今週一杯で、会社を辞める若者が居ます。
明日の金曜日に部署でお決まりの送別会を開くらしいのだけれど、
気に入らない奴らが居る場所に、出て行くのが嫌なのでそちらは欠席。
それでもこの若者が辞めるきっかけを自分が作ってしまったような気がして
本音を聞いておきたかったので、今日は彼の後輩に当たる弟子と、
ついこの間まで僕の部下だった女の子を交えて、僕が御馳走すると言う
『お食事会』を開いて、「ぷち送別会」をやって来た。
この若者は、まだ30代前半。
僕が今の部署に異動して来た時に、本社との人事交流で2年間出向させた事が有る。
2年後に戻って来た時に、今後はある装置の主担当としてやって行けるように
まずじっくりと自分が作りたい装置の構想を練らせていた。
ところが、会社の方針でその装置の系列がそっくり本社に吸収されてしまい、
それと同時に、この若者は本社へ転属となった。
2年間の出向していた間も、暇を見ては顔を見て気にかけて来たのだけれど
どうも職場で浮いてしまって、居場所がみつからなかった様子。
結局、悩んでいるうちに精神的に追い詰められて出社拒否するようになってしまった。
僕は、その兆候をだいぶ前から感じていたので本社の役員に相談して
本人が一番気が休まる、元の部署に戻すように裏で動いてきた。
でも、すでに本人は会社を辞めて、新しい仕事に就く事を決めていたらしい。
それはそれで良かったかなと思う。
いままでずっと、彼の本音を聞いてあげられる事が出来なかったので
今日はそれを聞こうと『お食事会』を開いたという訳。
彼に、部署の人間が僕の事をどんな風に見ているのか?訊いてみた。
『本社でどんな実績を上げてこようが、いまの部署で成果物がないから信頼されて居ない』
と言う。やっぱりね・・・・
それは自分でもそう思われて居るだろうと予想して居た。
僕は異動直後の半年間は、しっかりと新しい電源の設計をして実験をやっていた。
だが、僕をひきいれた恩師でもある元社長の方針は違った。
『組織の体制強化』が出向命令書に明記されて居て、元社長との間で決めた事は
後継者の育成と全体のレベルアップだった。
そんな経緯が有って、後継者になりそうな若者を、研修先の製造部から
予定より半年早く、引き揚げさせて来た。その若者が『弟子』だった。
そして翌年の4月から、僕が組織のリーダーになった。
後継者になれるかどうか?実験の手順に始まって、半年前から教育計画を作っておいて
まずは『弟子』に簡単な高電圧回路の設計をやらせてみた。
最初は戸惑っていたが、それなりに自分で考えながらやっている姿を見て
この若者を育てる事に決め、元社長にもその事を伝えた。
その時に僕は、設計と言う作業から一切手を引く事を決めた。
僕の考えを伝え、指導しながら作業は『弟子』に全て任せた。
僕が手を出すと、その部分は考えなくなるからだ。
今後は、俺がバックアップしてやるから、仕事は全てお前がやれ。と『弟子』に伝えた。
僕がリーダーだった間は、泣きながら、悩みながらも順調に育っていた。
だが、僕がリーダーを降りた途端に引き離され、その構想は崩されてしまった。
今さら、僕がまた弟子にやらせていた仕事をやるのは、弟子に嘘をついた事になる。
だから、高圧回路の事には依頼が無い限りやらないで居た。
それが『成果物がない』と云う事。
まぁ、実際にそうなのだからそう言われても仕方が無い。
ただ、僕は今の子会社に来て、実験室も測定器一つ無い部署に驚いた。
こんな環境では、仕事なんて出来ないと元社長に言ったら、ニコニコして
『そうだろう・・・・?だからお前が全部揃えろ。金は出す』と待ってましたと言わんばかりの返事。
それでまず、6つの大きな作業台が置ける実験室と、設計に近いフロアに場所を確保した。
これだけで、総務部や会社のレイアウト委員会から難色を示された。
だが、社長に『駄目なら、仕事も組織もレベルアップしません』と言って、後押しを促した。
そして場所を確保した後に、最高級のシンクロスコープや、測定器を人数分購入し、
更に必要な測定器を揃えて、更に電気設計所有の実験専用装置を確保した。
本社を含めて最高の設備を揃えた実験室を作った上で、
『これだけ環境を整えたんだから、仕事をきちんとやってくれ』と部下に言った。
これは出向命令書にある『組織の体制強化』のための成果物だと自分の中で思っている。
まぁ、こんな話を初めて若い人に話した訳です。
「ぷち送別会」で最後に腹を割って話せてよかった。
5時間近く、久し振りのダラダラ飲み。
美味しいものを食べて、嬉しそうにしてくれて、皆帰ったのでこちらに関しても良かったかな?
帰りに一人、『俺の考えや生き方は間違っていない』と、自分に言い聞かせたのでした。