映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

こわれゆく世界の中で  ジュード・ロウ

2011-07-28 05:51:05 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「こわれてゆく世界の中」はロンドンを舞台にしたシリアスドラマ、監督は「イングリッシュ・ペイシェント」のアンソニー・ミンゲラだ。ジュードロウが主演で脇をベテラン美人女優の2人ロビン・ライト・ペンとジュリエットビノシュが固める。強い見せ場があるわけではないが、移民で人口が今でも増えている英国の特殊事情がよくわかる。



ロンドンの再開発に携わる若き建築家ウイル・フランシスことジュード・ロウは、共同経営者と共に都市開発プロジェクトの責任を担っていた。私生活では映像作家リヴことロビン・ライト・ペンとその娘と暮らしているが、結婚はしていない。娘は自閉症ともいわれ、夜中ずっと起きて奇声をあげたりして苦しんでいた。そのことが2人の関係の進展を阻んでいた。
彼のオフィスに泥棒が入った。窃盗団は東欧移民系グループで実行犯は少年だった。警察が取り調べるが再度泥棒が入る。オフィスはロンドンでも環境のよくないところだった。そのためジュードロウは夜自動車で会社の前で待機して様子を見ることにした。
何日か同じことを繰り返した後、誰かが事務所に侵入するのを見る。主人公は懸命に追う。逃してしまう。しかし、その一人が貧民街のマンションの中の一室に入るのを見る。玄関先で迎えたその少年の母親ことジュリエット・ビノシュには見おぼえがあった。縫製の仕事をしているようだ。ジュードロウは自分の身元を隠して彼女の元へ自分の衣服の手直しを頼みに行く。ボスニアの英雄である夫をなくしたジュリエット・ビノシュは、息子と二人で亡命してきた移民だった。そしてジュードロウとジュリエットの仲はいつしか進展していくのであるが。。。。



さまざまな人間模様を映し出していくが、この映画の主題は移民問題であろう。
日本と違いイギリスは人口が増えている。それも移民による人口増加である。アメリカ映画でもその題材が目立つが、よからぬ人たちも大量に流入している可能性も高く問題もおそらくは大量に発生しているのであろう。今回はボスニアからという設定だが、アルバニアとか東欧系からの移民が問題を起こす映画が多い。ジュリエット・ビノシュがボスニア移民を演じる。こうやって聞くと彼女の英語も多少不自然だ。あえてそうしているのかもしれないが。エスターやマイレージマイライフにも出ていたウクライナ系美人ヴェラ・ファーミガが娼婦の役で出てくる。映画に異種の色彩を与える役柄だ。


社会主義国家という矛盾にみちた経済体制はいつか破綻をきたす。それだけならいいが、めしが食えずに大量に他国に移動する。いずれ北朝鮮も同じようなことが起こるかもしれない。同言語を話す韓国や朝鮮族のいる中国だけでなく、日本にもルートをたどって来るだろう。

アンソニー・ミンゲラ監督はこの映画の2年後2008年に若くしてがんで亡くなってしまった。「イングリッシュ・ペイシェント」は好きなだけに残念だ。しかし、ここでは熟女の域に入ったジュリエット・ビノシュを脱がしている。「イングリッシュ・ペイシェント」ではクリスティントーマスのみ脱がしてジュリエット・ビノシュは傷痍軍人の面倒を見させるだけだった。ある意味ベテラン女優を脱がせるという特異な才能を持った監督だったのになおのこと残念というべきか?
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波の数だけ抱きしめて  中山美穂

2011-07-27 22:26:29 | 映画(日本 1989年以降)
「波の数だけ抱きしめて」は織田裕二、中山美穂のトレンディドラマのスターを中心にした1991年の映画。ホイチョイプロダクションの制作だ。今でも雑誌等で名をなすプロダクションの中心人物馬場康夫の監督作品だ。1982年の神奈川県・湘南にあるミニFMを舞台にして、当時の湘南ボーイ&ガールの日常を描く。いかにもホイチョイプロダクション制作らしいセンスの良さが満ち充ち溢れていてみていてご機嫌になる。同世代の逸話だけに気持ちが童心にかえるような気がする。バックの選曲のセンス良さは飛びぬけている。



1982年5月江の島から茅ヶ崎に向かう湘南の海辺が舞台だ。黄色のワーゲンにのった軟派男こと別所哲也が彼女とデートの途中、砂浜をドライブしようとしてタイヤが砂にはまり空回りする。あたふたしている彼を色黒の美女こと中山美穂が助ける。一目ぼれした別所は美穂を追う。名乗らない美穂はバイト先のサーフショップに入っていく。彼女はそこを拠点にしたミニFM局のDJだったのだ。
大学4年生の男女それぞれ2人の4人はミニFM局Kiwiを運営していた。サーファーが集う海岸のFM局を無線マニアの芹沢こと坂田ヒロユキを中心に始めたが、湘南じゅうの海岸で聞けるようになることを夢見ていた。小杉こと織田裕二中山美穂が好きだったが、なかなか言えない。美穂はロスに駐在中の両親から7月にはロスの大学に編入するように言われている。美穂は織田に引きとめてほしいのだが、シャイな織田は好きと言えない。
そういう状況で軟派男別所哲也がFM放送局の仲間に入りたいと言ってくる。別所は東京の広告代理店の社員だった。別所は持ち前の業界人らしさを発揮して中継局作りに積極的に協力しはじめる。そして積極的に中山美穂を口説こうとする別所と本来の仲間の織田裕二との葛藤が高まる。同時にFM局のネットは国道134号線沿いに江ノ島方向へ急速に伸び始めるが。。。。。

