代かは分かってもそのころどんな出来事があったかは皆目分かりません。

それぞれの時代について主要な出来事を10くらい覚えると、車のナンバーを見て、仏教伝来の翌年か、とか、終戦の年か、とか、できると思いますが。

ちなみに、私の車のナンバーは千の位を1に読み替えると平安時代になります。そう、私は牛車!?に乗っているのです。

曲面で構成された集合住宅

2008-12-15 | A あれこれ


 建築雑誌『新建築』12月号の表紙は妹島和世さん設計の集合住宅だ(写真)。この集合住宅の平面計画をどのように表現したらいいのか分からない。 この表紙から外壁が平面で構成されていないことは分かると思う。アルファベットのSを複数用意してそれぞれふたつのパーツに分けた後、適当に並べたような平面形、とでも表現したらいいのか・・・。

それぞれの住宅の壁は大半が曲面で平面は一部だ。内装は床がモルタル仕上げ、壁は石膏ボードペンキ仕上げ、天井はコンクリートペンキ仕上げ。

こういうところで生活するのにはそれなりの「覚悟」が必要ではないかと思う。床に直座り出来ない仕上げ。疲れて帰ってきてもゆっくり寛ぐことはおそらく出来ないだろう。四角い家具を壁に沿ってきちんとレイアウトすることも出来ないだろう。

よく分からないが曲面で構成された空間に居て疲れないだろうか。うまく空間を知覚できるのだろうか・・・。脳は微妙に傾いた壁などは垂直に知覚しようとするらしい。そう、錯覚をしてまで「正しく」知覚しようとするのではないか。それが曲面となると脳もお手上げかもしれない・・・。

「新しい形と新しい関係 ――外部と混じり合った環境単位」と題して、妹島さんはこのプロジェクトについて寄稿している。

都市と関係の持てる屋外生活と説明されても・・・。私にはこの手の空間で暮らす自信は無い。

ドアクローザー

2008-12-14 | A あれこれ
 ドアクローザー。あれは「無作法養成装置」だ、と思っています。

ドアを開けたら静かに閉めるという一連の行為をきちんとすることは当り前だと思うのですが、静かに閉めるという行為を人に代わってするのがドアクローザーですね。開けたドアを閉めることなくその場を離れてもあとはドアクローザーが静かに閉めてくれる・・・。

本来、人がきちんとするべき行為を建築側に「押し付ける」ことが少なからずあると思うのですが、このドアクローザーなどはその代表例でしょう。

もう随分昔のことですから、ここに書いて支障ないと思います。子どもたち(という表現にしておきます)がこのカウンターの上に載っても壊れないようにして欲しい、という要望をいただいたことがありました。

「それは建築の問題ではなくて教育の問題だと思います!」そのとき少し冷静さを欠いてそう答えたことを覚えています。案外このようなことってあるんですね。

防滑性に優れた床材でも表面に雪がついていたりしたら滑ります。そんな時は注意して歩くようにしてもらわないと・・・。

ドアクローザーに話を戻します。

まあ、不特定多数が利用するような施設の場合には設置しないわけにはいかないでしょうが、住宅は冒頭の理由で不要。保育園や小中学校など子供たちが利用する施設にも出来れば付けたくないですね。

襖を開けて和室に出入りするという行為というか動作、これは難しい。かつては皆、作法として覚えたのでしょう。が、和室があまりない今の住宅では子どもに教える機会もありません。襖にはフスマクローザーなどという便利なものもありません。

いやいやその内、そのような代物が取り付けられるようになるかもしれません。

その前に襖が姿を消してしまうかも。

路上観察 蔵の壁を保護する

2008-12-13 | A あれこれ


■ ①は茅野市内で見かけた「妻垂」の写真(0608)です。蔵などの妻壁を雨から保護するのが目的で諏訪地方の他に三重県や高知県でも見られる、と資料で読んだという(曖昧な)記憶があります。



②と③は今日(081213)伊那市内で見かけた、やはり蔵の妻壁を保護する目的の・・・、さてこの壁の名称が分かりませんが、とりあえずその機能から「保護壁」としておきます。

