映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ラストレター」 松たか子&福山雅治&広瀬すず

2020-01-26 18:41:47 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「ラストレター」を映画館で観てきました。

岩井俊二監督の新作である。「love letter」と「リリーシュシュ」が特に好きである。「love letter」の冬の小樽を舞台にした透き通った色合いが好きで、一方で「リリーシュシュ」は自分の中学時代にダブる部分もあり強いインパクトがあった。その2作の印象が強く先入観を持たずに映画館に向かう。中年の夫婦が目立つ館内である。途中までは何これっていう展開で期待外れかと思ったが、小林武史の音楽も情感を高めていて中盤からは徐々に深みがでてくる。

夏の仙台、姉未咲の葬儀に出席していた祐里(松たか子)は未咲の娘鮎美(広瀬すず)から姉に届いた同窓会通知を見せられる。祐里は受け取り、自分が通知しておくと伝える。姉の欠席を伝えるために同窓会会場に向かうと、しばらく音信不通だったこともあり周りから姉未咲と間違えられる。会場には見覚えがある乙坂(福山雅治)の姿があった。

スピーチまでさせられたあとで、早めに帰ろうとしたバス停で乙坂に呼び止められる。きみのことは今も思っていると言われ、今は小説家になっていると名刺を渡される。何度も誘われたが、帰りを急いだ祐里に対して小説のことについて聞いてきた。祐里は小説というのが何のことだかわからないまま帰宅を急いだ。


その後祐里は乙坂に未咲の名前でもらった名刺の住所に手紙を書いた。差出人未咲の名前だけで自らの住所を書かずに送った。その返信が実家に送られてくる。夏休み中だったので、祐里の実家にいる鮎美のことを思い、祐里の娘である颯美(森七菜)がしばらく滞在していた。送られてきた手紙をみて2人は驚く。

一方で祐里は腰を痛めて療養中の姑(水越けい子)から姑の恩師波戸場(小室等)への連絡を頼まれていた。何度も波戸場の元を訪れているうちに乙坂への手紙の送り元住所を波戸場宅にしていた。すると、突然乙坂がその家を訪ねてきて、玄関先に出た祐里は驚くのであるが。。。


1.ありえない序盤
主人公祐里(松たか子)は平凡な漫画家の夫をもつ主婦である。姉の欠席を伝えるために行った同窓会で姉に間違えられ、何も言えなくなって姉のふりをするという話がある。いくらなんでも、それはないでしょう。少しでも話していれば昔の想い出につながってばれちゃうもんね。しかも、松たか子と広瀬すずは全く似ていない。
あとは認知症気味かと外出する姑を追いかけて、姑が男性と一緒のところを見つけて、尾行するシーン。これも変だな??こんな感じの話が続き、しかも姉のふりををする祐里のパフォーマンスすべてが不自然に感じられ、このストーリーたいしたことないのかと思ってしまう。

2.中盤からの逆転(中盤戦の軽いネタバレあり)
起承転結の「承」というべきあたりから、急展開して引き締まってくる。手紙を受けた乙坂が仙台にもう一度やってきて祐里と再会するあたりからぐっとよくなる。そして回想の青春シーンもよく見えてくる。乙坂は実は亡くなった未咲でなく祐里が同窓会に来ていたことに気づいていたのだ。もともとは、転校生として生物部に所属することになった乙坂の後輩に祐里がいたのだ。未咲よりも先に妹に会っているのである。

これからがラブストーリーとしての深みが出てくる。途中で美人の姉未咲を紹介し、一気に乙坂が惚れ込むのに妹祐里も乙坂に好感を持つというはかない恋の物語がある。祐里はクラブの先輩後輩で乙坂にあこがれているのに、みんなのアイドルである姉に好意を持たれるのを恐れる。そうやって過去の話が青春モノとして複雑化する。


中盤戦から、広瀬すずと森七菜の瑞々しさで青春の輝きを映し出す過去と現在の交差が頻繁になるとともに、松たか子&福山雅治がよくみえる。特に松たか子に安定感を感じる。ナレーターなども時折やっている松たか子はあせらずじっくりと言葉を選んで話す。全般的に早口でなくわれわれにわかりやすいように会話を重ねさせるのがいい。岩井俊二の力量を感じる。

3.意外性のある登場
乙坂がむかし便りをもらって知っていた未咲の住所をめざす。猥雑な飲み屋が建ち並ぶエリアだ。ドアをたたくと元亭主のあたらしい恋人がでてくる。中山美穂である。主力出演者以外のクレジットは見ずに映画館に向かったので思わずうなってしまう。おおこう来たかと。自分の脳裏にはlove letterの透明度の高い映像になじむ中山美穂が目に浮かぶ。飲み屋の女という設定、ギャップに一瞬戸惑う。もうすぐ50歳になる。

そのあとでてくるのが豊川悦司である。久々にトヨエツを見たかもしれない。存在ある芝居を見せてくれる。これから先の場面は映画にとって重要な部分であるので、言及は避けるが、まさに適役といった感じである。岩井俊二豊川悦司の役柄に自分自身を重ね合わせているのではないか。この2人の登場はスパイスのように効いてくる。

あとはエンディングロールで小室等と水越けい子の2人の名前を見つけ驚く。それが姑とその元恩師とわかりビックリだ。フォーク全盛時代の自分より上の世代でもわからなかったんじゃないだろうか?


ちょっと違うんじゃないかなと思ったのは、広瀬すずが姉の高校時代を演じていた場面で、64回卒業式となっていた場面。この数字って絶対おかしいよね。どんなに伝統のある学校でも旧制中学と新制高校は分けているはずで、創立何周年は戦前からトータルで計算しても、あくまで戦後の新制高校の年数でやっているはずだから時代考証は×だと思う。
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映画「リチャード・ジュエル」 クリント・イーストウッド

2020-01-22 20:01:28 | クリントイーストウッド
映画「リチャード・ジュエル」を映画館で観てきました。


クリント・イーストウッドの新作。1930年生まれで今年はいよいよ90歳だ。近年は「ハドソン川の奇跡」「運び屋」など、実際にあった話を題材に映画化している。題材の選択がナイスというだけでなく、実在の人物に合った俳優をキャスティングして、彼らのいい面を引き出す。「リチャード・ジュエル」ポール・ウォルター・ハウザーの好演もあってさすがクリント・イーストウッドがメガホンをとった甲斐があるという映画である。


アトランタ・オリンピック開催中の1996年7月27日。警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は、ケニー・ロジャースやジャック・マックの屋外ライブに大勢の観客が集まっているセンテニアル公園のベンチの下で不審なリュックを発見する。あわてて警察に電話すると爆弾処理班が急いで現場に向かう。調べるとリュックの中には無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾が入っていた。ジュエルたち警備員は公園内から人々を退避させるにもかかわらず爆破してしまう。それでも、不審物に気づき被害を最小限に抑えたリチャードは、一躍英雄としてマスコミで報道される。


しかし、第一発見者としてのジュエルに対してFBIが注目する。それを地元新聞社アトランタジャーナル紙の記者キャシー(オリヴィア・ワイルド)が察知、わずか3日後にリチャードを容疑者であるかのように実名報道すると世間は大騒ぎ。FBIはリチャードを別件で呼び出し取り調べをして追い詰める。


母親のボビ(キャシー・ベイツ)は英雄視された息子が一転犯罪者扱いされ落胆すると同時に、ジュエルから依頼を受けた弁護士のワトソン(サム・ロックウェル)はリチャードの無実を確信して、罪を晴らすために動き出すのであるが。。。

1.リチャード・ジュエルと腕利き弁護士
下流階級ではないが、ブルーカラー並みのレベル。これまで保安官とか警備員などの職歴がある。きっと甘いものに目がないタイプなんだろう。かなりのデブである。正義感にあふれる一方で頑固者である。若干融通が利かないことがあり、これまでの職場も追い出されたことがある。

爆弾を発見したことで世間から英雄視されても、以前いた職場の上司からあいつはおかしいとFBIに連絡が入り問題視するきっかけになった。ずっと以前に、職場の備品係としてエリートのワトソンと知り合いになったことがあり、お互いに好感を持っていたことが今回の弁護依頼につながる。


怪しいと思ったFBIに証拠もなく連行されて、取り調べをうける。調書にだましだましサインさせようとするFBIの捜査官に対して、弁護士を呼び出してくれとジュエルが言いワトソンを電話で呼ぶと、ワトソンが強硬に指示していったん事情聴取が終了する。アメリカの弁護士は強い。このやりとりが日本だったらどうなんだろう?と思ってしまう。

しかし、リチャードジュエルは以前警官を装って逮捕された経歴がある。税金も2年間支払っていない。爆破事件の現場で知り合ったFBIの職員がジュエルの家によると、爆破に関するうんちくをジュエルが語る。それでも事件当日のジュエルの動きで脅迫電話をして爆破に及ぶことは不可能とワトソン弁護士はジュエルを信用してかばうのである。

2.アトランタジャーナル紙の記者キャシー・スクラッグス
どこのマスコミの記者も記事ネタには飢えている。アトランタジャーナル紙の女性の敏腕記者キャシー・スクラッグスもそうだ。彼女はFBIの捜査官と内通していた。密会した場所で第一発見者のジュエルをFBIが追っていることを聞く。翌日会社で報告、若干早いけど速報で疑惑を報道する。映画には記者とFBI捜査官の肉体関係を匂わせるような場面がある。これって本人とか会社は大丈夫なのか?と映画を見ながら感じてしまう。

映画を観たあとでネット記事を確認したら、やはり問題になっているようだ。キャシー・スクラッグス記者はすでに死亡しているという。この女性記者をオリヴィア・ワイルドは好演していると思う。ワトソン弁護士の車に忍び込んでインタビューするシーンまである。エロさをプンプンに感じさせるところがすごい。


3.キャシー・ベイツ
キャシー・ベイツと言えばスティーブン・キング原作「ミザリー」での怪演であろう。自動車事故に遭った流行作家を監禁する狂気のパフォーマンスはまさにホラー映画的である。個人的にはフライド・グリーン・トマトでのジェシカ・ダンディとのやりとりが好きだ。彼女も71歳になる。安定した演技をみせるので、出番は全く減らない。さすがである。クリント・イーストウッドもまさに彼女こそが適役と思ったのである。英雄から一転して容疑者になったジュエルとの母子関係を巧みに演じている。最後に向けて、息子を救済するためのスピーチはベテランの味と言うべきであろう。


これが最後かといつも思いながら、一作一作を積み上げるクリント・イーストウッドには頭が下がる。ご本人の登場はなかったが、映画の後味はよかった。

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映画「盗まれたカラヴァッジョ」 ミカエラ・ラマッツォッティ&レナート・カルペンティエリ

2020-01-19 10:51:03 | 映画(自分好みベスト100)
映画「盗まれたカラヴァッジョ」を映画館で観てきました。

これはおもしろい!

上質なサスペンスである。スペインのペドロ・アルモドバル監督作品を思わせる不安を呼び起こす音楽がバックに流れ、息をのむような緊張感あふれるシーンが続く。有名脚本家のゴーストライターがカラヴァッジョ盗難事件に関わる話を人から教えられる。それを元に書いた脚本の内容がまさに事実で、実際にからんだマフィアから狙われるという話である。


映画プロデューサーの秘書ヴァレリア(ミカエラ・ラマッツォッティ)は、秘かに人気脚本家アレッサンドロ(アレッサンドロ・ガスマン)のゴーストライターを務めていた。ネタが尽いているにも関わらず、なんとか新作を書いてくれとアレッサンドロに頼まれている。ある日、ラック(レナート・カルペンティエリ)と名乗る謎の男と市場で出会った。その夜番号を知らせていないのにラックから携帯に電話が入り驚く。ヴァレリアがゴーストライターをしていることも、母親のアマリア(ラウラ・モランテ)と二人で暮していることも知っていた。ラックから秘密を厳守する君に書いてほしいこんな話があると教えてくれる。


1969年に起きた今も未解決のカラヴァッジョの名画「キリスト降誕」盗難事件の顛末にはマフィアが絡んでいる。しかも、近年起きたある美術評論家殺人事件にも繋がっているという。ヴァレリアが「名もない物語」というタイトルをつけたプロットにまとめると、プロデューサーは最高傑作だと絶賛し、映画化が決定する。監督には引退を表明していた巨匠クンツェ (イエジー・スコリモフスキ)が就任し、中国から多額の製作費が出資されることも決定した。

そのころ、アレッサンドロはプロデューサーにはシナリオを書くと嘘をついて、愛人イレーネとバカンスを楽しんでいた。映画化されるプロットが自分たちに関わる話だと気づいたマフィアに拉致される。事件の真相を誰から聞いたのかと尋問された上に半殺しにされ、意識がない状態で発見される。それでも、ヴァレリアはラックの協力のもと、“ミスター X”の名前でアレッサンドロのアドレスからシナリオを送り続ける。焦るマフィアはあらゆる手を使って“ミスター X”が誰かを突き止めようとするのであるが。。。

1.真実を暴露する側と恐れるマフィア
登場人物が多い映画である。だからといって複雑すぎるストーリーにはなっていない。味方と敵のどっちにもつかないような人物がいないからかもしれない。ゴーストライターであるヴァレリアと実際の事件を教えヴァレリアの良き相談役になるラックを味方とすると、カラヴァッジョ盗難事件につながる美術評論家殺人事件に絡んだマフィアたちとその利害関係にある人が敵である。


当の人気脚本家アレッサンドロは完全な極楽とんぼの遊び人。激賞されたゴーストライターの書く脚本にまったく関心がない。影で操るラックの存在を知る訳もない。逆に、マフィアは表向きの脚本家であるアレッサンドロが誰かから聞いたんだろうと徹底的に拷問する。脚本家が自分が書いたと言い張ればなおさらだ。

街の市場で、今日のおかずは何にしようかと思慮しているヴァレリアにカンパチがいいよと勧める老人に過ぎなかったはずなのに、 ラックは脚本のネタになるいい話を伝えてくれるキーマンとなる。しかも、 ヴァレリアの身に危険が及ぶと的確な意見を言って助けてくれる。いったいこの老人の正体は何か?もしかしてカラヴァッジョ盗難事件に絡んだ仲間割れなのか?見ている自分にもよくわからない状況が続き流れを追う。

⒉ミステリー映画のハイテク化
カラヴァッジョ盗難事件は1969年なので設定がひと時代前かと思いや、あくまで現代である。携帯電話、パソコン、メールばかりでなく、隠しカメラによるリアル映像、イヤホンでの遠隔操作などハイテク化したツールが謎解きのカギになる。時代設定が古いと現代の産物が使えず、推理が勘の世界になる。それはそれでいい時もあるが、この映画のようにハイテクの産物を通すと納得性が増す。


ブライアン・デ・パルマ監督作品と似たような雰囲気が映画の根底に流れている。ロベルト・アンドー監督はパルマやアルモドバルのミステリーサスペンスに影響されている印象を持つ。ただ、現代のハイテクツールがいたるところで使われていて、 ミステリー映画 が進化しているという感じがする。

⒊主人公の七変化
メガネをかけたインテリ秘書という風貌で登場する。しばらくは変わらないが、ゴーストライターとしての自身の秘密がばれそうになると感じるようになり、変身をする。このあたりの七変化が面白い。化粧をきっちりして、髪の毛をピタッと固めて、エロチックな下着を着る。からだを張って男が緩むように振るまう。まるで変態趣味を持っているようにだ。そうすると男の焦点がずれる。こういうエロチックなところも ブライアン・デ・パルマ監督作品に通じる。


映画のラストに向けてはテンポが速くなり、スケールも拡大する。え!この人まで絡んでくるのというように登場人物総動員でストーリーを作る。敵はいずれもつわものだ。何をされるかわからない。ドキドキ感がたまらない。そのあとで、「映画の中の映画」の手法を使い、おお!こう来たかとエンディングに向けていく。十分に堪能できた。完全に理解するためにもう一度見てもいいなと感じさせる作品である。
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映画「マザーレス・ブルックリン」 エドワード・ノートン

2020-01-17 18:53:19 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「マザーレス・ブルックリン」を映画館で観てきました。


エドワード・ノートン「ファイト・クラブ」以来相性がいい方だ。監督、脚本、主演というかけ持ちで撮った新作である。障害をもつが記憶力抜群の私立探偵という設定が妙に気になる。私立探偵というと1940年代から50年代にかけてのフィルム・ノワールが連想される。私立探偵の元に謎の美女ファムファタールが依頼しに来てその後事件に巻き込まれるという構図である。今回は私立探偵事務所のボスが殺されたことで動き出すということでは筋は若干違うが事件に絡む美女がいることだけは同じだ。


ジャズの要素が強い音楽のセンスは抜群である。しかも1957年という時代背景もニューヨークの街が古い街並みを残しているだけに的確に捉えている。しかし、原作となった小説の内容を織り込もうとするあまり、話が複雑になりすぎる。出てくる黒人の顔を見分けられないので、どっちがどっちと頭が混乱してしまう。自分の理解度が低いのかもしれないが、途中でどちらが味方がどうか訳がわからなくなる。映像というより言葉での説明口調になっている感じがする。それが難点で、傑作とまではいかないなあ。

ライオネル(エドワードノートン)は私立探偵、障害を持ち頭の中にいるもう1人の自分が突然奇声を発する症状をもつ。ライオネルは6才の時に母と別れ12才まで孤児院にいた。ライオネルを救って面倒をみたのが現在のボスであるフランク(ブルースウィルス)である。そのフランクが突然殺された。


ライオネルは事件の真相を追求するために、寸前までフランクが追っていた女性ローズの身辺を洗おうとする。ローズが住んでいた空き家には移転話が出ていた。ローズは弁護士の資格を持つ。都市計画に反対するグループを支持するようで市の公聴会に向かっていた。ローズを追って会場の中に入り記者を装い立ち聞きする。その会場で罵声をあげていた1人の男ポール(ウィレムデフォー)と知り合う。


男によると、住居移転による都市開発はモーゼス(アレック・ボールドウィン)という男が仕組んでいる。ある意味市長よりも力を持つという。ローズはジャズクラブの店主ビリーの娘であった。ライオネルは店へ行き事件のカギを探ろうとしているうちにクラブの裏に連行されて痛みつけられるのであるが。。。

⒈ジャズクラブ
ローズの父親が経営するジャズクラブの雰囲気がいい。トランペットのリーダーのもとでクインテットが演奏している場面がでる。マイルスデイビスを思わせる。時代設定の1957年はサックスのジョン・コルトレーンと組んでいる50年代の黄金時代だ。パリへ行って「死刑台のエレベーター」の音楽を担当したころでもある。今回はウィントン・マルサリスがトランペットを吹く。当代きってのミュージシャンの参加は強い援軍だ。ただ、いいのはそれだけではない。場面の情感を高める音楽のセンスが抜群で胸に響く。

⒉都市開発
モーゼスのおかげでマンハッタン島に橋が架けられたし、街が出来上がってきたというセリフがある。アレック・ボールドウィンはこういう役をやらせると実にうまい。1500万$の土地を50万$で仕入れて街をつくるというせりふもあるけど、地上げ屋ってそんなもんでしょう。その単体だけで価値がでない土地を商品にする訳ですから致し方ないことだと思う。別に悪いやつではない。


こういう公聴会というのは反対がつきもの。普通だともっと下っ端が出て俗に言う黒幕的な上の人間は出ないと思うけど、それでは映画のストーリーが成立しないからね。
結局直感で解決の糸口が見えてくる。フランクの遺品にもライオネルを意識して残しているものがあった。
奇声の面白さで思わず笑えるのも映画の見どころだけど、ピリッと推理をする探偵ではなかったなあ。

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映画「フォードvsフェラーリ」 マット・デイモン&クリスチャン・ベール

2020-01-13 08:11:43 | 映画(自分好みベスト100)
映画「フォードvsフェラーリ」を映画館で観てきました。


「フォードvsフェラーリ」マット・デイモンとクリスチャン・ベールの超大物俳優の共演である。監督はジェームズ・マンゴールド。題材は60年代前半のモーターレース界で連勝を続けていたイタリアのフェラーリに対して、アメリカの自動車ビッグ3の一社フォードがルマン24時間レースで挑戦する話である。

