透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

本が好き

2021-07-15 | A 読書日記

 だいぶ時間がかかったが、『夜明け前』の第二部上を読み終えた。第一部の上下二巻で藤村は江戸から明治へ、時代の大きな流れを俯瞰的に捉えている。それがこの巻の後半あたりから、藤村はようやく主人公・青山半蔵に徐々に近づいていく。鳥の目から虫の目への転換。第二部下でこの長編小説は半蔵を中心とする人間ドラマへと様相を変える。

ここでひと休み。第二部下、最終巻を読み始める前に『弥勒の月』あさのあつこ(光文社文庫2008年)を読むことにする。

**月が出ていた。丸く、丸く、妙に艶めいて見える月だ。女の乳房のようだな。** こんな出だしで始まるこの物語、一体どんな展開になっているのだろう・・・。



朝カフェ読書 2021.07.16


「23 男はつらいよ 翔んでる寅次郎」

2021-07-14 | E 週末には映画を観よう

 13日(火)、平日だけれど寅さんを観た。

今回は第23作「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」。第21作の「寅次郎わが道をゆく」の武田鉄矢と本作のマドンナ・入江ひとみ役の桃井かおりは「幸福の黄色いハンカチ」に出演している。ふたりともこの作品に出演したことが縁で寅さんに出演することになったのだろう。ちなみに本作は「幸福の黄色いハンカチ」の2年後、1979年の公開。インテリア会社・社長の御曹司の小柳邦夫という青年役で布施 明も出演している。

寅さん、今回はマドンナの入江ひとみという田園調布のお嬢さんに恋するというより、ひとみの本当の幸せさがしの指南役。ひとみは邦夫と婚約しているが、結婚式の直前にマリッジブルー(単なるマリッジブルーではないと思うが)でひとり北海道に旅にでる。車の中で襲われそうになったひとみを助けたのは、とらやで毎度毎度の大喧嘩をして北海道に来ていた寅さん(幸福の黄色いハンカチの舞台も北海道だった)。ひとみを暴行しようとしたのは湯原昌幸が演ずる支笏湖畔の旅館のすけべな若旦那。

寅さんより先に東京に帰って結婚式(会場はホテルニューオータニ)にのぞんだひとみは、式の途中で逃げ出して(「卒業」のように、ウエディングドレス姿で)、タクシーでとらやへ。そこで寅さんと再会、そのままとらやで過ごすことに。

邦夫がとらやを訪ねてきても、相手にしないひとみ。やがて彼女は邦夫が家を飛び出し、車の整備の仕事をしながらボロアパートで暮らし始めたことを知る。邦夫の自分に対する想いを知ったひとみは彼を見直して何日か後、アパートを訪ねる。カップラーメンを啜っていた邦夫とラーメンキス(ってなんのこっちゃ、なんとなくわかりますよね)。で、今度は結婚することに。以前、式の途中で逃げ出したのは、ひとみにとって不本意な結婚だったからかも知れない。親がおぜん立てをした、というような。

ひとみは寅さんに仲人を頼む。ごく内輪の質素な、でも真心のこもった結婚祝賀会(会場は柴又の川千屋の宴会場)に、来ないはずのひとみの母親も来て・・・。母親涙、寅さん涙、みんな涙の祝賀会(源ちゃんは泣いていなかったかも)。

幸せとは・・・? 


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松本市島立の火の見櫓

2021-07-13 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市島立 3脚86型(3本の脚、平面が8角形の屋根、同6角形の見張り台) 撮影日2021.07.11


 正面から見ると正方形、横から見る正三角形、上から見ると円。これどんな立体? こんな問題が「頭の体操」という昔々のクイズ本に載っていたが、火の見櫓も見る方向によって周辺環境の印象はずいぶん変わる。上の2枚の写真が好例。2枚目の写真には、バックにビジネスホテルが写っているので、よくこんな市街地に残っていたものだ、という印象を抱くと思う。1枚目の写真は郊外の住宅街のような印象で、火の見櫓が立っていることに意外な感じはしない。


3角形と8角形を中心を一致させて重ねると分かるが、3角形の櫓と8角形の屋根は、3本の柱と屋根との取り合いが同じにならないので、あまり多くない組合せ。

見張り台のつくり方はごく一般的だが、床面を支える部分は横架材の中央に垂直部材(束材)を立てている。この部分に交叉ブレースを設置したものは時々見かけるが(写真①)、このように束だけというのは珍しいと思う。

