映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ジョイランド わたしの願い」

2024-10-20 19:30:08 | 映画(アジア)
映画「ジョイランド わたしの願い」を映画館で観てきました。


映画「ジョイランド 私の願い」は初めて観るパキスタン映画カンヌ映画祭でもある視点部門で審査員賞を受賞している作品だ。監督は1991年生まれの新鋭サーイム・サーディク。ヒンズー教のインドと異なりイスラム教国家だとはわかっている。ビンラディンが暗殺された国とかの暗黒なイメージとしての知識しかない。人口1000万強の都市ラホールが舞台といってもピンとこないが、ムガール帝国の都とした王アクバルの名前を聞くと高校の世界史を思い出す。だいたい3時間の放映時間で腰がひいてしまいがちなインド映画と異なり、2時間ちょっとでまとめられているので助かる。

パキスタンの大都市ラホール、ラナ家は3世代で暮らす9人家族。次男で失業中のハイダル(アリ・ジュネージョー)は、子守や料理もする主夫のようだ。兄夫婦に赤ちゃんが生まれたが予想に反して女の子だった。父から「早く仕事を見つけて男の子を」というプレッシャーをかけられていた。妻のムムターズは結婚式のメイクアップの仕事をしている。

ある日ハイダルは、就職先として紹介された劇場でバックダンサーの職を得た。慣れないダンスに辞めるつもりだったが、トランスジェンダーの人気ダンサービバ(アリーナ・ハーン)と出会い一気に惹かれる。ハイダルは単なる下っ端だったが、突如急接近して行くうちに、夫婦関係に支障がでてくるようになる。


予想よりもよくできている映画だ。映像のレベルは高い。
後進国の映画という感じがしない。そもそも英国統治下から大戦後一国で独立するのが宗教問題に二国になったくらいなので、パキスタンとインドとは同じようなものだ。しかも、インド映画のレベルは直近であがっている。宗教的問題が理由かわからないが、パキスタンでは当初公開されていない。そんなにヤバイシーンがあるように見えないが、イスラム教とLGBTは相性が悪いのであろう。

パキスタンには当然行ったことがない。ラホールの街並みを観るのが楽しみだった。調べるとムガール帝国の痕跡を残す建物が観光地としてあるようである。残念ながら、そのシーンはなかった。煉瓦積み?のような建物が並んで建っている。列車の車窓から見る風景もそんな感じだ。

強度的に問題があるように思える建物だ。以前パキスタンでは大きな地震があったようで、地震がきたらまずいだろうなあと感じる。どの建物もほとんど手を入れていないようで、内壁ははがれている。それでもノーヘルメットでバイクが疾走する猥雑な町の映像がよく見える。


イスラム教国なので女性はベールをかぶる。ただ、主人公の家庭では母親を除いては普段はしていない。女優陣はいずれも美形である。加えてトランスジェンダーのダンサーを演じるアリーナ・ハーンも魅力的だ。主人公がグッと惹かれるのもわかる。主人公とのディープキスのシーンがあってもそれ以上はきわどくない。とは言うものの主人公の浮気はよく捉えられていない。悲劇につながっていく。


夜のシーンに見どころあるショットが数多く見られる。兄と弟の嫁同士が夜の遊園地で遊ぶシーンのネオンがきれいだし、トランスジェンダーのダンサーが携帯の灯りをバックに踊るシーン、赤外線系の灯りの中で主人公ハイダルとビバが部屋で過ごすシーンには監督とカメラマンの美的センスを感じた。その映像体験を味わえただけで、映画を観た甲斐がある。
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映画「本日公休」

2024-09-21 17:20:53 | 映画(アジア)
映画「本日公休」を映画館で観てきました。


映画「本日公休」は台湾映画。理髪店の女性店主の物語である。台湾のフー・ティエンユー監督が、自身の母親をモデルに書き上げた脚本で、台中にある実家の理髪店で撮影した。予告編で観る時からムードはやさしそうで気になっていた。日本映画はついつい社会の断層や貧困を取りいれないと気がすまない人が多く、ややこしい。貧相になってしまう。台湾映画にはそれがなく独特のムードで心が安らぐ。そんな癒しを求めて映画館に向かう。

台湾の台中で40年間1人で理髪店を営むアールイ(ルー・シャオフェン)は、常連客とのふれあいを生きがいに仕事を続けている。3人子どもがいて、台北でスタイリストをする長女シン(アニー・チェン)、街のヘアサロンで美容師をする次女リン(ファン・ジーヨウ)、定職に就かぬままの長男ナン(シー・ミンシュアイ)がいる。3人とも実家の店には寄らないのに、近くで自動車整備店を営む次女の別れた夫チュアン(フー・モンボー)が孫を連れて散髪に来る。


アールイは決まった周期に来店しない常連客に電話連絡している。ところが、引退して田舎に転居した後も散髪に来ていた歯科医の様子がおかしいようだ。アールイはお店を休み(本日公休)にしてクルマで出張散髪に向かう。

台湾の市中の人情映画、やわらかいムードで心地がいい。
孫もいる初老の理髪店のおばさんが主人公。いきなり下手な運転で愛車のボルボのバンパーをぶつけるシーンでよくいるおばさんだなと感じさせる。お店の客の大半は常連さんだ。くつろいで世間話をしている。自分がいなくなったらみんなどうするんだろうと心配する。

亡くなった妻が髪が白いと判別できないと心配して白髪染めにやって来る老人、親に内緒で前髪をたらしたヘアスタイルにして欲しいと中学生が来たり、軽い人間ドラマをいくつも積み重ねる。理髪店で常連客とのひそかな会話を織り交ぜるのは日台共通で人情劇によくあるパターン。ムードはやさしい。

街の美容院で美容師をしている次女が、「男は習慣の生き物だから(お店の)担当者をなかなか変えない」というセリフを言う。理髪店の娘だというフー・ティエンユー監督が子どもの頃から母親を見ていて実感で思うことなのだ。次女の女性常連客が別の男性美容師に担当を変える時にいみじくも言う言葉だ。女性と男性は違う。思わずなるほどと感じる。

そんな理髪店内で繰り広げられる物語に加えて、ロードムービーの色彩も残す。常連客だった歯科医の連絡が途絶えて心配になって愛用の理容道具を携えて出発するのだ。「本日公休」の札をかけて出発するが、主人公はスマホを家に忘れる。実家に立ち寄った子供たちがどうしたの?と大騒ぎ。途中で出会った農家の長髪の青年を散髪したり、道がわからなくなった時に道路で脱輪したり、いかにも運転が下手なおばさんの珍道中だ。


