映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

姿三四郎 黒澤明

2011-04-29 17:58:22 | 映画(日本 黒澤明)
黒澤明監督のデビュー作である。姿三四郎といえば誰でも知っているキャラクターである。
講道館の嘉納治五郎師のもとに学ぶ柔道家西郷四郎がモデルといわれる。昭和18年戦中につくられただけあって、出演者の面構えが違う。明治の柔道家の荒々しさがにじみ出るような気がする。まとまりよい傑作だと思う。



明治15年、柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎こと藤田進は柔術の神明活殺流に入門。彼らは修道館柔道の矢野正五郎こと大河内伝次郎の闇討ちを計画していた。近年めきめきと頭角を現した修道館柔道をいまいましく思っていたのだ。ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活殺流は川に投げられてしまう。三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。

三四郎は街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう暴れん坊。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝した。三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込む。矢野は取り合わない。一夜明けて意地を張っていた三四郎だが、心を入れ替えることを決意する。


修道館の矢野の元に道場破りの刺客が絶えない。警視庁の新しい柔術道場開きの招待状が届く。その場で他流試合を設けたいという誘いであった。ここで神明活殺流の門馬が三四郎にあてた挑戦状であった。謹慎明けで稽古に励む三四郎。しかし柔術の雄も三四郎の敵ではなく投げ飛ばす。その場にいた柔術家の娘の悲痛な目が脳裏から離れず、三四郎は柔道を続ける意義を見失ってしまう。
その後も柔術の師範村井半助こと志村喬は警視庁武術大会での試合を三四郎に申し込む。三四郎が想いを寄せるその娘の小夜こと轟夕起子は老いた父の勝利を願っていたのであった。その事を知った三四郎は自分が試合にどう臨めばいいのか自問自答してしまう。

面構えがちがう。昭和18年といえば、戦争の真っただ中、こんな時には軟派の若者はいない。明治の初めの面構えと同じではないだろうか。そう考えると、今この映画を作っても物足りないものになってしまうであろう。主演の藤田進の顔立ちは「ヒクソングレイシー」にそっくりである。いかにも道を究める顔立ちだ。大河内伝次郎の貫禄もさすがだ。ライバルの柔術使いの月形竜之介のあくの強い顔はくせのある剣豪の匂いがする。クールだ。のちに映画で「水戸黄門」を演じるときの顔立ちと比べてみると思わず苦笑する。でも志村喬は柔術の師範役だけど、いかにも弱そう。「生きる」のときの顔とそん色ない。


幼いころ、姿三四郎の雄姿に憧れた。テレビで倉丘伸太郎主演のドラマを見ていた。曾我廼家明蝶の和尚役の印象が強い。そういえば美空ひばりの空前のヒット曲「柔」はこのあとの嘉納治五郎の生き様を描いたドラマ主題歌だった。東京オリンピックと同時に柔道ブームだったのかもしれない。
桜木健一主演テレビドラマ「柔道一直線」はこの映画の影響を強く受けている気がする。実際の柔道ではこんなに大きく動いたりしない。しかも、同じように派手に遠くまで投げ飛ばす。この影響はこの映画によるものと思う。

必殺技「山嵐」は映画ではセリフとして出てこない。しかし、映画の中で藤田進演じる三四郎が刺客にかける技はまさしく「山嵐」である。背負い投げと体落としのあいの子のような技だ。右手が相手の右袖を持つ。ここがミソだ。志村喬も月形竜之介も遠くにぶん投げる。実戦では力に相当差がないとありえないけど、ビジュアル的にはこうした方が見栄えがいい。


高校で柔道をやっている時、すでに社会人になっていた先輩たちに稽古をつけてもらった。その時医者になった先輩でものすごく強い先輩がいた。当時大学の医局にいた。その先輩が「山嵐」式背負い落としを多用していた。我々がびゅんびゅん投げられた後、同期がこの技を使う様になった。割と決まった。まだ「山嵐」とは知らず、その先輩の名をとって「A式」と我々は言っていた。
その先輩はのちに有名医大の外科の教授になられた。つい先ごろまで大学にいらっしゃった。いまだ民間病院のお偉いさん。今でも「山嵐」でぶん投げていらっしゃるのであろうか。
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真実の瞬間  ロバートデニーロ

2011-04-29 10:48:59 | 映画(洋画 99年以前)
映画界で繰り返し取り上げられているテーマとして大戦後の映画界の「赤狩り」がある。
「真実の瞬間」は91年のロバートデニーロ主演作品だ。「赤狩り」で窮地に陥る映画監督の偶像をいちばんよく表現していると思う。これでもかこれでもかと攻め立てるアメリカ政府当局の執拗な動きには少々驚いた。戦前の日本の特高警察と大して変わらない。

1951年9月、売れっ子監督デイヴィッド・メリルことロバート・デ・ニーロはフランスから帰国した。家庭を顧みない彼は元妻アネット・ベニングと離婚していた。息子にはときどき会わせてもらっていた。帰国パーティの席上、突然女優のドロシー・ノーランが夫のシナリオ・ライターことクリス・クーパーをなじり始めた。彼が共産主義者を取り締まる委員会に友人を売ったというのだ。
映画界のドンから呼び出しを受けたロバートは弁護士に会うように言われた。共産主義者としてのブラック・リストに名前が挙がっているので、誰かを売ることを弁護士に勧められた。ロバートは共産主義者の集会に出たことはあったが、論争になってケンカ別れをして以来共産主義者とは縁がなかった。党員でないロバートは断固たれ込みを拒否した。帰宅すると女優がFBIの力により息子の保護権を奪われたことを知った。ロバートは仕事を奪われ、撮影所には出入り禁止となる。ロバートはブロードウェイにいる昔の仲間を頼って求職のためニューヨークへ行く。そこでもFBIは妨害し、彼が面倒を見た女優でさえ彼を避けた。見かねた元妻アネットべ二ングが見かねて息子と3人で住む。状況は好転しないが。。。。

