(筆山)
正四位勲四等丸岡莞爾之墓
筆山の墓地を久し振りに歩いた。無限に広がる墓石から、何の当てもなく丸岡莞爾の墓を探し当てるのはほとんど気の遠くなる作業であったが、どういうわけだか案外あっさりと出会うことができた。改めて高知の墓地との相性(そんなものがあるのか分からないが)を感じることができた。なお、丸岡莞爾の墓は東京青山霊園にもある。
丸岡莞爾は久万の出身。維新前の通称は吉村三太といった。幼少より国学者鹿持雅澄に学んで勤王の志に目覚め、脱藩して長崎へ出た。そこで坂本龍馬らと交流。維新後は官界に入り、沖縄県、高知県知事などを歴任した。晩年は詩や絵画を楽しみ、歌人としても名を成した。
武市佐市郎墓
武市佐市郎は郷土史家で、武市半平太の同族。土佐史談会全盛期の指導に当たり、高知県史、山内家史の史料収集、編纂に尽力した。
(真如寺)
真如寺
真如寺は、慶長七年(1602)在川和尚が開基した山内家歴代の菩提寺である。道路をはさんだ南側の日輪山(筆山)に初代山内一豊以下、歴代藩主の墓所がある。
(山内家墓所)
山内家墓所
山内家歴代藩主の墓所は、残念ながら非公開である。ここには初代一豊以下、十五代豊信(容堂)を除く、全ての藩主が埋葬されている。なお、容堂の墓は、東京鮫洲にある。
従三位子爵山内豊尹墓
筆山中腹に山内家分家の墓所がある。鬱蒼たる森の中に古い墓石が眠っている。中には苔生して碑文が読めないもの、転倒したまま放置されているものも散見される。何とか保存の手が入ることを期待したい。
山内豊尹は山内容堂の長男である。
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正四位勲四等丸岡莞爾之墓
筆山の墓地を久し振りに歩いた。無限に広がる墓石から、何の当てもなく丸岡莞爾の墓を探し当てるのはほとんど気の遠くなる作業であったが、どういうわけだか案外あっさりと出会うことができた。改めて高知の墓地との相性(そんなものがあるのか分からないが)を感じることができた。なお、丸岡莞爾の墓は東京青山霊園にもある。
丸岡莞爾は久万の出身。維新前の通称は吉村三太といった。幼少より国学者鹿持雅澄に学んで勤王の志に目覚め、脱藩して長崎へ出た。そこで坂本龍馬らと交流。維新後は官界に入り、沖縄県、高知県知事などを歴任した。晩年は詩や絵画を楽しみ、歌人としても名を成した。
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武市佐市郎墓
武市佐市郎は郷土史家で、武市半平太の同族。土佐史談会全盛期の指導に当たり、高知県史、山内家史の史料収集、編纂に尽力した。
(真如寺)
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真如寺
真如寺は、慶長七年(1602)在川和尚が開基した山内家歴代の菩提寺である。道路をはさんだ南側の日輪山(筆山)に初代山内一豊以下、歴代藩主の墓所がある。
(山内家墓所)
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山内家墓所
山内家歴代藩主の墓所は、残念ながら非公開である。ここには初代一豊以下、十五代豊信(容堂)を除く、全ての藩主が埋葬されている。なお、容堂の墓は、東京鮫洲にある。
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従三位子爵山内豊尹墓
筆山中腹に山内家分家の墓所がある。鬱蒼たる森の中に古い墓石が眠っている。中には苔生して碑文が読めないもの、転倒したまま放置されているものも散見される。何とか保存の手が入ることを期待したい。
山内豊尹は山内容堂の長男である。