史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

四ツ谷 Ⅲ

2013年09月07日 | 東京都
(津の守坂)


史跡案内 津の守坂

津の守坂の住友不動産四谷ビルの前に史跡案内の石が置かれている。この辺り一帯に美濃高須藩主松平摂津守の上屋敷があった。ビルの前の坂は、屋敷の主に因んで「津の守坂」と呼ばれる。

(金丸稲荷神社)
 金丸稲荷神社は、高須藩松平家上屋敷内社である。近くには町内の方の手によると思われる、高須四兄弟や松平容保の写真などが掲示されている。


金丸稲荷神社

(津の守弁財天)
 津の守弁財天は、高須藩松平摂津守家の上屋敷の跡地に、古来池のほとりにあった弁財天を遷座再建したものである。


津の守弁財天

(田安稲荷神社・鎮護稲荷神社)


田安稲荷神社・鎮護稲荷神社

 四谷四丁目のマンションの傍らの小さな神社は、御三卿の一つ田安家の下屋敷の内社を移設したものである。



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茗荷谷 Ⅲ

2013年09月07日 | 東京都
(教育の森公園)

 地下鉄茗荷谷駅の北側に広がる教育の森公園は、守山藩上屋敷跡地である。守山藩は、水戸藩の徳川光圀の弟、徳川頼元がこの地に屋敷を構え、その子頼貞が二万石を分与されて立藩したものである。その知行地は、常陸(茨城・行方)と陸奥(守山=現郡山市)にまたがっていた。歴代藩主は藩邸に定住した。元治元年(1864)の天狗党の乱では乱に加担する者が多数でたため、多くの藩士が処罰を受けている。


教育の森公園


旧守山藩邸碑

 鬱蒼とした森と化しているが、かつては占春園という庭園であった。園内に延享三年(1746)に建立された碑が残されている。碑文に「我が公の園は占春と名づく。その中観る所は梅桜桃李、林鳥池魚、緑竹丹楓、秋月冬雪、凡そ四時の景、あらざるは莫し」とある(原文は漢文)。

 園内には講道館柔道の創始者であり、東京高等師範学校の校長でもあった嘉納治五郎(1860~1938)の銅像もある。


嘉納治五郎像

(大塚公園)


住好神社

 大塚公園の片隅にある住好神社は、桑名藩松平家大塚下屋敷内社である。

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春日 Ⅱ

2013年09月07日 | 東京都
(鐙坂)


鐙坂

 鐙坂の坂の上の西側一帯は、かつて高崎藩主大河内家松平右京亮の中屋敷跡で、右京山と呼ばれた。坂の途中には、言語学者金田一京助とその子金田一春彦の旧居があった。


金田一京助・春彦 旧居跡
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