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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

一宮

2019年12月07日 | 愛知県

(丹羽)

 京都の父が米寿を迎え、三連休の最終日に家族でお祝いを開くことになった。三連休の前に一日休みをくっつけて帰省することになった。初日は、名古屋で途中下車して、一宮、飛島、三重県の鈴鹿、津、松坂の史跡を巡ることにした。最初の訪問地は一宮市丹羽である。

 

                       

鷲津有隣堂之跡

 

 一宮市丹羽南屋敷の住宅街の中に鷲津毅堂を生んだ鷲津家の家塾有隣堂の石碑が建っている。特に説明板があるわけもなく、住宅街の中に石碑がぽつりと建てられているのみである。

 鷲津毅堂は、文政八年(1825)、尾張の丹羽郡丹羽村(現・一宮市丹羽)に生まれた。代々郷士であったが、曾祖父以来代々古学流の家学を継ぐ家であった。鷲津家は丹羽村に有隣堂を開き、諸生を教えていた。毅堂は、江戸に出て教授していたが、慶応元年(1865)、尾張藩の招きを受け奥儒者となり、藩校明倫館教授を経て三年で督学となった。藩主慶勝に従って上京し、国事を周旋、戊辰戦争では命を受けて隣藩の勤王勧誘に奔走した。同年徴士として京都に入り権弁官事となり、登米県権知事を経て明治五年(1872)には権大法官、明治九年(1876)五等判事。明治十四年(1881)には学士会員、翌年には司法権大書記官となったが、同年秋病死した。年五十八。

 

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