3人の子供たちの家庭状況にも触れる。現代台湾若者の人間模様だ。定職のない長男は高価な太陽光発電パネルを売り込みに来る。長女の彼氏がらみで不審な交通違反切符が実家に届いたり、離婚した次女と元夫が復縁しそうでしないうちに元夫に恋人ができたりいくつもの逸話を積み上げていく。


ネタバレに近いが、もう意思の疎通ができない歯科医だった顧客の病棟で頭を散髪する姿にはさすがにジーンとする。思いのほか大勢いる観客の年齢層は高く女性率も高かったが、この辺りはすすり泣く声が至るところから聞こえる。いかにも人情映画らしい観客のムードだった。

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映画「インファナルアフェア」 トニーレオン&アンディラウ

2024-09-04 08:29:42 | 映画(アジア)
映画「インファナルアフェア」は2002年の香港映画。先週末より観たいと思う新作がない。たまにはこういう隙間時期も来る。Netflixを見ているとふと「インファナル・アフェア」が3作あることに気づく。あまりにも有名な映画だけれども2作目「インファナルアフェア 無間序曲」はブログアップしているが、1作目はアップしていなかった。

香港マフィアに警察から潜入して、逆に警察に香港マフィアのスパイが潜入する基本ストーリーはわかっていてもディテールは忘れていた。こうやって見終わると,アンディ・ラウとトニー・レオンの香港映画の2大スターにとって重要な転機になった作品と再認識する。


香港の街で育つラウ(アンディラウ)はヤンチャでサム(エリックツァン)が率いるマフィア組織に入ったが、警察内でスパイをすることを命じられて警察学校に入校する。一方で警察学校を辞めたヤン(トニーレオン)が上司のウォン(アンソニーウォン)に命じられてマフィア組織に潜入せよと言われる。成長した2人はともに組織の中で重要な存在となっていた。

マフィア側にいるヤンから大きな麻薬取引があるとウォン警視が密かに聞き厳戒態勢に入るが、逆にそのことは警察内にいるラウからサムに伝わっていた。その取引はお互いに失敗する。同時にそれぞれの内部に侵入者がいることがわかる。


不朽の名作、同時に20年以上前の香港の街を懐かしむ。
香港デモもあり、しばらく香港に行っていない。2010年くらいまで頻繁に香港に行っていた。ヴィクトリアハーバーを臨む屋上シーンとともに街中のシーンが映ると懐かしくなる。最近はずいぶんと物価が高くなったみたいで、円高で香港で安く物が買えた時期が今では信じられない。香港島と九龍エリア両方を合わせてもそんなに広いエリアではない。あ!この通り懐かしいなと思わず身を乗り出す。


こうやって観てみると、こんなシーンあったっけと思うシーンもいくつかある。最終に向けてアンディラウとトニーレオンがビルの屋上で対峙するシーンはあまりにも有名だ。でも、序盤戦でオーディオルームであっていたことは失念していた。恋人役であるケリーチャンとサミーチェンの香港を代表する美女2人とのやりとりも忘れていた。コメディ映画の盟友アンディラウとサミーチェンは近年「花椒の味」で共演した。自分が好きな映画だ。

ただ、メインストーリーである1作目よりに2作目の方が高圧電流が流れるような衝撃がある。一作目は意外にあっさりしている場面が多い。マフィア組織の闘争に激しさを感じるからであろう。また、マーチンスコセッシ監督が念願のアカデミー賞を受賞したリメイク映画「ディパーテッド」ではマット・デイモンとレオナルドディカプリオという2大スターの共演だが、何よりマフィアの親分ジャックニコルソン「バットマン」ジョーカー役と同じ狂気を感じて衝撃を受けた。だからと言って「インファナルアフェア」の存在感が低くなるわけでもない。

スパイ探しを依頼されるが実は自分がスパイだというジレンマに押しつぶされそうになる2人を観るのが映画の見どころだろう。自分の警察内での存在を知っている指示者であるアンソニーウォンが亡くなった後のトニーレオンの彷徨いやマフィアの親分エリックツァンが消えて警察の人間に成り切ろうとするアンディラウの転向など見応えのあるシーンは満載だ。


ともに還暦を過ぎた。アンディラウが1つ上だがほぼ同世代である。「インファナルアフェア」の公開時で40歳。ともに現在までキャリアを積み上げてきている。トニーレオンは昨年中国の若手スターワンイーボーとアクション映画「無名」を撮ったが、格闘シーンの激しさに驚く。まだまだやれる。

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映画「モンキーマン」 デヴ・パテル

2024-08-28 22:14:03 | 映画(アジア)
映画「モンキーマン」を映画館で観てきました。


映画「モンキーマン」はインド系俳優デヴ・パテルの初監督作品である。アカデミー賞作品「スラムドッグミリオネア」以来天才数学者ラマヌジャンを演じた「奇跡がくれた数式」をはじめデヴパテルとは相性がいい。前英国首相のスナクは同じくインド系で英国生まれのデヴパテルとよく似ていると思っていた。殺された母親の仇をうつ復讐劇だが、強烈なアクション映画だ。これまでのデヴパテルのイメージを一掃する作品で長年構想をあたためてきたのがよくわかる脚本だ。

キッド(デヴ・パテル)は幼い頃に故郷の村を焼かれ、母を汚職警察官のラナ(シカンダル・ケール)に殺された。孤児として生き抜いた彼は地下格闘技の世界で猿のマスクを被った「モンキーマン」として暮らす。
ある日、キッドはラナが高級秘密クラブに出入りすることがわかり、無理やりクラブの女性経営者に頼み込んで厨房の皿洗いとして潜り込む。現場を仕切る男と仲良くなりVIPルームのウェイターとして上客と接触する機会を持つ。復讐するチャンスを淡々と待つ。


インドテイストが充満する大画面での迫力あるアクションに圧倒される。
モンキーマンと言っても、類人猿が出てくるわけではなく、ルール無用の地下格闘技で猿のマスクをしたレスラーというわけだ。強くはなく、コテンパンにやられるが、平気な顔をしている。いかにもハングリーだというのを示す。でもギャラはアップくれない。


きっとデヴパテルがこれまで観てきた映画のアクションシーンの良いとこどりをしてきたのではと思わせる格闘シーンやカーチェイスが続く。カメラはアップを多用しているので、大画面で観ると迫力が増す。カメラワークがよく、加えてたくさんのカットを連続的に繰り出す編集も適切でスピード感を感じる。手ブレカメラでの緊張感も出す。序盤戦にスリのシーンがあって、その財布が次から次へと猥雑な街の中を手渡しで渡って行って最後に主人公が手にするスピード感あるシーンに思わずうなる。

最近は日本でもインド人と思しき観光客を見ることが多い。きっとリッチなんだろうなあという連中も目立つ。そんな富裕層と下層階級の両方がでてくる。高層ビルが立ち並ぶすぐ横で猥雑なスラム街がある。金持ちが集うVIPルームインテリアもゴージャスでセンスがある。一方でごちゃごちゃした細い路地が連なる街角得体の知れない雰囲気を持つ。その街でのインド独特の軽自動車でのカーチェイスも見応えがある。インドだけでなくインドネシアでもロケしたというが、高層ビルが立ち並ぶ街はどこなんだろう?ムンバイ?

