史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「司馬遼太郎 リーダーの条件」 半藤一利 磯田道史 鴨下信一 他著 文春新書

2009年12月13日 | 書評
半藤一利、磯田道史、吉田直哉(故人)、関川夏央ら、司馬遼太郎を語らせれば右に出る者がないというメンバーが集う座談会。さすがに発言の一つ一つが本質を突いている。
半藤一利らが、冒頭の座談会で注目すべき発言をしている。
――― 坂本竜馬という人は、司馬さんが書くまでは主役になったことはほとんどない(中略)当時は竜馬より、むしろ桂小五郎などの方が主役だった…(半藤)
――― 日露戦争の最中に、竜馬が昭憲皇太后の夢枕に立ち、海軍の勝利を告げたという逸話はありましたが、長い間、歴史の陰に埋もれていた人物(関川)
――― 実像から離れている部分というのは、『竜馬がゆく』では彼だけが明治維新の大きな流れをつくり、国家を動かしていたように描かれている(中略)あまりにあの作品が多くの人に愛されたので、今日、多くの日本人がそう信じている…(磯田)
竜馬は、現在でこそスーパーヒーローになったが、同時代にあってはほとんど無名の存在であった。竜馬がスーパーヒーローになったのは、『竜馬がゆく』以降のことである。竜馬暗殺の黒幕は薩摩藩だなどという説があるが、等身大の竜馬と向き合えばあり得ない話だということが分かるだろう。武力討幕を阻もうという勢力を牽制したいのであれば、暗殺の矛先は竜馬ではなくて、後藤象二郎でなければおかしい。まして、土佐藩において武力討幕を唱える中岡慎太郎までもともに殺してしまったのでは、暗殺としてはあまりに拙劣である。そもそも、薩摩藩が幕府の組織である見廻組を使って暗殺を実行するはずがない。

――― 司馬本の愛読者が政治家に、無欲さとか無私といった資質だけを要求しはじめたら危険な面もあります。政治家は悪いものだと思っておいたほうがいい。(中略)実際の政治の場面で司馬作品に現れるようなリーダー像が期待されはじめると、やや危険かもしれない。(磯田)
――― あまりに清潔すぎる(吉田)
確かに磯田氏のいうとおりかもしれないが、よく議員先生のアンケートなどで、「好きな作家」に必ずといって良いほど、「司馬遼太郎」の名前が挙がっている。議員先生たちが本当に司馬作品を理解しているのであれば、もうちょっと志の高い人たちが顔を揃えてもいいのではないかと残念に思う。

この本では、秋山兄弟、東郷平八郎、児玉源太郎の子孫が対談している。NHKで「坂の上の雲」の放映が始まり、これを契機に書店でも関連本が所狭しと並べられている。まさに坂の上の雲」ブームである。あまり世の中の風潮に乗せられるのは本意ではないが、それでも「坂の上の雲」は欠かさず視ている。目の前で小説の世界が視覚化されているというそれだけで感激しており、感動のシーンでも何でもないのに涙が止まらない。最近は司馬先生の作品を読むことが少なくなってしまったが、やっぱり私は根っからの司馬信者なのである。

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毛呂山

2009年12月13日 | 埼玉県
(権田直助誕生地)


贈正五位権田直助翁誕生地遺蹟

 権田直助は、文化六年(1809)毛呂本郷に生まれた。生家権田家は、代々この地で医師を業としていた。勉学のため頻繁に江戸と往復する傍ら、名越舎という家塾を開いて郷土の子弟を教育した。江戸では幕府の侍医野間広春院に師事して医学を学ぶと同時に、神田駿河台の安積艮斎の私塾で漢学を修めた。直助は、古医道の研究に熱心な余り、治療を怠り家業も衰微して家族を苦境に陥らせる始末であった。文久二年(1862)直助は、家業を門人に任せて上洛し、京都市内でも名越舎という塾を開いた。ここで諸藩の志士と交わり、国事に奔走した。しかし、八一八の政変で朝廷が公武合体派の手中に帰すると、直助も帰郷せざるを得なくなった。慶応三年(1867)薩摩藩からの檄に応じて、家業を擲って薩邸に入る。このとき刈田穂積という変名を用いている。直助は、薩摩藩邸が焼き打ちされる直前に薩邸を脱出し、その後は鎮撫使に従って四国、中国まで遠征している。
 維新後は、相模の大山阿夫利神社の祠官となり没するまで大山に住んだ。明治十二年(1879)、権大教正、以降、皇典講究所教授、神道事務局顧問、大教正を歴任するなど、神道界、教育界で重きを成した。明治二十年(1887)七十九歳にて死去。

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越生

2009年12月13日 | 埼玉県
(渋沢平九郎自決の地)


