映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「去年マリエンバートで」 アラン・ルネ&デルフィーヌ・セイリグ

2019-10-30 19:31:28 | 映画(フランス映画 )
映画「去年マリエンバートで」を映画館で観てきました。


1961年の映画である。ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞を受賞している。モノトーン映画だけどスタイリッシュな映像で何これ?という感じで予告編から気になっていた。最初はファッションの広告かと思ったくらいだ。正装に身を包んだ男女が宮殿のような場所に集っている。シャネルのデザインによるファッションに身を包んだ2人が掛け合いの言葉を発する姿は今から58年前の映画と思えぬハイセンスだと思い映画館に向かう。ホテルのバルコニーから映す映像が幾何学的美しさをもつ。


夜が基調の映像と以前あったことありますね?という言葉からデイヴィッドリンチの映画ロスト・ハイウェイのタッチを連想していた。確かにミステリアスな感じはあり、宮殿のようなホテルの中に浮かび上がる映像は美しかった。でも、デイヴィッドリンチ映画的な深みはなく、ロケ地も場所が固定されてしまうので映画の中身はびびっとくるほどいいとは思えなかった。見終わってみて逆に予告編が簡潔にまとまっているという感じを受けた。

バロック風の豪奢で陰鬱な、迷路のようなホテル。夜会服をまとった紳士淑女たちが、演劇やコンサートに無表情に身を沈め、いかさまゲームに興じ、人形のようにワルツを踊り、ナンセンスな会話を繰り返している。そこに、ひとりの男がやってくる。


去年出会い、恋に落ち、そして1年後に駆け落ちする約束をした女(デルフィーヌ・セイリグ)をここから連れ出すために。しかし再会した女は、そのようなことは全く覚えていないと拒絶する。あなたの夢物語でしょうと。まるで、このホテルには過去など、はたまた恋や愛などという概念は存在しないかのように。
彼女は去年の出来事を忘れてしまったのか?忘れたふりをしているのか?それとも、男が嘘をついているのかー?だが、男には確信があるようだが。。。(作品情報より)


ここでの見せ場はあくまでデルフィーヌ・セイリグであろう。ブラックドレスが似合う。夜を映し出すときの光の加減が巧みで、サッシャ・ヴィエルニのカメラもデルフィーヌ・セイリグの美しさを引き立てる。デルフィーヌは「Laisse moi」一人にしてを連発する。パーティ会場にいる男女誰も彼もただ者ではない雰囲気を醸し出す。スローモーションと言うより、出演者の動きにストップをかけたまま映す手法がいい。

仮に1961年の日本に舞台を移したらそのギャップに唖然とするであろう。この映画に映るセンスのいい男女と比較して日本人はまったく垢抜けていなかった。この時代の富裕層がパーティで集う姿を映し出す映画ではミケランジェロ・アントニオー二監督の「夜」をみるとよくわかる。でも映像ではこの映画が上と思える部分も多い。謎めいたままストーリーが進んでいくが、一年前と現在と交互に映していくので頭がこんがらがってしまう。これは二回観た方がいい映画かもしれない。

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映画「第三夫人と髪飾り」 グエン・フオン・チャー・ミー

2019-10-24 05:32:38 | 映画(アジア)
ベトナム映画「第三夫人と髪飾り」を映画館で観てきました。


久々のベトナム映画である。渋谷bunkamura「第三夫人と髪飾り」という新作をやっている。その昔ベトナムの名匠トランアンユン監督の夏至をbunkamuraで見たことがある。ハロン湾を前面にだし、美人三姉妹の恋の物語を描いた。素敵な映画である。今回は新鋭女性監督アッシュ・メイフェアの作品だが、トランアンユン監督も美術監修ではいるし、トランアンユン夫人のトラン・ヌー・イエン・ケーをはじめ夏至の主要キャストも出演しているということで映画館に向かう。

セリフは多くない。ベトナムの美しい背景と密かに過ごす夜の秘め事をじっくりと映し出す。監督が違うが、トランアンユン監督が美術監修に入っているだけあって「夏至」や「青いパパイヤの香り同様南国植物のグリーンが美しく配置される中で、アジアンテイストの細かい彫刻の入った調度品が引き立つ。昆虫や小動物の使い方のうまさも共通するものがある。そして、提灯を使った照明設計が幻想的なムードを醸し出す。

映画を見始めて、今回もハロン湾かな?と一瞬思ったが、カトリーヌドヌーブ主演「インドシナに映るハロン湾などこれまで見たものとは違う。世界遺産となったチャンアンという場所だという。川の流れも美しく、神秘的な洞窟も絶景だ。時代が違う中、うまく映画に取り入れることができたのではないか。雨音が室内に響く情感あふれる映像は夏至に通じると同時に小津安二郎作品の影響を感じる。対照的に血を浮かび上がらせたりするが、ほんわかしたムードが最後まで続く。


19世紀の北ベトナム。奇岩が連なる断崖絶壁の山々に囲まれた深い渓谷を流れる川を、メイ(グエン・フオン・チャー・ミー)は花があしらわれた舟で上ってくる。絹の里であるこの地を治める大地主(レ・ヴー・ロン)のもとに、14歳で嫁いできたのだ。
一族が暮らす大邸宅には、一人息子を産んだ第一夫人のハ(トラン・ヌー・イエン・ケー)、3人の娘を持つ第二夫人のスアン(マイ・トゥー・フオン)がおり、メイは三番目の妻となる。一族にはすでに第一夫人の息子ソン(グエン・タイン・タム)がいたが、若き第三夫人にはさらなる世継ぎの誕生が期待されていた。


まだ無邪気さの残るメイは、2人の夫人に見守られながら穏やかな毎日を送っていた。しかし次第に、ここでは世継ぎとなる男児を産んでこそ“奥様”と呼ばれることを知る。
ほどなくしてメイは妊娠。出産に向けて四季が巡る中、第一夫人も妊娠していることが発覚。時を同じくしてメイは、第二夫人のある秘密を知ってしまう。(作品情報 引用)