自分は宗教面特にヒンズー教には疎いが、その昔世界史で習ったような固有名詞がいくつかでてくる。神秘的な雰囲気も漂うシーンも多い。ウェイターとして侵入して仇討ちしかかって失敗した後に、助けてくれたのはヒジュラのコミュニティーだ。男女のどちらでもない両生類でも、男性を去勢している状況だ。戦闘力は持っていて主人公をかばう。


スタントは使っているだろうが、デヴパテル自らのアクションは多い。けがも絶えなかったのでは?監督も兼任のハードワークに思わず大丈夫?と言ってあげたくなる。ただ、映画も最後まで来ると、ちょっともうアクションはお腹いっぱいと思ってしまう。
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映画「オールド・フォックス 11歳の選択」

2024-06-15 06:06:27 | 映画(アジア)
映画「オールド・フォックス 11歳の選択」を映画館で観てきました。


映画「オールド・フォックス 11歳の選択」は台湾の巨匠ホウ・シャオシエン監督のもとで助監督をつとめたシャオ・ヤーチュエン監督の作品である。1989年の台北で父と2人で暮らす11歳の少年が出くわす大人の世界との関わりを描く。台湾映画に共通するおっとりしている感じがして観てみたいと思う。大好きな門脇麦が台湾人役として出ている。

第60回台北金馬映画祭(金馬獎)で監督賞をはじめ4冠に輝いている。この映画祭は歴史があり、過去の受賞作は「ラブソング」「インファナルアフェア」「グリーンデスティニー」など香港台湾の名作が多い。近年では日本でもリメイクした台湾映画「1秒先の彼女」も受賞している。主人公の父親役リウ・グァンティンに見覚えがあったが「1秒先の彼女」に出ていた。


1989年秋、台北郊外の町中華の2階に住む11歳のリャオジエ(バイ・ルンイン)は、高級中華レストランの接客担当の父タイライ(リウ・グァンティン)と2人暮らしだ。3年後を見据えて家を買って亡くなった母親が望んでいた理髪店を開業しようとコツコツとお金を貯めている。台湾の戒厳令が解けて、株も不動産も高騰しているので、購入は容易ではない。

ある雨の日、雨宿りしているリャオジエに黒塗り高級車に乗る男が乗りなさいと声をかける。男はアパートの家主で付近の不動産を所有するシャ(アキオ・チェン)だった。地元の顔役で周囲から腹⿊いキツネと呼ばれている。シャは昔の自分に似てるリャオジエを気に入る。時おり会うごとにシャは勝ち組になるための哲学を吹き込んでいく。人を思いやるな。負け組になるよと説く。


快適に観れる台湾映画らしいムードをもった映画だ。
下町の人情的モノ的な要素もあり、全般的なムードは明るめだ。それなのにそれを抑えるように雨が降り続ける雨が多い映画だ。いくつかの対人関係が描かれている。ここでは親子関係よりも11歳の少年と家主との関係がいちばんのキーポイントだ。

題名がオールドフォックスで、主人公が住むアパートの家主シャのことを指す。あくまで11歳の主人公目線であってもシャを演じるアキオ・チェンとの関わりが重要だ。リャオ・ジエは学校の帰りに同じ年頃の悪ガキにいじめられる。それにもシャは気づいていて適切なアドバイスをする。効果バッチリだ。

車に乗せてシャが語ると勝ち組と負け組にこだわる。
「強者と組んではいあげれ、弱者と組むと下に落ちていく。」
同情心を断つには、「①氷水を飲む②目を閉じる③知ったこっちゃねえと思う。」負け組にしかなれない人とは、実はリャオジエの父親だ。ネタバレなので言えないが、これを象徴するシーンが出てくる。まさに老獪なオヤジだ。

そんなオヤジも日本統治下の子ども時代に苦労したらしい。日本語のセリフもある。オヤジの息子は彼のもとを離れて行った上に悲劇が生まれる。何もかもうまくいかないということなのだろう。金馬獎ではシャ役のアキオチェン助演男優賞を受賞する。これは当然の受賞だろう。


⒈女性の使い方の巧みさ
父タイライの高校時代の彼女として門脇麦が出演する。久々に会ったタイライはレストランのフロア係にすぎない。逆に彼女は金がありそうだ。食いきれないほどの料理を頼んで残して、タイライにチップをあげる。元の恋人との再会は心のときめきを呼び起こす。でも、どうやら金満家の人妻のようだ。「あの子は貴族」の存在が目に留まったのか?台湾人としての登場だから中国語を話す。


アパートの家賃を一軒一軒集金にくるキレイなお姉さんリン(ユージェニー・リウ)がいる。オールドフォックスのシャの従業員兼情婦だろう。ただ、彼女はこっそりよからぬことを考える。それを聞きつけたのは、父のいる中華レストランで賄いを食べるリャオジエだ。それをシャに話す。子どもだから見たこと聞いたことなんでもしゃべる。おあとは顔面にケガをしたリンが映る。。
この2人の人生模様もある意味見どころかもしれない。


⒉台湾の戒厳令明けバブル
共産党との内戦に敗れて蒋介石率いる国民党は大陸から台湾へと移った。日本占領下の台湾でも地元民はいい思いができなかったが、大陸から移ってきた連中はろくでもない奴らが多く苦労したらしい。

日本から戦後帰国しようとした台湾人が戻るとまずいとなって、新宿に踏みとどまって歌舞伎町で勢力を伸ばしたのを読んだことがある。戒厳令が1987年まで長期にわたって発令されて自由に生活できなかった。そんな後に、自由を取り戻した台湾では経済が復興する。株価は数倍にもなり、不動産価格も高騰する。


主人公が住む一階の町中華の親父が株が上がったと奥さんと大騒ぎするシーンがある。微笑ましいと思ったら、逆方向にバブル崩壊で首を吊ってしまうのは当時の世相を反映しているのであろう。
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映画「ミレニアムマンボ」 ホウ・シャオシェン

