溝口健二、田中絹代の名コンビである。谷崎潤一郎の原作だけに耽美的な微妙な作品
京都の美しい風景、建物のたたずまいを宮川一夫のカメラが素晴らしいアングルでとらえる傑作
京都のお嬢さん乙羽信子の見合いに、姉のお遊さま田中絹代が同席する。田中はお金持ちに嫁いだが、子供が生まれた後に夫を亡くした後家さんである。見合いのお相手は京都の老舗の若旦那さん。若旦那は若い乙羽でなく、お遊さまを見初めてしまう。お遊さまは相手を気に入らず、見合いをつぶしてしまうことが多かった。しかし、若旦那が気に入り妹の縁談を進めようとする。結局二人は結婚することになるが、田中と若旦那の気持ちの通じていることを知り、乙羽は夫に偽装結婚の申し出をして、微妙な三角関係がはじまる。。。。
ここのところ昭和20年代から30年代にかけての京都舞台の映画を見ることが多くなってきた。
映画はストーリーや俳優だけで見るものでなく、風景や建物からにじみ出るものを感じたいというのが自分の姿勢。
この映画でも、格子が多い昔からの日本家屋の特徴がくっきりでており伝統的な美しさを感じる。
こういう格子は経師屋の職人技の仕事である。現代では職人がかなり減っている。
この当時の映画を見ると、どの建物も美しい木の格子がこれでもかというように出てくる。すばらしい。
京都の風流のある女性を演じる田中絹代、宝塚女役の匂いがまだ残る若き日の乙羽信子の優雅さに加えて、乙羽の相手役堀雄二の振る舞いがいかにも京都の旦那衆の振る舞いで言葉づかい、着物の着こなしを含め実に見事。戦災を受けていない京都は、戦後間もないこの時期、明治やそれ以前の優雅さがそのまま残っていて格調高雅なる映画になっている。
また、旦那さんと使用人の区別が実にはっきりしている。同じ溝口監督の「祇園囃子」同様、その他大勢の使用人がいかにも江戸、明治から流れている特有の表情と仕える人への尊敬のまなざしを見せる。
今の俳優では絶対に演じられない表情である。
一部セットが稚拙になるのは、この時代だけに仕方ないと思う。全部ロケでやってもらったほうが良かったのかもしれない。いずれにしても宮川一夫のカメラの美しさはとてつもない美的センスを感じる。溝口と選び出す映像コンテを見ると、きっと彼は画家であっても成功したであろうと思う。
京都の美しい風景、建物のたたずまいを宮川一夫のカメラが素晴らしいアングルでとらえる傑作
京都のお嬢さん乙羽信子の見合いに、姉のお遊さま田中絹代が同席する。田中はお金持ちに嫁いだが、子供が生まれた後に夫を亡くした後家さんである。見合いのお相手は京都の老舗の若旦那さん。若旦那は若い乙羽でなく、お遊さまを見初めてしまう。お遊さまは相手を気に入らず、見合いをつぶしてしまうことが多かった。しかし、若旦那が気に入り妹の縁談を進めようとする。結局二人は結婚することになるが、田中と若旦那の気持ちの通じていることを知り、乙羽は夫に偽装結婚の申し出をして、微妙な三角関係がはじまる。。。。
ここのところ昭和20年代から30年代にかけての京都舞台の映画を見ることが多くなってきた。
映画はストーリーや俳優だけで見るものでなく、風景や建物からにじみ出るものを感じたいというのが自分の姿勢。
この映画でも、格子が多い昔からの日本家屋の特徴がくっきりでており伝統的な美しさを感じる。
こういう格子は経師屋の職人技の仕事である。現代では職人がかなり減っている。
この当時の映画を見ると、どの建物も美しい木の格子がこれでもかというように出てくる。すばらしい。
京都の風流のある女性を演じる田中絹代、宝塚女役の匂いがまだ残る若き日の乙羽信子の優雅さに加えて、乙羽の相手役堀雄二の振る舞いがいかにも京都の旦那衆の振る舞いで言葉づかい、着物の着こなしを含め実に見事。戦災を受けていない京都は、戦後間もないこの時期、明治やそれ以前の優雅さがそのまま残っていて格調高雅なる映画になっている。
また、旦那さんと使用人の区別が実にはっきりしている。同じ溝口監督の「祇園囃子」同様、その他大勢の使用人がいかにも江戸、明治から流れている特有の表情と仕える人への尊敬のまなざしを見せる。
今の俳優では絶対に演じられない表情である。
一部セットが稚拙になるのは、この時代だけに仕方ないと思う。全部ロケでやってもらったほうが良かったのかもしれない。いずれにしても宮川一夫のカメラの美しさはとてつもない美的センスを感じる。溝口と選び出す映像コンテを見ると、きっと彼は画家であっても成功したであろうと思う。