『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

価値観の違い

2019年09月11日 | ジジイの呟き
昨日、『僕の人生観や価値観は、普通じゃないのかな?』
そんな事を書いたのですが、具体的な事を書いてみましょうかね?

定年退職が近づいた時に、後継者を育てて退こうと思っていた。
しかし会社からの返事は『不要』。
その時に僕は心が少し壊れてしまい、血圧が上昇して医者に通う事になった。
原因はストレスから来る、不眠症。
精神科のカウンセリングを受け、楽しい事を考えて生きる事を薦められ、
友人のフラワーアレンジメントの先生から花を生ける事で心を整えることを教わり、
劇団の稽古で、別の人格を作る事で何とかその危機を脱した。
この時に自分の価値観や人生観を考えて、『定年後は技術者として生きるのを辞める』と決めた。

ところが意に反して、今の仕事をすることになったのだが、どうも僕の生き方とはマッチしない。
何が合わないのか?色々考えてみたのです。

僕の元同僚の事業所長や、本社の専務を兼任する社長の仕事ぶりを見ていて、
『この人たちは、何が楽しくて仕事をしているのだろう?』なんて感じている。
それは他の社員にも思う事。

専務や所長は『会社を大きくして、一流企業にする』のが目標のようだ。
僕はそんな立場に立つ器ではないし、そんな能力もない。
ただ、見ていて『大名にお仕えする家老や家臣』に感じるのです。

時代劇で『お家のため』『御殿様のため』と言う感じにね。
今は『お家』は会社、『御殿様』は社長や創業者ってことなんだよな。
これって、ひょっとして歴史が育んだ日本人の気質みたいなものなのだろうか?
決して『自分のため』とは言わない、結果としてそうなるんだと言う。

僕の場合は『会社が大きくなる事』なんて、どうでも良い。
自分が楽しめる仕事が出来れば、それで満足です。
定年まで居た会社はそういう意味で、技術者として仕事を楽しめた。
仕事で結果を出して、お客さんが喜んでくれる事も嬉しかった。
貰っていた給与も決して安くない、自分としては十分なくらい頂いていた。
そう云う意味で、前の会社は僕にとって『素晴らしい会社』だった。

意に反して就いた組合の役員も、一生懸命やると何でも楽しく感じられたし、
サッカーも同じように一生懸命やって来たから楽しんで来れた。
どんな事も苦しい事の方が多かったけれど、その後に得られた達成感がたまらなかった。

僕はもはや、仕事に価値観や人生を見出せない。
お金を稼ぐ必要性が薄れた僕にとって、『会社』なんてどうでも良いのですよ。
コメント
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