映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「渇き」 役所広司&小松菜奈

2014-06-30 05:53:28 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
映画「渇き」を早速映画館へ見に行ってきました。
予告編を見て、役所広司の動きに刺激的な匂いがした。二階堂ふみが出演しているというのも気になる。

中島哲也監督作品はコメディの傑作「下妻物語」以来告白まで連続して見ている。コミカルに編集されているのが特徴。前作「告白」は巷の評判ほどいいとは思わなかった。松たか子はよかったが、映像をいじりすぎている印象をうけた。原作深町秋生の「果てしなき渇き」は未読で「告白」の時と違い原作に関する先入観はない。

いきなり短いカット割りで、激しく場面が変わる。一体何?という感じで見始める。
不良グループ、ヤクザなど似たような連中が大勢出てきて見分けがつかない。深作欣二監督「仁義なき戦い」と同じで登場人物が多いからテロップで名前の但し書きがあってもいいかも?役所広司の怪演で激しいシーンが多いので途中退屈にはならない。終わってみると、ストーリーは単純なのであるが、途中は訳がわからないまま目をスクリーンに向ける場面も多い。

元刑事のロクデナシ親父・藤島(役所広司)に離婚した元妻(黒澤あすか)から連絡が入った。
成績優秀なうえ、容姿端麗、学園のカリスマでもある女子高生の娘・加奈子(小松菜奈)が失踪したという。

自分のせいで全てを失った男が、再び“家族”を取り戻すべく、姿を消した娘の行方を追うことに。娘の交友関係をたどって行く先々で、語られる「知らない加奈子像」に戸惑う藤島。想像を超えて肥大し、踏み入れるほどに見失う娘の正体。やがて藤島の激情は、果てしない暴走をはじめる―。

離婚した妻が依頼者になり、警察を退職した今は警備員の主人公が自分の娘を探すというわけだ。
本来であれば、警察に任せればいいものの、娘の所持品から覚せい剤が見つかっている。別れた元夫のこと、本当は大嫌いなのに仕方なく頼っている。でもこうやって娘の行方を探そうとしても手掛かりがない。母親も男と遊んだりしているので、娘は好き勝手に夜遊びをしているようだ。
でも主人公が元いた所轄署の刑事(妻夫木聡)と相談しながら、刑事流に担当医(国村隼)、高校の担任(中谷美紀)、友人(橋本愛)を追跡すると出てくる出てくる悪い話が。。。


1.役所広司
改めてここ10年くらいの彼のキャリアを見直してみたが、ここまで狂喜に浸る役所は初めてかもしれない。ともかくめちゃくちゃな男を演じる。この手の元刑事はアメリカ映画にはよく出てくるかもしれない。
何をするにも自分勝手で、捜査中も酒は浴びるほどのむし、公私混同はする。刑事を退職したのにもかかわらず、昔の名刺を持って知らん顔をして聞き込みをしている。相手に暴力をふるうなんてことは朝飯前だ。元妻をむりやり犯すシーンなどを見て、彼に同情する映画鑑賞者はいないだろう。
そういう男を演じた役所がうまい。

2.小池義幸の編集
モンタージュ理論丸出しで、かなりの数におよぶカット場面を巧みな編集でつなげている。アメコミの影響やタランティーノ映画の影響も見える。映画の最初に次から次へと変わるカットの連続は、映画のまとめをいきなり鑑賞者に見せるという役割のようだ。アニメ映像の挿入タイミングがいい。

こういう映像がつくれる編集者も日本には他には見当たらない。さすがだ。

でもこの映画ツッコミたくなることが多すぎるなあ(ネタばれ注意)
1.何で死なないの?
刺されても、バットで打たれても、車に轢かれても簡単に死なない。
こんなに人間って不死身かしら?

2.真昼のスーパーの屋上に誰もいないなんてことあるのかしら?
役所広司とオダギリジョーがビルの屋上で対決する。後ろにはスーパーらしい効果音が流れる。でも誰もいない。
真昼のスーパー屋上駐車場に車も人もいないなんてことないでしょう

3.警察の追跡かわせるの?
役所広司がオダギリジョーとの格闘を終えて、ボロ車で必死に逃げる。スーパーの屋上には警察が来ている。ボロ車で脱出する。でもこれって逃げ切れるはずがないでしょう。当然緊急体制をひいているし、逃走車をヘリで行き場所を追うことだってできる。GPSなんて現代の兵器もある。役所広司が逃げ切れるのはありえない気がするけど

4.雪の中に死体を隠す?
最後真犯人と役所は遺体を探しに、雪が深く積もる場所へ一緒に向かい、掘り出そうとする。雪が溶けたら遺体見つかるじゃん。仮に雪の下にある地面の下だとすると、ここまで埋めるのは一人じゃ無理だよ。。。
これも不自然

今回は期待した割には、出番も少なく二階堂ふみちゃんは普通でした。モスクワ映画祭グランプリはおめでとう!「私の男」いい演技だったよね。よかった。
役所広司の怪演ばかりが目立つ映画だったなあという印象冷たい熱帯魚で使い古した?乳輪(失礼)をあらわにしていた黒澤あすかの好演も目立った。
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映画「伊豆の踊子」 美空ひばり版

2014-06-29 06:57:24 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「伊豆の踊子」美空ひばり版は昭和29年(1954年)公開の松竹作品

「伊豆の踊子」はノーベル文学賞を受賞した川端康成が小説家を志してまもなく書いた短編小説である。川端自らが、旧制一高時代に伊豆を旅した思い出に基づき書かれた作品といわれている。
昭和初期に田中絹代、38年に吉永小百合、49年に山口百恵と当代きっての大スターによって演じられている。
この3作が有名であるが、17歳になろうとする美空ひばりが踊り子を演じている。 監督は松竹の看板野村芳太郎である。当時戦後を代表する歌姫美空ひばりはこのころ年間10本程度のペースで映画に出演していた。作品の背景や踊り子という設定を加味すると、ルックスも含めて一番リアルに近いのはこの作品かもしれない。

時代は昭和のはじめ、第一高等学校の学生である主人公水原(石浜朗)は、沼津経由で伊豆の修善寺に向う馬車の中にいた。温泉場にいる小説家をたづねていき、そこで歓待を受けたが、気分がのりきれなかった。温泉場の部屋から外を眺めると、1人の踊り子が目に付いた。純情無垢な姿を見て心ときめかせた。
そのまま主人公が下田に向かって旅立つと、温泉場で見かけた踊り子(美空ひばり)が、旅芸人の一行とお茶屋で一緒に休んでいた。話をすると、一行はどうやら下田に向かうようだ。旅芸人一行は踊り子かおるの兄である栄吉が率いていた。
自分とは違う身分の一行たちと話をしながら進む道中は楽しいものであった。一行はまた別の温泉場に入り、宿をとる。旅芸人たちは仕事で宴会に呼ばれた。宴会の酔客の前で踊りを披露したが、かおるは酔客たちにからまれていた。その宴会の様子が音で伝わり、主人公は少女を不憫に思った。
主人公は黙って道中ついていくだけだったが、徐々に踊り子にひかれるようになっていったが。。。

1.美空ひばり
天才少女として売り出した美空ひばりは、昭和25年に「悲しき口笛」を大ヒットさせている。
そのとき、まだ13歳、花菱アチャコ、榎本健一、堺俊二、そして芸能界での後見人川田晴久などの戦前からの大スターを従えて映画「東京キッド」を作り映画界でも基盤をつくる。昭和26年の芸能雑誌「平凡」の人気歌手ランキングでは女性でトップとなる人気ぶりだ。男性を含めても岡晴夫、小畑実につぐ3位で田端義夫、藤山一郎という名歌手よりも人気が高い。
そんなひばりが16歳のときにつくった映画だ。声がわりしているので、大人になったときのひばりの声に近い。
小柄なひばりがここでも小さく見える。恋愛を知らない少女のようだ。

2.大衆の人気者
横浜の天才少女として売り出しているひばりに対しては、やっかみが強かった。
NHKの「のど自慢大会」に出たときには、完璧な歌にもかかわらず、鐘が一つもならない仕打ちを受ける。
笠置シズコの物まねをしていたが、歌うなといわれ、服部良一からも冷たい仕打ちを受ける。
そんなことになってもひばりは上昇志向を持ちながら成長していく。

自分が幼稚園生から小学生になりテレビの歌謡番組に関心を持ち始めた昭和40年代初頭、ひばりは女性歌手の中で一歩抜けた大スターだった。ひばりの最大のヒット「柔」、1人酒に胸にしみる響きの「悲しい酒」ブルーコメッツと一緒に歌ったGS風「真赤な太陽」とヒット曲が続く。小学生の自分には彼女の振る舞いが尊大なおばさんのイメージにしか感じなかった。
竹中労の本でそのイメージが少し変わった。

