映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち

2012-06-30 05:41:53 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」を劇場で見てきました。

三島由紀夫の作品は比較的好きで80%は読んでいる。気になっていた。
ここではむしろ反体制的思想が強い若松監督が真逆の思想の三島事件を描く。実録映像を織り交ぜながら、昭和40年代前半の三島由紀夫と楯の会の仲間を追う。よくできていると思う。


昭和45年11月25日、小学校で担任の先生が、三島由紀夫という人が自衛隊に乱入しているという話をしていた。その名前は知らなかった。何事が起こったのであろうと思っていたら、自決したという。
その後の三島報道はすごかった。テレビでは連日特集していた。
右翼の赤尾敏は数寄屋橋で三島精神を見習えというビラを貼っていた。これには思わず笑った。
本屋に行くと三島の本がたくさん積まれていた。
とはいうもののまだ子供の自分には何でこんなことするのかわからなかった。

三島由紀夫は学生運動などで、共産主義思想がはびこるのに深い懸念を抱いていた。
同時に自衛隊が軍として機能するべきだという持論を持つ。自衛隊に体験入隊もした。
一方森田必勝も高校生時代から日本がアカの思想に染まるのに懸念を抱いていた。早稲田に入ってすぐ
国粋主義者たちが集まる集団に属していた。66年学費値上げをめぐって、早稲田が長期のストライキに入った。森田たちはストライキのバリケードを壊したりして、学生運動の主導者たちと対立していた。
その後も沖縄問題やベトナム戦争に絡んで何度も起こったデモで学生闘士たちは町を錯乱していた。
それに対して三島は国士の気を持つ青年たちを集めて「楯の会」を結成する。
学生運動を鎮圧するのに自衛隊が出動しないことに三島は腹を立てていた。
苛立ちを募らせる三島と楯の会の若き隊員たち。そして、ついに、決断の時が訪れるが。。。

事件の後、数年たって三島原作「音楽」という映画をやっていた。不感症の女性の話である。
従兄と見に行った。そうかこういう作品を書いているんだ。その後「午後の曳航」も映画化された。
いずれも思春期の自分にはずいぶんと刺激が強かった。「潮騒」も見たと思う。
そして初めて三島の本を開いた。
青春時代を描いた「仮面の告白」を読んでみると意外に読みやすい。そこから三島由紀夫を集中して読み出した。
何の間違いか中学生のとき「美徳のよろめき」を読んだ。こんなハチャメチャな女の人いるのかと驚いた。
40過ぎに再読したときは身近に感じてより一層ドキドキしてしまった。


三島役の井浦新は熱演である。濃い顔をした本物の三島に比べるとずいぶんとあくが取れた印象だ。
ちょっとイメージが違うかもしれない。でもこの難役うまくこなしたとおもう。特に最後のバルコニーでの演説シーンは頑張った。
正直バルコニーで話している映像は見たことがあっても、何を話していたのかは初めて知った。
東大全共闘との討論についても存在自体は知っていても中身は知らなかった。若松監督は逆サイドの学生運動闘士もよく知っているだけあって、このシーンに映る学生や髪を振り乱した女子学生の雰囲気がいかにもらしかった。三島由紀夫や蓮實重彦や鳩山一族などの学習院~東大の連中が持つお坊ちゃんインテリムードとは違うものである。
寺島しのぶは今回は普通、そもそもの三島夫人自体が異様な個性を持つ女性ではないので仕方がない。
本物の三島邸でロケできればそれに越したことないだろうけど、それは無理だよなあ。


森田必勝役満島真之介が強い存在感を示していた。満島ひかりの兄弟である彼はどちらかというと新宿2丁目系薔薇族という風貌だ。男気あふれる姿は美しい。
そのころの早稲田といえば、体育会を除いては左翼思想にあふれた学生が多かったのではないか。「花は桜木、男は早稲田」といいながら学園紛争にうつつを抜かしているだらしない男たちが多いイメージだ。
学生運動にはまったやつらは町の中をぐちゃぐちゃにして、世の中にむちゃくちゃ迷惑をかけていた。とんでもないやつらだ。その動きに懸命に反発した森田必勝は男気ある。気持ちがこもっていた。
その心意気が伝わるような名演技だ。

学生運動をやっている連中は世の中を変えてやろうと思っていたのであろう?
でもあれから40年以上たって彼らの残したものは何もない。



ずっと不思議におもっっていたことがある。楯の会の資金源のことだ。
ものすごいお金がかかるはずなのに、流行作家とはいえ作家のフトコロでこなせるのかと
映画の1シーンで、三島が言う台詞で田中清玄が自分が楯の会のスポンサーと触れ回っているという
シーンがある。それは違うと三島が言う。突然出てきたシーンを見て自分の長年の疑問が浮かんだ。
実際どうなんだろう。
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映画「愛の残像」フィリップガレル

2012-06-29 19:43:52 | 映画(フランス映画 )
映画「愛の残像」を劇場で見た。
フランス映画界の鬼才フィリップガレル監督による2008年の作品だ。

若き写真家と不倫関係にあった女性が精神のバランスを崩して自殺、その後写真家が彼女の残像に悩まされるという話だ。フランス版怪談映画だ。
モノクロの画面とバックに流れるバイオリンの相性がいい。


舞台はパリ
若き写真家である主人公フランソワ(ルイ・ガレル)は、女優の撮影をしていた。
そのうちの一人キャロル(ローラ・スメット)をバルコニーで撮影する。主人公がキャロルの表情を撮り続ける間にふたりはお互いひかれはじめた。
そして激しい恋に落ちる。二人は密会を続けるようになる。
そんな時キャロルの部屋で突然、呼び鈴が鳴り夫が帰ってきた。主人公はあわてて隠れ、キャロルが夫を寝室に迎えいれると急いでその場から逃げ去る。。。。
街角で男友達と偶然に出会った主人公は、キャロルが自宅へ火を放ち、精神病院に入院していることを知らされる。

時間もたち、主人公には若い別の恋人ができていた。後日退院したキャロルとカフェで落ち合った主人公は、他につき合っている人がいることをキャロルに伝える。
キャロルは悲しみを抑えきれず、真夜中一人荒れる。彼女は自殺する。主人公は墓でたたずんだ。
1年後新しい恋人エヴ(クレマンティーヌ・ポワダツ)から妊娠を告げられる主人公だ。とまどう主人公もしばらくすると結婚に同意をするようになる。そんなある日、部屋でフランソワが鏡を覗いていると、そこにキャロルの姿が現れる。。。。


フランス映画らしい簡潔なつくりだ。
ストーリーはどうってことない。普通の恋愛物だ。それが恋人の死とともに若干色彩が変化する。
亡くなった女性が鏡の中に出てくるのだ。そして自分の元へ引きづり込もうとするのである。
怪談に近い様相を呈する。溝口健二監督「雨月物語」を連想するが、あの映画の持つ怪奇的凄味はない。
大きく心を動かされるほどではなくあっさりと映画の終わりを迎える。