渋澤平九郎自決之地


自刃岩

 顔振峠を越えた平九郎が一人黒山に差し掛かったところで官軍の斥候隊に遭遇し、藁に包んで隠し持っていた小刀で抵抗した。しかし、衆寡敵せず利あらずと悟った平九郎は大岩に座して自刃した。自決之地の石碑は、後年一族の渋澤栄一、敬三らによって建てられたもの。その傍ら、自刃岩と刻まれた石が乗せられた平たい岩の上で、平九郎が自決したと伝えられる。
 この岩を覆うように一本のグミの木が生えている。自決した若者の血のような赤い実をつけるこの木を、地元の人たちは「平九郎グミ」と呼んだという。

(全洞院)


全洞院

 平九郎の首は、官軍により越生法恩寺の門前に晒された。首の無い遺体は、若者の死を悼んだ村人たちにより全洞院の墓地に埋葬された。


渋澤平九郎之墓

(法恩寺)


法恩寺

 渋澤平九郎の首は法恩寺門前に梟され、のちに寺僧たちの手で境内の林の中に埋葬された。法恩寺の墓地入口に、「渋沢平九郎埋首之碑」と記された石碑が建てられている。


渋沢平九郎埋首之碑

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飯能 Ⅱ

2009年12月13日 | 埼玉県
(能仁寺)


源小川香魚墓

 「幕末維新埼玉人物列伝」(小高旭之著 さきたま出版会)という本を入手した。まだ読みとおしたわけではないが、幕末期に埼玉県にも実に多様な人物が活躍していたことが分かる。これからしばらくこの本を片手に埼玉県各所を訪ねることにしたい。
 この本の冒頭に紹介されているのが、小川香魚である。小川香魚は、弘化三年(1846)飯能の生まれで、十三歳のときに親元を離れて根岸武香(友山の次男)に師事した。本書によると、小川家と根岸家は姻戚関係にあったという。慶応三年(1867)飄然と出奔した。討幕派浪士を糾合しようという薩摩藩の檄に応じて薩邸に入ったのである。浪士たちは、江戸市中で略奪を繰り返した。挑発にのった幕府は、その年の十二月二十五日、庄内藩以下四藩に薩邸を襲撃させた。このとき香魚は脱出に成功するが、「共に薩邸に入りながら、陰に幕府に通じ密告していた」という噂のあった南永井村(現所沢市)の侠客の兄弟に天誅を加えることに決した。香魚は、同志の桜国輔と松田正雄と南永井村に赴き、侠客の兄弟を斬殺したが、逆に兄弟の子分や農兵に包囲されてしまう。三人は辛くもそこを脱したものの、川越今福村で川越藩兵に遭遇した。桜国輔と松田正雄はここで自刃。香魚は一人脱したが、藩兵の追撃を執拗であった。結局、逃げられないと悟った香魚は自ら銃で咽喉を撃ち抜いた。享年二十二。
 能仁寺には、本堂の東、北側の山腹、西側に墓地が広がるが、香魚の墓は、西側墓地の小川家墓域にある。

(天覧山)


天覧山から飯能市街を望む

 能仁寺の背後の山は、かつて羅漢山と呼ばれていたが、明治十六年(1883)この地で近衛諸兵対抗演習が行われ、明治天皇はこの山に登って演習を閲覧した。このとき山頂からの景色を明治天皇が絶賛したことから、以来この山は天覧山と称されるようになった。天覧山は標高百九十五㍍と、さほど高い山ではないが、山頂からは関東平野が一望できる。この日は空気が澄んでいたため、都心の摩天楼までがくっきりと見えた。
 山頂には、行幸記念碑が建てられている。


行幸記念碑


松園小川碑

 天覧山の中腹、熊笹の生い茂る藪の中に、小川松園、小川香魚父子の碑が建てられている。小川松園は香魚の父で、文政五年(1822)の生まれ。江戸に出て日尾荊山に就いて和漢の学問を修める傍ら、広く天下の志士と交わった。飯能に帰郷ののち、寺子を集めて君臣の大義名分、勤王を唱えた。松園は密かに各地の尊攘論者と交際していたが、慶応二年(1867)四月、病を得て四十五歳で世を去った。松園の遺志は、長男香魚に引き継がれることになった。
 松園の碑の題額は、土方久元。撰文と書は織田完之。


贈従五位小川香魚之碑

(顔振峠)


顔振峠

 その昔義経弁慶主従がこの峠を越えるとき、あまりの展望の素晴らしさに、顔を振り振り眺めたため顔振(こうぶり)峠の名が付けられたという。確かに眺めが素晴らしい。顔振峠には、平九郎の名前を冠する茶屋がある。


平九郎茶屋

 渋澤平九郎は渋澤栄一の義弟にして尾高藍香(新五郎)の実弟で、飯能戦争を戦った振武軍の副将である。慶応四年(1868)五月二十三日、羅漢山(現・天覧山)に立て籠もる振武軍に対し、官軍三千が総攻撃を仕掛けた。平九郎は傷つきながらも窮地を脱し、単身故郷下手計村(現・深谷市)に向かう途中、顔振峠に至った。このとき、茶屋の主人から落人姿では危ないと助言を受け、ここで百姓姿に身を変えた。平九郎は茶屋で草履を買い求め、刀を茶屋に預けて黒山方面に逃れたという。


顔振峠からの眺望


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