梯子を見張り台の床面から突き出しているが、こうすると移乗しやすくなるので好ましい。


脚部の構成に注目。3構面のうち、正面だけアーチ形の部材を用いているが、残りの2面はずいぶん低い位置に横架材を設置し、短い脚をつくっている。このような変則的なつくりは珍しい。製作時、意図的にこのような構成にしたのだろうか。成行でこうなった、ということでもないだろうから、やはりはじめからこのようにつくるつもりだったのだろう。


アーチの頂部の横架材に付けた分割したリング式ターンバックルにブレースを取り付けている。これも珍しく、他に見たことがない。



先日見た松本市高宮北の火の見櫓 床下、櫓上部に交差ブレースを入れている。


 


「21 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」

2021-07-12 | E 週末には映画を観よう

 男はつらいよシリーズ第21作「寅次郎わが道をゆく」を観た。マドンナはSKD、松竹歌劇団のスター・紅 奈々子(木の実ナナ)。奈々子はさくらと同級生という設定。

今は無き浅草国際劇場で繰り広げられる華やかなレビュー(ショー)、そこで際立つ存在の奈々子。本作は練習風景や楽屋の様子も交え、レビューに時間を割いている。主役は奈々子で、寅さんは武田鉄矢が演ずる九州熊本の青年・留吉とコンビで脇役。

例によってとらやで大喧嘩して旅に出た寅さん。旅先は熊本。鄙びた温泉宿でのんびり過ごす寅さん、地元の青年・留吉が女性にふられる場面に遭遇。寅さん留吉を諭す。「青年 女にふられた時は、じっと耐えて、一言も口を利かず、黙って背中を見せて去るのが 男というものじゃないか?」

留吉を演ずる武田鉄矢は1977年公開の、やはり山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」で映画デビューしている。本作公開はその翌年(1978年)で、デビュー作同様のキャラでコミカルな演技をしている。

別所温泉の宿で大宴会を開いて無銭飲食、地元警察のやっかいになった寅さんをさくらが迎えにいったのは第18作目の「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」だった。今回も宿代がなくてさくらに速達で助けを求める寅さん。さくらがなんと九州は熊本まで寅さんを迎えにいく。

留吉が寅さんを慕って上京、とらやを訪ねてくる。留吉もSKDのレビューを観たいと言う。奈々子の踊りにすっかり魅了されて、劇場通いをしたい寅さんには渡りに船。留吉と一緒に出かける。それからああなって、こうなって・・・。 

奈々子は舞台の照明係の宮田 隆という男(竜 雷太)と10年も交際を続けていたが、踊りか結婚か、決めかねていた。一度は隆のプロポーズを断るも、結局は結婚することに。激しく雨が降る中、抱き合うふたり(寅さん映画らしからぬシーン)を目撃してしまった寅さん。

奈々子の引退公演をそっと観て、静かに劇場を後にした寅さんは留吉を諭した言葉通りに男の美学を実践したのだった・・・。

寅さんにはふるさとがあり、とらやに家族がいて、妹さくらがいる。だから気ままな旅暮らしができる。「家族の絆の尊さ」というこのシリーズのテーマが本作でもキッチリ表現されている。


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1294 筑北村東条の火の見櫓

2021-07-11 | A 火の見櫓っておもしろい


1294 東筑摩郡筑北村東条立川 3脚63型 撮影日2021.07.10

 筑北村は坂井、本城、坂北の3村が2005年10月に合併してできた。旧本城村の幹線道路(国道403号)から谷あいの道路(県道277号)に入り、しばらく走行していてこの火の見櫓と出合った(上の写真)。火の見櫓が立っている所まで行ってみた。




斜面を登り、俯瞰的な写真を撮った。この立地なら遠くまで半鐘の音が届きそうだ。


火の見櫓の全形 外付け梯子と見張り台が珍しい位置関係になっている。梯子の直上が見張り台へ移乗する位置になっているのが一般的で、その部分は手すりがなくて開口になっているが、この火の見櫓は梯子の直上ではなくて左横から移乗するようになっている。このような位置関係のものを見るのはたぶん初めて。見張り台の手すりに消防信号板を取り付けてある。これがあるとなんとなくうれしい。




