映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス」 マッツミケルセン

2022-01-31 19:43:09 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「ライダーズ・オブ・ジャスティス」を映画館で観てきました。


映画「ライダーズオブジャスティス」はデンマークの人気俳優マッツ・ミケルセン主演の新作である。前作アナザーラウンドでは酒好きのデンマークならではの楽しい映画だった。「真夜中のゆりかご」や「未来の子どもたちへなどこのブログでも取り上げたいい作品を提供している脚本家アナス・トマス・イェンセンがメガホンを持つ。このコンビなら間違いないと映画館に向かう。

地下鉄構内の爆破事件で妻を亡くした軍人の夫が、事故は犯罪組織の仕業だと断定する被害者の数学者たちと一緒になって犯罪組織に復讐をするという話だ。

ちょっと期待はずれかな。自分には肌に合わない。
これまでマッツミケルセンの映画にハズレはなかったが、今回は話自体が意味不明で、奇人変人を数多く登場させてコメディっぽくしようとしているが、そうなりきれない。


そのまま作品情報を引用

妻が列車事故で亡くなったという報せを受け、軍人のマークス(マッツミケルセン)はアフガニスタンでの任務を離れ娘(アンドレア・ハイク・ガデベルグ)の下へ帰国する。悲しみに暮れる娘を前に無力感にさいなまれるマークスだったが、彼の下を二人の男が訪ねてくる。

その中の一人、妻と同じ列車に乗っていたという数学者のオットー(ニコライ・リー・コース)は、事故は“ライダーズ・オブ・ジャスティス”と言う犯罪組織が、殺人事件の重要な証人を暗殺するために周到に計画された事件だとマークスに告げる。怒りに打ち震えるマークスは妻の無念を晴らすため、オットーらの協力を得て復讐に身を投じてゆくが事態は思わぬ方向に…。(作品情報引用)

⒈マッツミケルセン
007シリーズの悪役を経て人気俳優になる。デンマーク映画といえばマッツ・ミケルセンとすぐさま思い浮かぶような存在だ。名作偽りなき者では幼児の嘘に翻弄されて周囲からいじめられる役を演じた。もともと人相が柔和とは言えない。ワイルドな方だ。


今回は頭を剃って強面になる。鍛えられた軍人で格闘能力が圧倒的に高い役柄だ。デンマークでの軍人はこんなイメージなのかもしれない。銃も扱いファイターとしては完璧であるが、娘の彼氏を殴って呆れられる。いつもほどの存在感はない。

⒉理系の奇人変人
マッツ・ミケルセン演じる軍人と組むのが数学者という映画の宣伝文句に頭脳が鋭い男が出てくるのかと思ったら、むしろ間抜けな奴だ。引っ張った仲間には顔認証正答率90%以上の男などもいるが大デブで頼りない。いずれも奇人変人だ。都度奇想天外な動きをする。ミケルセンの家の納屋にでかいCPUを置いて分析もする。デコボココンビだ。


映画の前評判は何だったのだろうか?人気のあるコメディアンが、少しオチの弱いネタの言葉を発しても周囲が大受けということをよく見かける。おそらく、理系の奇人変人たちはデンマークでは人気俳優なんだろう。われわれに見せるパフォーマンスの数々は、自分が見てもおかしくも何ともないが、デンマーク人には大受けかも?デンマークで人気が高い映画だというのはそういうことなのかもしれない。

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映画「ブラックボックス」ピエール・ニネ

2022-01-30 21:18:25 | 映画(フランス映画 )
映画「ブラックボックス」を映画館で観てきました。


映画「ブラックボックス」はフランス映画、逆転に次ぐ逆転でおもしろいというウワサで観てみたくなる。「イヴサンローラン」ピエールニネの主演でヤンゴズラン監督の作品だ。「ブラックボックス」とはフライトレコーダーとコックピットヴォイスレコーダーを合わせた物だというのは初めて知った。

ドバイ発パリ行きの飛行機が墜落した後に、事故究明にブラックボックスを開けてテロの仕業と判断した分析官が、ノイズが気になりそこに意外な事実が隠されているのではないかと再調査していくという話だ。観に行く前は、音の違いをチェックするだけの室内劇かと思っていたけど、そうでもない。アウトドアのシーンも多く変化を持たせる。

確かにおもしろい!
結末がこうなるだろうと観客に都度予想させて、それをくつがえすことを繰り返す。途中では、ハラハラドキドキの場面をいくつも用意してわれわれが目を離さない工夫がされている。観に行く価値はあるおすすめ作品だ。


300名の乗客を乗せたドバイ発パリ行きの旅客機がアルプスの山間部に墜落した。航空事故調査局は事故究明のために音声分析官マチュー(ピエールニネ)の上司ポロックが調査部隊を率いることになるが、いつも同行するマチュは指名されなかった。ところが、調査を開始した後でポロックが突然消息不明になる。

改めて調査に参加したマチュは、ブラックボックスを解析すると、機内にイスラム系の乗客がコックピットに侵入する疑いがあることを見つける。いったんそれで事故の顛末は決着すると思われた。ところが、乗客が遺族に残した留守電の音が、ブラックボックスの音と違うことにマチュが気づき、再調査を始めると意外な事実に気づくのであるが。。。


⒈融通の利かない分析官
この主人公マチュはかなり変わった男だ。ともかく融通が利かない。パイロットのシミュレーター飛行のチェックをしていて、軽いミスも正直に申告すると言ってパイロットの反発を受ける。普通だったら甘い点をつけてもおかしくないのに、そういうことができない。上司からの指示にも従わないことも多い。