87年の「私をスキーに連れて行って」で若者のハートをつかんだホイチョイプロダクション「彼女が水着に着替えたら」に続いて制作した。ホイチョイといえばレストランガイド『東京いい店やれる店』には大変お世話になったものだ。東京を知り尽くした完ぺきなガイドだと思う。
91年といえばバブル絶頂の余韻がある時代、同時にユーミンのCDがバカ売れしていた時期だ。そのユーミンの歌が映画の基調となる。何とも言えない取り合わせの良さだ。



FM局のDJとしての中山美穂はちょっと稚拙だが、絶頂の時期だけに魅力的だ。日焼けして色黒になったというより、メイクでつくられた色黒のようで共演の松下由樹ともども不自然さを感じる。ガングロみたいだ。当時サーファーガールにみんな憧れたものだ。色白メインの今とは違い、色白の女の子も懸命に色黒を演出した。自分は男なので気持はよくわからないが、あのころ意図的に色黒にメイクしたという告白も同世代や少し下の女性からきく。あとは肌には絶対よくないと思いながら、懸命に焼きまくった子も多い。今になって鏡を見て後悔しているのでは?

でも服装のセンスその他の時代考証については間違いない。ましてやホイチョイプロダクションがつくった映画だけに抜群のセンスだ。中山美穂、松下由樹、織田裕二の服装はいかにも湘南付近をたむろっていた連中のものだ。小物も出来過ぎている。別所哲也は博報堂の社員という設定、普段着はポロシャツで、仕事着はアイビーでという雰囲気。若干決まりすぎという感じもする。でも自分も年をとってもこの映画の彼の服装とは大して変わらない。ある意味自分の世代からするとこのほうが気が楽なのかもしれない。別所が中山美穂をしゃれたレストランに連れて行っていやらしく口説く姿をみて、妙に昔の自分にダブらせ恥ずかしさを覚えた。
ディスコ「ナバーナ」が出てくる。その前身「キサナドゥ」の時代から自分もよく知っている。ここで流れている「シャイン」「ドントトーク」「インザナイト」は当時のディスコでも流れたものだ。当時六本木のディスコはメローな歌が中心で、新宿とは明らかに一線を引いていた。

こういう楽しみを今の若者が持っている感じがしない。かわいそうだ。ここ数年世間の不況音に就職活動に追われてばかりいる気がする。生まれてすぐ幼少時にバブル崩壊、日本経済の没落を肌で感じ、デフレ社会に生きてきた。悲しいなあ。逆に我々の人まわり上の世代は学園紛争にあけくれたような自堕落な人たちが多い。(今の政治がおかしいのもそういう左翼思想の連中がのさばっているからであろう)我々は「簡単なことまで難しく言う」そういう人間のくずのような学生運動にあけくれた世代に反発をおぼえ、能天気な遊びをしていた。「ポパイ」「JJ」文化も我々の世代で生まれた。実に楽しかった。今でもその余韻だけで生きている。

そんな古き良き時代を思い起こすこの映画にはみるべきものはたくさんある。BGMのように夏に楽しむべき映画であろう。

参考作品
波の数だけ抱きしめて
中山美穂&織田裕二


彼女が水着にきがえたら
原田知世&織田裕二で昭和の終わりを楽しむ


私をスキーに連れてって
これを見たらスキーに行きたくなる
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恋におちたシェイクスピア

2011-07-25 18:27:56 | 映画(洋画 99年以前)
最近16世紀のヘンリ8世以降の英国が妙に気になるようになった。しかも、日経新聞「私の履歴書」にシェイクスピアの新訳で名だたる東大名誉教授小田島雄志氏の話が掲載されて、シェイクスピアが妙に気になる。とすればこの映画である。
「恋におちたシェイクスピア」はロミオとジュリエット誕生時のシェイクスピアのエピソードを描いた傑作である。若かりし日のウィリアム・シェイクスピアと彼を信奉する上流階級の娘ヴァイオラとの恋愛を描く悲喜劇のロマンスだ。映像、音楽、美術とも抜群で傑作とはこういう作品をさすものなのであろう。グウィネスパルトロウがキュートで男装の短髪姿が抜群にかわいい。ジョセフファインズの身のこなし方も演劇的でこの映画の趣旨にあっている。


