黒澤明監督のデビュー作である。姿三四郎といえば誰でも知っているキャラクターである。
講道館の嘉納治五郎師のもとに学ぶ柔道家西郷四郎がモデルといわれる。昭和18年戦中につくられただけあって、出演者の面構えが違う。明治の柔道家の荒々しさがにじみ出るような気がする。まとまりよい傑作だと思う。
明治15年、柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎こと藤田進は柔術の神明活殺流に入門。彼らは修道館柔道の矢野正五郎こと大河内伝次郎の闇討ちを計画していた。近年めきめきと頭角を現した修道館柔道をいまいましく思っていたのだ。ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活殺流は川に投げられてしまう。三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。
三四郎は街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう暴れん坊。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝した。三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込む。矢野は取り合わない。一夜明けて意地を張っていた三四郎だが、心を入れ替えることを決意する。
修道館の矢野の元に道場破りの刺客が絶えない。警視庁の新しい柔術道場開きの招待状が届く。その場で他流試合を設けたいという誘いであった。ここで神明活殺流の門馬が三四郎にあてた挑戦状であった。謹慎明けで稽古に励む三四郎。しかし柔術の雄も三四郎の敵ではなく投げ飛ばす。その場にいた柔術家の娘の悲痛な目が脳裏から離れず、三四郎は柔道を続ける意義を見失ってしまう。
その後も柔術の師範村井半助こと志村喬は警視庁武術大会での試合を三四郎に申し込む。三四郎が想いを寄せるその娘の小夜こと轟夕起子は老いた父の勝利を願っていたのであった。その事を知った三四郎は自分が試合にどう臨めばいいのか自問自答してしまう。
面構えがちがう。昭和18年といえば、戦争の真っただ中、こんな時には軟派の若者はいない。明治の初めの面構えと同じではないだろうか。そう考えると、今この映画を作っても物足りないものになってしまうであろう。主演の藤田進の顔立ちは「ヒクソングレイシー」にそっくりである。いかにも道を究める顔立ちだ。大河内伝次郎の貫禄もさすがだ。ライバルの柔術使いの月形竜之介のあくの強い顔はくせのある剣豪の匂いがする。クールだ。のちに映画で「水戸黄門」を演じるときの顔立ちと比べてみると思わず苦笑する。でも志村喬は柔術の師範役だけど、いかにも弱そう。「生きる」のときの顔とそん色ない。
幼いころ、姿三四郎の雄姿に憧れた。テレビで倉丘伸太郎主演のドラマを見ていた。曾我廼家明蝶の和尚役の印象が強い。そういえば美空ひばりの空前のヒット曲「柔」はこのあとの嘉納治五郎の生き様を描いたドラマ主題歌だった。東京オリンピックと同時に柔道ブームだったのかもしれない。
桜木健一主演テレビドラマ「柔道一直線」はこの映画の影響を強く受けている気がする。実際の柔道ではこんなに大きく動いたりしない。しかも、同じように派手に遠くまで投げ飛ばす。この影響はこの映画によるものと思う。
必殺技「山嵐」は映画ではセリフとして出てこない。しかし、映画の中で藤田進演じる三四郎が刺客にかける技はまさしく「山嵐」である。背負い投げと体落としのあいの子のような技だ。右手が相手の右袖を持つ。ここがミソだ。志村喬も月形竜之介も遠くにぶん投げる。実戦では力に相当差がないとありえないけど、ビジュアル的にはこうした方が見栄えがいい。
高校で柔道をやっている時、すでに社会人になっていた先輩たちに稽古をつけてもらった。その時医者になった先輩でものすごく強い先輩がいた。当時大学の医局にいた。その先輩が「山嵐」式背負い落としを多用していた。我々がびゅんびゅん投げられた後、同期がこの技を使う様になった。割と決まった。まだ「山嵐」とは知らず、その先輩の名をとって「A式」と我々は言っていた。
その先輩はのちに有名医大の外科の教授になられた。つい先ごろまで大学にいらっしゃった。いまだ民間病院のお偉いさん。今でも「山嵐」でぶん投げていらっしゃるのであろうか。