マチュの奥さんは航空大学の同期だ。新作の旅客機を認証する機関に勤めている。当然自身の業務には守秘義務があるわけであるが、マチュはそんなことも気にせず、妻のパソコンを平気で開けて機密情報を抜き出そうとする。


融通が利かないわけどころか夫婦関係を崩す可能性もわからないバカだけど、真実をつかむためには一途だともいえる。普通だったらしないと思われることも気にせず脳天気にやる。変なやつだなあと観ながら何度も思ったが、それでなければこの映画は成立しない。

⒉登場人物の対立と葛藤
映画の最初の場面で、上司のポロックと主演のマチュ分析官がヘリコプターの墜落原因をめぐって言い合うシーンがある。音の周波数特性を分析して、理路整然と答えるマチュに対してポロックが反発するシーンではじまる。結局、次の事実解明調査部隊からマチュは外される。この映画は上司と部下の対立と葛藤の映画だと思わせた。ところが、そうストーリーは進んでいかない。この上司がいなくなるのだ。結局調査を任され、真相究明となってよかったと思わせたが、そうはいかない。


この後は、いくつもの対立を生む。しかも、その相手には、パイロットの他航空会社や飛行機の認証機関なども含まれている。要するに、次から次に真実を究明するために葛藤する矛先が変わっていくのだ。バカ真面目で融通が利かない男の奮闘記だけど、この男の推論が常に正しいわけではない。大きな間違いも起こしている。そうやって、われわれの結末への推理を難しくさせる。

主人公のような石頭男みたいなバカ正直タイプの性格のやつは好かないので、観ていて不愉快にもなってくる。それでも食いついていけるだけのストーリーの面白さと若干の謎解きの要素、ヒッチコックばりのハラハラ感がある。加えて、ハイテク機器の使い方を間違えると危険な状況に陥ることもよくわかる。観終わると、これまで知らなかった知識がたくさん頭に投下された。そんな映画である。
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映画「声もなく」ユ・アイン&ホン・ウィジョン

2022-01-28 20:01:08 | 映画(自分好みベスト100)
映画「声もなく」を映画館で観てきました。


パラサイトを生んだ韓国発の傑作で、新人女性監督にしては実によくまとめた。こんな映画は見たことないと思わせる必見の作品だ。

韓国得意の下層社会を描いたどぎついクライムサスペンス物かと思うとちょっと違う。いきなり首に刺青をしたヤクザが出てきて、いつものようにえげつない暴力が噴出するのかと思うとそうでもない。パラサイト」が持つコメデイタッチの要素を残しながら、少女を取り扱うやさしさが映画の中に浸透している。

裏社会の下請けで死体処理をやっている2人の男が、組織から誘拐された少女を預かることになる。口が利けない片割れが自分のオンボロのアジトに連れ込み幼い妹と3人で暮らすことになるにつれ情も移っていくという話だ。主演の丸坊主頭の男はどこかで見たことあると既視感があってもバーニングユ・アインと気づくのに時間がかかった。何せ言葉が話せないだけに演技としては逆に難しいだろう。ラグビーの笑わない男稲垣に似たユ・ジェミョンの動きが笑える。


先日見た「さがす」はよくできていたが、「声もなく」は数段上だ。

足の悪い中年男チャンボク(ユ・ジェミョン)と口が利けない丸坊主のテイン(ユ・アイン)は2人で下町の市場で卵を売りながら、裏社会組織の下請けで死体処理の仕事をしている。組織の命令で今度の対象を引っ張り出そうと向かうと1人の少女だった。組織が身代金目的で誘拐してきた11歳のチョヒ(ムン・スンア)だとわかるが、少女を引っ張ってきた組織の親玉が逆にリンチされ、どうして良いのか分からずテインが預かることになる。結局身代金の支払い交渉がうまくいっていないのだ。

広々と続く畑の片隅にあるオンボロのテインの家に引っ張り、野生のような妹と一緒に暮らすようになる。最初はオドオドしていたが、妹をかわいがろうとする。その後、チャンボクが身代金の授受に関わったり、テインが里子取引の施設に連れ出そうとするのであるが。。。


映画を観ながら、どのようにこの映画を落ち着かせるのか想像がつかなかった。謎を解くという訳でないけど、シナリオの行方が読みづらい映画だった。それだけにおもしろい。


⒈善悪の混合
こんな映画は観たことないなあと感じていたが、昨年観たイーサンホーク主演のストックホルムケースを連想する。犯罪の被害者が犯人に心理的につながりをもつというのを「ストックホルム症候群」というそうだ。銀行強盗と人質の関係だが、今度は誘拐犯から押し付けられた男と人質の女の子の関係である。ジャンレノとナタリーポートマン「レオン」の要素もある。

ただ、この男テインは根っからの悪ではない。食い扶持がなくてやむなくやっている死体処理が本職である社会の底辺にいる障がい者だ。本質的に気持ちはやさしい。そういう男の本性を見抜いてか、誘拐された女の子も男寄りの立場になってしまうのだ。しかも、この子は賢い。野生のように学校も行かず育っているテインの妹を手なずけ、洗濯を教えたり、部屋の片付けも教える。世話好きな女房を思わせる振る舞いムン・スンアが巧みに演じる。


2人の関係もあっちにいったりこっちに来たりと揺れる時折り心境の変化をみせる。それなので、映画の先が見えない。善悪の境目を彷徨う。そんな感じでも嫌な部分が見あたらない。