大物二人はライバルでなく、フォードのレース優勝にむけて協力するという構図だ。レースシーン中心というわけでもなく、人間ドラマの要素も強い。実話ではあるが、緊迫したストーリー展開、レースを捉えるリアルなカメラアングル、60年代を彷彿させる音楽や音響効果すべてに優れた傑作が生まれた。

前作「バイス」では、大幅な体重増量でチェイニー副大統領を演じたクリスチャン・ベールが今度はまた大減量である。おいおい大丈夫かい?と言いたくなる役作りである。どちらかというと、ボクサーを演じたザ・ファイターの時に演じた役柄に性格的にも近い。マット・デイモンも悪くはないが、今回もクリスチャン・ベールの役作りにすごみを感じる。


1960年代半ば、全米きっての自動車メーカーフォード社では、若いユーザーに向けたマーケティング路線を模索していた。役員の一人リー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)はイタリアのフェラーリと合弁会社設立交渉にあたっていた。フェラーリは60年代前半ルマン24時間耐久レースで連勝していた。しかし、フェラーリのトップであるエンツォ・フェラーリ(レモ・ジローネ)が反対してご破算となる。

これに怒ったフォード社のトップであるヘンリー・フォード二世(トレーシー・レッツ)はレースに勝つ車を作れと部下に厳命する。それをうけてアイアコッカはレーシングカーの開発をカーデザイナーであるキャロル・シェルビー(マット・デイモン)に依頼する。


シェルビーは1959年のルマン24時間耐久レースでアストンマーチン車に乗り優勝していた経歴を持つ。シェルビーはレーシングカーの開発にあたり、アメリカで自動車整備工場を営んでいたケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)をテストドライバーとして採用する。マイルズの整備工場は客あしらいが悪く、職人気質で気難しいためか経営不振で税務署に差し押さえをうけるところだった。でも直近のレースでも優勝するほどドライビングの腕は達者だった。

シェルビー社でフォードのマスタング車をレーシングカーに仕立てるためにマイルズが乗車してパーツの改善に当たっていた。しかし、マイルズはフォード社の幹部レオ・ビーブとのいさかいを起こし信用されていない。ルマン24時間耐久レースのメンバーに選ばれなかった。落胆するマイルズを尻目にチームはルマン24時間耐久レースに挑戦した。結果は惨敗。シェルビーに責任問題が浮上したのであるが。。。

1.出演者同士の葛藤
すぐれたドラマの基礎は葛藤だと言われる。まず、フォード対フェラーリという根本的な対立関係がある。しかし、レースの途中での競い合いのみである。どちらかというと、身内の争いが次から次へと起こる。

レース担当となったフォードの副社長とシェルビーとドライバーのマイルズとの葛藤が執拗に繰り返される。味方というよりむしろ敵である。ただ、ドラマには憎まれ役がつきものだ。この副社長もう生きていないと思うけど、ルマン24時間耐久レースまでいやな奴に徹したね。


シェルビーとマイルズの友情も映画のテーマである。でも2人の関係にも数々の葛藤がある。そこがストーリーをおもしろくする。

2.レースの臨場感と音響
人間関係を描いたドラマ的要素が大きいとはいえ、リアルなレーシングカーの動きを捉えた下からのカメラアングルに臨場感を感じる。作品情報によると、昔のルマン24時間耐久レースの会場と全く変化しているのでセットで作ったという。相当金がかかっていると思うけどさすがはハリウッド資本といったところか。高らかに鳴り響くわけでなく流れる音楽のセンスも抜群だ。


3.逸話の数々
逸話が多い映画である。それぞれのエピソードに意味があり効いている。
まずは、シェルビーが副社長を部屋に閉じ込めて、フォード2世をレーシングカーに乗せるシーン。元々レーサーだったシェルビーがトップスピードで車を走らせまくる。これだけのスピードで走ったら、普通だったら失禁してしまうという。走り終わってフォード2世が泣くとも笑うともなんともいえない表情になっているのをみながら、シェルビーがカーレースは我々に任せなきゃだめですよと言うシーンが好きだ。


マイルズを説得しようとシェルビーが待ち伏せして、自宅の前から連れ去っていくのをマイルズの奥さんがみる。翌日いつも好き勝手やっているマイルズを助手席に乗せて奥さんが大暴走する。全速力で走って前の車を抜いていく。あやうく正面衝突してもおかしくない。昨日何したのと問いただす。なかなか口を割らないマイルズにしゃべらそうとする。結局日当200ドルときいて奥さんがシェルビーと一緒に仕事をするのを承諾するシーンがいい感じだ。


こんな感じの話が盛りだくさんである。それだけにレースシーンもあり、長時間の映写時間だが全く飽きさせないところがすごい。
いきなり正月第二週で今年のナンバー1,2がでてしまったという印象を持つ。「パラサイト 半地下の家族」はすごい傑作だとは思うが、好きなのは「フォード&フェラーリ」だ。それにしても映画に映るこの時代のフェラーリってかっこいい!スポーツカーデザインのピークだね。
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映画「パラサイト 半地下の家族」 ポン・ジュノ&ソン・ガンホ

2020-01-12 14:28:15 | 映画(韓国映画)
映画「パラサイト 半地下の家族」を映画館で観てきました。

「殺人の追憶」の名コンビであるポン・ジュノとソン・ガンホが組んだ新作だというだけでも気にかかるが、カンヌ映画祭のパルムドール作品でもある。先週、週刊文春「シネマチャート」では全評者5点満点の25点をつけている。これには驚いた。何年ぶりであろうか?そこまでの評価の高さに早々と映画館に向かう。

先入観なしで観たが、これはすごい!
一寸先まで予想が立たないストーリー展開でハラハラドキドキしっぱなしである。
2020年早々に今年のベスト映画が決まってしまった感覚である。

過去に度々事業に失敗、仕事もないが楽天的な父キム・ギテク(ソン・ガンホ)。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク(チャン・ヘジン)。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ(チェ・ウシク)。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン(パク・ソダム)。しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。


“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。
「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク(イ・ソンギュン)一家が暮らす高台の大豪邸だった——。


パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。 (作品情報より)

この映画ほど、ネタバレしたくともできない映画はないだろう。
ビリー・ワイルダー監督の「情婦」アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の「悪魔のような女」など絶対に結末を語ってはいけませんといううたい文句の映画があった。いずれも最後に向けての逆転である。この映画の驚きは序盤戦から続く。中盤から終盤にかけては極めて短い時間の話なのに、波状攻撃のように我々を驚かせる。それでも途中までネタバレで追っていく。

1.英語の家庭教師の息子ギウ
何年浪人しても大学に行けない。警備員にも大卒が殺到する世の中なので仕事にもありつけない。そんな息子ギウにエリート校に通う友人が訪ねてきた。その彼から金持ち娘の女子高校生に英語の家庭教師をするピンチヒッターを頼まれた。


友人からはこれだけ浪人していれば英語くらい教えられるだろうと言われ、学校に行っているという証明書を偽造してバイト先の豪邸へ面接に向かう。証明書は紹介だということで母親は見もしなかったが、授業を一回聴かせてくれとテストされるもパフォーマンスが効いて無事合格。高額バイト料にありつける。そのときに絵心のある弟の美術の家庭教師を探してくれないとかと言われる。


2.美術の家庭教師の娘ギジョン
ギウは妹ギジョンをパク社長の息子の家庭教師にしようと思っても、もちろん正直には言わない。親類の知り合いにいい女性がいるとしかいいようにない。おもちゃだらけの広い子供部屋にいる息子のために雇われた美術の家庭教師は誰も長続きしない。ギジョンも母親の面談を受ける。ここでも予習が効いて母親をうまくたぶらかして無事合格。うまい具合に2人とも家庭教師になれたのだ。


ここで調子に乗り作戦を立てる。ある日、遅くまで家庭教師をした日にパク家の運転手がギジョンを送ってくれた。盛んに家まで送ると言っている運転手だったが、駅までにしてもらう。

そのとき、ギジョンは自分のパンティを脱いで座席のポケットに入れた。これってどういうことなんだろう?と映画を観ながら思ったが、意図があった。送迎で車に乗るパク社長にこのパンティを気づかせて、運転手が後部座席でよからぬことをしているということでクビにしてしまうということなのだ。そこで父ギテクが運転手として登場する。

3.あっという間にパク一家に入り込む父と母
パク社長の家には、設計した建築家が家主であるころからいる家政婦がいた。この家政婦は家事が苦手な奥様の代わりに家内のことは全部任されていた。しかし、家庭教師に入った2人から見るとうっとうしい。あるとき、この家政婦が桃にアレルギーを持っていることがわかった。そこで3人は作戦を立てる。家政婦の後ろを通るたびに桃の粉を振りまく。すると、アレルギー反応を起こし思わず咳をしてしまう。こっそりと奥様に結核ではないかといい、ゴミ箱に置いた赤く染まったティッシュを見せたりして、長年いた家政婦を追い込むのだ。


父ギテクは富裕層宅の家事をまかなう人や運転手を斡旋するいい事務所を知っていると車の送迎をしている際にパク社長に名刺を渡す。電話をすると、娘ギジョンのところに通じることになっていて、母チュンスクも家政婦として採用されるのだ。

寄生虫のように巧みにパク社長の家に入り込んだ4人は、パク社長一家がキャンプで出かけたとき、この大豪邸で酒盛りをする。手入れの行き届いた広い庭をみながらのひとときのいい時間だった。そんなときに玄関のインターフォンが鳴るのだ。誰なんだろう?ドキッとする4人。

もちろん、このままではこの映画は終わらないだろうと思っていた。何かあるだろうと。

でも、ここからのどんでん返しは見てのお楽しみである。まさにネタバレ厳禁の世界が続く。
緻密なストーリーを創作したポン・ジュノはじつにうまい。二転三転するだけでない。ここでオチになるのかな?と思ってもそれで終わらない。全く先を読ませない韓国クライムサスペンスらしい緊迫感のあるものとなる。

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映画「家族を想うとき」 ケン・ローチ

2020-01-05 18:04:02 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「家族を想うとき」を映画館で観てきました。


