(成田山新勝寺)
成田駅から表参道を経て徒歩二十分で成田山新勝寺に至る。表参道の両側には、土産店や飲食店、旅館が並ぶ。鰻が有名らしく、ちょうど昼食時間帯と重なったこともあり、鰻屋の前には行列ができるほどの賑わいであった(成田市成田1)。
成田山新勝寺は、天慶三年(940)、寛朝によって開山された。前年に平将門の乱がおこり、この事態に驚いた朝廷では、仏教の力による調伏を京都遍照寺の寛朝に命じた。寛朝は弘法大師作と伝えられる不動明王を奉じて関東に下り、護摩を修めた。その満願の日に将門の乱が平定されたため、朱雀天皇は「新戦剋勝」に因んで新勝寺という寺号を与えたという。
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成田山新勝寺
境内に入ると正面に仁王門がある。文政十三年(1830)に建立された入母屋造の八脚門である。仁王門横の光輪閣の前に明治天皇成田行在所碑がある。
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仁王門
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明治天皇成田行在所
明治十四年(1881)および明治十五年(1882)の二度、明治天皇は下総種畜場に行幸し、成田山を行在所とした。昭和八年(1933)、史跡に指定され、昭和十年(1935)に記念碑が建立された。
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二宮尊徳翁開眼之地
二宮尊徳が野州桜町(現・栃木県真岡市)の復興に一身を捧げた。内外の妨害に進退きわまり、行方不明数十日の後、「禍を転じて福となし」に始まる七大誓願を胸に成田山に参籠、断食水行二十一日、霊験感応あり心願開けて大悟したといわれる。
身をすてて ここをせんどと つとむれば
月日の数も 知らぬなりけり
心あらば 成田の山に こもりなん
石の上にも 岩の上にも
という二首を満願の日に詠んだ。「予が今日に至るは、不動心の堅固一つにある」と繰り返し口にした。