⒉面白みのある登場人物
いきなり先日観たばかりの「ただ悪より救いたまえ」ばりの韓国ヤクザが出てきて、同じような末梢神経を刺激するシーンが続くかと思った。でも、違う。まずは、裏社会の下請けである主人公とその相棒の動きが気になる。依頼されて、ヤクザに惨殺された死体処理のためにカッパや手袋やシャワーキャップを身につける。ただ、処理がスマートにできるわけでない。どこか臆病な感じで、やることなす事不器用だ。


韓国は以前映画冬の小鳥などでも出てきた里子の売買が日本より盛んなようだ。いったん誘拐された女の子も売られそうになる。その人身売買の組織の人たちもなんか抜けている。それに加えて、女の子に絡む酔った警官や警官の部下の婦人警官など、いずれの動きもコミカルにしている。

そういう人物の楽しさが暗い一辺倒の話に面白さを生む。そして、バックには茜色した夕陽が包む広大な畑がある。決して道徳的でない話だが、後味が悪いわけではない。1982年生まれの女性監督ホン・ウィジョンの将来に期待できる。
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映画「續 大番 風雲編」加東大介&淡島千景

2022-01-27 18:58:18 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「續 大番 風雲編」を名画座で観てきました。


續大番 風雲編 は1958年(昭和33年)の大番シリーズの第2作目である。前回同様に名画座の「淡島千景特集」で観た。加東大介演じるギューちゃんこと赤羽丑之助が相場で失敗して故郷に帰った後に、再度高い志をもって東京兜町に戻り、証券市場で立ち回る話である。第1作と同じで、儲かるときもあれば、すってんてんで逃げ回るシーンと両方用意されている。簡潔にまとまっており、スピード感もあって2時間飽きさせない映画だ。

持ち金をすべて突っ込んだ鐘ヶ淵紡績新株が五一五事件の影響で暴落して、いったん故郷に帰ったギューちゃん(加東大介)が、故郷には悪い事情は何も伝わらず大歓迎をうける。母校の小学校にも銅像を寄付していて、実家は満鉄株で儲けたお金で建て増しをしていた。スッカラかんに近い状態で戻ったが、実家では建築費の残りの760円という多額のお金を郵便局に預けていた。それが元手で周囲の寄付要請を受けたり、芸者をあげて飲めや歌えよの大騒ぎだ。あこがれの可奈子お嬢様(原節子)の森家からも町の英雄と晩餐の招待を受けた。

半年ほどいると町の資産運用の指南役になっていた。すると東京にいる元仲間の新どん(仲代達矢)からそろそろ戻ってもいいのではと便りが来て再度兜町に帰還する。東京では情が通じたおまきさん(淡島千景)が待っていた。再び鞘をとる仕事(サイトリ)を始める。金を借りた証券界の人たちには少しづつ返していき、信用を取り戻していた。そのころのインフレ基調の市況には金鉱株を買った方がいいのではとお世話になった富士証券の木谷(河津清三郎)に相談すると意見の一致をみて、日本産業株を買い進む。結局利食いもうまくいき13 万儲ける。


儲けた金を資金に店を持った方が良いのではと、証券取引所で働いていた新どんへ一緒にやろうと誘う。おまきさんと仲直りするなら良いよと言われる。しかし、ギューちゃんを追いかけて、四国の故郷から芸者が来てしまい、おまきさんに愛想を尽かされていた。でも仲直りして、兜町に自分の店をもつのだ。

その後は、再度鐘ヶ淵紡績に目をつける。木谷さんも大量に購入しているので提灯をつけるのだ。気がつくと、ドンドン上昇していくのであるが。。。

⒈加東大介
ギューちゃん役って加東大介にとっては天性の適役ではないかと思う。ギューちゃんは田舎者の小僧あがりでカッコはつけない。周囲には腰が低く、好かれる。そして気前がいい。こんな無防備で大丈夫なのかと思ってしまうキャラクターである。加東大介は当時40才超えているのに10代から30 にかけての役を演じるのは図々しい気もする。でもギューちゃんは歳よりも上に見える設定だから、いいんじゃないかな。


加東大介の実姉の沢村貞子が田舎の母親役で出ているのがご愛嬌だ。沢村貞子は長生きしたが、加東大介は64で死んだ。酒を飲まない人に限ってそういう早死にするのが不思議だ。

⒉芸者遊びと宴会芸
もともと四谷の待合でおまきさんと知り合って情が通じている仲であるが、結婚はしない。四国の田舎に帰ったあと、気に入った若い芸者に水揚げしてあげるよと約束する。

結局芸者が上京してくるのであるが、ギューちゃんの下宿に知人の妹と偽って引き取る。でもおまきさんにすぐバレる。しかも、築地芸者もかわいがり、湯河原の旅館をもたせてあげるわけだ。まあ、昔の金持ちの方がやることは派手だ。それに今だったら、SNSにしろ文春砲も怖くてできないかも。

この時代、高級料亭で芸者を呼んでドンチャン騒ぎするのがいちばんカッコいい訳だ。当時会社物の映画では、芸者遊びが付き物だった。それは見ていて楽しい。
東宝の毎度おなじみ宴会部長の三木のり平が笑える芸を繰り広げる。ここでは故郷でギューちゃんに色ごとを教えた先輩役だ。三木のり平は脇にまわってアホやると天下一品だ。加東大介もお世話になった木谷さんと大勢の芸者の前で宴会芸を披露する。いいノリだ。


1968年(昭和43年)に祖父が雅叙園で金婚式をやった。酒が入って宴たけなわになると、宴会芸を披露する区議会議員や会社社長がいた。あのときの構図が目に浮かぶ。そのノリが続いたのも昭和50年代くらいまでなのかな?今や宴会はコロナで禁止。辛いねえ。

