映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ルディ・レイ・ムーア」 エディ・マーフィ

2020-04-30 04:43:57 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ルディ・レイ・ムーア」は2019年のNetflix映画


これはむちゃくちゃおもしろい!
映画はネアカに限る。エディ・マーフィー健在を示す会心の出来である。実在のミュージシャン、ルディ・レイ・ムーアがただのレコード店の店員から這い上がっていく姿を描く。映画が始まっていきなりバックで70年代のソウルミュージックが流れしびれる。ファッションも黒いジャガー」、「スーパーフライ」といった黒人映画でみるスタイルである。まだ、黒人対白人の対決姿勢が強かった頃で、黒人たちがたむろうたまり場を時代考証バッチリで映し出す。それだけで気分は高揚する。実に楽しい!!

70年代も中盤にさしかかる頃のロサンゼルス、ルディ・レイ・ムーア(エディ・マーフィ)はレコード店で働きながら夜はライブハウスで司会者兼コメディアンとしてくすぶっていた。ある晩、ソウルミュージックを演奏するバックにあわせて強烈な下ネタとジョークを連発するシンギングトークを観衆の前で披露する。気がつくとお客さんに大受けである。

それに気をよくして叔母に資金を借りてレコードを制作する。レコード店では扱ってくれないので自力で売り込むと大当たりし、次々とアルバムをリリースする。そしてツアーに出て太っちょの女性歌手レディーリードと出会う。


ルディは取り巻きを連れてジャックレモン主演のコメディ映画「フロントページ」を見に行く。周囲の白人は大笑いだけど、黒人仲間はしらけっぱなしだ。でも、映画を撮ってそれがヒットすれば、コンサートツアーでまわって歩く必要もないと黒人が笑える映画制作を思いつく。

ストリップクラブで偶然遭遇した俳優のダーヴィル・マーティン(ウェズリー・スナイプス)を仲間に組み込む。そして、ドールマイトを主人公にした流行のカンフー映画のテイストも取り入れたエロチックな娯楽映画の製作にとりかかる。資金難を乗り越えてなんとかおもろい映画を完成させる。ところが、売り込んでも配給しようという映画会社は1社も現れないのであるが。。。


1.エディマーフィ
まだ60歳になっていなかったんだ。というのが率直な気持ちだ。80年代前半の活躍はすさまじかった。当時としては画期的な白人と黒人が組んで凶悪な犯人を追いかけるという「48時間」、ポリスアクションでシリーズ化した「ビバリーヒルズ・コップ」などコメディ俳優としての才能を発揮していた。口八丁手八丁でハッタリが強く身軽なアクションを見せるという彼のキャラクターをにじみ出していた。


ところが、そのあと長いスランプが続く。どうしたんだろう?今の黒人俳優でいえば近いのはウイル・スミスなんだろうか?そのエディが復活したと言い切れる活躍である。スパイク・リー監督ブラック・クランズマンともほぼ同じくらいの時期を描いており、ソウルフルなテイストが醸し出せる時代背景もいい。

2.白人と黒人の対決姿勢
1971年の映画黒いジャガーをみても白人から黒人が拒否されている姿が映し出されている。1968年のメキシコオリンピックでのアメリカ選手の強烈な人種差別抗議が印象的であるが、その前1967年のアカデミー賞作品「夜の大捜査線」に至ってはシドニー・ポワティエ演じるエリート黒人警官が強烈な差別を受けている。しかも、そのとき実質主演のシドニー・ポワティエが主演男優賞をもらうのではなく、助演ともいうべき白人のロッド・スタイガーが主演男優賞を受賞している。よくわからない。この70年代半ばに入ってもたいしてかわらないのかもしれない。


この映画でもやたらに白人嫌悪のセリフが連発する。世相からいっても仕方ない。でも逆に黒人だけが出入りする酒場がいくつも映し出されるのはいい感じだ。それに併せてソウルフルなミュージックの取り合わせがいい。昔のTV「ソウルトレイン」をみるようなダンスを四方八方でしている。しびれる。