③の写真で分かるようにこの「保護壁」は妻壁から離して下地がつくられ仕上げ材が張られています。直接妻壁の上に張っているわけではありません(②も同様です)。

かつては②のように板でつくられていたのでしょうが、最近では③のようにトタン(亜鉛めっき鋼板)でつくられることが多いのでしょう。近くで数例見かけました(④)。



④は長屋門の両側の蔵の妻壁につけられた「保護壁」。波トタンが張ってあります。

なぜ平側にこのような「保護壁」をつけないのか・・・。平側は軒出が大きいので妻側よりも雨が掛かりにくいということもあるかもしれませんが、まあ、壁四面全てを囲ってしまったらせっかくの蔵が全く見えなくなってしまいますから、持ち主の「ドーダ心」が満足できない、という理由ではないかと私は思います。



この写真は白馬村で以前撮ったものです(0807)。雨ではなくて雪から外壁を守るための雪囲いです。雨から壁を守る「保護壁」とは当然様子が違います。この位だと四面囲っても蔵が見えますね。



伊那市内でこんな突き上げ屋根付きの民家も見かけました。これがもし茅葺だったら、興奮しただろうと思います。

なぜ? 何のため? 民家に施された様々な仕掛けの理由を考えるって面白いです。

久しぶりの民家路上観察でした。

「砂の女」を読む

2008-12-12 | A 読書日記



 『砂の女』新潮文庫 再読中。安部公房の作品は久しぶりだ。この作品が文庫化されたのが81年2月。同年3月に読んだ記録がある。

ストーリーをすっかり忘れている。このような前衛的な作品は具体的な光景をイメージしにくい。蟻地獄のような場所の粗末な家、一体どんな家だろう・・・。そこに暮す若い女、女優なら誰のイメージだろう・・・。どんなラストだっけ。

この作品を年賀メールの挨拶文の最後の一文字「す」に充てるか・・・。


 


週刊ブックレビューの川上弘美さん 自作を語る

2008-12-09 | A あれこれ

 最後に収められている「ゆるく巻くかたつむりの殻」が一番印象に残った。**死んでいても、まだ死なない。大好きな人の記憶の中にあれば、いつまでも死なない。** これは、『真鶴』のテーマにも通ずる。

先日ブログにこのように書きました。川上弘美さんの新刊『どこから行っても遠い町』新潮社の感想です。

6日(土)のNHKのテレビ番組「週刊ブックレビュー」にゲスト出演した川上さんは、この最新刊では「ひとつの町に人がいて、その人たちがゆるやかにつながりあっている、そういうものを書いてみたいと思っていた」と語っていました。川上さんは商店街歩きが趣味だそうですが、なるほど確かにこの短篇集は東京の下町の商店街が舞台です。

この連作短篇集の最初の作品「小屋のある屋上」は魚屋が舞台ですが、実際にある魚屋がモデルだそうです。『真鶴』の取材で何回も訪れた真鶴で見つけたんだとか。

この短篇集に漂っている雰囲気、なんとなく『真鶴』に通じると感じて上記のように書いたのですが、川上さんのコメントを聞いてそれが当たっていたような気がしてうれしくなりました。

今構想中の次回作は小学生の女の子が主人公だそうです。小さな子どもが主人公の作品は初めてだそうですが、どんな小説になるのか、今から楽しみです。


「できそこないの男たち」を読んだ

2008-12-07 | A 読書日記




 アルコールな夜のブログ。閲覧に年齢制限・・・、無し。

「できそこないの男たち」というタイトル、<生命の基本仕様>それは女であるという帯のコピー。一体どういうことを意味しているのか・・・。

先日講習会の帰りに名古屋の駅ビルの書店で購入した本書を読み終えた。『生物と無生物のあいだ』の著者 福岡伸一さんの新しい本。

神様がつくったヒトの設計図、その基本仕様は「女」になっているそうだ。設計図に従って「工事」が開始される。「着工」後7週目まではそのまま工事は進む。そのときSRYという性決定遺伝子の指示書によって指示が出ることがある。「男」に変えよ、というとんでもない指示が・・・。