16世紀末、アルマダの戦いでスペインの無敵艦隊を撃破したのちのロンドンは演劇熱が高まっていた。ところが、ペストで閉鎖となる劇場も出てくる。そんなピンチに劇作家シェイクスピアことジョセフファインズはスランプに陥っていた。劇場復活にむけて起死回生の新作オーディションにやって来た一人の青年トマス・ケントことグウィネスパルトロウは抜群のセンスを示す。彼が気になり、シェイクスピアはケントを追って船に乗る。シェイクスピアは芝居の最中に観衆として目を留めた美しい女性ヴァイオラが気になっていた。トマスにその想いを語っていた。船が屋敷に着くと船頭がトマスケントに「お嬢様」とのたまう。まさかと思いながら屋敷に向かうシェイクスピアだった。青年トマスは資産家御令嬢の「ヴァイオラ」だったのだ。
シェイクスピアと彼を信奉するヴァイオラはたちまち恋におちてしまう。屋敷の部屋で朝まで二人だけの時間を過ごす。燃え上がる恋心が創作意欲を書き立てたのか、シェイクスピアの台本は急ピッチで仕上がって行き、トマス・ケントを主役とした芝居の稽古も順調に進んでいた。ところが、エリザベス女王ことジュディデンチお墨付きの貧乏貴族コリンファースとの結婚がせまるヴァイオラの気持ちは複雑だった。。。。


悪い見方をすると不倫映画である。所帯持ちであることを隠して美しい女性に近づくシェイクスピアは見ようによっては悪い男だ。でもそういう色彩が薄らぐ。むしろグウィネスの婚約者コリンファースが悪者に見えてしまう。不思議なものだ。相撲の土俵に女性が上がれない文化も今の日本にあるが、16世紀のイギリスには女性が舞台で演じられない文化があった。そういう理不尽の中、ストーリーは主演2人の恋をかばいながらやさしく展開する。音楽もやさしい。衣装も手がかかるものだ。この辺りの時代背景を今一歩つかんでいないが、「夜這い」の文化ってあったのであろうか?夜ごと通うシェイクスピアの動きを見てふと思ってしまう。


ここでは名優たちの活躍が目立つ。劇場主のジェフリーラッシュ、婚約者役のコリンファースはもとより、エリザベス女王のジュディデンチが貫禄を見せる。久々見たが、映画を見る前に思い出されたのが2人が結ばれるシーンと最後のエリザベス1世の登場場面である。あのシーンの存在感は忘れようと思っても忘れられないほど強い。007の秘密組織の女親分役もあっているが、独身のエリザベス1世の威圧感はまさに適役といえよう。

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きみに読む物語

2011-07-18 19:29:36 | 映画(洋画:2000年以降主演女性)
DVDショップでいつも気になっていながら、きっかけのなかった「きみに読む物語」を見た。ジーナローランズ、ジェームスガーナーのかつての主演級の二人に昔話を語らせる。レイチェル・マクアダムスとライアン・ゴズリングの若手カップルの恋物語もさわやかで感動する訳ではなかったが後味は良かった。

認知症で療養生活を送る老婦人ことジーナ・ローランズの元に、一人の老人ことジェームズ・ガーナーが通ってくる。物語を読み聞かせる。それは1940年の夏、南部の小さな町で始まる物語であった。17歳の富豪令嬢アリーことレイチェル・マクアダムスを一目見て地元の製材所で働く青年ノアことライアン・ゴズリングは一目ぼれする。遊園地の観覧車で男友達と同乗している彼女のもとに飛び乗り「デートしてくれなければ飛び降りる」と脅かしデートを約束する。その後2人は強い恋の吸引力にはまっていく。

しかし、両家の家柄の差はあまりに隔てがあり、大学進学をする彼女は親の指示でニューヨークに行くことになる。別れるのがいやな彼は365日毎日彼女に手紙を書くが、一通の返信もないまま第2次世界大戦が始まり、出征することになるが。。。。

2人が知り合い、恋の吸引力にデートを重ねるシーンがさわやかだ。ひと夏の恋をテンポよく映した映像がいい。舞台になった南部の町が美しい。イントロのシーンからうならせる。いろいろ調べてみると、サウスカロライナ州のシーブルックアイランドというところのようだ。彼女がもともと同じ州のチャールストン市に住む御令嬢という設定でヴァケイションで来るということらしい。
映画っていいもんだ。死ぬまでおそらくはいくことはないと思われる素敵な町に連れて行ってくれる。白い水鳥(渡り鳥)に囲まれた池(川?)のまわりをボートでデートする場面の映像美はなかなかいい。あとは個人的趣味で、黒人ジャズバンドが演奏するクラブのシーンがいい。そこで彼女の親子が踊りまくるシーンが良かった。デュークエリントンバンドを意識しているのであろうか?ものすごく楽しそう!!ビッグバンドジャズの鳴り響く中ドレスアップしてあんなところで踊りまくってみたいものだ。


正直涙腺は刺激されなかった。でも若い二人にさわやかさは感じた。
やさしさに包まれた話だと思う。


この年になってまだまだ頑張るジーナローランズの迫力ある姿には貫禄を感じた。今回の監督はせがれ、「グロリア」のどすこいおねえにダブる姿と若い彼女のルックスには若干ギャップがあるがこれはこれでいいのかな
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エニグマ  ケイトウィンスレット