3.旅芸人への差別
伊豆路を下田へ向って進むとき、温泉場のある町に入ろうとすると、そこには看板が立っていた。
「乞食と旅芸人入るべからず」となっている。乞食はともかく、旅芸人まで何で差別するのと思ってしまう。そういえば上原善広「日本の路地を旅する」というノンフィクション本を読んだときに、いわゆる伝統的に差別を受ける人たちと並列で旅芸人が書いてあったのを思い出した。
お茶屋のおばさんが、旅芸人をあんな連中とさげすむのに対して、学生にすぎない主人公に対して旦那とよぶ。

野村芳太郎が監督をつとめるからか、社会性が強いのかもしれない。

戦前は大学や旧制高校はもとより旧制中学すら行く人は少なかった。
大正時代、旧制高校に合格できれば、よほどのことがなければ帝国大学にいけた。少数なるゆえ、特権階級的な存在だった。竹内洋「学歴貴族の栄光と挫折」には、この本が書かれた大正14年の旧制高校の入学最低点がのっている。旧制高校全体の入学最低点が800点換算で平均403点なのに一高は503点、三高が458点、五高354点で開きがある五高だって東大に行ける。佐藤栄作総理大臣も五高出身だ。数字から見ても一高は特権階級の中の超エリートとわかる。
ここでも主人公は一本線の入った帽子に学ランで旅行する。
ある意味自己顕示欲甚だしいという気もするが、みんなそうしていたようだ。

最近格差社会の話がいたるところで語られるが、この当時における格差は半端じゃない。
今の方がましだと思うんだけど

4.石浜朗
吉永小百合には高橋英樹、山口百恵には三浦友和という男性コンビがいる。ここでは石浜朗だ。
そののちにホームドラマでよく見た石浜の中年紳士振りが目に浮かぶ。ここでの彼の美青年ぶりには正直驚いた。鼻筋がきれいで、整った顔立ちだ。ダルビッシュを思わせる甘いマスクといえる。
現代のジャニーズファンは真っ青だろう。実生活では当時立教の学生
正直ひばりには不釣り合い。でもそれがこの映画の自然さを生むのかもしれない。

5.竹中労&中村とうよう
名ルポライター竹中労は女性雑誌の記者として名を売り、名エッセイをたくさん残している。彼の文章力は凄い。念入りな取材に基づく臨場感あふれるリズミカルな文を読むとどれも唸らせられる。その竹中の傑作が「完本 美空ひばり」である。都市伝説が多いひばりの生涯であるが、竹中がひばりサイドに近い時期もあり一番真実をつかんでいる本だと思う。ノンフィクション自伝の傑作である。その竹中労が、数多くあるひばり映画の中で一番好きなのは「伊豆の踊子」だという。興味深いのでみてみた。

竹中の本によれば、戦後、気取った左翼知識人により歌謡文化は一歩下に見られている。
1967年に竹中労がキューバに行った時、ひばりのレコードを持参していった。しかし、同行した音楽評論家中村とうよう氏から「物笑いの種になる」と叱られたそうだ。偉そうに!と思ってしまう。左翼ばかりでなくインテリと称する人々からひばりの歌は嫌がられる。でもそれとは反対に、圧倒的大衆の支持があったことを竹中はこの本で述べている。
(調べると、中村の方が竹中より年下だ。こんな奴一発殴ってしまえばいいものの、そうはいかないか。。。中村が存命中にこういう文章書いて、中村を苦しめる方がよっぽどの暴力だ。関係ないと思うけど中村とうようは自殺している。中学の頃彼の評論も読んだが、それだけの人物ということだ)

(参考作品)
伊豆の踊子
出しゃばらない美空ひばり
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映画「乾いた花」 池部良&加賀まりこ

2014-06-28 05:53:47 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「乾いた花」は昭和39年の篠田正浩監督による松竹映画作品だ。原作は石原慎太郎による。

ジャケットの加賀まりこが若い。小悪魔と言われたころの彼女である。当然かわいいし、危険な香りもある。
主役は出所間もないやくざを演じる池部良である。これがいい。その2人を中心に白黒でスタイリッシュにまとめる。後ろには武満徹の前衛音楽が流れる。演歌調や浪花節調でなく、アウトローのムードをじんわりさせる。これが実に効いている。なかなかの拾いもので映画のレベルはかなり高い。ネタばれになるが、ラストシーンも余韻を残してうまく終わる。

映画のストーリーは単純だ。
出所間もないやくざ村木(池部良)がいる。人を殺して三年ぶりに娑婆へ出たばかりだった。組に戻り親分(宮口精二)にあいさつして、賭博場に久々に向かう。昔の仲間が多数いる中に、一人の若い女性(加賀まりこ)がきっぷの良い博打を打っていた。次の賭場で村木は再びその少女に会い、サシで勝負した。

その夜、村木は思いがけなく屋台でコップ酒を飲む少女を見た。名は冴子、もっと大きな勝負のある場所へ行きたいとせがむ。約束の日、彼女はスポーツカーMGで現れた。賭け額が張る場でも、冴子はさっそうと立ちまわった。後ろでは気味の悪い男が様子をうかがっていた。葉という男(藤木孝)は、中国帰りで殺しと麻薬だけに生きているという。その死神のような眼に、村木は言いしれぬ危険を感じた。村木と冴子は、夜の街を狂ったようにMGを走らせた。
その後やくざ同士の縄張り争いに巻き込まれ、村木は刺客を引き受けざるを得ない状況になるのであるが。。。

池部良がかっこいい。ヤクザ映画と言うと東映スタイルを想像するが、ここでの組員のファッションは特にいわゆる最近のやくざや不良のテイストを彷彿させるものではない。普通である。でも、賭博場面が妙にリアルティがある。
「先にコマ、先にコマ。。。」「どっちもどっち。。。。」と胴元が仕切る。賭博場に流れる異様な雰囲気がどこか違う。
行ったことないのでわからないが、実際の賭博場を取材したのであろう。他のヤクザ映画で見る「手本引き」よりもリアルである。

池部良には新子(原知佐子)という女がいた。彼女はずっと出所を待っていた。元々は普通の事務員であり、結婚を嘱望されている男もいた。でも池部良が戻ってきて、一度抱かれると離れられなくなるのだ。
ヤクザには情交はつきものだという。いったんくっつくと1週間は腰の抜けるまで「ヤチをきり」相手を離れられないような状態に持っていく。そんな話を笠原和夫の本で読んだことがある。でも、その池部良も加賀まりこの意外性のある魅力に魅かれていく。そこがこの映画のミソである。


殺し屋村木は刺客を引き受け、仕事を履行する。
ピストルで相手を撃つわけではない。ドスで相手を刺すわけである。その前に見せる池部良の表情がまさに殺人鬼の表情になっている。自分は実際の殺しを目の前で見たことがない。でも豊田商事事件オウム真理教の村井秀夫殺人事件はテレビで臨場感あふれるように映し出していた。その時の殺し屋の表情と今回の池部良の顔がだぶる。リアルなものへの接近がこの映画の凄味である。
コメント (2)
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映画「名探偵ゴッド・アイ (盲探)」 アンディ・ラウ

2014-06-27 20:20:47 | 映画(アジア)

映画「名探偵 ゴッド・アイ」は香港アクション映画の巨匠ジョニートー監督が、香港映画の大スターアンディラウを主演に迎えて撮る2013年の作品だ。

この2人の組み合わせならということでdvdを手に取った。原題:盲探 英題:BLIND DETECTIVEということでわかるように、この探偵は目が見えない。日本では「座頭市」なんて盲目の凄い刺客がいるが、盲目の探偵なんていうのは聞いたことがない。単刀直入に「盲目」の言葉を使ってもらえれば、もっとわかりやすかったが、さすがに原題に近いのは日本ではやりづらかったのであろう。

ジョニートー監督作品は大好きだ。なるべく映画館で見るようにしている。六本木だけの公開だったようだ。「奪命金」はそれなりに楽しめたが、今回は探偵モノというより、コメディといってもいい。直近は冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」「スリなど比較的スタイリッシュにまとめた作品が多かったが、今回は若干テイストが違う。
香港映画の天下の二枚目アンディラウも盲目の設定になると、さすがにいつもとちがう。天才的推理能力を持つが妙にお金に細かい探偵で振る舞い自体が笑える。一連のジョニートー監督作品だけでなく「インファナル・アフェア」のアンディラウの妻役を演じたサミー・チェンとのやり取りも掛け合い漫才のような絶妙なコンビぶりである。

