映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「密偵」 ソン・ガンホ&鶴見辰吾

2017-11-23 17:50:05 | 映画(韓国映画)
映画「密偵」を映画館で観てきました。


1910年の日韓併合以降における日本占領下の朝鮮を描いた映画作品が増えている。今年は「お嬢さん」も上映された。しかも、トップスターソン・ガンホが独立運動の首謀者を取り締まる日本警察の朝鮮人幹部を演じるとならば、おもしろそうだ。日本からは朝鮮総督府の幹部ととして鶴見辰吾が登場する。

結果、期待ほどではなかったかな?という感じだが、日本警察の幹部となったソン・ガンホが朝鮮人を取り締まる時、朝鮮人民としての心の矛盾をうまく描いている。本人は日本上映時に自分の日本語を聞かれるのを不安がったという日本語には字幕もついていたが、結構上手だった。

朝鮮人でありながら日本の警察に所属するイ・ジョンチュル(ソン・ガンホ)は、義烈団を監視しろ、 と部長のヒガシ(鶴見辰吾)から特命を受ける。


義烈団のリーダーであるキム・ウジン(コン・ユ)に近づき、 ウジンと懇意になるジョンチュル。しかしそれは、義烈団の団長チョン・チェサン(イ・ビョンホン)が イ・ジョンチュルを“義烈団”へ引き込むための餌だった。 義烈団と日本警察の情報戦が展開する中、義烈団は上海から京城(現ソウル)へ向かう 列車に日本の主要施設を標的にした大量の爆弾を積み込むことに成功。敵か味方か、 密偵は誰なのか、互いに探り合いながら爆弾を積んだ列車は国境を越えて京城へ向かうが、 そこで待っていたのは・・・。 (作品情報より)

ワーナーブラザーズ制作となっているので、予算はかけられたのであろう。1920年代を再現したというセットはよくできている。しかも、ソン・ガンホの日本語がまともなので、日本人が見ても不自然さは感じない。

クライムアクションは韓国が最も得意とする分野だ。ただ、これは歴史もの。時代背景的には日本の軍部も強く、映画の結末に独立とかにはならないはずなので、どういう持って生き方をするのかと思っていた。若い人はあまり関係ないだろうなあと思うんだけど、最近とみに反日の雰囲気がただよわせる韓国世論を満足させる結末が必要なはずだ。まあこんなところだろうなあ。


韓国映画いつもながらの残虐シーンは用意されている。鶴見辰吾演じる日本人上司に命じられソン・ガンホが独立運動の特殊組織に属する女(ハン・ジミン)を拷問するシーンは目をそむけざるを得ない相変わらずのえげつなさだ。あとは、列車内でのソン・ガンホと同じ日本警察の男橋本との格闘シ-ンもその前の密偵を探る緊迫感のある攻防を含めてなかなか迫力ある。でも、そのくらいかな?それでも一応は楽しめる。イ・ビョンホンはここではあまり存在感はない。
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映画「下町(ダウンタウン)」 山田五十鈴&三船敏郎

2017-11-22 18:13:12 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「下町(ダウンタウン)」(昭和32年:1957年)を名画座で観てきました。

「流れる」の併映である。「蜘蛛巣城」「どん底」三船敏郎と山田五十鈴の共演があるが、ほぼ同じ時期にこんな映画がつくられていたとは知らなかった。DVDもないようだ。映画は出征した夫を待つ女が、ふとしたことで労務者の男と知り合うという話である。

戦後4年たった東京下町、静岡から上京したりよ(山田五十鈴)は茶の行商をしているが顧客はなかなかいない。シベリヤから還らぬ夫を幼い留吉と共に待っていた。葛飾を行商中に鉄材置場の番小屋の男鶴石(三船敏郎)と出会う。彼女を小屋に入れ火にあたらせ、茶まで買ってくれた。彼はシベリヤからの復員者だった。

りよは下谷稲荷町の幼友達きく(村田知英子)の二階を借りている。きくは療養所の夫のため闇の女をしている玉枝(淡路恵子)へ部屋を貸し、客の世話をしてその上前をはねていた。きくはりよにもそういう商売をしたらと持ちかけてくるが、客に声をかけられたとき、そんな話は聞いていないといった。その夜、おきく夫婦と玉枝は売春の疑いで警察に呼ばれた。


鶴石に留吉もなついているので、三人で一緒に浅草へ遊びに行った。激しく雨に降られ、三人は小さな旅館で休んだ。夜半、鶴石が彼女にささやきかけてき、抱こうとした。りよは一瞬抵抗したが、再度迫られたとき心は崩れ、りよの方から男の首を激しく抱いた。翌朝、鶴石は面倒を見てくれると言って別れたあと、しばらくして鶴石の事務所へ行くと、彼の姿が見えないのであるが。。。

1.林芙美子
この時代設定は昭和24年である。自らの半生を描いたといわれる「放浪記」をみると、若き日から相当苦労したようだ。「浮雲」で仏印から帰国後身を落としながらも一人の男と腐れ縁の恋をする女を高峰秀子が演じる主人公にしても、ここで山田五十鈴が演じる主人公にしてもなんか切ない女である。

女性の地位が低いので、今のように大学卒の女性総合職として、下手をすると男より稼ぐ女はその当時はいない。仮に学があってもまともな仕事にありつけないこともある。いきなり、山田五十鈴が飛び込みで住戸をまわり、お茶はいりませんか?と行商する姿が切ない。昭和24年前後にはこういう女はいっぱいいたんだろう。いろいろ言うけど、今は誰もが幸せだ。

2.山田五十鈴
演技は本当にプロ中のプロである。戦争未亡人とほぼ同じようなつらい思いをしている女を上手に演じる。なかなか売れない行商でつかれている時にやさしくしてくれる男ができた。出征した夫を待つ身でありながら、魅かれた男と結ばれるなんて、どちらかというと日活ポルノみたいなストーリーである。「いけないわ!」と言いながら、夜這いで迫る三船敏郎の身体を両手でぐいっと抱きしめるシーンが妙に情感をおぼえる。


青空文庫に林芙美子「下町」はあった。でもかなり短い短編である。多作で身をつぶしたといわれる林芙美子があくせく書いた一作なんだろう。淡路恵子演じる身を売る女や売春の斡旋をされそうになる多々良純の存在など映画もいくつかの設定を加えているが、それでも短い。本来であれば、その後の主人公の行方まで描いてもいいんだろうけど。しかし、林芙美子は若くして昭和26年に亡くなっている。あと10年生きてくれれば、短編がつなげられたのにと思う。
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映画「流れる」 山田五十鈴&田中絹代&高峰秀子

2017-11-19 21:19:15 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「流れる」(昭和31年:1956年の作品)を名画座で観てきました。


山田五十鈴をはじめとして、当時の日本を代表する名女優がここまでそろった女性を中心とした映画も珍しい。幸田露伴の娘幸田文の原作を成瀬己喜男監督で映画化した。

以前観たことがあり、ストーリーの概要も頭に残っている。今年8月柳橋の名門料亭「亀清楼」で接待を受けたことがあった。神田川が隅田川にそそぐその角に「亀清楼」はある。そして、その前にあるのがまさしく柳橋だ。8代目という美人女将のご挨拶を受けた後、芸者遊びをしたが、残念ながら柳橋にはもう置屋がないのか?大井に置屋があるという芸者衆からおいしい杯をいただき、芸を楽しんだ。

亀清楼と柳橋↓


亀清楼から観た隅田川


そんな訳で山田五十鈴生誕100周年記念の名画座の映像は見逃せなかった。映画がはじまると隅田川の映像とともにすぐさま今も同じ柳橋の映像が映る。高峰秀子こそ洋装だが、まだみんな着物を着ている。昭和30年前半の様相を見せる。建物の感じといい、昭和40年代前半くらいまでの東京を連想させる映像を食い入る様にみた。やはり歴史に残る作品だと思う。

東京柳橋でもともと売れっ子芸者だったつた奴(山田五十鈴)が営む芸者置屋は時代の流れをうけ、少しづつ没落しつつあった。そこに中年の梨花 ( 田中絹代 ) が職業あっせん所の紹介を受け、住み込みの女中としてやってきた。そこには男に捨てられ出戻ったつた奴の妹(中北千枝子)とその娘不二子とまだ結婚していないつた奴の娘勝代(高峰秀子)が同居している。芸者置屋には住み込みの芸者なゝ子(岡田茉莉子)となみ江、そして通いの染香(杉村春子)がいた。

勝代が気にくわないといってなみ江をいびり、なみ江は千葉の鋸山にある田舎に帰ってしまった。すると、なみ江側から不払い賃金だとばかりに30万円が請求されてきて、つた奴は驚く。しかも、なみ江の親類という男(宮口精二)が押し掛け来たのだ。乾物屋の支払いも滞るほど金に困っている置屋であるが、生活のレベルは下げられない。つた奴の姉(賀原夏子)がいい旦那を紹介しようと、鉄鋼会社の重役を芝居の劇場であわせるが、その場に先輩芸者で今は料亭吉野の女将であるお浜(粟島すみ子)がいることに気づき、つや奴が立ち去り、その話もだめ。しかし、月末の金策に困りそのお浜の料亭に行き、相談をもちかけるのであるが。。。

1.柳橋の雰囲気
バックグラウンドミュージックであるかのように、太鼓や三味線が流れる。今でも東京の一部に同じような表情をした路地裏の横丁が残っているが、ここで映る町並みがある意味戦後東京の原風景であろう。当然、戦災で焼けたはずだから、戦後約10年で再構成された町なわけだ。セットもあるとは思うが、この風景の中で着物を着た女性たちが今よりもすこし丁寧な東京言葉で話しているのを聞くと、明治生まれの祖父やいつも着物姿だった祖母がまだ生きていた昭和40年代前半に戻ったような錯覚を覚える。


2.わがままな女たち
もともとは芸者になろうとしたけど、人に頭を下げるのがイヤで家にいるつた奴の娘勝代(高峰秀子)は本当に嫌な女だ。比較的この映画の直近で作られた映画も随分見ているが、ここまで人をいびるイヤな女は演じていない。芸者に夜のお座敷で働いてもらわないと、自分の飯のタネにならないと思わないのか?と言ってやりたいが仕方ない。

置屋があってこそ、芸者は宴席に派遣される。置屋が上前を撥ねるのは仕方ない。それでも文句が出る。ちょっと上前が多すぎるんじゃないかと。しかも、セリフからいうと、客とねんごろになるような結構きわどい話もあるように聞こえる。まだ売春防止法は施行されていない。その中でなゝ子(岡田茉莉子)のふるまいは売れっ子を連想させるが、昔の知り合いに会いに出て行き泊まったあと、あいつタダでやろうとするのが気にくわないなんてきわどいセリフがでてくる。芸者は夜の付き合いも当たり前だったのかな?



つた奴(山田五十鈴)も見栄っ張りだ。こんだけ落ちぶれているんだから、出戻りの妹や自分の娘に家事をやらせればいいものを、家政婦を雇ってしまう。これがこの当時の花柳界の常識なのであろう。最初この映画を観たときに、ずいぶん外に出前を頼むんだなあと思ったのを覚えていたが、改めて今回すしや丼ものやそばなどを繰り返しどうでもいい時に頼むのを見て、これじゃ落ちぶれるのも当然だと思ってしまう。

3.山田五十鈴の色気と粟島すみ子の貫禄
とはいうものの山田五十鈴が発するオーラはすさまじいものがある。自分が小さい時にもうすでに年を取っていたので、色っぽさなどは全然感じなかった。この時代比較的直近の黒沢明作品の「どん底」や「用心棒」でも女親分の感じで、色気を感じない。白黒の画面でもここでの艶っぽさにはドキッとしてしまう。三味線を巧みに操るシーンも多々出てくる。まさに山田五十鈴をクローズアップするための映画だ。自分も年を取ったのか。


映画創生期の大スター粟島すみ子成瀬己喜男監督のたってのお願いで出演している。山田五十鈴の先輩芸者で今は料亭の女将といった役をやらせるとなると、きっと限られるのであろう。こんな貫禄はちょっとやそっとではでない。

流れる
昭和の名女優たちによる女の映画
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映画「ザ・サークル」トム・ハンクス&エマ・ワトソン

2017-11-12 20:20:08 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ザ・サークル」を映画館で観てきました。


トムハンクスの新作は予告編で観て気になっていた。SNSで自分の生活そのものが24時間が世間にさらされるなんて話は、現代におけるIOT系の発展で真実味がある。今回のトムハンクスはSNS企業「サークル」のトップだが、いかにも新興宗教の親玉のようなふるまいをする。


映画の出来は別として「ブレードランナー2049」を観たときは、正直本当にこうなるかな?と思うことばかりなのに対して、「ザ・サークル」でのいくつかの逸話はあっという間に実際そうなるのでは?とリアル感があるところがいい。観終わって映画評を見ると、あまりよくないようである。自分的にはこんなこと本当に起こりそうで気になってしまうし、むしろ鑑賞を勧める。


世界No.1のシェアを誇る超巨大SNS企業“サークル”。憧れていたこの企業に採用された新人のメイ(エマ・ワトソン)は、ある事件をきっかけに、カリスマ経営者のベイリー(トム・ハンクス)の目に留まり、新サービス“シーチェンジ”のモデルケースに大抜擢される。それは、サークルが開発した超小型カメラを使って、生活のすべてを世界中にシェアするというものだった。自らの24時間をカメラに晒したメイは、瞬く間に1000万人超のフォロワーを得て、アイドル的な存在となるが……。(作品情報より)

もともとは身体の不自由な父親と母親と三人でうだつの上がらない生活をしていたエマ・ワトソンが、親友アニー・アレストン(カレン・ギラン)の誘いで大きなSNS企業の中途入社試験を受け合格する。高額賃金の会社でクリエイティブなメンバーと仕事をはじめる。


そこでは、独自のコミュティが形成されており、仲間から休日であっても一緒に過ごすことを勧められる。この連中が新興宗教にそめていく急進的な信者のような体裁をとる。
田舎でカヌーを漕ぐのが趣味だったエマ・ワトソンが深夜に海でカヌーを漕ぐ。荒海で海に飲み込まれあわや死んでしまうのをシーチェンジのカメラが察知したおかげで助かるし、父親が難病で具合が悪いというのをコミュニティのネットワークが助け舟をだし、急激によくなる。


それがきっかけで一気にシーチェンジにはまっていくし、死に損なったおかげで存在をトムハンクスに知れ、ある指令を受けるのだ。これからはネタバレになるので抑えるが、どれもこれも近未来に実現可能と思われるものである。重罪を起こして逃げている女性を10分で見つけてしまう光景はしびれるし、人権の問題は残っているが十分ありうる。

中途半端なストーリーのようだが、面白い要素は多々ある。
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映画「ノクターナル・アニマルズ」 エイミー・アダムス&ジェイク・ギレンホール

2017-11-04 19:41:48 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ノクターナル・アニマルズ」を映画館で観てきました。


ファッション・デザイナーのトム・フォードが監督だ。視覚的に楽しめそうな映画という先入観で映画館に入る。当然、エイミー・アダムス、ジェイク・ギレンホールいずれもこのブログで再三取り上げているおなじみの俳優であることも観に行く大きな理由である。

時代の軸を少しづつずらして、エイミーアダムスの生活を映し出す。同時に主人公に送られてきた元夫の著書の内容を追っていくストーリーを映像にする。その物語は緊迫感を持って流れていく。スティーブン・スピルバーグの「激突」クウェンティン・タラティーノの「デス・プルーフ in グラインドハウス」がもつ怖さを連想させる小説の内容である。それをフォローするアベル・コジェニオウスキの音楽も緊迫感を助長する。ペドロ・アルモドバル監督作品で音楽を担当するアルベルト・イグレシアスのテイストだ。


同時にアートギャラリーの経営者を演じるエイミー・アダムスの周辺を美しく映す。美術衣装および色彩設計は実にお見事である。ロケする住宅もすげえ家だ。映画というのはストーリーだけではない。それだけだったら、小説で読めばいい。プロットを中心に視覚、聴覚でどう観客に訴えるかということが大事だと改めて教えてくれる作品である。


スーザン(エイミー・アダムス)はアートギャラリーのオーナー。夫ハットン(アーミー・ハマー)とともに経済的には恵まれながらも心は満たされない生活を送っていた。ある週末、20年前に離婚した元夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から、彼が書いた小説「夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)」が送られてくる。


夜のハイウェイの運転中に、レイ(アーロン・テイラー=ジョンソン)らに襲われるトニー(ジェイク・ギレンホール二役)とその妻(アイラ・フィッシャー)と娘(エリー・バンバー)。家族を見失ったトニーはボビー・アンディーズ警部補(マイケル・シャノン)と共に行方を探す。


彼女に捧げられたその小説は暴力的で衝撃的な内容だった。彼はなぜ小説を送ってきたのか。


いきなり、強烈に太った女性が 裸で踊る姿がオープニングだ。何これ?と見始める。アートギャラリーの陳列みたいだが、これもよくわからない。

1.我々に起こさせる錯覚
エイミー・アダムスが元夫から送られた小説を読み始める。時代が遡って、ジェイク・ギレンホールが家族と運転する車が、チンピラの乗る車に挑発されるシーンが出てくる。ここで我々を1つの錯覚に導く。この車に乗っているのが、妻であるエイミー・アダムスとその娘ではないかと。自分の嫌な思い出をつづっているかのように。途中までそう信じて、妻と娘が行方不明というけど、違うのでは?今、生きているじゃないと。この錯覚があるから、この映画の緊張感がもっている。


最後のエンディングロールで、アイラ・フィッシャーというクレジットを見つける。あれ?彼女が主演の「お買い物中毒な私」ってブログアップしたことあったっけ。「グランドイリュージョン」の一作目でも水槽トリックを演じていたよね。暗めに車の中をとらえていたので、てっきりこの車中の人をエイミー・アダムスだと思ってしまった。でも似ているよね。この2人

2.二人のなれそめと妨害するもの
この小説を送った意味を観ているものに考えさせる設定にしているのであろうか。映像はテキサスから大学進学時に出てきた旧知の2人がニューヨークで再会して付き合いはじめるシーンを映す。2人はアイビーリーグの名門大学にいずれも通うという設定で、あえてジェイク・ギレンホールは正統派アイビールック風にボタンダウンシャツを着ている。もともと惹かれあっていたのだ。


このあと、名優ローラ・リニーエイミー・アダムスのお母さん役で出てくる。セレブ役をやらせるとうまい。彼女が二人の結びつきに徹底的に反対するのである。これが二人の別れと結びつくと想像させるのであるが、露骨には映画ではそれを見せない。今は、エイミー・アダムスの家庭はうまくいっていない。というよりも夫が浮気をしている。映画では露骨に示す。どんな意味があるんだろう。

なぜ小説を送ったかは、どっちにもとれる内容である。ネタバレにならないように自分の見方を言うと、自分なりには復讐と感じる。だからこそあの終わり方をするのだと思う。最後に着飾ったエイミー・アダムスが向かうレストランの和風を織り交ぜたインテリアはすばらしく、ウィスキーロックを淡々と飲むエイミーアダムスの姿が目に焼き付く。

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映画「彼女がその名を知らない鳥たち」蒼井優&阿部サダヲ

2017-11-03 18:35:49 | 映画(日本 2013年以降主演女性)
映画「彼女がその名を知らない鳥たち」を映画館で観てきました。

共感度ゼロのイヤな奴ばかりが出ているという宣伝フレーズが気になる。着々と実績を重ねている蒼井優、阿部サダヲ2人の新作は見逃せない。ストーリーの大枠を確認せずに観た。映画を見始めると、雑然とした部屋の中でクレーマーぽい電話をかけている蒼井優と彼女のご機嫌とりに躍起になっている阿部サダヲがクローズアップされている。ともにいつも通りの好演、それに竹之内豊と松坂桃李が加わる。

白石和彌監督「凶悪」「日本で一番悪い男」で男をあげた。確かに両作ともいい出来である。勢いに乗って日活ポルノ「牝猫たち」をつくったが、低予算ということもあるけど、これはもう一歩かな?でもそこで培ったノウハウで、蒼井優に今まで以上に大胆なベッドシーンを演じさせる。よくやるな!と自分にも思わせるけど、バストトップが見えそうで見えないのが残念。


15歳年上の男・陣治(阿部サダヲ)と暮らしながらも、8年前に別れた男・黒崎(竹之内豊)のことが忘れられずにいる女・十和子(蒼井優)。不潔で下品な陣治に嫌悪感を抱きながらも、彼の少ない稼ぎに頼って働きもせずに怠惰な毎日を過ごしていた。ある日、十和子が出会ったのは、どこか黒崎の面影がある妻子持ちの男・水島(松坂桃李)。彼との情事に溺れる十和子は、刑事から黒崎が行方不明だと告げられる。


どれほど罵倒されても「十和子のためだったら何でもできる」と言い続ける陣治が執拗に自分を付け回していることを知った彼女は、黒崎の失踪に陣治が関わっていると疑い、水島にも危険が及ぶのではないかと怯えはじめる。(作品情報より)


2人の二枚目もここでは確かにイヤな奴だ。蒼井優はその昔竹之内豊のことが好きだった。しかし、この男は商才がない。借財もあるようだ。金の無尽だけでなく、借金のカタにスポンサーと寝てくれというくらいの男だ。とんでもない。松坂桃李蒼井優がクレームをつけたデパートの時計売り場の社員、いい男なんで、女性も態度を変える。そして、松坂桃李には妻がいるにもかかわらず、蒼井優に近づいていく。でもそれは単なる性欲処理にすぎない。2人とのベッドシーンはたびたび訪れる。


ストーカーに近い相手のことが気になって仕方ない男ってたまにいる。阿部サダヲ扮するこの男はかなり執着心が強い。15歳も違うと、可愛いさ余ってかわいがるということもある。でも、生活費は男が持っているにもかかわらず、蒼井優扮する同居人は全然男を相手にしない。それでも、女性に性欲がある時には、指で愛撫していかせてあげる。そんな関係だ。男ができたと阿部サダヲにわかった時は2人のデートを尾行するのだ。マシな人は誰もいないと言うが、自分から見たら阿部サダヲ扮する主人公はまともな方だ。今回は阿部サダヲのしつこさが見ものである。


最初はミステリーの要素があるように思えなかったが、ある時から行方不明になった竹之内豊が本当は殺されたんじゃないか?と観客に感じさせる匂いを持たせる。それも阿部サダヲに。それくらい交際相手に執着する姿にヤバさを覚える。そう観客に感じさせるように思いっきり引っ張り、方向性を変える。意外な展開にそう持ってきたのねと感じさせるのはうまい。

この脚本は「ラブジェネレーション」などのラブコメの脚本で名高い浅野妙子である。最後に向けてはちょっと甘すぎかな?

凶悪
白石監督のクライムサスペンスもの
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映画「ブレードランナー2049」ハリソン・フォード&ライアン・ゴズリング

2017-11-03 08:56:51 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ブレードランナー2049」を映画館で観てきました。


もともと未来ものは苦手である。子供のころからSF小説は読まない。飛躍がありすぎると、本当にそうなるのか?と思ってしまう。逆に歴史好きだったせいもあるのか、むしろ過去にあった事実を探る方が好き。それもノンフィクションのほうがいい。それでも、予告編に映るハリソン・フォードの姿を見ると、好奇心をそそられる。

結果的に言えば、つまらなかった。映像表現が素晴らしいという声が聞こえてくるので、大画面スクリーンの映画館で前方に座って見た。確かに見ごたえはある。「ダンケルク」の時も素晴らしいと思ったが、緊張感を持たせるハンス・ジマーの音楽はいい。デイヴィッド・リンチ監督の作品を思わせるようなずっしりくる音楽がジーンと響きわたる。でも話にまったくなじめない。これは好みなので仕方ない。

前作では日本びいきのリドリー・スコットらしい日本の夜の繁華街らしき映像が目立った。新宿のしょんべん横丁や歌舞伎町の街を意識している。今回も同様に登場するが、一度は荒廃しきったという前提でこういう感じが残るのか?疑問が残った。


2049年、貧困と病気が蔓延するカリフォルニア。人間と見分けのつかない《レプリカント》が労働力として製造され、人間社会と危うい共存関係を保っていた。危険な《レプリカント》を取り締まる捜査官は《ブレードランナー》と呼ばれ、2つの社会の均衡と秩序を守っていた―。LA市警のブレードランナー“K”(ライアン・ゴズリング)は、ある事件の捜査中に、《レプリカント》開発に力を注ぐウォレス社の【巨大な陰謀】を知ると共に、その闇を暴く鍵となる男にたどり着く。


彼は、かつて優秀なブレードランナーとして活躍していたが、ある女性レプリカントと共に忽然と姿を消し、30年間行方不明になっていた男、デッカード(ハリソン・フォード)だった。いったい彼は何を知ってしまったのか?(作品情報より)

ドゥニ・ビルヌーブ監督には「灼熱の魂」であっと言わされた。ものすごい傑作である。その後も作品を追いかけている。出演者には自分の好きな俳優がそろっている。ハリソン・フォード「刑事フック」「逃亡者」といったサスペンスものや「インディージョーンズ」シリーズを通じてずっとファンである。近年出番の増えたライアンゴズリング「ドライブ」「ラ・ラ・ランド」で一層好きになる。

2人ともここでの演技は全く悪くない。荒廃しきったラスベガスと思しき建物で2人が出会うシーンは個人的には感動的だ。むしろ助演の女優群が個性的な役柄を見事にこなす。美人ぞろいの人造人間を欲するアキバ的ボーイが増えそうな予感。


手塚治虫の漫画に出てくる世界を思い浮かべた。「火の鳥」にはロボットと共生する社会が出てくる。そして、人間の形をした気まぐれな人造人間が出てくる。ある意味、今から40年以上前に書かれたこの漫画にこの映画のストーリーに類似した点が多々見受けられる。


クローン人間というわけではないが、AIの進歩は加速度的に著しい。ロボットも普通の歩行ができるだろう。近未来にはそういう人造人間がでてくるとなれば、そういう社会を予言したような気がする。でも、映画の中にある退廃と進歩の混在に矛盾を感じる。空飛ぶ車が走る一方でごみダメみたいな世界がある。人類はそこまでバランスを崩すように思えないが、私の希望的観測が強すぎるのか?

最後に向けて雪の中映し出されるライアンゴズリングとハリソン・フォードの姿は美しい。大画面の手前で観ると、はたして30年後にライアンゴズリングがもう一回「ブレードランナー」をやるのか?そう考えてしまう。あと2年でどう変わるかわからないが、前回の「ブレードランナー」で想像した世界には今はなっていない。あと30年後にこの映画のつじつまが合うか見ものだ。

ブレードランナー ファイナル・カット
歌舞伎町と思しき街角の映像が懐かしい
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