史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

北杜

2015年05月16日 | 山梨県
(昌照寺)
 北杜市高根町村山西割は、大芝宗十郎の出身地である。
 長谷川伸の『相楽総三とその同志』によれば、昌照寺に小宮山土佐守昌照ら小宮山一族の事績を記した古碑があるというので、中央道を長坂ICで降りて、一路昌照寺を目指した。この寺に行けば、村山西割に在るという大芝宗十郎の墓や顕彰碑の所在も分かるかもしれない。
 昌照寺の裏山の墓地内に古碑はあった。
 小宮山土佐守昌照は、武田氏滅亡の折にも竹田勝頼につき従っていたと言われる戦国武将である。その子である小宮山又七という人物が村山西割の大芝家の娘を娶って、以来大芝を名乗って土着したのが大芝宗十郎の先祖らしい。


昌照寺

 結論を言えば、大芝宗十郎の墓も顕彰碑も見つけることはできなかった。次に時間の十分にあるときに当地を再度訪問することにしたい。


小宮山家事績碑

 大芝宗十郎は、文化十一年(1814)、甲斐巨摩郡村山西割村(現・山梨県北杜市高根町村山西割)の名主長右衛門の長男に生まれた。若い頃、平田篤胤の思想に共鳴し、家を弟に譲って江戸から京都に向い、諸国を遊歴。幕末には尊攘運動に挺身した。薩摩藩に仕えて武術を修めたとも伝えられるが、慶應三年(1867)十月、西郷隆盛の指示を受け、伊牟田尚平、益満休之助らと、江戸三田の薩摩屋敷に入り糾合隊を編成。下野出流山に義兵を挙げるため、竹内啓、相沢元輔ら同志十一名と三田を出たのが十一月二十六日。薩摩藩名で攘夷倒幕の兵を三百余名集めたが、幕軍の包囲を受けて敗走した。大芝は捕えられて、同年十二月十八日、佐野河原で斬首された。五十四歳。佐野河原で斬首されたのは五十一名と言われるが、大芝の年齢は最高齢に属する。

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長和

2015年05月16日 | 長野県
(和田)


和田宿本陣

 長和町は、平成十七年(2005)、旧長門町と和田町が合併して誕生した。町のほぼ中央部に和田宿がある。
 和田宿本陣は、文久元年(1861)に建設されたものである。この年の三月、宿場の大半を火事で焼失し、本陣も灰燼に帰したが、同年十一月、皇女和宮東下の際、宿泊地に予定されたことを受けて、和田宿では幕府から拝借金を得て宿場を再興し、その中心となる建物として本陣も再建された。現在残っている主屋は、間口十二間(約二十一・六㍍)、奥行き九間(約十六・二㍍)という堂々たる建物である。


和田宿本陣内 和宮関係の展示

 三百円を支払って中に入ると、係の女性が懇切丁寧に館内を案内してくださった。女性によれば、和宮が宿泊した座敷棟は、近所(丸子町)の寺に移設されたそうである。
 和宮関係の展示が充実している。右の写真は「和宮御下向関係廻状」と題されたもので、文久元年(1861)七月二十三日、中之条代官所より支配下の代官所に対し、和宮様の下向が中山道と決まったので、道や橋の目論見書を策性するよう指示したものである。


大黒屋

 和田宿では、本陣のほか、旅籠「大黒屋」や「河内屋」などが公開されている。いずれも文久元年(1861)の大火のあと再建されたものである。


河内屋


河内屋の展示

 「かわちや」でも係の男性に熱っぽく館内を案内していただいた。

(信定寺)


信定寺

 和田宿信定寺には、佐久間象山の師と呼ばれる第十四代活紋禅師(上田の竜洞院住職後隠居)の墓がある。


十四代(活紋禅師の墓)

 象山十八歳のとき、当時上田にいた活紋禅師のもとに中国音と唐琴を学びに通っていた。松代から上田まで平地で七里、山道なら六里の道のりであったが、象山はそこを馬で通ったという。活紋は、もと松代藩士の森条七の二男であるが禅僧となり、参禅の傍ら清人の陳晴山と孟渙九から三年にわたり中国音を学んでいた。かれは清国にも密航したことがあると(真偽は定かではないが)伝えられている。(松本健一著「佐久間象山」中公文庫)

(長久保)


長久保宿 一福処濱屋

 長久保宿一福処濱屋は、明治時代の初期、旅籠として建てられたが、中山道の交通量が激減したため、開業には至らなかった。総二階建て、延床面積四百平米と、宿内でも大きな建物である。現在は歴史民俗資料館として活用されている。


長久保宿本陣 石合家住宅

 一福処濱屋の向い側にある石合家はかつての本陣跡。十七世紀後半の建造と推定され、中山道中最古の本陣跡遺構とされている。文久元年(1861)十一月六日、和田宿を出発した和宮一行は長久保にて休息をとっている。

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佐久 Ⅳ

2015年05月16日 | 長野県
(望月宿)


佐久市立歴史民俗資料館

 佐久市の望月は、中山道江戸から数えて二十五番目の宿場である。街道沿いには、歴史民俗資料館や本陣跡(現・大森小児科医院)や脇本陣鷹野家などが並ぶ。風情のある街並みであるが、私が訪れたのが平日だったためか、ほとんど人影もない、静かな街であった。


望月宿本陣 大森家


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湯河原

2015年05月16日 | 静岡県
(清光園)
 JR湯河原駅は神奈川県に位置するが、温泉郷で有名な静岡県熱海市はすぐそこである。住所でいうと熱海市泉に井上馨別邸清光園がある。今も清光園は旅館として営業しており、もちろん宿泊することも可能である。


清光園

 井上馨というと、聞多と呼ばれた若い頃は、藩主に堂々と直言する熱血漢であり、動乱の幕末史に足跡を残したが、維新後の評価は今一つである。実は維新後も財政家として、あるいは外交分野でも実績を残したが、三井や長州系の政商と結んで賄賂で私腹を肥やしたため、貪官汚吏の典型のような印象が強い。当人のためにも残念というほかはない。

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