講道館の嘉納治五郎師のもとに学ぶ柔道家西郷四郎がモデルといわれる。昭和18年戦中につくられただけあって、出演者の面構えが違う。明治の柔道家の荒々しさがにじみ出るような気がする。まとまりよい傑作だと思う。
明治15年、柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎こと藤田進は柔術の神明活殺流に入門。彼らは修道館柔道の矢野正五郎こと大河内伝次郎の闇討ちを計画していた。近年めきめきと頭角を現した修道館柔道をいまいましく思っていたのだ。ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活殺流は川に投げられてしまう。三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。
三四郎は街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう暴れん坊。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝した。三四郎は気概を示そうと庭の池に飛び込む。矢野は取り合わない。一夜明けて意地を張っていた三四郎だが、心を入れ替えることを決意する。
修道館の矢野の元に道場破りの刺客が絶えない。警視庁の新しい柔術道場開きの招待状が届く。その場で他流試合を設けたいという誘いであった。ここで神明活殺流の門馬が三四郎にあてた挑戦状であった。謹慎明けで稽古に励む三四郎。しかし柔術の雄も三四郎の敵ではなく投げ飛ばす。その場にいた柔術家の娘の悲痛な目が脳裏から離れず、三四郎は柔道を続ける意義を見失ってしまう。
その後も柔術の師範村井半助こと志村喬は警視庁武術大会での試合を三四郎に申し込む。三四郎が想いを寄せるその娘の小夜こと轟夕起子は老いた父の勝利を願っていたのであった。その事を知った三四郎は自分が試合にどう臨めばいいのか自問自答してしまう。
面構えがちがう。昭和18年といえば、戦争の真っただ中、こんな時には軟派の若者はいない。明治の初めの面構えと同じではないだろうか。そう考えると、今この映画を作っても物足りないものになってしまうであろう。主演の藤田進の顔立ちは「ヒクソングレイシー」にそっくりである。いかにも道を究める顔立ちだ。大河内伝次郎の貫禄もさすがだ。ライバルの柔術使いの月形竜之介のあくの強い顔はくせのある剣豪の匂いがする。クールだ。のちに映画で「水戸黄門」を演じるときの顔立ちと比べてみると思わず苦笑する。でも志村喬は柔術の師範役だけど、いかにも弱そう。「生きる」のときの顔とそん色ない。
幼いころ、姿三四郎の雄姿に憧れた。テレビで倉丘伸太郎主演のドラマを見ていた。曾我廼家明蝶の和尚役の印象が強い。そういえば美空ひばりの空前のヒット曲「柔」はこのあとの嘉納治五郎の生き様を描いたドラマ主題歌だった。東京オリンピックと同時に柔道ブームだったのかもしれない。
桜木健一主演テレビドラマ「柔道一直線」はこの映画の影響を強く受けている気がする。実際の柔道ではこんなに大きく動いたりしない。しかも、同じように派手に遠くまで投げ飛ばす。この影響はこの映画によるものと思う。
必殺技「山嵐」は映画ではセリフとして出てこない。しかし、映画の中で藤田進演じる三四郎が刺客にかける技はまさしく「山嵐」である。背負い投げと体落としのあいの子のような技だ。右手が相手の右袖を持つ。ここがミソだ。志村喬も月形竜之介も遠くにぶん投げる。実戦では力に相当差がないとありえないけど、ビジュアル的にはこうした方が見栄えがいい。
高校で柔道をやっている時、すでに社会人になっていた先輩たちに稽古をつけてもらった。その時医者になった先輩でものすごく強い先輩がいた。当時大学の医局にいた。その先輩が「山嵐」式背負い落としを多用していた。我々がびゅんびゅん投げられた後、同期がこの技を使う様になった。割と決まった。まだ「山嵐」とは知らず、その先輩の名をとって「A式」と我々は言っていた。
その先輩はのちに有名医大の外科の教授になられた。つい先ごろまで大学にいらっしゃった。いまだ民間病院のお偉いさん。今でも「山嵐」でぶん投げていらっしゃるのであろうか。