途中のストーリーのつなぎに不自然な部分も多く、思ったほどの映画ではなかった。
寝室にいるときに亭主が帰ってきた後の次へのつなぎが変な感じがする。
展開の悪さに眠気すら覚えた。

ただ、映像美ということにかけては凄みを感じた。
撮影者と監督はモノクロ画面を知り尽くしているのであろう。
こうしたらこのように見えるというのを熟知した映像アングルを次から次へと見せる。
光と影のコントラストのさじ加減をよく知っているのである。
主演のローラスメットについても、撮影者にかかってはビックリするような美人に仕立てられる。
その映像の美しさにバイオリンが絡んでくる。伴奏のピアノは静かにバイオリンの音を引き立てる。
常に不安を掻き立てる響きが高らかに鳴り響く。

ローラスメットはジョニーアリディの娘で血統としては申し分ない。
ジョニーアリディは香港映画ジョニートゥ監督の「冷たい雨に撃て約束の銃弾を」で貫禄を見せた。
撮影者の巧みさのせいか、びっくりするような美しい表情を見せたが、残像として浮かび上がった
彼女が若干太めになって平凡に見えてしまうのはどうしてなんだろう。

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リミットレス  ブラッドリークーパー

2012-06-28 05:11:34 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「リミットレス」はラブコメの帝王ブラッドリークーパーがSF的ドラマに取り組んだ作品だ。

落ちぶれた作家が脳を100%活性化させる薬を手に入れ、一気に逆転していく話だ。ただし、この薬を飲んで死にいたった人が多数出ているし、手に入れようとさまってくる男たちとのやり取りも語られる。
SF的作品であるが、ありえなくはない気もしてくる。


ニューヨークが舞台だ。
作家である主人公(ブラッドリークーパー)は酒びたりで冴えない毎日を過ごしていて、恋人からも見放されている。主人公が離婚した元妻の弟とマンハッタンの街中で偶然出くわす。冴えない日々が続いているのが表情にも出ていたので、製薬のコンサルタントだという元義弟からある薬をもらった。普通20%の能力しか使われていない脳を100%能力発揮させる薬だという。
家に戻ると、家賃滞納で中国人の家主が取り立てに来ているところだった。家に着く前に疑心暗鬼で飲んでいた。飲むといきなり効き目が来た。頭が冴えて家主の気になっていることをすぐ解決。筆が進まずにいた原稿もものすごいスピードで書ける。すたれきっている家の中をあっという間に整理するなど信じられない効果が出てくる。翌朝になったら、その能力は落ちていた。追加をもらおうと弟の所へいくと、弟は誰かになぐられて顔が傷になっている。この顔では外に出れないと買い物を主人公が頼まれる。用をすませて戻ると殺されていた。
あわてて警察を呼んだが、薬のありかを懸命に探す。誰かに荒らされている跡がある。しかし、見つからない。そんな時とっさにオーヴンの中を見て間一髪見つける。警察の事情徴収を受けたが、元妻の弟であることと事情を話して無事釈放された。

再度効能を試した。ピアノは3日で弾けるし、長編小説を4日で書き終わる。外国語もあっという間に習得できる。デイトレーディングではすぐ利益を出す。小説を書くだけではもったいないと、ウォール街への進出を考える。種銭が必要なので裏のルートから10万$を調達した。そこでも飲む量を増やして、すぐさま200万$に資金を増やす。そこに注目した著名な実業家(ロバートデニーロ)がでてきたが。。。


ニューヨークの中をものすごいスピードで駆け抜ける。でも住処は中華街の中のボロイアパートのままだ。以前よりもニューヨークの中華街が映画に出てくる場面が増えている気がする。

こんな薬があるなら欲しいくらいだ。頭の中にある全記憶が利用できるようになってくる。単に雑誌や新聞で読んだことや古い記憶も鮮明になる。外国語は一瞬にして習得する。ものすごい回転でいろんなことが頭に入っていく。ネタが浮かばず書けずにいた小説を一瞬にして書く。依頼主はびっくりだ。そして、ウォール街からも注目を浴びることに。しかし、副作用のない薬はない。主人公にもすぐ副作用が現れるのだ。
こういうこと近未来ではありえそうな気がする。
インプットしなければ、アウトプットはない。でもインプットしておけば、すべてが使えるということならば凄いことが起きる気もする。この薬は意欲も高める。

(株式投資の考え方)脳が活性化したなら、金儲けへと考えるのは当然だ。主人公は株式投資に目を向ける。ここで彼の言うコメントがいい。自分は業績には興味はない。人間の心理が相場を決する。それを投資に利用できるアルゴリズムを開発したという。経済学の泰斗ケインズ的考えだ。ケインズはかの名著「雇用・利子および貨幣の一般理論」の中で「美人投票の考え方」を論じている。彼はあくまで大衆の熱狂で相場が変わることを読んでいる。この本は難解と言われるが、この説明の章は金融投資に関する最高の参考書だ。ケインズ伝を読むと、彼自身若い頃は大失敗もしたが、結果的に大儲けして財産を残している。彼が相場を張ったのが大恐慌時代と考えるなら驚異としか言いようにない。
大衆の相場観は何か?とかなりの数のブログを分析して投資の技術をつくるという話は日経新聞で読んだことがある。主人公の考えはいい線いっている。

脳の能力増強をどうするべきなのかを考えさせられる映画だ。
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テルマエ・ロマエ 阿部寛

2012-06-27 19:26:39 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「テルマエロマエ」大ヒット中の映画を劇場で見てきました。

娘の世界史の教科書を見たら、現在ローマ史をやっている。
教科書の中で五賢帝の名前を見たら、妙にこの映画が気になってきた。
50億円以上配給収入があるという。これだけ人気が出るんだから、何かあるんでしょう。
そう思いながら見た。

コメディとしてみる分には十分楽しめた。銭湯感覚のお気楽な感じでいいと思う。
映画は娯楽なんだから



時は2世紀初頭のローマ帝国、五賢帝の一人ハドリアヌス帝は領土を拡張して全盛時を迎えていた。
そのローマに一人の技師ルシウス(阿部寛)がいた。主人公である。彼はローマの公衆浴場(テルマエ)の設計を請け負っていた。しかし、最近はいい考えが浮かばず、後進の技師に仕事を奪われつつあった。
そんなある日、テルマエの中で湯を楽しんでいた主人公は、水の中にもぐっていいアイディアがないか必死に考えた。
そうすると、水が渦を巻きどこかに連れて行く。そのまま水の流れに任せて行き、水面から顔を上げるとそこは日本の銭湯の湯舟であった。
なんだいここは?そうか属州にある奴隷たちの浴場か。主人公はそう思った。


