(稱念寺)
原敬による陸奥宗光敬慕碑
原敬は、陸奥が外務大臣の折、外務次官だった関係で、陸奥の没後十年に建てた石碑である。
夕日岡(夕陽丘)命名の地
小松帯刀墓所跡
夕日岡阡表碑
夕日岡阡表碑は、陸奥宗光が実父伊達宗広の行実を漢文で述べたもの。宗広は紀州藩の重臣で、政敵によって蟄居させられたが、赦免後脱藩して、主に京都で勤王活動を行った。
宗広は、鎌倉初期の歌人藤原家隆を敬愛しており、明治初期この地にきて、自分も家隆卿の傍に眠りたいとして、自在庵を建てた。家隆卿の和歌に因んで、当地を夕日岡と名付け、伊達・陸奥一族の墓地と定めた。以来、陸奥宗光や妻子など合わせて九人が葬られたが、昭和二十八年(1953)に鎌倉にある寿福寺に改葬された。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます