映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「バリー・シール」トム・クルーズ

2017-10-31 19:36:02 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「バリー・シール」を映画館で観てきました。

トムクルーズの新作はちょっと変わった実在人物をモデルにしたらしい。しかも、トムと相性のいい飛行機が題材となれば期待感は高まる。それにしても本当にこんな奴がいたんだろうか?そう思わせる映画である。禁輸のキューバから葉巻を持ち出したり茶目っ気のあるパイロットだったのを、CIAにスカウトされる。冷戦時代ソ連の息のかかった中米諸国のアジトの写真を撮るなんてことから始めて、気が付くとコロンビアの麻薬王と意気投合して運び屋さんになってしまうなんて話はありえないと思うが、こういう事実があったらしい。


バックミュージックのセンスが抜群で、優雅に小型飛行機を飛行する映像やラテン系の景色が流れる中でノリのいい曲が流れる。大好きなオールマン・ブラザース・バンドのツインギターがはえる曲が流れると、思わずドッキリ。これにはゴキゲンになる。それに加えて、即席滑走路から小型飛行機を離陸させる場面など、いつもスタントマンを使わないトムクルーズも草木にぶつかりながら飛行させるのはドキドキものでは?

天才的な操縦技術を誇り、民間航空会社のパイロットとして何不自由ない暮しを送っていたバリー・シール(トム・クルーズ)の元に、ある日CIAのエージェント(ドーナル・グリーソン)がスカウトに現れる。CIAの極秘作戦に偵察機のパイロットとして加わる事となったバリーは、その過程で伝説的な麻薬王パブロ・エスコバルらと接触し、麻薬の運び屋としてもその才能を見せ始める。ホワイトハウスやCIAの命令に従いながら、同時に違法な麻薬密輸ビジネスで数十億円の荒稼ぎをするバリー。しかしそんな彼の背後には、とんでもない危険が迫っていた…。(作品情報より)


撮影中に小型飛行機の事故があり、死亡者も出たらしい。そうなったのもわかるような小型飛行機の低空飛行はなんか怖いなあ。トムクルーズもスタントマン使わないで、よくやるよ。いつもいつも見せ場を作るかれど、今回は国境の警備隊に対抗して、普通の住宅地を不時着する。こういうのまでスタントなしでやれちゃうのは命知らずとしか言いようにない。保険って掛けられるのかな?


レーガン大統領もたびたび登場、ナンシー夫人も含めて懐かしいね。ニュース映画映像などを通じて肉声が聞こえる。昔レーガンが出ていた映画のシーンも織り交ぜ、コミカルに映し出すのはいい感じだ。ソ連の中南米進出に対抗して、地場の親米反政府組織と組むんだけど、あまりうまくいっていなかったのであろう。それにしても、各組織から逮捕命令が出たのにもかかわらず、釈放されるなんてすごいなあ。


命短し、捕まったらずっと牢屋に入りっぱなしとなれば、自分でも使い放題に金を使ってしまうだろう。でも、彼の場合はコロンビアとの空輸で時間を使っているから、暇もないのだろう。使い切れない金を銀行に預けるだけでなく、家じゅうに隠している。ちょっと疑問なんだけど、銀行は何も言わず自分の銀行口座で預かったのであろうか?真面目な人が多い今の日本では考えられないが、金持ちがいるとは思えない田舎町では黙って預金量の増加としてしまうのであろう。

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映画「はじまりへの旅」ビゴ・モーテンセン

2017-10-29 16:43:46 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「はじまりへの旅」は2017年公開の映画


大森林の中で、子供にサバイバル教育をするおやじが、妻の悲報を聞き、仲の悪い妻の父親のところにある母親の遺影のもとへ6人の子供を引き連れてバスで向かうという話である。ロードムービーは大好きだけど、dvdスルーであった。

いきなり、少年が森林にいる野獣を退治するという映像が映し出される。人里離れてサバイバル生活をして鍛えられた子供という設定はたまに見るが、ここでは本を読まされて頭脳も幼児から徹底的に鍛えられる。幼児なのにむずかしいことをすらすら答えられるシーンが次から次へと出てくる。

変人の振る舞いをみていると、感覚がおかしくなる。父親は子供に平気でスーパーでの集団万引きを教えたり、世話になっている家で好き勝手なことを言いまくったり。変な奴のパフォーマンスを見ていると、気分が悪い。でも、子供が普通の生活をしたい。大学に行きたいという願望が出てくるあたりから、少しづつ様相が変わってくる。

アメリカ北西部。携帯の電波さえ届かない大森林の中で、自給自足のサバイバル生活を送る奇妙な一家がいた。高名な哲学者ノーム・チョムスキーを信奉し、現代の文明社会に背を向けた父親ベン・キャッシュ(ビゴ・モーテンセン)と6人の子供である。18歳の長男、15歳の双子、12歳の次男、9歳の三女、そして7歳の末っ子ナイは学校に通わず、先生代わりのベンの熱血指導のもと、古典文学や哲学を学んで6ヵ国語をマスター。おまけにアスリート並みに体を鍛えていた。


ある日、ベンは、数年前から病で入院していた妻レスリーが亡くなったという知らせに心を痛める。泣きじゃくる子供たちは、「お葬式に行かなくちゃ」「ママに会いたい」と懇願。レスリーの父親ジャック(フランク・ランジェラ)と折り合いが悪く、「来れば警察を呼ぶ」と警告されているベンは子供たちを不憫に思い、彼らの願いを受け入れる。目指すは2400キロ離れたニューメキシコ。一家が成し遂げるべきミッションは、仏教徒のママを教会から“救出”すること。バスに乗り込んだ子供たちは一斉に雄叫びを上げた。


コーラを“毒液”と見なすベンはお腹を空かせた子供たちスーパーマーケットでミッション“食べ物を救え!”を実行。まんまと盗んだチョコレートケーキを子供たちに振る舞った。この日の宿は、ベンの数少ない理解者の妹ハーパーとその夫デイヴの自宅。ところが夫妻の2人の子も交えたディナーは、ベンらが常識外れの言動を連発したせいで最悪の雰囲気に。ハーパーはたまりかねて「子供たちは学校へ行くべきよ」と諭すが、そんな忠告に耳を貸すベンではなかった。


遠路はるばるニューメキシコに到着した一家は、厳かに葬儀が進行中の教会にド派手なファッションで乱入。しかしベンを心の底から憎むジャックに、埋葬への参列を拒まれてしまう。このままではママを救えない。しかも大学進学を夢見るボウドヴァン、ベンの極端な教育方針に反発するレリアンが次々と不満をぶちまける。さらに子供たちの養育権を法的に争うとジャックに宣告され、新たなミッション中に起きたアクシデントで、たちまち窮地に立たされたベンの信念が揺らぎ出す。(作品情報より)

むかつく話も多いけれど、頭が良くて、名門大学から軒並み合格通知をもらうほどクレバーな長男が、バスで移動中に宿泊するキャンプで知り合った女の子に急接近するシーンはかわいい。少しづつ性に目覚めていく姿がいい。

ただ、おやじは頑固そのものだ。名門大学からの入学許可を見せても、行く必要がないという。妻の父親である義父は少しはまともな生活をさせようとしても言うことを聞かない。見ていてこちらが、かわいそうになってくる。それでも最終に向けてはほっとさせられる。



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映画「あゝ荒野 後編」 菅田将暉&ヤン・イクチュン

2017-10-27 19:16:49 | 映画(日本 2015年以降主演男性)
映画「あゝ荒野 後編」を映画館で観てきました。


前編はなかなかの出来であった。当然、観に行かねばと思い、超満員の映画館に向かう。上映館が少ないので混んでいるなあ。前編の鑑賞後で、寺山修司の原作を購入したが、後編をみるまでお預けで2時間半を超える長丁場に向かう。

会社のある新宿高層ビル街でのトレーニングシーンが目立ち、見慣れている光景に気分が高揚する。因縁の相手との対決で気分を盛り上げ、バリカンの予想外の展開に身を任す。最後に向けては原作に忠実であるが、ちょっとやりすぎじゃないという感じもする。

前編のほうがよかったんじゃないかな?上映時間が長時間になるのは、原作にない部分の設定が多すぎるからではないか。因縁の相手である裕二を設定するのは仕方ないとしても、どうでもいいデモのシーンとかバリカンの父親を元自衛隊員にしてしまうのはあんまり褒められたものでもない気もする。

プロのボクサーとして着実に力をつけている新宿新次(菅田将暉)は、少年院に入る前に裏切りにあった因縁の相手・裕二(山田裕貴)との対戦が決まり、片目(ユースケ・サンタマリア)やトレーナーの馬場(でんでん)とともにトレーニングをはじめる。そのころ、母(木村多江)から兄貴分のバリカン建二(ヤン・イクチュン)の父が自分の父を死に追い込んだことを知らされる。それでも、特に変化なくバリカンと付き合いを続ける。


そのころ、海洋ボクシングジムのオーナーである宮本社長(高橋和也)はジムの地主石井(川口覚)から土地有効活用に絡んで、ジムの立ち退きを要求されていた。宮本は石井を誘ってジムの実情を説明しようとする。そこで、バリカンの戦いぶりと人柄に惚れ、石井はバリカンにある提案をする。

そして、新宿新次は裕二との対戦を迎える。試合場でセコンドに入るはずのバリカンがいないことに気づく。バリカンは石井の紹介でジムを移籍したのだ。新次はわれを忘れて裕二に立ち向かう。

