史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

稲城

2018年03月23日 | 東京都
(妙見寺)


妙見寺

 名探偵コナンのスタンプラリーがJR中央線や武蔵野線の駅で開かれており、都内までの定期券を所有している私は、娘に頼まれてスタンプを集めて回ることになった。この日の最終目的地は、南武線の稲城長沼駅である。
 稲城長沼駅から三十分ほど南下すると、京王線の稲城駅に出会う。このすぐ近くに妙見寺がある(稲城市百村1588)。
 維新後、山岡鉄舟はこの妙見寺への月参を欠かすことなく、当山中に玉川石を使って黙想祈念の檀場を作ったという。また、「北辰妙見菩薩」の旗幟一対に直筆の署名を残している。


妙見宮

山岡鉄舟は若い頃、北辰一刀流剣術を修めた。「北辰」とは北斗七星のことを指し、流祖千葉周作が北斗七星の化身とされる妙見菩薩を信仰していたということからこの名がついた。鉄舟が東京市内から遠く離れたこの場所まで足繁く通った背景には、こういった事情があったのであろう。
 山上の北辰妙見宮からは都心の高層ビル群やスカイツリーなどを一望できる。

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東京 Ⅶ

2018年03月23日 | 東京都
(三菱UFJ信託銀行本店)


評定所および伝奏屋敷跡

 三菱UFJ信託銀行本店ビルの一階は信託博物館となっている。江戸の絵図によれば、三菱UFJ信託銀行本店ビル・日本工業倶楽部の式地には、評定所と伝奏屋敷があった。評定所とは、寛永十二年(1635)に確立した機関で、老中・三奉行(寺社奉行、町奉行、勘定奉行)などが参集し、重要事項を裁決した。当初は老中の屋敷で審議されていたが、明暦三年(1657)の大火以降しばらく類焼を免れた伝奏屋敷が使用されることになった。寛文元年(1661)八月、伝奏屋敷の敷地を区分して評定所として独立の施設が設置された。伝奏屋敷は、勅使・院使など朝廷の伝奏衆が江戸に下向した際に宿泊施設として使用された。公家衆御馳走屋敷とも呼ばれた。伝奏馳走役に命じられた大名は、滞在中にこの屋敷に詰めて高家の指示を仰ぎつつ勅使の接待にあたった。接待の費用は莫大で、しきたりもかなり複雑であった。元禄十四年(1701)、浅野内匠頭長矩がこの役を命じられたことは有名である。
 周囲を何度も歩いたが、評定所および伝奏屋敷跡を示す記念碑等は見当たらない。辛うじて三菱UFJ信託銀行本店の前に解説を見出すことができた。

(NTTコミュニケーションズ大手町ビル)


越前福井藩邸跡

 現在、NTTコミュニケーションズ大手町ビルのある辺り(平成三十年(2018)二月現在、工事中)に、かつて福井藩の上屋敷があった。正確にはこの場所から西は逓信総合博物館「ていぱーく」、東は常盤橋公園辺りまでを占めていたと推定されている。さすが親藩・御家門の一角をしめる越前福井藩だけに、江戸城に近いこの場所に、これだけ広大な屋敷を構えていたのである(千代田区大手町2‐3)。

(一石橋)


一石橋 迷子しらせ石標

 皇居外堀と日本橋川が分岐する地点に架橋されているのが一石橋(いちこくはし)である。北橋詰め近くに幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰め近くには幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤をもじって五斗+五斗で一石と名付けたといわれる。
 迷子しらせ石標は、安政四年(1857)に建立されたものである。この石標の左側側面に迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、心当たりのある通行人その旨を書いた紙を右側に貼ってしらせたという、いわば庶民のための掲示板であった。この場所のほかにも湯島天神や浅草寺の境内、両国橋橋詰など往来の多い場所に同様の者が建てられたというが、現存しているのは一石橋のもののみである(中央区八重洲1‐11)。

(貨幣博物館)


貨幣博物館

 日本橋の日本銀行の向い側に貨幣博物館がある(中央区日本橋本石町1‐3‐1)。
 入場無料。入口で荷物検査があり、金属探知機を通ると、二階が展示場となっている。和同開珎や富本銭から現在流通している貨幣まで様々な時代のお金が展示されている。私がこの日この博物館を訪れたのは、「江戸時代の一両の現在価値」を知りたいと思ったからである。一般には一両は約十万円とされる。ペリー来航以降、激しいインフレが起こり、慶応三年(1867)から四年(1868)には嘉永年間と比べると物価が七倍から八倍に急上昇している。また何を基準に計算するのかによっても違ってくる。従って、正解は「簡単にはいえません」なのである。

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四ツ谷 Ⅶ

2018年03月23日 | 東京都
(迎賓館)
 今年(平成三十年(2018))は、明治維新から百五十年という節目の年である。政府では、地方公共団体や民間企業とも連携して、様々な記念事業を進めている。その一環で、各地で普段拝観が許されていない文化財などが一斉に公開されている。その一つが赤坂離宮(迎賓館)である。インターネットを通じて事前に予約が必要である。嫁さんと二人ででかけることにした。入場料一人千円。入館前に手荷物など厳重なチェックを受けることになる。


迎賓館

 迎賓館は明治四十二年(1909)に東宮御所として建設されたものである。片山東熊が建築の総指揮をとった。昭和天皇や今上天皇が一時期住居とした以外、東宮御所として使われることはなく、戦後は国立国会図書館、内閣法制局、東京オリンピック委員会などに使用されてきた。しかし、外国の賓客を接遇するための施設の必要性が高まったため、五年余りの歳月と108億円もの経費をかけて改修工事が行われ、昭和四十九年(1974)、迎賓館赤坂離宮が完成した。平成二十一年(2009)、国宝に指定されている。


迎賓館
(主庭側から撮影)

 館内は、ひと言でいうと豪華絢爛。壁の装飾、什器類、シャンデリアなど手抜きの無い最高のものがそろえられ、国賓をもてなすに十分な施設である。一見の値打ちはある。館内の撮影は許されていないので写真は撮れなかった。


迎賓館の庭

 この場所にはかつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった。迎賓館の周囲の庭は、その名残かもしれない。

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