主役の14歳の新妻がかわいい。第三夫人ということであるが、第一、第二夫人と仲が悪いわけではない。どのように主人の寵愛を受け止めるのかを3人で話したりする。普通は憎しみあう構図を想像するが、そうではない。夏至で三姉妹が仲良かったのと似ている。第三夫人がグアバを食べようとすると、赤ちゃんには良くないよとアドバイスをもらえる。


天皇陛下の即位がなされた。同世代だけにさまざまな思いが浮かぶ。再度、女性天皇制が議論にあがっている。明治天皇までは側室がいた。大正天皇は明治天皇側室の1人柳原愛子が生んだというのは周知の事実である。何人も子供ができても病弱と言われていた大正天皇しか育たなかったのだ。医学が進歩していなかったともいえる。

基本的には男子直系を望む中で、夫人が何人もいるとか側室がいるというのは、近代医学以前では逆に合理的な考え方だったと思う。コーラン以来女性蔑視が激しいイスラム教国家で一夫多妻制になるのは仕方なかったかもしれない。


19世紀というこの映画の設定でも絹で財を成した富豪の家では、どうしても男子の後継が必要なのだ。第ニ夫人には3人の娘しかいない。主人公もなんとしてでも男子が欲しい。それを心から祈っている。第一夫人はもう一度男子を産もうとして流産する。それを見て秋篠宮家が執念で男子を産んだのを連想する。こういうのは難しい。
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映画「半世界」 稲垣吾郎&阪本順治

2019-10-23 17:17:47 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「半世界」は2019年公開の阪本順治監督作品


阪本順治監督の作品に稲垣吾郎が出演するということで、上映中から気になっていた。阪本順治監督作品で田舎町が舞台だというと、原田芳雄の遺作で三国連太郎も出演する「大鹿村騒動記」が好きである。

伊勢の海辺の町を舞台に、町を離れていた男が久々に帰還して、小学校中学校で同期だった3人が再会する。その3人を取り巻く紆余曲折を描く物語である。阪本順治作品の常連石橋蓮司などの芸達者が加わり、それなりのレベルであるが、今ひとつの感がある。

伊勢の海辺の町に暮らす高村紘(稲垣吾郎)とその妻・初乃(池脇千鶴)、息子・明(杉田雷麟)の家族は、父から受け継いだ炭焼き窯で備長炭を製炭して暮らしている。中学からの旧友で、海外派遣されていた自衛隊員の沖山瑛介(長谷川博己)が突然町に帰ってくる。瑛介は妻子と別れて、一人で故郷に戻ってきた様子だった。紘は、同じく同級生で中古車販売業を営む岩井光彦(渋川清彦)も呼び、十数年振りに3人で酒を飲む。翌日、3人は廃墟同然だった瑛介の実家を掃除し、住める状態にする。


紘の息子の明は反抗期の真っ最中で、学校でいじめられているようだが、紘は気に留めていなかった。紘は光彦から、息子に関心を持っておらず、それが息子にもバレていると指摘され、ハッとする。数日後、過去を引きずったまま仕事もしていない瑛介を、紘は自分の仕事に誘う。炭材のウバメガシを伐採し、枝打ちして短く切断して窯に火を入れる。炭ができると新規の顧客を開拓しようと営業活動をする。瑛介は、紘がひとりでやってきた仕事ぶりに驚きを隠せないが。。。 (作品情報引用)

1.イジメ
主人公稲垣吾郎の息子は仲間にイジメられている。母親にはそのうわさは入っているが、父親は関心がない。イジメ集団には1人親分がいて、あとは取り巻きだ。陰湿にやられている。いじめている方はさして気にしていないけど、やられている方は最悪というのはいつもの常。でも家ではあいつらにも良いところがあると言い訳している。

久しぶりに故郷に帰ってきた長谷川博己が旧友の息子へのイジメに気づく。これまで自衛隊で格闘の実戦訓練を受けてきたので、息子に格闘のコツを教える。こういうシーンがいい感じだ。やがていじめっ子に復讐する場面が出てくるというわけだ。

同時に中古車販売業を営む光彦のところで、金銭トラブルが起きてよからぬ連中の襲撃をうける。そこにも長谷川博巳の登場だ。なかなか活躍するね。


阪本順治監督は2つ物語にしたいことがあって、それを1つにまとめたという。多分イジメがその1つなんだろう。イジメ映画も復讐場面があると生きてくる。先日観た「ドッグマン」も復讐の場面で意外にも爽快な感触を覚えた。これも同じだ。

2.伊勢備長炭
稲垣吾郎は山で木を切り、窯で備長炭を作っている。親の家業を継ぎ、1人でやっている。ただ、家計は苦しい。これまでの取引先である旅館に納入しているが、旅館の主人からは料理には合わないと言われる。そこで立ち上がるのは池脇千鶴演じる奥さん、生活が苦しくなってもこういう職人タイプの男は何もしない。奥さんが乗り込むしかないのだ。池脇千鶴はいつのまにか肝っ玉母さんの役が性に合ってくるようになった。「そこのみにて光り輝く」以降は強い女としての存在感がある役をできるようになった。


旦那には同窓会へ行くと言って旅館に乗り込む。直談判するのだ。必死である。でもその頃自宅では異変が起きていたのであるが。。。
この終わり方はなんか不自然だなあ。


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映画「私が棄てた女」 浦山桐郎

2019-10-20 10:53:45 | 映画(日本 昭和35年~49年)

映画「私が棄てた女」は1969年(昭和44年)の浦山桐郎監督作品である。


1969年(昭和44年)のキネマ旬報ベスト10の2位の作品である。これも長らく見れなかったが、ようやくDVD化された。浅丘ルリ子が主演であるような映画ポスターであり、クレジットもトップである。今は妖怪のようになった浅丘ルリ子もこのころは美しかった。バストトップは見せないが、入浴シーンもある。実際には小林トシエがまさに「棄てた女」である。この映画で映る東京を見ているだけで懐かしく面白い。

自動車会社に勤める吉岡努(河原崎長一郎)は、社長の姪のマリ子(浅丘ルリ子)と社内恋愛をしていた。ある夜、かつては学生運動の仲間だった長島(江守徹)らとクラブに行きホステスの女(夏海千佳子)を抱いた。その女は努と会ったことがあるという。そしてミツ(小林トシエ)の噂を聞いて驚いた。ミツは努が学生時代に遊び相手として見つけた女工である。努が海岸におきざりにして逃げて別れたのだ。