バリカンは移籍後力をつけていく。しぶとい戦いを続け連戦連勝だ。もともと自殺研究会のリーダーの彼女(今野杏南)の窮地をあることで救っていた。バリカンへの感謝をこめて試合を見に来るようになったこの美しい女性が童貞のバリカンに引き寄せられるのであるが。。。

1.白熱のファイト
新宿高層ビル、大久保の裏小路、大久保から高田馬場へ向かう道で新次とバリカンはランニングを続ける。そして、うらびれたジムで徹底的に体を鍛えて試合に臨む。少年院に行く前に裏切りにあった裕二は原作にはない。原作では少年院にどうして入ったかは言及されていない。この設定はオリジナルだが、いきなり新次対バリカンになるよりは1つのピークを作るという意味でいいのではないか。
ただ、この試合の内容はいただけない。裕二に対して、恨みがあるのはわかる。殺したい気持ちになるのもわかる。でも、ボクシングルールを無視したような動きはよくない。亀田甲毅がタイトル戦で反則したときの動きのようだ。減点はあれど、試合は続く。これってちがうんじゃない?これで勝負がつくというのは変じゃない??

2.宮本社長の取り扱い
原作を読むと、 宮木社長(原作では本でなく木)はスーパーの経営者ということになっている。しかも、宮木社長の手記なんかもとりあげられている。昭和41年当時は価格破壊でスーパーマーケットがいちばんの成長株だったわけだ。今はリアル店舗がネット通販に押されているときで、スーパーをクローズアップはできない。映画での宮本社長は介護施設やボクシングジムを経営している。介護というのは補助金目当てにまじめな仮面をかぶった裏の奴らも参入する現代のビジネスかもしれない。うさんくさい顔をさせると、高橋和也はうまい。


原作と共通する場面は、新次が宮木社長のオナニーを偶然に見てしまうということ。このコミカルな感じも演じる高橋和也のうまさが光る。どこで新次に見られるかということは原作を読んでいない人へのお楽しみにしておく。

3.ヌード三景
一作目で菅田将暉とやりまくっている木下あかり のベットシーンは経済学の「限界効用逓減の法則」どおり一作目ほどは衝撃を受けない。 2作目ではもともと木下の母親であるという設定の河井青葉が、ユースケサンタマリア扮するジムのオーナーが通い詰める飲み屋楕円で働くということになっている。「私の男」でもヌードを見せていたが、今回もモデル出身の裸体をさらす。


そして、意外な掘り出し物があった。今野杏南である。自殺研究会のイベントで自らドローンからの攻撃を受けて亡くなったリーダーの彼女だ。それがバリカンの目の前に現れる。自殺研究会のリーダーの子を身ごもっていた彼女が流産してしまうのだ。図書館で倒れた時、そばにバリカンがいて助ける。そして、2人は近づいていき、ラブホに入る。そこで見せつける今野杏南のボリューム感タップリの美しいバストにビックリ。映画を見ていた全ての男性は思わずゴックンとしてしまったのでは?

4.原作と違う余計な設定
原作に付け加えてよかったと思える部分もあるが、変な場面も多い。どうもこの脚本家はデモとか好きなのか?東日本大震災の被災者の設定やバリカンの父親が自衛隊員とするのもどうかと思う。変に反体制の雰囲気を醸し出させるのはちょっと余計だな。ヤン・イクチュンの母国では徴兵制がある。徴兵制反対なんてプラカードを韓国の人が見たら、日本人は能天気だなと思うであろう。

寺山修司の原作は思いのほか簡潔でいい小説であった。新宿大映とか緑屋とか西口会館とか今はもうない新宿の固有名詞を見るたびに気分は高揚する。
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映画「女神の見えざる手」 ジェシカ・チャスティン

2017-10-24 21:24:46 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「女神の見えざる手」を映画館で観てきました。

最終場面に向けて面白くなっていくスリリングな映画である。社会派の映画なので、男性観客のほうが多かったが、男の自分がいうのも何だが、女性が見るとすっきりするんじゃないかな?と思う。


「ゼロダークサーティ」以来相性のいいジェシカ・チャスティンの主演。ロビー活動というのは日本語にもなってきているけれど、ロビイストというと日本ではまだなじみはない。映画を見始めたときは、むずかしい言葉が飛び交い何が何だかわからない。そんな状態が続いた後で、銃規制をめぐっての肯定派と反対派の対決になり、徐々にわかっていく。テレビ討論の場面なんか迫力たっぷりだ。

金品や物品の授受で議員たちの言動を変えるとなると、ヤバいことになる。ではロビイストたちはどうやって自分が有利となる方向にもっていくのか?結局、議員たちは選挙で負けてしまうとただの人になる。議員がこころから望むのは自分のエリアでの票を集めるための手助けをしてもらうことだ。そしてそれがロビイストたちの仕事となる。今回の衆議院選挙でも、ライバルの出馬をやめてもらったとかずいぶんあったよね。そういうことを裏で操る。

ロビイストたちは全米をまわって、地道に自分たちに優位になるように議員説得に頑張るのだ。

ワシントンD.C.で、スパーリング上院議員(ジョン・リスゴー)による聴聞会が開かれていた。召喚されているのは、敏腕ロビイストとして名高いエリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)。大手ロビー会社、コール=クラヴィッツ&W在職中に手がけた仕事で不正を行っていたとされ、その真偽が問われている。


聴聞会から遡ること、3ケ月と1週間前。
エリザベスは、コール=クラヴィッツ&Wの花形ロビイストだった。勝つためには手段を選ばず、一切の妥協を許さない仕事ぶりはクライアントから高く評価され、政府やメディアからも一目置かれる存在だった。
エリザベスは、銃擁護派団体からの仕事を依頼されていた。新たな銃規制法案に対し、女性の銃保持を認めるロビー活動で、廃案に持ち込んでくれというのだ。団体の代表者は議員たちにも強い影響力をもつ人物だが、エリザベスは彼の目の前でその仕事をきっぱりと断る。その結果、上司のデュポン(サム・ウォーターストン)から、「依頼を断るなら、君にいてもらう必要はない」と言い渡される。
その夜、パーティに出席したエリザベスは、銃規制法案の成立に尽力する小さなロビー会社のCEO、シュミット(マーク・ストロング)から、自分と一緒に闘わないかと誘いを受ける


次の日、エリザベスは部下を引き連れ、シュミットの会社へ移籍。奇策ともいえる戦略によって、形勢を有利に変えていく。だが、巨大な権力をもつ銃擁護派団体や元同僚も負けてはいない。エリザベスの過去のスキャンダルが暴かれていくのだが。。。
(作品情報引用)

弁護士が活躍する法廷映画のような展開である。ジェシカ・チャステイン演じる主人公は男勝りで、慢性的な不眠症だ。起きているあいだじゅう頭の中が冴えわたる。弁舌ではだれにも負けない。テレビ討論の場面は見ものだ。パリッとした服装に身を包み、真紅のルージュが白い肌に妙なコントラストをつくる。独身であるが、性的な欲求の解消に男を買っている。優秀なロビイストというのは高額な収入を得ているのであろう。物事の解決に自腹を切ることもよくある。ドライな女だ。


そういう主人公を演じるジェシカ・チャステインのワンマンショーと言えるだろう。常に勝ち続けるかというと、そうでもない。聴聞会にも呼ばれるくらい不利な状態をつくるし、カッとしてとっさにまずい言葉も吐いてしまう。もうこれで終わりかと思うところで、脚本家は別の手立てを仕組む。ここでのストーリー作りは実にうまい。脚本術を独学で学んだ元弁護士のジョナサン・ペレラが、不正行為で逮捕された共和党系ロビイスト、ジャック・エイブラモフのインタビューを見たことで着想を得て、初めて執筆したのが本作のシナリオだという。お見事だ。


ロビイストはいないけれど、自分たちの業界の陳情がなりたつように、業界団体がずいぶんと動いている。自分の会社にも政治家に入れ込んでいる人はいる。業界団体の専務理事のような人はほとんど所轄官庁の天下りだ。だから選挙の業況が悪いと、とたんに政党から応援要請が来る。今回は途中の世論調査を経て、思ったほど応援要請はなかったので、気楽であった。

昨日、財界関係者も出席するある夜の会合があり、冒頭ある財界の大物が与党の勝利で選挙が無事終了してよかった、小池台風があっという間に去ってパリに行ってしまったなんて話をしていた。個人的にも日本経済のためにもよかったと思う。なかなか女性が這い上がろうとしても障壁は多い。しかも、小池自らポカをやってしまって、選挙は彼女の思い通りにはならなかった。もしかしたら、この映画でも見たら、再度やる気を出すんじゃないかしら?
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映画「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」ジェイクギレンホール&ナオミワッツ

2017-10-22 19:49:12 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」は今年公開のアメリカ映画

随分としゃれたラブストーリーを連想させる題名である。ジェイクギレンホール、ナオミワッツとも銀幕の前では自分にはおなじみ。でも、妻を亡くした男の喪失という大枠の話を聞いて、後回しにしてしまう。dvdではじめてチェックしたが、 ちょっとビックリだ。なかなか感情移入ができず見終わる。改めて解説をみて、原題がdemolitionだったということを確認する。日本語訳で解体だ。おいおいこの原題どおりの映画じゃないか、なんか騙されたみたいだなと感じる。

ディヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、出世コースに乗り、富も地位も手に入れたウォールストリートのエリート銀行員。いつもの朝、美しい妻とともに車でオフィスに向かう。ところが、突然の交通事故に遭遇し、妻だけが他界してしまうのだ。ディヴィスは、一滴の涙もでない。哀しみにさえ無感覚になっている自分に気付く。このあと、デイヴィスの行動が支離滅裂になってくる。まだこのときは、周囲からは突然の妻の死に遭遇した夫に対する同情の気持ちが強かった。


そんななか、「心の修理も車の修理の同じことだ。まず隅々まで点検して組み立て直すんだ」という会社のオーナーである義父(クリス・クーパー)の言葉が契機となり、ディヴィスは身の回りのものを分解し始める。やがて、エスカレートし、あらゆるものを破壊し始めるのだ。


妻が搬送されていった病院の自動販売機でチョコレートを買おうとしたが、コインを入れても出ない。妻の死よりもそのことが気になって仕方がない。自動販売機のメーカーにクレームの手紙を再三だす。すると、深夜デイヴィスの心を癒すがごとく、電話がかかってくる。カノン(ナオミワッツ)という女性からだ。何度もかかってきた後で正体を突き止める。メーカーのクレーム係のシングルマザーだ。デイヴィスは彼女に急接近をする。


解体だという題名だったら、誰も見に行かないだろうと、詩的日本題をつけたので、面喰らう。ちょっとしたことで腹をたて食器を割ったりする女性は、それでもストレス解消で見にくるんだろう。自分は苦手。最初に家の冷蔵庫を分解し、おいおいどうなるんだと思ったら、会社のパソコン、トイレみんな分解してしまう。周りも奇異の目で見るようになる。そのあと、町の解体現場に行き、自分にもぶち壊させてくれという。解体職人にダメだと言われたら、金を払うからやらせてくれと。このエスカレートぶりには驚く。


この映画では、独り者になった主人公があるシングルマザーとちょっと変わったその息子と交わるのも見せ場だ。変わり者が変わり者と交わり、おかしな方向へ進む。ウォールストリートのエリート金融マンとシングルマザーの家庭との格差社会的アンバランスを含め、我々に何かを感じさせようとしている。
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映画「あゝ荒野 前編」 菅田将暉

2017-10-17 20:06:38 | 映画(日本 2015年以降主演男性)
映画「あゝ荒野 前編」を映画館で観てきました。


「あゝ荒野」は寺山修司が昭和41年に書いた長編小説に基づき、菅田 将暉が主演した映画である。現代新宿に時代の軸足を変えているが、2021年東京オリンピック後の近未来社会という前提である。

菅田 将暉は個人的に好きな俳優である。かなり出演量をこなす中で、少しづつ実力を蓄えている印象をもつ。パッションが強いインパクトのある演技ができる現代日本を代表する俳優になりつつある。一方、ヤン・イクチュンは映画「息もできない」で我々をあっと言わせた。韓国得意のバイオレンス映画である。「シーバ」の罵声を最後まで連発しながら、借金の債務者から容赦なく暴力的に取り立てる怖い男を演じた。この演技は日本でも高く評価され、キネマ旬報ベスト1となる。

そんな2人が組むのであれば、悪い映画ができるはずがない。ただ、上映時間が長いせいか、やっている映画館が少ない。新宿に向かうが、事前にネットをみると予約でいっぱいである。ひそかに人気である。さすがに2時間半をこえる長さは重いなあという感じであるが、期待通りの作品で続編を楽しみにしたいという気持ちをもって前半を見終えた。

新宿新次(菅田将暉)は振り込め詐欺の常習犯であったが、仲間の裕二(山田裕貴)に裏切られた喧嘩のあと警察に引っ張られた。2021年ようやく入った少年院を出所して、元アジトのある新宿に戻ってきた。たむろしていた喫茶店で元の相棒から、裏切った裕二がボクシングジムにいることを聞く。顔を見た途端、怒りを込めてリングに上がるが、裕二のボディパンチを浴び倒れる。


一方、新宿の床屋で働くバリカン銀二(ヤン・イクチュン)は元自衛隊の幹部を父親に持ち、母親は韓国人だが、両親は離婚している。今は酒浸りの父親と暮らしている。どもりがひどく、韓国語も日本語も不十分で、ひきこもった人生を送っている。


新次が一発食らったボクシングジムの外には、片目こと堀口(ユースケサンタマリア)がいて、自分が作ったボクシングジムの勧誘をしている。バリカンも床屋のティッシュ配りをしているところで、偶然出会う。父親の虐待につかれ、強くなりたい願望を持つバリカンがジムに向かうと、同じように新次もボクシングジムの門をたたく。ジムで2人の練習は始まった。そこにトレーナー(でんでん)が加わり、2人はデビュー戦を目指す。


登場人物がわりと多い。自殺扇動の運動家、ボクシングジムの出資スポンサーとその秘書、バリカンの父親、ラーメン屋でバイトする私設売春婦などなど。みんないい人生を送っていない。そういう話をそれぞれに小出しに出していく。内容盛りだくさんで上映時間が長時間になるには仕方ないか。そんな中でも新宿新次が街でナンパした女ヨシコ(木下あかり)の存在が雰囲気を盛り上げる。

1.ヤン・イクチュン
暴れまくっていた「息もできない」とは全く対照的な男を演じる。同一人物とは思えない。当然日本語はうまくないわけだが、どもりとはいい設定をした。ボクシングシーンも弱々しい。後半どう変わるのか?それとも破滅するのか?原作をみずに楽しみにしたい。


2.木下あかり
新次が街でナンパした女とホテル直行だ。気が付くとずっとやりまくりだ。そういう血気の強い若者の相手を受けとめる。父親がいないので、売春まがいのことをしていた母親を見て育つ。結局同じようなものだ。男と一緒にホテルに行った後、財布からこっそりお札を抜け出す。悪い奴だ。
新次との情事のあとも、なけなしのお金をもっていってしまう。でも、しばらくしてラーメン屋で新次と再会、もともとムカついていたが、意外にも似た者同士くっついていく。


経験豊富?と思しき熟れた裸体を前面にだす。気前がいい。この脱ぎっぷりの良さはいろんな映画に起用される気がする。

3.木村多江
いつもより色っぽい雰囲気だ。化粧の仕方も違う。ユースケサンタマリアがやっているボクシングジムのスポンサーの情婦(秘書)という設定である。謎めいた雰囲気を残すが、実は主人公ととんでもない関係にあることがわかる。(ネタバレなので言わない)


ただ、2021年に失業者であふれているという脚本設定になっている。これはどうかな?2017年の今、アベノミクスの効果が出て有効求人倍率はバブル水準の1.5を超えている。しかも、若者の人口減で人手不足に拍車がかかっている。経済音痴の脚本家はついついリーマン前後の悪い状況を思い浮かべるけど、ベビーブームに生まれた日本の最多人口の集団も70歳半ばでは失業者というより引退の身だし、これだけは違うんじゃないかな?映画の中身の良さとは関係ないけれど。
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映画「アウト・レイジ最終章」 ビートたけし

2017-10-15 19:18:50 | 映画(日本 2015年以降主演男性)
映画「アウト・レイジ最終章」を映画館で観てきました。

「アウト・レイジ」シリーズもついにこれで終わりだ。前二作の痛快さは日本映画界を代表する傑作である深作欣二監督「仁義なき戦い」にも劣らない。騙し騙されというひっくり返しがテンポよく最後まで続く。暴対法ができて、町から暴力団排除の声が出て久しいが、映画界でのやくざ映画の人気が衰えないのはどういうことなのか?

アウトレイジシリーズでは、ふだんは善人の役をやっている人がもっともらしいやくざの役をやっている。「仁義なき戦い」では一度死んだやくざが続編で別の役をやるなんてことがある。さすがにここでは三浦友和も加瀬亮も椎名桔平もでてこない。やくざに密着する警察官小日向文世もでてこない。でも、たっぷりと埋め合わせる役者はそろっているし、西田敏行、塩見三省の2人も最後までどすを利かす。これもうまい。韓国系フィクサーの金田時男がいかにも政財界にも顔の利く超大物という設定どおりの風格がでている。


日本の二大勢力だった関東山王会と関西花菱会の巨大抗争後、韓国に渡った元大友組組長・大友(ビートたけし)は、日韓を牛耳るフィクサー張会長(金田時男)の下で市川(大森南朋)ら手下を従え、済州島の歓楽街を裏で仕切っている。ある日、買った女が気に入らないと日本のヤクザからクレームが入る。クレームの主は花菱会直参幹部・花田(ピエール瀧)だったが、女を殴ったことで逆に大友から脅されて大金を請求される。花田は側近たちに後始末を任せ、ひとり日本に帰国する。後始末を任された側近が張会長の若い衆を殺害してしまい、激怒した大友は日本に戻ろうとするが、張会長に制止される。


山王会を実質支配下に収める花菱会の新会長の座には、前会長の娘婿で元証券マンの野村(大杉漣)が就いていた。金さえ稼げれば何でもありという野村のやり方に、古参幹部の若頭・西野(西田敏行)は敵意を燃やしていた。西野を厄介払いしたい野村は、若頭補佐・中田(塩見三省)に若頭の跡目を取らせようと手を回すが、本心は二人を揉めさせ、いずれまとめて捨ててしまう算段だった。


一方、花田が張会長率いる巨大グループを敵に回したことを知った西野は、花菱会の会長代理として、花田を連れて張会長に詫びを入れに行くことにするが、その裏には大金を稼ぐ花田の金をむしり取ろうという魂胆があった。野村は自分の地位を守るため、この西野の行動を利用しようとするが、野村の思惑に勘づいた西野も奇策を講じる。花菱会と張グループの揉め事の裏で、野村と西野の覇権争いが始まり、事態は張会長襲撃にまで発展する。張会長の身に危険が及んだことを知った大友は、張会長への恩義に報いるため、また殺害された若い衆と、過去の抗争で殺された兄弟分・木村の仇を取るため、日本に戻る決意をする。(作品情報より)

あえてそういう名前にしたであろう野村という名の会長になった大杉漣が最後に受けるお仕置きが、映画「北陸代理戦争」で西村晃がくらうのと同じで、土の中に首だけ出して埋められて受けるのをみて笑った。


ただ、いかんせんネタ切れの感はあるかもしれない。東映映画「仁義なき戦い」の場合は役者の数が足りないから、一度は死んだ俳優をもう一度生き返した。そういう映画会社のしがらみはないとはいえ日本の役者には限りがある。「アウトレイジ」も死んだ人を生き返すようなことをやらざるを得なくなる。いい感じの潮時なのかもしれない。北野たけしの次の構想に期待したい。

アウトレイジ ビヨンド
裏切りがはびこる第二作


アウトレイジ 最終章 [DVD]
ついに終わりだ
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映画「ドリーム」 タラジ・P・ヘンソン&オクタヴィア・スペンサー

2017-10-05 19:00:46 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ドリーム」を映画館で観てきました。


ソ連に遅れてアメリカがはじめて有人宇宙飛行に成功したとき、NASAで働く3人の黒人リケジョの裏方に支えられていた話を描いている。こういう3人が活躍していたことは初めて知った。

自分がなり切れないあこがれもあってか、数学の能力に優れた天才を描いた映画って好きだ。天才ぶりをあらわす逸話もふんだんに披露される。現代アメリカ映画らしく、美術、衣装は完璧で色彩設計もすばらしい。ソウルフルなミュージックも画面にあわせて軽快に流れる。気分よく見れるサクセスストーリーである。

東西冷戦下、アメリカとソ連が熾烈な宇宙開発競争を繰り広げている1961年。ヴァージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所では、優秀な頭脳を持つ黒人女性たちが“西計算グループ”に集い、計算手として働いていた。リーダー格のドロシー(オクタヴィア・スペンサー)は管理職への昇進を希望しているが、上司ミッチェル(キルスティン・ダンスト)に「黒人グループには管理職を置かない」とすげなく却下されてしまう。技術部への転属が決まったメアリー(ジャネール・モネイ)はエンジニアを志しているが、黒人である自分には叶わぬ夢だと半ば諦めている。


幼い頃から数学の天才少女と見なされてきたキャサリン(タラジ・P・ヘンソン)は、黒人女性として初めてハリソン(ケビン・コスナー)率いる宇宙特別研究本部に配属されるが、オール白人男性である職場の雰囲気はとげとげしく、そのビルには有色人種用のトイレすらない。それでも、それぞれ家庭を持つ3人は公私共に毎日をひたむきに生き、国家の威信をかけたNASAのマーキュリー計画に貢献しようと奮闘していた。(作品情報より)

1.数学にすぐれたキャサリンの活躍
60年代初め、アメリカは明らかにソ連に宇宙開発で遅れていた。ソ連はガガーリン飛行士による有人宇宙飛行を成功させ、NASAは焦っていた。ケビン・コスナー演じる研究本部のハリソン本部長は軌道の設計ができる解析幾何学にすぐれた奴はいないのかと部下をしかりつめる。その時、遡上に上がったのがキャサリンだ。この当時、黒人女性で大学院まで卒業するというのはめったになかったと思う。若き日から数学の才能にすぐれたキャサリンが研究本部の計算係として異動する。


研究本部はエリート白人男性ばかりで、黒人はもちろんいないし、白人女性も補助だけだ。広い本部の部屋に入るとみんなから白い目で見られる。ロケットの軌道計算の見直しをやるように指示を受けるが、肝心な数字が黒のマジックで消されている。おいおい、これじゃ仕事できないじゃないの。でも彼女は光にあて、マジックの下の字を一部読み取り、行間から推測して正しい数字を見せつける。これにはみんな唖然だ。