⒊原節子
一作目では特別出演となっていたが、ここでは違う。しかも、セリフもある。地元の素封家のお嬢様で今は伯爵夫人である可奈子(原節子)をギューちゃん(加東大介)が田舎の青海苔の土産をもって目黒のお屋敷に訪ねるシーンがある。可奈子の言葉使いはいかにもひと時代前の東京の上流階級のご婦人が話している言葉遣いだ。原節子の話し方はこの時代のいかなる女優よりも上品だ。

学生時代に友人の母上にも上品な話し方の人はいたが、社会人になって顧客の上流の奥様と接した時にTV漫画で見る「ざーますおばさん」って本当にいるんだと感じた。昭和の頃はまだその手の人は東京にいた。今や上流東京弁を話す女性はかなり少なくなった。この時期の原節子の言葉遣いが教科書になる。ある意味さみしい。当時37歳、この数年後に映画界を引退するにはもったいない。


⒋富士証券木谷社長の自殺
河津清三郎が演じる上部証券会社の社長木谷さんにはギューちゃんはたいへんお世話になっている。もともとギューちゃんの名前を見て、丑之助というのは株取引にはいい名前だと言った方だ。丑は英語で言うと「bull」で強気の買いというギューちゃんの信条に合っていて、木谷さんの鐘紡買いに提灯をつける。

でも、戦争中は突発的な何があってもおかしくない。上がりきった鐘紡株の買いのせで売り方の踏み上げを狙った攻めた両者に災難が訪れる。木谷社長は自殺した山一証券の元社長太田収をモデルにしている。山一証券というのは戦前も戦後も懲りないというところなのか?
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映画「三度目の正直」野原位&川村りら

2022-01-26 18:23:48 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「三度目の正直」を映画館で観てきました。


三度目の正直は今が旬の濱口竜介監督の「ハッピーアワー」や「スパイの女」で共同脚本を書いた野原位監督作品である。そういうことなら一定のレベルは期待できると映画館に向かう。俳優陣はほとんど無名、「ハッピーアワー」にも出ていた川村りらが主演と同時に脚本も書いている。

事実婚で同居していた男性の連れ子が留学して主人公(川村りら)が意気消沈してしまう。しかも、気がつくと相手にも好きな人ができたと告白され、家を飛び出してしまう。そんな時公園で記憶喪失の若者が倒れているのを見つけ、子どもがおらず、育児願望の強い主人公が無理やり一緒に暮らそうとする話である。そこに主人公の弟夫妻が絡んでいき、展開は途中で意外な方向にも進む。

この作品にはのれなかった。今一歩という印象を持つ。
映画のリズムが悪く、テンポが中途半端だ。ここまで長回ししなくてもという場面も多く、下手くそなラップを延々聞かされるのには閉口した。誰一人として共感をもてる人物に会えないのものれない要因の一つだ。一見普通に見える人にも違った一面があるというのを見せたかったのであろう。意外性や軽い謎を投げかけ気をひかせるが、自分には嫌な感じにしか見えなかった。

⒈強い母性をもつ女性と川村りら
主人公は流産の経験があり、その後子どもには恵まれていない。一度離婚して、連れ子のいる医師と事実婚状態であるが、入籍していない。連れ子がアメリカに留学することになり、役所に頼んで孤児になってしまった子を引き取ろうと動き出したら、別の好きな人がいると言われ家を飛び出す。

子どもがいないことに強烈なコンプレックスを持っているのであろう。新たにまったく他人の子どもを引き取ろうとするくらいで、母性も強い。こういうのは男性には理解しづらい世界かもしれない。そんな時現れた記憶喪失の青年を自分の力で育てようとするのだ。周囲は大反対、青年にもその気がないけど、強引で誰のいうことも聞かない。

こういうキャラクターは女性でないと思いつかないかもしれない。行動が支離滅裂と何度も感じたが、女性の視点ではこうなるのか、その辺りは男の自分にはわからない世界がある。


主演と脚本を兼ねる川村りらは少し前まで神戸に住む普通の母親だったらしい。子育てにも手がかからなくなるという時期に映画界に足を突っ込んだら、素人から一気に映画製作の世界に進む。それも川村りらが魅力ある美人だからそうなるのであろう。年齢相応の美しさに知性を備えている。この映画のキャラクターとは絶対に付き合いたくないが、デートしてみたくなる女性だ。

⒉神戸と海
神戸というセリフはない。地名は露骨に出てこないが、海を見下ろす坂が多く、海がふんだんに現れるので神戸だとわかる。先日見たさがすでは土着の大阪がふんだんに出てきたが、ここでは若干ムードが違う。お店が出てきても洗練されているムードだ。


この映画のバックで流れる音楽はピアノ中心のシンプルで映像にしっくりあっているものだ。これはすごく良かった。ただ、クソみたいなラップは自分にはよく感じない。耳障りだった。
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映画「さがす」 片山慎三&佐藤二朗&伊東蒼

2022-01-25 20:30:20 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「さがす」を映画館で観てきました。


「さがす」「岬の兄妹」の片山慎三監督の新作である。前作は障害者の妹に売春をさせる兄貴というひどいキャラクターを中心に下層社会を描いた。ドロドロした映画で後味は悪かった。それでも気になり「さがす」を見てしまう。