映画コフィーというエロチックサスペンスというべきパム・グリア主演の映画がある。この映画とルディ・レイ・ムーアがつくっている映画の色彩は似ている気がする。この映画で出てくる黒人のダイナマイトなボディとジャッキー・ブラウンという自らの映画にあえて起用したクエンティン・タランティーノが愛したパムグリアのバストが近いものがあるとみながら思った。
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映画「国家が破産する日」 キム・ヘス

2020-04-29 13:00:50 | 映画(韓国映画)

映画「国家が破産する日」は2019年日本公開の韓国映画


1997年の11月は山一証券の自主廃業と北海道拓殖銀行の破綻があり、日本経済が大混乱の様相を呈していた。そのころ隣国韓国でも通貨危機が起きていた。韓国の中央銀行である韓国銀行の通貨政策チームの女性リーダーが国家の経済を動かす中枢のメンバーとどうこの危機に対応するかを議論する。そしてIMFに救済を求めるのを描いた映画である。東南アジアで通貨危機が起きていたのはわれわれも知っていたが、あくまで対岸の火事にしか捉えていなかった。そもそも、自分たちのことで精一杯であった。ここではその韓国通貨危機について描いている。



IMFとの交渉の話と平行して、ある中小企業が大手企業からの手形取引で不渡りを出してしまう話と経済危機に際して金融コンサルタントが顧客にドル高ウォン安による取引を持ちかける話の3つを平行して進めていく。1回みただけではセリフが吟味しずらい映画である。2回目でよくわかってくる。中身は濃い。この時期に失業者が大量に発生したり、多くの中小企業の倒産などの整理があって改めて現代韓国経済が成り立っているのかと感じる。

1997年韓国ではそれまで続いていた好景気に変調がみられてきた。鉄鋼会社などの大企業の倒産などが続き、中小企業の不渡りも目立ってきた。海外の金融筋では韓国から撤退せよという号令もでていた。韓国銀行の通貨政策チーム長ハン(キム・ヘス)は海外からの資金回収に備えての外貨準備高が少ないことに気づく。短期的に通貨危機が起き国家が破綻すると予測してトップに報告する。

韓国銀行のトップは財政経済局、大統領経済主席に連絡して非公式の対策チームを立ち上げる。すでに状況は悪化しており、激論の結果IMFへの救済を求めるしかない状態であった。来訪したIMFの専務理事(ヴァンサン・カッセル)は韓国に対して資金を提供する代わりに外資が強く関与せよと要求してきた。


同じ頃、外国資本が撤退する危機の兆候をつかんだ総合金融会社に勤めるユン(ユ・アイン)は、会社をやめ金融コンサルタントとしてこれまでの顧客を集め、投資話を勧誘する。現在1$800ウォン寸前でとどまっている相場は1$2000ウォンを目指してウォンが急落するというのだ。ユンの話を理解する顧客も2人出てきてドル買いウォン売りで勝負をかけていく。実際にドルウォンのレートは1$790ウォンから909ウォン、1103ウォンと急騰するのだ。


国家経済危機とは関係ない町工場の経営者ガプス(ホ・ジュノ)のもとに大手百貨店からの大量発注がはいる。現金取引しかしない町工場であったが、手形決済という条件であった。不景気時の大きな取引に町工場の面々は喜ぶ。その後、経済情勢は悪化する。取引した大手百貨店が破綻してしまうのだ。手形はただの紙っぺらだ。発注した下請けも心配して押し寄せる中、資金繰りをたてるのが困難になってしまう。

こういう3つの話を平行させる。
韓国銀行の通貨政策チーム長ハン・シヒョンが実質的主役である。保守的な韓国社会では女性への偏見が強い。中小企業や庶民の立場にたって財務局の責任者と対峙して政策を模索する。しかも、国民にこの窮状を知らせるべきだと主張する。

でも、中央銀行のスタッフにしては一般市民をかばうセリフが多すぎる印象を受ける。これはあくまで映画の登場人物としてのスタンドプレイではなかろうか?どうみてもフィクション像である。IMFとの連携を主張する財政局次官のパク・デヨンの発言の方がまともだと思う。