マリ子と一緒に社長一家の別荘に向かう途中の道で、努は偶然ミツを見かけて追いかける。突然の再会にミツは泣き崩れた。ミツが子供を中絶したことなど努は知る由もなかった。社長一族との宴で努はかなり泥酔した。それでも努はマリ子と結婚した。しかし、努の心には、ミツを無残に見捨てたことへの思いがあったのだ。一方、ミツはその頃、借金をかかえて飲み屋で働いていたが、女工時代からの仲間しま子から努の結婚のニュースを聞いた。それでも彼女は努との思い出を大事にしていた。

ミツはひょんなことから知り合ったキネ婆さんが入った老人ホームに住み込みで働くようになる。ある日、努は業者の接待にきたホステスのしま子からミツの近況を聞き、会った。二人は結ばれた。その様子をしま子の情夫が撮影していた。マリ子の許にかつて努がミツに送ったラブレターが送られてきた。マリ子は、老人ホームで働くミツを訪ね罵倒し、手切金をつきつけた。手紙はしま子の仕業だったのだが。。。

1.浦山桐郎 キューポラのある街との比較
浦山の前作「キューポラのある街」では、川口の鋳物工場で働く父親東野英治郎をもつ中学生吉永小百合が主人公だ。川口の貧民エリアに住み、修学旅行にも貧しくて行けず、成績がいいのに高校にも行きたいのに行けない。まさに実際の浦和一女をロケして、校庭で体操する女子学生を恨めしそうに見つめる吉永小百合の姿を映す。これがせつない。その貧しい吉永小百合の友人である川口の富裕層のお嬢さんを登場させ観客に格差社会を訴える。
キューポラのある街
浦山桐郎


主人公河原崎長一郎は名前は出ないが、大隈翁の銅像が映る早大校舎と早稲田独特の学部章をつけた学ランで早稲田出身を示す。1960年の回想シーンが出てくる。安保闘争にうつつを抜かし、雑誌のペンフレンド募集の欄を見て町工場の女工であるミツと待ち合わせる。そして、処女のミツと無理やり交わる。当然相手のミツは積極的になる。でも河原崎は本気ではない。そして、関係を断ち切る。今は社長のメイである浅丘ルリ子と付き合っている。社長一族のお供で葉山の別荘に行く。みんなは横須賀線の一等車に乗って葉山に向かう。社長兄弟と一族が一家団らんする光景はいかにもブルジョアの世界だ。


川口と東京のブルジョア、レベルが違うかもしれない。でも、浦山桐郎が強調したいのは同じ格差社会である。今、盛んに格差社会について言われるが、昭和30年代から40年代の格差に比べればマシだと思う。

2.1969年の五反田
浅丘ルリ子河原崎長一郎が2人で乗っている自動車の車窓に移る山手線のガードは五反田駅みたいだ。信号待ちしていると横断歩道にミツの姿が見える。あわてて車から飛び出し追いかける。行き着くのは目黒川沿いの五反田の歓楽街だ。今はもうない。その昔は青線エリアともいわれた飲み屋でミツは働いている。このエリアは浅丘ルリ子がマドンナの映画「男はつらいよ 忘れな草」にも出たことがある。近くのガード上を古い型の池上線が走る。


自分はこの飲み屋街の目黒川を隔てて反対側にあった産婦人科で生まれた。今はラブホテルになっている。信号待ちしていた駅前の交差点横に当時大人気の不二家があった。その近くに自分の家はあった。この映画が公開された昭和44年は祖父が死んだ年、思い出はつきない。


3.1960年代の老人
ミツはひょんなきっかけで老人ホームに勤めるようになる。そこにいる老人たちはみんな和装だ。昭和40年代前半であれば、このおばあさんたちは明治生まれである可能性が高い。自分が子供のころのおばあさんというのはみんなこんな感じだった。この映画の数年後自分は小学校を卒業する。その写真に写る母親は全員絵に描いたように和装である。明治大正生まれが減るたびに和装は減る。昭和一桁だった母親たちが境目だったのかもしれない。



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映画「イエスタデイ」 ダニー・ボイル

2019-10-16 21:12:39 | 映画(自分好みベスト100)
映画「イエスタデイ」を映画館で観てきました。

50年を超えるビートルズ歴の想いがあり、それぞれの場面で思わず涙してしまいました。
誰もビートルズを知らない世界になって、ビートルズの曲を歌ってスターになるという映画があること予告編で知る。監督は「スラムドック・ミリオネア」ダニー・ボイルである。好きな監督だ。躍動感のある映像で音楽だけでなくビジュアル的にも十分堪能できた。

生バンドのカラオケで歌うときも、車に乗りながらCDを聴くときもメインはビートルズソングである。映画でどんな曲がかかるんだろう。それが気になって映画館に向かう。ほぼ満員の席には自分と同じようなオヤジも多い。みんなビートルズが好きなんだな。エンディングロールの最後まで席を立たない人が多かった。


イギリスの小さな海辺の町サフォーク、地元のスーパーで働くジャック(ヒメーシュ・パテル)は、売れないシンガーソングライターである。親友のエリー(リリー・ジェームズ)がマネジャーになって献身的にサポートしている。ロックフェスティバルに出演しても観客は仲間内だけで、からっぽの会場の中を子どもが走り回っていた。もうだめかと思った夜、突如世界中で12秒間の停電が発生する。

暗闇の中、自転車に乗っていたジャックは交通事故に巻き込まれる。意識が回復すると、前歯が2本抜けむごい状態になっていた。仲間で快気祝いをして、新しいギターをプレゼントをもらった。


ふさわしい歌をということで、ジャックは「イエスタデイ」を歌う。いつもと違うその旋律に仲間はうっとりする。どうしたんだお前!誰もがはじめて聴いた歌だという。「ビートルズ」の名曲だよ、そんなはずはないだろう。自宅に戻ってパソコンでbeatlesを検索すると、出てくるのはbeetleだ。気がつくと「ビートルズ」は自分しか知らない世界になっていたのだ。