非常によくできた映画である。実に構成力に優れている。

懸賞金付き指名手配犯の行方を追うと言って飛び出して姿をくらました父親を娘が探すと言う話である。下記のとおり、作品情報を引用するが、単純に親の行方を捜索する話ではなかった。前作同様下層社会の暗部に焦点をあてるだけでなく、「死にたくても死ねない人」という問題をクローズアップする。園子音の作品や韓国クライムサスペンス的きわどさも見せる。有名俳優が出ているわけではないが、主たる3人の登場人物はいずれも好演だ。

大阪の下町で平穏に暮らす原田智(佐藤二朗)と中学生の娘・楓(伊東蒼)。「お父ちゃんな、指名手配中の連続殺人犯見たんや。捕まえたら300万もらえるで」。いつもの冗談だと思い、相手にしない楓。しかし、その翌朝、智は煙のように姿を消す。


ひとり残された楓は孤独と不安を押し殺し、父をさがし始めるが、警察でも「大人の失踪は結末が決まっている」と相手にもされない。それでも必死に手掛かりを求めていくと、日雇い現場に父の名前があることを知る。「お父ちゃん!」だが、その声に振り向いたのはまったく知らない若い男(清水尋也)だった。
失意に打ちひしがれる中、無造作に貼られた「連続殺人犯」の指名手配チラシを見る楓。そこには日雇い現場で振り向いた若い男の顔写真があった。(作品情報引用)


日雇い現場にいる男が自分の父親の名前を名乗っている。しかも,その男は連続殺人犯そのものである。父親はどうなったのであろうか。娘は万一のことがあったのかと恐れる。自分の父親を名乗る若い男を見つけた後の展開は見てのお楽しみである。意外な方向に進むのを監督の道案内についていきながら身を任せたい。この映画は予備知識なく見た方が良い。

⒈構成力とえげつなさ
この映画を見てクエンティンタランチーノの傑作「パルプフィクション」園子音冷たい熱帯魚を連想した。「パルプフィクション」は構成力にすぐれている。これといったストーリーもなく、下品でアウトローな登場人物のパフォーマンスを構成だけでおもしろくさせる。時間軸を飛ばしながらことの真相に迫るその手法に類似性を感じる。「冷たい熱帯魚」の登場人物はいかにもえげつない。ここでも類似した殺人鬼が登場する。


⒉大阪のディープな世界
バックに通天閣が見える。新世界あたりのアーケードの古い店が数多く映る。西成の日雇い労働者の斡旋所も出てくる。ロケ地周辺が想像できる。主人公である父娘が住んでいるのは西成付近だろう。片山慎三監督は大阪出身だというのがよくわかる場所を選んでいる。大島渚の作品でいちばんの傑作だと思っている1960年の太陽の墓場という映画のロケ地は西成周辺をクローズアップする。ドツボな世界を描いていたが、この映画でも街のリアリズムが鮮明で、登場人物の真実味が浮き上がる。うまい!


⒊大阪弁の娘
父親佐藤二朗を懸命にさがす娘役の伊東蒼を見てどこかで見たなと既視感にとらわれる。そうだ!映画「告白」で万引きをして、懸命に逃げて交通事故に遭って亡くなる女の子だ。実は古田の好演だけの映画で、好きではない。気分的にすべて下方向へのベクトルが働いた映画だと思い感想をアップしていない。


リアルな土着大阪の世界に、ネイティブの大阪弁を話す伊東蒼を放つ。これがこの映画の成功の鍵のような気がする。自分も5年大阪に住んでニセモノの大阪弁はわかるようになった。エセ関西の出演者のせいで映画も台無しになることが多い。ここでは、父の名を騙った指名手配の若い男を大阪の裏路地で娘が懸命に追うシーンがある。これがいい感じだ。「告白」では逃げたが、「さがす」では追う。伊東蒼は大物の予感がする。
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映画「大番」 加東大介&淡島千景

2022-01-20 17:35:39 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「大番」を名画座で観てきました。


「大番」は獅子文六の相場師の一生を描いた小説を1957年に加東大介主演で映画化した作品である。当時の東宝スターが軒並み登場する。「大番」はシリーズ化して加東大介の代表作ともいえる。まだ少年の頃、TVの映画劇場で見た覚えがあるが、当時株の知識はなかった。記憶はないに等しい。名画座の淡島千景特集で「大番」が取り上げられるのがわかり楽しみにしていた。

左とん平と林美智子のコンビでNHKで夜の連続ドラマシリーズでやっていたのも見ている。おもしろかった記憶がある。今回観ていて、そういえばあの時主演二人のやりとりでこんなセリフがあったなというのに気づく。もちろん、大人になってから獅子文六の原作は読了している。でも、自分が若い頃は新潮文庫に獅子文六の作品が多々あったが今は見ることがない。

愛媛の田舎から単身日本橋に乗り込んできた青年ギューちゃんが、兜町で株の世界に入り、大儲けすることもあれば、大損もする紆余屈折の物語である。こうやって観てみると、簡潔に「大番」のポイントがまとめられていることに気づく。話がすっと頭に入っていき、わかりやすい。これは千葉泰樹監督の腕だと改めて感心する。しかも、登場人物に共感が持てる。これは大きい。

昭和二年の夏。四国宇和島から18歳の若者赤羽丑之助(加東大介)が上京して、東京駅に降り立ちそば屋で働く同郷の友人がいる日本橋に向かう。ようやく見つけたものの金はない。ちょっとしたトラブルがあり、宇和島を抜け出してきたのだ。見るに見かねたそば屋の店主が知り合いの太田屋という株屋を紹介し下働きとして働くことになる。大食いの彼は丑からとってギューちゃんと呼ばれる。先輩の新どん(仲代達矢)の指導もあって、早々に認められ取引所の場立ちも任される。

