史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

佐倉 Ⅵ

2021年02月13日 | 千葉県

(中宿)

 最寄駅は京成臼井駅となる。長源寺前を通って中宿の交差点に面したところに明治天皇臼井行在所碑が建てられている(佐倉市臼井158)。

 

明治天皇臼井行在所

 

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酒々井

2021年02月13日 | 千葉県

(築山)

 京成酒々井(しすい)駅から徒歩八分、「宗吾入口」という交差点の脇に築山と呼ばれる小丘がある(酒々井町酒々井656)。

 築山の上は展望台を兼ねた広場になっていて、その片隅に明治天皇御駐輦記念碑が建てられている。

 

明治天皇御駐蹕記念碑

 

 石碑の裏面の記述によれば、明治天皇が中川村の木内常右衛門邸内にあった築庭にて休憩したのは、明治十四年(1881)六月二十九日、同年七月一日、明治十五年(1882)六月六日、八日の四回に及んだという。

 

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成田 Ⅱ

2021年02月13日 | 千葉県

(成田山新勝寺)

 成田駅から表参道を経て徒歩二十分で成田山新勝寺に至る。表参道の両側には、土産店や飲食店、旅館が並ぶ。鰻が有名らしく、ちょうど昼食時間帯と重なったこともあり、鰻屋の前には行列ができるほどの賑わいであった(成田市成田1)。

 成田山新勝寺は、天慶三年(940)、寛朝によって開山された。前年に平将門の乱がおこり、この事態に驚いた朝廷では、仏教の力による調伏を京都遍照寺の寛朝に命じた。寛朝は弘法大師作と伝えられる不動明王を奉じて関東に下り、護摩を修めた。その満願の日に将門の乱が平定されたため、朱雀天皇は「新戦剋勝」に因んで新勝寺という寺号を与えたという。

 

成田山新勝寺

 

 境内に入ると正面に仁王門がある。文政十三年(1830)に建立された入母屋造の八脚門である。仁王門横の光輪閣の前に明治天皇成田行在所碑がある。

 

仁王門

 

明治天皇成田行在所

 

 明治十四年(1881)および明治十五年(1882)の二度、明治天皇は下総種畜場に行幸し、成田山を行在所とした。昭和八年(1933)、史跡に指定され、昭和十年(1935)に記念碑が建立された。

 

二宮尊徳翁開眼之地

 

 二宮尊徳が野州桜町(現・栃木県真岡市)の復興に一身を捧げた。内外の妨害に進退きわまり、行方不明数十日の後、「禍を転じて福となし」に始まる七大誓願を胸に成田山に参籠、断食水行二十一日、霊験感応あり心願開けて大悟したといわれる。

 

 身をすてて ここをせんどと つとむれば

 月日の数も 知らぬなりけり

 

 心あらば 成田の山に こもりなん

 石の上にも 岩の上にも

 

 という二首を満願の日に詠んだ。「予が今日に至るは、不動心の堅固一つにある」と繰り返し口にした。

 

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久喜 鷲宮

2021年02月06日 | 埼玉県

(鷲宮神社)

 鷲宮神社は、関東最古の大社といわれ、鎌倉時代以降、各時代の権力者から崇敬を集めてきた。江戸時代には、徳川家康から四百石という、寺社としては破格の社領を寄進されている。この神社に奉納される鷲宮催馬神楽は江戸神楽の源流ともいわれる。今も神社の祭礼に合わせて披露されている。

 

鷲宮神社

 

明治天皇宸憩之處

 

明治天皇御用水之井

 

 明治二十九年(1896)、鷲宮では近衛師団の演習が行われた。明治天皇は演習を天覧し、講評を聞いた後に鷲宮神社で小休をとっている。鷲宮神社境内には、その時のことを記念した石碑が二基残されている。御用水之井碑は徳富蘇峰の書。宸憩之處は金子堅太郎の書である。

 

鷲宮神社参拝記念植樹

 

武蔵國 鷲宮神社

 

 明治天皇御用水之井碑を記した徳富蘇峰は、昭和八年(1933)に鷲宮神社を訪れている。境内には、参拝記念植樹碑があるほか、門脇の鷲宮神社社票碑も蘇峰の書である。

 

(近衛師団演習跡地)

 

明治天皇叡覧演習之處

 

明治天皇演習講評之處

 

 鷲宮駅(東武伊勢崎線)から北に一・五キロメートルの場所、現在は田畑の周りに民家が点在しているような風景であるが、この地で明治二十九年(1896)、近衛師団の演習が行われた。明治天皇が演習を展覧した場所、講評した場所にそれぞれ石碑が建てられている。叡覧演習之處碑は、市境をまたいで加須市に建っているかもしれないが、講評之處碑から歩いて行ける場所にあるので、同じく久喜市鷲宮の史跡として紹介しておく。

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吹上 Ⅱ

2021年02月06日 | 埼玉県

(吹上本町)

 

明治天皇御駐輦址

 

 吹上駅に近い住宅街の中に明治天皇駐輦碑がある。明治十一年(1878)、明治天皇が北陸・東海方面へ行幸の際に立ち寄ったことを記念したもの。書は、徳富蘇峰(正敬)。

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熊谷 Ⅵ

2021年02月06日 | 埼玉県

(千形神社)

 現在、千形(ちがた)神社のある場所に、江戸時代忍藩の陣屋(出張所)が置かれていた。忍藩では町方事務を取り締まるために陣屋を設置していた。今でも中山道から千形神社に通じる道は陣屋町通りと呼ばれており、付近を陣屋町と呼ぶ人もいるという。

 

千形神社

 

陣屋跡

 

明治天皇熊谷行在所阯

 

 明治天皇熊谷行在所阯碑は、明治十一年(1878)九月、明治天皇の北陸東海行幸の際に行在所となったことを記念したものである。

 

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深谷 Ⅵ

2021年02月06日 | 埼玉県

(源勝院)

 

源勝院

 

 岡部の源勝院は、岡部を領地とした安部家の菩提寺で境内には阿部家の墓地がある。安倍家は、信州諏訪の出で、駿河安部川上流の安部谷に移り住んだ。初め今川義元に仕えたが、後に徳川家康に従い、甲斐の武田氏との戦いでは戦功があった。

 

明治天皇美久留馬乃安登碑

 

 源勝院の山門前に、明治天皇美久留馬乃安登と記された大きな石碑が建てられている。明治十一年(1878)、北陸東海を巡幸した際に、休みを取った場所である。書は、渋沢栄一。大正五年(1916)の建立。

 今年の大河ドラマを前に、深谷市は渋沢栄一で大いに盛り上がっており、町中至るところに渋沢栄一のポスターが掲示されている。隣接する熊谷市や本庄市ではさっぱりであり、深谷市だけが騒いでいるような様子である。坂本龍馬や西郷隆盛と比べれば華やかさはないが、実は大変面白い人生であり、しかも我が国の経済発展に大いなる貢献をした人物である。埼玉県としてももっとアピールしても良いのではないだろうか。

 

(きん藤)

 深谷宿の「きん藤(きんとう)」は、創業百八十年という老舗の旅館兼料亭である。明治十一年(1878)九月二日、明治天皇の北陸東海行幸の際には、小休所となった。

 裏手の空き地に明治天皇深谷御小休所阯碑が建っている。昭和十三年(1938)の建碑。貴族院議員西郷従徳(従道の二男)の筆。

 

きん藤

 

明治天皇深谷御小休所阯

 

 

コメント (3)
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