記憶を頼りにビートルズの曲をピックアップして、自分のセットリストに加える。演奏するとジャックの歌をじっくり聴いている人がいる。SNSでも注目され、線路際のスタジオでCDをつくることにもなる。徐々に注目されるようになり、大人気ミュージシャンのエド・シーラン(本人)から、来週モスクワに帯同してくれとワールドツアーの前座を依頼される。しかし、エリーは中学で数学を教えていていけない。別の友人ロッキーを帯同してモスクワに向かう。そこでエドに匹敵する注目を浴びて、アメリカ・ロスのプロデューサーに目をつけられるのであるが。。。


1.イエスタデイの想い出
ビートルズが来日したとき、自分はまだ小学生低学年だった。でも世間が大騒ぎだったことはよく覚えている。来日公演はテレビ放映された。司会がEHエリックだったことは覚えている。でも、前座が長くなかなか4人がでてこない。当時8時過ぎには寝ていたので、テレビで演奏する姿は見れなかった。ただ、当時としては最新のオープンリールテープレコーダーが家にあった。父はしっかり録音して、その後そのテープはずいぶんと聴いた。もちろんイエスタデイは演奏している。


シングルとしてのイエスタデイはあった。短い曲である。そのころ、兄上が音楽好きの小学校の友人の家でビートルズの4曲入りのEPレコードを聴いた。中にはタックスマンが入っていた。税務署の調査でしぼり取られたことがある自営の父はお気に入りだった。ビートルズが解散したあと、中学の友人の家でベストアルバム的な「オールディーズ」を聴いた。そこにはこの映画のキーワードになる曲がたくさん入っている。その後自分でも買ってもらって、イエスタデイが好きになったのである。

主人公ジャックがアコースティックギターを弾きながら「イエスタデイ」を歌うとき、涙腺がまず爆発した。なぜかわからない。このメロディライン何度聴いたかわからないけど、はじめて聴くような感動であった。

2.バックインザUSSR
ホワイトアルバムの1曲目である。いつも車の中で聴いている。二枚組で盛りだくさんの曲が入っている中で、いきなりポールが歌うロックンロールだ。じっくり聴いているとビーチボーイズ風のコーラスも冴える。これをロシアのコンサートで歌うという設定がおもしろい。色白のロシア美人に大うけだ。この映像でごきげんになる。君が生まれる前にはこの国もアメリカではUSSRと言っていたんだ。よく知っているねと話しかけられる。自分が若い頃、ソ連はオリンピックではCCCPというウェアを着ていた。ロシア語であろう。でも我々はUSAが何の略かを覚えるのと同時に、Union of Soviet Socialist Republic を覚えたものだ。


ほかにも今でも自分が生バンドカラオケで歌う初期のI saw her standing there とかビートルズの最後の全米ヒットチャートナンバー1であるLong and widing roadなどが印象的で心にしみる。

エンディングでようやくポールが歌うヘイジュードがでてくる。心にしみすぎてみんな席を立てないようだった。

3.ダニー・ボイルとリチャード・カーティス
ビジュアル的なセンスがいい。英国の町もロスも美しく撮られている。しかも、大きなコンサートが2度映し出されるが、これも臨場感あふれてすごい。今までのダニー・ボイルの実力からすればお手の物であろう。主人公はインド系の俳優を起用している。スラムドック・ミリオネアを撮ったダニー・ボイルならではの起用という気がした。


結局ラブストーリーである。子供の頃から腐れ縁で常に応援してきたエリーとジャックのつかず離れずの恋を描いている。ビートルズの歌には基本的にラブソングが多い。ラブコメディ「ラブ・アクチュアリー」、「ノッティングヒルの恋人」の脚本家リチャード・カーティスが一緒に組めば鬼に金棒といえる。どうオチをつけるかと思ったけど、いいんじゃないといった感じだ。



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映画「まく子」 草なぎ剛&山崎光&新音

2019-10-15 20:43:16 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「まく子」は2019年公開の直木賞作家・西加奈子の同名小説を映画化した作品


SMAPが解散したあと、次々にジャニーズ事務所を離れた3人が田舎が舞台の映画に出ている。地方で主役というのはそれぞれスケジュールに余裕ができたんだろう。ここでも、草なぎ剛が出演していて、映画のタッチが自分に合いそうで気になる。でも時間合わずdvdスルーして手に取る。小学5年生の少年が身近に突然やってきた美少女の転入生と知り合うが、なんと彼女は宇宙人だったという話である。草なぎ君は主演というより脇を固めて、思春期に入ろうとする少年少女にスポットをあてる。のんびりしたムードがただよう小品だ。

群馬の山間部中之条町の温泉街が舞台、小学校5年生のサトシ(山崎光)は旅館を営む父親(草なぎ剛)や母親(須藤理彩)や隣接した社員寮に住む旅館の従業員とともに暮らしている。そんな旅館へ住み込みの女中とその娘がやってきた。娘のコズエ(新音)はサトシと同じクラスになる。


背もサトシより高く大人びたコズエはサトシに関心を持ち、下校の時も一緒に帰ろうと誘う。でも、思春期入りたてのサトシは気恥ずかしくてそれができない。それなのにコズエはサトシの後をついてくる。やがて2人は古城の跡に向かっていき、落ち葉をばらまくのである。どうやらコズエはまくのが好きなようだ。


そんな2人で話していると、彼女は自分は火星の近くにあるある惑星からやってきた異星人で、自分には「死」というものがないと告白するのである。

1.田舎の温泉街
家が密集している坂道のある路地を少年が走っていく。どうも温泉街らしい。伊香保温泉にも似たような小路があるので、そうかな?と思うけど、しばらくすると中之条町四万という文字が電柱に見える。町の名前は聞いたことがあるぞ。実際にある温泉街が舞台のようだ。地図を見ると、中之条町よりかなり北に四万温泉はある。これは秘境といってもおかしくないね。旅館は大勢の女中を雇わねば成り立たない。そこに女中としたやってきたのが女主人公の母親だ。浮気癖のある草なぎ剛は旅館の主人で、厨房にも入っている。映画では町の祭りもクローズアップする。小学校の生徒が手作りで神輿をつくりそれを担ぐ。でもここでの祭りはかついだ後壊してしまうのだ。