ソビエトとの冷戦の時代、共産主義者の疑いのある者を糾弾する「赤狩り」が行われた。下院非米活動委員会によって、多くの芸術家が攻撃され、ハリウッドの映画界もその嵐に巻き込まれていた。
「エデンの東」「波止場」のエリア・カザン監督も共産主義者の嫌疑がかけられた。エリアカザンはこれを否定するために司法取引し、友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会にもらした。逆にこのたれ込みがなければ、名作「エデンの東」もなく、ジェームスディーンというスターが生まれなかったかもしれない。1998年、エリアカザンは長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」を与えられた。赤狩り時代の行動を批判する一部の映画人からはブーイングを浴びる異例の扱いを受けた。

ここでのロバートデニーロは反対の行為を演じる。第3者の名をあげることを拒絶する。映画の最後の最後まで徹底的に当局から虐待を受ける。すさまじい話だ。
一つだけわからないことがある。エリアカザンがオスカー名誉賞を受賞した時のプレゼンターがなんとロバートデニーロと映画「真実の瞬間」に俳優として出演していたマーチンスコセッシ監督だったそうだ。これがどういう意味を持つのか自分にはわからない。皮肉かな?



あとは若き日のアネットべ二ングの美貌に注目したい。個人的には大ファンだ。今の彼女も素敵だと思う。たくさんある彼女の作品の中でもこの映画の知的美貌は際立つ。今年ナタリーポートマンにオスカー主演女優賞をさらわれたが、これから先に期待したい。
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天城越え  田中裕子

2011-04-28 05:45:04 | 映画(日本 1989年以降)
石川さゆりの名曲「天城越え」は去年の紅白でも歌っていた。いつもながらの熱唱は大好きだ。
直接的な関連はないのに、この歌を聴いていると松本清張の「天城越え」を思い出す。短編「天城越え」を最初に読んだときには背筋がぞくっとした。
印刷会社の社長が老刑事の訪問を受け、昔の犯罪に関する調書の印刷を頼まれる。その犯罪はまぎれもなく自分が少年時代にかかわった犯罪だったのだ。
誰しもが犯罪ではなくても良心の呵責にかかわる出来事ってあると思う。そんな話を時間がたってから突如として誰かに指摘されるとドキッとする。そういう心理が本を読んでドキッとさせたのであろう。

「天城越え」は83年の松本清張の小説の映画版である。テレビ朝日の2時間ドラマのような流れである。ひと時代前の古さを感じる。一つだけ際立つのは田中裕子の熱演である。このころの彼女は何か違うオーラがある。


静岡で印刷屋を営む小野寺こと平幹二朗のもとに、県警の嘱託である渡瀬恒彦が訪れる。「天城山殺人事件」という刑事調書の印刷を依頼しに来た。事務員から受け取った原稿を見て平は激しく衝撃を受けた。少年のころ、かかわった事件だったのだ。平は14歳の頃を回想する。
主人公は14歳のころ下田に住んでいた。家業は鍛冶屋だったが、父は亡くなって母こと吉行和子と暮らしていた。主人公は母が叔父といちゃつく姿を見て気分を害し、一人で家出する。天城越えの旅に出た。一人旅はさびしく、途中何人かの旅人とであったが、結局一人で天城越えをすることとなる。主人公は素足で旅する若い娘大塚ハナこと田中裕子と出会う。一緒に歩くあでやかな田中裕子に惹かれた。その時みすぼらしい格好した大工を見かける。。。。その後少年は下田の自宅に戻る。
下田に戻った後、少年は警察の訪問を受ける。みすぼらしい恰好をした大工が殺されている気配があることがわかる。少年が天城にいたことを知る目撃者がいたのだ。しかし、少年ということもあり、取り調べは簡単な聞き取りで終わる。その後流れの娼婦である田中裕子渡瀬恒彦刑事率いる警察の拷問を受けることになるのであるが。。。。


田中裕子は警察から拷問を受ける。その拷問がかなりの体当たり演技だと思う。渡瀬恒彦は強烈に彼女をいたぶる。彼女は妖艶さを見せると同時に、戦前の自白を導こうとする拷問をあえて表現してみたかったのだと思う。しかも、スター女優だったのにもかかわらず、ボリュームには難があるけどバストトップを見せる。この年彼女は「おしん」もテレビで演じていた。60%以上の視聴率を獲得した怪物番組の主演だった。のっているってこういうことなんだろうと思う。妖艶さにはぞくぞくする。
「夜叉」のときにも言ったが、ジュリー沢田研二が彼女に狂ったのもわからなくもない。

こうやって映画版を見ると、欠点が割と目立つ。原作に多少脚色している。事件の時期を大正から昭和にしたのには不自然さはない。しかし、殺しの場面、死体処理の場面こういう設定をすると不自然になってしまう気もする。また、印刷屋の主人が病気におかされている設定にした。あえてそうしたのであろうと思うが、自分には不自然に思えた。原作にある恐るべき余韻をなくしてしまうのではないか?
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娘の高校と自習1

2011-04-28 05:42:03 | 家族
子供も高校へ行き始めて一月がたった。
中学はあるいていけるところだった。
部活に入ったら帰りが遅くなった。自分のときは定時制があったので
部活は5時に終了して6時までに下校しなければならなかった。
そういった意味で7時までは学校にいることが出来る。少し遅くなる。

現代社会なんて教科は自分のころはなかった。
理科総合A,Bなんて教科もはじめて見る。中学のときの第1分野、第2分野の延長だな
やっていることは地学に物理だ。途中から生物に化学をやる。
家庭科も高校ではなかった。こういうのを見ると、文部省の意図するところがよくわからない。
私立だったらやらないのであろうか?