2024-02-17 08:57:08 | 映画(アジア)
映画「ミレニアムマンボ」を映画館で観てきました。


映画「ミレニアムマンボ」は台湾の巨匠ホウ・シャオシェン監督の2001年の作品。リストア版を映画館で観てきました。監督と他の作品でもコンビを組むスーチーの主演。しかも、カメラはリーピンピン「夏至」「ノルウェイの森」など2000年前後から数多くの作品で力量を発揮している。夜のムードが強い予告編を見て,猥雑なアジアの夜を描いた映画が好きな自分は思わず観てみたくなる。

新世紀を迎えたばかりの2001年の台北。
恋人のハオと一緒に暮らしているヴィッキー(スーチー)は、仕事もせずに毎夜、酒とゲーム、クラブ通いと荒れた生活を続けるハオにうんざりしていた。仕方なく始めたホステスのバイトで出会ったガオのもとへ逃げこんだヴィッキーだったが、ガオのもめ事に巻き込まれ、日本へ旅立ってしまう・・・。(作品情報 引用)

思ったよりも退屈な作品だった
一瞬ブログアップしようか迷った位だ。備忘録として残しておく。逆に,映像のいいとこ取りをした予告編の編集が抜群だったといえよう。いいとこ取りができる位だから,素材は良い。主人公がたむろうナイトクラブの猥雑な感じが自分の好みだ。若き日のスーチーは非常に魅力的である。16歳で家を出て腐れ縁の恋人と同棲している女を映す。付き合っている男がダメ男なんだけれども母親の元へは帰れない。そして嫌気がさしてヤクザのもとに甘えようとしている。


素敵なショットが多い宣伝のスチール写真と比較すると,照明の照度が強くない。薄明かりの中で人物をとっているので,あまり鮮明に顔が映っていない。それはそれで監督の狙いなのかもしれないが,意味もない会話だけが続くので退屈だ。単調すぎる。しかも,主人公の彼氏は嫉妬ぶかく,仕事もしない奴だ。そんな奴との戯れを見ているだけではだんだん嫌になってくる。

ただ、映画の街と言う触れ込みで雪の夕張が映される。昭和40年代前後の日本映画の映画看板が並ぶ。雪が降り続く中を車が移動するショットは雪国にいる雰囲気がある。スーチーが積もっている雪の中で戯れるシーンもいい。主人公がおでん屋でおでんを食べるシーンも味がある。中国人は雪の北海道が好きである。そのせいもあってか,夕張の場面はよく見える。


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映画「白日青春」 アンソニーウォン

2024-02-02 18:21:01 | 映画(アジア)
映画「白日青春」を映画館で観てきました。


映画「白日青春」は香港に数多く滞在している難民の問題に焦点をあてる物語である。黒社会を舞台にした「インファナル・アフェア」などでおなじみのアンソニー・ウォンが主演だ。

タクシー運転手の陳白日(アンソニーウォン)は70年代に中国から泳いで香港に密境してきた。結婚する息子は警察官となったが、親子関係は疎遠だった。事故がらみでパキスタンからの不法移民の男アフメドと繋がるが、結局アフメドは交通事故で亡くなってしまい妻子が残される。その子どもハッサンとひょんな縁で付き合った主人公は、母親が結局香港から強制退去となるのを知り、ハッサンをカナダに移住させてあげようと動く。


香港舞台だとくいつくが、予想ほどはおもしろくなかった。
以前からインド系の顔をした連中が香港の街中をたむろっていた。フリーポートの香港には貧しいパキスタンなどの国から入って来やすかったのであろう。集団スリのようなひったくりを見たこともある。

不法移民の息子でも小学校には通えている。それ自体は香港政府もゆるやかな方と感じるけど、子どもが仲間たちと泥棒を繰り返している。観ていて気分の良いモノではない。子どもの親はパキスタンでは弁護士だったらしく、人のものを盗むのをとがめる。中近東映画で恵まれない子がウソつきで流浪の生活を送るような映画も観たけど、似たようなものだ。貧しい国だと弁護士レベルでも出国しなければならないのであろうか?


成瀬巳喜男の最後の作品乱れ雲では、夫を交通事故で亡くした未亡人(司葉子)と、事故の加害者の男(加山雄三)が惹かれ合うという構図があった。この映画のStoryも似ている。主人公のタクシー運転手は自らの営業権を売って、子どもの密航の費用を捻出しようとする。映画「カサブランカ」を彷彿するようなラストに持っていこうとする制作者の意図は感じても、最後まで美化できるとは思えなかった。
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映画「燈火(ネオン)は消えず」 シルビアチャン&サイモンヤム

2024-01-14 18:24:30 | 映画(アジア)
映画「燈火(ネオン)は消えず」を映画館で観てきました。


映画「燈火は消えず」は香港映画。シルヴィアチャンとサイモンヤムという香港のメジャー級の共演である。

民主化デモがあってから香港にはなかなか行けていない。残念だ。香港大好きの自分にとっては信じられないことだけど、香港のギラギラしたネオン付き大看板が消えつつあるという。建築の規制が強化されたという。予告編でなんとなく消えゆく香港のネオンについて触れた作品だとわかったけど、まだピンと来ない。たしかに、2011年ごろ香港に行った時も、ネイザンロードの看板群が変わっていたことに気づいていた。ともかく駆けつけてみる。

香港で娘と住むメイヒョン(シルヴィア・チャン)には今は亡き夫のビル(サイモン・ヤム)がいた。ビルはネオン職人で、2003年のSARS流行でも街のネオンを消さないように儲けのない商売をしていた。

ある時ビルのズボンを整理するとネオン製作の工房の鍵が出てきた。工房に行くと、死んだはずのビルが仕事をしている形跡がある。ある夜胸騒ぎがして工房に行ってみると、青年レオ(へニック・チャウ)に出くわす。ビルの弟子だという。そこで、師匠にはやりのこしたネオンがある、と聞かされ作業を始める。でも、夫には返済していない借金があり、レオも家賃滞納で追われる身であった。


映画としては普通、香港好きでなければ感慨もないだろう。
ただ、自分は90年代の香港の良き日を思い哀愁漂う気分となる。


黒社会を描いた映画に数多く出演するサイモンヤムもここでは普通の職人さんだ。奥さんのシルヴィアチャンにもやさしい。以前はカナダ移住が多かったけど、娘がオーストラリアに移住するなんて設定になっているのも、香港脱出を図ろうとする人が多い現状を示しているのかもしれない。