またIMF専務理事は、韓国政府に過酷な支援条件を提示している。それによって金融機関が破綻するとともに多くの倒産などの痛みを伴う。結局失業者が130万人出たという。ただ、このおかげで今の韓国があるのはまちがいない。そういう感想を持った。
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映画「アイリッシュマン」 ロバート・デ・ニーロ&アル・パチーノ

2020-04-28 19:50:28 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「アイリッシュマン」は2019年公開のNetflix映画


「アイリッシュマン」は今年のアカデミー賞レースでも最有力と言われたマーチン・スコセッシ監督の作品である。ネット配信映画が受賞するのもどうかという話もあった。ともかく、上演時間が3時間半と長い。映画館でも上映したが、これだけ長いと時間調整が難しい。途中にインターミッションがあるアラビアのロレンス並みの長さである。ともかくNetflixで見ることにした。

デニーロ、パチーノと大スターの共演だが、実質的な主演はロバート・デ・ニーロである。役柄は面倒な奴を始末する殺し屋である。アイルランド出身で第二次大戦中イタリア戦線に進駐したことがあり、片言のイタリア語が話せる。それもあってかイタリア系マフィアに可愛がられる。アル・パチーノ は全米トラック運転手組合委員長であるにもかかわらずマフィアにも近い。組合で預かっている年金の資金を思うがままに動かしている。そして、デニーロを引き立てたマフィアの親分ジョー・ペシは裏社会の大物とこの三人を中心にストーリーは流れる。

トラック運転手のフランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)は牛肉の塊肉を運ぶ仕事をしている。フランクは肉を横流しして、他の店に格安で売りつけていた。盗んでいたことがバレて裁判にかけられる。裁判では運よく弁護士のビルに助けられ無罪となる。弁護士の紹介でマフィアのボスであるラッセル・ファブリーア(ジョー・ペシ)に会う。フランクはたまたまトラックの応急処置をしてもらったことで面識があった。フランクは度胸の良さを買われ、ラッセルのマフィアの仕事を手伝うことになる。


フランクは、ウィスパーズという男から商売敵のユダヤ系クリーニング店を放火するという仕事を引き受ける。ところが、放火する直前でラッセルに止められる。フランクはラッセルに引き連れられフィラデルフィアのマフィアのボスであるアンジェロ・ブルーノ(ハーヴェイ・カイテル)に会う。フランクが放火しようとしたのはブルーノも投資していたクリーニング店であることを知る。危うくクリーニング店を焼くところだった。ブルーノはフランクに、仕事を依頼したウィスパーズを殺させる。フランクはこれを機にマフィアの殺し屋として次々と暗殺を繰り返していく。使用した銃は橋の上から投げ捨てていた。

フランクは、ラッセルから全米トラック運転手組合「チームスターズ」委員長ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)を紹介されます。ホッファのボディーガードを務めながら、家族ぐるみの付き合いを築いていたフランクでしたが、ホッファは組合の年金積立金を不正使用した罪で逮捕されるのであるが。。。。


1.ジョーペシ
グッドフェローズカジノでの背が小さいのにキンキンうるさいマフィア役が印象深かった。こういう背が小さくてうるさい奴って我々の周りにも割といるよね。若き日のロバートデニーロがアカデミー賞主演男優賞を受賞したボクシング映画「レイジングブル」でのコーチ役が一番適役って感じがする。ここでのジョーペシも激しかった。主演を引き立てる意味でも好演だった。


今回は若干違う。背が低いのは画面で見るとよくわからない。しかも、うるさくない。言葉を選んで話す役だ。貫禄がある。マフィアの黒幕という雰囲気を醸し出している。誰かに似ているなと思ったら、そう麻生太郎だ。彼もそれくらい人相が悪いということだ。今回久々の映画出演で、マーチンスコセッシ監督が直々に何度も説得してようやく出たそうだ。彼でよかったと思う。

人相が悪いといえば、この映画に出てくるマフィアの男たちはともかく悪玉の顔だ。昨年「ケーキの切れない非行少年たち」という本を読んだ。衝撃を受けた。非行少年はもう直しようがないほどすべてがゆがんで見えて、ケーキもまともに切れないということが書いてあった。この映画に出てくる悪いやつらに一度同じことをさせてみたい。

2. ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ
ロバート・デ・ニーロ演じるフランクは次から次へと請け負った殺人をこなしていく。必殺仕事人というべきだろう。これが意外とあっさりだ。じれったく時間をとることはない。イタリアンレストランでマフィアの生意気な親分を殺す場面がある。「ゴッドファーザー」アルパチーノがマフィアの親分を同じイタリアンレストランでじれったく殺す場面を連想する。個人的には映画史上でも好きな場面だ。そのときと同じような雰囲気かと思ったら割とあっさりだ。外に車が待機しているのは同じだけど。

それでも殺しでは捕まらない。今だったら町中に監視カメラがあるわけだから、当然犯人だとわかってしまうだろう。そこが20世紀半ばを描いた映画だとできてしまう。でも、娘のペギーの目だけはごまかせない。殺しのあと、家に帰って殺人事件の報道をTVでみているフランクを鋭いまなざしで見る。これもこの映画の見どころだ。


アルパチーノ演じるジミー・ホッファはトラック組合の委員長でこの当時はケネディ大統領と同じくらいの影響力があった有名人だったそうな。日本でも労働貴族という言葉があった。労働組合の下っ端はみんな貧乏だけど、上はいろいろと裏金も動いたんじゃないかな?クルーザーにのって豪華な生活という記事を昔みたことがある。ジミー・ホッファは運転手たちの年金資金を組合で運用する名目で預かる。ところが、その資金で銀行からまともに融資されないカジノに提供していたという今だったらたいへんなことになる話だ。それが通るだよね。60年代は。

ロバートデニーロとアルパチーノとの共演はありそうで少ない。ともに主演級だからであろう。「ゴッドファーザーⅡ」では全く違う時代の二人なので、共演とは言えない。銃撃戦が激しい「ヒート」で共演しているが、かたやはぐれ刑事のアルパチーノに対して、マフィア親玉のロバートデニーロの2人が同じ画面に出るのはワンシーンだけである。 「ボーダー」は同じ刑事で相棒同士という設定なので、実質的な最初の競演かもしれんない。


この二人年を取ってしまったものだ。超一流としての存在感はあるのであるが、格闘シーンに動きの鈍さは感じる。2人とも70代後半、しかもアルパチーノは80歳に到達する。これが10年前に撮られていたのであればまだ違うのであろう。
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映画「マリッジ・ストーリー」 スカーレット・ヨハンソン&アダム・ドライバー

2020-04-26 09:16:59 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「マリッジ・ストーリー」は離婚調停に臨んでいる夫婦を描いたNetflix映画

主演のスカーレット・ヨハンソンアダム・ドライバーいずれもこのブログで何度も取り上げた好きな俳優である。ある夫婦の離婚合意への道のりを描いた映画である。2人の言い合いが絶えない映画という記事を読んで後回し、ほんの一瞬映画館でもやっていたが、時間が合わずNetflixスルーとなる。でも観てみると想像よりもおもしろい。

どちらかというと、女の身勝手ばかりが目につく。気分がわるくなる部分もあるが、あえてこちらにそう思わせるくらいのレベルの話に持っていっているんだろう。しかも、スカーレット・ヨハンソンアダム・ドライバーともにむずかしい長回しセリフと演技をこなしている。これは実に見事である。


ニューヨークに住む女優のニコール(スカーレット・ヨハンソン)と舞台監督のチャーリー(アダム・ドライバー)には8歳になる男の子の子供がいる。お互いの生活の行き違いやチャーリーが劇団の若い女優に手を出してしまったことで、二人は離婚への道を選ぼうとしている。ニコールはTVシリーズのオファーが来てロサンゼルスにしばらく行くことになる。そして、そのままニューヨークを離れて実家のあるロサンゼルスで暮らしてみたいという希望があった。

もともと2人は話し合いで離婚後の条件を詰めようというつもりだった。ある人が自分の離婚調停でお世話になった弁護士ノラ(ローラ・ダーン)を紹介してくれた。チャーリーが2人で話そうとしても、すべて弁護士を通じてくれということでノラからの条件を聞くと考えられないような不利な条件だった。弁護士をつけていないチャーリーはあらためて弁護士探しをして、ドライなジェイ弁護士(レオ・リオッタ)を避け老練な弁護士を起用する。

