映画「去年マリエンバートで」を映画館で観てきました。
1961年の映画である。ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞を受賞している。モノトーン映画だけどスタイリッシュな映像で何これ?という感じで予告編から気になっていた。最初はファッションの広告かと思ったくらいだ。正装に身を包んだ男女が宮殿のような場所に集っている。シャネルのデザインによるファッションに身を包んだ2人が掛け合いの言葉を発する姿は今から58年前の映画と思えぬハイセンスだと思い映画館に向かう。ホテルのバルコニーから映す映像が幾何学的美しさをもつ。
夜が基調の映像と以前あったことありますね?という言葉からデイヴィッドリンチの映画「ロスト・ハイウェイ」のタッチを連想していた。確かにミステリアスな感じはあり、宮殿のようなホテルの中に浮かび上がる映像は美しかった。でも、デイヴィッドリンチ映画的な深みはなく、ロケ地も場所が固定されてしまうので映画の中身はびびっとくるほどいいとは思えなかった。見終わってみて逆に予告編が簡潔にまとまっているという感じを受けた。
バロック風の豪奢で陰鬱な、迷路のようなホテル。夜会服をまとった紳士淑女たちが、演劇やコンサートに無表情に身を沈め、いかさまゲームに興じ、人形のようにワルツを踊り、ナンセンスな会話を繰り返している。そこに、ひとりの男がやってくる。
去年出会い、恋に落ち、そして1年後に駆け落ちする約束をした女(デルフィーヌ・セイリグ)をここから連れ出すために。しかし再会した女は、そのようなことは全く覚えていないと拒絶する。あなたの夢物語でしょうと。まるで、このホテルには過去など、はたまた恋や愛などという概念は存在しないかのように。
彼女は去年の出来事を忘れてしまったのか?忘れたふりをしているのか?それとも、男が嘘をついているのかー?だが、男には確信があるようだが。。。(作品情報より)
ここでの見せ場はあくまでデルフィーヌ・セイリグであろう。ブラックドレスが似合う。夜を映し出すときの光の加減が巧みで、サッシャ・ヴィエルニのカメラもデルフィーヌ・セイリグの美しさを引き立てる。デルフィーヌは「Laisse moi」一人にしてを連発する。パーティ会場にいる男女誰も彼もただ者ではない雰囲気を醸し出す。スローモーションと言うより、出演者の動きにストップをかけたまま映す手法がいい。
仮に1961年の日本に舞台を移したらそのギャップに唖然とするであろう。この映画に映るセンスのいい男女と比較して日本人はまったく垢抜けていなかった。この時代の富裕層がパーティで集う姿を映し出す映画ではミケランジェロ・アントニオー二監督の「夜」をみるとよくわかる。でも映像ではこの映画が上と思える部分も多い。謎めいたままストーリーが進んでいくが、一年前と現在と交互に映していくので頭がこんがらがってしまう。これは二回観た方がいい映画かもしれない。
1961年の映画である。ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞を受賞している。モノトーン映画だけどスタイリッシュな映像で何これ?という感じで予告編から気になっていた。最初はファッションの広告かと思ったくらいだ。正装に身を包んだ男女が宮殿のような場所に集っている。シャネルのデザインによるファッションに身を包んだ2人が掛け合いの言葉を発する姿は今から58年前の映画と思えぬハイセンスだと思い映画館に向かう。ホテルのバルコニーから映す映像が幾何学的美しさをもつ。
夜が基調の映像と以前あったことありますね?という言葉からデイヴィッドリンチの映画「ロスト・ハイウェイ」のタッチを連想していた。確かにミステリアスな感じはあり、宮殿のようなホテルの中に浮かび上がる映像は美しかった。でも、デイヴィッドリンチ映画的な深みはなく、ロケ地も場所が固定されてしまうので映画の中身はびびっとくるほどいいとは思えなかった。見終わってみて逆に予告編が簡潔にまとまっているという感じを受けた。
バロック風の豪奢で陰鬱な、迷路のようなホテル。夜会服をまとった紳士淑女たちが、演劇やコンサートに無表情に身を沈め、いかさまゲームに興じ、人形のようにワルツを踊り、ナンセンスな会話を繰り返している。そこに、ひとりの男がやってくる。
去年出会い、恋に落ち、そして1年後に駆け落ちする約束をした女(デルフィーヌ・セイリグ)をここから連れ出すために。しかし再会した女は、そのようなことは全く覚えていないと拒絶する。あなたの夢物語でしょうと。まるで、このホテルには過去など、はたまた恋や愛などという概念は存在しないかのように。
彼女は去年の出来事を忘れてしまったのか?忘れたふりをしているのか?それとも、男が嘘をついているのかー?だが、男には確信があるようだが。。。(作品情報より)
ここでの見せ場はあくまでデルフィーヌ・セイリグであろう。ブラックドレスが似合う。夜を映し出すときの光の加減が巧みで、サッシャ・ヴィエルニのカメラもデルフィーヌ・セイリグの美しさを引き立てる。デルフィーヌは「Laisse moi」一人にしてを連発する。パーティ会場にいる男女誰も彼もただ者ではない雰囲気を醸し出す。スローモーションと言うより、出演者の動きにストップをかけたまま映す手法がいい。
仮に1961年の日本に舞台を移したらそのギャップに唖然とするであろう。この映画に映るセンスのいい男女と比較して日本人はまったく垢抜けていなかった。この時代の富裕層がパーティで集う姿を映し出す映画ではミケランジェロ・アントニオー二監督の「夜」をみるとよくわかる。でも映像ではこの映画が上と思える部分も多い。謎めいたままストーリーが進んでいくが、一年前と現在と交互に映していくので頭がこんがらがってしまう。これは二回観た方がいい映画かもしれない。