現場はあせる。おいおいいまさら男に変えてと指示されたって、「あそこ」はすでに「女」の工事を始めてしまったじゃないか。

これから、「やっつけ」仕事が始まる。一体どうやって「女」を「男」に替えるのか・・・。

第六章「ミュラー博士とウォルフ博士」で変更工事の様子が具体的に示されているが、品性を疑われないように記述を控えなくてはならない(いまさら遅いか)。が、チラッと書く。袋に縫い目がなぜあるのか分かった、と。神様の変更設計はやはり巧みだ! 

読み終えて「できそこないの男たち」というタイトルの意味が分かった。


続「見立て」

2008-12-06 | A 読書日記

ある忘年会の席上、まだみんなが集まる前の会話記録



「乾杯! Yちゃん、昨日見立てについて書いたけれど、読んだ?」
「え、昨日は読んでません。見立てって、落語家が扇子を箸に見立てて使うとかいうときの見立て、ですか?」
「そう。夜空に笑顔が浮かんだって、この間話題になったでしょ。そのことと、鹿島槍ヶ岳って代々木体育館に似てるなって思ったんで、見立てについて書いたんだけれど、上手くまとまらなかった・・・」

「ここで質問。竹の枝ってどこから生えてる?」
「竹の枝は、節のところから生えてます。絵に描くと・・・」
「だよね。筒状になっているところからは生えてないよね。で、ここで見立て。Yちゃんが今描いた竹って鉄骨造に見立てることができると思うけど」
「鉄骨造・・・」
「そう。すると枝は筒状の鋼管柱に付いている梁ってことになる。するとさ、節は?」
「鉄骨の柱に梁が付いているんだから、節は・・・。そうか、ダイヤフラム!」
「そう竹の節はダイヤフラム。見立てって、まあ、そういうこと。いろんなものを建築に見立てると面白いし、技術やデザイン的な発想にも繋がるよね。竹の節は挫屈止めの働きもしていると思う。だから鉄筋コンクリート造のフープ筋」

「なるほど、そうですね! 竹ってうまくできてる~っ。そういえば以前、バイオミミクリーについてブログに書いてましたね。バイオミミクリーってあまり馴染みのない言葉ですけど、生物模倣ってことですよね。生物の形や生態系そのものにヒントを得て様々なものやシステムのデザインに採り入れること、とでも理解すればいいんですよね」
「そう。朝のラジオ番組で月尾嘉男さんがそのことを話題にしたことがあって、そのことを書いた」
「鉄骨造の柱と梁のジョイント部分の構造的な処理を仮にさっきの話のように竹の節とそこに付く枝をヒントに発想したとしたら、それってまさにバイオミミクリーってことですね」

「そうだね。ガウディはすべての答えは自然にある、とかって言ったらしいけれど、あの独特のデザインは自然から学んだものなんだよね。自然のアナロジーとして発想するってすごく有効なんだね」
「そうですね・・・」
「デザインといえば、原さんは、京都駅を自分が育った伊那谷に見立ててデザインしたんだよね」
「そうなんですか? でも京都駅の一体どこが伊那谷なんですか?」
「え、あの大きな階段で構成された空間」
「へ~、そうなんですか」

「それから、せんだいメディア・テークの床についてはトンボの羽の構造との類似性を佐々木さんが書いているけれど」
「佐々木さんって、構造の・・・」
「そう。まつもと市民芸術館の構造も担当した佐々木さん。合理的な形は自然に見出すことができる・・・」
「そうですか。見立て、アナロジー、バイオミミクリー、類似性・・・話に出てきたキーワードってみんな関係ありそう」
「まあ、全く知らないものって発想できないと思うから、今挙げたキーワードが発想に有効だろうね」
「U1さんもそうですか」
「たぶん」
「え~、例えばどんな」
「あのボールト屋根のカーブって、Yちゃんの胸のカーブから発想したとか」
「きゃは、だったら、もっと急カーブなはずですけど・・・」


