(源通寺)
源通寺
源通寺墓地を入ると直ぐに河竹黙阿弥の墓がある(中野区上高田1-2-7)。
二世河竹新七事 河竹黙阿弥墓
河竹黙阿弥は、江戸末期から明治中頃に活躍した劇作家。本姓は吉村。黙阿弥は、鼠小僧次郎吉を義賊にした作品を始め、「三人吉三」や「白波五人男」など盗賊を主人公とした生世話(きぜわ)狂言で、世相を写実的に描く近代演劇への道を開いた。しかし、幕府が写実的傾向を禁じて、勧善懲悪を奨励したため、作風の転換を強いられ、その後、幕末・維新期の激動する社会の中で、江戸時代後期の歌舞伎の創作法を整理・集大成し、坪内逍遥に「真に江戸演劇の大問屋」と称される仕事を成し遂げた。黙阿弥の作品は、四代市川小団次をはじめとする歴代の名優によって演じられた。明治四十一年(1908)、源通寺が移転した折、黙阿弥の墓も浅草から移された。