そんなこと気にして生きてきたつもりは無いんだけれど・・・
昨日、若い人に僕は他人にどう見られているのかと訊いたら、
『何も成果物が無い』という言葉にちょっと考えてしまった。
僕は「人を育てる」ということを、この10年ほど考えて来た。
もちろんその間に、僕自身も育てられながら来た訳だけれど・・・
だから、正確には「後に続く人を育てる」なのかも知れません。
彼の言う「成果物」とは、図面を描いて作った回路や基板のことなのだけれど、
僕に言わせれば、そんなものは「成果物」なんかではない。
何故かというと、彼らがやっている仕事は「新しい図面」を描いているだけで、
「新しい技術」にチャレンジしているわけではない。
僕はずっと会社で、誰も手を出さない事ばかりをやらされてきた。
だから、誰にでも出来る仕事は僕にとって「成果物」ではない。
普通にやっていれば、それなりの結果が出るものだからね。
でも、殆どの人間はそうじゃない。
いわゆる「血の滲むような努力」とか、「紆余曲折」を経験していない。
そんな連中に、「成果物云々」とか言われる筋合いは無いと思っていた。
僕は、誰も手を出さなかったきつい仕事をやらされながら、
元社長を初めとする、そういう仕事の大変さを理解してくれている、
素晴らしい先輩たちに励まされ、アドバイスされながら、
日程的にも、技術的にも厳しい仕事を幾つもクリアしてきた。
先輩だけじゃない、「切磋琢磨」しながら良きライバルや仲間にも囲まれ、
とにかくそれなりに結果を出して来ていた。
何時までも、仕事を手放せずにいる人間は、親がいつまでも子供の宿題を
やっているようなもの。
そう思うから、手を出さずにじっと我慢して、見守ることが仕事なんだと…
僕はそういう意味では『会社に育てられた数少ない人間』だと思って、
会社には、心から感謝している。
本当は、そんな会社が大好きな気持ちは誰にも負けないって思っていた。
でもね…
そんな気持ちも、今の部署に来たことで無くなってしまった気がします。
僕を本当に理解してくれている人たちも、嘆いているかも知れませんね。
今週一杯で、会社を辞める若者が居ます。
明日の金曜日に部署でお決まりの送別会を開くらしいのだけれど、
気に入らない奴らが居る場所に、出て行くのが嫌なのでそちらは欠席。
それでもこの若者が辞めるきっかけを自分が作ってしまったような気がして
本音を聞いておきたかったので、今日は彼の後輩に当たる弟子と、
ついこの間まで僕の部下だった女の子を交えて、僕が御馳走すると言う
『お食事会』を開いて、「ぷち送別会」をやって来た。
この若者は、まだ30代前半。
僕が今の部署に異動して来た時に、本社との人事交流で2年間出向させた事が有る。
2年後に戻って来た時に、今後はある装置の主担当としてやって行けるように
まずじっくりと自分が作りたい装置の構想を練らせていた。
ところが、会社の方針でその装置の系列がそっくり本社に吸収されてしまい、
それと同時に、この若者は本社へ転属となった。
2年間の出向していた間も、暇を見ては顔を見て気にかけて来たのだけれど
どうも職場で浮いてしまって、居場所がみつからなかった様子。
結局、悩んでいるうちに精神的に追い詰められて出社拒否するようになってしまった。
僕は、その兆候をだいぶ前から感じていたので本社の役員に相談して
本人が一番気が休まる、元の部署に戻すように裏で動いてきた。
でも、すでに本人は会社を辞めて、新しい仕事に就く事を決めていたらしい。
それはそれで良かったかなと思う。
いままでずっと、彼の本音を聞いてあげられる事が出来なかったので
今日はそれを聞こうと『お食事会』を開いたという訳。
彼に、部署の人間が僕の事をどんな風に見ているのか?訊いてみた。
『本社でどんな実績を上げてこようが、いまの部署で成果物がないから信頼されて居ない』
と言う。やっぱりね・・・・
それは自分でもそう思われて居るだろうと予想して居た。
僕は異動直後の半年間は、しっかりと新しい電源の設計をして実験をやっていた。
だが、僕をひきいれた恩師でもある元社長の方針は違った。
『組織の体制強化』が出向命令書に明記されて居て、元社長との間で決めた事は
後継者の育成と全体のレベルアップだった。
そんな経緯が有って、後継者になりそうな若者を、研修先の製造部から
予定より半年早く、引き揚げさせて来た。その若者が『弟子』だった。
そして翌年の4月から、僕が組織のリーダーになった。
後継者になれるかどうか?実験の手順に始まって、半年前から教育計画を作っておいて
まずは『弟子』に簡単な高電圧回路の設計をやらせてみた。
最初は戸惑っていたが、それなりに自分で考えながらやっている姿を見て
この若者を育てる事に決め、元社長にもその事を伝えた。
その時に僕は、設計と言う作業から一切手を引く事を決めた。
僕の考えを伝え、指導しながら作業は『弟子』に全て任せた。
僕が手を出すと、その部分は考えなくなるからだ。
今後は、俺がバックアップしてやるから、仕事は全てお前がやれ。と『弟子』に伝えた。
僕がリーダーだった間は、泣きながら、悩みながらも順調に育っていた。
だが、僕がリーダーを降りた途端に引き離され、その構想は崩されてしまった。
今さら、僕がまた弟子にやらせていた仕事をやるのは、弟子に嘘をついた事になる。
だから、高圧回路の事には依頼が無い限りやらないで居た。
それが『成果物がない』と云う事。
まぁ、実際にそうなのだからそう言われても仕方が無い。
ただ、僕は今の子会社に来て、実験室も測定器一つ無い部署に驚いた。
こんな環境では、仕事なんて出来ないと元社長に言ったら、ニコニコして
『そうだろう・・・・?だからお前が全部揃えろ。金は出す』と待ってましたと言わんばかりの返事。
それでまず、6つの大きな作業台が置ける実験室と、設計に近いフロアに場所を確保した。
これだけで、総務部や会社のレイアウト委員会から難色を示された。
だが、社長に『駄目なら、仕事も組織もレベルアップしません』と言って、後押しを促した。
そして場所を確保した後に、最高級のシンクロスコープや、測定器を人数分購入し、
更に必要な測定器を揃えて、更に電気設計所有の実験専用装置を確保した。
本社を含めて最高の設備を揃えた実験室を作った上で、
『これだけ環境を整えたんだから、仕事をきちんとやってくれ』と部下に言った。
これは出向命令書にある『組織の体制強化』のための成果物だと自分の中で思っている。
まぁ、こんな話を初めて若い人に話した訳です。
「ぷち送別会」で最後に腹を割って話せてよかった。
5時間近く、久し振りのダラダラ飲み。
美味しいものを食べて、嬉しそうにしてくれて、皆帰ったのでこちらに関しても良かったかな?