湯に使っている日本人のおじいさんたちはビックリ!でも外人さんが来ているくらいにしか思っていない。
みんなやけに平たい顔だなあと主人公は銭湯のなかの老人たちを見る。浴槽の裏手にある富士山の絵がイタリアの火山に見える。
こういう絵をテルマエのバックに入れるなんてなかなかいいじゃないか!
風呂のお客がくれた飲み物を飲んだ。フルーツ牛乳だった。なんてうまいんだ。
外へ行き、反対側の女湯に入った。そこでビックリした一人に山越真実(上戸彩)がいた。漫画家の彼女はスケッチを描こうとしたら主人公はいない。

主人公はローマに戻った。水におぼれているところを助けられ目を覚ます。あの平たい顔の国のアイディアいいじゃないかと考える。そうして熟考していくうちにまたまた日本の家の風呂へ。
住宅の風呂で幅1mの小さい浴槽だ。個人用のお風呂なんてローマにはない。
大きな身体をかがめて中に入っているところで気づく主人公だ。
その家では漫画家志望の上戸彩が先生に漫画を酷評されていた。才能がないから田舎へ帰れと言われてしゅんとしている上戸彩だ。
風呂の中にはその家のおじいさんがいた。おじいさんはヘルパーと思しき外人の男を見て、背中を洗ってくれと頼む。アカすりででるアカに驚く。言われるままに、シャワーを手にする。こんなもの見たことない。驚く主人公だ。
シャワーハットをみてまたまたビックリだ。目に水が入らない。
家の中にいるところをまた上戸彩が気づく。でも気がつくとまたいない。
主人公はまたローマのテルマエで目を覚ました。


同じようなこととなり、また熟考しているうちに衛生陶器のショールームで働いている上戸の元へまた行ってしまう。ジャグジーバスとウォッシュレットにビックリする。
いいアイディアが次から次へと浮かび、アイディアをどんどんローマのテルマエに取り入れていった。
その話を聞きつけた皇帝ハドリアヌスは主人公を呼びつけ、テルマエの設計を依頼するのであるが。。。。

このあとハドリアヌス帝の後継者問題という世界史を揺るがす話にまでこの映画が絡んでいく。
大胆な広がりだけど、フィクションなんだからこのくらいオーバーな表現でも悪くはない。

ローマ時代の歴史は比較的整っていてわかりやすい。五賢帝時代というのはローマの平和と言われ、大全盛時代というのはそのむかし世界史で習った。トリヤヌス時代に領土がもっとも拡大したと習ったものだ。
その五賢帝の中で、ハドリアヌスの名前は地味だ。でも名前は意外にすらすら出る。
昔野球の南海ホークスで「ハドリ」という選手がいた。野村克也と並んで主砲だった。小学低学年の時巨人との日本シリーズでものすごいホームランを打ち、最後のインタビューを英語でやり取りしていた姿が鮮明に目に浮かぶ。その連想でハドリアヌスの名前を覚えていた。
どうでもいい話だが今回ハドリアヌス帝時代が背景と聞き個人的に親しみを覚えた。
市村も顔が濃い。だからこの皇帝役も違和感が少ない
「十三人の刺客」のときもよかったが、この映画でもさすがうまいね。



旅館の娘である売れない漫画家と主人公の浴槽技師との結び付け方は若干強引であるが、なんか楽しい。
銭湯、温泉といった日本風の風呂に加えて、ウォッシュレット、ジャグジーバスをローマのお風呂に取り入れていく。こういうのは時代背景その他を別として単純に楽しむしかない気がする。
劇場の中で笑い転げそうになったシーンも割とあった。
タイムマシーンに乗ったが如く、前後の時間を行き来する。最近はそういうやり方の映画が多い。
どれもこれもみんな楽しい。

PS 家に帰ってみたら、大滝の温泉宿からコメントいただいていた!

衛生陶器のことまで書いていたけど、あのものすごい伊豆の滝を見上げる絶景風呂のこと書かなかったのにすみません!これは凄いですよ。
コメント (3)
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リリーシュシュのすべて

2012-06-26 06:12:07 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
感情映画「リリーシュシュのすべて」は岩井俊二監督による青春ものだ。

いじめに遭っている一人の中学生と彼を取り巻くいじめっ子やそのグループとの関わりの話だ。
リリーシュシュは架空のミュージシャンの名前である。劇中には少年犯罪、いじめ、セックス、自殺といった問題が登場してくる。新藤兼人監督が得意だった領域だが、インターネット上での会話の文字を全面的に画面に出すことで現代的な匂いがある。


北関東の栃木と群馬をまたがる両毛地区が舞台だ。
カリスマアーティスト・リリイ・シュシュに憧れた中学2年生が主人公だ。ネット上にリリイの掲示板を張って、見知らぬ人たちとチャットをする。その中でも青猫というハンドルネームのリリイ・ファンとのチャットに心癒されていた。

その彼が仲間の中学生とつるんで集団万引きをするシーンが出てくる。そこには親分格の少年がいる。主人公は自ら望んで盗みを働いているわけではない。ある日主人公はCDショップでリリイ・シュシュのCDを盗もうとして、店員に捕まる。先生が迎えに来たあと母親が迎えに来る。
仲間は自分たちのこともばらされたのではないかと主人公をつるし上げる。

映像は主人公が入学したてのころに戻る。剣道部員として入部した仲間に星野という同級生がいた。秀才の誉れ高き彼の家に遊びに行き、歌手リリイ・シュシュの存在を知った。2人は普通の同級生だった。夏休みに仲間とともに沖縄旅行へ行った。その時までは楽しい日々が続いていた。これで終わっていればと主人公はいう。
帰ってきた後、同じクラスで羽振りを利かせていた悪ガキを星野が打ちのめす。そこからすべてが変わった。子分を従え、万引きで得たお金を上納させたり、同級の女の子に援助交際をさせてお金を巻き上げたりするようになるが。。。。

かなり重い映画である。中学生時代は精神的肉体的にアンバランスになる時期である。その中で登場人物がみんな彷徨っている。主人公だけではない。不良の親分も彼に翻弄される女の子たちもみんなだ。その彷徨う少年たちが一人のアーチストを追いかける。そしてネット上でつながりを持つ。ネット上で気持ちをあらわにするが、現実逃避に近いかもしれない。

岩井俊二というとlove letterの透明感があふれる映像美を思い出す。自分自身大好きだし傑作であったと思う。この映画で取り上げる映像はちょっと違う。ビックリすぎるくらい大胆だ。印象深いカットが幾つか見つかる。特にどぶ川に入り込んでいくシーンは制服とともに汚れてしまう。人気女優蒼井優にとってはデビュー作である。この映画のオーディションで岩井俊二監督から認められて一気にスターになった。


不思議なくらい感情移入してしまった。
何でかというと、主人公の少年が顔も性格も何もかも自分の中学時代に似ているのである。弱々しい主人公の風貌は頼りない。おばあちゃんにかわいがられて身のまわりのことは何でもやってもらった自分も同じような感じだった。あこがれの少女はいるんだけど、告白なんてことは到底できない。おませな女の子にいろいろなことを教えてもらうけど、自分では何もできない。

