(常磐共有墓地 つづき)
多治見家墓(多治見荒次郎墓)
多治見荒次郎は、奥番四郎次郎国重の二男。遊撃隊。明治元年(1868)九月二十九日、常陸石塚村で戦死。十六歳。
時間の限り墓地を歩いたが、この日の常磐共有墓地での収穫はこれだけであった。嫁さんから、午後五時半までに自宅に戻るように厳命を受けていたので、三時前には水戸を出発し、ひたすら八王子を目指した。まるで「走れメロス」だな…と自嘲しつつ、約束の十分前に帰り着くことができた。

多治見家墓(多治見荒次郎墓)
多治見荒次郎は、奥番四郎次郎国重の二男。遊撃隊。明治元年(1868)九月二十九日、常陸石塚村で戦死。十六歳。
時間の限り墓地を歩いたが、この日の常磐共有墓地での収穫はこれだけであった。嫁さんから、午後五時半までに自宅に戻るように厳命を受けていたので、三時前には水戸を出発し、ひたすら八王子を目指した。まるで「走れメロス」だな…と自嘲しつつ、約束の十分前に帰り着くことができた。