2.思春期の少年
小学校5年でこんなかわいい子が身近に来たらやばいね。一緒に帰ろうといわれただけでドキドキする。でも少年は気恥ずかしくてそれができない。その気持ちもよくわかる。この2,3年前だったら全然平気なのにできない。


本当にかわいい。仮に夢に出てきたら、この映画に出てくる少年のように夢精してしまいそうだ。ここでは何回も同じような性の目覚めのようなシーンが出てくる。少年が父親の草なぎ剛と一緒になってあそこを見せ合うシーンが出てくる。こんなことって男は普通しないと思うんだけど。男の心理がわからない監督が女性の鶴岡慧子だからなんだろうな。



3.異星人との別れ
我々はこれまで映画で異星人といろんな別れをしてきた。「ET」やアニメだけど「かぐや姫」とかね。でもこれがちょっと変わっている。自分が異星人ということを言いふらして、みんながいる前で母親と出発である。みんなに涙はない。それにしてもこの美少女、異星人といわれても違和感を感じない美貌をもつ。末恐ろしい気がする。
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映画「天才作家の妻」 グレン・クローズ

2019-10-14 21:59:45 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)

映画「天才作家の妻」は2019年日本公開の作品


グレンクローズといえば危険な情事の不倫騒動で、一度手をつけたマイケルダグラスにつきまとう狂乱のパフォーマンスを思い浮かべる。これはすごかった!すでに30年以上の月日がたち、熟年の役が目立つようになっている。当然演技派の彼女が出るだけで映画が引き締まる。

その彼女がアカデミー賞主演女優賞の最右翼となった作品が「天才作家の妻」(英題:the wife)である。ゴールデングローブ賞は受賞している。タイミング合わずdvdスルーとなったが、ようやく見れた。

まさに今はノーベル賞の受賞者が発表される時期である。受賞の知らせが来たことで夫婦で大喜びするが、実はストーリー立てして書いているのは受賞者の夫ではなく妻だという話である。アカデミー賞の作品賞にはならないだろうなあという部類である。でもさすがグレン・クローズ、ここでも存在感あふれる演技で映画のレベルを引き上げている。話のオチをどうおさめるのか気になってストーリーを最後まで追ってしまう。


小説家ジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)と妻ジョーン(グレン・クローズ)のもとに、ノーベル文学賞受賞の電話がスウェーデンよりかかってくる。二人は手を取り合って喜ぶ。そして、2人は授賞式が行われるストックホルムに向かう。搭乗機の中である男に話しかけられる。ジョゼフの伝記を書こうとするナサニエル(クリスチャン・スレーター)である。到着後、ジョーンは気分転換で外出しようとしたらナサニエルに再度声をかけられる。そして話を聞いて、夫と自分の「秘密」について知っているようで動揺する。

元々ジョゼフとジョーンは教授と教え子の関係だった。妻子がいるジョゼフが教え子に手を出してしまったのである。ジョーンは文才に恵まれていたが、自分の名前では誰も小説を読んでくれないとあきらめていた。一方でジョゼフにはジョーンほどの文才がなかった。

授賞式の晴れ舞台に向かおうとしたが、ナサニエルが息子にまで疑惑を語り始めたことを知り、ジョーンは動揺してしまう。また、ジョゼフが現地の女性カメラマンにちょっかいを出したことやこれまでの浮気癖に対する不満や怒りで爆発しはじめるのであるが。。。


1.ゴーストライター
どんな内容が小説で書かれているかは語られない。ここでは回想ということで、若き日の2人の姿を映し出す。若き日のジョーンは小説論を語る教授にあこがれる一人の若き女子学生に過ぎない。最初は娘のベイビーシッターをやってくれとバイトを頼まれるだけだった。


でも研究室で個人教授を受けるとジョゼフは手を出してしまう。そして、妻子を捨て結婚に至る訳である。ここでは、教授の書く小説に対して、登場人物にリアル感がないときつい論評をする彼女の姿がある。でも、こういう小説の評価と恋愛は別だといって結ばれ、結局は主に書くのが妻になっていくのだ。1日に8時間書き続けるというセリフもある。

ジョゼフの伝記を書こうとするナサニエルは、大学に保存されている妻ジョーンが書いた小説がよくできていること。夫が書いた若い日の短編があまり優れたものでないこと。前妻に取材したときに、夫が自分と別れてから文才を発揮するようになったことを聞いたことなどから、実は本当の作者はあなたでしょと妻ジョーンを問い詰めるのだ。

2.グレン・クローズのパフォーマンスと娘
ノーベル賞の受賞者がスピーチをするのは慣例のようだ。そこで、夫は妻のおかげで自分があるとばかりに賞賛する。それが妻が気に入らない。晴れのパーティ会場を去ってしまうのだ。ここから見せるグレンクローズの演技が見どころである。でも、このあたりの変貌は男性の自分にはよくわからないところだなあ。なんでこうなの?と思ってしまう。いかにも女性しかわからない不可解さだ。


ここでの若き日の想い出の映像でグレンクローズの若き日を演じるのはアニー・スタークである。なかなかいい女だと思ったら、なんとグレンクローズの実の娘だという。これはびっくりだ。


でも、生まれたのが1988年の4月だという。これって映画「危険な情事」の撮影くらいに仕込んだんじゃない。やっぱりあの映画は彼女にとっては大きな存在だということがわかるなあ。
危険な情事
グレンクローズの狂乱の記事

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映画「惡の華」 玉城ティナ&秋田汐梨

2019-10-11 05:43:27 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「惡の華」を映画館で観てきました。


押見修造の漫画を井口昇監督が映画化したもの。もちろん原作は未読。ボードレールの「悪の華」といえば誰しもが名前を知っていても、中身を知っている人は少ない。クリームのプロデューサーだったフェリックス・パパラルディがロックバンド「マウンテン」を結成した時に「悪の華」という名前のアルバムがある。そんな連想しているうちに、日経夕刊シネマ欄5点満点を始め映画評を見たら絶賛である。青春映画の傑作という響きに引かれて見に行ってしまう。これが想像以上にすごかった。