探偵のジョンストン(アンディ・ラウ)は盲目ながらも、その卓越した想像力により“名探偵ジョンストン”と呼ばれ事件を解決し懸賞金で生計を立てている。

しかしこの日はかつての同僚刑事シト(グォ・タオ)に手柄を横取りされ懸賞金を取り損ねてしまった。シトの部下でジョンストンに憧れる女刑事のホー(サミー・チェン)は、子供の頃に失踪した少女シウマンの捜査を依頼。ジョンストンは彼女をアシスタントとして捜査を開始。しかし、自分勝手な彼と想像を超えた調査にホーは振り回され身も心もズタポロにされるが、恋心と想像力の鍛錬によって懸命に付いて行く。

一方、少女失踪の傍らでジョンストンが懸賞金目当てに始めた迷宮入り事件の捜査を手伝う事になったホーは、彼の教えにより想像力を駆使し、二人で犯人(ラム・シュー)を追い詰める。この捜査を機にジョンストンとホーの距離は少しずつ近づいていく。失踪事件は少女だけでなく、女性連続失踪事件へと発展。事件は思いもよらぬ方向へと転がり始める。 (作品情報)

香港の街を舞台にしていて、チムサーチョイの繁華街など見慣れた風景が多い。
人より車優先と言われる香港の路面電車の隙間をホーが堂々と歩く姿がカッコいい。
それに加えて、マカオと珠海へのロケも映す。この映像はごきげんだ。
ジョニートー監督はマカオ好きである。マカオのナイトクラブに行くと、珠海出身の若い女性が横につくことが多い。映画に珠海が登場するのは珍しい。主人公2人が立ちまわる処に大陸の猥雑な感じが伝わり悪くない。

笑えるシーンが多い
1.マカオのバカラのシーン
マカオのカジノに盲目探偵のジョンストンと女刑事のホーの2人が向かう。そこで出会うのはラムシュー演じる犯人だ。同じバカラ卓に座って勝負する。
ホーが奇声をあげながらカードをめくる。いかにもマカオのバカラ、気合の入れ方が違う。
それに対して犯人がめくろうとするとバカでかい声をホーが出して、気合いを失せさせる。犯人がプレイヤーにかけると、ホーはバンカーにかけて、ツキのない犯人の反対側にギャラリーが大量に張る。この気合溢れるバカラの鉄火場はいかにもマカオのカジノで中国人金満家が大金をかける姿だ。2人のパフォーマンスは実に楽しい。

2.真犯人の出産(ネタばれ)
盲目探偵のジョンストンと女刑事のホーがしらみつぶしにつぶした結果、犯人が推測される。ところが、その犯人は妊娠してる。それなのに大暴れ。彼女をつかまえようとしたら突然破水し始める。こうなったらホーは産ませるために全力を尽くす。そこは修羅場だ。うーんと叫ぶ彼女から子供が生まれる。しかし、犯人の息は途絶えようとしている。
これだけでは終わらない。意外な展開に進む。

あとはアンディラウの振る舞いの1つ1つがおかしい。
座頭市のように杖をつきながら、歩いていくが、頭脳は鋭い。脳裏の映像に犯人像が浮かぶ
女刑事ホーが犯人に刺されて、危うく死にそうになる時に、ジョンストンが盲目なのに運転する。途中までホーが方向を指示するが、途中から息が絶えそうになると、ナビゲーターなしに盲目のまま運転するしかない。
こんなシーン見たことがない。
ジョニートーが昔のスタイルに戻ったアイディアに満ちあふれた映画である。
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映画「裸のいとこ」 佐々木心音&風祭ゆき

2014-06-25 17:24:34 | 映画(日本 2013年以降主演女性)
映画「裸のいとこ」は2013年公開の佐々木心音の主演映画である。

311で大きな被害を受けた南相馬を舞台にして大鶴義丹が監督した映画だ。クレジットに佐々木心音の名前があるというだけでdvdを手にとった。「フィギュアなあなた」での活躍を期待したけど、まったくの空振り。これほどまでの空振りもめずらしい。映画館に行ったわけでないので損しないでよかった。

金や女、名声などあらゆるものを手にした実業家の男(湯江健幸)が奈落へと転がり落ち、多額の借金を抱え込んでしまう。身の危険を感じた男は行方をくらまし、やがて震災被災地の福島県南相馬市に流れ着く。

叔母(風祭ゆき)の家に身を寄せ、復興ボランティアとして静かに暮らしていくことを決めた男だったが、苦しい現実にもめげずに生きる周囲の人々の姿を目にし、再び欲望がうずきはじめる。不思議な雰囲気をたたえた叔母の娘(佐々木心音)にも触発され、再起を誓う男だったが……。(映画.comより)


南相馬を舞台にして、ほぼ現地ロケでつくった映画だけに、きわどいシーンはつくれなかったのかな?
現地で放映するときは、家族と一緒にくる人もいるだろうからねえ。。
何から何まで中途半端、佐々木心音を放射能を浴びて超能力を身に付けた女という設定にしたファンタジ―映画を作ろうとしたのであろうが、その主旨が出しきれずお色気映画にもできていない。
佐々木心音を登場させた意味がまったくない。「フィギュアなあなた」では頑張ってくれたのに

びっくりしたのは風祭ゆきだ。80年代のにっかつポルノのスターで、彼女にはその昔随分とお世話になった。昔ビデオ屋でバイトしていたというタランティーノもお世話になったのか?「キルビル」にでていたのが印象的

今回は叔母の役だから何もないと思っていたら意外な展開
ちょっとドキドキしたくらいが、この映画の見どころか?

(参考作品)

フィギュアなあなた
佐々木心音に圧倒される


女教師 汚れた放課後
風祭ゆきといえば女教師
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映画「新しき土」 原節子1937年公開

2014-06-23 05:05:14 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「新しき土」はドイツ人監督により1936年(昭和11年)の日本を描いた原節子の主演作品だ。
原節子の10代を映した映像があるという。しかも、ドイツ人監督による映像ということでdvdを借りた。
映画の内容自体はどうってことないが、戦前の空襲に会う前の日本各地を映しだした貴重な映像である。16歳の原節子の美貌には驚くしかない。

1933年アドルフ・ヒトラーが首相となり、翌34年総統としてナチス独裁を完成させる。ナチスドイツは宣伝大臣ゲッべルスのもと、映像宣伝による大衆への喚起に力を入れていた。そんな頃の作品である。ベルリンオリンピックが開催される1936年2月、ドイツのアーノルド・ファンク監督が日独合作映画「新しき土」を製作するために来日した。監督は原節子を主役に起用する。ヨーロッパから帰国した婚約者がドイツ人女性を連れてくるのに失望して、花嫁衣装を着て自殺を試みる純情な娘役である。
新鮮味があったのか、本国でも大ヒットしたという。

ヨーロッパ留学を終え輝雄(小杉勇)がドイツ人女性ジャーナリストのゲルダ(ルート・エヴェラー)と共に帰国した。日本では、一途に彼を待ちわびていた許婚の光子(原節子)と輝雄の養父である巌(早川雪洲)に温かく迎えられる。

西欧文化に馴染んだ輝雄は、“許婚”という日本的な慣習に反発を覚えて悩む。輝雄からすると、光子が妹にしか思えないのである。そんな輝雄の変化に気付き、光子は絶望する。一方のゲルダは日本の文化を身を持って知るに及んで輝男から去って帰国の途につく。やがて光子は、婚礼衣装を胸に抱き、噴煙を上げる険しい山に一人で登り始めるが。。。。

東京に帰ってくる設定なのに、阪神電車のネオンが光っているので映しだされるのは大阪とわかる。夜の道頓堀川を船で徘徊するシーンも映る。その後宿泊するのは甲子園ホテルだ。昨年行ってきたばかりなので映像を見て驚いた。

1.昭和11年の日本
古き良き日の日本が美しい。富士山をいろんな角度から映し出す。世界遺産になった時に三保の松原は外されそうになったが、ここでは三保の側からの映像も映す。噴火が凄い山なので、これは浅間山だろうか?阿蘇山と思しき映像と混ぜ合わせている気がする。海岸線も映しだす。和歌山の円月島も似ているが島の形からいって松島と推測される。
京都もずいぶんと映しだされる。月桂冠や白雪といった関西の酒の提灯が吊る下げられている。輝雄が妹と芸鼓の踊りの発表会へ行ったり、桜の咲く川沿いで遊ぶのは高瀬川の辺で、カフェと思しき女性がつく店は祇園の夜を映したものか?
すごいのは光子の家の裏庭が宮島の厳島神社で、水の中にそそり立つ鳥居が映し出される。鎌倉の大仏が何度も映るのは、さぞかしドイツ人監督には印象深かったのだろう。