 


「見立て」

2008-12-05 | A 読書日記

 接近して並んだ木星と金星を目に、三日月を口に見立てた笑顔。

この数日間でこの夜空の「笑顔」が恐らく全国紙にも地方紙にも取り上げられたと思います。ひと足早い天からのクリスマスプレゼントだと地元紙が報じています。

さて、このようにあるものを他のものになぞらえる「見立て」は名古屋のホテルで読んだ『かたちの日本美 和のデザイン学』三井秀樹/NHKブックスにも取り上げられていました。『見立ての手法 日本的空間の読解』磯崎新/鹿島出版会はこの見立てに関する論考です。



磯崎さんはこの本で**「見立て」が、仮に見なす、なぞらえる、などの連想性や関連性を強くした用法になったのは、これが乱用された江戸時代からのことであろう。だが、この思考形式は、自然界の事象を形態的類似性を手がかりに、分節し、命名していった日本人にとって、かなり決定的な作用をしつづけているようにみえる。**と指摘しています。

「見立て」が日本人の世界観にかかわっていることは先の『かたちの日本美』で三井さんも指摘しています。

  ―――

人の脳には未知のものを、既知のものに帰着させようとする癖がある。既に書いたことですが、月の表面の影をうさぎや蟹、本を読む女性などに見立てるのも、その一例だということなのでしょう。

既知のものに上手く帰着できない、あるものに見立てることができないと、時に「謎」とまでいわれることがありますね。例えば、竜安寺の石庭、何に見立てればいいのか分からない・・・。白砂は海に、石は島に見立てることができる、という説明がよくなされますが、その先、十五個の石(島)の配置を何に見立てたらいいのか、どう解釈すればいいのかが分からない、「謎」という訳です。

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」 竜安寺の石庭が美しいのは石の配置が解釈できないからなのでしょうか・・・。

今日、鹿島槍ヶ岳を見ながら北に向かっていて、ふと、代々木体育館に似ているなと思いました。ピークが二つあるこの特徴的な山容を代々木体育館に見立てたのです。以前は松本市内から見える常念岳を国立駅に見立てたことを書きました。


081204撮影



このようにいろいろなものを建築に見立てるという訓練は、建築デザインの発想に有効なような気がします。

夜空の「笑顔」から、思わぬところに話が流れてきてしまいました。例によって本稿もまとまりませんが、この辺で。


名古屋にて

2008-12-03 | A あれこれ







 
建築関係の某協会主催の講習会を受講するために日曜日(11/30日)の午後から名古屋へ。

名古屋市瑞穂区でこの建築を路上観察。高松伸設計の民間会社の本社社屋、柱材のH型綱の耐火被覆としてカラマツの集成材を使用している。木質ハイブリッド構造。同様の考え方の最初の実施例が「建築技術」05/07号に紹介されている。金沢エムビル 2005年)。

カラマツ集成材でH型綱を耐火被覆した部材は1時間耐火部材として大臣認定が取得されているとのこと。この社屋は5階建て、従って最上階から4層分、2階までは1時間耐火で法的にOK、1階は2時間耐火が要求されるのでRC造としている(金沢エムビルも5階建てで同様の扱い)。

③の真ん中に写っているのが「木質ハイブリッド構造柱」だが、路上観察するだけでは、構造材に見えないのがなんとも残念。「柱」の両側のやや細めの集成材がマリオン材、ガラスのダブルスキンの外側のスキンのバックステーを受けている。

木は唯一再生可能な資源だからその需要を増やすという目論見があるのだろう。高度な設計にチャレンジした担当者に拍手。発注者にも拍手。


ホテルで夜読んだ本。

『かたちの日本美 和のデザイン学』三井秀樹/NHKブックス



日本人は自然をアイデアソースとする非対称の美と、家紋や紋様の造形に見られるような対称の美を上手く使い分ける、という指摘。

日本人って自然に源を求める「感性の美」と明快な数理的美である「知性の美」、両方共、元々知っていたんだ、と納得。