櫓の下側半分の様子 蔓が伸びている。火の見櫓を使わなくなって久しいのだろう。防災行政無線に役目を譲った火の見櫓のなんとも寂しい姿。


 


つながる美術館

2021-07-11 | A あれこれ

長野県立美術館見学記

 長野県信濃美術館の老朽化に伴う建て替えが今春終わり、新たな「長野県立美術館」が4月10日に開館した。昨日(9日)出かけて見学してきた。設計者・宮崎 浩さんはこのプロジェクトにずいぶん時間をかけて真摯に取り組んだだろうな、という印象を持った。

新しい美術館のキーワードは「つながる」。特に善光寺とつながるということを意識して計画されている。写真①がこのことを的確に示している。敷地に高低差が約10メートルあることを活かして美術館の屋上広場を敷地東側の道路とレベルをほぼ合わせ、善光寺本堂を真正面にみる軸線を設定して計画している。

2017年6月に長野県庁で行われたコンペのプレゼンを聞いた後、敷地に立ち寄って、この構想の確認をした(写真②)。複雑な条件を整理し、入念な計画をしないと実現しないということが分かった。美術館はこの軸に沿う平面計画がなされている。


△道路と直接つながっている広場、美術館の屋上とは思えない。


△撮影日2017.06.05


△屋上庭園の端に立つとこのように見える。屋上庭園の外周3方を緑で縁取り、周辺とつなぐという計画意図がよく分かる。


△美術館全形。モダニズム建築の特徴のひとつ、ガラスの外装。この外装材には賛否あるだろう。私はガラスの多用を是とはしない。


△全体模型(「つながる美術館」@展示室2) 外構や既存の東山魁夷館を含め、新美術館全体の構成が分かる。善光寺に向かう軸の他に東山魁夷館と正対するもう一つの軸が設定され、美術館が計画されている。


△アプローチ動線がまっすぐ伸びている。動線は東山魁夷館とつなぐ連絡ブリッジの下を通過、階段で屋上広場のレベルとつないでいる。


△長野県信濃美術館(設計:林 昌二) 

宮崎さんはこの旧美術館に敬意をはらい、この位置には新たな美術館を配置しないで、水辺テラスを計画したとのこと(*1 写真⑫)。


△新旧両美術館の設計者(東山魁夷館:谷口吉生)は共にモダニストでデザインの傾向が似ているので両館全く違和感なくまとまっている。


△東山魁夷館とつなぐ連絡ブリッジをエントランスホールから見る。ブリッジをごく薄い床面と屋根面、サッシの方立に同化した細い柱で成立させている。


△エントランスホール俯瞰 端正なデザイン


△ひとつの階段をガラスのスクリーンで内外に仕切ったかのよう。


*1 展示室2で開催中の「つながる美術館」の説明文による。

善光寺に向けて主軸を設定して計画された美術館、屋外空間が魅力的な美術館。次回は興味ある作品展が開催される時にでも。





1293 筑北村東条の火の見櫓

2021-07-10 | A 火の見櫓っておもしろい


1293 東筑摩郡筑北村東条田屋 撮影日2021.07.09

 この火の見、櫓か梯子か悩ましい。見た目は梯子。だが、下の写真で分かる通り、つっかえ棒と梯子を横材で繋いでいて、立体構造であり、櫓の条件を満たしているので火の見櫓、と見なす。このようなタイプをどのように表記したらよいか、3脚(梯子)無4型という表記は再考を要す。





見張り台も設置してあることも、櫓説を補強する。見張り台の床と柱と斜めの吊り材で繋ぎ、消防団の体重を支える床の補強となるようにしている。半鐘を叩く木槌と消防信号板があったら、最高なんだけど。ロケーションはなかなか好い。


 


「18 男はつらいよ 寅次郎純情詩集」

2021-07-10 | E 週末には映画を観よう

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 この数字の並びは寅さんシリーズ全50作(*1)のうち、既に観て、ブログに記事を書いた作品リスト、15作品。第50作「男はつらいよ お帰り寅さん」はシネコンで観た(過去ログ)。第1作から順番に観ていきたいが、レンタル中の作品もあり、叶わない。

