映画「サムライ」は1967年のアランドロン主演のフランス映画である。
アランドロン主演でもこの映画はなかなか見るチャンスがなかった作品だ。いわゆるフィルムノワールとされるジャンルに入る渋い映画で、極めて寡黙に演じるアランドロンの魅力が満載である。
ジェフ・コステロ(アランドロン)は古ぼけたホテルに小鳥とともに暮らす殺し屋だ。鍵のあいているシトロエンに忍び込み合鍵で車を発進させ、場末の修理工場へ向かう。そこでナンバープレートを変えてそのままナイトクラブに行き、経営者を殺す。その場を立ち去ろうとしたら、クラブで演奏する女性ピアニスト(カティ・ロシェ)とすれ違う。ジェフはアリバイを示すために真夜中に愛人(ナタリードロン)のところへ行く。
殺しの現場に警察がすぐ駆けつけた。目撃者の証言では、帽子をかぶったトレンチコートの男らしい。街の賭場でカードゲームしているジェフは警察に引っ張られる。クラブの店員に面通しをしたが、ピアニストはこの男でないと証言し、愛人は自分のところにいたと話したのでジェフは釈放される。釈放されたジェフは依頼人筋と待ち合わせるが、「おまえは取り調べを受けただろ」と言われ銃で撃たれる。
警部(フランソワ・ペリエ)はアリバイを示す証言があってもジェフを犯人とにらんでいたので、そのまま内偵を続ける。一方で依頼人筋はある事情からもう一度ジェフに接近し、報酬を払うと同時にもうひと仕事をしてほしいというのであるが。。。
1.アランドロン
1960年の「太陽がいっぱい」は全世界でアランドロンの名をとどろかせる。そこでは役柄からすると殺人を犯した単なる若いアンちゃんなんだけど、60年代から70年代にかけて日本でもすごい人気だった。ハンサムというとアランドロンの名前がすぐさま出てくるくらいの存在である。「太陽がいっぱい」で裸でヨットの舵をとるアランドロンの写真を下敷きの中に入れていた小学校や中学の同級生もずいぶんといた。
この映画でも確かにそのカッコよさがにじみ出ている。端正な顔立ちにトランチコートがよく似合う。しかも寡黙である。登場人物の動きが割とあるのに、映画全体に無駄なセリフが少ないフィルムノワールのタッチである。主人公ジェフが犯人と警部に決めつけられるが、いったん釈放される。
それでも警察は盗聴をかけたり、尾行をする。この地下鉄での尾行シーンがいい。60年代後半のパリの街並みが映像ににじみ出る。パリの警察が威信をかけて、至る駅周辺でアランドロン演じるジェフをマークする。ジェフも電車を降りないようでドアが閉まる寸前で降りたりして懸命にまこうとする。沈黙の中で繰り広げられる心理戦が見ものだ。
2.美女二人
ナタリードロンは当時アランドロン夫人である。これがまた美しい。設定では娼婦ということであるが、下品なイメージはない。旦那にまだまだ映画界で仕事をさせてくれと言ってから関係が悪化したと言われる。あまり資料がなくわからないが、ピアニストを演じたこの映画のカギとなる存在のカティ・ロシェが魅力的だ。黒人ということだが、メイクであろうか?この細みの女性の魅力も映画の格をあげている。
どうして殺し屋を依頼主が雇ったのか?殺し屋ジェフはどういう素性に育った男なのか?愛人とされる女はどういう素性で、ジェフとどういう関係なのか?ナンバープレートを変える自動車修理工はどういう男なのか?疑問は尽きない。でも何も明かさず、最後まで進む。簡潔だ。
この映画の寡黙ぶりはいろんな映画に影響を与えていると言われる。確かにそうだが、個人的にはアランドロンの一時期のライバルであるチャールズ・ブロンソン主演の「メカニック」の冒頭でセリフなく10分以上ブロンソンが殺しのための仕事をするシーンを連想した。殺し屋の過ごした数日という設定はある意味トムクルーズ「コラテラル」を彷彿するものもある。