改めて2人と双方の弁護士での話し合いをスタートしたが、まったくかみ合わない。チャーリーは相手側弁護士とニコールの強い要求に対応するため、最初に相談したジェイ弁護士(レオ・リオッタ)を起用し対抗する。さすがのノラ弁護士も相手の実力をしっているだけに身構えるのであるが。。。

1.別れなくてもいいくらいの夫婦
この2人は別れなくてもいいと思える夫婦である。ロサンゼルスに行ったあとにチャーリーに吉報が入り、舞台での功績が認められて助成金をもらうことになる。そのときは心が離れている妻もニコールの母である義母もここぞとばかりの大喜びで抱き合うのである。あれ?日本で同じようなことが起きたら嫉妬で少なくともハグをするなんてことってないよなと感じてしまう。


その一方でこの映画の見どころは2人の強い自己主張で相手へ容赦なく攻撃する夫婦げんか、2人と双方の弁護士が法廷に立ってコテンパンに相手のあら探しをする強い言い合いだろう。こういうのを見せられたら心が折れるかとみるのをためらっていたが、これが真に迫っている。脚本も担当しているノア・バームバック監督は両親の離婚だけでなく、自身も離婚の経験があるという。こういう修羅場もおそらくくぐっていたであろうと感じさせる経験が映画の脚本の中にあふれ出ている。

2.スカーレット・ヨハンソン
スカーレット・ヨハンソンロバートレッドフォード監督主演のモンタナの風に抱かれてなどで子役時代から活躍している。東京新宿を舞台にしたソフィア・コッポラ作品「ロストイントランスレーション」「マッチポイント」をはじめとしたウディ・アレン作品で自分は注目してファンになった。20代前半の活躍からじわりじわり実力をつけてきた。作品が恵まれたらアカデミー賞主演女優賞を受賞するのもそんなに遠いことではないであろう。


別れなくてもいいくらいの夫婦ということを示すシーンがいくつかある。彼が助成金をもらった時元妻が喜ぶシーン。弁護士2人と一緒に2人が話し合いをしている合間に昼食で休憩となったときに、彼が緊張のあまり食事をオーダーできなかったらニコールがすらすら彼の代わりにオーダーするシーン。別居後息子を迎えに来たチャーリーの靴のひもがほどけているのを直してあげるシーンなど。こんなシーンを観ていると別の意味で何で?と思ってしまう。本当は別れなくてもいいのにという監督の思いもあるのか?

3.アダム・ドライバー
もともと風貌からしてインテリな役が似合う。今回は適役なんであろう。一方でパターソンで演じたナイーブなバスの運転手やブラック・クランズマンでの黒人迫害団体に潜入した刑事役などなんでもできる。ただ、この映画ほどシャウトしているアダム・ドライバーは観ていない。最初に離婚に向かう2人のプロフィルを紹介するシーンで、几帳面で家事が得意で妻の愚痴をきいても受け流すけど負けず嫌いなんて紹介があった。今回は観れば観るほど気の毒でしょうがない気持ちを自分は持った。


4.脇役の活躍
デイヴィッド・リンチ監督が好きな自分としては、まさに一連の作品の常連といえるローラ・ダーンがアカデミー賞助演女優賞を受賞したのはうれしい知らせである。ソフトな感じで相手の懐に入り込みながら、巧みに自分のペースに持ち込むノラ弁護士を演じた。ただ、同じ助演賞を受賞した「ワンスアポンアインハリウッド」ブラッド・ピットの強い存在感と比較するとちょっと弱いかなという印象を持つ。


チャーリーとニコールの劇団にいるハゲの老優でウォレス・ショーンが出てきたのをみて、思わずうなった。彼が出てくるたびにこのブログで取りあげる名優である。古くは死刑台のエレベーター」「地下鉄のサジルイ・マル監督がニューヨークでの舞台演出者と売れない俳優の対話を映したmy dinner with andreに出演している。

これは日本で公開されたことがない。高校の恩師からこの映画を紹介された。哲学的な言葉を語る舞台演出者のアンドレとそれを聞く売れない俳優ウォレスとの対話である。先生が苦労して字幕翻訳されたヴィデオクリップは著作権の関係もあり誰にも見せられないが見応えがある。