昨日(9日)、第18作目の「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」を観た。マドンナは京マチ子が演ずる柴又の由緒ある家柄のお嬢さまだった柳生 綾。寅さんの「出張」先は信州の鎌倉とも呼ばれる別所温泉。

*****

さくらと博の息子・満男は早くも小学生。満男の担任が産休で、代わりの若い雅子先生(檀ふみ)と先生の母親・綾(京マチ子)がこの作品に出てくる。マドンナは雅子先生ではなく、母親の綾。寅さんよりマドンナが年上という設定はたぶんこの作品だけ(実際に京マチ子は渥美 清より年上)。

家庭訪問でとらやにやってきた雅子先生に一目惚れした寅さん(こんなときタイミング良く(悪く?)とらやに帰ってくるのが寅さん)、雅子先生相手に勝手におしゃべりをして、さくらも博も先生と話ができず、家庭訪問が台無しに。これには珍しく博が激怒。確か「ぼくにも言わせてくれよ、たまには!」と言うセリフがあったと思う。で、博に同調したおいちゃんはじめ家族と大喧嘩して、寅さん旅に出るといういつものパターン。

今回は先に書いたように別所温泉。で、寅さんが別所線の電車に揺られるシーンが出てくる。別所温泉で旅芸人一座と偶然再会した寅さんは彼らを宿に招いて大宴会。寅さん多額の請求を支払えず、地元の警察に留置される(無銭飲食だと旅館から警察に通報されたんだろう)。警察から連絡を受けたさくらが寅さんを迎えに別所へ。さくらも別所線の電車で別所温泉に行く。この時の電車は「丸窓電車」。座席に座ったさくらの背後の窓が円かった。

さくらと柴又の帰って来た寅さん、雅子先生ととらやで再会。この時一緒に来た母親の綾と会う。綾は既に夫を亡くしている。で、さあ大変。足しげく綾の屋敷に通う寅さん。綾は病気がちで、余命幾ばくもないのだが寅さんはこのことを知らない。綾は寅さんに元気をもらい、娘の雅子も喜ぶが・・・。マドンナが亡くなってしまうというのはこの作品だけ。

「寅さん 人間はなぜ死ぬんでしょうね」綾にこの根源的ともいえる問いかけをされた寅さん。「定員論」で応じた寅さん。

人はなぜ生き、なぜ死ぬのか・・・。 これは山田監督の作品を観る者への問いかけでもあるだろう。

過去ログ1

過去ログ2


*1 49作目「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」50作目「男はつらいよ お帰り 寅さん」を数えないで全48作品とするケースもある。

 


千曲市戸倉の火の見櫓

2021-07-09 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)千曲市戸倉柏王 3脚3〇型 撮影日2021.07.09


撮影日2016.10.27

 この火の見櫓は2016年10月に既に見ている。だが、交差点の脇に立っているこの火の見櫓を前回(2016.10.27)は逆方向から見たから背景の様子が違うし、周辺の状況も変わってしまっていて、初めは二度目だとは気がつかなかった。



上の4段のブレースには平鋼が用いられ、下の2段には丸鋼を、交叉部にはリング式ターンバックル(通称:輪っか)を用いている。この組み合わせは長野県の東信、北信でよく見られ、全て輪っか付きのブレースとはかなり印象が違う。



見張り台に比べて屋根が小さい。スピーカーが半鐘を隠してしまっている。



この火の見櫓の注目は脚部。前回は添え束の上端で3本の柱材(等辺山形鋼)が座屈しているのではないか、と思ったが、どうやら違うようだ。台柱の内側の面と山形鋼の向きを合わせるために意図的にねじったものと思われる。


石材の添え束の一つに「昭和十九年三月之建」と彫り込んであった。


 


カバーデザイン

2021-07-08 | A 読書日記



 本のカバーデザインは昔の方が断然良かった。具体例を挙げて新旧を比較することは控えるが、ぼくはそう思う。もちろん今書店に並ぶ本の中にもカバーデザインがすばらしいものはある。

先日買い求めた『弥勒の月』あさのあつこ(光文社文庫2008年1刷、2021年25刷)のカバーデザインは芸術的に美しい。カバー折り返しに弥勒シリーズとして9作品が載っている。カバーはどんなデザインだろう・・・、書店で確認したい。『弥勒の月』はあさのさんの初めての時代小説だという。