帰りに一人、『俺の考えや生き方は間違っていない』と、自分に言い聞かせたのでした。
毎日、会社に行っても本当に暇です。
昨日書いたとおり、10月から休みに入る予定なので残り8カ月半。
その間に、休みに入ってから何をしようか?・・・・色々と考えている。
いま、雇用延長で魅力なのは健康保険くらいかな?
定年後の3月まで、次女は学校に通っているから、なんだかんだ必要でしょう。
でも、順調に行けば来春には次女も就職して居るだろうからなぁ・・・・
さて、ちょっと間があいちゃったけれど再び珈琲の話。
この前は焙煎や珈琲に入れるミルクの話で終わったですかね?
今日は豆の話でもしましょう。
植物学的にコーヒーは数十種ありますが、飲用に栽培され流通しているのは
いずれも、ほぼ回帰線(かいきせん:赤道傾斜角の補角で23度26分の緯線)に近い、
北緯25度から南緯25度の赤道を中心とした地域で最も多く栽培されて居ます。
コーヒーの木は「アカネ科」の植物で、珈琲の豆はその種子です。
コーヒーの木は、苗木が成長して2~3年でジャスミンのような香りのする白い花が咲くようになり、
開花して2,3日でしぼんだ後に、楕円形の実をつけます。
完熟すると赤くなり、サクランボに似ているところから“コーヒーチェリー”と呼ばれます。
実の中には種子が2個(まれに1個のものもある)向かい合わせになって入っています。
この種子を取り出し精製したものが生豆で、それを焙煎したものが茶色のコーヒー豆です。
通常、一つのコーヒーの実から採れるコーヒー豆は2粒ですが、
中には二つの豆のうち一つだけが実の中いっぱいに成長してしまう事があります。
この、まれにある1個だけの丸豆は、「ピーペリー」と呼ばれ、
基本的に平豆と同じ味や香りの特徴を持っていますが、
「ピーベリーの方が平豆より香味が強い」と評価するコーヒーの専門家も多く、
平豆とは少し違うまろやかで飲みやすく、独特の香ばしい香りを持ち、ちょっとコクをプラスした・・・・
というのが、ピーベリーの特徴かなって気がします。
収穫量の3~5%程度と、貴重な種類なので価格は少し高値で取引されて居た記憶が有ります。
右が平豆(フラットビーン)、左が丸豆(ピーペリー)
さて、飲用の珈琲は「アラビカ種」「ロブスタ種」の2品種に大別できます。
「アラビカ種」は原産地がエチオピアと言われ、世界各地に伝わり、
その地域の土壌や気候等によって個性豊かな味わいに変化して行きました。
コーヒー生産量全体の70~80%を占め、低地から高地にかけて栽培可能ですが、
サビ病という一種のカビの様な病菌や病害虫に弱いのが弱点です。
代表的なものでは、ブラジル、コロンビア、ガテマラ、モカ、マンデリンと云った
普通に売っている豆の殆どがこの「アラビカ種」です。
一方の「ロブスタ種」は正式名を「カネフォラ種ロブスタ種」と言い、
アフリカのビクトリア湖周辺から西アフリカ等の比較的低地で湿潤な土地で栽培されます。
生産量はコーヒー全体の20~30%ですが、強健でさび病や病害虫にも強く、値段も安価なため、
主にインスタントコーヒー用、あるいは廉価なレギュラーコーヒーの増量用として用いられて来ました。
単品で飲むには「泥臭く」、主にブレンド用には2割ほど使用されて来ました。
高温多湿の気候にも適応するうえ成長が速く高収量で、生産量の2~3割を占め、
近年は東南アジアとアフリカの一部で、特に生産量2位のベトナムで栽培が伸びているようです。
カフェインやクロロゲン酸類の含量が高く、焦げた麦のような香味で苦みと渋みが強く、酸味がなく、
そのためフレンチロースト、イタリアンローストなど、
旧植民地と宗主国のヨーロッパ(特にフランス)での消費が多く、
深煎りしてミルクを合わせる飲み方が普及した背景と言われて居ます。
前回、「焦げ臭い」と言った最近の珈琲は、このロブスタ種を多く使ったブレンドや
濃い焙煎のためなんじゃないかと思ってます。
それと併せて、安価だったはずの「ロブスタ種」は、今や需要の関係で
「アラビカ種」と価格が逆転しているそうです。
僕に言わせれば不味いものを、ワザワザ高くしてしまい、
それを『美味い』と言って、仕方が無く呑んでるように見えますね。
あぁ・・・・やっぱり、美味い珈琲が飲みたいぃぃ・・・・・
3連休が明けて、また会社の生活になった。
この週末は、劇団の集まりでオジサン軍団に励まされる言葉を貰ったので
会社でやることが無くて暇でも、気にしないで『ケセラセラ』で過ごせそう。
ものは考えようですね。
最近は、続けられそうな仕事が有れば、無理に辞めることも無いな・・・・とか、
でも、会社にしがみつく必要もないから、雇用延長も取り敢えずエントリーして・・・・
と言うくらいの、気楽な感じで会社の生活を過ごすように心がけてきたら
以前のような、前向きな気持ちに戻れる気がしてきました。