ロックが好き、音楽が好きで、そのアーチストのファンクラブに参加する。銀座山野楽器やヤマハでよく開催されるロックアーチストのファンサイトによくいったものだ。中学生にもかかわらずシカゴやサンタナのコンサートにも行ったっけ。一緒に行ったのは不良の親分だったなあ。別にこの映画のような話は一切なかったけど。。。


運よく自分は犯罪に手を染めることはなかった。不良グループに近い所にはいたが、それ以上にはならなかった。高校に入ってから麻雀とかは一緒にやったがそれくらいの付き合いだった。よかった。中学の時ある奴にいじめられた時、体育の先生がこいつのこと棒で殴っていいといわれ、腹立ててむちゃくちゃなぐったこともある。主人公の気持ちはよくわかる。
映画をみて妙に中学時代の自分の姿が頭にこびりついて離れない。
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アウトレイジ ビートたけし

2012-06-25 05:03:26 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
ビートたけし監督主演の映画「アウトレイジ」を見た。

まさにやくざ映画というべき映画だ。昨日の味方が今日の敵とばかりに訳がわからなくなる構造は「仁義なき戦い」シリーズと同じようなものだ。あの名作に比べると若干スピード感は落ちるがなかなか良くできていると思う。“全員悪人”をテーマに暴力団組織内部の抗争を描く

サラリーマン風の男がぼったくり飲み屋のポン引きに誘われて180万の勘定に仰天するシーンが最初に出てくる。そんな勘定払えないから自分の事務所に来てくれと付いていくと、そこはビートたけしや若者頭椎名桔平率いる組事務所だった。あっさり逆転で、ぼったくりクラブの店員がボコボコにされる。
そういうシーンからスタートする。
それぞれの組は広域暴力団の下部組織であった。落とし前が付く付かないで相手の組と抗争がはじまる。
これから先は上層組織をからめた抗争に次ぐ抗争である。。。。

(配役の妙)椎名桔平、三浦友和、小日向文世、加瀬亮、北村総一朗というキャストだけを見れば誰もやくざ映画とは思わないだろう。小日向はヤクザに密着した警察官の役であるが、あとは組の幹部役である。椎名や三浦は最近ではやくざスレスレのワルを演じる場面が増えてきている。現実のインテリやくざのイメージから決して遠くない。加瀬亮はビックリかな?オールバックにして、四角くて細いサングラスをかけさせる。得意の英語をしゃべりながらのインテリヤクザに扮した怪演がなかなかいける。だらしない組長の石橋蓮司がうまい。仁義なき戦いのだらしない組長金子信雄を連想させる。同じく組長役國村隼は中途半端なワルの役は得意、「キルビル」でもそうだったがやられ役は苦手でない。
これらの配役の起用にはビートたけしの抜群のうまさと演出の妙が光る。

(カジノ)日本でも導入しようと各地方自治体がいろいろ視察しているようだが、うまくいかない。この映画では治外法権を逆手にとって、ボロい大使館の中でバクチ場を開帳する。ホーそういうやり方ってあるんだななんて思う。でも難しいだろうなあ。シンガポールやマカオの絶好調を横目に見ているだけでは日本の自治体は能がないよ。

(殺し方)かなりこの映画惨忍だ。指詰めは何度も何度も出てくるし、歯医者で診療中の組長の口を無理やりこじ開けて歯科の機械で口の中をぐちゃぐちゃにしたり、舌をべロンと出させてカットしたり、お詫びに来た相手の顔を刃物でギザギザに切りまくったりまあ強烈な表現だ。今のはすべて殺しでない。それに加えて次から次へと強烈な殺し方を見せる。これが凄い。アメリカの映画だと、一発ドンで済ませてしまうケースが多いが、香港やくざのやり方同様相手に生きた心地のしない痛い思いをさせるというやり方がドキドキさせるものだ。

いずれにせよビートたけしのヤクザぶりが一番らしい気がする。
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映画「夜」 ミケランジェロ・アントニオーニ

2012-06-24 06:22:37 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「夜」は1960年のミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品だ。

ジャンヌモローとマルチェロ・マストロヤンニの当代きってのスターの競演にアントニオーニ監督前作「情事」で強烈な存在感を示したモニカ・ヴィッティが加わる。
スタイリッシュな映画だという印象と主演3人の姿は頭にこびりついていたが、今回久々にみて、細かいところはすっかり忘れていたことに気づく。ここでは笑わないジャンヌモローが特に渋い。

舞台はイタリアミラノだ。最初に映るシーンは、主人公夫婦(ジャンヌモローとマルチェロ・マストロヤンニ)が友人の見舞いに行くところである。夫は売れっ子作家だ。アルファロメオで乗り付けた2人が病室に入る前に、精神病の若い女性にからまれる。振り切るように友人の病室に入ったら、手術がしようがないのでもう先はないと落胆している。妻は一人病室を出て涙する。
その足で、2人は夫の出版パーティに向かう。でも気持ちが落ち着かない妻は一人でその場を離れてタクシーに乗っていく。行った先で一人さまよう。精神的に不安定なようだ
夜になった。黒の新調のパーティドレスを着て、妻はどこか行きたいという。夫は富豪の家でパーティがあるから行かないかというが、2人だけで過ごしたいといってナイトクラブに向かう。
ナイトクラブでは黒人のストリップショーが繰り広げられていた。そこでも何かみたされない妻は夫に富豪宅でのパーティに向かうように言う。
大豪邸でのパーティーには大勢の来客が集まっていた。妻は相変わらず落ち着かない。ホストにあいさつをした後で、2人は別行動をとる。インテリたちの集まりで、夫は来客たちに話しかけられる。そんな中一人でゲームに親しんでいる富豪の娘(モニカ・ヴィッティ)に夫は話しかけるのであるが。。。。。


(大豪邸)
前回見た時も舞台となる大豪邸に圧倒させられた。どうやらイタリアというのはかなり貧富の差が激しいらしい。1960年という時代背景やイタリアも日本と同じ戦敗国だということを考えると、大豪邸と美女たちが妙に浮いた存在に見えた。邸宅はガラス面が多く、かなり開放的なデザインだ。それぞれの部屋が大きい。庭も広い。プールもある。夜が似合う邸宅だ。その庭でジャズのアンサンブルが奏でられる。そして遊び人の男女たちによる狂乱の夜のパーティが繰り広げられている。

(音楽)
はじまってからずっと音楽がない。静かだ。この当時のアメリカ映画だとうるさいくらい高らかに音楽が奏でられる。対照的だ。そして2人がナイトクラブに入ると、パンティみたいな白いパンツだけはいた裸の黒人男性と白いガードルに身を包んだ黒人女性が妙なストリップショーをやっている。そこで音楽が流れる。映像に映るバンドが演奏する以外はほとんど音楽がない。それだけにこのバンドのエキゾチックな演奏が耳に響く。大邸宅へ行ってもジャズのバンドがモダンジャズを奏でる。アップテンポの曲で来客たちがジルバを踊り始める。音楽はその演奏だけだ。監督はこのやり方なのであろう。


(ジャンヌモロー)
この映画ではジャンヌモローの存在感が一番強い。表情が冷たく、ほとんど笑わない。クールな感じだ。この生意気そうな表情が大好きだという男性も多いだろう。黒いパーティドレスが似合う。当時32歳、ただ今で言うと雰囲気は40代前半という感じだ。50年前の映画を見ると、人間は進化しているのを実感する。モニカ・ヴィッティとは大して年が違わないが、やけにジャンヌが老けて見える。
そこにマルチェロ・マストロヤンニが加わる。彼もこういうパーティのシーンが似合う俳優だ。8・1/2と比べると若さを感じる。

(ミケランジェロ・アントニオーニ)
この映画は監督自身の離婚経験がベースにあるといわれる。すでに醒めている夫婦がいる。その状態で、突如妻がもともと好きだった男があと先短いというのがわかる設定だ。気持ちがなおのこと醒めていく。横では夫が若い女性にちょっかいを出している。醒めた夫婦の世界だ。
監督の映画は愛の不条理を表わすなんてことが取り上げられる。それ以上に彼が時代を見る目は鋭いと感じる。しかもスタイリッシュだ。こののち公開される「欲望」ではなんとジェフべックとジミーペイジが共演しているという歴史的映像も映しだす。時代の先端を行っていたともっと後世に評価されてもおかしくない。
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エリザベスタウン  キャメロンクロウ

2012-06-22 19:38:22 | 映画(洋画:2000年以降主演男性)
映画「エリザベスタウン」はキャメロンクロウ監督による2005年の作品
当時23歳のキルスティンダンストがキュートでかわいい。

会社に大きな損害を与え首になった男が、父の死で故郷「エリザベスタウン」に帰った。
父の田舎に戻って、近隣の人たちとのふれあう中で自分を見つめなおすというストーリーだ。


シューズ会社に勤める主人公ドリュー(オーランド・ブルーム)は、スニーカーの人気デザイナーだ。しかし、新しい靴の開発に失敗してしまった。会社はリコールの靴の山となった。
会社に9億ドルの損害を与えて、社長(アレック・ボールドウィン)からクビを言い渡される。絶好調の時にもてはやしてくれた社長秘書である恋人のエレン(ジェシカ・ビール)にも見離された。自宅に戻った主人公は自殺を考えた。そこに母親のホリー(スーザン・サランドン)と住んでいる妹のヘザー(ジュディ・グリア)から電話がかかってくる。父親が急死したという知らせだった。
主人公は父の故郷であるケンタッキー州のエリザベスタウンに向かう。その途中、飛行機の中でフライト・アテンダントのクレア(キルスティン・ダンスト)と知り合った。客室は誰もいないので、主人公はファーストクラスへ席をうつさせてくれた。そこで彼女は積極的に話しかけてくる。帰りに電話アドレスを教えてくれた。
迷いながらもエリザベスタウンに着いた。町ではおじさんや近所の隣組が大勢待ってくれた。大歓迎だった。それでもホテルに戻ると、孤独を感じた主人公は、方々に電話をかけまくる。結果的にクレアと朝まで長話することに。そして2人は次第に仲を深めていくが。。。


キャメロンクロウ監督といえば、自伝的作品「あの頃ペニーレインと」が有名だ。
ローリングストーン誌の記者だっただけあって、流れる音楽のセンスが抜群にいい。
ロックミュージックを基調にシーンに合わせた音楽が選択される。気分がいい。
この作品の脚本は、キャメロン・クロウ監督自身が、父の死をきっかけに執筆したものだという。父の葬儀でたくさんの親戚と出会ったキャメロンはみんなの暖かさに感動したのだという。

この映画での葬儀方法には驚かされた。
いろんな映画で葬儀のシーンを見ることは多い。教会やお墓の前で神父と一緒にたたずむシーンだ。
ここではまるっきり違う。最近日本は家族葬が増えたが、近所の隣組が葬儀を段取りするのは日本もアメリカも変わらない。しかし、親戚と近所の隣組が念入りにパーティを準備するのである。単なるお清めとは訳が違う。ロックやタップダンスありの歌で故人をしのぶなんてやり方はいい感じだ。

自分の両親の時の葬儀を思い出した。
大勢の弔問客が来てくれたが、さすがにこういう風にはできなかったなあ。

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シルビアのいる街で 

2012-06-21 05:32:04 | 映画(フランス映画 )
映画「シルビアのいる街」は2007年のスペインのホセ・ルイス・ゲイン監督の作品だ。

フランスのある街を舞台にした。スケッチのような映画だ。
最初から動きは少なく、セリフも少ない。
主人公の一人の青年と彼に追いかけられる女性をカメラが静かに追いかけていく。
雰囲気のある映画だが、起承転結はほとんどない。

主人公の青年(グザヴィエ・ラフィット)がホテルの一室で目を覚ますシーンからスタートする。
地図を片手に街を歩き出した。
2日目、演劇学校の前にあるカフェで、青年はそこにいる女性たちをひとりひとり観察し、ノートにデッサンを描く。やがてガラス越しにひとりの女性(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)の姿を見つけた青年は、カフェを出て行く彼女の後を追う。後ろから女性に「シルビア」と声をかける青年だが、返事はない。それでも主人公は女性を追う。路面電車に乗り込む姿を見つけ、後を追うが。。。。

舞台はフランスのドイツ国境に近い都市ストラスブールである。
世界史で重要な位置を占めるアルザス地方だ。領土の占有は常にあっちこっちに移って行ったところだ。
古い建物のたたずまいがきれいだ。
比較的新しい車体の路面電車が斜めの線路を走りゆく。何度も何度も出てくる。
その中に端正な顔立ちをした男女がカフェでたたずむ。女性は誰もが美しい。
それを主人公がスケッチしていく。太い鉛筆でスケッチブックに描いていく。
カフェのウェイトレスが給仕している間にテーブルの飲み物をこぼしたりする。
あくまでこの映画の一人称は主人公の青年だ。彼の視線が中心だ。

その後、主人公はある女性に気づく。追いかける主人公と追いかけられる女をひたすら長く追いかける。美しい建物にはさまれた同じ路地裏での2人を撮り続ける。そののち2人は市電に乗る。その中が不思議な空間だ。2人をカメラがとらえる。2人の後ろの車窓のガラスが大きい。徐々に会話を始める。6年前に会ったシルビアさんではありませんかと。。。。

ヒッチコックの名作「めまい」では、依頼主の友人に自分の妻の尾行を頼まれ、主人公がサンフランシスコの街中を追いかけていくシーンがある。追いかけるジェームス・スチュワートと追いかけられる美女キム・ノヴァクの姿が優雅だ。「めまい」では突如としてキムが海に飛び込むシーンで急展開する。
この映画は若干違う。2人は出会うが大きくは映画は動かない。あくまで静かだ。

ここのところ、映画でフランスの街を旅する気分を味わっている。
ル・アーブル、マルセイユ、ストラスブールいずれも生きている間行くことはないかもしれない。
でもそれぞれの映画ではその街の中にいるような錯覚を与えてくれる。
特にこの映画の描写はお見事だ。

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東京スカイツリーの夜

2012-06-19 05:41:20 | 散歩
東京スカイツリーに日曜日夜に娘と行ってきました。
お世話になっている人がくれた。よくぞ手に入ったなあ!
19時から19時半限定のチケットだ。夜景も見れるぞ!