そんな感じで、徐々に本部長の信頼を得る。しかも、宇宙飛行士グレンのいる前で、大気圏突入と落下位置をスパッと計算するのだ。こんな逸話がたのしい。

2.計算センターの女性リーダーの昇進
一方、別館の計算センターにいる優秀な黒人女性のなかで実質リーダーをしていたドロシーは、何度も昇進を懇願したが、受け入れられなかった。(ここでのキルスティンダンストの嫌味っぷりも見どころだ。)その中でコンピューター言語のFORTRANを自力で学んで、IBMの大型CPUの操作をマスターするなんて逸話もある。目のギョロっとした芸達者なオスカー女優オクタビア・スペンサーはいつもながらの名演技である。


映画の世界でも60年代前半というと、黒人と白人との激しい対立が描かれている。アカデミー賞受賞した「夜の大捜査線」なんか見てもすごいよね。グレゴリーペックが黒人の冤罪を弁護する正義あふれた弁護士を演じた「アラバマ物語」も1962年だ。キャサリンがいる研究本部には黒人女性用のトイレがない。わざわざ別館まで走っていかねばならない。こんな場面も黒人の阻害ぶりを示している。

ただ、解析幾何って高校で習う図形を座標軸で計算するやつだよね。微分積分の解析と違うなら、解析幾何学ってそんなに特殊な学問かなあ?訳し方が違うのかなあ?あと、天才少女ぶりを示すという黒板の問題って誰でもできるずいぶんと簡単な問題だけど、アメリカってこういうのが難しいということになるの?このあたりは不思議だけど、主人公が計算能力に優れているということは間違いないだろうね。
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韓国映画「わたしたち」

2017-10-04 19:15:02 | 映画(韓国映画)
映画「わたしたち」を映画館で観てきました。


「わたしたち」はいじめが題材の映画のようだ。韓国映画では狂気に迫るクライムサスペンスを見ることが多い。気になるテーマなので、恵比寿ガーデンプレイスに向かう。まだ幼い出演者のナチュラルな演技に好感が持てる。ストーリー作りの上手な韓国映画のなかでもグイッと引き付けられる要素がある。

友達がいないのでいつも一人でいる小学4年生の女の子が、同じクラスになるという転校生と知り合う。ちょうど夏休みに入るところで、ようやく友達ができて喜び夏休みの間遊ぶ。でも、転校生は塾で新しい友達と知り合う。それは主人公をいつも仲間外れにする同じクラスの女の子だ。学期が始まり、友人関係がごちゃごちゃになってしまうという話である。

普通の小学校でよくありがちな話だ。目線を自分の少年時代に落としてみると、小さい頃の思い出が次から次へと脳裏に浮かぶ。むろん、イヤな思い出も少なくない。スクールカーストなんて言葉がはやる現代であるが、日本も韓国もクラス内の構図は昔から変わらないのではないか。イケていないクラスで目立たない女の子が友人と群れられず、つまはじきにされるという設定である。

新人監督としてはなかなかの出来である。これは必見!


学校でいつもひとりぼっちだった11歳の小学生の少女ソンは、転校生のジアと親しくなり、友情を築いていくが、新学期になると2人の関係に変化が訪れる。また、共働きの両親を持つソンと、裕福だが問題を抱えるジアの家庭の事情の違いからも、2人は次第に疎遠になってしまう。ソンはジアとの関係を回復しようと努めるが、些細なことからジアの秘密をばらしてしまい……。(作品情報より)

新人女流監督が女の子の陰湿な部分をここぞとばかり浮き彫りにする。本当にイヤだよね、女って。まさに女のいやなところは愚痴と嫉妬でこの映画では全面に出る。逆に幼い弟の友人関係の話はあるけど、男の子に関する描写は少ない。

いじめ体験のない人って少ないと思う。子供の時になかったとしても、中学高校大学で友人に露骨に攻撃をうけたり、無視される経験をもったりする。また、大人になっても職場でいじめにあうことは、大概の人が経験しているのではないだろうか?せっかく仲良くできた友人に突然無視されるのは本当につらいよね。

新学期に入り、正式にクラス内で転校生として紹介される。主人公は壇上に立つ転校生のジアに小さく手を振るが無視。逆に塾で一緒になったいじめっ子に手を振る。転校生の誕生日にプレゼントを持って訪問するが、受け取りを拒否させる。なんで??と嘆く主人公だ。まあ、徹底的に主人公を友達地獄に陥らせる。



あとはここでも出てくるけど、ネタミ。自分よりいい成績をとっているだけで、友人からつまはじきにするシーンは本当にむかつく。転校生ジアの成績がいいので、もともとはクラスの優等生だったいじめっ子が面白くないのだ。ここでもう一つの葛藤が生まれる。あと、ここで取り上げられるのはこっそり話した内輪話が大げさになってしまうということ。こういうのもよくあるよね。

女のイヤな部分をこれでもかと見せて、見ている我々の腹をたたせる。これがうまい。
そして、最後は何かを連想させる形で終わる。
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