2011-07-18 05:29:02 | 映画(洋画:2000年以降主演男性)
「エニグマ」第2次大戦下のイギリスを舞台に、ドイツ軍の難解な暗号システムに挑む暗号解読チームの暗中模索を描く。主人公の天才数学者が暗号解読に立ち向かう。主演はダグレー・スコットとケイト・ウィンスレット。謎の元恋人サフロン・バロウズの存在がポイントだ。



 1943年イギリス軍の暗号解読センターでナチスドイツの暗号化装置“エニグマ”機の解読が進められていた。チームの中心的存在で若き数学者の主人公ジェリコことダグレイ・スコットは、同じセンターで働く恋人クレアことサフロン・バロウズと喧嘩別れしたことが原因で神経衰弱に陥り休暇をとっていた。そんなある日、彼は急遽センターに呼び戻される。ようやく解読に成功したエニグマの暗号コードが突然変更されたのだ。この変更コードの解読ができなければ、大量の輸送物資を積み込んで大西洋を航行する大輸送船団が、ドイツのUボート軍団の餌食にされる。窮地に立つイギリス軍だ。もともと主人公がドイツ軍の暗号を解読していた。同時にイギリス諜報部はこの一件でチーム内にスパイがいるとにらみ捜査を開始する…。

この映画の本筋は懸命に「エニグマ」の変更コードの解読に挑むことだが、これに絡まる伏線が実に面白い。
主人公の恋人クレアことサフロン・バロウズは暗号解読本部で働いている職員だが飛び切りの美女だ。その美女に声をかけられて「親密な関係」になり、主人公は恋に狂ってしまう。しかし、彼女は妙に主人公の仕事のことを知ろうとする。ドイツ軍のスパイと思しき流れでストーリーが進む。元恋人の同僚ケイトウィンスレットもその関係を協力して解明しようとする。この伏線がストーリーに変化球の曲線を描かせる。



もう一つとんでもない事実もあらわにされる。これはナチスの話ではない。1943年4月、ロシアのカティンの森に4400体のポーランド将校の死体が発見された。1939年にソビエト軍に捕えられたポーランド人将校たちが、ソビエト秘密警察によって大虐殺されたということだ。これだけではない。41年独ソ戦開始後ソビエト側に渡ったポーランドの20万もの捕虜のうち、10分の1しか残っていないことが判明した。スターリン率いるソビエト当局はナチスドイツによる「デッチ上げ」だと否定したが、のちにゴルバチョフによって謝罪されるスターリンのマイナスの遺産であった。この事実が「エニグマ」によって打電されていた。この大虐殺に関する暗号を主人公とケイトウィンスレットがイギリス暗号解読所で解読する。
そもそも日本の世界史では2次大戦きっかけのポーランド侵入がドイツ単独で語られることが多い気がする。しかし、スターリン率いるソビエトはえげつない。すぐさまドイツを追ってポーランドへ侵入する。そこでむごいことをしたのはむしろソビエトだ。日本人は同様の裏切られたつらい思いをしているだけにポーランドに同情の思いがある。北海道がソビエトのもとに行ったらどうなったのであろうか?
ソビエトのえげつなさが語られないのも戦後「アカ教育」に同調する人たちがナチのでっち上げとしたからであろう。学生運動と左翼思想教育に傾いた日本の失態だ。スターリン時代には悲しい事実がたくさんある。この映画でもスターリンのせいと英語のセリフはなっている。なぜかソビエトのせいと訳しているけど。

暗号に関する映画ではラッセルクロウが数学者を演じる「ビューティフルマインド」が印象的だ。頭を使いすぎて精神を病むという設定はこの映画でも同じだ。そこまでの頭脳を駆使する経験がないだけに、自分にないものとしてこういう世界には魅かれる。途中よく話がわかりづらい部分もあるが、時代考証も絶妙でおもしろかった。ケイトウィンスレットも謎の美女の引き立て役の存在だが、いい味出している気がした。

一つだけ不思議なのはミックジャガーが制作にかかわっていること。その色がないだけに???

(参考作品)

エニグマ
天才よりケイト・ウィンスレットがクローズアップ


ビューティフル・マインド
暗号解読に挑む数学者を描いたアカデミー賞作品
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スミス都へ行く  ジェームス・スチュアート

2011-07-17 16:27:43 | 映画(洋画 69年以前)
「スミス都へ行く」はフランク・キャプラ監督の1939年の古典的名作だ。政治を題材に汚職と戦う議員を描く。その後ヒッチコック映画でも活躍するジェームススチュアートの姿がまだ若々しく、強烈な迫力を見せる。

ある州の上院議員が突如亡くなる。後任候補は自薦他薦数多くいたが、指名を受けたのは少年団のリーダースミスことジェームススチュアートだ。少年たちには人気者だった。そんな彼をクロードレインズ演じる上院議員をはじめとした権力者たちが受け入れた。それは地元利権を握るテイラーの計画するダムの法案を通すため、政治に疎い者が望ましいという理由からだった。
田舎者のスミスは初めてのワシントンに戸惑った。変な誘惑も多かった。そのスミスは、少年キャンプ法案を提出した。ところが、その予定地こそ地元有力者テイラーたちの計画するダム建設予定地であった。ところが推進しようとして、逆にスミスが汚職の汚名を着せられる。そして上院から追放されそうになる。彼は失望し、リンカーン記念堂の中で、故郷に戻ろうと考えていた。そのとき、女性秘書があらわれ慰められるのであるが。。。。


