『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

思い出に残る一日

2019年09月15日 | ジジイの呟き
今日は長女の誕生日。
長女が生まれた日は、僕にとって思い出深い、大事な一日。
その当時、僕がどんな事を考えて生きて居たのか?・・・・
その日から10年ほど書いて居た、新聞の天気予報欄のスクラップを貼り付けた、
子供の成長記録を久しぶりに開いて、それを垣間見る事が出来た。

長女は嫁さんが切迫早産で、予定より1カ月以上も早く生まれてきた。
1700gの超未熟児。
僕の実家の近くにあって、小児科で有名な荻窪病院での出産となった。
この病院を選んだ理由は、実は他に理由があったのです。

その当時、僕は子供が生まれると言うのに、部署の上司と折り合いが悪く、
つまらないから退社しようかとも思っていた時期。
幸い、部署を出て他部門に異動する事が決まって踏みとどまったのだが、
その時は精神的にかなりきつい時期だった。

この頃、僕にはまだ祖母とお袋が居たため、お袋に反対されて同居こそしていなかったが、
車で30分圏内の三鷹のアパートで暮らして居た。
長女が生まれる直前に、お袋の乳癌が発覚し、左胸全摘出の大手術を受けるために、
掛かり付けの東京女子医大から、亀有にある女子医大系の城東病院へ入院した。

そうなると荻窪には祖母が一人残される事になってしまい、お袋が退院するまでの間、
毎日のように仕事の帰りに荻窪の家へ寄って帰る日が続いていた。
嫁さんを車に同乗させて、移動する事も多くなって、そのせいで嫁さんは切迫流産。
その時に入院させたのが、実家に近い荻窪病院だった。

それから暫くの間、亀有から荻窪へ寄って、嫁さんの病院へ行くと言う生活が続き、
落ち着いたかに見えた嫁さんも、今度は切迫早産。
そんな波乱の中で、何とか生まれた長女は手の平に乗るほど小さくて、
初めての子供は超未熟児で、医者から『覚悟してください』と言われたほど、
その後の成長は、まず保育器の中に居る長女の生命力に賭けるしかなかった。

その子も無事に成人して、いまは独立して気ままな生活を送って居る。
長女の誕生年は今のような猛暑が続く夏で、エアコンの無かった実家に住む年寄りが
ちょっと心配で居たのだけれど、長女が誕生した日は前日までの猛暑が一転して涼しくなり、
一気に秋になってしまったという事もあり、僕の思い出に残る一日になったのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする