(鹽竈神社)

鹽竈神社
鹽竈神社のブリュネの碑を探して歩き回った。表参道から随身門に至る階段は二百段を越える。駆け上がると息が乱れた。
ブリュネの碑
ブリュネの碑は、表参道の大鳥居の前にある。ジュール・ブリュネは、慶應三年(1867)、幕府の要請に応じてフランスが派遣した軍事顧問団の一人として来日した。戊辰戦争が起ると、新政府支持を表明した駐日フランス公使を非難して、徹底抗戦を主張する榎本武揚ら旧幕脱走軍に共鳴して、箱館に渡った。その途中の慶應四年(1868)八月二十六日、浦戸寒風沢に寄港した。艦隊は物資の補給、鑑の修理のために約一カ月当地に停泊した。その間、ブリュネは榎本に伴われて仙台藩主伊達慶邦に面会し、主戦派の軍議に出席したり、戦線を視察したりして仙台周辺を歩き回り、克明なスケッチを何枚か残している。そのうちの一枚が鹽竈神社表参道の絵である。ブリュネの碑には、このスケッチの写しが嵌めこまれているが、雨上がりのため水滴が入りこんでしまい良く見えなかった。ブリュネはフランスに強制的に帰国させられ、パリで軍事裁判にかけられたが、軽い処罰で済まされ、後に陸軍参謀総長にまで昇進した。

鹽竈神社
鹽竈神社のブリュネの碑を探して歩き回った。表参道から随身門に至る階段は二百段を越える。駆け上がると息が乱れた。

ブリュネの碑
ブリュネの碑は、表参道の大鳥居の前にある。ジュール・ブリュネは、慶應三年(1867)、幕府の要請に応じてフランスが派遣した軍事顧問団の一人として来日した。戊辰戦争が起ると、新政府支持を表明した駐日フランス公使を非難して、徹底抗戦を主張する榎本武揚ら旧幕脱走軍に共鳴して、箱館に渡った。その途中の慶應四年(1868)八月二十六日、浦戸寒風沢に寄港した。艦隊は物資の補給、鑑の修理のために約一カ月当地に停泊した。その間、ブリュネは榎本に伴われて仙台藩主伊達慶邦に面会し、主戦派の軍議に出席したり、戦線を視察したりして仙台周辺を歩き回り、克明なスケッチを何枚か残している。そのうちの一枚が鹽竈神社表参道の絵である。ブリュネの碑には、このスケッチの写しが嵌めこまれているが、雨上がりのため水滴が入りこんでしまい良く見えなかった。ブリュネはフランスに強制的に帰国させられ、パリで軍事裁判にかけられたが、軽い処罰で済まされ、後に陸軍参謀総長にまで昇進した。