下から見上げると高い高い!



緊張の趣きのエレベーターの中
隅田川花火を意識したデザイン



たった50秒で345mの展望台へ



ドキドキしながら外を見る



駅が見える。錦糸町か!!
いつも下から見ているだけなのに
上からだとこんな感じなんだ。
葛西の観覧車や汐留やお台場のビル街もみえるぞ。



すげー浅草と上野だ。



450mへさらに上がっていく
エレベーター上透け透け





着陸間際の飛行機から下を眺めるみたいだ。
川がずいぶんとクネクネ曲がっているなあ!





東京タワーもよく見える





いったん340mに降りると人が少ない。
争って観なくてもいい。大パノラマだ。すげえ!
目の錯覚なのか隅田川が妙に近づいて見える。屋形船の多いこと!
改めてみるとこれが一番きれいなのかもしれない。
抜群にムードがある。



娘はガラスの上に乗っても平気な顔をしている。
おれはドキドキ



上海の東方明珠電視塔に上った時高いなあと思った。
下の黄浦江を見る時、上の方の展望台約350mにあがると小さく見えた。
でもこちらの方がはるかに高い。

朝の雨模様が一気に晴れた。
その雨で大気の汚れも落としてくれたせいか、空気もきれいで眺めも良かった。
最高だ。
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8 1/2 フェリーニ

2012-06-14 19:59:15 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「8 1/2」フェデリコ・フェリーニの映画史に残る作品を早稲田松竹で見てきました。

1965年キネマ旬報ベスト1でありオスカー外国映画賞だ。歴史的作品でありながらDVDレンタルはされておらず、少し前まではDVDすら売っていなかった。なかなか見るチャンスがなかった。ふと名画座でやっているのに気付く。
難解な作品との評判通りに、現実と夢想が交錯する映像に少々戸惑いました。


映画は渋滞の中に止められている車を映し出す。全く動けず、車の中ではみんな好き勝手なことをやっている。前方から来る車も動けない。そうしていくうちに車のルーフから外に飛び出るなんてシーンがいきなり画面に現れる。主人公の混迷する心理状態を表わしているのであろうか。。。?
人気映画監督である主人公グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)が温泉地に行く。新作に向けての準備をしている。しかし、一向に進まない。心身ともに疲れている。クランクインしてお金ばかりがかかっている。そこには映画スタッフも役をほしがる美人女優たちも大勢いる。そして主人公に愛人(サンドラミーロ)が来る。ますます混乱する。そうしていくうちに妻(アヌークエーメ)も来るのであるが。。。


基調はこういうストーリーであるが、順を追ってうまく説明するのが難しい。見ていてもどれが現実で、どれが夢想なのかがわからない。起承転結がはっきりしているわけではない。
この映画は傑作とされる。しかし、一度見ただけでこの映画を理解することは困難だと思われる。それくらいさまざまな要素が絡み合っている。一瞥だけで分かる人はいないだろう。かなり映画を見ている人でも3回は最低見ないとこの映画を評することはできないと思う。
同じフェリーニでも同じく傑作とされる「道」とは違う重層構造だと思う。「道」のDVDはレンタル店でもかなりの頻度で借りられているくらい人気だ。実際単純でわかりやすい要素がある。でもこれは違う。

登場人物が多いというとロバートアルトマン監督の映画だ。彼の映画ほどの大人数ではないが、セリフを話す人は多い。しかも、登場人物がものすごい掛け合いで話しまくる。セリフが次から次へと連続する。早口のイタリア語がずっと続く。機関銃のようなセリフだ。配役全員がきっちりと演じながら正確なパスのようにセリフを発する。こんなに生きたセリフが続く映像は見たことがない。演技に緊迫感が出ている。凄い演出だ。圧倒される。
どれもこれも奇妙なセットだ。温泉浴のシーンは主人公を王様に例えたようなハーレムのようだ。鞭を打ったりSMクラブ的匂いもある。「道」を連想させる大道芸人が演じるサーカス的に見えるシーンもある。ロケット発射台を連想させる、鉄骨足場のようなものに階段がついているセットがある。このセットが中心になってクライマックスに持っていく。

マルチェロ・マストロヤンニは温泉場で出演を願望する女優達に囲まれる人気映画監督の役だ。モテ役を地で演じている。いくつかの映画で見せるシリアスな役よりも遊び人の役の方がいい。ここでの女優陣の美しさはすさまじい。時代の古さを全く感じさせない。クラウディア・カルディナーレをはじめとしたそんな美女たちも彼の前ではみんなイチコロだ。100年を超える映画史の中でこの役を演じられるのはマルチェロ・マストロヤンニしかいない。ローマ帝国の昔から受け継いだモテ人間の強いオーラがある。まさに適役といえよう。



蛇足だが
1965年キネマ旬報ベスト1ということで、本棚に向かいキネマ旬報全史を読み返してみた。メリーポピンズやサウンドオブミュージックやコレクターといった名作がある中で、どういう連中がこの映画に10点満点をつけたのかと。植草甚一、荻昌弘、淀川長治、双葉十三郎といった死ぬまでその名をとどろかせた評論家が10点をつけている。加えて、自分の大学時代に「映画論」を講義していた津村秀夫も10点だ。いずれも日本映画界を代表する人たちである。でも彼らはいったい何回この映画を見たのだろう。それぞれの著作を持っているが、植草甚一以外はどれも解説が中途半端だ。やっぱり難しい映画なんだよなあ。
単なる難しいだけの屁理屈じゃないのはわかった。普通の神経ではこの映画はつくれない。
究極の映画を堪能するために何回か見てみよう。
コメント (2)
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映画「キリマンジャロの雪」

2012-06-13 18:56:40 | 映画(フランス映画 )
映画「キリマンジャロの雪」を知性の殿堂神保町岩波ホールで見た。フランス映画だ。


ヘミングウェイの同名作品と関係ないとは知っていたのであるが、この題名が持つ不思議な魅力に誘われるように劇場に入ってしまった。一つ欠点があって、字幕が非常に読みづらいというか30%程度読めない。マルセイユの港町の日差しが強いせいで白の字幕が見えないせいだけど、いくらなんでもこれはないよ。
配給会社はもう少し観客のこと考えて字幕つくってと言いたい!!