ただ、今の組織には何の気持ちも有りませんけれど・・・・・・
たとえ雇用延長するにしても、今の残っている休暇は持ち込めないから
来年1月20日までに残っている休暇を全部消化しておかないと損しちゃう。
うちの会社は、保存有給休暇という制度が有って、残った休暇を保存できる。
第一保存有給休暇は最大60日。第2保存有給休暇が90日と最大150日保存できる。
両方を足すとなんと150日。これに年次休暇の最大40日を足すと190日。
つまり定年前の1年間、殆ど会社に来ないでも給料が貰えるのです。
退職金の追加分みたいなものでしょう。
このうち雇用延長希望者は第2保存休暇の90日は使えない。
僕のような中間採用の人間で、休暇を使いまくっている人間には無縁の制度です。
僕が保存して居るのは第一保存有給休暇が45日。
定年退職前の3日間は挨拶などで出勤するとして、これを逆算すると11月1日から
定年前の休暇消化のための休みに入る。
その前は、40日ある年次休暇を半分使って、10月の出勤日21日を丸々休むとしても、
残り19日ある休暇を4月~9月末までに使えばいい。
今年の5月連休はカレンダー通りだけれど、劇団の公演がある前日の24日から
休暇を使って連休を絡めると6日休暇を使って、5月10日まで17連休。
今年は9月に5連休が有るので、そこから休むとしても、その前に8日も
休暇が取れるので、本当に我慢しなければならないのはあと数カ月。
定年後の生活や、仕事の構想を今から準備して楽しい毎日が待っていそうです。
ロクでなしで頭の悪い人間が多い割には、労働組合が作った素晴らしい協約のある良い会社です・・・・(笑)
そんな事を考えながら、『定年カウントダウン』なる今年のカレンダーを
自分で作っているうちに、ワクワクして気持ちが楽になってきました。
2年間耐えて来た生活も、もう少し頑張れば乗り切れそう。
幸いなことに、今年はサッカーや劇団の稽古で、週末は忙しい。
週末は思い切り好きな事が出来る環境になったのも朗報です。
もしかして、今年は神様がくれた『御褒美の1年』なのかも知れませんね。
今日は小平市サッカー協会から招待を受けて、昭島市の代表チームとして
出場することが決まった『小平市長杯』。
40歳以上の試合なので、昭島市のリーグ戦のように相手チームに
若い選手が居るわけではないけれど、それなりにやってきているチームだろうから
簡単に勝てる相手じゃないとは思っている。
チーム結成以来、八王子の代表以外のチームと対戦するのは初めて。
今年最初の試合として、自分達の実力を確かめるのに丁度いい大会になった。
会場は小平市にあるJリーグFC東京のグラウンド『武蔵野苑』。
東京ガスのグラウンドとして歴史は古く、天然芝のグラウンド2面に、
人工芝のフルサイズのグラウンドが一面。
その人工芝グラウンドを借り受けて、1回戦の試合が行われた。
今まで色々な人工芝のグラウンドで試合をして来たけれど、今日のグラウンドは別格。
例えていうなら、ポリエステルの高級絨毯とペルシャ絨毯の違いくらい有る。
ボールが気持ちよく転がるし、きちんと止まる。
何よりも走っていて疲れ無いほど、体への優しさは天然芝に近い。
さすがは体が資本の、トップリーグの選手が使うグラウンドです。
今日の相手はFC・Papasという我々と同じ招待チーム。
平均年齢が50歳近いと言っていたが、とにかく見た感じは強そうなチーム。
今日は20分ハーフと短い時間なので、早いうちに点を奪って試合を支配したい。
GKからフィールドへ交代するには、ある程度の点差が必要です。
今日は凍てつくような冷たい北風が吹いて、GKをやっていて辛かった。
なんせゴールキックは一回もなし。スローインも殆ど記憶に無い。
ボールを触ったのは、4,5回。とにかく一方的なボール支配の試合になった。
それでもいつもの悪い癖が出て、決定的な場面でネットを揺すれない。
前半に郁也が先制点を挙げるまで、どこか落ち着きの無い試合運び。
郁也が居ないと、やっぱりうちのシニアチームは落ち着くまでに時間がかかる。
それでも、後半に全員交代して若い人が出てきた相手に対してもよくボールを支配して
10分後に相手の足が止まったのを見て、1点を追加して試合終了。
この間の八王子代表との試合でもそうだったように、うちのチームは体力的に
他のチームより勝っているのは間違い無さそうだと解ったのが収穫。
今年の『ファーストストライカー』の称号は郁也が獲得した。
次回は郁也が来れない上に、1回戦を勝ち上がってきたチームなので
気合を入れてかからないと、負けてしまいそう。
今年最初の大会はせめて決勝まで進みたいなと思ったのでした。
今日はほぼ全員が揃って、今年最初の稽古。
と言っても、立ち稽古に入る前にもう一度年末のおさらいで本読み。
僕は年末から、台本を何度か読み返しては、役のイメージ作りをやってきた。