じつにやるせない映画だ。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」ケン・ローチ監督の新作である。宅配業や介護に従事する人の労務環境が悪いのは日本同様英国でも同じようだ。一生懸命に働く父母のことを思えば、少しはまともに生活しようとするのが普通であろうが、息子はぐれるし、娘はさみしがる。子供の面倒を見たくても忙しくて時間がないという八方塞がりの姿を描く。

作品情報にあるケンローチの新自由主義に対する批判はずいぶんと稚拙という印象を持った。でも、映画の作り方はうまい。主人公をはじめとした出演者に圧倒的な試練を与える。行き場のない状態に落とし込む脚本の設定が残酷である。それ自体は現実性をもっている。それだけにやるせない気分になる。

英国ニューカッスルに暮らすリッキー・ターナー(クリス・ヒッチェン)は、マイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立を決意する。妻アビー(デビー・ハニーウッド)の車を売り、仕事用の大型車をローンで手に入れ、「ノルマあり」「保証なし」「ペナルティあり」という理不尽で過酷な労働条件の下、家族のために働き続ける。

母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日14時間週6日、働いている。遠く離れたお年寄りの家へも通うアビーには車が必要だったが介護先へバスで通うことになった。アビーは、長い移動時間のせいでますます家にいる時間がなくなっていく。16歳の息子セブと12歳の娘のライザ・ジェーンとのコミュニケーションも、留守番電話のメッセージで一方的に語りかけるばかり。

両親の不在により、家族がバラバラになってしまった子供たちは寂しい想いを募らせてゆく。リッキーがある事件に巻き込まれてしまうのであるが。。。


1.宅配業と労務環境
ネット通販の隆盛は世界中変わらない。英国でも同様で、宅配しているものはネット販売の品物のようだ。宅配時に本人確認のためにIDないしは身分証明書を要求しても素直に提示しない人もいる。宅配先で狂犬にかまれることもある。着ている服装にケチつけられることもある。きっと日本の宅配でも同じような面倒なことは起こっているのであろう。当局の指導で大手運送業は労務環境を改善しているようだが、この映画のように外注の宅配業者というのもいる。


現状、大手会社は労働基準局の査察を異常に気にするようになった。自社の社員について労働時間が三六協定に違反しているかどうかは厳格に査察されるが、外部委託であれば当然管理外である。働き方改革が進めば進むほど、コスト度外視で外部への業務委託が増加せざるをえない現象が散見される。ケン・ローチはどちらかというと経済音痴でコストを考慮して外部委託が増えていると述べるが違うなあ。

主人公の雇い主を悪者にしようとする気配が映画に充満するが、雇い主からすると依頼した仕事を完結するかどうかだけの問題なのだ。自営なら家庭の事情で仕事ができないならそれをなんとしても補う必要がある。仕事が完結できないなら違約としてのペナルティがあるのは当然である。

2.介護
宅配業と介護福祉士とはずいぶんとやっかいな設定にしたものだ。妻は真面目な介護士である。家族で団らんの時を過ごしているときでも、面倒見ている人から困っているという知らせが入るとすぐに駆けつける。だからといってエクストラの残業代はもらっている気配はない。これこそサービス残業である。


3.子供の呼び出し
脚本の設定だから仕方ないとは思うけど、この息子も困ったものだ。両親が生計を立てるために懸命に働いているのに、知ったこっちゃないといった感じだ。校内でけんかして相手をけがさせたのか、このままだと起訴するぞと学校から脅され呼び出しをくらう。両親ともに時間がないのに迎えに行くため無理やり時間を作る。仕事にもしわ寄せが来る。一難去ってまた一難で次は万引きで呼び出しだ。そんな状態なのに親からの説教に対しても、息子は手元で携帯をいじくっている始末、最悪だ。


こんなに大変なら仕事やめてしまったらどうかと思うが、そうはいかないのであろう。夫には両腕にタトゥがある。それなりの人生を歩んできたと考えてもおかしくない。この映画を観て、日本はまだ弱者救済の観点ではましな方だという感を持った。安倍晋三総理は最近批判されるけど、どちらかというと、右翼ずらのふりをして、やっていることは金持ちイジメで中国よりも社会主義者的な政策ばかりだから。
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映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」 渥美清&山田洋次

2020-01-01 08:00:01 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」を映画館で観てきました。


渥美清が亡くなった後、当然続編はないと思っていた「男はつらいよ」の新作制作発表が昨年あった。そのときからどんな映画になるのであろうかと興味津々である。寅さんのおい吉岡秀隆の初恋の相手後藤久美子は中年の域に達して美しさに磨きがかかった。数年前CMでその姿をみてこんな美女誰なんだろうと思い、しばらくして後藤久美子とわかりドキドキした。その後藤久美子山田洋次監督が出演依頼のお手紙を送ったという逸話があまりに素敵である。