音楽はランディニューマン、気の利いたバックミュージックだと思ったが、そうなんだ。たまに映画音楽手がけるけど、スリードックナイト「ママ・トールド・ミー」がヒットした1970年前後から50年あまり現役で活躍している。久々に名前をみるとうれしくなる。

そんなベテランの活躍も見逃せない。

この映画をみて思ったのは、これでもかというくらいみんなハグしているということ。ライバル弁護士とハグするのもそうだが、離婚調停で仲わるい人間同士がハグするなんてことは日本だったらありえない。密着度がすごい。欧米でコロナ感染がすごいというのは結局こういうことなのかと妙に納得
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映画「ROMA」アルフォンソ・キュアロン

2020-04-19 20:09:50 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「ROMA」は2019年日本公開のNetflix映画


メガホンをとるアルフォンソ・キュアロン監督は宇宙空間でさまよう「ゼロ・グラビティ」の美しい映像でわれわれをときめかせた。監督が生まれ育った70年代前半のメキシコシティを舞台に富裕層の家で家政婦をしているクレオの目線で描いている。2018年度のアカデミー賞で外国語映画賞・監督賞・撮影賞3部門受賞している。映画館でも公開されていたが、どうもタイミングがわるく結局Netflixスルーといったところか。

末梢神経を刺激するような出来事が起きるというわけでない。淡々とストーリーは進んでいく。かなり練られた映像コンテや当時のメキシコシティを再現したセット?などすべてにおいてレベルが高いと感じる映像であるが、アカデミー賞の作品賞を受賞するほどのものではないかと感じる。

1970年、メキシコシティの医師宅でメキシコ先住民のクレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)は住み込みの家政婦として働いていた。同僚のアデラと働く家には、医師のアントニオと妻のソフィアと、4人の子供、ソフィアの母親が暮らしている。クレオは掃除、洗濯、料理、子供たちの世話と忙しい日々を過ごしていた。クレオと子供たちは強い信頼関係があった。アントニオはケベックに出張に行っており、いったん帰宅したが、また家を出ていく。アントニオの心がソフィアから離れているようだ。


休日にクレオは同僚のアデラと一緒にダブルデートをする。それぞれのカップルに分かれアデラの知り合いのフェルミンとホテルに入る。デートのあとしばらくしてクレオは身体の変調に気づく。生理が来ないことをソフィアに相談して病院で検診すると、妊娠していることがわかる。相手の彼は姿をくらましてしまうが、クレオは堕ろさず生むことを決意する。一方で、ソフィアはアントニオの浮気から夫婦仲が険悪になり、家庭崩壊に向かっていた。その後、クレオはフェミニンの行方を捜して会いに行くのであるが。。。

この映画はアルフォンソ・キュアロン監督の自伝的な色彩が濃いという。1970年といえばメキシコオリンピックがあった2年後、それなりの経済成長があったと思われる。映像ではクレオが手洗いで洗濯している。モノクロなのでわからないが、TVも一時代前の形ではないだろうか?それでも家は広々としている。日本の住宅でこの家族が住む洋風豪邸ほどの家に住んでいる人って今そうはいないと思う。こどもたちがレーシングカーのおもちゃで遊んでいるが、これがなつかしい。ちゃんとしたレーシングカーセットはかなり高価でなかなか買ってもらえなかった自分の子供の頃を思い出す。

バックに流れている音楽では、メリーホプキンスの歌で日本でも大ヒットした「悲しき天使」、ポップスヒットチャートでよく聞いた「イエローリバー」などが時代背景を示す。暴動のシーンが妙にリアルで大暴れするデモ隊との対決がリアルに見える。

1.前近代的な女性クレオ
先住民の村から出稼ぎに来ている家政婦ということだ。4人子供がいて、洗濯が手洗いとなると、家政婦の力が必要になってくるだろう。1970年にはまだ自分の家にも家政婦がいた。前近代的な流れで商売やっている家にはいたものだ。70年というのは家政婦がいるいないの分岐点くらいだったかもしれない。アルフォンソ・キュアロン監督の実家もそれなりの家で、クレオのモデルになる家政婦がいたのであろう。