数学を見た。
中身を見ていると数学Ⅰで以前やった内容がかなり数学Ⅱに移っている。
数学Ⅱの内容は微積をのぞくと、ほとんどが以前数学Ⅰだった内容だ。
数学Bの数列は以前も数学Ⅱだったが、ベクトルの内容はずいぶんとやさしい。
積分の体積算出は数学Ⅲとなり、一次変換、行列が数学Cになって理系しかやらない。これは驚いた。
経済系大学の文系数学で必要な項目を下手すると高校では習わないかたちになる。
いいのであろうか?

でも教科書は割りと実践的になっている印象だ。問題をみるとそう思う。
しかも、娘の高校ではチャートが配られて、1~2週に一回程度小テストもある。
こういうやり方は悪くない。テスト前には演習内容を見てあげている。その成果もでている。
自分のころはチャートを渡すというのではなく、数研の「オリジナル」という答えのみが書いていて
過程が省略されている問題集をやらされた。
答えのみ渡されているのは、それを授業でやるからということだ。やり方としては過程がちゃんと書いてある問題集をやったほうがいいと思う。

そんなこともあり、会社に行く途中で数学をやり始めた。通勤乗車時間約50分を要する。ラッシュでもタイミング良く座ることができる。
何から手をつけようと思った。受験当時の昔の参考書はまだ残っている。
月刊「大学への数学」の「日々の演習」、駿台の講義ノート、黒の「大学への数学」30年以上前の
代物だ。でもいきなりはじめるにはしんどい。
どうしようと思ったときにとっておきのものを見つけた。単問ターゲットという開成高校の教師がつくった本だ。300問で基本から標準までやれる本だ。新書スタイルで電車でも見やすい。基本はこれで網羅できる。笑ったのは今年の京大入試で、受験生がネットを通じてカンニングした問題のほぼ同じの類題があった。
これがいい。数学Ⅰを完了して、数学Ⅱももうすぐ終わる。それに加えて月刊「大学への数学」を買って基礎やスタンダードの演習をやった。学力コンテストは到底無理だが、これはなかなか今の自分のレベルにはいい。

野口悠紀雄の本では、数学英語を改めて学ぶ重要性のことが書いている。
今度の新しい本はその昔の「超勉強法」の焼き直しの部分もあるが、現代風にいい感じで焼き直ししている。まさに野口先生の言うとおりにパラシュート法で高校数学に飛び降りた。最近高校数学の焼き直しの本がずいぶんと売っている。かなり分厚い本だ。でもこれって厚すぎてみんなやらないのではないか。野口先生の言うとおり、「厳密な基礎は難しい」と思う。簡単な問題集でフットワークを重ねてからレベルアップしていくうちに、少しづつ基礎にもかかわる証明問題をやっていったらいいと思う。
今のところ順調だ。

頭の回転をキープするにはいい。
でも酔っちゃうと数学は難しいなあ。
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悪人  妻夫木聡

2011-04-26 21:29:49 | 映画(日本 2000年以降主演男性)
「悪人」は2010年ナンバーワンの呼び声が高い作品だ。「告白」と日本映画の賞を争ったが、どう考えてもレベル的には格段に「悪人」の方が上だ。言葉の思いを映像で示すそのうまさと、ロケ地をうまく使って、みずみずしい映像美に包む李監督の手腕には感心せざるを得ない。時折リアルな映像を持ってくるせいか不自然さもなくドラマがつくりあがった。


福岡の保険外交員こと満島ひかりが友人2人といる姿が映し出される。彼女は出会い系に頻繁にアクセスしてさまざまな男とあっていた。友人には男たちの一人裕福な大学生こと岡田将生が恋人といっていた。その日は解体工事作業員の主人公清水祐一こと妻夫木聡と待ち合わせをしていた。ところが、偶然岡田が車で通りかかり、妻夫木の約束を破って彼女からデートに誘う。怒った妻夫木は2人の車の後を追っていった。

久留米で理容店を営む満島の父こと柄本明と妻宮崎淑子が映し出される。二人は警察の知らせで一人娘が絞殺されたことを知る。事件当日の晩に満島と会っていた大学生岡田に容疑がかかり、警察は岡田の行方を追う。そうして逃げる岡田はようやく名古屋で見つかった。

妻夫木は長崎の外れの漁村で生まれ育ち、祖母こと樹木希林の面倒をみながら暮らしていた。そこに以前携帯でメールを交わした佐賀の紳士服量販店員こと深津絵里からのメールが来る。孤独な心を抱えた二人が佐賀で出会い意気投合する。二人は海岸線を楽しいドライブにふけった。そこで妻夫木は深津に自分の秘密を告白するが。。。。