今日(8日)朝カフェでこの作品の解説を読んだ。解説文を書いた俳優の児玉 清さん大絶賛。**作家あさのあつこが滾るほどの熱き思いをこめた渾身のストレート。火の玉投手の投げたファイヤーボールをキャッチャーである読者のあなたはどう受けとめるのか。(後略)** 

藤村の『夜明け前』を読み終えたら、この時代小説を読むことにするが、それはしばらく先になりそうだ。


#あさのあつこ #弥勒の月


「14 男はつらいよ 寅次郎子守唄」

2021-07-07 | E 週末には映画を観よう

ひょうたんから駒

 週末だけではなくなった。昨日(6日、火曜日)寅さんシリーズ14作「男はつらいよ 寅次郎子守唄」を観た。この作品を食堂のメニューに喩えれば寅さん定食(ってなんのことか分からないか)。展開がオーソドックスだ。

今回、寅さんの「出張」先は佐賀県の唐津は呼子(よぶこ)。ここで寅さんと同宿した男(月亭八方)が翌朝自分の赤ん坊を置いていってしまった。寅さん、その赤ん坊をおんぶして、ヨレヨレになって柴又に帰って来た(九州から東京まで乳飲み子と帰ってきたのだから大変だっただろう)から、さあ大変。おばちゃんたちが出てきてこんにちは、ぼっちゃん一緒に遊びましょ、と面倒を見る。

赤ちゃんが熱を出して連れていったのは博が印刷工場でけがをした時に手当を受けた小さな病院。その病院には気さくで優しい看護師・木谷京子(十朱幸代)がいて、寅さん、いつものように一目ぼれ。

赤ちゃんは九州から迎えに来た父親、それから逃げた女房の同僚だった女性(春川ますみ)と一緒に帰っていった。おばちゃん寂しそうだったなぁ。

寅さんにライバルがいるのもよくあるパターン。京子はコーラスグループに入っていて、そのリーダー・弥太郎(上條恒彦)も京子に惚れていたのだ。髭中顔だらけ(おばちゃんのギャグ)の弥太郎が京子に告白すると、ひょうたんから駒な結果、OK。告白するようにアドバイスした寅さんもたぶん予想していなかったであろう意外な結果に。

その後もお決まり、寅さん旅に出る。寅さん再び呼子港へ。そこで春川ますみにおんぶされている赤ちゃんと再会。で「終」。

いつも笑顔、優しい看護師の京子(十朱幸代)さんにぼくも惹かれた。


 


知らなかった、こんな切手があるなんて

2021-07-06 | D 切手



 知らなかった、こんな切手があるなんて。人は美しいものと珍しいものに魅かれるもの、切手然り。しばらく前に円い切手を初めて見て驚いたが、四角でも円でもないこの切手を見た時も驚いた。

この切手について調べて、2019年12月に発行された楽器シリーズ第2集の10種類のうちの1枚だと分かった。他にはトランペット、トロンボーン、グランドピアノ、ウッドベース、ドラムス、サクソフォン(アルト、テナー、バリトン)などがあり、トロンボーンの切手もこのエレキギターの切手のように一部が突出している。

普段の生活で切手にはあまり縁がないと思っていたが、意識するようになってからはいろんな切手が集まるようになった。


 


「15 男はつらいよ 寅次郎相合い傘」

2021-07-04 | E 週末には映画を観よう

いいですねぇ 鳥は自由で

 細川たかしのヒット曲「心のこり」の歌詞に 一度はなれた 心は二度と もどらないのよ もとには というくだりがある。リリー(浅丘ルリ子)のその後が気になって寅さんシリーズの第15作、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」を観た。リリーは離婚して旅回りの歌手に戻っていた。この作品を観て、寅さんとリリーの心はずいぶん近いと思った。

出勤途中で失踪、旅に出た中年サラリーマンの兵頭(船越英二)と八戸の駅で出合ったという寅さんはその後一緒に旅を続ける。エリートサラリーマンだって仕事に疲れ、旅に出たいと思うことだってあるだろう。旅の途中、兵頭は間近にカモメを見ながら寅さんに言う、「いいですねぇ 鳥は自由で」と。