当時のメキシコでは都市部とそれ以外ではかなりの落差があったであろう。クレオはちゃんとした教育を受けてはいないかもしれない。まさに明治の女というべき、控えめな女性である。雇い主に対しても従順だ。男女の地位の差もあるのであろう。あなたの子供よとクレオが子供の父親に会いに行ったときも、男にいきなりまくし立てられておとなしく引っ込む。なんかいやだな。

でも、やるときはやる。そんな場面を最後に向けて見せつける。
この映画はアルフォンソ・キュアロン監督がそのむかし自分の家にいた家政婦に対して抱いた愛情が充満している気がする。やさしい気持ちが映画のなかにずっと流れている。そういう監督のクレオ役への期待に主人公の女性は応えている。好演だと思う。

2.男性器出現
クレオがボーイフレンドのフェルミンとホテルに入る。そこでフェルミンが武道のパフォーマンスをするわけだが、ばっちり包◎のち△こをだす。これには驚いた。日本映画ではなかなか見たときはないが、これってどういうことなんだろう。
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13年目の雑感

2020-04-12 10:52:23 | Weblog
映画を観にいかなくなって約1ヶ月半以上経つ。

絶対に見に行きたいという作品がないというのもあるが、どうも映画館という空間が大丈夫なのかという妙な先入観が生まれたからなのかもしれない。

それでも、4月から場所が移ることもあり、3月は銀座に、歌舞伎町に、四谷荒木町にと27日まで毎日派手に飲みに行ったものだ。徐々に人の流れは少なくなっても自分だけはという安心感があった。25日の夜小池都知事が夜の自粛を記者会見で話しているとき、自分は歌舞伎町の夜のクラブ活動で女性軍に囲まれていた。今自分の携帯には7人の美女に囲まれている写真がある。


26日は18人で夜の会合を大宮でやる。こういうときにいっちゃだめという奥さんの声に欠席したメンバーもいた。気がつくと午前様だ。27日はおそるおそるイタリアンへ。人気レストランも人は少ない。さすがに早く帰った。その後小池都知事が夜のナイトクラブやカラオケには行かないようにと30日再び会見した。不届き者の自分はその時点で3月の自分のアクションが度を超したものかと思った。

さすがに28日からは夜の街に出たのは1回だけ。むろんそういうクラブへは行っていない。感染したK大病院の研修生が飲み会したのは26日、その日に自分も花束もらってウキウキしていた。マスコミにこれだけ言われる医者も気の毒だ。

それにしても、こんなに夜の街にコロナが蔓延しているとは思っていなかった。そういうとこのバカという感じでしょう。明らかに2月末の安倍総理のイベント自粛宣言あたりから夜の町の人出は減っていた。街の人の流れはともかく、個別の店には人は少なかった。カラオケ歌っても一曲ごとにマイクを消毒していた。自分だけは大丈夫という思いはあったかもしれない。


政府は108兆円の経済対策というが、あまり効果はないと感じる。税金を納めていない人ばかりに援助というのに強い抵抗がある。普通のサラリーマンにはまったくメリットはない。それはないよ。これから企業業績が悪化するのはまちがいない。それを対岸の火事とまだ捉えている人が多い。そうなったときには素直に税金を納めているサラリーマンが減収という意味で大きく影響を受ける。基本はあらゆる国民に平等という意識が必要だと思う。安倍さんはいったんもらう資格者になったとしても辞退すればいいだけの話だ。

あと、抵抗感があるのは国の補償と誰もが言うことだ。国に無限大のお金があると思っているのであろうか?赤字国債の乱発ってことなの?こればかりは不思議で仕方がない。これまでは、大企業の内部留保のことをとやかく言っている人が多かった。でもこの先は内部留保がある会社が生き残るであろう。その生き残ったとき、経済活動がすべて止まってしまっていたとなれば、経済は相互連関性があるので生き残ったとしても再び下へ。なんとか事態の収束に向けて行きたいものだ。

国は経済活動がつぶれることを心配している。もっともである。でも終息しなければすべてはない。出口戦略をみながらの舵取りを期待したい。

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