妹夫妻倍賞千恵子、前田吟の夫婦も老いたがまだ健在、寅さんが最も親しかったといえるリリー役の浅丘ルリ子後藤久美子の母親役の夏木マリもその姿を見せる。

映画がはじまり「男はつらいよ」の主題歌を歌う桑田佳祐の姿には思わず涙してしまう。


映画の途中でも、満男がおじさんの思い出を語ると往年の渥美清の姿が出てくる。ちなみにこの映画で寅さんこと車寅次郎が亡くなったとは一言もセリフでは出てこない。昔ながらの柴又の家の仏壇においちゃん、おばちゃんこと下條正巳三崎千恵子の遺影はあるが、渥美清の写真はない。意図的であろう。

諏訪満男(吉岡秀隆)は、妻を6年前に亡くし中学三年生の娘と二人暮らし、サラリーマンをやめて小説家になっていた。妻の七回忌の法要で柴又の実家を訪れた満男は、母・さくら(倍賞千恵子)と父・博(前田吟)、たこ社長の娘(美保純)たちと伯父・寅次郎との楽しかった日々を思い起こしていた。その一方で出版社の担当者(池脇千鶴)から依頼を受けている次回作の執筆にはいまいち乗り気になれなかった。


それでも、最新著書の評判は良いので出版社から書店でのサイン会に出てくれと言われいやいや引き受ける。そのころ、満男の初恋の人である泉(後藤久美子)は国連難民高等弁務官事務所の東京でのシンポジウムに出席するためヨーロッパから来日していた。所用を終え書店へ立ち寄ると、偶然満男のサイン会のポスターに気づく。そして、満男のサイン本を求める列に並ぶ。初恋の人泉の姿を突然一瞥して満男は呆然とする。

その後、旧交を温めるため、ゆっくり話ができる神保町の喫茶店に向かう。そこには伯父寅さんがもっとも心を許したリリー(浅丘ルリ子)がいた。寅さんの思い出を語った後で2人は柴又の満男の実家へ向かうのであるが。。

見れば見るほど後藤久美子がいなければ、成立しないストーリーである。それだけに山田洋次監督の心のこもった手紙に感動する。後藤久美子演じる泉は家庭環境の複雑さから欧州に向かったという。帰るところもないと。

倍賞千恵子演じるさくらに親しみを感じ、うちに泊まっておいでよと言われて素直に泊まる姿に好感が持てる。普通女はこういうとき、なかなか泊まらないものだ。一般にも嫁が夫の実家を訪ねて母親が泊まっていけと言っても、嫁は意地でも泊まらないでいさかいを起こすことが多い。そういう女性同士の関係にも踏み込んだ脚本である。


1.浅丘ルリ子
後藤久美子を引き連れ吉岡秀隆は神保町の喫茶店に向かう。地下に降りていくと照明を落とした雰囲気のあるお店だ。そこの店主がリリーこと浅丘ルリ子である。さすがに御年79歳の浅丘ルリ子も往年の美人女優の面影はかなり薄らいでおり、どちらかというとホラー映画にしか登場できないくらいの妖怪的存在だ。

こういう暗い照明の方がいいだろうと山田洋次監督が心配りしたのであろう。寅さんの求愛を受けたことがあったという昔話が、当時の映像を含めて映し出される。さすがに日活時代の美貌ほどではないが昔のリリーは美しい。


2.夏木マリ
後藤久美子が父親を探しに九州の日田に向かう作品は「寅次郎の休日」である。夏木マリ演じる母親のもとを離れ、寺尾聰演じる父親は宮崎美子演じる若い薬剤師と2人で暮らしている。元々は父親に戻ってほしいと言いに日田に向かおうとしていた。新幹線のホームまで満男が見送りに来ていたが、発車間際に思わず乗車してしまう。満男が向かったことを知り、寅さんも泉の母親と夜行列車で日田へ向かう。泉は結局会えたが、幸せそうな父親を見てそのまま立ち去る。


後藤久美子が九州に旅発つ新幹線に吉岡秀隆が思わず乗ってしまうシーン、渥美清と夏木マリが今は亡きブルートレインの寝台列車に乗り込んで酒盛りしながら九州に向かうシーン、父親に会ったけど幸せそうなので何も言えないと夏木マリ後藤久美子から聞いて泣き崩れるシーン、3つのシーンがこの映画でも映し出される。

クラブのママ役である夏木マリも適役である。今回も前回同様の水商売キャラは変わらない。理由はわからないが、泉の父親役は寺尾聰から橋爪功に替わる。娘の旦那と思って吉岡秀隆に金をせびるシーンは橋爪功らしい老練さが感じられる。

泉に会えたのは満男にとっては夢のような日々だった。その満男をみて、「お父さん3日間まるで遠くに行ってしまったようだ」と娘がいうシーンがある。これってデイヴィッド・リーン監督の名作映画「逢びき」のラストシーンで、軽い不倫で心ここにあらずになっていた妻に対して夫が言う名シーンを連想させる。吉岡秀隆にとっても帰国する泉を見送るときのナイスなシーンはまさに役得だったであろう。

渥美清独特のテキ屋の口上が響き、最後に向かっては、歴代のマドンナが登場する。吉永小百合、樫山文枝、竹下景子や最近鬼籍に入った京マチ子、八千草薫、48作の中でも指折りの名作のマドンナ太地喜和子池内淳子、新珠三千代などの故人も顔を見せる。一番最後に映るのは初代マドンナである光本幸子というのはまさに敬意を表してだろう。
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