今回は初めて、実年齢より上の、老人の役をやるので今までのように
元気にやれば良い訳じゃなく、ちょっとイメージ作りが大変です。
僕は実生活でも元気一杯が取り得の人間です。
だから、劇団の先輩たちのような落ち着きがどこか足りない。
懐が深く、ギラギラした感じが表に出ないオジサンたち見ると
いつも『こんな大人になれるのかな?』って思ってしまう。
こんな気持ちが強くなったのは去年あたりから。
皆さん、誰もが知っている一流企業の取締役を歴任してきた御仁。
そんな『勝ち組』の御仁たちが僕のような男の意見もきちんと聞いてくれる。
時には生意気な事を言ってカチンと来ることもあるでしょう。
それでも、彼らは目的のためにはそれを受け入れる。
やっぱり何処か普通の人とは違う叔父さんたちなのです。
稽古の後に新年会。
その場で色々と話があったんだけれど、元隊長のオペラおじさんが
『あんたのような人間が居ないと、組織は活性化しないんだよ』
と言ってくれる。
元町長役の合唱おじさんからも
『僕らは会社じゃそこそこやってきたけど、サッカーや音楽も
楽しみながら自由奔放に生きて居る貴方が羨ましいよ』と言われた。
帰りがけに座長と珈琲を飲みながら芝居談義をしたんだけれど
座長からも『あんたはいわゆる勝ち組なんだよ』と言われた。
会社と言う狭い社会で上手くやってきても、組織に居るときは
それなりの制約の中でやってきた。
仕事と、プライベートの両方で好きなことをやってきた僕は『勝ち組』なんだと・・・・
今は会社に居ることが凄く辛くて、ストレスに押しつぶされそうなんだけれど
普通の人間は、その会社を離れると何も残らないんだそうだ。
だから劇団にいるオジサンたちは、そういう意味でも勝ち組なんだという。
そっかー・・・・
僕も見ようによっては『勝ち組』なのかぁ・・・・
確かに経済的には何の不自由もないし、定年後に会社にしがみつく必要も無い。
むしろ自分の好きなことをやれる環境にあるのかも知れない。
そんな話をされて、今日はちょっと心が楽になりました。
心から尊敬できるオジサン軍団の人たち。
年齢を超えて、お互いにリスペクトし合って居るオジサン軍団。
その中のピエロ的な存在であることも大事なんだと座長は言う。
今年の公演も、楽しくやれそうな予感が今からします。
今週は一週間が長かったから、凄く長く感じただけに週末が待ち遠しかった。
今週末は3連休だから、会社でやることが無い僕にとっては丁度いい。
今日は会社の組合が主催する新年会『旗開き』があって、
チケットまで買ってあったんだけれど、何だか乗り気がしなくて、
送迎バスに乗って帰ってきてしまった。
来年のこの時期は定年退職の2週間前なので、実質最後の旗開き。
でも、参加しても美味しくもないつまみでビールや酒を飲んで、
最後に景品の出る抽選会を待っているような新年会。
抽選が終わると、その直後に行われる最後の手締めも待たずに
殆どの人が帰り始めるような新年会だから、面倒だなと思うと足が向かない。
何だか、いろいろな意味で今の部署の人間と同じ空間に居ることが
凄くストレスになって、去年の暮れに有った社長を交えた『懇親会』や
年末の最終日の打ち上げなどには一切参加しないで居る。
こういう形で最後の『旗開き』を終えるとは思わなかったけど・・・・・
でも、僕にとって今や会社のデスクに座って居る時間は、苦痛な時間。
昼休みに外へ出ることが大事な時間になっているし、
終業後はさっさと帰宅する『ベルサッサ』の生活は、
自分自身の心や、それに伴って身を守る上で大事なことになっている。
そんな訳で今日は帰りにDocomoショップへ寄って、今月で契約が切れる
タブレットの事を訊きに行った。詳しいことは割愛するけれど、
溜まっていたポイントを使って一銭も払わず、最新機種ARROWS Tab F-03Gを新規購入。
2年前に出たばかりのタブレットに比べると、物凄く早い動きで、
サクサク動く上に、料金も今より毎月800円安くなる。
慣れるまでちょっと時間がかかりそうだけれど、新しいパソコンを買おうかと
迷っていただけに、今度のタブレットはちょっと嬉しい買い物になった。
久しぶりに夕食は『Coco壱番屋』でカレーを食べて帰る事にした。
食べたのは期間限定メニューらしい『チキンスープカレー』
カレーはさらさらのスープに近いものが好きなので、迷わず注文。
想像していたものとはちょっと違って、本当にスープだった。
それでも美味しかったですよ。
叔父の珈琲輸入問屋で珈琲の勉強をしていた頃、まだ創業者の爺さんが元気で居た。
その爺さんは叔父と一緒に会社を作った初代社長です。
明治43年、ブラジル・サンパウロ州政府庁専属ブラジル珈琲発売所『カフェ・パウリスタ』
https://www.paulista.co.jp/introduce/history.html