ロケハンティングのうまさで作品の優劣が決まってくる。何気ない日常の場面でも、映像にみずみずしさが感じられる。妻夫木聡の田舎の漁村の風景、妻夫木聡と深津絵里が逃避行をする灯台の美しい海など映画を作り上げる人たちがじっくりとロケ地を選んでいる。そこでの最高の撮影アングル、映像コンテには絶妙のうまさを感じる。近年の日本映画ではずば抜けているのではないか?
灯台は五島列島にあるらしい。こんな素晴らしい場所死ぬまでに一度行ってみたい。


そのロケ地で余計なセリフが出すぎないところも気にいった。気の利いたセリフというのもあるが、何もしゃべらないで表情だけでその思いを示すということこそ映画の醍醐味である。
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キックアス  

2011-04-25 21:15:09 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
超能力を持たない一般人のヒーローそれが「キックアス」である。普通の少年であれば、誰もがマントを着てヒーローになりきろうとした経験があると思う。そんな気分で特殊な腕力も頭脳もないオタク少年がヒーローになってしまおうとする。そんな映画だ。このアメコミの発想が素晴らしい。
それに加えて登場する「ヒットガール」のカッコよさ。これがまた痛快だ。おもしろかった!

主人公ことアーロン・ジョンソンは、コミックのスーパーヒーローに憧れるオタク青年。腕力もなく、女にもてるわけでも、頭がいいわけでもない普通の少年だ。本物のヒーローになろうと思い立ち、ネットで買ったスーツを着てヒーローの活動を開始する。街に出たはいいが、何の訓練もしていない彼はあっさり暴漢に刺されて病院送りとなる。


それに懲りず、ヒーローになろうとする主人公は、コンビニで3人組に襲われていた男を見つける。あらんばかりの力で3人組に立ち向かう。その勇敢な姿を撮影していた見物人から名前を尋ねられた際に、自らを「キック・アス」と名乗った。動画はやがてYouTubeにアップされて驚異の閲覧カウントを記録。キック・アス名義のアカウントを取得し、ネット界のヒーローになる。
主人公は学校内で想いを寄せていた美少女ことリンジー・フォンセカと接近するチャンスを得る。ある日彼女が麻薬の売人によって悩まされていることを知り、キック・アスに連絡するよう助言する。キックアスこと主人公はその売人がいるアパートに乗り込む。そこにいるのは腕っ節の強そうなマフィアたち。どう見ても形勢不利、ピンチに陥る。
危うくノックダウンとなる寸前に「ヒット・ガール」ことクロエ・グレース・モレッツが現れ、強面のマフィアたちを根こそぎ退治する。まだ10歳そこそこの背格好だ。彼女の父のビッグ・ダディことニコラス・ケイジも登場する。父は犯罪組織を壊滅させるため、娘に戦闘技術を叩きこんでいた。ボコボコにやられたマフィアの親玉は「キックアス」をとらえようと作戦を練り始めるが。。。。



子供が主役なのにR指定だ。卑猥な言葉を子供たちにしゃべらせる。でもRの理由は激しいバイオレンス描写だろう。人が次から次へと死ぬ。どぎついなあ。タランティーノや香港マフィア映画を思わせる残酷さが根底に流れるのと同時にコメディの要素も大きい。前半簡潔な説明で主人公を紹介するタッチはコーエン兄弟の映画を思わせる展開の早さで無駄がない。とっつきやすい。いかにもドジな主人公がうだつの上がらない場面が続く。


とてもアメコミヒーローらしくないと思ったときの「ヒット・ガール」が登場する場面は背筋がぞくぞくした。かっこいい!この華麗なスーパー・アクションがすごい。11歳のルーツ紹介をコミックスタイルで紹介するのは「キルビル」のようだ。チャンツイィが「グリーンデスティニー」で見せたカンフーアクションを10歳そこそこで演じてしまうその姿には魅了されてしまった。

末恐ろしい少女だ!
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ラウンダーズ マットデイモン

2011-04-24 17:01:29 | 映画(洋画 99年以前)
「ラウンダーズ」はマットデイモンの初期の作品、「グッドウィルハンティング」で名を挙げた彼がポーカーゲームを題材に天才ギャンブラーの紆余屈折を演じる。

ニューヨークのロースクールで学ぶ主人公ことマット・デイモンはポーカーの天才だ。かわいい恋人グレッチェン・モルと同棲している。学費もポーカーで稼ぐ。その彼がロシアマフィアのKGBことジョン・マルコヴィッチに差しの勝負を挑む。しかし、敗れ全財産の3万ドルを奪い取られる。恋人にも足を洗う決意をし、ポーカーのプロことジョン・タトゥーロの紹介で配達のアルバイトに励み普通の学生に戻ろうとしていた。
そんな矢先、旧友のエドワード・ノートンが出所してきた。エドワードは仲間と八百長ゲームに携わって捕まった。司法取引で仲間の名をもらせば減刑するとの話があったが、口を割らなかった。そういうエドワードのおかげでマットは学業を続けられていた。出所したエドワードは捕まる前にマフィア筋に多額の借金をしていて、それを返さなければならなかった。弱みのあるマットはエドワードにに引きずられるようにポーカーにまた手を出した。恋人からは白い目で見られるが。。。。