その後、ギューちゃんが徴兵検査で地元へ帰京した時、あこがれていた地元の富豪の娘森可奈子(原節子)が伯爵の令息に嫁入りして上京していることを知る。帰京したギューちゃんを新どんは待っていたが太田屋がつぶれたことがわかり途方に暮れる。取引でお世話になっていた証券会社の幹部木谷(河津清三郎)の世話で、株取引を繋いでサヤを取る仕事をするようになる。

昭和六年、その後株の世界をうまく泳げた丑之助は、四谷の待合でおまき(淡島千景)という女中と仲良くなる。落ちぶれている相場師(東野英次郎)に満鉄株を買えと暗示され、一気に大儲けするのだ。大当たりの大番振る舞いで絶好調だった。ところが、鐘淵紡績の相場に全力で突っ込んでいると、突如五・一五事件で証券取引所は停止し、大損をくらうことになるのであるが。。。

⒈戦前の相場師
帝大出で株の世界に入った恩人の木谷さんに「君の丑之助という名前はいい名前だ。丑(うし)は英語で言うとbull、これは強気であり買いだ。対するはbear、熊よりも牛の方が強い」と言われてギューちゃんはやる気になる。こんなセリフは心地よい。木谷は学問が株式市場で役に立つにはまだ時間がかかる。今は機転が大事だと教える。

ギューちゃんは最初に入った株屋の太田屋で「新東」株を取り扱う。これは東京証券取引所新株すなわち今でいうと、取引所の大家である平和不動産になる。平成3年まで東京証券取引所の旧指定銘柄が存在して、短波放送でアナウンサーが読み上げるスタートはいつも指定の平和不動産からだった。

昔相場師で今は落ちぶれたけど、兜町をウロウロしている老人がいる。兜町の株屋のみんなから嫌がられている。でも、相場をやらなくなると当たるようになったというその老人の話もギューちゃんは信じる。お告げのように教える銘柄が南満州鉄道すなわち満鉄だ。ギューちゃんは「ブル」とばかりに「買い」で大金を突っ込む。それで大儲けするのだ。

⒉加東大介
友人が奉公していたそば屋のオヤジに株屋の下働きの仕事をもらって住み込みで働くようになる。ギューちゃんはガツガツ働くのだ。丼飯も何杯もおかわりだ。まあ最近の働き方改革の真逆である。取引所の場立ちにも立たせてもらうが、背が低くて注文が通らずチャンスを逃して店主に怒られる。すると、次は場の一番前に飛び込んで堂々と注文する。こんな感じの立志伝を見るのは好きだ。

平成のはじめのバブル期も立会場銘柄が残っていて、大枚の注文が立会場で取引された。活況になると板寄せで取引停止の笛がなって活気は残っていた。でも、1999年になくなってしまった。ここでも昭和初期の活気ある取引場が再現されている。ミケランジェロアントニオーニ監督アランドロン主演の「太陽はひとりぼっち」のざわめくミラノ取引場シーンも連想する。

⒊淡島千景
うまくいくと、女の方も手を広げるのは世の常。ギューちゃんは儲けさせた客に四谷の待合に連れて行ってもらう。そこで長年の連れあいになるおまきさん(淡島千景)と知り合う。おまきさんは女中だから他の子をギューちゃんの夜のお相手につけようとすると君がいいと言う。そんな腐れ縁から一緒に住むようになるのだ。でも、獅子文六のイメージするおまきさんは淡島千景ほどの美人じゃないのでは?自分がその昔TVで見たおまきさん役の林美智子の方が合っている気もする。

新宿の三越に買い物に行くというセリフがある。え!あったの?と調べたら確かにある。おまきさんが働く四谷の待合の名前は春駒と書いてある。これは荒木町あたりに実際にあった待合なんだろうか?観ながらコロナ後寂れた荒木町を想う。

⒊原節子
宇和島の素封家の娘という設定だ。これはピッタリだ。伯爵と結婚するということで仲間の新どん(仲代達矢)が持っている雑誌に写真が載っているのを見つける。ギューちゃんは新どんの雑誌を破って拝借する。でも、この写真は確かにきれいだ。これはたぶんドイツとの合作「新しい土」の頃の原節子だと思う。

出演者クレジットのラストに特別出演原節子となっている。途中、若い頃は別の俳優を影武者のように使っていて本人は写真だけで出ないのかと思ったら、偶然歌舞伎座でギューちゃんにばったり会うシーンが用意されている。30代後半の美しい着物姿を見せる。まさに特別出演だけど、きれいだなあ。ギューちゃんはその姿を見た後、鐘淵紡績の相場で大暴落に遭うのだ。

⒋千葉泰樹監督と藤本真澄
このところ、観る映画で容認できないキャラクターばかりに出会っているので、気分が乗り切れなかった。情に厚くて、何ごとにも一生懸命な努力家を見ていると気分がいい。これは原作者獅子文六の思い通りではないか。それを映画として簡潔にまとめるのは戦前からの名監督千葉泰樹及び植木等や加山雄三の全盛時代の作品を数多く書いた脚本の笠原良三の力であろう。

そして、製作に藤本真澄の名前があるとホッとする気分になれる。原節子は藤本真澄が引っ張ってきたのであろう。ドロドロした大映映画とも違う東宝映画の安心感を感じる。
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映画「スティルウォーター」 マットデイモン

2022-01-18 20:15:58 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「スティルウォーター」を映画館で観てきました。