地方都市の中学校に、普通の男子中学生春日と強烈な個性の女子中学生仲村を放つ。男子生徒はボードレールの「悪の華」が好きだという文学青年。この女子中学生仲村が普通じゃない変態ぶりだ。映画では仲村がからんでいくつものヤマを作る。中高生を描くにはきわどいシーンもある。単なる起承転結に収まらないストーリーだ。漫画で長期にわたって連載されたものを130分あまりに凝縮する。内容は当然濃くなる。時間軸を巧みに飛ばした脚本のうまみも冴えている。

ある地方都市、春日高男(伊藤健太郎)はボードレールの詩集「惡の華」が好きな読書家の中学2年生だ。かわいくて勉強もできるクラスメイト・佐伯奈々子(秋田汐梨)にあこがれていた。ある放課後、春日は教室に忘れ物を取りに行った際、佐伯の体操着袋が落ちているのに気づく。


袋を開け、思わず体操着とブルーマーの匂いを嗅いでいたら、物音がする。あわてて体操着をもって飛び出してしまう。翌日学校に行くと、担任の先生が佐伯の体操着がなくなっていると騒いでいる。春日は知らん顔をするしかない。しかし、クラスの問題児・仲村佐和(玉城ティナ)が春日に声をかける。体操着を持ち帰るのを仲村が目撃していたのだ。そして、体操着のことを秘密にする代わりに、春日にある“契約”を持ちかける。こうして仲村と春日の悪夢のような主従関係が始まる。


その一方で、春日のパフォーマンスを男らしいと感じた佐伯は春日に急接近する。二人で会うようにもなるし、コクッテしまう。


しかし、その一部始終は仲村に監視されている。春日は、仲村からの変態的な要求に翻弄されていくのだ。

1.秋田汐梨
清楚で人気者の少女佐伯(秋田汐梨)がかわいい。かわいいだけでなく、勉強もできる役柄だ。自分の中学時代にこんなかわいい子がいたらとつい思ってしまう美少女である。


ブルーマー姿が思わず青春の香りを感じさせる。体育の時間に、女子生徒のブルーマー姿にはそそられたものだ。カメラが中学生男子の好奇心あふれる視線を巧みに捉える。性に関心を持ったときの自分を思い出す。秋田汐梨は出演者の中ではかなり年少である。かわいいけど、途中からの変貌の姿はもう大人の演技だ。15歳から16歳でこんな大胆になっていいの?という演技は関根(高橋)恵子の再来だ。将来が楽しみである。


監督が彼女しかいないとオーディションで言ったらしい。その気持ちは目線を中高生の自身に置き換えれば、誰しもがよくわかるであろう。

2.玉城ティナ
強烈なのは玉城ティナだ。昨年映画「響」を見た。ここでの平手友梨奈が圧倒的な存在感を示した。響は文才があるという役柄で、この映画とは若干違う。でも、メガネの下の眼光の鋭さに同様のものを感じる。

春日を手玉にとる。文学青年ぽく気取る春日に対してお前は変態だ。変態を自覚しろとばかりに詰め寄る。宗教に入り込むが如く春日も悪魔的な仲村に惹かれていく。SMの女王を思い浮かべさせる激しさだ。いくつかの山を作るが、なかなかここまでは演じられない。この子も逸材だ。最終に向けての海辺のシーンが好きだ。


3.桐生
お祭りのシーンで桐生が舞台ということがわかる。栃木に5年すんでいるころ、隣県とはいえ桐生の町は何度か行った。桐生、太田、栃木県だけど足利は3つで上毛エリアでワンセットという感がある。川沿いを自転車で走るシーンが多用される。渡良瀬川だろう。森高千里がこの歌で舞台にした渡良瀬橋は下流の足利だ。何もない町だというけれど、地方都市独特のムードを持った場所である。

仲村は両親が離婚して父と祖母と3人で暮らす。その祖母役が名優佐々木すみ江である。映像で観ていてそうかなと思ったけど、亡くなったはずだから出ているわけないだろう。そうしたら、エンディングロールで佐々木すみ江の名前をみて思わず合掌した。長い間脇役で頑張っていたもんね。
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映画「ジョーカー」 ホアキン・フェニックス

2019-10-10 06:44:38 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ジョーカー」を映画館で見てきました。


「バッドマン」でのジャック・ニコルソンダーク・ナイトヒース・レジャーの2人が演じたジョーカーはいずれもすごい存在感があった。いずれも映画史を代表する傑作である。その2人の面影を心に持ちながら、映画館に向かう。ここでは1人のさえないコメディアンが狂人ジョーカーになっていく過程を描く。ホアキン・フェニックスのワンマンショーといってもいいだろう。ロバート・デニーロが有名ニュースキャスター役で登場する。監督はハングオーバー」のトッド・フィリップスがつとめる。

重厚感のある映画である。映像に迫力がある。音楽も肝心なところで響き渡るが、いやらしさはない。架空の都市ゴッサムシティではあるが、70年代前後のニューヨークを意識していることは明白、ネットや携帯電話とは無縁の一時代前を舞台にする。

地下鉄内での格闘が最初のヤマ、一時代前のニューヨークの地下鉄である。映像が進むにつれ徐々に緊迫感が高まりジョーカーが銃を取り出すところで、心臓の鼓動が高鳴る響きを感じる。ヤマはそれだけでない。二重三重に波をうつ。構成的にはお見事である。傑作だと思う。

孤独な男アーサー(ホアキン・フェニックス)は、「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを目指している。介護している母親は若干ボケが入っている。若い頃、母は大富豪のウェイン家で働いたことがあり、生活苦を訴え手紙を書いているが、返信はない。笑いが止まらない病気をもち、繊細で不器用なアーサーは周囲になめられている。しかも、本人が悪くない不祥事に対しても周囲は厳しい。


同僚から押し付けられ持っていた拳銃を子供たちの目の前で落としてしまい、大道芸人の仕事をクビになる。ピエロメイクのまま地下鉄に乗って帰宅途中に、絡んできた男性3人を撃ち殺してしまう。しかし、その後何もなかったように月日は流れる。同じアパートに暮らす黒人女性のシングルマザーであるソフィーに密かに好意を寄せながらコメディアンとしてステージにも立てた。


そのパフォーマンスが注目され、人気テレビキャスターであるマーレイ・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)が司会を務める、憧れのトークバラエティ番組への出演依頼が届くのであるが。。。


この映画ではジョーカーことアーサーは黒人のシングルマザーに心を寄せる。偶然だが、ブログアップしたばかりの映画「パリに見出されたピアニスト」でも主人公は黒人女性と恋人関係にある。ここに来て、人種の境を超えることが諸外国では普通になってきたのであろうか?