ポールニューマンの名作「ハスラー」はビリヤードゲームが題材、展開はよく似ている。自信満々で裏社会のプレイヤーに挑戦して、失敗して挫折する。どん底から復活していこうという姿を描く意味では同じである。この映画はまさにギャンブラー向きの映画で、マットデイモンが独り言のように語る「ギャンブル」の必勝法のような言葉が妙に心に残る。久々に見たが、展開に隙がなく観客を飽きさせない。


恋人役グレッチェン・モルがかわいいなあ。共演者に手を出すので有名なマットデイモンは彼女には手を出さなかったのかな?エドワードノートンの遊び人ぶりと怪優ジョンマルコビッチのふるまいが映画を引き締める。

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シュリ

2011-04-24 15:07:25 | 映画(韓国映画)
「シュリ」は韓国映画ブームのきっかけとなった99年の作品である。北朝鮮工作員と韓国諜報部員との悲愛を描く。アクションシーンの特撮、カメラワーク、バックの音響、出演者の演技すべてにおいてすばらしい。作品のスケール感は壮大で、まさに傑作の中の傑作である。



1998年9月ソウルが舞台だ。韓国の諜報部員である主人公ことハン・ソッキュはアクアショップを経営する恋人ことキム・ユンジンと同棲していた。二人は結婚を控えていたが、主人公は自分の身分を彼女には伏せていた。主人公は同僚ことソンガンホとともに北朝鮮の女工作員を追っていた。その工作員は韓国内で起きた北朝鮮側の仕業と思われるテロ事件の首謀者と目されていた。そんなとき、破壊力をもつ液体爆弾CTXが強奪される。これは北朝鮮第8特殊部隊長の仕業で、爆破目標が要人も集うサッカーの南北交流試合が開催されるスタジアムと突き止める。2002年のワールドッカップのため南北朝鮮統一チームが結成され、南北交流試合開催のニュースに国内は沸いていた。この北朝鮮特殊部隊を追い詰めようとするが、なかなかつかまえられない。内部から情報が漏れているのではないかと感じる主人公と同僚であるが。。。。


元々は同一民族であった韓国、北朝鮮が2次大戦後の冷戦のさなかに2つに別れた。1950年からは米国、中国をそれぞれの支援国として朝鮮戦争がおこった。その後もずっと両国は対決し続けている。そういう背景があり、日本では考えられないような緊迫感が存在する。戦争と背中合わせである。
そういう背景があるためか、南北のスパイを描いた作品には独特の緊迫感があり、素晴らしい作品が多い。平和な日本ではこのレベルの作品はつくれない。意図的に韓国の諜報部員に近づく美人北朝鮮工作員なんて存在はもしかしたら本当にいるかもしれない。大韓航空の爆破犯美人工作員キムヒョンヒなんて存在が現実にいた訳である。非現実的でなく思われる状況があるのでリアル感がある。


すげえ!としか言いようがないスケール感である。
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ザ・コミットメンツ  

2011-04-20 19:44:11 | 映画(洋画 99年以前)
「ザ・コミットメンツ」は91年のイギリス・アイルランド映画だ。アイルランドの主要都市ダブリン北部の労働者階級のさまざまな面々を登場させ、ソウルバンドを結成させる。「ジャマイカのボブスレー」同様らしくない設定というのはおもしろい。ブルースブラザースを思わせる多彩なメンバーの歌声とパフォーマンスのアンサンブルが見ているものをわくわくさせる。



アイルランドのダブリンに本物のソウル・バンドを作りたいと夢みる主人公ことロバート・アーキンズは、仲間2人と共にメンバー集めを開始する。場違いのメンバーばかりが集まってきた。その中で、豪快な歌いっぷりを披露していたデコをスカウト、募集広告を見てやってきたサックス、ドラム、医者のピアノのメンバーに加えて、一流どころとプレイしたことがあるという中年のトランペッターを採用、仲間うちの憧れの女性イメルダとその友人ナタリー、バーニーの3人をコーラスに誘う。いかにもモータウンサウンドの全盛を思わせるサウンドを生み出そうとする。レッスンを重ね“ザ・コミットメンツ"はいよいよステージに登場する。彼らのサウンドはライブハウスでうけた。ところが、演奏を重ねる中でグループ内の恋愛問題、意見の違いなど、摩擦が生じ始めるが。。。。



流れるモータウン調ソウルミュージックは実に快調である。特に3人の女性コーラスがいい。美形だ。それと男性リードボーカルのジョーコッカーを思わせる叫ぶようなボーカルにはノリノリにさせられる。彼を選ぶために名監督アランパーカーは1000人を超える面接を重ねたそうだ。確かにそれだけの中で選ばれただけの魅力的な歌い声だ。

そういう歌を聴く楽しさもあるが、バンドのメンバー同士の複雑な人間関係がここでの見モノだ。すぐかっとなりやすく、内輪もめが多い。逆にメンバーの中で男と女の関係が次から次にできてしまう。そしてまたドタバタしてしまう。そんなコメディタッチの楽しさがおもしろい。

アイルランドには行ったことはない。でもアイリッシュパブのざわめきやワールドカップのアイルランドサポーターの大騒ぎの応援を見ていると、なんとなく国民性がわかってくる。映画の世界では、その昔の植民地時代のアイルランドをテーマにした暗いものが多い。この映画の明るさは本来のアイルランド気質を知るいいきっかけになった。