アランドロン主演でもこの映画はなかなか見るチャンスがなかった作品だ。いわゆるフィルムノワールとされるジャンルに入る渋い映画で、極めて寡黙に演じるアランドロンの魅力が満載である。
ジェフ・コステロ(アランドロン)は古ぼけたホテルに小鳥とともに暮らす殺し屋だ。鍵のあいているシトロエンに忍び込み合鍵で車を発進させ、場末の修理工場へ向かう。そこでナンバープレートを変えてそのままナイトクラブに行き、経営者を殺す。その場を立ち去ろうとしたら、クラブで演奏する女性ピアニスト(カティ・ロシェ)とすれ違う。ジェフはアリバイを示すために真夜中に愛人(ナタリードロン)のところへ行く。
殺しの現場に警察がすぐ駆けつけた。目撃者の証言では、帽子をかぶったトレンチコートの男らしい。街の賭場でカードゲームしているジェフは警察に引っ張られる。クラブの店員に面通しをしたが、ピアニストはこの男でないと証言し、愛人は自分のところにいたと話したのでジェフは釈放される。釈放されたジェフは依頼人筋と待ち合わせるが、「おまえは取り調べを受けただろ」と言われ銃で撃たれる。
警部(フランソワ・ペリエ)はアリバイを示す証言があってもジェフを犯人とにらんでいたので、そのまま内偵を続ける。一方で依頼人筋はある事情からもう一度ジェフに接近し、報酬を払うと同時にもうひと仕事をしてほしいというのであるが。。。
1.アランドロン
1960年の「太陽がいっぱい」は全世界でアランドロンの名をとどろかせる。そこでは役柄からすると殺人を犯した単なる若いアンちゃんなんだけど、60年代から70年代にかけて日本でもすごい人気だった。ハンサムというとアランドロンの名前がすぐさま出てくるくらいの存在である。「太陽がいっぱい」で裸でヨットの舵をとるアランドロンの写真を下敷きの中に入れていた小学校や中学の同級生もずいぶんといた。
この映画でも確かにそのカッコよさがにじみ出ている。端正な顔立ちにトランチコートがよく似合う。しかも寡黙である。登場人物の動きが割とあるのに、映画全体に無駄なセリフが少ないフィルムノワールのタッチである。主人公ジェフが犯人と警部に決めつけられるが、いったん釈放される。
それでも警察は盗聴をかけたり、尾行をする。この地下鉄での尾行シーンがいい。60年代後半のパリの街並みが映像ににじみ出る。パリの警察が威信をかけて、至る駅周辺でアランドロン演じるジェフをマークする。ジェフも電車を降りないようでドアが閉まる寸前で降りたりして懸命にまこうとする。沈黙の中で繰り広げられる心理戦が見ものだ。
2.美女二人
ナタリードロンは当時アランドロン夫人である。これがまた美しい。設定では娼婦ということであるが、下品なイメージはない。旦那にまだまだ映画界で仕事をさせてくれと言ってから関係が悪化したと言われる。あまり資料がなくわからないが、ピアニストを演じたこの映画のカギとなる存在のカティ・ロシェが魅力的だ。黒人ということだが、メイクであろうか?この細みの女性の魅力も映画の格をあげている。
どうして殺し屋を依頼主が雇ったのか?殺し屋ジェフはどういう素性に育った男なのか?愛人とされる女はどういう素性で、ジェフとどういう関係なのか?ナンバープレートを変える自動車修理工はどういう男なのか?疑問は尽きない。でも何も明かさず、最後まで進む。簡潔だ。
この映画の寡黙ぶりはいろんな映画に影響を与えていると言われる。確かにそうだが、個人的にはアランドロンの一時期のライバルであるチャールズ・ブロンソン主演の「メカニック」の冒頭でセリフなく10分以上ブロンソンが殺しのための仕事をするシーンを連想した。殺し屋の過ごした数日という設定はある意味トムクルーズ「コラテラル」を彷彿するものもある。