1.ピストル
ピエロの格好といってもサーカスというわけではない。街頭での呼び込み宣伝のようなものだ。昔で言えば、チンドン屋が近いか。街頭でパフォーマンスをしていたら不良少年たちに看板を取られてしまう。懸命に追うが、看板はつぶされてしまう。そんな悲惨な姿からスタートだ。事務所の幹部からは怒られ最悪である。それを見かねた同僚がピストルをアーサーに預ける。周囲になめられないようにということだ。このピストルが映画の最後まで重要なツールになるのだ。


2.バッドマンとウェイン家
ジョーカーのルーツ話に対して、バッドマンのルーツも語られる。ジョーカーことアーサーの母親は若い頃、バッドマンことブルースウェインのウェイン家で奉公をしていたようだ。アーサーの母親は若干妄想癖があり、アーサーはあなたの息子だとブルースの父親トーマス・ウェインに手紙を書いている。手紙をのぞきみて、もしかして自分はウェイン家の息子だったのかと乗り込んでいく場面がある。でもこれも真相がわかっていき、怒りをいろんな方向にぶつけるようになる。

3.覆面デモ
貧富の差の激しさに対して、立ち上がろうとするデモが繰り広げられている。ウェインの経営する証券会社で働くエリートビジネスマンが3人殺される。目撃した人によると、犯人はピエロのような風貌だという。世論ではリッチマンが銃で撃たれたことに支持する新聞記事が多い。格差に反発したデモは増長する。

みんながピエロの覆面をしている。いかにも香港の若者が中国当局や香港政府に反発するデモを連想される。当然、そんなこととは関係せず映画は作られている。公開と重なるタイミングで香港で覆面禁止となったのがすごい偶然である。これってタイムリーだ。




「クリーム」のホワイトルームが最終に近い場面で高らかに流れる。ジャック・ブルースのリードボーカルに、若干音痴な歌をきかせるエリック・クラプトンのボーカルが続く。ホワイトというのはジョーカーのメイクを意識しているのか効果的な使われ方をしている。


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映画「パリに見出されたピアニスト」ジュール・ベンシェトリ

2019-10-09 20:24:34 | 映画(フランス映画 )
映画「パリに見出されたピアニスト」


1人の青年が駅の構内にある誰でも使えるアップライトピアノでバッハを弾いている。その演奏を見て才能を見出したパリ国立音楽院の教授が特訓してコンクールに出場させるという話である。ラフマニノフのピアノ協奏曲2番というのは自分の好きな曲、その曲が流れるという理由だけで見た映画はいくつもある。映画「パリに見出されたピアニスト」を観るきっかけである。

主演のピアニストを演じるのは若きジュール・ベンシェトリ「男と女」のジャン=ルイ・トランティニャンを祖父にもつ。英国の名女優クリスティン・スコット・トーマスが出演する映画はいつもながら質が高い。これもそれなりの映画なんだろう?と期待する。でも結果は普通かな。

パリ北駅に「ご自由に演奏を!」そう書かれたピアノがある。一人の青年マチュー・マリンスキー(ジュールベンシェトリ)が華麗にバッハを弾いている。パリ郊外の団地で母親、弟と暮らしている。幼い頃にふとしたきっかけでピアノと出会ったマチューは、裕福ではない家庭で育ったため、正式な音楽教育はうけられない。友人や家族にも内緒で練習していた。

ある日、マチューが駅でピアノを弾いていると、その演奏に足を止めた男が一人いた。パリの名門音楽学校コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)でディレクターを務めるピエール・ゲイトナー(ランベール・ウィルソン)だった。マチューの才能に強く惹かれたピエールは、声をかけ名刺を渡すが、マチューは逃げるように去ってしまう。その夜、仲間と盗みに入った家でグランドピアノを見つけたマチューは弾きたい衝動を抑えきれず、警察に捕まってしまう。実刑を免れないと言われたマチューに手を差し伸べたのは、ピエールだった。

コンセルヴァトワールでの清掃の公益奉仕を条件に釈放されたマチューは、ピエールからもう一つ条件を言い渡される。それは、女伯爵との異名を持つピアノ教師エリザベス(クリスティン・スコット・トーマス)のレッスンを受けることだった。望まないレッスンに、マチューは反抗的な態度をとる。エリザベスもさじを投げかけたが、ピエールの熱意に動かされてレッスンを続けるのであるが。。。(作品情報 引用)


1.社会の底辺で彷徨う主人公
母子家庭である。小さい弟がいる。ピアノは好きだけどまともな音楽学校に行くような金はない。付き合っている友人は窃盗の常習犯でまともでない。そんな連中と金持ちの自宅に忍び込んで宝飾類をかっ去ろうとする。その家にはピアノがある。仲間が盗んで逃げていくのに、ピアノを弾いて自分の世界に入り込んでしまう。そんなわけで逃げおくれ捕まってしまってブタ箱へ。音楽院の教授が引受人になって公益福祉事業と称した音楽院の清掃作業をやることになる。

最近は日本でも格差社会が問われ、育ちや家庭環境で大きく差がつくことを論じる本が目立ってきた。「ケーキの切れない非行少年たち」という本が最近では興味深かった。その本にもある最悪のパターンに当てはまる育ち方だろう。マチューは絶対音感がある少年である。小さい時に老ピアノストに才能を認められるシーンがある。ディテールがないので つながりがよくわからない。実際にこういったことってありうるか?才能の突然変異ではなかなかそうならないかも?とは思う。