2.横綱 玉錦
相撲が映し出される。「007は二度死ぬ」の東京ロケと一緒だ。
これは両国国技館だろうか?横綱玉錦の土俵入りである。当時自ら二所ノ関部屋をひきいていた。


撮影された昭和11年というのは大相撲が大転換をする年だ。11年の春場所まで三連覇していた玉錦を差しおいて、双葉山が連勝記録を樹立し始める。あれよあれよという間に昭和14年まで69に連勝記録を伸ばすのだ。いまだに破られていない。ちなみに当時は年2場所だ。
玉錦は昭和13年の秋場所の終了後若くして腹膜炎で亡くなってしまう。孫弟子の横綱玉乃海とまったく一緒である。玉乃海の死去の時小学生だった自分はものすごいショックを受けた。
控えに映るのは高見山の師匠だった高砂親方である前田山、のちに武蔵川理事長になった出羽の花ではないかと推測する。
ちなみに自分は小学生のとき、毎月雑誌「相撲」を購読していた元相撲ファンだ。

3.甲子園ホテル(甲子園会館)
フランクロイドライトとともに旧帝国ホテルを完成させた建築家遠藤 新の設計によるものだ。現在は武庫川女子大となっているが、昨年見学をした。実に素晴らしい建物だった。その甲子園ホテルが映像に出てきたときはおったまげた。今、自宅のパソコンの壁紙にしているのがこの建物の写真(下の写真)だからだ。現地の説明では施工は大林組だという。遠藤新の作品には自由学園や芦屋の旧山邑邸などライトの影響を受けた洋風建築が多い。

4.火山のシーン
光子が婚礼に着る着物を持って火山に登る。浅間山か阿蘇かどうであろうか?次第に火山が噴火しそうな様相になってきて、光子を追って輝男が火山を追いかける。あわや火口に飛び込むのではというシーンの直前に輝男は光子に追いつくが、ちょっとじれったいシーンだ。原も小杉も2人ともこのシーンを撮るのには難儀したと思われる。特撮では円谷英二が参加する。


5.早川雪洲
若くしてアメリカにわたり、ハリウッド映画では無声映画時代の1910年代から活躍していた。英語は得意だと思うけど、ドイツ語はどうなのかなあ?このあとフランスに渡り、戦後ハリウッド映画に出るわけだ。東京を舞台にしたハンフリーボガード主演作「東京ジョー」やデイヴィッドリーン監督の名作「戦場にかける橋」での活躍は見ていた。でも名優と騒ぐほどうまい俳優ではないと思う。


6.原節子
戦後間もない「安城家の舞踏会」「わが青春に悔なし」をはじめとして、小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男らの巨匠による戦後の作品は大部分見ている。でも戦前の作品は初めてだ。1920年生まれなので当時16歳である。華道、茶道、弓道をたしなむシーンに加えて、セーラー服姿や水着姿など戦後作品にはない映像が見れる。彼女は1963年まで現役を続け、あっさり退いた。

1937年3月「新しき土」の舞台挨拶のために、まず満州に向かった後、モスクワ経由でベルリンに向かったという。その後パリからニューヨークにもわたり、7月末までの4カ月間にわたって海外をまわり映画関係者にも会ったという。当時、ナチスドイツは着々と軍備を拡張していたが、二次大戦は始まっていない。この時期に欧米を渡りあえた日本人は一部の外交官や商社マン以外はいなかったろう。貴重な体験だったのではなかろうか?当時16歳ながらその美貌は現代に生きる我々の目から見ても輝いている。

(参考作品)

原節子 新しき土
16歳の原節子の美貌に驚く
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映画「私の男」 二階堂ふみ

2014-06-18 16:55:06 | 映画(日本 2013年以降主演女性)
映画「私の男」は待ちに待った二階堂ふみ主演作品。早速映画館で見てきました。
二階堂ふみにとっては「ほとりの朔子」に続く主演作品。今回は桜庭一樹の直木賞作品を映画化した。流氷をバックにした北海道の冬景色のもとで、禁断の恋に落ちていく2人の姿を描く。原作の時系列を逆転した脚本、北海道の流氷を美しく映しだした撮影、ジーンと心に響く音楽、二階堂ふみと浅野忠信の演技いずれも高い水準の映画である。ネタばれありで語りたい。

ここでは二階堂ふみが七変化を見せる。
北海道の田舎で、どんくさい高校生を演じていたと思いきや、浅野忠信と強烈な濡れ場を演じる。東京に移った後、派遣の受付役で化粧をした顔は美形だ。高級レストランで父親と面と向き合い、足で挑発する色っぽい姿も印象に残る。
ヒミズ」、「脳男と一作ごとに凄味が増している。

あと素晴らしいのがジム・オルークの音楽である。映画全般にどんよりしたムードが走る中、静かに流れる音楽が映像にぴったりとなじんでいる。「春を背負って」で池辺の音楽が全く合っていないのと好対照である。

北海道に大地震が起き、奥尻島の島一帯が津波にさらわれた。その時10歳の女の子花が家族と離ればなれになり1人取り残される。その花を遠い親戚で1人暮らしている淳悟(浅野忠信)が引き取る。

数年後海上保安庁に勤める淳悟と高校生になった花(二階堂ふみ)の2人は紋別の町でひっそりと暮らしていた。淳悟には小町(河井青葉)という銀行に勤める美しい恋人がいた。小町は淳悟に別の女の気配を感じるが、それが一緒に暮らす花のことと気づく。高校生の花と淳悟がただならぬ関係になっていたのだ。

遠縁にあたる大塩(藤竜也)は花が引き取られるときから面倒を見てきた。2人の間によからぬ気配を感じて、花を親戚の所へ預けようと企んだ。それを拒否する花は大塩を流氷の海に誘い出す。大塩がのった氷は流され凍死してしまう。
やがて2人は東京に向かう。淳悟はタクシーの運転手をしながら、高校生の花と暮らしている。そこに北海道から刑事(モロ師岡)が訪ねてくるのであるが。。。

印象に残るシーンが数多い。ここでは3つ取り上げる。ネタばれ要注意

1.流氷の海を追いかける藤竜也と二階堂ふみ
海上保安庁の巡視船にのっている淳悟は10日程度遠出している。そのときに藤竜也演じる大塩が、2人のよからぬ関係を知りしつこく花に親戚の家へ移れと迫る。いやがる花は流氷の海に逃げる。ひたすら花はつらなる流氷の間を走り抜けていく。大塩が追い続ける。
やがて、大塩がうっかり離れた流氷の上にのってしまう。そのまま氷はオホーツクの沖合へ流されていく。
助けてくれと叫ぶ大塩
大塩は凍死した。淳伍と花は葬儀に出席するが、その後この町を離れる。
こんな流氷の冬景色をバックに撮った映画ってあるだろうか?藤竜也が氷に取り残されたシーンは、実際に彼をどうやって助けたのかな?とこっちまで心配になる。

先週の週刊文春に二階堂ふみと阿川佐和子の対談記事があった。
そこに藤竜也の二階堂評が掲載されていた。引用する。
「ああ、あの子はいいでしょう。顔だけで気持ちを自在に表現できる女優です。」と嬉しそうにきっぱりと絶賛されていました。

この緊迫感のあるシーンで2人の連帯感は高まっただろう。
藤竜也は「スープオペラ」以来だ。「時間ですよ」で影のある男を演じた時からの彼のファンで、パリで「愛のコリーダ」を見て彼のチ○こも見ている。日活の残党でいまだ頑張る藤竜也にはエールを送りたい。

2.抱き合う浅野忠信と二階堂ふみ
淳悟がしばらく遠出するのを寂しく思った花が抱いてくれと誘う。2人は濃厚に抱き合う。二階堂はブラジャー姿になる。胸は大きい。ぞくぞくするシーンだ。
やがて上から赤い液体が2人の身体に落ちてくる。これは血を意味するのか?幻惑させられるシーンになってくる。まるで、現実ではないように映し出される。その2人を窓の外から覗く男がいる。大塩老人(藤竜也)だ。赤に染まった2人の身体を映す映像が、普通の映像に代わる。

これはかなり過激だ。でも二階堂はバストをさらけ出さない。
まだまだ若い。いずれ気前よく見せてくる日を楽しみに待つしかない。


3.追ってきた刑事と浅野忠信の格闘
東京(川崎?)に移り住んだ淳悟のもとを刑事が訪れる。玄関に出た淳悟は刑事を中に上げる。刑事は花のものと思しきメガネを差し出す。淳伍は殴る。そして作りかけの味噌汁を刑事に浴びせる。包丁をもって刑事を切りつけ、血が吹き出し刑事が死ぬ。この格闘は緊迫感がある。
夕方になり、学校から帰った花が見つけ2人は唖然とたたずむ。

でも1つ突っ込みたい。
この死体どうしたんだろう。この処置については最後まで語られないままに映画が終わっている。
あえてそうしたのであろうか?
普通であれば、刑事が遠方まで出張するときは、警察に出張届を出してくるはずだ。しかも、当然どこへ行くかを知らせるだろう。刑事が戻ってこなければ、当然警察はそのことを調べるはずである。そのあと、時間が少し飛ぶが、2人は何もなかったかのように暮らしている。ちょっとこれ自体は不自然に感じる。


4.浅野忠信
二階堂のことばかり話しているが、浅野忠信も寡黙にもかかわらず、非常にいい演技をしている。「ヴィヨンの妻」のだらしない作家役がうまかったが、それと同じように堕落した男の役をやらされると天下一品なのかもしれない。

今回は浅野忠信がかなりねっとりしたラブシーンを河井青葉と演じている。このシーンってこんなに長くやる必要あるのかな?という素朴な疑問があるけど、美人が脱ぐのを見るのは悪くない。でも不思議だなあ。河井青葉は正統派美形だけど、二階堂ふみがいると彼女の方がよく見えてしまうんだよね。「ほとりの朔子でも鶴田真由と杉野希妃の共演した2人の美人よりよく見えた。不思議だ。

5.二階堂ふみ
週刊文春のインタビュー記事によると
流氷の中に入る撮影をなんと4回もやったそうだ。服の下にセミドライスーツを着ていたけれど、水が入ってしまうので、人は寒さで死ぬんだなってことがわかったという。手先に今までない痛みが走ったようだ。
これは大変だ。でも二階堂ふみのプロ意識には本当に感心する。

次の作品が楽しみである。
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映画「春を背負って」松山ケンイチ&蒼井優

2014-06-18 08:53:10 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
映画「春を背負って」を映画館で見た。
名カメラマンとして名高い木村大作監督が「劔岳 点の記」に引き続いてメガホンをとった。
監督として撮った前作は雪山を美しく捉えてすばらしい映像だった。70過ぎてもそのカメラワークは冴え渡る。
当然のごとく映画館に足を運ぶ。

今回も山を映し出す映像コンテが素晴らしい。春の桜を映し出し、夏山の爽快感、秋の紅葉、雪に埋もれた立山を最高のアングルで映し出す。その木村監督のもとへ集まったのは、松山ケンイチと蒼井優の若手に加えて豊川悦司だ。久々に檀ふみが登場する。3000m級の高地で撮影するわけだから、これはしんどい。出演者には敬意を表したい。
脇役として登場するのもベテランがそろう。

ただし、映画のストーリーはちょっと単調でプロットが弱い。緊迫感がない。
もっともこれは原作があっての映画なので必ずしも木村監督のせいではない。
しかも、音楽が池辺晋一郎の音楽がちょっとうるさすぎるという難点はあるが木村大作の技をじっくり堪能できた。

長嶺亨(松山ケンイチ)は外資系金融機関につとめるトレーダーだ。運用成績が落ち込み上司から叱咤激励をうけている。そんな時母(檀ふみ)から父の訃報の連絡があった。
亡き父(小林薫)は、立山連峰で山小屋〝菫小屋〟を営んでおり、小さい頃から亨は父に厳しく育てられていた。父は雪山から転落した登山者を助けようとして、頭を岩にぶつけて亡くなった。
亨が母(檀ふみ)のもとへかけつけると、地元の山仲間が大勢葬儀に参列していた。その中には親友(新井浩文)と前年から山小屋を手伝っていた高澤愛(蒼井優)の姿があった。
葬儀のあと始末をしながら、亨は久々に母や愛とともに雪に埋もれた山小屋に向うことにした。小屋でたたずみながら、母は山小屋を誰かに譲らねばという話をした。亨はとっさに自分がやると言い出す。都会での生活を捨て小屋を継ぐことを決意する。
愛も一緒にやるということになった。

トレーダーをやめて、山小屋の主として重い荷物を抱えて登山する途中で、ゴロさんこと多田悟郎(豊川悦司)が現れる。
父親の山岳部の後輩であるゴロさんは慣れない亨を手伝うためにやってきたのだ。
3人の山小屋生活が始まった。

1.池辺晋一郎の音楽
ともかく不必要にうるさい。全部がそうではないが、映像とあっていない。木下恵介監督の作品で、木下忠司の音楽がうるさすぎてうんざりすることがある。同じようなものだ。例えばティムバートン監督の「バットマン」で、マーラーの交響曲を思わせるダニーエルフマンの音楽が高らかに鳴り響いている。これもうるさいが、映像にはあっている。
それとはちがうのだ。フェリーニが「音楽、音響効果はイメージの強化を目指すべきである」といっている。逆に池辺は映像のイメージをつぶしている。残念である。

2.過酷な撮影条件
標高の高いところでの撮影は大変だったよなあ。ここでも松山ケンイチが60kgの荷物を担ごうとして悪戦苦闘するシーンが写る。スタッフ一同に厳しい登山に音を上げたのではないか?長身で体格のいい豊川を松山や新井がおんぶするのも大変そうだ。あとは激しく降る暴風雨の中のシーンも、きつそうな映像だなあ。
そんな中夕日を見つめながらたたずむシーンや岩のテラスで松山と豊川が映し出されるショットも美しい。


3.演技巧者が集まる
個性的な実力派の俳優たちが揃っているけど、井川比佐志、石橋蓮司というあたりの起用がうまい。
いつもながら井川比佐志の笑顔っていいなあ。味がある。昔から木村大作と縁が深いのでは?
市毛良枝を映す映像も解像度を落としているのでふけて見えない。
吉田栄作、仲村トオルなど二枚目はそれなりに適役だけど、現代の名優安藤サクラはせっかく出ているのに力が発揮できる役柄ではない。いつもは不良の匂いをプンプンさせる新井浩文もこういう役だと不自然な感じがする。

4.蒼井優
不倫の恋に破れ、1人で立山登山を目指し遭難しかけたところを亨の父に助けられた。義に感じ、山小屋で働くようになったという設定だ。ここでの蒼井は笑顔がかわいい。ベリーショートに近いショートカットだ。でも、若い2人が山小屋という閉鎖空間にいるのに何にもないのはおかしい。
70歳を過ぎた木村大作には恋愛の映像コンテは苦手なんだろう。ちょっともったいない。

5.檀ふみ
久々に映画でみた。もしかして、監督の好みなのであろうか?民宿の女将としての着物のいでたちが素敵だ。
登山ルックに長身の身を包んだ姿もいい。もう60になったのね。「青春の蹉跌」のお嬢さん役がなつかしい。
昔はキャンパスで何回か見かけたことがある。たしか、2年くらい留年していたのではないかな?
本来であればキャンパスで出会うことがないはずなのにね。
もう30年以上経つので時効だけど、深夜六本木の居酒屋T坊で男と深夜2人でいるところも見かけた。
やさしそうな好男子だったけど結局縁がなかったみたい。父親の血はついでいないようだ。


6.物語の構造
主人公 亨
依頼者 亡き父 母
援護者 ゴリさん  愛    大勢の山の仲間たち
主人公の使命 山小屋の管理

プロットに意外性がない。何でなんだろう
出演者をこうやって整理すると、主人公に敵対する人物がいない。それなので単調なのであろう。
亨にはライバルがいない。「劔岳 点の記」のときは登頂を競い合うライバルがいて緊張感があった。
例えば東京にいる亨に恋人がいる設定にすると、愛との間で敵対する葛藤が生まれる構図ができるのにそうしていない。
山小屋で3つの逸話を通じて、亨に「難題」を与える。それ自体は大きな難題ではない。
原作の問題なのか?ちょっとものたりない。

この映画は74歳になった木村大作監督が、自身の集大成のつもりで作ったのではなかろうか?
プロットが弱いといったが、そんなことはどうでもいいのかもしれない。
ここで見せるリアルな高山での映像それ自体はこれから30年たっても語り継がれる気がする。

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映画「オンリー・ラバーズ・レフト・アライヴ」 ティルダ・スウィントン

2014-06-15 09:32:35 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「オンリー・ラバーズ・レフト・アライヴ」は2013年公開のバンパイア映画だ。
バンパイア映画と言いながらも監督はジム・ジャームッシュである。「ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ブロークン・フラワーズのような「とぼけた映画」をつくっている彼がメガホンをとるので、なんか違う展開じゃなかろうかと推測する。

実際この映画は普通のバンパイア映画とは違う。極めてスタイリッシュな映像だ。
現代の寂れたデトロイトを舞台にする。夜のムードではあるが恐怖に満ちあふれたスリラーとは言えない。モロッコの猥雑さや荒廃したデトロイトの町の映像がバックに加わり不思議なムードを持つ。

ティルダ・スウィントンジム・ジャームッシュ映画の常連になりつつある。最近では「グランドブタペストホテル」にも主演しているティルダが太古の昔から生き延びるバンパイアを個性的に演じる。ティルダはむしろ40歳後半をすぎて出番が増えている。しかも、ここでは年齢を感じさせないヌードも披露する。これはすごいことだ。最後にこそ狂気の顔を見せるが、それ以外はけだるいムードの演技でジム・ジャームッシュ映画らしいムードを引きだす。

吸血鬼のアダム(トム・ヒドルストン)はギターをはじめ弦楽器なら何でも自在に弾きこなすミュージシャンとしてアンダーグラウンド・ミュージック・シーンで活躍している。

しかしここ近年の自己破滅的な人間たちの振る舞いにアダムは抑鬱を抱えていた。そんなとき恋人イヴ(ティルダ・スウィントン)がデトロイトに住む彼の元を訪れる。
もちろん、彼女も吸血鬼で2人は何世紀も愛し合い、生き続けてきた。久々の再会もつかの間、イヴの破天荒な妹エヴァ(ミア・ワシコウスカ)が突然2人に会いにやってきて3人の運命は、ゆっくりと変わり始める・・・。(作品情報より)

1.永遠の命と血液の乾杯
トム・ヒドルストン扮するバンパイアのアダムはジミーペイジの風貌を思わせる孤高のロック・ミュージシャンだ。頻繁にロックのリズムが流れる。加えてロック好きならアレと思うギターに対するうんちくを語る。何世紀も生き続けている彼は、誰かを襲って血を手に入れるのでなく、病院の医師とつるみ良質な血液を買っている現代のバンパイアだ。
その恋人がイヴだ。何世紀も恋人として愛しあっている。2人はグラスに血を注ぎまったりと飲み続ける。不思議なムードだ。


2.ミア・ワシコウスカ
あのかわいいミアちゃんがここではバンパイアだ。ロック仲間であるイアンがアダムの家に出入りしているので仲良くするが、ミアはうっかりイアンの血を吸ってしまうのだ。血が歯の牙をむき出しにするシーンは今までのミアちゃんとはイメージが違う。てっきりイヴの娘役だと思っていたけど、妹役なのね。


3.デトロイト
デトロイトと言えば自動車不況。でもスリラーには関係ない世界
久々に会った2人がドライブして工場跡の廃墟や劇場の跡地を走り回る。高い犯罪率に自動車不況による工場撤退で、人口は180万人から70万人台まで落ちている。日本と異なりまだ人口が増えているエリアが多いアメリカでは信じられないことだ。何か警鐘じみたものを感じるけど、ドラキュラ映画らしくないところがいかにもジム・ジャームッシュ

ともかく最後のショットで見せるティルダ・スウィントンの表情が一番印象的
これは怖い!
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映画「ルノワール 陽だまりの裸婦」 

2014-06-13 20:55:11 | 映画(フランス映画 )
映画「ルノワール 陽だまりの裸婦」は本年度公開のフランス映画

印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)と亡くなる4年前に出会ったモデルとのふれあいを描いている。そこに戦争から一時帰国した息子ジャンが絡み、三角関係的要素が生まれる。ジャンはのちに映画監督として名声を得るジャンルノワール(1894-1979)の若き日の姿である。

ルノワールといえば裸婦の絵画があまりにも有名、息子も映画界で知られているが、父親ほどではない。
映画としては大きな起伏もなく普通。まったりとした映画である。
絵画を見るような色合い鮮やかな美しい風景を楽しむ映画

1915年、コートダジュールで人生の黄昏期を迎えていた印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール(ミシェル・ブーケ)は、病気のため満足に絵筆が握れなくなっていた。さらに最愛の妻を亡くし、息子ジャン(ヴァンサン・ロティエ)が戦地で負傷したという知らせも届き、失意のどん底にいた。しかしある日、彼の前に、絵画モデル志望の美しい娘アンドレ(クリスタ・テレ)が現れる。

先日亡くなった妻に頼まれてここに来たというアンドレを喜んで迎え入れる。彼女は輝くような美しさをたたえ、ルノワールに画家としての活力を吹き込む。ルノワールはアンドレを最後のモデルに、『浴女たち』の創作を始める。そこに息子ジャンが戻ってきたのであったが。。。

この映画の舞台になる1915年はまさに晩年で、年老いて74歳になっている。
オルセー美術館などに展示されている彼の代表作は1870年から90年代にかけて描かれたものである。すでにフランス国内で印象派の大家としての評価も受けているだろう。
金銭的な余裕もあると思われ、使用人が多い。病弱のルノワールの面倒をみんなで見ている。しかし、ほとんどが熟年女性で、彼女たちからは、若くピチピチした裸体を持つ娘への嫉妬心も芽生えるだろう。それなので対立する場面がある。
若いジャンはアンドレの魅力に狂っている。理想的な裸体を描きたいというルノワールの願望とジャンの間には軽い葛藤が生まれる。


1.1915年
オーストリア皇太子の襲撃事件で第1次世界大戦が始まるのは1914年のこと。欧州では普仏戦争以来40年ぶりのの大きな戦いである。
フランスはアルザスロレーヌの奪還に燃え、マルヌの戦いでドイツの侵攻を食い止める。しかし、その後は長きに渡り持久戦の様相を呈していたわけである。ジャンは1次大戦に参加していたが、負傷してしまう。のちにジャンは1937年製作の映画「大いなる幻影」で1次大戦の裏側を描くことになる。

2.コートダジュール
コートダジュールという名は日本人にもなじみが深い。ただし、これはフランス南東部の海岸エリアをさす言葉でニース、カンヌ、モナコという町が含まれている。ルノワールは地中海に面したカーニュ=シュル=メールという町で晩年をすごしている。一年を通じて温暖なエリアで療養がてら絵を描いているのであろう
この映画でもバルコニーから海を望むシーンが何度も映し出される。海の青さに庭園の緑が絡む美しいショットである。

3.美しい映像
この映画では美しい映像に注目したい。画家として名高いルノワールが主題だけに、映し出す映像もコンテから良く練られている。印象派の絵画から抜け出したような緑に囲まれた庭と自宅がすばらしい。そしてバックになる美術もきめが細かい。
撮影を担当するのがリーピンビンである。彼の代表作ウォンカーウェイ監督「花様年華」では、マギーチャンが10種類以上のチャイナドレスで七変化する姿を丹念に撮る。
ここではルノワールの絵画をなぞるかのごとく、庭園にたたずむ裸婦を美しく映し出す。
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映画「グランド・ブタペスト・ホテル」 ウェスアンダーソン

2014-06-11 09:02:20 | 映画(洋画 2013年以降主演男性)
映画「グランド・ブタペスト・ホテル」を映画館で見てきました。

ウェスアンダーソン監督の新作で、前評判は上々なので行こうと思っていた。しかし、前作「ムーンライズ・キングダム」は自分にはあまり面白くなかった。自分としてはむしろ初期の「天才マックスの世界」や「ロイヤル・テネンバウムズ」の方が好きだ。若干の不安もあった。

どちらかというと、ファンタジー系に属する映画だと思う。ドラマでもラブストーリーでもない。アニメ映画を見ているような錯覚を覚えた。ホテルの外観やお菓子のパッケージのピンクはこの映画を象徴する色である。色彩設計は鮮やかだ。
架空の国でのドタバタ劇だが、ストーリー自体は世界史の流れに沿っている。主人公の2人、敵対者、援護者とはっきり善悪を分けて物語の定石を踏み、それなりには楽しまさせてはくれる。でも自分と監督との相性はよくないかも。

1968年、温泉リゾート地のさびれたグランド・ブダペスト・ホテルに逗留している若き作家(ジュード・ロウ)は、オーナーのゼロ・ムスタファ(F・マーレイ・エイブラハム)から、驚くべき物語を聞く。



1932年、ズブロフカ王国にある大盛況のグランド・ブダペスト・ホテルで若きゼロ(トニー・レヴォロリ)がベルボーイとして働き始める。当時のホテルは伝説のコンシェルジュ、ムッシュ・グスタヴ・H(レイフ・ファインズ)の手腕により、栄華を極めていた。



常連客の伯爵夫人(ティルダ・スウィントン)が亡くなり、グスタヴはゼロを連れて夫人の葬儀に向かった。葬儀会場で遺言の代理人により、名画をグスタヴに残すことが伝えられた。そのために伯爵夫人の息子(エイドリアン・ブロディ)が憤慨、夫人の殺害容疑がグスタヴにかけられる。


濡れ衣を晴らし、ホテルの威信を保つため、グスタヴはゼロの協力のもと、真相解明にヨーロッパ大陸を駆けめぐる。

1.ズブロフカ王国
名前を聞いてすぐウォッカの「ズブロッカ」を連想した。ポーランド製で、酒の中に草(バイソングラス)が入っているウォッカだ。冷やして飲むとこの上なくおいしい。
30年前に新宿のロシア料理の店「スンガリー」で初めて知った。それ以来大好物のロシア料理を食べるときには欠かせない。余談だが、「スンガリー」は歌手の加藤登紀子さん一族経営の名店で、彼女も数回見かけた。娘が母親に似ず(失礼)スゲエ美人で驚いた。

もしかして何かつながりが?と思い作品情報を読んだら、ズブロフカ王国のことが説明してある。あれ?こんな国あったっけ?いやこれってすごいジョークだ。まさに架空の国である。スペリングはいずれもŻubrówka
そうか!このおいしいウォッカの名前をもじってつくった国の名前だろうと自分は推測する。

2.共産主義と全体主義(ファシズム)への批判
三種類のスクリーンサイズに分かれる。1985年と1968年そして主要な舞台の1932年だ。1932年はヒトラーのナチス党が選挙で第一党になってヒンデンブルク大統領から首相に指名させる時だ。実際には積極的に他国に進出しているわけではない。1968年というとソビエトがチェコへ侵攻する年である。いずれも年号的には重要な年である。
平和なズブロフカ王国がファシズム政権によって占領され、グランドブタペストホテルもエドワードノートン演じる軍人たちにより、いいようにやられる。まずはファシズムを批判するが、戦後ホテルがさびれてしまうということで共産主義による経済の停滞をも不快感を持って接している。ここでは共産主義、ファシズム両方への嫌悪感がある。
ここでファシズム国家をナチスドイツとはしない。ZZの文字でいかにも連想させようとする。
その匿名性は自然だ。

実際には共産主義もファシズムも同値に近いのだ。
ドラッカーの言葉を引用する。
「共産主義とファシズムが本質的に同じというわけではない。ファシズムは共産主義が幻想だと明らかになった後にやってくる段階なのだ。そしてヒトラー直前のドイツでと同様に、スターリン下のソ連において、それは幻想だと明らかになった。」

ノーベル賞学者ハイエク
「ファシズムと共産主義を研究してきた人々が。。。この両体制の下における諸条件は。。。驚くほど似ている事実を発見して衝撃を受けている」(隷属への道より)

共産党を支持するバカなババアがよく駅前で署名してくれと言っているが困ったものだ。
佐藤優曰く「日本共産党という組織は、マルクス主義の毒薬にやられた宗教団体」
まさにその通り

3.配役の妙
アルトマンの映画のように出演者が多いのでストーリーがつかめるか心配していた。
配役の置き方は物語作りの定石を踏んでうまく分配している。

主人公2人 グスタヴ(レイフ・ファインズ)とゼロ(恋人もいる)
依頼人  伯爵夫人(ティルダ・スウィントン)
敵対者  伯爵夫人の息子(エイドリアン・ブロディ) ファシズムの軍人たち(エドワード・ノートン)
援護者  欧州全域にいるコンシェルジュの仲間たち(ビルマーレイなど)

今回は伯爵夫人が血縁でない主人公に由緒ある絵画を与える話をしたものだから話がおかしくなる。夫人の息子は敵対者になる。昔ホテルに泊まったことがあるエドワードノートンは、葬式に行く移動時では味方だったが途中で逆転する。味方がいない。
ところが、気が効いて人格者のグスタヴには欧州中のコンシェルジュが味方だ。そのアイディアがいい感じだ。至る所で助けてくれる。その逃亡劇がうまい具合に笑いを誘ってくれる。ソリで逃走する場面はちょっと笑えるし、凍りついた崖っぷちのやり取りもニクイ。
ものすごく多い出演者がきれいに整理されていることに気づく



美術の色合いのセンスは感じるけど、もう少し特撮に金をかけた方がよいのではと自分は感じた。ミニチュアの技術が稚拙な印象を持つ。あえてこの映画のスタイルを選択している気はするけど。。
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同期の死

2014-06-10 23:17:41 | Weblog
今日驚いたことがあった。

先週高校の県別の同窓会があった。
旧制中学時代に通っていた先輩たちをはじめ多数参加している。
そんなことがあり、たまたま高校の同期会のフェイスブックを覗いてみた。
そこにはなんと同期同郷の死亡通知があった。これにはビックリした。

昨夏、高校の学年全体の同期会があったとき、彼は参加していた。
幼稚園から大学まで一緒の学校にかよった。5つの学校が一緒だ。
別に付属の一貫校に行ったわけではない。
小学校から高校までは公立だし、同じ中学から同じ高校は5人だけで同じ中学は彼だけだ。
しかも、お互いの実家は同じ町内に今もある。

お互いの父母が死んでしまったので、5,6年前ならだったらすぐ伝わることが伝わらない。
自分も転勤が多かったが、彼の場合は自分よりも転勤が多い。
どこに住んでいるのかわからない。

昨年の同期会の時に、がんの手術をしたと言っていた。
それ自体驚いたが、そんなにダメージを受けているようには見えなかった。
元々その昔高校時代にはインターハイのファイナリストにもなっているし、大学の体育会のHPにも名前と当時の記録が掲載されているくらいの頑強な身体だ。
さすがに会社の配慮で首都圏に戻っているようだった。
自分も気をつけなきゃと思っていた。

今日は外出先から直接家に戻ったので早く家路についていた。
家で何げなくテレビをつけたら、がんの話をしていた。
娘に「幼稚園から大学まで一緒だった奴が、がんで死んだんだ」なんて話をしている。。。
その矢先だった。

何とテレビに彼が映ったのだ。
本当に驚いて大きな叫び声をあげた。まさに本物だ。娘もビックリだ。
余命わずかにもかかわらず、がんにめげず立ちあがろうとしている人たちの特集ということで映っていたのだ。
信じられない出来事だ。彼の声だ。

これって神様があわせてくれたのかもしれない。
彼がいた高校のクラスには珍しく彼以外仲の良いやつがいない。
したがって情報が自分にこなかったのであろう。

妻は葬儀参列者に自分がいなかったので、彼が操作したんだろうと言っていた。
そうかもしれない。母があわせたのかもしれない。

ともかく冥福を祈り次に実家にいくときに寄ってみる。
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映画「ポリス・ストーリー レジェンド」 ジャッキーチェン

2014-06-10 05:08:17 | 映画(アジア)
映画「ポリス・ストーリー レジェンド」を映画館で見てきました。

ジャッキーチェンの作品は毎回見ている。徐々にアクロバット的アクションは減ってきたとはいえ、ジャッキーチェンは60歳になってもまだまだ健在。香港映画として始まったこのシリーズも、言葉は北京語で今は中国大陸資本にどっぷりつかっている。

大陸映画と言ってバカにする時代はとっくに過ぎた。セットは豪華だし、登場する俳優たちの雰囲気も現代的だ。一時代前のアカぬけないイメージは一掃された。ナイトクラブの中に閉じ込められるという、閉鎖空間でのアクションに息がつまりそうな場面もあったが、最終場面で謎解きの要素がでてきて、単純なアクションだけでないところに工夫を感じる。

ベテラン刑事ジョン(ジャッキー・チェン)は、ひとり娘のミャオ(ジン・ティエン)に会うため、歓楽街の中心にある全面をコンクリートに覆われた巨大なナイトクラブ“ウー・バー”にやってきた。
仕事に追われ半年ぶりに娘と顔を合わせたジョンは、娘との慣れない時間を過ごしていたところ、突然背後から何者かに襲撃されてしまう。気がつくと、クラブの出入り口は頑丈に閉鎖され、ジョン親子を含む十数人の客は無数の爆弾が仕掛けられた建物内に閉じ込められていた―。

建物を包囲した警察も全く手を出せない中、事件の首謀者であるクラブの経営者ウー(リウ・イエ)は、警察にある取引を求める。この籠城事件の裏には、ウーが長年にわたって綿密に仕組んだ、ジョンの刑事人生の過去にも関わる恐るべき復讐計画が隠されていた…。
(作品情報より引用)

いきなり派手なナイトクラブに主人公が入っていくる。捜査なの?いや違う。
ここで出会うのは娘である。頭は染めて、スパイダーのタトゥをしたアバズレのようだ。
紹介されるナイトクラブのオーナーとつき合っているという。親子はちょっとしたことで仲たがいしていたのだ。
そうか。。。と思っていたら、いきなりジャッキーが襲われる。
しかも客が人質になって閉じ込められる。

何どういうこと?よくわからないままにナイトクラブの中は閉塞感に包まれる。
ジャッキーは恨まれているようだが、何の事件でそうなったのかよくわからない。

ここでナイトクラブのオーナーは1人の服役囚の釈放を要求する。
その事件には自分もかかわっていた。しかも、人質にはその事件の現場に居合わせた人もいるではないか。。。
ようやくオーナーの魂胆がわかってきた。

1.タイ式ボクシング
ジャッキーチェンがここで敵対する相手は強い。非情に生きたクラブのオーナーは勝って勝ちまくってきた。
どちらかというと、「k1」というより異種格闘技の「プライド」みたいだ。
関節技も繰り出したりする。

ジャッキーチェンも結局金網マッチのようなことをさせられる。相手は若いし圧倒的に強い男のようだ。
ピンチ!!