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レッドコーナー北京の二人 リチャードギア

2011-04-20 19:04:28 | 映画(洋画 99年以前)
「レッドコーナー北京の二人」はリチャードギア主演の97年の作品。北京を舞台に、殺人犯に仕立て上げられたアメリカ人と中国人の女性弁護士の国境を超えた絆を描くサスペンス・ドラマ。13年前の発展しつつある当時の北京の風景を見せる。でも大部分はアメリカでのセットだろう。美術のリアルな表現力はすごい。



米中間の衛星放送契約のため、アメリカ人の主人公ことリチャード・ギアは北京を訪れた。テレビ省の大臣の息子から接待を受け、ナイトクラブに案内される。その店の美女リンをリチャードは自分のホテルに誘い、一夜を過ごす。ところが翌朝目を覚ますやいなや、部屋に踏み込んできた警官隊に殺人犯として逮捕される。なんと一夜を過ごした女性は血まみれの死体となっていた。
リチャードは拘置所で無実を訴え、アメリカ人の弁護士を要求する。しかし、中国の法廷では中国人の弁護人しか認められない。裁判が始まった。女性法廷弁護人ことバイ・リンはいきなり有罪を申し立てる。弁護人は、中国では死刑を免れるには有罪を認めるほかないと説明する。彼は中国の司法書を読み、次の日の法廷で自ら弁護する権利を得る。女性の死体から首飾りのロケットが消えていることを主張した。一方、弁護人はリンの生前のビデオからロケットの存在を確認、その他の状況から有罪から無罪に切り替えた。そして翌日保釈申請を出し、彼を自宅へ連れて行った。2人は事件の顛末を語りあう。その後、事件現場のホテルを訪れたリチャードは、結局何もつかめない。そこを何者かによって拳銃で襲撃される。リチャードは手錠のままパトカーから逃走してアメリカ大使館に逃げ込もうとするが。。。。


北京もここ10年で大きく変わった。今だったらもう少し違った映像になるかもしれない。中国の公安、官憲を実際に目の当たりに見ていると本当に怖い。日本の警察とは違う怖さである。目つきの鋭さは異様だ。そんな怖い大陸の官憲は10年以上前の方がもっと怖かった。共産党一党支配による統制がより厳しかっただけに、いったん捉えられたら絶対に逃れられない恐ろしさがある。文化大革命を連想する。
そういう中で主人公は陰謀にはまって逮捕される。現実的には当時の官憲にはまってしまえば、逃れられない気もする。そこのところがフィクションであろう。

古い建物の裏側で公安と追いかけっこする場面がある。屋根を伝わって逃げるリチャードギアの姿をとらえる映像は、香港のカンフー映画を思わせる。こういう中華活劇的な要素がなかなかいい。
あと中国の俳優に美人が多いということ。さすがに日本の10倍以上人口があるだけあって、美人度の奥行きは広い。主人公が一夜を過ごした殺された女性の完ぺきな美しさは何かを超越したものだ。


でも共演のバイリンのこの10年の中での変貌はすさまじい。ブログでも取り上げたが「上海ベイビー」の彼女とこの映画の弁護士役とは全く正反対だ。こうも変るもんか?女は恐ろしい。
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クールランニング 

2011-04-19 06:18:11 | 映画(洋画 99年以前)
「クールランニング」は掘り出し物のスポーツ映画だ。
コメディタッチで笑えるし、何よりジャマイカからボブスレーでオリンピックにという発想自体がおかしい。ジョークにしか思えない。でもこれは実話に基づくらしい。



88年のジャマイカ、レゲエタッチの音楽に合わせて常夏の風景が映し出される。
ソウルオリンピック出場を目標としてきた陸上のスプリンターである主人公は、予選会で隣コースの選手の転倒に巻き込まれて敗退する。やり直しを申し出るが聞き入れられない。彼は抗議に行った選考委員長の部屋で、同じく陸上選手だった父親が白人男性と並んだ写真を見つける。聞けば写真の男は元ボブスレーの金メダリストで、今はジャマイカに住んでいるという。
主人公はオリンピックに出たい一心でボブスレーが何たるかも知らぬまま、白人男性ことジョン・キャンディにコーチを頼みに行く。彼には不正行為でメダルを剥奪された過去があった。自堕落な生活をしている男も主人公の情熱にほだされる。主人公は親友を仲間に引きずり込む。選手を募集すると、なんとオリンピック予選会で一緒に転倒した2人がメンバーに加わった。でも常夏のジャマイカでボブスレーまがいのそりの練習をするがうまくはいかない。。。。

ジャマイカの能天気な雰囲気が映像から読み取れる。短距離スプリンターのスターを次から次へと生んでいるこの国では、当然彼らが国民の英雄であり、誰もがそれを目指す。でも流れているのはのんびりしたムードである。後ろにレゲエの音楽が流れるとより一層感じる。
陸上とボブスレーなんて全く関係ないように思われるが、乗るまでに4人でそりを押すダッシュは早ければ早いほどいい。でもそこはジャマイカだ。誰もボブスレーなんてやったことはない。いやはや大変だ。

出演者はみんな明るい。後味のいい映画だ。
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ヌードの夜  佐藤寛子

2011-04-14 05:58:36 | 映画(日本 2000年以降主演女性)
『ヌードの夜』は石井隆監督によるフィルムノワールである。前作『ヌードの夜』では、男を殺した余貴美子と、事件に巻き込まれていく探偵竹中直人との関係を描いた。『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』はその主人公の新しい物語である。主演の竹中直人を取り巻く女優たちとしては大竹しのぶ、井上晴美、東風万智子など。いずれも個性あふれる演技を見せる。宍戸錠も出演している。貫禄だ。元・グラビアアイドルの佐藤寛子がメイン。彼女の体当たりの演技にはあっと驚いた。


