史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

東海 Ⅲ

2021年06月05日 | 茨城県

(泉福寺墓地)

 再度、東海村の黒澤家墓地を訪問した。

 

黒澤亀太郎君墓

 

 墓誌には名前が見えないが、向かって左奥の古い墓石「黒澤亀太郎君墓」は、覚蔵の長男亀太郎のもの。天狗党の争乱において、元治元年(1864)九月九日、久慈郡島村にて戦死。

 

故 利兵衛黒澤君墓

 

 黒澤利兵衛は、郷士黒澤七之助利貞の祖父。慶應元年(1865)七月五日、下総銚子にて獄死。六十歳。「幕末維新全殉難者名鑑」では理兵衛と表記されている。

 

先祖累代之墓(黒澤彦七の墓)

 

 傍らの墓誌裏面に黒澤彦七の事歴が記されている。彦七は準合資善兵衛邦好の二男。慶應元年(1865)十一月一日、下総町銚子にて獄死。二十四歳。

 

黒澤家累代之墓(黒澤伊予蔵の墓)

 

 黒澤伊予蔵は、慶応二年(1866)六月二十日、江戸佃島にて獄死。二十四歳。墓誌では二十五歳となっている。

 

林介黒澤君墓

 

 黒澤林介は元治元年(1864)八月二十三日、石神外宿村にて民兵と戦い死亡。四十八歳。

 

故 助七黒澤利貞君墓

 

 黒澤助七は郷士利兵衛利義の長男。明治元年(1868)十月一日、水戸弘道館門外にて戦死。三十五歳。

 

 黒澤家だけでこれだけの殉難者の墓に出会うことができた。さすがに石神勤王村と呼ばれるだけのことはある。茨城県下でももっと子細に調査すれば、もっと殉難者の墓に出会うことができるのかもしれない、と予感させてくれるものがあった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笠間 Ⅶ

2021年06月05日 | 茨城県

(明治天皇岩間野立所)

 

明治天皇岩間御野立所

 

 明治二十三年(1890)の明治天皇行幸の際、野立所となった場所である。住所は笠間市下郷922‐122。

 

(宍戸駅)

 

「明徳」 駐蹕記碑

 

 JR水戸線宍戸駅前のロータリーに駐蹕記碑が建てられている(笠間市大田町)。建立は明治四十年(1907)。

 この時、明治天皇は、汽車で宍戸駅まで移動し、そこから金華山という名の愛馬に乗り、随従する有栖川宮・北白川宮や政府高官そして近衛将校らは馬で随った。

 

(桜の宮ゴルフ倶楽部)

 桜の宮ゴルフ倶楽部(笠間市小原2822)は、かつて和尚塚カントリークラブと呼ばれていた。今もクラブハウスの近くに和尚塚と呼ばれる祠があり、そこに明治天皇駐蹕之地碑、明治天皇和尚塚御野立所碑が建てられている。

 

明治天皇駐蹕之地碑

 

 明治天皇駐蹕之地碑は、明治三十三年(1900)十一月十日から十七日までの八日間、近衛師団の機動演習が茨城県を中心に行われ、明治天皇は統監・視察のため同月十五日笠間町に行幸した。翌十六日の朝、特別列車で内原駅へ向かい、同駅から二頭だての馬車で大原村和尚塚へ移動し演習を統監した。この巨大な石碑は、大正二年(1913)の建碑。石碑裏面の碑文は、栗田勤(いそし 栗田寛の養嗣子)の撰文および書による。

 

明治天皇和尚塚御野立所

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石岡 Ⅴ

2021年06月05日 | 茨城県

(真家)

 

明治天皇御遺蹟

 

 常磐線を東京から水戸方面に北上していると、石岡駅を過ぎてしばらくすると、右手の林の中に明治天皇遺蹟碑が見える。

 明治二十三年(1890)十月、岩間村の室野原(むろのがはら)(現・笠間市)・園部村の成井原(なるいがはら)(現・石岡市)で実施された近衛師団の演習を統監するため茨城県に行幸した。その際に行在所となった場所であるが、現在は石碑が二基建てられているのみである(石岡市真家2826付近)。

 

明治天皇 昭憲皇太后 行在所趾

 

 古い石碑は昭和八年(1933)に建立されたもので、書は元帥東郷平八郎。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする