映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ヒルビリーエレジー」ロン・ハワード&グレン・クローズ&エイミー・アダムス

2020-11-29 19:49:41 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ヒルビリーエレジー」は2020年のNetflix映画


「ヒルビリーエレジー」はNetflix映画で何気なく見つけた最新配信作、エイミーアダムス、グレンクローズの大物女優の登場に思わず観てしまう。スタートしてしばらくして監督がロンハワードという文字に驚く。久しぶりに見る名前だ。さすがロンハワードと思われる本格的な映像でストーリーにも引き込まれた。上質な映画でおすすめである。ケンタッキー生まれオハイオ育ちのイエール大学ロースクールに通う若者が親子3代生活苦にもかかわらず暮らしてきた軌跡を振り返る物語である。原作はベストセラーになったJ・D・ヴァンスの小説で本人の実話に基づいている。

J・D・ヴァンス (ガブリエル・バッソ)はイエール大学ロースクールに学ぶ元イラク戦従軍者だ。就職にあたってロースクールには名門法律事務所から勧誘が来ている。インターシップ最終の法律事務所パートナーたちとの懇親ディナーは格式あるレストランで行われている。自称田舎者の主人公は馴染めない。インド系の同級生の恋人に電話してマナー作法を聞く始末だ。ケンタッキー出身でオハイオ育ちの略歴を話すと、あるパートナーの一人がヴァンスを田舎者扱いしたので折り合いが悪くなってしまった。

そんな大事な時故郷オハイオにいる姉リンジー(ヘイリー・ベネット)から母親ベヴ (エイミー・アダムス) の具合が良くないので帰郷してほしいと連絡があった。

ヴァンスの家族は大家族だった。13歳で結婚をした祖母マモーウ (グレン・クローズ) はきかん気が強い女性で夫とも争いが絶えなかった。何とか娘ベヴを育ててきた。ベヴは結婚したが結局出戻り3世帯でオハイオで暮らしていた。主人公はそういう強い女性のいる家庭で優しく育っていた。しかし家計は厳しかった。ヴァンスもバイトを3つかけ持ちしても奨学金を返しきれないくらいで、当然ながら実家の援助はないし、母親は健康保険にすら加入していない


大事な時だったので戻りたくなかったが車で故郷に向かう。もともと看護婦だった母は昔からヘロインの過剰摂取でトラブルを何度も起こしていた。何人もの男を渡り歩いていた。母のあばずれぶりは地元でも有名で施設から入所を断られていた。そんな時主人公に第一志望の法律事務所から最終面接のアポイントの電話が入ってくる。時間を変えてくれないかという話をしたがそれは無理で面接時間を決めた。オハイオに帰郷すると母親は入院している病院から退院するよういわれている。母親の元の勤務先とはいえ、問答無用で追い出される。ヴァンスは母親の行き先のめどをつけて車で戻り、面接の場所まで定時に行かなければいけないわけであるが。。。

1.エイミーアダムスのあばずれぶり
シングルマザーで姉弟の子どもを育てる。母親譲りで気性は激しい。看護婦だったが、患者に投与するヘロインをみずから飲み込んでしまう。病院内でラリってローラースケートで走りまくったり、息子を乗せたままフルスピードでぶっ飛ばした上、他人の家に不法侵入する。警察沙汰も一回や二度ではない。

本当は息子のことを殴っているけど、母親思いの息子はけがをしているにもかかわらず母親は何もしていないと取り調べの警察にいう。そういう優しさで助けられてきた。高校のときは学年2番だったけど、周囲が誰も自分を引き立ててくれないからこうなったんだと息子にのたまう。まさに薬物依存症、あえて喫煙者であるところも見せる。


そんな役柄をエイミーアダムスは見事に演じる。これはアカデミー賞モノである。エイミーの主演作はほとんど観ている。あばずれ役はアメリカンハッスル」「ザ・ファイタ-などいくつかあるが、ここまでのパフォーマンスはなかった。この映画の主演って息子だと思うんだけど、助演女優賞ということなのかな?出演者のクレジットは一番前だったからどうなんだろう?これまで何度もエントリーされているけど、今回はいけるような気がする。

2.グレンクローズのやさしさ
気がつくと13歳で夫と結ばれる。今の日本では淫行か?出来の悪い夫が酒癖悪いので、身体に火をつけたりもする。血筋というべきか娘と同様に気性は荒い。でも、娘の方が異常なので、火消しに入ることも多い。男を次から次へと渡り歩く娘ベヴが、ある男と一緒に暮らすようになりヴァンスも一緒に暮らす。ところが、継父の息子が良からぬことを教えて成績が急降下、それが気になって仕方ない祖母グレンクローズは孫を悪い道から取り戻そうとする。

「努力もせずにチャンスがあると思うな」祖母の名言だ。そんなわけで孫の成績は急上昇してクラスのトップに躍り出る。成績表を見ながら微笑むグレンクローズが素敵だ。「ターミネイター2」を100回観ているというキャラにもご注目


この映画はまさにエイミーアダムスグレンクローズの演技合戦で、どっちもどっちである。同じ映画でアカデミー賞を競うなんてすごい話だ。世紀の悪女を演じた危険な情事で受賞していればという思いはあるが、年の功でグレンクローズにもチャンスがあるかもしれない。

3.イエール大学のロールスクール
アイビーリーグのイエール大学のロールスクールは世界を代表する名門である。フォード元大統領やクリントン元大統領夫妻など卒業生には政府高官クラスが山ほどいる。

日本ではハーバードが名高いが、1987年にランキングができて以降、ずっと1位の座を保ち続けているのは、実はイェールの方だ。(山口真由ブログ 2017年2月16日引用)日本人からすると意外だがアメリカには法学部というものはない。各大学の他の学部を卒業した英才がここに集まっている。

主人公はある意味とんでもないエリートだけど、田舎育ちの主人公は浮いてしまうような存在だ。ちょっと大げさな映像だと思うが懇親会の席でテーブル上の大量のフォークとナイフをどう扱っていいか戸惑う主人公のパフォーマンスを映す。あえてそういうところで田舎者ぶりを目立たせる。

作品情報には「貧困が親から子へと引き継がれ固定化されていく白人貧困層の過酷な現実」となっているけど、ここまでのエリートになれたんだから、この家族に限っていえば貧困は引き継がれてはいないよな。映画の宣伝文句はちょっと違う気もする。
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映画「THE CROSSING ~香港と大陸をまたぐ少女~」ホアン・ヤオ

2020-11-28 20:22:16 | 映画(アジア)
映画「THE CROSSING ~香港と大陸をまたぐ少女~」を映画館で観てきました。


香港深圳という街の名前の響きに思わず映画館に足を運ぶ。民主化運動コロナ問題で足が遠のいているが香港は永遠に好きな街である。最近の香港がどうなっているんだろうと気になる。深圳に住む香港に通う16歳高校生が新型iphoneの運び屋をする話である。にも似てる新垣結衣を思わせる美少女ホアン・ヤオはものすごくかわいい。でも複雑な家庭環境である。そんな彼女の立ち回りをスリルたっぷりに追っていく。

iPhoneのニューモデルは中国では貴重品である。香港は伝統的なタックスフリーということもあり、安価で仕入れられて深圳では高い価格で売れる。その差益を狙った密輸団に16歳の少女の運命が崩されていくのである。娘を持つ父親としては香港で離れて暮らしている父親が黙って娘に食べさせてやるシーンが好きだ。


深圳から香港の高校へ通うペイ(ホアン・ヤオ)は母子家庭で母親ヨンと2人で暮らしている。高校では仲良しのジョー(カルメン・タン)と2人で雪の日本への旅行を夢見て、学校で小遣い稼ぎをしていた。ペイはジョーの彼氏ハオ(スン・ヤン)たちの船上パーティーに誘われたりして楽しんでいた。

ある日家に帰る途中、香港から深圳への税関でハオの仲間が職員に捕まりそうになって逃げようとしたそのとき、とっさにペイに物を渡す。何かとみると新品のスマートフォンだった。香港と深圳の間で裏で運ぶスマートフォンの密輸グループだったのだ。スマホを戻すと金をもらえた。日本旅行のための資金が貯められるとその後もペイは通学帰路の途中での運び屋になっていくのである。


その後、ペイが犯したミスをハオがカバーしたこともあり、ペイは親友の彼氏であるハオと徐々に親密な関係になっていった。そして、ハオは密輸団のリーダーに内緒で、ペイに大きな仕事を持ちかけるのであるが。。。

1.香港と深圳
自分が初めて深圳に行ったのは1995年で英国からの香港返還前である。中国全土にいくつかある経済特区の一つという触れ込みで高層ビルディングが建ち並んでいた。その時香港から国境を渡る時の入国審査では、目つきの悪い中国官憲からの強烈な威圧感を感じた。怖いくらいだった。香港行きがメインだったのであくまでサブで日帰りだったけど遅れている大陸の印象は覆せなかった。さすがに今は違うでしょう。もっとも行っていないので偉そうなことは言えない。

ハオがペイを連れていく夜景の見える山の上の場所がある。どこなんだろう?映画「慕情」ウィリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズを一瞬想像する。個人的には芝生のグラウンドがある建物が競馬場だと思ったんだけど違うかな?二度出てきたけど気になる。

2.深圳から香港へ通う高校生
主人公は香港IDを持っているということで香港の高校に通っている。制服が可愛い。は母と別れて香港で別の家族もあるようだ。主人公は時折父のところにふらっと寄ったりにしている。父は可愛くてしょうがないから小遣いをあげたりしている。母親は夜遅くに家で麻雀をやっている。売女なんて周囲に評されていることもある。親友の彼氏ハオは汁そば屋の店員だけれども裏社会に近いところで生きている。入れ墨もある。


そんな家族がバラバラで孤独なペイは普通の女子高生だったのに気がつくと運び屋になってしまう。香港から深圳に向かう国境の税関では高校生の主人公は割とノーガードでくぐり抜けていく。クリントイーストウッドは老人の運び屋だったけど、それとは対照的にこういう女子高生に運ばせるというのもありえる気もする。最後に税関がきびしくなり、最近ではこういう密輸はないとテロップが流れていた。


3.日本旅行への憧れ
雪景色の日本で温泉に入って日本酒で一杯やりたい。畳の部屋で寝たい。そのためにお金を貯めたいという女子高生だ。作品情報では北海道と特定されているが、そのようなセリフはない。別に日本にこびへつらう映画でもないだろう。日本人としてはこのシーンは率直にうれしい。今年の春節くらいまであれだけ大勢の中国人が来ていた背景もよくわかる。
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Netflix映画「ザ・コールデストゲーム」

2020-11-23 19:55:22 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ザ・コールデストゲーム」はポーランドのNetflix映画


「ザ・コールデストゲーム」はチェスの米ソ対決がストーリーの柱になっている。先日チェスをテーマにしたNetflix「クイーンズ・ギャンビット」がものすごく面白かったので、いきおいで観てみる。1962年のキューバ危機のころ、飲んだくれの元大学教授が米ソチェス大会に代理出場するために無理やりポーランドへ連れて行かれチェス対決の裏で繰り広げられている米ソエージェント同士の諜報戦に巻き込まれるという話である。

世界を揺るがしたキューバ危機の最中にのんきにチェスで争うなんて設定はいくら何でもありえない。でも、60年代西側スパイ映画ではソ連が悪者扱いになっていた。そこに出演するKGB職員のような顔立ちのソ連側登場人物がこの映画に映ると、いかにも冷戦中の米ソ対決スパイ映画らしい雰囲気があふれる。どっちが味方でどっちが敵だかわけがわからなくなり、戸惑う場面もあるが、いくつかの謎をつくってくれるので最後まで楽しめる。

マンスキー(ビル・プルマン)は数学専攻の大学教授であった。第二次世界大戦の核爆弾製造に関わり、後悔の念を持ち大学教授を降りてしまった。今ではマンスキーはニューヨークブルックリンの裏通りでポーカー賭博をしたり飲んだくれていた。いつものようにポーカーをやった後、バーに入ると見知らぬ女に声をかけられる。いやな感じなので外へ出るといきなり暴漢に襲われる。気がつくとポーランドの首都ワルシャワのアメリカ大使館に拉致されている。


ワルシャワで開催予定の米ソチェス大会で予期せずアメリカ代表が急死した。マンスキーはチェスが得意でアメリカ代表にも以前勝ったことがある。そこでマンスキーに白羽の矢がたつ。しかし、ワルシャワにいる米国大使館員より戦いとともに任務が与えられ、ソ連に潜入している米国のスパイから核の設計図があるマイクロフィルムを受け取るという任務も与えられる。

マンスキーはソ連代表との勝負に挑む。マンスキーは酒飲むと頭冴える性向があり、初戦に勝ってしまう。ソ連陣営はあ然とするが、気がつくと裏で繰り広げられる米ソ対決巻き込まれるのであるが。。。

1.キューバ危機
社会主義国として独立したキューバをめぐって、米ソ対決が強まっていた。1962年フルシチョフ率いるソ連はアメリカにむけて発射できる核爆弾の基地をキューバにつくろうとしていた。キューバ危機である。ケネディ大統領はカリブ海でキューバへの海上封鎖に踏み切り、フルシチョフは急反発する。一触即発の場面に第3次世界大戦が始まる可能性があると世界中が恐れていた。ワルシャワでのチェス大会とへ並行してドキュメンタリー的にその図式が説明される。


2.何でポーランド映画なの?
この映画がポーランドで作られたことに意義がある。世界史の教科書では1939年9月ナチスドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まったと強調される。しかし実情はソ連もポーランドに同じように侵略している。世界をあっと言わせた独ソ不可侵条約が侵攻の直前に締結されていたのだ。しかも、ポーランドでしたことはソ連の方がひどいことをやっている。戦後日本の左翼教育者による偏重教育でソ連のむごさが伝えられていない。

映画「エニグマ(記事)」でもこのことが語られる。映画化される「カティンの森」事件が有名である。戦後ソ連による支配が進んだポーランドであるが、相当な恨みがあるとみていいだろう。戦後のポーランドへのソ連のむごい支配は映画「残像(記事)」や映画「COLD WAR あの歌、2つの心(記事)」でも語られる。要はポーランドはソ連のことが大嫌いなんだ。基調は60年代の西側冷戦スパイ映画の様相でアメリカびいきだ。人相の悪いアメリカ大使館女職員もロシア人ぽいねえ。


3.チェスの米ソ対決
クイーンズギャンビットを見てチェスのことを調べているうちに、ソ連がチェスの世界大会で1972年にボビーフィッシャーにチャンピオンを譲るまでずっと勝ち続けていたことを知った。いくら米国チャンピオンを倒したことのある腕前のチェスプレーヤーでもソ連のチャンピオンにたいして一勝でもできるわけないと思ってしまうよね。米国びいきに見える映画だけど最終的にソ連に負けるだろうなあ。どうやってそうストーリーを運ぶんだろう。そんなことを途中考えていた。

3回戦目の対戦が終わってマンスキーがトイレに駆け込むと、トイレのタンクに酒が隠してある。それを飲み干したときにソ連の軍服を着た男が入ってくるシーンにはどきっとする。その後でアメリカ大使館の女性エージェントが入ってくる。これは味方なんだろうなあと思ったそのときに、いかにもロシアの悪者という感じの格闘技のヒョードルみたいな強そうな奴が入ってきて味方とおぼしき2人を手込めにする。ドキドキだ。こんなハラハラする面もあるから悪くはないよ。
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映画「肉体の学校」三島由紀夫&岸田今日子&山崎努

2020-11-22 06:13:25 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「肉体の学校」を名画座で観てきました。


映画「肉体の学校」は昭和39年の三島由紀夫の小説を映画化した昭和40年の作品、岸田今日子と山崎努の主演である。名画座で同時上映された美徳のよろめきと違い三島由紀夫の原作に忠実である。ハイソサエティーの主人公をセンスよく描いている小説が見事にそのまま映像になっている。昭和40年を描いた映画の中では都会的モダンな作風であったと感じる。


六本木でブティックを営む元華族の浅野妙子(岸田今日子)は離婚後自由気ままに生きている。池袋のゲイバーで働く21歳の学生佐藤千吉(山崎努)に惹かれ一緒に暮らすようになる。パーティなどで千吉を紹介するときには甥といっている。お互いの自由を尊重するあまり、意外な恋愛の進展を見せる話である。

⒈岸田今日子と山崎努
岸田今日子:この当時35歳前年「砂の女」で賞を総なめしていた。アニメ「ムーミン」の声ということで名高いが、自分にとっては「傷だらけの天使」の綾部女史のけだるいイメージが強い。この映画での岸田今日子は洗練されて美しい。服装のセンスが抜群にいい。文学座の結成に関わった岸田國士の娘という血筋の良さが三島由紀夫の原作の妙子とまさにイメージがぴったりである。付けまつ毛が長い。


山崎努:昭和38年の黒澤明作品天国と地獄での誘拐犯人役で一躍有名になった。同じ昭和40年には赤ひげにも出演している。当時28歳で21歳の学生を演じるというのはずうずうしい感じもする。「天国と地獄」の金持ちに反発する貧乏医学生のような世の中への反発はない。三島由紀夫の小説だけに当時蔓延している左翼思想もない。荒々しいバンカラタイプという意味では適役だと思う。

ゲイバーのスマートなバーテンダーなのに最初のデートに下駄を履いて現れ、デートの最中にパチンコ屋に入ったりして相手を戸惑わせる。と思ったら次のデートでは三揃いのスーツで颯爽と現れたりする。ゲイの仲間があいつは誰ともやるよという。即物的な男だ。


この2人のことを語るナレーションは久米明である。TVのノンフィクションでは名ナレーターだったなあ。声を聞いているだけでわくわくする。

⒉三島由紀夫と上流の生活
上流の気取った生活を描くことができるのは戦前の学習院高等部出身で育ちの良い三島由紀夫ならではだ。垢抜けたセリフ自体がどれもこれも不自然ではない。美徳のよろめきで脚本に新藤兼人を起用して上流生活を描こうとするのが失敗であって、原作に忠実に三島由紀夫ならではのセリフをそのまましゃべらせるのが良い方策というのがよくわかる。ある意味一つの戯曲を見るようでもある。


単に年上女と年下男の恋と言うだけではなく上流女と下流男との異質な付き合いというギャップを三島由紀夫が描いている。自立して生計を立てられる離婚経験者3人の女が男の値踏みをする会話が頻繁に出てくるが、専業主婦率が高いこの当時にしては随分と進歩的に映ったであろう。

⒊昭和40年の風景
主人公が通う大学をホテルから見下ろすシーンがある。階段のある大学のキャンパスを見て一瞬大隈講堂から撮影した早稲田大学と思ったが、冷静に考えてみると明治大学を見下ろすと考えればそのほうが間違いない。原作を読み返すと大学は駿河台にあると言う記述があった。高層の駿河台校舎しか見慣れていない現代の明大生からはありえない風景かも知れない。

岸田今日子と山崎努が一緒に暮らすアパートメントはハイセンスな佇まいである。どこなんだろう?赤坂プリンスホテルでイヴサンローランのファッションショーをやっているシーンがある。そこに映る日本のモデルもずいぶんと垢抜けている。岸田今日子がホテルの外の弁慶橋あたりから赤坂見附の交差点付近を見回すシーンがある。今と違うなあ。車の量がかなり閑散としている。2人で一緒に行った熱海の旅館で岸田今日子が貸切風呂に入っている姿がある。これも粋で優雅に感じるものがある。
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映画「美徳のよろめき」 月丘夢路&三島由紀夫

2020-11-21 10:41:43 | 映画(日本 昭和34年以前)
美徳のよろめきを名画座で観てきました。


美徳のよろめきは昭和32年(1957年)の日活映画であり、三島由紀夫原作の小説の映画化である。昭和32年の書き下ろしで、当時年間4位のベストセラーになった。この小説は何度も読んでいる。映画化された作品は見たことはなかった。

最初にこの小説を読んだのは大学生の時だった。あっと驚いた。まさに姦通小説というべき激しい不倫物語に息を呑んだ。貞淑な人妻が不倫の行く末に何度も子どもをおろす。実にショッキングであった。特に搔爬という文字に得体の知れない気味悪さを感じた。時を経て30代後半になって、自分も色んな経験をした後に再読した。読み進むうちに20代前後では知り得なかった大人の世界に浸り周囲の女性を見る目が一気にかわってしまった。読むたびに衝撃的な感情を呼び起こす小説である。


新藤兼人の脚本ということで映画を観るのを楽しみにしていたが、ちょっとがっかりである。残念ながらこれは失敗作と言えよう。スタートは小説の通りのナレーションで始まる。登場人物はそのままにしているが、中身はかなり変えている。原作で感じる薄気味悪いテイストが削ぎとられている。あまりにアッサリしているのに驚く。何でこんなに脚色したのであろうか?疑問に感じる。

元華族の気高い28歳のご婦人倉腰節子(月丘夢路)は夫(三國連太郎)と幼稚園に通う息子と鎌倉に暮らしている。何の不自由のない生活をしていた。


節子には土屋(葉山良二)という青年との甘い想い出があった。その接吻の想い出が忘れられないということを親友与志子(宮城千賀子)にも話していた。土屋とは街で何度もバッタリあったが、避けていた。節子の親族の葬儀に土屋が来ていて、鶴岡八幡宮で明日3時に待ち合わせと言い残して去っていく。節子は行きたい気持ちもあったがあえていかなかった。それでもたまたま行けなかっただけと言い訳して結局は会うようになる。そこから2人の密会が始まるのであるが。

ここまでの経緯に小説との大差はない。ここからがこの小説の肝である。身も心も土屋に狂っていく。土屋が別の女性と会っているという話だけで強烈に嫉妬する。土屋と付き合い始めたときに懐妊に気づく。これは夫との子である。でも節子は中絶する。気持ちが土屋に通っているのに産むということを拒絶するのだ。


映画ではこの後土屋との交わりで何度も子どもをつくり中絶する行為が省略されている。小説では触れられていない節子の友人与志子が浮気相手とのトラブルに巻き込まれる話が取り上げられる。新藤兼人は何でこんなに脚色したのであろうか?この小説の根幹が抜き取られて中途半端になっている。

1.昭和30年代の中絶事情
戦後のベビーブームの後で、GHQは中絶を解禁した。それとともに中絶することが普通になっていった。1950年に中絶率10%だったのが、1954年には何と50%にまで上昇する。1955年に116万件、1960年に107万件の人工中絶があったというデータもある。(男女共同参画局HPより)1955年の出生数が173万人、1960年の出生数が160万人(人口動態調査HPより)ということから見ても多くの赤ちゃんが生まれずにいたのだ。映画を観ると、この中絶に唖然とするが、もしかしたらこの中絶が当たり前の社会だったのかもしれない。

2.三島由紀夫の筆力
今回改めて小説を読むと三島由紀夫が丹念に節子の人となりを綴っていることがわかる。数多くのディテイルで節子の人格を含めたすべてを浮かび上がらせる。この辺りの三島由紀夫の筆力には本当に恐れいる。素晴らしい。それにしても搔爬という文字は読むたびに気分が悪くなる。しかも、官能の世界に浸って何度も子どもを堕ろす。いやな感じだ。映画のラストは小説どおりである。別れようとする土屋への手紙を書いているところを映す。でも、この小説を読むたびに感じる後味の悪さは感じない。
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映画「暗数殺人」 キム・ユンソク

2020-11-19 20:26:49 | 映画(韓国映画)
映画「暗数殺人」は2018年の韓国映画


「暗数殺人」は韓国得意のクライムサスペンスだ。DVDジャケットに写るキムユンソクの顔を見て思わずピックアップ する。チェイサー哀しき獣にはずいぶんと衝撃を受けた。7つの届出のない殺人を告白した犯人を取り調べする刑事が証拠探しに右往左往する話である。

まず暗数殺人って何?って思うが、 暗数とはなんらかの原因により統計に現れなかった数字のことだそうだ。つまり被害者サイドから届出のない事件をふくめヤミに葬られた殺人のことを暗数殺人としている。暗数の意味がわからず、最初頭の整理をするのに時間がかかった。あっと驚く衝撃を受けるという映画ではないがキムユンソクが出演する映画だけはある。

釜山の場末のメシ屋で麻薬捜査班のキム・ヒョンミン刑事(キム・ユンソク)は麻薬の情報屋が連れた来たカン・テオ(チュ・ジフン)という男が「依頼されて遺体を運んでいる」という話を聞いているときにテオは恋人殺しの疑いで逮捕された。その後拘置所にいるテオからヒョンミンに連絡が入る。「おれは7人殺している。」と言われヒョンミンが拘置所に向かう。そこでテオは7つの殺人を告白する。


しかも、ヒョンミンに恋人殺しの証拠を警察にでっちあげされたと、実際にここに恋人の遺品があると指定したその場所に行くと本当にあった。テオは遺品のでっち上げを訴えることで減刑を勝ち取る。ヒョンミンはテオの供述が具体的で真実味があると実感する。

警察内部でもまともに相手をする者がいない中、上層部の反対を押し 切り捜査を進めてゆく。そして、テオの証言どおり白骨化した死体が発見されるのだが、テオは突然「俺は死体を運んだだけだ」と今までの証言をくつがえすのであるが。。。


1.キムユンソク
キムユンソクの一連の作品にはショックを受けた。作品としての韓国クライムサスペンスのレベルの高さも驚くきっかけである。チェイサーでは自分のホテトルで働く女性を探そうとして異常な殺人犯と対峙する男、哀しき獣では朝鮮族が住む中国から海を超えてやってきた裏社会の大物である。 特に哀しき獣でのまさに不死身と思わせる存在感に一気にファンになった。


ここでは若干違う。刑事の実績というのは検挙数なのに、まったく成績が上がらない刑事だ。 それなのにこの被害者の届け出がない暗中模索の事件に関わる。自白してくれているが、裁判でまったく違うことをいって反証する被告に対して、懸命に物的証拠を追っていく。キムユンソクの映画なのに暴力という場面がないのが意外な印象を受ける。

2.チュ・ジフン
裁判では捜査時の自白では有罪にならない。今回もテオの証言のほかに一切証拠はない。テオ本人はそれを分かっている。法に関する本を独房で何冊も読んでいる。血を見るのが何より好きな殺人鬼であるにもかかわらず、冷静さも持つ。日本のベストセラー「ケーキを切れない非行少年たち」に出てくる異常な少年たちと似ているところも多いが、法律の勉強をして結局最終的に無罪を勝ち取るための動きをする。Aという事件が有罪でも、BとCという事件で捜査側のミスから無罪を勝ち取り最終的に全部の事件を無罪にしようとするもくろみだ。


こういうテオをチュ・ジフンが巧みに演じている。今回はまさに狂気と思える顔つきをみせる。異常な目つきでの行為や路上でいちゃもんつけた男を徹底的にボコボコにする暴力シーンなどからキム・ユンソクよりも存在感を感じる

3.ムン・ジョンヒと木村佳乃
検察官を演じているムンジョンヒをみて木村佳乃と似ていると最初思った。ところが、何度もみているうちに似ているなあがまさか木村佳乃本人じゃないかと思うようになった彼女韓国語話せるのか?とまで感じてしまう。


ネット面白い。似ていることを投票しているサイトがあった。そこでは似ているの投票が当然多い。でもこの映画見たらもっと賛同する人増えるのではないかな。
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映画「ラストディール」

2020-11-16 18:27:20 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ラストディール」は2020年日本公開のフィンランド映画


「ラストディール」フィンランドの首都ヘルシンキの店仕舞い寸前の画商がサインなしの肖像画の素晴らしさに魅せられて、オークションに臨み最後の取引をしようとする顛末である。1時間半に起承転結を簡潔にまとめている。何よりそれがいい。気の利いた短編小説のような味のある映画である。主人公が狙いを定めた絵画を取引できるのかどうかドキドキしてしまうミステリー的要素も兼ね備える。

フィンランドといえば、名匠アキ・カウリマスキ監督の作品を連想する。「浮き雲」「過去のない男」など無表情で無愛想な登場人物が繰り広げる人情劇が多い。映像に映るヘルシンキの路面電車を見ながら、一連の作品を頭に浮かべた。

ヘルシンキで長年画廊を営む老画商のオラヴィ(ヘイッキ・ノウシアイネン)は、金銭的にやりくりが難しくなり徐々に限界を感じていた。
そんな時、突然孫息子のオットー(アモス・ブロテルス)が職業体験をさせてくれと画廊にやってきた。たいした仕事をやっていないからといったん断る。ところが、孫は窃盗で捕まったこともあり他では無理だと娘に頼まれて、結局引き受け店の手伝いをすることになった。


ある日、オラヴィはオークションの事前内覧会で男の肖像画に目を奪われる。絵には作者のサインはないが、オラヴィは近代ロシア美術の巨匠イリヤ・レーピンの作品に見えた。贋作の可能性もありオットーを使っていろいろと調べさせる。


その上でレーピンの作品である確信をもったオラヴィは、オークションに参加する。会場では同じようにこの作品に狙いをつけている参加者が多く、オラヴィの予算をはるかに超える入札価格になってしまっているのであるが。。。

⒈人情劇
オラヴィの元には支払いの督促状も届いていて資金繰りはきびしい。それで一度は孫を追い返したが、職業体験をさせてくれるところはないし、雇い主の評価シートがなければ仕事に就けない。孫はダメと最初言われてあっさり帰ったが、改めて娘から電話があり引き受ける。
詳しくは語られないが、オラヴィと娘の間には何かあったのであろう。娘はシングルマザーで元夫の借金もあるという。死別なのかもしれない。


そんな孫が意外な活躍を見せる。1200ユーロの値札がついているのを1500ユーロで絵を求めに来た顧客に売ってしまう。しかも、贋作でないことを掴むために奔走する。意外にやるじゃんという動きだ。しかも、活躍はこれだけではない。
そんな孫や娘の困っている姿を見てオタヴィがこれまでは仕事一辺倒だった自分を悔やむかのような動きをする。フィンランドの国には行ったこともないし、知っている人もいないが、アキカウリスマキの映画とこの映画をみると人情味あふれる国民と想像させる。

⒉オークション
いくつかの映画にオークションの場面があるが、こういう映画だけに頑張って落札してくれと主人公に気持ちが偏る。あれよあれよという間に2000ユーロ程度からどんどん値が上がり10000ユーロまで急上昇する。そして落札するのだ。しかも、前からレーピンの絵を欲しがっている美術収集家を知っている。それだけでゲームセットあれば、何のことない映画だ。ところがそうはさせない。


無理して落札したが、資金繰りができているわけではない。融資を申し込んでも銀行は金を融通してくれない。しかも、オークション会社の社長が妨害に入る。目論見が崩れる。オラヴィには二重三重の障害が目の前にあるのである。

これからの葛藤はここでは語らない。ここからが面白くなるし、何故かむなしさを感じさせる。ただいえるのはこの映画の後味は悪くはない。
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映画「ひき裂かれた盛装」成田三樹夫&藤村志保

2020-11-14 19:17:13 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「ひき裂かれた盛装」成田三樹夫特集の名画座で見てきました

「ひき裂かれた盛装」は昭和42年(1967年)の大映映画、数ある作品の中でも藤村志保共演ということでこの作品を見た。共演にはまだ若き21歳の安田道代や悪役として小沢栄太郎、小松方正の芸達者が出演している。車は兵庫ナンバーで関西が舞台だ。40年代前半のテイストが満載でオースチンのミニが印象的である。


鉄鋼会社の土地の払い下げの入札説明会中に不動産会社が集まっている画面が映し出される。会議が終わった時、ブローカー佐倉恭(成田三樹夫)がおもむろに入ってきて鉄鋼会社の責任者のもとに来て自分たちに買わせてくれという。そして、テープレコーダーを持ち出しこれを聞いてくれと差し出す。そこではその土地が売渡に関する男女の秘めた会話が聞こえていた。責任者はあわてる。

巧みに裏取引を成功させた佐倉はテープの声のレストラン経営者秋原かおり(藤村志保)の元へ向かう。そして彼女の帰り道を追っていく。かおりは佐倉を巻いて日本開発の社長納谷(小沢栄太郎)の元へ向かう。かおりは納谷の情婦であった。
その後佐倉はかおりに呼び出される。かおりは裏社会で巧みに生きる佐倉と一儲けするために手を結ぼうと思っていたのである。

納谷社長の娘倫子(安田道代)は大手化学会社瀬戸化学の御曹司(山下旬一郎)から求婚されていた。倫子はその縁談を嫌がっていた。御曹司とのデートを早々に切り上げてしまい、偶然佐倉と知り合うことになる。やがて倫子はかおりのレストランで佐倉と再会し、ゴーゴーに行き関係がより急接近する。

その後佐倉は納谷社長が四国のある土地の公共開発用地買収に絡んでいることを知る。倫子に近づきながら開発予定地を鳴門と読み、一足先に現地で値上げを見込んで有り金をはたいて土地買収にあたるのであるが。。。

⒈藤村志保
藤村志保は前々年の「太閤記」のねね及び「三姉妹」で大河ドラマに出演したころの人気絶頂の時期である。大映では時代劇中心で和服が似合う和のテイストで人気があった。京都の街に溶け込んでいるので上方女のイメージが強い。しかし彼女はフェリス女学院高等部出身で横浜のお嬢様である。人気作詞家故安井かずみの同級生でもある。

余談になるけど、写真↓は昭和41年この映画の前年だ。昨年の日本経済新聞「私の履歴書」のコシノジュンコの回で、加賀まりこと安井かずみの3人で夜な夜な遊び回ったことが書いてあったが、安井かずみの遊び人ぶりがこの写真からもにじみ出る感じがする。


この映画でも和装が素敵だ。清楚なイメージが強いので今回の作品での男を翻弄する悪女ぶりは藤村志保にしては珍しい役柄だ。当時28歳時代劇のお姫様役からの脱却を図ろうとしている時期なのであろうか。まだ小学校の低学年だった自分は藤村志保に魅せられる何かを感じていた。生意気にもファンだった。こうやって改めてみるとその美貌に幼少時以上に引き寄せられる何かを感じる。

⒉成田三樹夫
成田三樹夫は大映の名脇役である。このブログでは市川雷蔵ある殺し屋勝新太郎座頭市地獄旅をアップしている。大映映画が倒産した後は東映のやくざ映画に出演して特に「仁義なき戦い」では実業家に転身をした松永というヤクザを演じている。 東大を中退して山形大学に行ったと言う変わった履歴を持つ成田三樹夫は、我々の世代にとっては探偵物語松田優作とともに刑事役で出たのがリアルタイムだっただけに1番印象深い。

ここではめずらしい主役である。しかも、藤村志保、安田道代と二人の美人女優からモテモテで、たまには役得もあるかといった感じかな。


⒊安田道代
今ではドスの効いた声で飲み屋のママのような役が得意である。結婚してから大楠道代と名前が変わっている。大映末期に江波杏子とともに女賭博師の映画を撮る前でセックスチェック第二の性という男と女の中性のようなスプリンターを演じる今でいうLGBTまがいの傑作を撮る前の年である。金持ちのお嬢さんで背中に傷がある影のある男成田三樹夫に抱かれる。その翌年からの大人びた活躍からすると、彼女にとっても脱却の一歩となる作品だ。

あとここで注目したいのは脚本の池田一朗である。これは後の小説家隆慶一郎である。立教大講師までやったインテリで早死が惜しまれる「吉原御免状」などの傑作を書いていた。 これはめちゃくちゃ面白い。 そういった意味で奥が深い映画だとも言える。
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「傷だらけの天使 ヌードダンサーに愛の炎」中山麻理&萩原健一&水谷豊

2020-11-12 20:05:07 | 映画(日本 昭和49~63年)
傷だらけの天使は1974年(昭和49年)のテレビシリーズ

「太陽にほえる」で衝撃的死に方をした萩原健一をクローズアップするシリーズだ。深作欣二や神代辰巳などの映画界の鬼才を毎回監督として起用する。


「ヌードダンサーに愛の炎」市川森一の脚本、萩原健一、水谷豊、岸田森、岸田今日子というレギュラーメンバーと役者が揃ってメガホンを深作欣二が持つ。70年代の日本映画を代表する傑作「仁義なき戦い」と同時期の映像で、手持ちキャメラの躍動感が冴える。最高だ。深作欣二は「傷だらけの天使」では実際2作しか演出していない。シリーズにはいい作品が沢山あるがもっとも衝撃的作品だ。

毎週ゲストの美女が顔を連ねる。いろんなヌードが楽しめるシリーズだった。その週は中山麻理だ。演じるのがヌードダンサーで美しいバストを見せる。これを見て世間の男どもは皆圧倒された。ここでもストリップ劇場の観客席にいる岸田森が脱いだ姿を目の当たりにして目をまるくする。それにしても改めて見るとやっぱり凄い。見せる!!Amazonプライムで無料で見れる。


綾部事務所に財界の大物から依頼があった。上流の生活に飽き足らなくなった娘マリ(中山麻理)が家出をしたまま帰ってこないで、今はストリップ嬢になっている。どうもヤクザあがりの男である忠(室田日出男)に惚れているようだ。取り戻してくれないかという依頼だ。綾部事務所の辰巳(岸田森)は木暮修(萩原健一)にストリップ劇場の観客席で何とかとり戻せと依頼し、アキラ(水谷豊)と一緒に幕引きで劇場に勤めるようになる。

修は近づこうとしてマリと待ち合わせをするが、そこにベテランの踊り子が来たりして、夜のお相手で閉口する始末。忠とマリの関係は崩せそうにない。そんな忠がむかしの仲間とのイザコザに巻き込まれている様子であるが。。。

⒈中山麻理
自分が小学生の頃、サインはV巨人の星はクラスの誰もが見ていた。岡田可愛演じるユミのライバルで最初は同じチームだったブルジョアの娘である。見ようによってはツンとしている。巨人の星で言えば、花形満だ。途中でライバルチームに移籍する。当時誰もが椿麻理として中山麻理のことを知っていた。

傷だらけの天使が始まる前に、田宮二郎主演の「白い影」という渡辺淳一原作のTVドラマがあった。その時に、田宮二郎が勤務する病院のご令嬢で田宮二郎に言いよる役を演じた。この役柄はキツイイメージの金持ちのご令嬢である。サインはVからすると、若干イメチェンである。存在感はあった。


中山麻理は同じ時期にショーケンこと萩原健一のライバル沢田研二主演の映画「炎の肖像」でも爆乳を披露している。ただ、こんなにすごいものが服の下に隠されているとは知らなかった。早乙女愛と同じ衝撃である。

2.手持ちカメラの躍動感
深作欣二監督作品仁義なき戦いのヤクザたちの殴り込み格闘シーンでは手持ちカメラが躍動感ある映像を映し出している。この番組でも萩原健一と水谷豊がヤクザと大喧嘩をしてコテンパンにやられるシーンがある。手持ちカメラで乱闘を映し出す手法は同じである。手持ちなので映像はブルブル震えている。それが緊迫感を高める。まさにドタバタ劇をそれらしく見せる。

萩原健一まで死んでしまったので、ここにでている面々は岸田今日子、岸田森、監督の深作欣二をはじめとしてほとんど若くして鬼籍に入っている。深作欣二映画常連の室田日出男「ピラニア軍団」や「前略おふくろ様」で人気者になる直前である。

現役続行は水谷豊だ。頑張っている。彼がスター街道を歩むきっかけはこの作品で、「兄貴~!」萩原健一にからむのをTV「ぎんざnow」「素人コメディアン道場」でものまねをやってスターになったのが柳沢慎吾や関根勤や小堺一機など。学校でもみんなものまねやっていた。このシリーズでは最終回に至るまで情けない役柄が多い。ここでも中山麻理の言葉に翻弄される。今では考えられないくらいの振られ役だ。最後にストリップ劇場のかぶりつきで踊り子のご開帳を見るシーンがある。バックミュージックがなんと伊藤蘭がリードボーカルのキャンディーズ「危ない土曜日」だというのは偶然にしては今見ると出来過ぎだ。


中山麻理的にはGSで一世を風靡した沢田研二と萩原健一の2人とベッドシーンを演じられるわけだからまんざらでもないだろう。逆に世の女性ファンからは嫉妬の目で見られただろう。自分的にはこの時の中山麻理を手に入れた無名俳優だった三田村邦彦に羨ましいなあという気持ちをもっていた。

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アニメ映画「ウルフ・ウォーカー」

2020-11-08 19:42:16 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ウルフ・ウォーカー」を映画館で観てきました。


アイルランドの民話を元にしたアイルランドの制作会社カートゥーン・サルーンによるアニメ映画。眠ると魂が抜け出しオオカミになるという人間とオオカミの二面性をもつ「ウルフ・ウォーカー」がこの映画の主題である。

アニメ作品にはあまり関心がないが、週刊文春「シネマチャート」で自分がもっとも敬愛する芝山幹郎氏が最高点の5点をつけている。5月の「マリッジストーリー」以来半年ぶりの5点をつけたとなるとなると見に行くしかない。芝山幹郎氏が4点をつけると映画館に足を運ぶことが多いが、5点は特別だ。おかげで狭い映画館が満席だ。躍動感があるアニメ映像が続くと食い入るように見ている人が目立つ。

でも、アニメ作品の良さってなかなか難しいね。正直この映画の良さはわからなかった。滅多に観ないが、日本のアニメ映画では、線がもっと緻密になっている印象を受ける。風景もリアルだ。ここではフリーハンドのラインが基本である。野性味を出そうとしたのであろうがそこに違和感を感じる。

こうやって↓時にはオオカミに変身してみても、餌を探しに来た熊やイノシシが銃で撃たれるくらいだからこの世の中生きる場所は限られているだろうなあ。


中世という設定だが、銃や大砲がでてくる。日本に鉄砲が伝わったのが16世紀とすぐ連想できる。調べると14世紀くらいには性能はイマイチだけど銃も大砲もあるようだ。しかも、護国卿というのが人間社会の親玉だ。



世界史では近世のイメージがあるが、15世紀にイングランドで最初の護国卿が登場する。多くはいないので、この映画の時代設定も15世紀後半から16世紀くらいと考えるべきだろう。この時期こんな風景↓だったのかな?


イングランドからオオカミ退治の為にやってきたハンターを父に持つ少女ロビン


ある日、森で偶然友だちになったのは、人間とオオカミがひとつの体に共存し、魔法の力で傷を癒すヒーラーでもある “ウルフウォーカー”のメーヴだった。
メーヴは彼女の母がオオカミの姿で森を出ていったきり、戻らず心配でたまらないことをロビンにうちあける。母親のいない寂しさをよく知るロビンは、母親探しを手伝うことを約束する。翌日、森に行くことを禁じられ、父に連れていかれた調理場で、掃除の手伝いをしていたロビンは、メーヴの母らしきオオカミが檻に囚われていることを知る。
森は日々小さくなり、オオカミたちに残された時間はわずかだ。ロビンはなんとしてもメーヴの母を救い出し、オオカミ退治を止めなければならない。


それはハンターである父ビルとの対立を意味していた。それでもロビンは自分の信じることをやり遂げようと決心する。そしてオオカミと人間との闘いが始まろうとしていた。(作品情報より引用)

18世紀後半にはすでにオオカミはアイルランドから姿を消しているらしい。この映画であるようなオオカミ一斉退治でもあったかもしれない。それ自体で郷愁を感じるアイルランド人もいる気もした。

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映画「朝が来る」河瀬直美&永作博美&井浦新

2020-11-08 07:30:12 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「朝が来る」を映画館で観てきました。


「朝が来る」河瀬直美監督の新作である。子どものできない夫婦が望まれない出産をした子どもを養子縁組で引き取る。6年間育てたときに産みの母親から子どもをかえしてくれと連絡をもらうその顛末という話である。最近みたNetflixシリーズ「クイーンズ・ギャンビット(記事)で孤児を養女にする話が出てきたばかりで、身内にも幼いときの養子縁組みした人もいるので関心を持った。

想像したよりも情感こもったいい映画であった。辻村深月の原作はもちろん未読。井浦新、永作博美という芸達者が演じるので安心してみてられる。

建設会社で共働きの湾岸の高層マンションに住む栗原清和(井浦新)と佐都子(永作博美)の夫婦には子どもができなかった。病院で調べると夫が無精子症だということがわかる。一度は子どもを持つことを諦めたそのときに「特別養子縁組」という制度を知る。説明会で体験談を聞き、「ベビーバトン」の代表浅見(浅田美代子)に依頼する。そして、生まれたばかりの男の子を迎え入れることになる。


奈良に住む中学生の片倉ひかり(蒔田彩珠)はバスケットボール部の麻生巧の告白をうけて交際するようになる。やがて、中学生同士のお付き合いは急進展して二人は身体でも結ばれるようになる。その後、体調不良だったひかりが病院で診てもらうと妊娠していることがわかる。中絶するにも懐妊から時間がたっているのでできない。「特別養子縁組」で産んだ子どもを引き取ってもらうように親から言われる。学校には病気で長期療養ということで休み、広島の離島にある「ベビーバトン」の寮で同じような境遇の女性と一緒に暮らすようになる。そして、出産をして栗原家に子どもを授けることになる。


それから6年、夫婦は朝斗と名付けた息子と幸せな生活をしていた。ところが突然、産みの母親である片倉ひかりを名乗る女性から、「子どもをかえしてほしい。それが駄目ならお金をください」という電話がかかってくる。当時14歳だったひかりとは子どもの引渡をうけるときに一度だけ会ったが、訪ねて来た若い女には、あの日のひかりの面影がなかった。彼女は何者なのかという疑問が浮かんでくるのであったが。。。

1.養子縁組システム
データはないが、日本の養子縁組は一時代前の方が多かったのではないか?生まれるところでは10人近く産むお母さんがいる一方で、医療技術は今よりも稚拙で病弱な子どもしか生まれない親には養子が必要だったのであろう。最近は40歳くらいまで懸命に不妊治療で頑張ってダメな子なしの夫婦はよく見かけるし、養子縁組は少なくなったと思っていた。

ここでは子どもに恵まれない夫婦に、望まれない妊娠をした女性の子どもを授けるというシステムが語られる。浅田美代子演じる浅見代表は広島の瀬戸内海に浮かぶ離島の寮のようなところで、出産を待つ妊婦たちを預かる。そして、マッチング可能な栗原夫婦を子どもができるタイミングで広島に呼び寄せる。このシステムだと、生まれたときから籍は養父母の下に入るのだ。これははじめて知った。「共働きの夫婦の奥さんは会社を辞めて子育てに専念する。小学校に入るまでに本当の子どもでないことを告げる。」そういったルールがあるという。


素朴に感じたのは、報酬である。子どもをもらった方が支払うのはもちろんであるが、このマッチングサービスにどの程度の報酬を支払い、出産した母親に支払うのか?マッチングサービスで寮を持ってそこで生活するわけだからお金はかかる。その費用はどうなるのか?映画では何も言及されていないが、ビジネスモデルは気になるところである。

2.河瀬直美監督と出演者
カンヌ映画祭の常連である河瀬直美監督の作品はいくつか観ている。率直に言ってそんなにいいとは思わない。ブログに「2つ目の窓」しかアップしていないし、他はイマイチだったので没である。今回も期待していなかったが、さすがに題材に恵まれたのであろう。時間軸を前後に変化させる構成もよく、ロケハンにも成功して映像もきれいだった。

広島の離島での映像がとくによかった。毎回そうであるが、風の使い方がうまい映像を撮る監督である。今年度の代表作と評されるであろういい映画だと思う。

永作博美八日目の蝉(記事)で不倫相手の子を堕ろした後に衝動的に幼子を誘拐して4年育てたときの好演がよかった。今回も高く評価されると思う。若松監督作品の常連だった井浦新も無難にこなす。


意外だったのが浅田美代子だ。われわれは中学時代から彼女のことを知っている。かわいかった。「時間ですよ」の時から真の意味でアイドルだった。当時の週刊誌で浅田美代子がまたNHKのオーディションにまた落ちたとの記事があったのを思い出す。下手の代名詞のようだった。この映画一種のドキュメンタリー的な要素を持つが、彼女がまるでこの施設を経営しているかのようにセリフを語っている。へえ、こんなレベルが高いのかと驚いた。

ここから先はネタバレあり、映画を観ていない方は後にしてください。

3.ムカつく場面
子どもを産んだあとにひかりは故郷の奈良に戻る。やがてひかりは高校に入った後で地元で就職する。そんなときに親戚の寄り合いがある。みんなで酔っ払っているときに親戚のおじさんが「あの時はたいへんだったね」という。ひらりはムカつきおじさんを叩く。何でそんなことしゃべったのと、両親に向かっていう。その後で、母親が「親戚にいうのは仕方ないでしょう」とひかりをピンタするのだ。


これには観ているこっちの方がムカついた。こういうのは完全家庭内だけのシークレットでしょう。べらべらしゃべるようなことではない。しかも、母親はそのおじさんを責めるべきで彼女には罪はない。母親もおじさんも最低だ!その後彼女はもっと転落する。この物語の構図は原作の元ネタかもしれないがこちらをムカつかせる場面をつくるのは制作側のうまさだ。

4.迷彩の周到さ
原作をどうアレンジしたのかはなんともいえないが、「朝が来る」にはミステリー的な要素がある。子どもを帰してくれと訪ねてきた女は、息子朝斗の出産時にあった14歳の女の子とは似ても似つかない。夫は「あの時会ったけど、どう見ても違う。あなたは誰で何をしに来たのですか!」という。そして、警察が栗原家を訪ねてくる。神奈川県警のものですが、この女性に見覚えはあるかと。映画はそこから始まる。


予備知識のない自分は、だれかとグルになっているのかと思う。広島の離島で子どもを産むときに知り合った風俗嬢だった女、この女は神奈川で働いていた。横浜の新聞店では働いていたときに一緒に働く女、これは錯覚だったのか、最初は広島の離島で会った女と同一人物だと思っていた。しかも、この女がきている黄色いジャンバーは栗原家に来て面談するときと同じジャンバーだ。しかも、この女悪い奴で姿をくらまし、借金の保証人をひかりにさせるのだ。ひかりはいかがわしい借金取りに追われる。

最初の井浦新のセリフであの清楚だったこの子がこんな脅迫なんてするはずがないという。それが頭にあり、こちらも違う期待を持った。2人の別犯人を連想させるこれは巧みな迷彩である。

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Netflix「クイーンズ・ギャンビット」アニャ・テイラー=ジョイ

2020-11-06 20:01:12 | 映画(自分好みベスト100)
「クイーンズ・ギャンビット」 は2020年配信のNetflixシリーズもの


これはおもしろい!
何気なくNetflixのチャンネルからピックアップして、本来シリーズものは見ない自分だけどハマってしまった。2日間で6話をみて翌日最終話をじっくりみた。孤児院で育った自閉症的な気質をもつ女の子ベスがチェスに魅せられる。天才的なひらめきで気がつくと州の大会に勝ってしまい、より上の世界に挑むという話だ。

ともかく主人公であるアニャ・テイラー=ジョイ演じる女性チェスプレイヤーのベスに魅かれる。前髪を短くしたお茶目な顔は「アメリ」のオドレイ・トドゥのようで、対局でギョロと相手を見るときの目は安室奈美恵を連想する。ともかく応援してあげたい気持ちになれる女の子だ。そしてシリーズを通じて、スポーツ根性モノのような高揚感と天才をみる楽しさに満ちている。


1961年の ポール・ニューマン主演「ハスラー」の作者ウォルター・テヴィスが書いた原作があるということを見終わったときにはじめて知った。そうか!思わずうなった。ビリヤードとチェスと扱うモノはちがうにせよ、勝負事では共通。

ポールニューマン演じる腕自慢のビリヤードプレイヤーが強敵ミネソタ・ファッツと対決して敗れ、挫折し転落しているときに謎の女や怪優ジョージ・スコット演じる得体の知れないギャンブラーに会い復活の糸口を掴むという話だ。映画「ハスラー」はあらゆる面で傑作といえる。登場人物の性別が逆になったりするが、物語の構造としてはある意味「クイーンズ・ギャンビット」 に類似している気がする。


母の自動車事故の巻き沿いになって死に損なった8歳のベスはメスーエン養護施設に入れられた。ベスは教室の黒板消しをたたきにふと入った地下室で用務員シャイベルが遊んでいるチェス盤に目を惹かれる。思わず関心を持ち、シャイベルに駒の動かし方を聞くが教えてくれない。ところが、自力で駒の動かし方を覚えてしまい対決を挑む。当然負ける。

養護施設では精神の安定をはかるために緑色の薬が与えられていた。昼間に飲むと吐いてしまいそうな味だったが、黒人の友人から夜に飲みなよといわれ飲んでみる。すると頭が冴え、駒の置いてあるチェス盤が天井に浮かび上がり頭がオートマティックに操作してしまう。


やがてシャイベルにも勝てるようになる。毎日のように地下室に行き序盤の定跡を教わる。そして腕をあげて、シャイベルのチェス仲間ガンツを紹介される。そこでも勝ってしまったベスはチェス仲間の勤務する高校で10人の男子高校生とチェス盤で多面対局する。それでも楽々勝ってしまう。ただ、頭が冴えるのは緑の薬を飲むときだけである。その薬の隠し場所を見つけるが大量摂取で倒れてしまう。施設長からチェスは禁止された。 

やがて、養子をとりに養護施設にやってくるある夫婦がいた。ベスに会うと気に入ってもらい、その家に引き取られる。チェスを教えてくれたシャイベルとは別れることになる。素敵な家で自分の部屋も与えられ、夢のような生活になる。

そこでハイスクールに通うようになるが、周囲はいじわるい女の子たちばかりで仲間はずれにされる。1人でいることが多くなる。養母はチェス盤は買ってくれない。引き取られた家でも自分の頭で天井に浮かび上がるチェス盤の駒を動かすようになる。


ある時、州のチェス大会があることを知る。受付では女性部門はないよとか、本気で参加するのと言われるが、シャイベルを通じて借りた参加料を支払って対局に向かう。下レベル同士の戦いからスタートしたが、まだ14 歳の女の子と思って男性プレイヤーは舐めてかかる。ところが、すべてベスの返り討ちに遭う。そして決勝でも、なかなか投了しない強敵相手を挑発する。州チャンピオンになり賞金をもらう。


夫が出張に行ったままなかなか帰らず、金欠気味でイライラしている養母はチェスでお金をもらえるの?と喜ぶ。そして養母がマネジャーのようになってチェスの各種大会に参加するようになるのだ。

スタートはこんな感じである。これからベスのチェス・ストーリーが始める。まあこれからは見てのお楽しみとしよう。
ともかく強いわけだが、相手が強くなるにつれ沈滞する場面もある。自虐的な要素さえある。上昇、下降両方の多くの逸話をちりばめながら物語ができあがる。そこに絡むのはあるときまでは養母である。夫に去られ、酒やクスリに溺れる。この養母の使い方も上手い。

  ⒈チャラチャラ群れるそこいらの女と違う
もしかしてわれわれ男性は強い女の子が好きなのかもしれない。つらいことがあってすぐ泣く女は手に余す。日本の会社で多くみられるようになった総合職の女の子もすぐ泣く。泣けば解決するんじゃないかと思うくらい泣く。男から何かあればセクハラかパワハラになってしまう。最近はやってられない困ったことも多い。

でも、主人公ベスは違う。意地悪されてもいやな戦いがあっても泣かない。群がっている女の級友の中には入らない。男しかいないチェス対局の部屋にも一人で入っていく。そこでも堂々と相手と渡り合う。かっこいい!それでも停滞がある。気がつくと、自力で這い上がる。やがて酒や薬に溺れるときもある。破滅的でもある。そこにはやさしく包む男性もいるが、基本自力で立ち直れる。


このベスという子の個性に惹かれる。 ただ、そのベスがたった一度だけ涙をみせるときがある。
その場面が素敵だった。 

 ⒉物語の葛藤と友情
葛藤はストーリーの組み立てには欠かせない。チェスプレイヤーはほとんど男性で当然ライバルは男だ。舐めてかかられるが、ベスは徹底的に打ちのめす。逆に助けてくれることも多い。女性映画には女性同士の強い葛藤があるものだが、ここではウェイトが低い。高校で群がる女たちの仲間に入れてもらえなくても平気だ。学校でも会社でもよくいるいじわる女どもはどうでもいい。ベスは1人でいることには全然平気である。


しかし、肝心なときに女の友人が活きる。その存在の出現に驚く。
おー!こうくるかとうなった。

 ⒊60年代の空気が蔓延する
いかにもアメリカンスタイルのファッション、60年代を代表するアメ車、アメリカ風デザインの家、花柄のはいった素敵な壁紙が基調のインテリア。美術も衣装も非常にセンスがいい。特に最終章でベスが友人と乗るシボレーをみて子どもの時に憧れていただけにしびれた。でも、それだけではない。

州の中でのチェスマッチがやがてインターナショナルになる。当時は米ソ冷戦まっただ中である。チェスの強者が揃っているソ連との対決という構図もいい感じだ。実は1972年にアメリカのボビー・フィッシャーボリス・スパスキーに世紀の一戦で勝利するまでソ連以外の選手は世界選手権を勝っていない。しかも、1975年にソ連が奪還し、体制が崩壊するまでずっと勝ち続ける。そういう前提の中でウォルター・テヴィスがこの物語を書いたのだ。ある意味ボビー・フィッシャーが勝っていなければこの物語は存在しないと思う。個性的なこの主人公ベスをうまく誕生させたと言える。

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映画「パピチャ 未来のランウェイ」リナ・クードリ

2020-11-03 22:29:53 | 映画(フランス映画 )
映画「パピチャ 未来のランウェイ」を映画館で観てきました。


「パピチャ」はアルジェリアで暮らしたことのあるムニア・メドゥール監督が自身の体験も踏まえて製作した映画である。90年代イスラム教国アルジェリアで、政府とイスラムの急進派との争いが激化する中で、女性の服装が制約を受けることに反発をしてファッションショーを開催しようと奔走する女子学生にスポットをあてる。

もともと女性主導の映画でフェミニストが好きそうな印象があった。でも、アルジェリアでのロケということで、往年の名作「望郷」に映るカスバの街並みが急に頭に浮かび今のアルジェの町を見たいという欲求に気がつくと映画館に足を運ぶ。テロ的な場面が予想よりも多く、アルジェの景色はさほど楽しめない。景色を楽しんでいる場合じゃないだろということかも。

考えてみるとイスラム国家はコーランの教義に忠実なわけで、女性進出とは両立がむずかしい。その中でのへそ曲がり女子大生に焦点を当てるわけだから本国で公開されるはずはないだろう。無宗教の日本で日本の女性もみんなよかったねと思わせる映画だ。

1990年代、アルジェリアの首都アルジェ、学生寮で生活する大学生ネジュマ(リナ・クードリ)はファッションデザインが好きで授業中もデッサンを描いている。夜になると同室のワシラ(シリン・ブティラ)と寮を抜け出し、郊外のナイトクラブに行き遊びまくって自作の服も注文を受けている。だが武装した過激派のイスラム主義勢力の台頭によりテロが頻発する首都アルジェでは、ヒジャブの着用を強制するポスターがいたるところに貼られている。それにはネジュマは強く反発していた。