老人が激しい勢いで飲み屋を経営する母大竹しのぶ、姉井上晴美、妹佐藤寛子を問い詰めているシーンからスタートする。激しく暴れまわる老人。頭に血がのぼった姉井上晴美は台所の包丁を持ち出し、老人を刺し殺してしまう。母娘3人は、老人の死体を仕方なくバラバラに解体して富士山の樹海に捨てることにした。しかし、3人はそのバラバラにした死体を入れた寸胴に、老人のロレックスが混ざり込んだことに気付かなかった。

死体がバラまかれたあとに3人は気づく。ロレックスが誰かに拾われでもしたら製造番号からアシがつくかも知れないと落胆する毋大竹しのぶ と妹佐藤寛子を責め立てる姉の井上晴美であった。佐藤寛子は「何でも代行屋に捜させよう」となんでも屋こと竹中直人の事務所を訪ねる。「ロレックスを捜してくれませんか?父の散骨の時に間違って樹海にバラまいてしまった大事な形見な んです」と依頼した。竹中のロレックス捜しが始まった。広い富士山の樹海の中で、小さなロレックスを見つけるのには難儀した。ところが、どす黒く得体のしれない肉塊のようなものがこびりついたロレックスを偶然見つけた。
不審に思った竹中は、知り合いの女刑事こと東風万智子に、その調査を依頼する。結果、ロレックスの付着物は人肉とわかったのだが。。。。。


このあと依頼主の謎の女性れんこと佐藤寛子と探偵まがいのなんでもや竹中直人との腐れ縁が始まる。美女が探偵のもとを訪問した後、その探偵が事件に巻き込まれるのは古典的フィルムノワールの典型である。ハンフリーボガードの映画を連想する。その定石にしたがって、ハチャメチャになっていくのであるが、徐々に強まるのが佐藤寛子の存在だ。

本当にきれいだ。彼女はその存在感を若きナイスバディという形でも見せる。普通の健康な男子であれば、彼女の魅力にはノックダウンするであろう。カメラは執拗に彼女を追う。
何と魅力的なのであろうか?久々にドッキリした。竹中直人は役得だな。。。うらやましい

ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う
佐藤寛子のナイスバディに注目
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サンシャインクリーニング  エイミーアダムス

2011-04-13 16:02:29 | 映画(洋画:2006年以降主演女性)
「サンシャインクリーニング」はエイミーアダムス主演のコメディタッチのドラマだ。「ジュリー&ジュリア」でも活躍した人気急上昇中エイミーアダムスのさわやかイメージを想像したが、少し違った。妹役と一緒にする役柄は事件現場の掃除が仕事だ。えげつない仕事だ。



主人公ことエイミー・アダムスは30代半ばのシングルマザーだ。ハウスクリーニングの仕事をしながら、警察官の恋人との不倫関係を続けていた。主人公の妹エミリー・ブラントは、どんな仕事に就いても長続きせず、父親と実家で暮らしている。二人の姉妹は、幼い頃に目撃した母親の死にまつわるトラウマを拭い去ることができずに生きてきた。そんな中、エイミーの8歳になる息子オスカーは、先生の足をなめるなどの奇行が目立ち、小学校の校長から厳重注意を受けた。エイミーは腹を立て、自主的に転校させ息子を私立の小学校に入れることにした。恋人から「事件現場を掃除する仕事で金が稼げる」と聞いたエイミーは、嫌がる妹を誘った。ワゴン車を買い、そこに“サンシャイン・クリーニング”という会社のロゴを刻み込みスタートした。しかし、犯罪現場の後始末は究極のどぎつさで、二人は四苦八苦した。次から次へと舞い込む仕事をこなしながら姉妹は順調かと思えたが。。。。



以前サミュエルジャクソン主演の「クリーナー」という映画を見た。今回と職業的には一緒だが、サミュエルはこの仕事が似合う顔をしている。逆にこの女性2人はまったく似合わない。「おくりびと」の主人公本木くんが最初に死体の処理をしたときに戻したのと同じように、事件処理をした二人はいきなり戻してしまう。匂いは臭いし、虫はでるじゃやってられない。自分には到底無理だ。

美人の主人公2人なのに、えげつないシーンが続く。でも2人はお金を稼がなければならない。脇役に個性的な存在が目立ち、この2人をひきたてる。脚本には優しさがにじむ。悪くはない。
でも「リトルミスサンシャイン」のスタッフがつくった映画ということで注目した割にはもう一歩だった。実は「リトルミスサンシャイン」は個人的には高く評価している。ロードムービーとしての面白さに展開のスピード感が重なってすばらしい。逆にこの映画は序盤戦からスピード感がなく、取り上げる逸話もやさしさがにじむが今一つおもしろくない。ものたりないなあ。
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ア・フューグッドメン  トムクルーズ

2011-04-10 21:56:48 | 映画(洋画 99年以前)
「ア・フューグッドメン」はトムクルーズ主演のかなり特殊な法廷ものだ。「ミザリー」でキャシーベイツを恐怖のストーカーに仕立て上げたロブライナー監督による傑作だ。当時人気絶頂のデミムーアがトムの上官として出演する。基地を統括する大佐を演じるジャックニコルソンが2人の対決相手でいつもながらの名演だ。軍の規律および暴力制裁がテーマとなる。全体的にバランスの良い映画だ。