フランスの港町マルセイユの埠頭。主人公ミシェルが労働組合の委員長をしている会社も人員削減を余儀なくされ、労使間の協議で20名の退職者をくじで選ぶことになった。委員長の権限でリストラの対象から外せたにもかかわらず、彼は自分の名前もクジに入れていたのだ。

ミシェルは妻マリ=クレールに、自分がリストラにあったことを告げる。自分を犠牲にした行為が夫らしいと感じた妻はさほど落胆せずに今後も2人で歩んでいこうと考えていた。
その後、ふたりの結婚30周年を祝うパーティーが行われ、リストラされた社員も含めた多くの仲間が招待された。夫婦の長年の夢だった、アフリカ・キリマンジャロへの旅が家族から贈られた。2人と家族は喜びで満ち足りていた。

主人公と妻は、妹夫婦ドゥニーズとラウルらといつものようにカードゲームに興じていたある日の夜、突然マスクをした強盗二人に押し入られる。強盗は金品と共にキリマンジャロ行きのチケットを奪っていった。義妹ドゥニーズは事件をひきずり、日常生活を送れなくなってしまう。弟ラウルはそんな妻を見て、犯人への憎悪が膨らんでいくばかりだった。
数日後、主人公がバスに乗ると、パーティーでプレゼントとして受け取ったコミック本を持っている2人の少年に出くわした。少年を追いかけていくと、主人公の同僚の青年の家であることが判明したが。。。。

このあと、犯人である青年は幼い2人の弟を抱えていることがわかる。普通であれば同情しないが、主人公は徐々にこの2人の少年が気になる。

「ルアーブルの靴磨き」のような人情映画を期待したけれど、ストーリーの設定が相性合わない。
いくらなんでもやりすぎだ。こんなことありえるのかと思ってしまう。

マルセイユは地中海に面する港町だ。映像でわかるが日差しの強い中、オレンジ系の瓦屋根の家がきれいに立ち並ぶ町だ。主人公の生活を通じてマルセイユの庶民の生活が描かれる。そこでは昔ながらの日本の田舎と同じように、家に鍵をかけないでオープンに暮らしているのがわかってくる。明るい町の中でオープンに暮らせば、このくらいのことを考える人もいてもおかしくないのかもしれない。でも今一つ感情流入ができなかったなあ。。。
最近の2作を見て、フランスの地方の町って日本以上に義理人情に満ちあふれている世界なのかと感じたけど。本当にそうなのかなあ?
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永遠の僕たち ミア・ワシコウスカ

2012-06-08 05:07:58 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「永遠の僕たち」はガスヴァンサント監督による人間ドラマだ。
青春ものの色彩も強い。

ガスヴァンサント監督といえば、「グッドウィルハンティング」が一番大好きな作品、マットデイモン演じる精神が破壊した数学の天才をメインにした傑作だ。
ショーンペンがオスカーを獲った「ミルク」もゲイ物だけに好き嫌いがあるがいい味出していた。
そんな監督の新作だから当然見る。

死や霊をめぐる話なので、好き嫌いあるかもしれないが、自分にはよく見えた。
日本の特攻隊の精霊を加瀬亮が演じる。これはこれで悪くない。
何よりミア・ワシコウスカのかわいさがいいムードだ。


主人公(ヘンリーホッパー)は高校を退学になってブラブラしている青年だ。彼は葬式めぐりを日課にしていた。自分に関係のない人の葬儀に参列するのだ。ある葬式で参列の一人の女の子(ミア・ワシコウスカ)と知り合いになった。
葬儀屋に声をかけられた。「ここ1ヶ月で君を三回見たけれど、どういうことなんだ」と
そのとき彼女が横から「わたしは故人の姪で、彼は私のボーイフレンドだ」と助け舟を出してくれた。
そこを出て2人は歩いて語り合った。主人公は父母の墓に向かいながら自分の身の上を話した。
自分は大きな交通事故にあった。そのとき父母がなくなり叔母と一緒に暮らしている。
自分もそのとき3分間死んだ状態になったと。
そういう臨死状態をしたせいで、主人公は日本軍の神風特攻隊の精霊ヒロシ(加瀬亮)と会話ができるようになった。いつも一人でいる主人公は特攻隊の戦士の精霊とゲームをしたりして遊んでいる。
彼女は重い病気にかかっていた。MRIの検査をしたら、余命はあと3ヶ月だといわれる。
でも主人公は3ヶ月あればたくさん一緒に遊べるよと二人はデートするようになる。
病院の霊安室でデートしたり、ハローウィンのときに主人公が日本軍の戦闘服を着て、彼女が日本の着物を着てデートしたり楽しい日々を過ごすのであるが。。。。

なんとビートルズの「TWO OF US」で映画はスタートする。映画「LET IT BE」のシーンが懐かしい。
後期では珍しいジョンとポールがマイクを一つにしたアコースティックギターがやさしいセッションだ。
クレジットを見ると音楽はダニエル・エルフマンだ。ご存知ティムバートン映画の派手な映画音楽をかき鳴らす作曲家だ。
でもここではおとなしい。アコースティックギターをベースに優しい音楽が流れる。70年代初頭のCSN&Yやアメリカを思わせる。ダニエルにはきわめて珍しいパターンだ。
シンプルなフランス語の歌なんかはいい感じだ。

その優しさムードは主演女優のミア・ワシコウスカの持っているなんともいえない優しい姿とあっている。
設定はダーウィンの本を読む、動物が好きでそのスケッチを楽しむ女の子だ。
ここでの彼女は実に素敵だ。ショートカットは初期のグゥイネスパルトロウや60年代に一世を風靡したツィギーを思わせる。
名前からして東欧系なのか色白美人だ。

「アリスインワンダーランド」「キッドオールライト」や今度公開の映画にも出てくる。キッズオールライトは別として時代物なので髪の結い方が違う。今回本質的な素材のよさが表面に出ている。

本当にかわいい。
こういう女の子とデートしてみたいなあと感じさせる良い雰囲気を出している。
主人公はバドミントン、ボート、スケッチ、フェンシングいろんなデートを楽しむ。楽しそうだなあ。
神楽坂恵の爆乳が炸裂するワイルドな映画を見た後で、あっさり系でよかった。
濃い目のデミグラスソースのビーフシチューを食べた後に、あっさりとした白身魚の生ものを食べるような感覚だ。

この映画は彼女に尽きる。
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ハラがコレなんで 仲里依紗

2012-06-07 22:29:40 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
「ハラがコレなんで」は「川の底からこんにちは」で才能を発揮した新鋭石井裕也監督の作品だ。

下町に唯一残る長屋に繰り広げられる人情コメディだ。ここのところ女優としての才能を発揮している仲里依紗が主演だ。ニの線ばかりでなく、三の線がうまい。「モテキ」での存在感もあったが、ここでは彼女のワンマンショーという感じだ。

主人公光子(仲里依紗)はアメリカ人と結婚するつもりで妊娠、本来はめでたしなのに別れて一人住まいだった。預金も底がついてきてあてもなく、小さいころ暮らした東京のはずれの下町の長屋に向かう。そこには昔お世話になった大家のおばさんが暮らしているはずだった。着くと彼女は寝たきり状態だった。