巨匠フランクキャプラ監督らしい道徳的な正義感の色彩が強い作品だ。そののち汚職摘発の社会派映画は増えていくが、これはそのはしりだ。「素晴らしきかな人生」同様主人公を谷底までおとしめる。そこからの復活が見モノではある。何はともあれジェームススチュアートの強烈な激情に感動させられる。ありえないように思える話とも思えるが、彼のセリフが持つパワーが凄い。機関銃のようだ。のちの紳士風演技から比較すると彼の動きの若々しさに驚く。

その彼が対決するのがクロードレインズだ。「カサブランカ」の浪花節警察署長、「汚名」の陰謀含みの首謀者、「アラビアのロレンス」の老軍師など味のある演技を見せる彼がここでも活躍する。嫌味な役柄だ。土壇場の逆転は意外な感じだ。

大恐慌から徐々に回復に向かおうとする30年代アメリカの話だけに、ダムがテーマになる。少年のころはニューディール政策は素晴らしいと社会の時間に習ったものだ。ここでのダムが本当にダメなものなのかはわからない。でも経済活動はすべて悪と決め付けるような言論があることも事実だ。水戸黄門の話に悪代官と悪徳商人の結託がくりかえし出てくる。そんな話にすべて片付けてしまうのもどうか。
そういえばさいたま市を選挙区に持つ某官房長官の選挙ポスターには「腐敗は許さない」と書いてあったものだ。そんな正義感を持つ政治家であっても、権力をもつとただの人だ。原発を悪代官と悪徳商人の結託のように語ってもらったら困る。経済音痴を地で行くような発言も目立ち、脱原発を掲げて日本を廃墟に導こうとしているのが映画を見ながら急に連想された。
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4年目の雑感2

2011-07-14 08:11:00 | Weblog
父が亡くなって丸3年たった。三回忌は昨年やったので今年はない。
妹と一緒に高輪の寺に行った。強烈に暑い中お参りした。
この3年紆余屈折はあったが、平穏無事に過ごすことができた。感謝した。
終わって品川の自宅へ行ってしばらく茫然としていた。
家の樹木は相変わらず伸びきっている。暑くなってアジサイは枯れている。

そのあと取引先の人と飲む機会があり、新宿へ行った。6月後半からほとんど飲まなくなった。
娘の期末テストにつきあうという題目はあれど、飲む気がしなかったのかもしれない。
歌舞伎町のコマ劇場は解体の途中だ。横を歩くと「DVDはどうですか?」と客引きに声かけられる。
DVDというのは新型の風俗なのか?よくわからない。試す気にもならない。
そもそもこのあたりの客引きはぼったくりで有名だ。
コマが解体している横で、有名な歌舞伎町噴水のあたりを歩いた。今は噴水もない。
いるのは浮浪者まがいの人だけだ。オデオン座が閉鎖となっていた。
やたら閉鎖しているものが目立つ。何がどう衰退しているのかはわからない。
地震以降新宿の衰退はどうなっているのであろうか

そのあと居酒屋風の店で飲んだ。最近は日本酒が苦手である。数時間すると足を取られる。
弱くなっているのもわかるのであまり飲まない。
緑茶ハイをしっかり飲んだ。割と時間をかけて飲んだが酔わない。
長時間飲んだ後ライブハウスで飲んでから深夜に帰った。
昨年夏の賞与にはあっと驚かされたが、昨年冬で復活して、今年の夏も昨年冬並であった。
ほっとした。でも部下の賞与が自分の査定以上に本社に下げられた。残念だ。
最近交際費は使っていないし、余裕がある。
先月は部下のゴルフ代、技術部署の女の子のカラオケ代に回す以外は自分では少ししか使っていない。
ライブハウスでは店の人が次から次へとドリンクを頼んだが、平静を装った。
勘定は銀座並であったが、最近使っていない分まだ余裕がある。

世の中はそんなには悪くないようだ。企業の決算は地震の割には激震ではない。
今後の見込みも悪くない。ビジネスで銀行にいくと、幹部連中はひっそりと「資金需要が高まりもうかっているんです」と言う。企業の配当性向の高まりで利回りが高まり、金利の安さを考慮すると株も買える水準だ。円高もそうだが、首相の「脱原発」発言と原発復活遅延のみが心配。
正直「脱原発」を言っている人たちの神経がしれない。某新聞社をはじめとして「国賊」ともいっていい連中には困ったものだ。まったく電力不足を「対岸にあるもの」と思っている人が多いようだ。経済感覚がないといえよう。自分に振りかかってこないものと考えている。
その中政商ともいうべきソフトバンクの親分の動きは呆れるくらい天才と思わせる。頭がいいというのはこういう人のことを言うんであろう。実に腹が立つが、その商才は凄いとしか言いようがない。

娘の期末テストはさんざんだった。やる科目が多すぎて完全に消化不良をおかしている。
調整はすれど今一歩。1年前と比べて何が違うのか。。ひたすら考えた。
まああわてずに