が開業し、爺さんはそこで呑ませる珈琲をはこぶ給仕から始まって、
喫茶店の運営を学び、珈琲の抽出法、豆の焙煎を探求する等、
数々の修行を重ねて、戦後に独立した。
大正時代の珈琲文化、戦後の珈琲業界の中でも一目置かれる存在だった。
叔父は父親の仕事を大学在学中から手伝い、卒業後に本業として会社を大きくしてきた。
そんな二人に囲まれて、僕は色々な事を教えて貰った。
叔父の会社のアンテナショップで、直営の喫茶店『エビアン』の珈琲は
サイフォンで1杯ずつ淹れた本格的なものだった。
毎朝、開店前に珈琲を飲んで、その日の味を確かめた。
そんな中で、爺さんが教えてくれた珈琲の味を確かめる方法が今でも忘れない。
珈琲の味を確かめる時には、いつも同じ条件で呑む癖をつけなさいと・・・・
要は、『自分なりの物差し』を作るんだそうな。
僕が今の仕事でも『自分なりの物差し』を持つようになったのは、この影響です。
珈琲にはシュガースプーン1杯のグラニュー糖と、珈琲スプーン1杯のミルクを入れる。
爺さん曰く、本当に美味しい珈琲は砂糖を入れてもミルクを入れても美味いんだそうだ。
叔父が焙煎しブレンドした『ロイヤルブレンド』は本当に美味かった。
それでも天候や季節によって、豆の仕上がりが微妙に変わる。
それを何時も同じ味にするようにカップテイスティングをするのです。
自分の舌で味わい、自分の鼻で香りを確かめる。
嗜好品と言うのは人によって好みが違う。これが絶対というものは無い。
だからこそ『自分なりの物差し』を作る事は、『いつもと違う事』に気がつくために大事だった。
前述の直営店『エビアン』で、お客さんに出していた珈琲ミルクも特別なものだった。
『エビアン』のコーヒーミルクは、無糖のエバミルクと生クリームをブレンドしたもの。
エバミルクは牛乳を約2.5倍に濃縮したもので、缶に充填したあと加熱滅菌したもの。
生クリームより脂肪分が少ないので飲み物に入れたりするには便利だった。
これに生クリームを加える事で、ミルク自体もまろやかになり珈琲の味を引き立てる。
どんな美人でも、汚い身なりをしていては駄目。
綺麗に着飾ると、美人はより一層美人になる・・・・がごとく、
コーヒーミルクは珈琲の味を引き立てる。
だから『エビアン』では、珈琲1杯の原価よりミルクピッチャー1杯の原価の方が高かった気がします。
今の喫茶店では「スジャータ」や「コーヒーフレッシュ」で代表される
ポーションミルクを出しているがあれはミルクじゃない。
植物油に水を混ぜ、添加物で白く濁らせ、ミルク風に仕立てたものです。
家庭用の粉ミルク「ニド」や「マリーム」もこの偽ミルクです。
そう云う意味では粉ミルクは『クリープ』だけが本物です。
そんな訳で、美味しい珈琲を探すために『自分なりの物差し』をまた作ってはいるのですが、
今では1日しか持たない「コーヒーミルク」を出す店は滅多にないですね。
だから僕はカフェオレやカフェラテを呑むのです。
香りが焦げ臭いうえに、妙な苦みがいつまでも口に残るからです。
その理由は簡単です。
今、店頭に並んでいる珈琲は基本的に焙煎が濃すぎるのです。
焙煎の度合いは、大まかに分けて全部で8段階。
浅く炒ったのものほど“酸味”が強く、深く炒るほど“苦み”が強くなります。
焙煎は以下の様に分類できます。
①ライトロースト
うっすらと焦げ目がついている状態。まだ黄色がかっていて、香り・コクは不十分。
②シナモンロースト
シナモン色。 ごく浅い炒り方なので、ブラックコーヒーで飲む人も居る。
個人的には、この炒りかたではちょっとエグい味がするので好きじゃありません。
③ミディアムロースト
茶褐色。 アメリカン・タイプの軽い味わいと言われているが、まだ渋みがある。
④ハイロースト
これが標準的な炒り方で、 ブラジル、モカ、キリマンジャロ、ガテマラなど
喫茶店や家庭で飲まれるレギュラーコーヒーは、このローストのものが多い。
⑤シティロースト
ハイローストと同様に標準的な炒り方。鮮やかなコーヒーブラウン。
これも喫茶店や家庭で普通に味わっている深さ。
⑥フルシティロースト
ダークブラウン。アイスコーヒー用の豆はこの段階。 「炭焼珈琲」もこのタイプが多く、
⑦フレンチロースト
強い苦味と独特の香りで、カフェ・オ・レやウィンナーコーヒーなど、
牛乳やクリームでアレンジするヨーロピアンスタイルの珈琲向き。
⑧イタリアンロースト
色も黒に近い状態。強い苦味と濃厚な味。
これが最も深い炒り方で、エスプレッソ、カプチーノなどはこの炒り方のものを使う。
①のライトローストは、珈琲の中の渋みが取れないのでとてもじゃないが呑むような代物じゃない。
②のシナモンローストも似たようなものですね。
これは30年ほど前の珈琲ブームにアメリカン珈琲用にと、阿呆が考え出して作ったような記憶が有ります。