キューバを臨む米海軍基地で、海兵隊員サンティアゴが就寝中に2人の兵に襲われるシーンからスタートする。そして結局隊員は死ぬ。事件の背景にコードR(規律を乱す者への暴力的制裁)の存在を感じた内部調査部の少佐ことデミ・ムーアは、被告の弁護を申し出る。しかし、当局はハーバード出身で法廷経験のないキャフィー中尉ことトム・クルーズを任命する。彼は示談専門でこれまで法廷に出る前に数多くのもめ事を処理してきた。今回は好きな野球にかまってばかりいて事件に真剣にならない。
検察官の大尉ことケヴィン・ベーコンは、2人を殺人罪で起訴する。トムとデミムーアと助手の3人は調査を開始する。やはり被告たちは、上官からコードRの命令を受けていた。死んだサンティアゴは訓練に絶えかね、不法発砲事件の情報提供と引き換えに、基地からの転出を申し出ていた。それを知った最高指揮官ジェセップ大佐ことジャック・ニコルソンは激怒し、コードRの実行を指示したのだった。2人は命令に忠実に従っただけで、殺意は無かったと告白。これまで法廷を避けてきたトムクルーズは、被告の無罪を申し立て裁判が始まった。。。



法廷といっても軍事法廷だ。海軍という枠の中で、陪審員や裁判官がいる。
絶対服従の上下関係は非常に厳しい。上司の命令に従わないということは軍の追放のみならず、その人間のおしまいを意味する。そういうことがテーマになる。あとは暴力的制裁である。
「フルメタルジャケット」「プラトーン」あたりで、軍の内部の辛さは映画のテーマとして顕在化してきた。ちょうど湾岸戦争の時期とあってか、クローズアップされている。軍の規律が厳しいのは戦前の日本だけではない。



法廷物として見ても、弁護人トムの切り返しはなかなかのふるまいだ。脚本もうまい。軍の幹部の証人尋問では鮮やかなトークを連発する。どきどきしてしまう。対決する検察官であるケビンベーコンも悪くはない。ジャックニコルソンの上官はなかなか貫禄あってお見事。トムとの対決のシーンには緊張感が走る。スピード感もまずまずでいい映画だと思う。
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羅生門  黒澤明

2011-04-10 05:48:00 | 映画(日本 黒澤明)
「羅生門」はあまりにも有名な黒澤明の出世作である。何度見たかは覚えていない。「天国と地獄」同様見るたびごとに新しい発見がある素晴らしい作品だ。
芥川龍之介に「羅生門」という作品はあるが、ここではそのモチーフを取りいれただけで基本は「藪の中」である。若い盗人に弓も馬も何もかも奪われたあげく、藪の中で木に縛られ妻が手込めにされる様子をただ見ていただけの情けない男の話である。
それを証言者が一人一人語っていく。



激しい雨の中、荒廃した羅生門が映し出される。そこには雨宿りをする男2人がいる。「人が信じられない」とのたまうきこりの志村喬と旅法師千秋実がいる。志村が『藪の中』の出来事を少しづつ語っていく。発見者である2人はある殺人事件の当事者の証言を聞いていた。明らかな事実はすでに武士森雅之がすでに亡くなっているということだけである。

藪の中を女こと京マチ子とともに歩く武士こと森雅之の前に、多襄丸こと三船敏郎という盗人が現れる。京マチ子のあでやかさに魅かれ、三船はちょっとした隙に森雅之をだまして木に縛り付ける。そして女を手ごめにした。そこまでは証言は一致している。後は3人の告白が異なる。
捕らえられた盗人こと三船敏郎、取り調べに泣き崩れる武士の妻こと京マチ子、巫女の口を借りて現れた男の霊こと森雅之のそれぞれの当事者3人の証言は、男の死因について大きく食い違う。どれが真相なのかはわからない。。。。。



これこそ「真相は藪の中」という言葉の語源である。
芥川龍之介はそこでペンを置く。どういう解釈が取れてもいいようにする。
でも黒澤明は独自の考えを映画の中で表現する。
その先はやめておこう。何度見てもお見事というしかない。
人間の深層心理に迫る。

遥か昔、入社してすぐに会社で新人研修があった。夜の討論で芥川の小説「藪の中」が課題に出された。「この文章を読んである事実を想定せよ」という課題である。
当然その時にはこの映画は見ていた。黒澤の解釈を知った上で、議論に参加した。みんなは見ていなかったようだ。恥ずかしながら、黒澤の解釈を借用した。みんな真剣に自説を展開していたが、あまりにもバカらしくて聞いていられなかった。自分はさめた新人だった。「藪の中」の真相解釈は昔から議論されていると聞くが、黒澤の映画の表現に勝るものはないだろう。

ここでは三船敏郎と京マチ子の動きがあまりにも素晴らしい。絶叫系の三船のセリフはここでも冴える。本当の意味での武士でもないのに暴れまわる多襄丸こと三船の心理をうまく表現する。乱暴な動きの中に弱さが同居する。見るたびごとに演技に感心する。また、女の業を見事に表現した京マチ子の演技は狂気に迫る。森雅之との絡みで見せるあの「笑い」は恐ろしい。「雨月物語」とこの映画の彼女はなぜかダブる。いずれも不気味だ。それだけ凄味のある演技ということであろう。同時にあの妖気を映像にくっきり表現した撮影の宮川一夫の力量も冴えわたる。
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