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十三人の刺客  

2011-07-10 18:52:21 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
迫力ある時代劇と前評判が高かった「十三人の刺客」ようやく見ることができた。
劇場で見れなかったことちょっと悔いた。なかなかの娯楽作品だ。ちょっと変だなあ?と思しき場面もあるが、全般的には一流の配役を思いっきり動かして見ごたえある作品にしている。
話は単純だ。明石藩主・松平斉韶は将軍の腹違いの弟という立場に甘んじ、悪行の限りを尽くす。彼が幕府の要職に就く前に闇に葬るよう、御目付役は密命を下される。お目付役は腕の立つ刺客を集め、参勤交代で明石へ戻る道中を狙うという話だ。
個人的には伊勢谷友介や稲垣吾郎の動きに興味を覚えた。


弘化元年3月。明石藩江戸家老・間宮が、老中・土井家の門前で切腹自害。間宮の死は、明石藩主・松平斉韶こと稲垣吾郎の暴君ぶりを訴えるものであった。将軍・家慶の弟である斉韶は、老中への就任が決まっている。事件は時の幕府を動揺させ、このままでは幕府、ひいては国の存亡に関わると判断した土井は斉韶暗殺を決断、御目付役・島田新左衛門こと役所広司にその命を下す。役所は刺客集めに奔走。剣豪浪人や酒と女と博打に溺れる役所の甥・新六郎ら十一人の強者達が役所のもとに集う。

暗殺計画が極秘裡に進められる中、斉韶の腹心・鬼頭半兵衛こと市村正親はその情報を掴んでいた。市村は、かつては役所と剣の同門で御用人の身分であった。役所は、稲垣を襲うのは江戸から明石への参勤交代の道中しかないと判断、襲撃場所を交通の要所の尾張落合宿に決める。斉韶を落合宿に誘い込むため、新左衛門は事の詳細を尾張藩の木曽上松御陣屋詰・牧野靭負こと松本幸四郎に打ち明け協力を求めたが。。。。。

まずは稲垣吾郎の奇行を次々に見せる。さすがに元ネタ話にここまでの奇行はなかったろうと思わせるくらいの奇行だ。そして天下の将軍の親族であっても反抗せざるを得ないということを示す。嫌味な稲垣の役だが、それらしく演じた。しばらくは彼のもとに悪役の依頼が来るかもしれない。

そのあとは十三人が次から次へと集まってくる。はぐれ侍というべき剣の腕には自信のある刺客が集まる。こういう場合はその剣の腕前を披露するのが通常は慣例だ。さすがにテレビの連続ドラマならできるが、十三人全員の腕を事前に披露するほど時間はない。でもそれなりの腕前だとわかる。特に伊原剛志には「七人の侍」の宮口精二のような殺気がある。伊勢谷友介は侍ではない。野人のような姿は特異な存在だ。岸部一徳との関わりが笑えた。でも最後「???」という場面がある。
そうして両者がぶつかる場面に突入する。

宿を買い取った十三人が仕掛けを作る。それがおもしろい。黒澤明の「七人の侍」のような匂いを醸し出す。そして剣での対決だ。十三人それぞれが存在感を持つ。この対決では出演者は非常に体力を使ったと思う。修羅場のような撮影現場ではなかったか。見ている方が大変だなあと思ってしまう。

あとはベテランの存在がこの映画の格をあげる。松方弘樹、松本幸四郎、市村正親、平幹二朗主演級ともいえるこの4人の存在があったからこそ単なるチャンバラ劇に終わらない格を持つことができたのではないかと私は思った。
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ウォールストリート  マイケルダグラス

2011-07-08 19:18:55 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「ウォールストリート」は87年の「ウォール街」の続編という触れ込みでできた作品だ。前作に引き続いてマイケルダグラス登場、主人公「ゲッコー」が服役を経て出所する設定である。リーマンショックによる株価急落の場面を舞台に、一時は絶縁した娘とそのフィアンセとの関わりの中、もう一度復活しようとする「ゲッコー」の姿を描く。マイケルダグラスの投資に関するセリフがなかなか粋だ。
この映画で特徴的だったのが、ニューヨークを俯瞰する撮影とその映像だ。現代ニューヨークの都会としての一面を見事に映像で映し出している。25年前と比較してみるといい。


主人公「ゲッコー」ことマイケルダグラスが2000年に刑務所を出所するシーンからスタートする。高価なアクセサリーや前作で使っていたバカでかい携帯電話を返還してもらいシャバに出る。
そしてその8年後に時間は飛ぶ。2008年のニューヨークが舞台だ。投資銀行に勤める主人公ことシャイア・ラブーフは結婚を前提に付き合っている女性ことキャリー・マリガンとの交際も順調で高収入で満足いく生活を送っていた。サブプライム問題で揺るいでいく中、勤める投資銀行が急激な業績悪化に見舞われる。株価は暴落し、突然破綻する。金融当局の救済話はうまくいかず、経営者は自殺の道を選ぶ。彼自身も資産を失う。それが、金融業界の黒幕ブレトンの陰謀だと知ったシャイア・ラブーフは、刑務所を出た元大物投資家のゲッコーに接近する。そのゲッコーは、フィアンセことキャリー・マリガンの父親でもあった。自分からゲッコーにその旨を伝えて、ゲッコーに近づいていく。彼女のゲッコーへの気持ちは冷え切っていたが。。。



「ゲッコー」ことマイケルダグラスはインサイダー取引で長い懲役を科せられる。その経験を生かして、服役後本を出す。日本でいえば、HとかMとかが出所後本を出すようなものだ。講演会のシーンが出てくる。そこで彼は大きなレバレッジを効かせた取引に疑問を投げかける。「難しい金融商品の内容を理解しているのは世界で75人しかいない。レバレッジで膨らんだファンドに投資しているのは誰なのか?それは一般の投資家だ。」危ないよと警鐘を投げかける。気のきいたセリフだった。

この間、内田樹氏が書いた「映画の構造分析」という本を読んだ。
こういう見方があるのかと感心した本だった。いずれこのブログでも触れたいが、この中でマイケルダグラスを評する文がある。「ハリウッド映画は女性嫌悪にドライブされている。。。。私が初めて気づいたのはマイケルダグラスによってである。彼はそのときどきアメリカの人気女優たちを抹殺してきた。。。。マイケルダグラスの映画では例外なく女性が「悪役」になる。」読んでこれには笑った。
この映画ではその相手はすでに抹殺されていて、かわいい娘しかいない状態だった。もはや彼も年をとったということなのか?



チャーリーシーン久々の登場には驚いた。映画では長い間、鳴りを潜めていた。前作当時は生きのいい彼の動きも大きな変化をとげた。表情的に落ちぶれた感じであった。

中国ビジネスのウェイトの高まりがこの映画でも顕著に出る。投資銀行の顧客として中国人実業家に投資を勧めるシーンが出てくる。相対的な中国経済の地位の向上を示す。アメリカ映画では華僑マフィアくらいしか出てこなかった。前作のころであれば、確実に日本人ビジネスマンへの商談話が出てきた。非常にさみしい限りだ。
関係ないことであるが、原発再開が暗中模索の状況となった。これっていったい何なの?といった感じだ。このまま原発復活しなければ大変なことになる。菅総理も単なる意地っ張りにしか見えない。これだけは言える。おそらくは日本ビジネスマンが米国映画で金の虫として登場することは今後なくなるであろう。
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グリーンホーネット  

2011-07-06 17:44:18 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
グリーン・ホーネットはアメリカンコミックの映画化だ。自分が子供のころテレビで放映されていて見ていたものだ。その当時は悪に立ち向かうヒーローだった気がするが、あまり記憶がない。ただ相棒がカトウというアジア人で空手の達人が大暴れしていた記憶はある。

「燃えよドラゴン」が大ブレイクした時、あの時のカトウがブルーズリーと聞き妙に興奮したものだ


ブリット・リードはロサンゼルスの新聞社の御曹司だ。新聞社社長の父に厳格に育てられた反動から、絵に描いたような放蕩息子に成長した。だが、彼の父ジェームズ・リードが蜂に刺されたことが元でこの世を去り、ブリットは突然、社長の座に就く。
父にはいろんな使用人がいた。その一人父が整備士として雇った運転手カトウだ。カトウはその技術的才能でハイテク装置満載の自動車“ブラック・ビューティー”を完成させる。しかも空手の達人でもあった。その才能を見て荒れたロスの街の悪党を一掃する決心を固めるブリット。どんな武器もどんな攻撃も通用しない全身をグリーンのスーツとマスクに包んだブリットとカトーは、自分たちを“グリーン・ホーネット”と命名。悪党に近づくには悪党を装う方が有利と考え、自社の新聞記事でグリーン・ホーネットを新たな悪党と書き立てながら、悪党たちを倒してゆく。そこには、ブリットの有能な秘書ことキャメロン・ディアスの協力もあったのだが。。。。


若干イメージが違った。スーパーヒーローというよりもコメディの色彩が強い。主人公の出来の悪さを強調して、カッコマンにはしない。むしろ自堕落なヒーローだ。だらしなさを強調する裏話も多い。カトウに関しては強さを強調するが、日本の30年代から40年代の正義の味方的ヒーローではない。そこが狙いどころだったんだと思う。昔見た時はたぶんこういうタッチではなかった気もする。そういう意表をついた流れなんでかえっておもしろい。
アクションが次々出てくるが、極めて破壊的である。改造車にいろんな装置がついている。少年のころだったらもっと興奮したんだろうなあ。次から次へとセットを破壊する。日本料理屋や豪華な自宅を破壊するのを見てもったいないと思い、実に製作費のかかった映画だなあと想像する。日本では予算的に無理だろうなあ。そんなことを思った。
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ゲゲゲの女房

2011-07-02 20:16:13 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
「ゲゲゲの女房」は漫画家水木しげるの妻にスポットをあてた映画作品だ。NHKのテレビ連続小説が予想以上にヒットして、映画化された。吹石一恵が好演し、水木しげる役の宮藤もいい味を見せる。ただ時代考証がめちゃくちゃで、映し出している時代をあまりよく表わしていないことに驚いた。それさえなければもっとよかったのに。。。