そんな時、ネジュマの仲の良い姉が急進派の女性にいきなり殺されてしまう事件が起きる。ネジュマは落胆するが、なんとか立ち直ろうと、伝統的な衣装布である5m四方のハイクをつかってファッションショーを企画する。黒いヒジャブをかぶった保守的なイスラム教徒の女性の妨害をうけながらも開催に持ち込もうとするのであるが。。。

⒈アルジェリア内戦と宗教の恐ろしさ
そのもののアルジェリア独立戦争のことは知っていても、同時代だったにもかかわらず“暗黒の10年”と呼ばれる90年代のアルジェリア内戦のことはよくわからない。反政府の急進イスラム勢力が台頭して内戦を起こし、相当数のアルジェリア国民が亡くなったという。この映画の中でも、悲劇的結末を迎えた人が多い。宗教は恐ろしい。


⒉イスラム教の女性蔑視
イスラム教の聖典コーランでは女性は男性より劣位にあり、保護される存在だとされる。資力がなければ成立しないが、一夫多妻もありうる。これをもってイスラム教は女性蔑視の宗教とされるが、世のフェミニストはこれをどのように思っているのであろうか?

一夫多妻というのは医療事情のレベルが低いことで、男子を残すために長い歴史を通じて究極の提案だったのであろう。日本だって明治の初期は医療事情が悪く、明治天皇は多数の女官と床をともにして大勢生まれたのにもかかわらず、まともに育った男子は女官柳原愛子が生んだ大正天皇くらいなものだった。発展途上にある国々の医療事情は一昔前の日本レベルの可能性だってある。


この映画でも女性の服装や行動は強制されている。髪を黒いヒジャブで包むことを強要する。コーランでは男女それぞれの立場にそってというその記載は科学が進んでいない時にはある意味合理的な部分もあると思う。今われわれが普通に代数をつかっている数学はファーリズミーによるものでイスラム諸国で生まれているし、本来はもっと現代的になってもいいのに毎回コーラン原理主義に押し戻された可能性もある。

3.ネジュマの恋と矛盾
主人公ネジュマは、理解してくれる若者メディに恋をした。フランスへ行く彼から求婚を受けているシーンがある。もうこの国にいても仕方ないから一緒について行ってくれと言われる。でもネジュマは拒絶する。「自分はこの国が好きだし、知らない国には行きたくない」といってその場を去る。

でも、これって監督矛盾していない??と感じる。だって、アルジェリアはほとんどイスラム教徒である。その教義に沿って生きていくのが自然で逆らうならイスラムを棄てて行くしかないのだ。そもそもネジュマがおかしいし、そのくせ結局監督はアルジェリア逃げ出しているんでしょ。なんかこれって変だと思う。


最後に向けてはこういうシーンが用意されているとは思わなかった。単純に終わらせないところはお見事だ。

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映画「煙突の見える場所」田中絹代&上原謙&高峰秀子&芥川比呂志

2020-11-02 18:29:50 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「煙突の見える場所」を名画座で観てきました。


「煙突の見える場所」は昭和28年(1953年)公開の新東宝映画であり、キネマ旬報ベストテン4位の高評価だ。映画史の中ではたびたび映し出される千住にあったお化け煙突がまさに題名になる作品で、DVDはレアでこれまでご縁がなかった。田中絹代上原謙の夫婦が住む家に、同居人の芥川比呂志と高峰秀子が絡む。

まだ戦後を引きずる街の風景はどれもこれも貴重なシーンでそれを見るだけで価値がある。上原謙成瀬巳喜男作品「めし」同様のダメ親父ぶりである。それぞれの演技は特筆すべきはない。昭和20年代の世相を楽しむだけである。千住だけでなく上野界隈から昌平橋あたりもでてくる。


戦災未亡人の弘子(田中絹代)と緒方(上原謙)夫妻は、千住のお化け煙突が荒川河川敷の反対に見える長屋の貸家に住んでいる。2人が住む2階には役所で税金の取立てをしている久保(芥川比呂志)と上野で商店街の買い物アナウンスをしている仙子(高峰秀子)がふすまを隔てて住んでいる。まだ結婚して1年半の緒方と弘子がイチャイチャしていると、仙子が帰って来てお互い沈黙するという窮屈な状態だった。

緒方は弘子が良かれと思って競輪場でバイトしているのも気になって仕方ないセコい男。そんなある時、2人が家に帰ると部屋に赤ちゃんが横たわっていた。そこには置き手紙と戸籍謄本があり、元夫の塚原と弘子との子供と記載がしてある。結婚して2人だけの生活をしているのに子供がいるはずがない。それに緒方と弘子も婚姻届がしてあり、手元に戸籍謄本がある。

それを見て緒方はこれは二重結婚になるので、刑法上の罰を受ける可能性があると、捨て子を警察に届けようとするのを止める。しかし、赤ちゃんは泣き止まず、4人とも睡眠不足になる始末である。


赤ちゃんをどうするのかで緒方と弘子は大げんかして弘子は荒川に飛び込みかねない勢いだ。それを見かねて久保が役所を休んで元夫の塚原を探しに出る。でもなかなか見つからない。やっとのことで塚原(田中春雄)が見つかったが、競輪狂いで金がない。塚原を見捨てた子の母親勝子(花井蘭子)は小料理屋の女中で子供の世話ができる状態にない。そのうちに当の赤ちゃんは急激に具合が悪くなり、往診の医者に手が負えないと言われるのであるが。。。

⒈お化け煙突と下町
お化け煙突は4本建っているが、見る場所によって1本にも2本にも3本にも見えるというのがお化け煙突たる所以と映画で解説ある。これは知らなかった。荒川河川敷近くの長屋はいろんな物語の舞台になる。お化け煙突まで加わると絵になる。台風が来たりして川が氾濫すると一気に水没するようなところだ。


そこの家主は法華経を朝から新興宗教のように集団で唱えている婆さんだ。創価学会の前身みたいなものか。長屋の中にはラジオ屋もあり、近くの商店街に買い物に出ればチンドン屋もいる。店構えは看板が大きな文字で書いてある前近代的看板だ。

東京の商店街でもそれぞれの店を紹介するアナウンスって昭和50年代過ぎてもあったような気がする。高峰秀子はそのアナウンス嬢だけど、いい給料なんてもらえないでしょう。上原謙は足袋問屋に勤めている。ラジオ屋同様に消えた仕事である。上原は家に持ち込んで仕事するが、田中絹代に読み上げさせてそろばんで集計する。まあ、昭和50年代に入るくらいまではこれでしょう。

⒉社会の底辺にいる生活と今だったらありえないこと
緒方夫妻が住む長屋の家賃は3000円だという。自転車屋は特売で650円で自転車を売っている。何より夫婦が一階に住んでいる2階に別々の下宿人がいるという姿が異様だ。血が繋がっている親族ならともかくアカの他人同士がこういう住み方をしているというのを自分は知らない。これが下町なのか?高峰秀子の部屋の窓にあるカーテンは東京ボン太のトレードマーク唐草模様であるのに思わず吹き出す。


小遣い稼ぎに田中絹代競輪場でアルバイトする。小津安二郎の「お茶漬の味」にも競輪場のシーンが出てくるが、昭和20年代は割といろんな映画で見かける。どの映画を見ても競輪場が超満員であるのに驚く。何よりすごいのが、田中絹代のバイトとは当選券の払い戻しを競輪場の場内で弁当屋みたいに歩き回っているということ。一緒にバイトやっているのは自分たちが若い頃のおばあちゃん役浦辺粂子である。ギャンブラーのど真ん中で金持ち歩いて大丈夫?金とられない?むしろ心配だ。映像は美濃部都知事がなくした後楽園か松戸かどちらかだろう。

赤ちゃんを田中絹代の家に置いたのは、競輪場にたむろう元夫がバイトしている田中絹代を見つけて、どこに住んでいるのかと同僚の浦辺粂子に聞きわかるということだが、まあこれも現代では絶対ありえないことでしょう。

そもそも戸籍上の婚姻が二重になってしまうというのが、その当時ありえたのか?夫の死亡届けってどうなの?当然元戸籍の役所への確認があるわけだが、もしありえたとしたら凄い話である。脚本は「生きる」で役人を描いた小国英雄である。いずれにせよ、戦災未亡人は現在日本では死語である。高峰秀子はこののち11年後に成瀬巳喜男作品「乱れる」で戦争未亡人を演じるが、あと10年強は戦後を引きずっていた。
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