似たようなもので③ミディアムローストが有るけれど、昔『浅要り』と言ったのはこの辺りから。
僕の私見になりますが、
珈琲は④ハイローストと⑤シティーローストがいわゆるホット珈琲向き
⑦フレンチローストや、⑧イタリアンローストはそれぞれ呑み方が限定され、
珈琲の風味と言うには、ちょっと首を傾げたくなるものです。
そもそも炭火焙煎なんて本当にいいとは思わない。
炭火は火が強い上に、ガスのように火加減が出来ない。
時間だけがコントロールする手段なのでちょっとタイミングを逃すと濃くなってしまう。
更に焙煎用の機械の様に大きなファンを使って冷却するのが簡単じゃない。
焙煎で大事なのは温度と時間のコントロールなので、それを考えても疑問符が多いのです。
焙煎の開始時は、豆から水蒸気が出て、魚の様な生臭い匂いが大量に出る。
都内の秋葉原で焙煎をしていた叔父の家でも、45年ほど前に『臭害』と言われ、
仕方が無く、同じような悩みを持つ同業者が集まって、
その当時、まだ住宅が少なかった大田区の外れに、焙煎工場を設立したほどです。
次は豆やミルクのことについてでも書きましょうかね・・・・・
続く
僕が珈琲を呑むようになったのは高校生の頃。
学校の帰りに、喫茶店が有って当時の値段は120円~150円ほどが相場だった。
喫茶店の内部は、カウンターが有ってサイフォンが置いて有る店が多かった。
今は何処へ行っても機械式の珈琲マシンが主流。
とてもじゃないが、『1杯毎に心を込めて・・・・』なんて代物じゃない。
今はコーヒーメーカーが主流で、珈琲豆を挽くミルまで付いている一体型が多い。
僕の経験では、1杯ずつ淹れるならサイフォンで淹れた珈琲が一番美味い。
サイフォンはお湯の温度や、豆の挽き方(粗さ)が味を左右する。
今の仕事である電子顕微鏡の技術者らしい説明をしてみましょう。
焙煎した珈琲豆をミルで挽いた後を顕微鏡で覗いてみると、まるで軽石の様。
その小さな窪みのような所に、いわゆる『珈琲のエキス』が入っている。
サイフォンの場合は沸騰したお湯の勢いで、そのエキスを掻き出す。
熱いお風呂に入ると、肌にチクチクと刺さるようなイメージ・・・・
って言うと解り易いかもしれません。
だから、サイフォンの場合は出来るだけお湯が沸騰するまで粉の入った
ロート(サイフォンの上部)をフラスコに挿しこまないのがコツです。
ロートを差し込んだ途端に、フラスコ内の圧力が上がってお湯が一気に上昇する。
上昇したところで一気に掻き回し、火を離す。
その後、フラスコの圧力が徐々に下がり、珈琲が落ちて行くのです。
たまにアルコールランプでお湯を沸かして、充分に沸騰して居ないのに
ロートを差し込んで、お湯がゆっくり上がって淹れている店を見かけるけれど
その場合は挽き方を変えないと、美味しくは入らない。
サイフォンでの淹れ方の特徴を知らない人が淹れてるとしか思えませんね。
対して大量に珈琲を淹れる場合にはドリップ(布)が向いています。
僕は大久保に有った『亜麻亜亭(アマーテ)』という、喫茶店でアルバイトしてました。
弟も同じ『亜麻亜亭(アマーテ)』の池袋店(こちらは今でも有ります)でやっていた。
ドリップに関しては弟の方が上手に珈琲を淹れますね。
『亜麻亜亭(アマーテ)』池袋店は一日1000杯もの珈琲を淹れて居た。
だから一回で50杯、10リットル近くの珈琲を一気に淹れる。
ドリップの場合は、最初に約5リットルのケトル(ヤカンです)でゆっくりお湯を注す。
このお湯は珈琲の粉を膨らませる「蒸らし」という行程。
「蒸らし」の時にコーヒーが膨らむのは、コーヒーに含まれるガスが放出されるため。
ガスを出すと、コーヒーとお湯が馴染み易くなり、お湯の通り道ができる。
さっき出て来た『珈琲のエキス』を取り出しやすくするのです。
つまり「蒸らし」は、コーヒーのおいしい成分を十分に引き出すための大切な工程なのです。
この最初の5リットルが下に落ちて来ないように、ゆっくりと豆全体を蒸す。
そして2回目のお湯で一気に淹れるのだけれど、この時はドリップの中の珈琲の粉に、
まんべんなくお湯を叩きつけて、思い切り泡を立てて、泡が山のようになって、
真中が凹んで崩れる前にサーバーから引き離すのがコツ。これは弟の方が遙かに上手かった。
オマケに5リットルの沸騰したお湯を一気に注ぐには、かなりの腕力が必要だった。
サイフォン、ドリップ共に泡を沢山出してその泡が崩れる前に引き離すのは一緒です。
この泡、実は珈琲の『不味い成分』、灰汁みたいな雑味なのです。
それを混ぜないようにするのが、美味しい珈琲を淹れる秘訣です。
機械任せのコーヒーメーカーでは、こう云った事は出来ない。
紙のドリップはお湯の保持力が無い。
したがって、珈琲メーカーや紙のドリップで淹れた珈琲が美味い訳が無いのです。
日本に上陸する『ブルーボトム』は、そう云う『心を込めた』珈琲の淹れ方にも拘っているんじゃないかな?