最後のエンディングロールで熟練ネオン職人がつくった看板が数多く映像で出てくる。そこには日本のブランドのネオン看板も多い。90年代には九龍側から香港島をヴィクトリア湾を隔てて見ると、日本企業の看板ばかりだった。昔を偲ぶように、メイン通りであるネイザンロードの往年のきらびやかな映像も出てくる。そこにも日本企業の名前がある。

初めて香港に行ったのは90年代になってすぐであった。親友が香港駐在員となったのがきっかけだ。啓徳空港に着陸する際は、欧米人の乗客から思わず拍手が出たものだ。タクシーで繁華街のチムサーチョイに行くと、派手なネオンサインの大看板がある猥雑な街の雰囲気に圧倒された。しかも、食べ物のおいしさに驚く。まだこの当時は買い物をしても、何を食べても安かった。まだ、中国返還前で、大陸から来ている人はいかにも貧しそうであった。今考えると信じられないことだ。そのあと何度も繰り返し香港を訪れる香港ファンとなる。


先週あたりは、観たい公開作もなく、おとなしくしていた。実は初めて香港に行った時訪ねて行った親友の命日だった。日本にある彼の墓に先日行った。香港で名を売り、現地でヘッドハンティングとなり上海に移った。でも、9年前上海から北に500キロ離れた日本人が一桁しかいない街で亡くなった。彼を偲ぶ気持ちもあったせいか、吸い寄せられるように映画館に向かった。そのあと、香港料理の店で食べた。なんかさみしい。
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映画「草原に抱かれて」

2023-09-29 05:10:37 | 映画(アジア)
映画「草原に抱かれて」を映画館で観てきました。


映画「草原に抱かれて」は中国のモンゴル自治区に住む認知症の母親とミュージシャンの息子の親子の交情を描く作品である。中国語原題は臍の緒(へその緒)である。親子のつながりを意味するということだろう。モンゴル国に面して、モンゴル人が約500万人居住する中国のモンゴル自治区がある。いったん都市部を離れると大草原地帯にはいる。文化大革命の頃から大量の漢人が入ってきて、今では自治区の80%は漢人でモンゴルの方が少ない。しかも、モンゴル人がひどい迫害を受けた歴史があるという。まったく縁のない世界に関心があり、この映画を選択する。

電子楽器のミュージシャンアルス(イデル)が久しく会っていない母親(バドマ)を訪ねて兄の家へ行くと、母は認知症が悪化して息子が誰だかわからなくなっていた。近隣にも迷惑をかけて兄夫婦は嫌気がさしている。そこで母親を連れて大草原地帯にある昔住んだ家に向かう。当然電気も水道もないところだ。そんなところでも、目を離すと外へ出て行方不明になってしまう。自分と母親に腰にひもをつけて行動する。近くに住む女性にも助けてもらいながら、ミュージシャンとしての創作活動の拠点を移す。


大草原の映像を観ると心がなごむ。
自宅の近所でも年寄りが行方不明になっているとの尋ね人の放送がよく流れている。息子の存在すらわからない母親はわがままで周囲に迷惑をかけている。お漏らしもしてしまうこともある。放っておくと外に出て行ったきり行方知れずになってしまう。かなり面倒な話である。でも、まるで幼児に戻ったような動きを見せる時がある。母息子をむすぶひもは見ようによってはへその緒だ。認知症なだけで裏のあるような人間ではなく、嫌気がするような映画ではない。


映画が始まる前に中国の映倫が承認しているという画面がでる。反体制的な動きはないと予想される。その通りだった。政治に関わる話、黒社会的要素が一切ない。面倒な姑を抱えた時の女の愚痴くらいでこれは万国共通だ。せいぜい葛藤が誰が認知症の母親の面倒を見るかでの兄弟の争いもかわいいもんだ。

緯度的には北海道と同じくらいか?場所によってはもう少し北か?地名は出てこない。冬場の撮影でないので、寒そうだけどは降っていない。気がつくと最後まで雨も降らない。果てしなく草原が続いていて、たまに牛や羊がでてくる。遙か遠くに地平線がみえる。監督は若手の女性監督チャオスーシュエだ。主役がベテラン女優なのでやりやすかったのでは?こんなのどかなところに行ったらどうなるんだろう。飽きちゃうだろうなあ。


最後に向けての結末は、本当だったらどうなっちゃうんだろう?
怪獣映画のような終わり方だった。
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映画「君は行く先を知らない」

2023-08-31 20:22:52 | 映画(アジア)
映画「君は行く先を知らない」を映画館で観てきました。


映画「君は行く先を知らない」はイラン映画のロードムービーである。父親が反体制の映画監督ジャファル・パナヒの長男であるパナー・パナヒが本作のメガホンをもつ。シーア派のイスラム国で常にアメリカと対立しているイランの映画も、別の中東の国で撮影してイランのことを描く作品に見るべきものがある作品もある。でも、昨年の「白い牛のバラッド」などを除いては相性は良い方ではない。それでも、映画ポスターに映る子どもの表情が無邪気な感じで好感を持ったのと、自分のロードムービー好きもあり映画館に向かう。


夫婦と成年に達したばかりの長男とまだ幼い次男の4人と一匹の犬を乗せた車で、イランの国土を縦断している。そのまま高原地帯に入っていき、不穏な人物と出会う映像が続く。


よくわからない映画だった。
宗教的な背景やイラン国に住む人たちに関する潜在的知識がないと、映画の内容を理解するのは難しいのではないか?自分はさっぱり意味不明だった。解説を読んでも、書いてある言葉に対応するシーンで、ハッキリと言葉で示されていないのでよくわからない。何かしら登場人物をバックストーリーの映像で示すと背景がわかったかもしれないが、それもない。

長男の目的が隣のトルコへ移り住むということなのに、それを幼い弟に示さないで最後の旅をするということなので、言葉にされないのでよりわかりづらい。ここまで観客の能力を要求されると自分にはきつい。

もともとイランというと、自分は乾いた国土というイメージを持っていた。実際に砂漠のようなエリアやまさに乾いた荒野のような場所も走る。その一方で、緑あふれる山を映し出し、涼しげに流れる川で水際にいるシーンや温泉のようなところに皆が浸かっているシーンなどを観ると、まず人生でイランに足を踏むことはないだろう自分にとっては興味深い。


反体制派の監督がメガホンを持つのに,イランイスラム共和国大使館イラン文化センターが後援となっているのは,国家批判の言葉が少なく見ようによっては観光映画のように描かれているせいかもしれない。