青函連絡船で函館に渡ったふたり。屋台かな、ラーメン屋で寅さんばったりリリーと再会! よかった。この場面でうれし涙が出た。「寅さん」観ても泣いてしまうから映画は大概ひとりで観る。

その後三人は小樽へ。小樽には兵頭の初恋の人・信子(岩崎加根子)がいる。彼の旅の目的は信子を訪ねることだった。夫と死別した信子は喫茶店を切り盛りしていると聞いた兵頭はその喫茶店を訪ねていく。店の外で彼女と二言三言言葉を交わしただけで去り行く兵頭。この場面にも涙。

旅を続ける三人、ささいなことが発端で寅さんとリリーは大喧嘩。

柴又のとらやに帰ってきてからも喧嘩別れした原因が自分にあると気を病む寅さん。さくらやおいちゃんたち家族の前でそのことを告白しているところへリリーが訪ねてきて・・・。偶然にも寅さんの話しを聞いたリリー。ふたりは仲直り。柴又で噂になるほどアツアツなふたり。

ある日、旅から帰って来た兵頭がとらやを訪ねてくる。この時の手土産のメロンが原因の「メロン騒動」勃発。居合わせたリリーに大人げないとこっぴどく叱られる寅さん。この後、本作のタイトルの相合い傘シーンが出てくる。雨の中、寅さんは番傘を差してリリーを迎えに柴又駅へ。で、相合い傘。1つの柄をふたりで持つところだけトリミング、このシーンが好い。やはりリリーは他のマドンナとは違う特別な存在だ。

この作品、僕には涙映画だった。


 


消えゆく火の見櫓

2021-07-04 | A 火の見櫓っておもしろい

 「消えゆく火の見櫓」とは何とも切ないタイトルだが、実態なのだから仕方がない。


(再)松本市高宮北 4脚8〇444型 撮影日2021.07.04 

松本市高山北、国道19号沿いに立っているこの火の見櫓は昭和5年に建設され、松本では最も古い部類の1基だが、近々撤去されると聞いていた。撤去されてしまう前にもう一度見ておこうと思い、今朝(4日)出かけてきた。



櫓が下方に直線的に広がっていて、末広がりになっていない。柱材に等辺山形鋼が使われている。丸鋼や平鋼を曲げることは容易だろうが、山形鋼を滑らかにカーブさせる技術が建設当時にはまだ無かったのかも知れない。このようなことは文献を探し、じっくり調べれば分かるだろう。

梯子段の間隔の寸法と段数によって見張り台の床面のおよその高さが分かる。この方法で13メートルくらいだと分かった。





屋根と見張り台を見上げる。見張り台の床に方杖を突いている火の見櫓は珍しくもないが、屋根に方杖を突いているのは珍しい。現存する火の見櫓は昭和30年代に建設されたものが大半だが、それらにはこの火の見櫓のように方杖を突いているものはまず無いだろう。平鋼を交叉させて設置した例も他に見た記憶がない。手すり子の飾りは必要なものではないが、丁寧なつくりだ。仕事と割り切って出来るものではない。職人気質ということばがピッタリの仕事だ。手すり端部の処理も然り。





踊り場には半鐘があるが、見張り台の半鐘は既に無い。見張り台に吊り下げてあった半鐘はもともとお寺のものだったようだと、偶々居合わせた分団長(*1)から伺った。『あ、火の見櫓!』で、半鐘について、**よく響いて音が遠くまで伝わる小さな梵鐘、小鐘を火の見櫓でも使おうということになったのではないかと思います。半鐘は梵鐘と似ているというより元々同じものでしょう。**(59頁)と書いたが、全てがこの推測通りかどうか分からないが、梵鐘の転用が実際にあった、ということだろう。この火の見櫓の撤去された半鐘について、取材する機会があるかも知れない。



 

構造材は全てリベット接合されている。ただし柱脚は例外的にボルト接合。なぜ? 分団長に、この火の見櫓はもともと詰所の左隣に立っていたが、水路改修工事に際し、現在の場所に移設されたと伺った。なるほど、そういうことだったのか。

残念だが90年の長きにわたり地域を見守り続けて来たこの火の見櫓は今月(7月)撤去される・・・。


*1 名刺156