主人公布枝こと吹石一恵は出雲の出身だ。同じ山陰の境港出身の漫画家の水木しげるとお見合いをした。当時としては年齢が高めの29歳の彼女は10歳年上の水木しげるの話をすぐ決めてしまう。故郷の出雲から、東京の調布に嫁いできた。結婚前はそれなりに貸し本作家として稼ぎがあるということだった。ところが、家計は火の車。原稿料も値切られたり、家の一部を貸間にしたが家賃は滞納が続く。予想外の極貧の新婚生活に不満を募らせていた彼女だった。しかし、徐々に手伝うようになり、漫画のアシスタントも務めるようになる。そうしていくうちに流れも変わっていくのであるが。。。。

このブログでも何回か取り上げたが、日本経済新聞「私の履歴書」で一番印象深いのは水木しげるさんの話であった。出来の悪い少年時代の話、危うく死にそこなった軍隊の話、現地人と知り合いになった話、貸し本作家としての苦労など実におもしろい。そういう苦労を経てようやく妻をめとることができた。あのすさまじい人生の中で、結婚してからはうまくいっていたのかと思ったが、実はそうではなかった。貧困の中金策に駆けずり回る話が続いていく。でも起伏がなさすぎる気がする。淡々と流れるのはいいが、しまりがない。

いただけないのが時代考証だ。ひどすぎる。全くなっていない。
時代設定は昭和30年代後半から40年代にかけてなのに、50年代くらいにならないと見られない建物たとえば日照権対応の設計をしたマンションやワンマンバスがいる駅前風景が出てくる。あまりにもとんちんかんだ。制作者はその時代の映画や写真集を見て勉強してほしい。アメリカ映画の場合、車、街の風景、服装と美術についてはその時代に合わせて完ぺきに仕上げてくる。少しくらいずれているくらいなら許せるけどなあ。
主演二人の演技はよかったと思う。でも映画って演劇ではないのだから、もうちょっと背景その他にリアル感がないと困るよね。大好きな水木しげるさんの話だけにがっかりだ。
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ザ・ゲーム  キムベイシンガー

2011-07-01 19:05:27 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
「ザ・ゲーム」はキムベイシンガー主演のサスペンス映画だ。その他にも豪華な主演級のスターが登場する。ギャンブル狂いが基本テーマとなっている。DVDを借りに行って、思いもかけずにこの作品があり正直驚いた。2006年の作品で日本未公開、キムベイシンガーのファンのくせに存在すら知らなかった。3つのストーリーをパラレルにスタートして、最終収束させるオムニバス映画の形式をとる。



小説家の主人公ことキム・ベイシンガーは、新作が書けない日々を送っていた。通りすがりにカジノに入った時、ビギナーズラックでブラックジャックに勝ってしまう。横にはコーチ屋のダニー・デヴィートがいた。ところが、そうは簡単に連続で勝たせてくれない。気が付いてみたら預金を使い果たしてしまう。仲のいい夫ことレイ・リオッタには言えずにいて、悩んだキムベイシンガーはコーチ屋のダニー・デヴィートにこぼす。もともとは人気の手品師だった彼と手を組み、元金を取り戻そうとするのであるが。。。
配管工事をしている男ことフォレスト・ウィッテカーには自慢のバスケットプレイヤーの弟がいた。でも多額の借金に悩んでおり、あぶない筋に脅迫され、借金の肩代わりに弟に八百長をさせている。しかし、兄弟ともども良心の呵責に悩んでいた。


ノミ屋のグループも映し出す。悪にはまっていくボクサー兼ノミ屋と親玉ティム・ロスを中心に映すが、そこに摘発を狙う刑事たちも映す。同時に裏社会で帝王と呼ばれている謎の男の存在も匂わせる。
そういう3つのストーリーを同時並行させるが。。。

ギャンブルにはまる人たちとそれをとりまく連中の話である。
いかにもビギナーズラックで「ブラックジャック」のカードを連続でだしてはしゃぐキムベイシンガーをまず登場させる。大損をして旦那にないしょで大切な貯金に手を出すというのはよくある話だ。日本でも株や為替の相場の変動が激しい後には必ずこんな話はある。

そこで出てくるのがダニー・デヴィートだ。アメリカ人にしては150cm台と背が低く独特の個性を出す名脇役だ。「バットマンリターンズ」での存在感が強い。すってんてんになったキムベイシンガーに泣きつかれ、大道のいかさま芸に引き込む。路上カードゲームでサクラのキムにかけさせ、大当たりをさせた後、野次馬たちを安心させゲームに参加させてむしりとる。よく競馬や競輪のおけら街道の片隅で見る光景だ。日本のおけら街道でも出目表を売っているテキヤのようないかさま師がいる。まわりの野次馬の中のサクラに出目を検証させたりして大当たりで信用させ、1冊1万程度の出目表を買わせる。これだけは万国共通のいかさま商売のようだ。

映画全般はあっさり目の印象だ。日本未公開もわかる気がする。

ザ・ゲーム
ギャンブルにはまるキムベイシンガー
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