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香港映画「私のプリンスエドワード」ステフィー・タン

2023-06-03 17:42:17 | 映画(アジア)
映画「私のプリンスエドワード」を映画館で観てきました。


映画「私のプリンスエドワード」は武蔵野館の新世代香港映画特集で「縁路はるばる」に引き続き観た。香港好きの自分としては、現代香港を撮ったこの映画を観ないわけにはいかない。「縁路はるばる」は自分の好みの作品であった。ここでは新鋭女性監督ノリス・ウォンによる偽装結婚も題材に加えた現代香港の結婚事情を覗き込む。

香港のプリンス・エドワード地区(太子)にある金都商場は、結婚式に必要なものすべてが格安で揃えられるショッピングモールだ。ウェディングショップで働くフォン(ステフィー・タン)は、ウェディングフォト専門店のオーナーであるエドワード(ジュー・パクホン)と同棲中。ある日、エドワードからプロポーズを受けたフォンだったが、実は10年前に中国大陸の男性と偽装結婚しており、その婚姻がまだ継続中であることが判明する。それでフォンは偽装結婚の離婚手続きと結婚式の準備を同時に進めるという話だ。


結婚式グッズが揃うショッピングモールで働く男女が、結婚に向かって準備している。でも、女性には大陸の男との偽装結婚の履歴があってそれを打ち消さねばならないという課題を解決せねばならないというわけだ。

現代香港の若者のウェディング事情がよくわかる。
主演のステフィータンを東京の街に放っても誰も中国人だとはわからないだろう。素敵な女性だ。広東語でまくしたてるといかにも気の強い香港人女性ぽくなる。相手役のジュー・パクホンはラブコメデイ的要素を意識させるお笑い系のキャラを持っている。その一方で、クールな主役女性のキャラクターがシリアスに見えてしまう。いかにも香港人女性監督による作品というのがよくわかる。香港人の気質を知っている自分からすると、全く不自然ではない。でも、コメディになりきれないのでのれない日本人もいるのでは?


⒈偽装結婚
主人公が何で偽装結婚しなければならなかったのか?という理由はよくわからない。実家を飛び出して1人暮らしをするためにお金がいるという。たしかに家賃が高い香港に住むのは大変だ。日本から移り住んだ日本人も大手企業の香港駐在員以外はほとんどルームシェアだ。

でも、ほんの少しのお金を得るために戸籍を汚すという心理がよくわからない。逆に大陸の中国人からすると香港の居住権が欲しい。実際にカネで偽装結婚した人がいるから映画の題材になったのであろう。自分には香港人の心理の方が意味不明といった感じがする。

結婚解消するために、偽装結婚した大陸に住む男性と交渉する過程や偽装結婚をそうでないと示す写真を撮ったりする場面に奇異な印象を持つ。相手が住む大陸の福州にまさに遠路はるばるバスで向かう。中国の知らない町を映し出すそれ自体はありがたい。


⒉マザコンの婚約者
女性監督がつくったというのが顕著に出るのは、男性側のマザコンぶりである。母親が結婚式の段取りを一気に仕切る。披露宴をやるつもりはなかったのに、母親が自分の友人を中心に招待客をかき集める。見栄っ張りだ。フィアンセ側があきれた顔をしても、母親が一気に突き進む.。母親の暴走を極端に強調する。いかにも姑を嫌う女性監督がつくったと思わせる構図だ。


実は香港のプリンスエドワード(太子)には行ったことがない。旺角(モンコック)の次の駅だ。今回の舞台の金都商場は典型的な香港の商店モールである。親しみをもつ。「縁路はるばる」の主演のお兄ちゃんがこの映画でも、エドワードのアシスタント役で出演していた。自分には「縁路はるばる」の方がよくできている映画だと感じる。
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香港映画「縁路はるばる」

2023-05-22 04:28:33 | 映画(アジア)
映画「縁路はるばる」を映画館で観てきました。


映画「縁路はるばる」は香港映画、IT系企業に勤める若き男性が、香港の中でも僻地に住む5人の女性と付き合うラブコメディである。新世代香港映画特集として観た。アモス・ウィー監督の作品だ。民主化デモ以来なかなか香港に行けていないので、こういったミニシアターの特集は現代香港を知る上でもありがたい作品だ。香港島や九龍の中心部が描かれることの多い香港映画では異色の存在で行ったことがないエリアだ。しかも、黒社会系ドンパチの類ではないし、民主化デモにも触れていない。変わりつつある辺境部を中心に現代香港の若者の偶像が見れてうれしい。


香港のIT系の企業につとめるハウ(カーキサム)は大学で情報工学を学んだ28才のいわゆるオタク系の社員だ。これまで2人の女性と付き合ったが、結局フラれてしまった。恋愛には自信がない。そんなハウにもモテ期が訪れて、美女5人と次々とデートをするチャンスに恵まれるという話だ。

香港好きの自分としては、心地よく観れた映画だった。
あえて、香港の中心部でなく、中心から約40km以上離れた中国本土との境や離島方面に女性たちが住んでいるという設定にする。沙頭角、下白泥、大澳、船灣荔枝窩、長洲、茶菓嶺という地名だ。香港には方々行った自分でもなじみは薄い。


その昔からすると、なくなりつつある村部エリアを舞台にする。緑あふれる山間部や海を見渡すなかなか貴重な映像だ。目の保養になる。ハイキングもできてしまう場所もある。島部といえば自分も南Y島には中環からフェリーで向かったことがある。海辺のオープンエアで食べる海鮮料理がおいしかった。最後に空港のあるランタオ島に近い長州島で締めくくるのはうれしい。


ハウはもともと女性と面と向かって会話するのも苦手な男性だ。ただ、香港ではエリートとされる香港中文大学を卒業して、IT系企業でそれなりの仕事はしている。同じような婚活をしている女性たちから見て、結婚相手としては悪くはない存在だろう。そんなハウが奥手ながら5人の女性とデートするようになる。会社の同僚、親友の結婚式の介添の女性、婚活アプリで知り合った女性、大学時代のマドンナや一緒にチームを組んだ仲間などである。以前から知っている女性からすると、空気みたいな存在だったのが一気に近づく。森山未來「モテキ」のような要素をもつ。


もしかして、日本の30前後の女性よりも香港の女の子の方が結婚願望が強いのではないかと思わせるセリフが目立つ。30までに子供が欲しいという女性もいる。積極的な女性が多い。女性には疎いハウも少しづつ修練を重ねていく。

日本でいうと、酒井法子のようなかわいいタイプの顔を香港人は好む。5人の女性はまさにそのタイプでいずれも美人揃いだ。性格的には気の強い女性が多い香港人そのものである。現代のIT気質を象徴するようなタッチで描く新しいタイプの香港映画が観れたのはうれしい。
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映画「セールスガールの考現学」