映画「スティルウォーター」はマット・デイモン主演の最新作、アカデミー賞作品賞を受賞したスポットライト扉を叩く人トムマッカーシー監督作品となれば観てみたくなり映画館に向かう。オクラホマの下層労働者という設定のマットデイモンのアメリカでの映像はあるが、主たる物語はフランスマルセイユで展開する。マルセイユの海岸の映像は信じられないくらい美しい。

アメリカの石油会社で掘削労働者の主人公がフランスマルセイユで殺人罪で逮捕された娘の無実を証明するため、わずかな証言をもとに現地で知り合ったシングルマザーとともに真犯人を捜す話である。謎解きの要素もある。ただ、登場人物の誰もが容認できるキャラクターではない。みんな変な奴らばかりであり、受ける感触は良くないので不快になってしまう。


米オクラホマ州の街スティルウォーターでもともと石油掘削の仕事をしていて今は解体業をしているビル(マット・デイモン)は、留学先のフランスマルセイユでレズビアンのガールフレンドを殺した殺人罪で捕まり懲役9年の判決を受け刑務所に収監されている娘アリソン(アビゲイル・ブレスリン)の真実を訴える手紙をもとに無実を証明しようとする。

現地で知り合ったシングルマザーにも協力を求める。言葉の壁もあり、はかどらないし、意見が対立してシングルマザーとケンカして決裂する。しかし、現地の不良の一味に捕まり暴行を受けたりした後で、再度シングルマザー母娘と交情を温めてマルセイユの生活に馴染んでいくのであるが。。。


⒈社会派的色彩
これまでのトム(トーマス)マッカーシー監督の映画はだいたい観てきたし、好感が持てる作品がほとんどだ。「扉を叩く人」では難民問題に言及し、「スポットライト」では教会聖職者の性的いたずらに焦点を合わせた。いずれもドキュメンタリーではなくフィクションだが、社会派の色彩が強い作品だ。


いくつかの写真の中に犯人がいてそれを指さす場面で、普通にやるとアラブ人が選ばれるなんてセリフがある。今やフランスではイスラムが悪者になっているのだ。その辺りはエマニュエルトッドの本にも詳しい。

あとはマルセイユで親しくなったシングルマザーの友人がビルに「トランプに投票したの?」と聞くセリフもある。労働者タイプが全部トランプを支持しているように捉えられているセリフだ。今回マットデイモンはアメリカの下層労働者階級に服装も雰囲気もなりきる。フランス人インテリは哲学好きで理屈っぽいけど、え!そんなこと聞くのかと思ってしまう。

⒉マルセイユの美しい風景
地中海の香りがするスパニッシュ屋根の建物が立ち並ぶ光景は美しい。建物が連なる先には崇高な寺院が見える。過去にもキリマンジャロの雪などのマルセイユを舞台にしている映画は観ているが、船着場などの映像が中心で、ここまで街の全容を俯瞰する映像は見たことがない。それだけにその美しさに驚く。


娘のアリソンが出所後の生活に慣れるために、1日だけ外出を許可されてビルと2人で郊外をドライブする。そこで映る海岸線の風景が美しい。調べてみると、国立公園内の映像のようだ。マルセイユ観光案内の映像だと思うと、外国旅行に行けないだけに得した気分になる。まあ、こういう映画の見方もあるだろう。ただ、その裏腹に治安はかなり悪そうな印象も持ってしまう。


⒊サッカー場の熱狂⚽️
マルセイユの地元サッカーチームを熱狂的ファンが応援するシーンがでてくる。マットデイモン演じるビルがサッカー好きのシングルマザーの娘を連れて超満員のスタジアムに行くのだ。応援席の異常とも見える応援には驚く。映画では、その大勢の観客の中で、犯人と思しき男を見つけるシーンがある。思わずドキッとする。直後から子連れで男の行方を追いかけていく。これはこれで緊迫感があるシーンだ。


この娘がマルセイユでプレーしていたサッカー日本代表である酒井のことを好きだとする場面があるというが、注意不足で確認できなかった。

ストーリーよりも、美しいマルセイユの映像や熱狂的なサッカーの応援の最中に犯人を追いかけるシーンの印象ばかりが観終わって脳裏に残る。途中は登場人物のそれぞれの性格の悪さに呆れてイヤになってしまう状況だったが、最終場面に入ってのハラハラドキドキの場面のおもしろさで少しは嫌な部分がとんでいく。
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映画「クライマッチョ」 クリントイーストウッド

2022-01-14 20:19:48 | クリントイーストウッド
映画「クライマッチョ」を映画館で観てきました。


クリント・イーストウッドの新作「クライマッチョ」がついに公開になった。グラン・トリノの時最後だという話があり、その後もいくつか出演作が続いた。90過ぎて一体いつまでやるの?と思ってしまうが,早速行くしかない。

いきなりカントリータッチの音楽で始まりカウボーイ姿のクリント・イーストウッドが登場すると心ときめく。穏やかな流れで急がず焦らずストーリーが展開していく。イーストウッド作品が持つ独特のムードは変わらない。心地がよい雰囲気に身を任せて快適な2時間を過ごせた。

その昔ロデオの名手だった男が恩人である元雇い主からメキシコにいる息子を探してくれと頼まれる。やっと見つけた少年を引き連れて右往左往しながら、アメリカまで連れ出そうとする話である。


ロードムービーといってもいいのでは?
主人公マイク(クリント・イーストウッド)はテキサスから愛車を運転し国境を越え、メキシコに入る。恩人の昔の女に会って息子の行き先の心当たりを探ると、闘鶏の場で少年を見つける。ヤンチャな世界に身を投じているようだ。母親はアル中気味で色きちがいだ。男もころころ変わってきたようだ。その母親にもマイクは誘惑されそうになるが拒否。そのままメキシコを立ち去ろうとしたら、少年が車の中に乗っていた。