2.センスのある映像と音楽
中国大陸資本とは思えないアカぬけた映像になってきた。15年位前は香港に行っても大陸の人はアカぬけないので、すぐわかった。今は香港人と見分けがつかない。それだけ大陸のリッチな人は金にものを言わせて贅沢になったのであろう。
流れる音楽もハイセンスになってきた。ロックバンドの演奏には耳を疑った。


3.中国式「羅生門」
黒澤明監督「羅生門」は芥川龍之介の「藪の中」を下地にしている。ここにもその要素がある。ラスト30分で謎解きをしようと再現フィルムのように過去を振り返る。
そう!ネタばれだが、ナイトクラブオーナーは妹が死んだ真相を突き止めようと、用意周到に事件関係者をナイトクラブに集めたのだ。当然当事者同士で言葉の相違がある。映画「羅生門」では、1人1人事情徴収を受けるが、ここでは一斉に当時の状況を確かめる。このシーンはなかなか味がある。それまでは閉鎖空間でのアクションで退屈になりそうな場面もあったが、なかなか楽しめた。

いずれにしても大陸資本の映画だから警察は圧倒的に強い。国家は絶対なのだ。
先日香港を舞台にした「コールドウォー」を見たが、同じような感想をもった。そう考えると、アメリカ映画のように警察の汚職というような意外な展開というのはなさそうな気もする。
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B級グルメ備忘録

2014-06-08 21:22:04 | 食べもの
新宿のトンカツ屋「豚珍館」にて
この店いつも昼時行列だ。30年前からある。

仕事の調子が落ちると「カツ」を食べる

船橋のチャンコ屋「加賀」
ここのボリュームは凄すぎる
それなのに安い。下の料理にサラダ、餃子、巨大おにぎりがついて飲み放題で4000円だ。信じられない。
しかも大の男でも食べきれない。
オムライス、煮もの
タバコと大きさを比べてみる

極大ステーキ


神田の四川料理「五指山」
店の構えから想像できないほどおいしい
次から次にお客が来るが、みんな断っている。




品川のミートスパゲティ専門店
これがうまい


最近のB級グルメ備忘録でした。
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映画「そこのみにて光り輝く」 菅田将暉&池脇千鶴

2014-06-05 19:33:13 | 映画(自分好みベスト100)
映画「そこのみにて光り輝く」を映画館で見た。

これは胸にしみるすばらしい映画だった。
おそらく本年屈指の名作と評価されるはずである。

何よりすごいのが菅田将暉である。悪いけど綾野剛よりも断然いい。
池脇千鶴は社会の底辺を生きていく女になりきる。大胆な演技で八方塞がりのつらい状況を表現する。
姉弟の活躍で影が薄いが、世を捨てた流れ者を演じた綾野も悪くはない。

佐藤泰志の原作では以前「海炭市叙景」が映画化された。そんなにいい映画には思えなかった。
それもあり、期待半分で映画館に入ったが、予想以上の映画のできばえに驚く。
何より俳優の力を存分に引き出している。菅田と池脇の2人が前作から比較して格段によくなっている。これは呉美保監督の手腕だろう。
西川美和、タナダユキと日本の女流監督が実にいい仕事をしている。
今までの日本の映画史ではなかったことだ。今後に期待したい。

真夏の函館が舞台だ。
仕事を辞めて何もせずに生活していた達夫(綾野剛)は、パチンコ屋で拓児(菅田将暉)と知り合った。遊びに来いよと誘われ、拓児の家に向かう。海辺に立つ家はバラックのようで、寝たきりの父親、父親の世話をする母親、そして姉の千夏(池脇千鶴)がいた。達夫が行くと歓迎されたが、貧しさがにじみ出る家庭状況は複雑に見えた。

夜飲み歩いていた達夫が場末のスナックに酔ってたどり着いた。店のママから1人空いたからどう?と女をあてがわれる。なんと、会ったばかりの千夏であった。彼女の顔を見て思わず笑う達夫に怒り、ピンタをくらってその場は帰った。外には男が待っていた。彼女は自分の身体を売るばかりでなく、植木屋の経営者(高橋和也)の情婦になっていた。

刑務所帰りの拓児は仮釈放を受け保護観察の状態であった。植木屋に面倒見てもらった。
植木屋と姉の関係は知っていて、むしろよくしてあげてよという感じだった。

一方、達夫は以前砕石場で働いていた。現場で発破の処理に失敗し、部下をなくして仕事をやめていた。
今達夫のところには、以前お世話になった土木会社の上役(火野正平)がもう一度一緒にやろうといい訪ねてきていたが、その気にはなれなかった。千夏を怒らせたことに反省した達夫はあやまりに行く。最初は相手にされなかったが、元々達夫に好意を持っていた千夏は機嫌を直し急接近する。



千夏は腐れ縁を断ち切ろうと植木屋と別れようと試みるが、植木屋はしつこく追いかけてくる。
そこから植木屋、千夏、達夫、拓児の関係が複雑になっていく。。。

1.菅田将暉
酔って人を刺してしまい刑務所行きを経験、今は保護観察処分となり、植木屋を手伝っている。
茶髪のあんちゃんだ。社会の底辺で育っているが、屈託なく人と接する。実にテンションが高い。
テレビ「傷だらけの天使」水谷豊が演じたアキラのイメージが近い。こういう短慮な男は東映ヤクザ映画路線にはいくらでもいる。でも高倉健演じた「人生劇場 飛車角」の弟分ほど強くない。本当の下っ端だ。
そういう役がうまい。前作「共喰い」よりも明らかにパワーアップしている。



2.池脇千鶴
あの可愛かったリハウスガールがずいぶん大人になったなあという印象だ。
肌を見せると、身体にうっすら脂がのっている。
綾野と濡れ場があるが、むしろブラジャー姿でいる方がエロスを感じさせる。
もちろんきっちりバストトップを見せてくれたことには感動
「凶悪」の記者の妻役も難しい役だったが、今回は社会の底辺を彷徨う役だ。
難しい役をうまくこなしている。


3.函館
セリフには函館という地名は出てこない。
市電やネオンきらめく繁華街、海に向ってなだらかな坂になっている地形など
映像を見ればここは函館と物語っている。
北海道経済の停滞もあり、高層ビルが立ち並ぶところではない。
そのため、この映画の時代設定はいか様にもとれる。現代、昭和どちらとしても不自然さはない。

祭りの場面では花火がきれいに打ちあがる。以前映画「八日目の蝉」では、小豆島の祭りの場面を
映し出していたが、異様に長かった。それなので時間オーバーの感を持ったが、ここでは簡潔だ。

池脇千鶴演じる女の子が売春するちょんの間がある。
飲み屋の奥で客と売春行為にいたるパターンは昔の青線と同じ。警察の取締りでかなり減っているのではないか?
地方都市には今でも残っているのであろうか?


4.呉美保監督の演出
彼女の作品をはじめて見た。
呉美保監督は間の取り方がうまい。カットの連続で映画を成立させるのではなく、ゆっくりとあせらず芝居をさせる。先ほど日本に優秀な女流監督が増えたという話をした。いずれも共通する。
綾野、池脇2人の濡れ場もにっかつポルノを思わせる間合いで演じている。
この映画では「長まわし」になるケースが多い。長まわしが多い映画では、放映時間が2時間半程度に延びすぎることがある。でも2時間以内にまとめる。それは映画の構図がしっかりできているのと編集の巧さによるのであろう。映像作りの巧みさで今後が楽しみだ。

5.佐藤泰志
文学賞の候補に何度も名を連ねたのに日の目を見なかった。
自殺してしまうのは非常に残念だ。普通2作も映画の原作になるなんてことはそうあるものではない。かわいそうだなあ。

(参考作品)
そこのみにて光輝く
ジーンと胸に響く恋


オカンの嫁入り
呉美保監督作品

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