2023-04-30 17:30:21 | 映画(アジア)
映画「セールスガールの考現学」を映画館で観てきました。


映画「セールスガールの考現学」モンゴルのアダルトグッズ屋で働く大学生バイトに焦点をあてた作品である。モンゴルについては、行ったこともないしほとんど知識がない。共産国だと昔学校で習ったのが、ソ連崩壊とともに自由主義経済となっている。当然モンゴル映画は初めてだ。評判がまあまあなので、映画館に向かうとこれが大当たりだ。

大学で原子力を学ぶサロール(バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル)が友人が骨折をしたことで、代わりにアダルトグッズのショップでバイトすることになった。ショップののオーナーは怪しげなムードを持ったカティア(エンフトール・オィドブジャムツ)という謎めいた女性だけど、毎日売上を持っていくと色々と教えてくれる。イヤなことに遭って辞めようとしてもなだめられ続けていくという話である。それをコミカルタッチに描く。

これはむちゃくちゃおもしろかった。
主人公のサロールはごく普通の大学生で、大人のおもちゃを扱うといってもエロさはないかわいい女の子である。一昔前の薬師丸ひろ子にも似ている。世間一般でいうモンゴル人ぽい細目のルックスではなく、日本人の中に入ってもまったく違和感は感じないだろう。「パターソン」ジムジャームッシュ監督やフィンランドのアキカウリマスキ監督の作品がもつ朴訥なムードが流れる快作だ。

セールスガールというのは英語原題であるが、日本ではいわゆる外回りの営業に使う言葉である。ここでの彼女はいわゆるショップの「売り子」である。そう題名につけては元も子もないのかもしれない。

そんな女の子が一人で店番をするお店に、いろんな客が来店してきて数多くのエピソードが生まれる。巨根の「男根」を贈り物と言って求める女性や、顔を隠しながらあわててバイアグラを買いにくる男性など大勢くる。配達にも行く。ラブホテルにグッズを持っていき代金を授受する。ホテルで警察による売春の一斉摘発があり、配達で現場にいると他の売春婦とともに引っ張られる。すぐ釈放されて、もう辞めるというにも関わらずオーナーに慰留されて辞めない。


⒈考現学
原題にはない考現学なんてすごい言葉を題名に使う。今和次郎の「考現学入門」を読んだことあるけど、戦前の街の様子を調べた本だ。街を歩いている人の服装が和装か洋装か?とか歩いている人が職人か小僧か?とかを数字でカウントして統計的に今ある世相を調べていく。最近でいうフィールドワークの手法だ。

この女子学生がそのように学問的に調べているかというと違う。でも、アダルトグッズをどんな人が買いにくるのかなんてことは店員にならないと絶対にわからないだろう。別の意味で店に固定した定点観測になっている。


⒉モンゴルの街
現代モンゴルに関することはほとんど知らない。13世紀にモンゴル民族がアジアを制覇して、21世紀に大相撲を制覇したことくらいはわかる。大草原の中で固定的に居住せず遊牧民が生活するというイメージを持っていた。

ここで映る現代モンゴル(たぶんウランバートル)は都会だ。ビル群が建ち並び、道路では最新のクルマが走る。登場人物が住むアパートのキッチンや設備も新しいし広い部屋だ。(最近の日本映画に映るアパートの方が貧相だ。)オーナーの住居もリッチにできている。そんなに貧しそうな国には見えない。とは言え、大草原のシーンも一部用意されていた。小さい子供たちがサロールが乗る車に向かってキノコを売り込んでいた。まだまだ国としては発展途上かもしれない。


⒊ロシアの影響
映像に映る文字を観て、ロシア語みたいだと思った。調べてみると、どうやらアルファベット系は似たような文字を使っているようだ。ロシア革命以降、早い時期に共産化したモンゴルなので、文化的にもソ連の強い影響を受けていたのであろう。中国人とほぼ同じ顔立ちなのに漢字文化は映画を見る限りでは見当たらない

ショップのオーナーのカティアの家に行って食べる料理がピロシキとボルシチのロシア料理のようだと思ったら、主人公のサロールとカティアがロシア料理のレストランに行くシーンがある。そこで魚料理を食べて、カティアはロシア語でロシア人の客と会話する。すると、サロールが自分の父親がロシア語教師だったというセリフもある。ロシアとの関係は今でも強いようだ。

ロシア料理好きの自分からすると親近感を感じる。


⒋コミカルなエピソード(ネタバレなのでご注意)
エピソードが盛りだくさんだ。アダルトショップに大学の女性教員が現れて、サロールは一瞬驚くが後日「2人だけの秘密」プレゼントをあげるシーンがあったり、倦怠期のサロールの父親に更年期かと母親が心配しているので、父親のお茶にバイアグラを入れる。一転して元気になった父親と機嫌のいい母親が寝室に消えていくシーンなど満載だ。あらゆるエピソードにコミカルなムードを含ませる。

その中でも、観客の笑いを最も誘ったシーンがある。ラストに向けてサロールが男性の友人を自宅の自室に誘ってコトをいたそうとする時に男性が暴発するシーンだ。自分のような年寄りは約50年前だったら同じようなことがあったかもしれないとほくそ笑むのかもしれない。これには笑えた。
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映画「七人樂隊」

2022-10-22 10:41:20 | 映画(アジア)
映画「七人樂隊」を映画館で観てきました。

映画「七人樂隊」は香港の7人の映画監督が時代の片隅に埋もれているショートストーリーを描いた作品である。アクション映画の巨匠ジョニートーが全体をまとめる。1時間50分で7作なので、1本あたりは短い。1950年代から現代まで追っていく。短い短編小説を読んでいる感覚だ。香港好きの自分としては、非常に親しみの持てる作品が続く。7本もあると、何をどう書いて良いのか迷う。

1作目は50年代の中国のアクロバットな舞踏団のきびしい稽古、練習をサボると罰を受けて延々と逆立ちをやらされる話、


2作目は恩師だった校長先生と旧交を温めるときにやさしかった若くして亡くなった美人教師をしのぶ話、3作目は付き合っていた高校生のカップルが、女の子の家族が海外に移住する別れの前に自分たちの将来がないことで葛藤する話、


4作目は海外に移住した息子の娘が一時帰国して、むかしカンフーの達人だった祖父と孫娘がチグハグな交情を交わす話

この辺りまでが香港返還くらいまでの時期である。ビル群の上を飛行機が飛び交う啓徳空港がまだあったころの時代背景だ。猥雑な部分とコロニアル文化が混じった自分が大好きな90年代の香港だ。物価も安い上に円高でいい買い物ができた。2〜4作で出ている女性がみんなかわいい。特に2作目の美人教師がやさしそうで素敵だ。香港人好みの若手美人女優を集めた。


1作目では体操の選手を一斉に集めたようなバク転連発の曲芸のようなパフォーマンスがいかにも香港的、3作目で山口百恵のコスモスの中国語版が流れる。香港でも流行ったのかな?出演者のヘアルックスはいかにも80年代後半頃だ。4作目のハンバーガーを食べる孫娘と彼女のために蒸し魚を作ってあげるカンフーの達人とのアンバランスさがおもしろく見れる。自分はやっぱり広東料理の蒸し魚の方がいい。


1997年のチャールズ皇太子(現国王)が参列した香港返還のセレモニーがつい昨日のような気がしてくる。

5作目はマネーゲームに関心を持った男女3人が、株や不動産の価格の上げ下げを感じながらもゲームに加われずうまくのれない話、6作目は久々に海外から香港に帰郷した男が、以前あった場所に同じ建物がなく右往左往してしまう話、最後は精神病院の入院患者のやりとりだけど意味がよくわからなかった。


5作目で、株を買おうとしたら気がつくと株価があっという間に高騰していて買えず、どんどん上がっていた後で急落してあたふたする光景は株を買う人は誰もが経験するパターン、その後SARSでどんどん不動産の売り物がでて、叩き売りになった時に誰も買わないシーンもある。結局その時点から比較して今は8倍になっている皮肉の話だ。なかなかうまくいかないことをコメディタッチにしておもしろい。ジョニートーの作品だ。「奪命金」という相場に関わる人たちを描いた作品を思い出す。


6作目で名優サイモンヤムが演じる初老の男が、香港中環(セントラル)でフェリー乗り場の移転に戸惑い、以前建てた建物がなくあたふたする話を見て、しばらく行けていない香港に自分が行った時に大丈夫なんだろうか?とふと感じてしまう。自分の好きなジョニートー「スリ」で香港の街で悠々とスリをする姿を見せるサイモンヤムとは正反対なので思わず吹き出す。


あたふたしているうちに主人公が交通事故に遭ってしまう話と仲本工事の事件が妙にダブる。この作品をつくったリンゴラムは亡くなってしまう。
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映画「アメリカから来た少女」

2022-10-08 19:32:35 | 映画(アジア)
台湾映画「アメリカから来た少女」を映画館で観てきました。


映画「アメリカから来た少女」は台湾映画、母娘3人でアメリカから台湾に帰国した13歳の少女が母国の学校生活に慣れずに戸惑う生活を描いている。韓国映画はちどりが好きな人はこの映画を気にいるかもしれないというコメントを見て気になり早速映画館に向かう。主人公と同じような境遇でアメリカで育った女性監督ロアン・フォンイーがメガホンを持ち、台湾映画界の各種映画賞を受賞したようだ。

2003年冬、母と妹とロサンゼルスで暮らしていた13歳のファンイー(ケイトリン・ファン)は、母(カリーナ・ラム)が乳がんになったため、3人で台湾に戻ってきて父と暮らす。台北の中学に通い始めたファンイーは、アメリカとは違う学校生活になかなか馴染めない。母に対しファンイーは反抗的な態度を取り続ける。親子の溝が広がっていく話である。


流れているムードは静かである。
比較的平坦な映画である。細かい逸話をいくつも重ねていくが、起伏は小さい。ちょうどSARSが流行した時期で、ストーリーに少しだけ織り交ぜる。自由なアメリカでの学校生活に比較すると、規則でがんじがらめになり戸惑う少女の心の動きと周囲から冷たい目で見られる姿を描く。病気で苦悩する母親は女のイヤな部分をここぞとばかり見せつけるので、自分はちょっと苦手。女性の方が気持ちが同化しやすいかもしれない。

「はちどり」は主人公の他に、漢文塾の先生という魅力的な女性を登場させたので傑作というべきレベルになった。オーディションで選ばれたケイトリン・ファンの演技はすばらしいが、映画としては「はちどり」と比べるとちょっと弱い。


⒈台湾の学校生活と意外な側面
アメリカではAの数が多いので、主人公ファンイーはいわゆる台北の名門校に編入できた。幼なじみとも仲良くなれた。でも、校則で髪を切らねばならずガッカリ、漢文の授業は苦手だ。しかも、母親の精神状態が不安定で家庭内がバラバラだ。とても勉強できるムードにない。成績もわるい。ここで、漢文の授業で点数が発表されて成績のわるい人は立てと言われるが、ファンイーは立たない。そこで女教師に体罰を受ける。この時代でもまだ残っていたのかと驚く。

さすがに大人扱いを受けた自分の高校では体罰はなかったが、昭和40年代半ば過ぎだった公立中学時代は、当然の如く体罰の嵐だった。別に部活動ではない。課題の出来が悪いだけで、美術の教師はお尻を竹刀で叩いたし、英語の教師も小さな棒で叩いていた。体育の教師は生徒をしょっちゅう殴っていた。当然その当時の教員は体育の教員を除き戦前派で軍隊こそ行くかどうかの境目くらいで、旧制中学くらいまで行っていた。戦前の体罰は自分の時代よりもひどかっただろう。

台湾は戦前は日本が統治していた訳で、この体罰の習慣も日本人教師が持ち込んだのであろう。映画の学校の保護者会の場面で体罰を肯定する発言が親から出ていたのには驚く。
今はどうなっているのであろうか。


⒉旧式のインターネットとSARS
2003年ってついこの間のような気もするが、はや19年経つ。ネット時代に入っているが、携帯電話も旧式だし、インターネットは電話回線で立ち上がりに時間がかかる。それでも、ファンイーは一人でネットカフェに入り、台湾の学校生活は不自由だとアメリカの親友にメールして愚痴をこぼす。母との衝突をブログ記事にして、学校の先生にもバレてしまう。

自分もSARSのおかげで毎年のように遊びに行っていた香港に行けなかった。ここでは、妹に熱が出て学校行事に行けるかどうかの問題が最後のストーリーの詰めの題材になっていく。


ここでは、父親の発言が気になる。台湾だけでは商売が成り立たないので、大陸に長期出張して家を空けざるを得ない。そもそも、そういう事情で母親と娘2人がアメリカに行ったのだ。現状、台湾海峡をめぐる事情も徐々に緊迫している。台湾人は当然現状維持を望むだろうが、そうはさせないと試みる。でも、台湾のビジネス上では大陸の影響を大きく受けるというのがセリフからわかり複雑な気持ちになる。
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