最近の喫茶店やコーヒーショップで飲ませられる珈琲ならば、
開けたてのインスタント珈琲の方が美味しく感じたりすることが有りますね。
また、サイフォンで淹れた珈琲が呑みたくなりました。
続く
Blue Bottle Coffee(ブルーボトルコーヒー) 日本上陸!
http://macaro-ni.jp/1320
このブルーボトルコーヒーは、なんと日本の喫茶店が原点だとか・・・・
クラリネット奏者だったジェームス・フリーマン(James Freeman)氏がその道を諦め、
彼のもう一つの情熱であるコーヒー、それも本当に美味しいコーヒーを作ろうと決心し
2002年8月に自宅のガレージで始めたのが始まりだと言う。
スターバックスが日本に上陸して何年になるのだろう?
僕は一回飲んだきりで、それ以来『スタバ』には行っていない。
その理由は簡単で『不味いから』。
実は、僕の叔父はコーヒー業界ではちょっと名の知れた人物。
僕が20代の前半に目を患い、舞台照明の仕事を諦めて、暫く『プー太郎』の生活をしていた時に
そのだらしない生活に我慢が出来なかったお袋が、僕を定職に着けるようにと
従兄弟の叔父の所に頼んで、叔父が営んでいた珈琲輸入問屋の仕事を手伝う話を決めて来た。
叔父の所には子供が居ないので、僕が小さい頃から養子の話が出て居たそうだが、
その話はオヤジが『本人が大きくなってから決める事』と反対してお流れになった。
コーヒー問屋の他に、秋葉原駅から2分ほどの神田佐久間町で『エビアン』という
喫茶店も経営していた。
叔父は『跡取りとして来てくれた』と、僕に期待して喫茶店の仕事を初めとして、
焙煎や豆の選別、保管、挽き方、淹れ方など、珈琲に関することを1から教えてくれた。
いつしか営業に出て、お客さんの話や味に関する苦情や、トラブル対応をするようになり
珈琲に関しては『プロ』の道を歩んでいた。
その後の事は、話すまでもない。
商売の面白さに気がつく前に、叔父の所を飛び出し、再び『プー太郎』に逆戻り。
好き勝手なことをやりながら、縁が有って今の会社に入社する事になり、今に至っている。
そう云う事も有って、珈琲に関しては凄くこだわりが有って、この数年は
『旨い』と思って呑んだコーヒーは殆ど無い。
スターバックスが『カフェラテ』なるものを流行らせて、日本の珈琲は
牛乳を入れて呑むための濃い焙煎になった。
いわゆるカフェオレ用の『フレンチロースト』や、
エスプレッソ用の『イタリアンロースト』が出回り、
今では『ブレンド用』と称した豆までもが、濃い焙煎になって売られている。
この濃い焙煎。淹れた珈琲は妙に黒っぽく、珈琲の持つ風味は殆ど失われている。
呑んだ後も、口の中にはいつまでも珈琲の苦みや、焦げ臭さが残る。
バンドの相方Charlieは、僕の知っている『コーヒー好き』の一人。
相方の場合、珈琲の風味や美味しさを良く知っているので、僕同様に
『今の珈琲は美味しくない』という。
『不味い』とは言わないところが、僕と違うところ。
でも、街中のコーヒーショップで呑まされる珈琲に同じような不満を持っている。
定年後は、拘りを持って淹れた、美味しい珈琲を呑ませる店でもやろうかな・・・・・
この記事を見て、そんな事を感じたのでした。
今日から暫く『珈琲への思い』と題して書いてみようかと思ってます。
また、憂鬱な会社勤めが始まっちゃった。
冬休みで、気分的にリフレッシュされたんだけれど、やっぱり会社に行くと
自分の居場所がない。
定年まで残り1年、実際には残りの休暇を使うから9カ月だけれど、
今の部署に居る限り、こればかりは自分ではどうしようもないから耐えるしかない。
今日は昼休みにサッカーをやった。今年の『蹴り初め』。
約1ヶ月ぶりなのでボールが足に着かず終い。
ミニゲームで僕は若手チームに加わったんだけど、相手に回ったシニアチームの連中の
パス回しが見事で、ちょっとワクワクしながらゲームをやって来た。
僕もあっちのチームに入りたかったなぁ・・・・。
でも、今週末に昭島市代表の招待チームとして参加する『小平市長杯』が楽しみになった。
そう言えば、2月から始まる各市町村の代表チームが出場する『三多摩大会』の
選手エントリーが9日締め切りになって、僕は自分が率いるシニアチーム『マスターズ』で
選手登録を出したんだけれど、50歳以上の昭島市選抜チームからもオファーが来た。
先だって出場した試合で、同世代なら体力や走力で負けない自信がついて、
選抜チームで出るのも楽しそうだなって、思うようになった。
そんな事も有って、協会の理事長から暮れにメールが来て
『どちらで出場するのか返事をくれ』と訊かれて、返事に悩んで居た。
自分が作ったO-40(40歳以上)が中心のチーム『マスターズ』は、結成から5年が過ぎた。
最初の年2010年はシニア大会に出る40歳以上のメンバーだけでは人数が足りず、