そこからは、裏社会にも通じる母親の手先に追われたり、警察に追われたり、ひょんなきっかけで滞在することになった町の保安官にマークされたりずっと追われながら、田舎町の気のいいレストランの女性店主に助けられる。


もともとは,カウボーイハットのクリント・イーストウッドを見て,ウェスタン的な要素が異常に強いと思っていた。思いがけずのメキシカンテイストも悪くはない。

⒈クリントイーストウッド
若き日は、モテすぎてファンのストーカー女に追われる「恐怖のメロディ」や女性のみの全寮学校で誘惑されたりする白い肌の異常な夜でのモテ役のクリントイーストウッドもさすがに90を超えると女がらみの話が似合わなくなる。それでも、メリル・ストリープ演じる田舎の主婦とのひと時の激しい恋を描いたマディソン郡の橋のように、すてきな出会いと純愛をこの歳にして見せるのは初老の域に入った自分たちにも励みになる。


父に連れられてダーティーハリーを観に行った時から知っている自分からすると、当然動きは緩慢だ。90にもなればそれも仕方ない。それでも、追っ手の一人にパンチを食らわすシーンも用意されている。取っ組み合いはまあ無理だろう。それでも、荒馬や動物をてなづけるシーンのやさしさがいい感じだ。

音楽に造詣の深いクリント・イーストウッドだけに,所々で流れる音楽は非常にセンスが良い。特にテキーラのお酒の味を連想させるメキシコ系ラテン音楽の響きがいい感じだ。

⒉色っぽいエスニック系の女たち
結局ニューメキシコ州で撮影されたようだが、設定ではメキシコ国境を越える。今までの系統とはちょっと違う色っぽいエスニック美人を2人用意する。元雇い主で恩人の昔の女の出会う。これは色っぽい。最初はペネロペクルスかと思った。息子を可愛がるが、淫乱女で男を取っ替え引っ替えなので、息子は呆れて飛び出している。イーストウッドもベッドに誘われる。そういうエロ女がフェルナンダ・ウレホラだ。


もう1人は、レストランに入ったイーストウッドと少年を追手から遮るレストランの女性店主を演じるナタリア・トラヴェンだ。メキシコ女優のようだ。彼女もエキゾチックでエロい。何気なく助けてくれたのに、気がつくと彼女の娘や孫とも親しくなっていく。そして,イーストウッドに恋心を寄せていく。好きだと絶叫するような恋ではなくひっそりと盛り上がる恋だ。


エスニック美人とのダンスは「マディソン郡の橋」を連想する。
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映画「こんにちは、私のお母さん」

2022-01-10 17:39:08 | 映画(中国映画)
映画「こんにちは、私のお母さん」を映画館で観てきました。


中国の喜劇俳優ジアリンによる自身の体験をもとにした脚本を監督して自演した作品だ。母と2人乗りの自転車に乗っているときに交通事故に遭い、重体の母のそばで泣いていたら気がつくと20年前にタイムスリップして自分が生まれる前の母に出会う話だ。母と交わす交情でお涙頂戴の世界である。

期待して映画館に向かったが、もう一歩かなあ。ジアリン演じる主人公が母親に出会う1981年の中国は鄧小平により市場原理を取り入れた経済体制となって間もない時期だ。ひと時代前にTVで見た中国の映像がよみがえる。太っていてコミカルなジアリンは表情豊かで決して悪くないし、若き日の母親役チャン・シャオフェイはひと時代前の三田佳子を思わせる美貌で、存在感がある。だけどちょっとなあ。


明るく元気な高校生ジア・シャオリン(ジア・リン)と優しい母リ・ホワンインは大の仲良し。ジアの大学合格祝賀会を終え、二人乗りした自転車で家に帰る途中、交通事故に巻き込まれてしまう。病院で意識のない母を見てジアは泣き続け、そして気がつくと…20年前の1981年にタイムスリップしていた!

独身の若かりし母(チャン・シャオフェイ)と〝再会〟したジアは、最愛の母に苦労ばかりかけてきたことを心から悔やみ、今こそ親孝行するチャンスだと奮起。自分が生まれなくなっても構わない。母の夢を叶え、幸せな人生を築いてもらうことが、娘としてできる「贈り物」なのだ!だが、やがてジアは“ある真実”に気づく……。(作品情報より)

映画でもカラーTVが一般家庭に普及していないというセリフもある。まだ文化大革命体制の貧しい世界から脱却できていない。いわゆる公営工場での集団労働、大きなスローガン看板が掲げられる社会主義中国の原風景が映る。当時の中国人民のとっぽい服装は90年代に入っても大きくかわっていなかった。香港に90年代初めに行ったとき、大陸人と香港人とはそのどんくささで見分けがすぐついた。1981年ならなおさらだ。


でも、そんな昔を懐かしむ中年以上の中国人たちには受けるだろう。中国ではずいぶんとヒットしたようだ。習近平主席も格差是正で「共同富裕」のスローガンをあげる。まさか、この頃に戻れとは思っていないとは思うけど。


ただ、自分の理解度が弱いからかもしれないが、途中で現実と虚実の境目がぐちゃぐちゃにになり、訳がわからなくなる。人間関係のつながりは見ていて消化不良になってしまうような世界だ。ここ最近、中国の裏社会を描く作品に傑作が目立ったが、これは中国当局が推奨する人民映画みたいな感覚を得てしまう。だからのれないのかな?
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