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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「見立て」

2008-12-05 | B 読書日記 

 接近して並んだ木星と金星を目に、三日月を口に見立てた笑顔。

この数日間でこの夜空の「笑顔」が恐らく全国紙にも地方紙にも取り上げられたと思います。ひと足早い天からのクリスマスプレゼントだと地元紙が報じています。

さて、このようにあるものを他のものになぞらえる「見立て」は名古屋のホテルで読んだ『かたちの日本美 和のデザイン学』三井秀樹/NHKブックスにも取り上げられていました。『見立ての手法 日本的空間の読解』磯崎新/鹿島出版会はこの見立てに関する論考です。



磯崎さんはこの本で**「見立て」が、仮に見なす、なぞらえる、などの連想性や関連性を強くした用法になったのは、これが乱用された江戸時代からのことであろう。だが、この思考形式は、自然界の事象を形態的類似性を手がかりに、分節し、命名していった日本人にとって、かなり決定的な作用をしつづけているようにみえる。**と指摘しています。

「見立て」が日本人の世界観にかかわっていることは先の『かたちの日本美』で三井さんも指摘しています。

  ―――

人の脳には未知のものを、既知のものに帰着させようとする癖がある。既に書いたことですが、月の表面の影をうさぎや蟹、本を読む女性などに見立てるのも、その一例だということなのでしょう。

既知のものに上手く帰着できない、あるものに見立てることができないと、時に「謎」とまでいわれることがありますね。例えば、竜安寺の石庭、何に見立てればいいのか分からない・・・。白砂は海に、石は島に見立てることができる、という説明がよくなされますが、その先、十五個の石(島)の配置を何に見立てたらいいのか、どう解釈すればいいのかが分からない、「謎」という訳です。

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」 竜安寺の石庭が美しいのは石の配置が解釈できないからなのでしょうか・・・。

今日、鹿島槍ヶ岳を見ながら北に向かっていて、ふと、代々木体育館に似ているなと思いました。ピークが二つあるこの特徴的な山容を代々木体育館に見立てたのです。以前は松本市内から見える常念岳を国立駅に見立てたことを書きました。


081204撮影



このようにいろいろなものを建築に見立てるという訓練は、建築デザインの発想に有効なような気がします。

夜空の「笑顔」から、思わぬところに話が流れてきてしまいました。例によって本稿もまとまりませんが、この辺で。


名古屋にて

2008-12-03 | D 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える







 
建築関係の某協会主催の講習会を受講するために日曜日(11/30日)の午後から名古屋へ。

名古屋市瑞穂区でこの建築を路上観察。高松伸設計の民間会社の本社社屋、柱材のH型綱の耐火被覆としてカラマツの集成材を使用している。木質ハイブリッド構造。同様の考え方の最初の実施例が「建築技術」05/07号に紹介されている。金沢エムビル 2005年)。

カラマツ集成材でH型綱を耐火被覆した部材は1時間耐火部材として大臣認定が取得されているとのこと。この社屋は5階建て、従って最上階から4層分、2階までは1時間耐火で法的にOK、1階は2時間耐火が要求されるのでRC造としている(金沢エムビルも5階建てで同様の扱い)。

③の真ん中に写っているのが「木質ハイブリッド構造柱」だが、路上観察するだけでは、構造材に見えないのがなんとも残念。「柱」の両側のやや細めの集成材がマリオン材、ガラスのダブルスキンの外側のスキンのバックステーを受けている。

木は唯一再生可能な資源だからその需要を増やすという目論見があるのだろう。高度な設計にチャレンジした担当者に拍手。発注者にも拍手。


ホテルで夜読んだ本。

『かたちの日本美 和のデザイン学』三井秀樹/NHKブックス



日本人は自然をアイデアソースとする非対称の美と、家紋や紋様の造形に見られるような対称の美を上手く使い分ける、という指摘。

日本人って自然に源を求める「感性の美」と明快な数理的美である「知性の美」、両方共、元々知っていたんだ、と納得。