2年目にやっと11人が揃うようになって、その年に初出場したシニア大会は3位。
3年目に圧倒的な強さでO-40のカテゴリーでは負け知らず。
壮年大会も決勝まで進んだが、相手は最初から引き分けのPK戦狙いで、守るだけ。
その術中にハマり、PK戦で敗れ準優勝。相手チームが他の大会の出場権を得た。
協会の役員は、うちのチームなら三多摩大会で良い成績が残せそうだと、
うちのチームに勝って欲しかったみたいだったけど、叶わなかった。
僕は『勝つために攻めない、つまらないサッカーをやる様なチームに負けてはいけない』
と、チームのメンバーに発破をかけ、4年目の昨年は、3名の補強メンバーを加え、
前半で勝負を決めると言う方針で他チームを圧倒。
念願の壮年大会優勝を果たしたけれど、この年は他チームが出場。
そんな悔しさがあって、今年は総会で『壮年大会の優勝チームが出場権を得る』
と云う確約を取って、壮年大会も圧勝して出場権を得た。
実に4年越しの計画達成だった。ここまで3年間、一回も負けて居ない。
昼休みのサッカーが終わった後に、キャプテンのM尾にその事を話したら、
『折角、出場権を獲ったんだから、自分のチームで出た方が良いでしょう?』
と、背中を押してくれたので選抜チームの方には出場辞退の連絡をした。
会社では、居場所が無いけれど、ことサッカーに関しては誘ってくれる人が沢山居る。
考えてみれば、音楽や芝居も一緒。
会社以外なら、色んなところから声がかかる。
会社は割り切って、朝から夕方まで自分のやりたい事をやって、
夕方5時になったら、チャイムと共に『ベルサッサ』で帰宅する。
これで乗り切るのが良さそうですね。
冬休みの最終日。
嫁さんのインフルエンザの熱も下がり、何とか外出することが出来そうなので、
午前中に家を出て、スカイツリーのある押上で待ち合わせ。
ところが偶然、同じ電車の違う車両に乗り合わせ、新宿で車両を移動して合流。
車で出かけても良かったんだけど、駐車場が混んでいると嫌なので
電車で行くことにしたんだけれど、都内はやっぱり電車の移動が楽です。
始めて行くスカイツリー下にある『空街』。
意外とスカイツリーは背の高さには圧倒されるが、東京タワーのような圧倒感が無いのは、
裾から上に向って細く聳え立つような形になっていないせいなのか?
初めて行った割には、あまり興奮しなかったなぁ・・・・
会場に入る前に整理券を受け取る。1時間半待ち。
指定時間に行けば入れるというところは、良心的。
その間、朝から何も食べずに来た娘たちと『空街』のパン屋さんのカフェで
パンを買って、腹ごしらえ・・・・
ここで撮った写真には、なにやら背後霊みたいなものが・・・・・
時間なったので行ってみると、思った以上に長蛇の列。
もうアニメ放送が終了して10年以上経つと言うのに、凄い人気だ。
今日のイベントは「クランプ」と言うアニメスタジオが製作し、NHKで放送していた
『カードキャプターさくら』の原画展。
このアニメ、実は僕も好きで毎週欠かさず、録画を撮って観ていた。
劇場版も見に行ったし、単行本は全巻持っている。
CDも買ったし、子供達には今やお宝となった玩具も喧嘩のないように2つ買ってやった。
次女がアニメーターになりたくて、専門学校に通っているが学生の半分はアニメおたく。
今日のイベントに来る男性は、秋葉原でよく見かけるリュックを背負った
いわゆる『おたく』の連中が殆ど。
ところが、子供の姿を全く見かけない。
アニメ=子供と言う認識は、間違いのようで、立派な大人のイベントだった。
中に入ると後ろで
『きゃぁ~、可愛い。このクラスに入りたいけど、このグループに入るのは無理ぃ』
とか、何だかアニメの世界に入り込んだ女の子がたくさん居た。
グッズも大人向け。
フィギアは売り切れ。原画のコピーは1枚2万円。
コスプレ用の服も大人のサイズで、小道具も軒並み1万円以上する。
コスプレの集会みたいなイベントがあるらしく、その時に着るんだそうだ・・・・。
いやはや、アニメ文化を馬鹿にしていた自分が、いかに認識不足だったか・・・・
これは日本発祥の立派な文化ですね。
そういう自分も、意外とその『おたく』の部分を持ち合わせている。
娘たちが買うのを躊躇っているグッズを総額1万円、しっかり買ってしまいました。
ここで撮った写真にも、なにやら背後霊みたいなものが・・・・・
アニメ文化、恐るべし。
立派な文化だし、巨大市場の気がしました。
しかし、歳には勝てません。
人ごみに3時間も居たせいで、帰りはくたくた・・・・・
晩御飯を食べようと吉祥寺まで電車で帰る途中で、疲れがどっと出て、
途中駅の荻窪で家族と別れ降りて、一人で秘密基地に帰ってきました。
それでも、冬休みの最終日は家族で過ごせて楽しかった。
休みの締めくくりに、良い一日となりました。