そこで場面は彼女の小さいころにフラッシュバックする。
主人公の父母は事業がうまくいかず、夜逃げ同然でこの長屋へやってきた。長屋に来ると、歓迎され驚く。
そこでは住人たちがワイガヤまるで住居の垣根がないが如くに暮らしていた。

大家のおばさんは揉め事も含め、すべてを取り仕切っていた。気風のよさがあり、うまくいっていないうちの家賃をまけてあげたりした。そこの住人に食堂を経営している父(石橋凌)子がいた。実際には実子ではなかった。その息子と主人公は仲良くなったが、景気がもどり主人公親子は引っ越すことになった。

戻った時長屋からは住人はほとんどいなくなっていた。食堂のおじさんと息子はまだ住んでいた。食堂にいくと、客は少なく閑古鳥だった。
厨房でボーとしている姿を見て、主人公はいても他ってもいられない気分になった。私が面倒を見るというばかりに食堂に客を引っ張るようになった。店には以前にまして客足が戻ってきたのであるが。。。。

先だって見たあしたのジョー実写版で出てきた長屋と同じような、一昔前の長屋が舞台だ。
そこの仲間内での人情ものと思しき映画だが、実際には近代化の中に取り残されている長屋からは人はいなくなり、下町的人情はなくなっている。そこに戻ってきた主人公が奮闘する。しかも、彼女は妊娠9ヶ月だ。

映画が始まっての場面で、主人公が引越しをしてきた隣人の女性に対して、うっとうしく世話をやく場面が出てくる。タクアンどうですか?と隣の家を訪ねて、勝手に上がりこみ話し込もうとする。隣人からはいい迷惑だ。
でもこういうのが、小さいころの生活から学んだものだということが映画を見てわかっていく。
主人公が育った長屋では、隣と自分の家の境目もない状態、お互いに食べ物をあげたりして、世話をやきやっている。逆に喧嘩も絶えない。
主人公はこの下町長屋で気風のよさということを学んだ。
こういうのが粋なんだよと、自分の行動を粋かどうかで判断する。
OK! これは粋だ という主人公のセリフが脳裏に焼きつく。


主人公が食堂に連れてくるのは、リストラにあって会社から干されている男たちが多い。
金もなさそうな連中に粋とばかりに、全部自分のおごりだとまで言ってしまう。
店に客が増えたのであるが、売上がちっとも変わらない。
サクセスストーリーではないのだ。そこが肝だ。

品川の実家も近くに商店街があり、割と近い生活を見てきた。だから親近感はある。
うちの母も町内会の役員をずっとやってきて、お互いに助け合いなんてこともよく言った。
朝から晩まで町会事務所に入りびたりだった。地元の小学校にもボランティアで行っていた。
後でお返しが来るからとずいぶんと母も気前がよかったが、大して良いこともなかったのかもしれない。
でも父や母が死んだときには、大行列ができるくらいに葬式に人が来た。
区から偉い人まで来た。母との最後の会話は赤十字社からの感謝状が来ているかどうかだったなあ。
うちの母はこの主人公と同じように粋を貫いてよかったと思ったのかもしれない。
母を思い出してしまう映画であった。
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恋の罪  神楽坂恵

2012-06-07 05:50:33 | 映画(日本 2011年以降主演男性)
映画「恋の罪」は問題作品を次から次へと発表する園子温監督の作品だ。

前作「冷たい熱帯魚」では脇役でんでんを暴走させ狂気的な凄い作品を発表した。今回はでんでんのような男性の狂人がいない代わりに、神楽坂恵と冨樫真の女性2人を暴走させる。神楽坂恵の圧倒的なバディに翻弄されながらストーリーを追った。水野美紀が格でクレジットトップだけど、どう見てもこの映画の主役は神楽坂恵でしょう。

渋谷の円山町のホテル街で、古い建物から女性の死体が発見された。主婦でありながら刑事の仕事を務める女(水野美紀)は外出先で知らせを受けて、現場に駆け付ける。首が切られたむごい死体だ。
作家の主婦である主人公(神楽坂恵)は一戸建ての家で何不自由のない生活をしていた。朝7時に家を出て夜9時過ぎまで帰らない夫は別の仕事場で著述の仕事をしていた。主人公は暇なのでスーパーで試食販売のバイトをしていた。そんな主人公を店頭で見てモデルクラブの女性スカウトがモデルをやらないかと誘う。スカウトから連絡があって、撮影場所へ行くと水着にさせられた。写真を次から次へと撮られた後、気がつくとヌードにさせられていた。男優が迫ってくる。真相はAV撮影だった。

このあと、毎日ルーティーンな生活をしていた主人公は一気に気持ちがふっきれた。胸元を派手に開いた大胆な洋装で渋谷へ遊びに出るようになった。そして町でナンパされた男とちょっと変わったプレイをするようになった。その男の知り合いにホテトル嬢(冨樫真)がいた。彼女の後を追いかけているうちに、実は本職が他にあることがわかる。どうやら大学で教師をやっているようだ。主人公はホテトル嬢に近づこうとするのであるが。。。


「ルアーブルの靴磨き」を見に行った時に円山町のホテル街を歩いた。見たばかりの光景だけにきわどいネオンの映像もなじみやすかった。

もうずいぶんと時間がたつが、東電OL殺人事件にはあっと驚いた。
彼女は自分より年上だが、同じ大学でだぶっている時代もあるせいか、かなり興味を持った。この題材はいろいろな小説や2時間ドラマの題材になっている。ある意味村上春樹の「1Q84」にもその影響が感じられる。女主人公青豆の友人で警察官の女性は、夜乱れる設定だ。女性の性欲というテーマがあの小説では取り上げられていた。この映画における水野美紀の役に近い気もした。
東電の彼女は冨樫真が演じる役柄のようなことをやっていたらしい。そういえば、以前彼女がストリートで客をとっていた時代の写真を見たことがある。冨樫真が派手に化粧をした顔によく似ていた気がする。そういった意味でリアリティを感じた。


爆走する神楽坂恵のテンションが高い。「冷たい熱帯魚」の時よりもかなりメインに出ている。爆乳を見せる場面も多い。どちらかというと、「にっかつポルノ」の現代バージョンという色彩が強い気がする。前作ではでんでんがかなり出演の女たちをいじくっていたが、今回男性側はホテトルの店長がメインでハチャメチャのことをやる。演じる奴がいかにもらしい感じだ。でも前作ほどのアクは強くない。園子温監督も今回はむしろ男性よりも女性の異常性にスポットライトをあてたようだ。
マーラーの交響曲第5番をその異常性が頂点に達しようとする時何度も奏でる。ヴィスコンティの究極の男色映画「ベニスで死す」でも使われたこの曲のムードが暴走する2人の異常性を強調する。

水野美紀はついに全部を脱ぎさらしてクレジットトップであるが、存在感はあまりない。彼女にハチャメチャさせたらもっと面白くなるんだろうけど、中途半端だった気がする。
冷たい熱帯魚ほどの衝撃度は正直なかった。
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