2.黒人のチェリスト
主人公が音楽院でレッスンを受けている時に、黒人の女の子と知り合う。チェリストである。何度も出会っているうちに、彼女から食事しようと誘われるが、その店に入ろうとしてドレスコードで引っかかる。待合せなのに入れない。それでもチャンスは訪れる。2人で中華料理へ行く。そうして2人の距離は接近する。こういう白人と黒人との恋愛という場面が珍しくなくなってきた。

3.コンクール出る前に
ピエールは、マチューをコンクールで上位に入賞させる夢を持ち鍛える。練習はきびしい。マチューの手に痛みが走り、医者に診てもらったらけんしょう炎であることがわかる。3週間は手を動かすなと。コンクールまであと一ヶ月である。しかも、恋人のアンナとはちょっとしたことでケンカする。ピエールの妻はお互い恥をかかないようにコンクールには出ないほうがいいという。一気にやる気をなくす。学校側は万一マチュが出ないことまで想定して、別の人間に練習させている。

映画の筋を盛り上げるために障害をいくつも用意する。ギリギリセーフの状況がつくりたいようだが、ちょっとうっとうしいかな。


4.ラフマニノフのピアノ協奏曲2番
大好きな曲である。かなり多くの映画で使われているが、最も有名なのはデイヴィッドリーン監督映画「逢びき」であろう。有名な第一楽章の主題が2人が出会う駅を機関車が全速力で滑走するスタートの場面で流れる。各場面では三楽章それぞれを全体的にならして、美しいバックミュージックとして流れる。あとはマリリンモンローの「7年目の浮気」もあるが、ラフマニノフの伝記映画をみたときにはこの曲の比較的出番が少ないと感じた。映画「シャイン」ではラフマニノフのピアノ協奏曲3番がキーポイントの曲となる。いずれも難曲である。

この映画を見ていて、改めて和音演奏の難易度が高いことと感じる。
ラフマニノフ自体はものすごく大きな手をしていたらしい。




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ラグビーワールドカップ「ニュージーランド対ナミビア」観戦記

2019-10-06 18:28:15 | 散歩
ラグビーワールドカップ「ニュージーランド対ナミビア」を娘と見に行ってきました。

新宿駅から京王線に乗って、飛田給駅の東京スタジアムに向かう。
電車は大混雑、外国人比率は半分以上、オールブラックスファンが目立つが、中には白人でナミビアのユニフォームを着た人がいる。


スタジアムに向かう道も外人比率が高い。


いよいよ東京スタジアム
スタジアム入る前、至る所で缶ビール売っているけど、会場内持ち込み不可。飲みきりだね。


前から8列で比較的センターライン寄り、おっといい席だ


ハイネッケンは700円、噂のビール嬢が注いでくれる。
娘は味が若干薄いのではと


オールブラックスの試合前恒例のパフォーマンス


最初に点を入れたのはなんとナミビアのペナルティキック
スクラムハーフが蹴るのは珍しい




力の差は誰しも認めるが、ナミビアのキックが好調
オールブラックスゴール二回失敗で、なんと10対9なんて場面も


つかの間の善戦に、隣がナミビアの応援団で大騒ぎ


でもこれが限界
実力は当然差があるので仕方ない。後半は完全なワンサイドゲーム
途中から判官贔屓で会場内はナミビアの声援が目立つ、これはこれでよかった。

一生に一度のラグビーワールドカップ
ワンサイドゲームでも十分堪能しました。

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映画「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」 ジェシー・アイゼンバーグ

2019-10-02 20:55:22 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち」を映画館で見てきました。


金融商品の0.001秒を争う超高速売買は素人投資家にとっては別世界、日経平均株価採用の大型株の値動きなどを見ても特に朝のうちは目まぐるしい。実際には自分たちがボードで見れる以上の動きをしている。ライバルの一寸先を行くためにウォール街の一角でより早い高速売買のシステムを構築している人がいる。この映画では高速回転売買でこうやって儲かるというのは特には語られない。高速売買用の回線を通すために奮闘する若き2人に焦点を絞る。

主演のジェシーアイゼンバーグといえばフェイスブックのマーク・ザッカーバーグを演じた映画「ソーシャルネットワークの早口セリフが思い出される。機関銃のように放たれるセリフを聞いて当時圧倒された。ウディアレンは自分と似た早口タイプと思ったのか、「ローマでアモーレ」「カフェ・ソサエティ」でジェシーを起用する。その特性が活かされる。

主人公は行動力があり、前進あるのみの男である。遠大な構想を実現するため計画を立て、スポンサーに取り入って資金を調達する。地上げも着実に実行して行く。働き方改革で軟弱になりきった若者と比較すると、こういう人物を見ていると気持ちがいい。

ヴィンセント・ザレスキ(ジェシー・アイゼンバーグ)と、従兄弟のアントン(アレクサンダー・スカルスガルド)は、ニューヨークで株の高頻度取引を進めるトレス・サッチャー社で働いていた。株の取引はミリ秒(0.001秒)単位の差で、莫大な損得が発生するので、システムを構築することに血眼になっていた。トレス・サッチャー社では、マイクロ波タワーの建設や光ケーブルを計画中だが、巨額となる予算などに難航していた。


ヴィンセントが思いついたのは、カンザス州にあるデータセンター近辺と、ニュージャージー州にあるNY証券取引所のサーバーまで、1,600kmの直線距離に光ファイバーケーブルを敷くことだった。シカゴとニューヨークの間での最短アクセスが可能になり、大金をもたらすという仕組みだ。

現在、17ミリ秒かかるアクセス時間を、16ミリ秒に縮めるだけで、このケーブルを使えば年間500億円以上の収益が見込めるはずだと、ヴィンセントは確信する。掘削とケーブル用のパイプ埋設のプロフェッショナルであるマーク(マイケル・マンド)とも手を組み、アントンと一緒に会社を辞めたヴィンセントは早速、ケーブルが通る土地を所有する、一万もの物件の買収に取り掛かった。

最初は不審に思った土地の所有者たちにも、高額の配当をちらつかせ、買収は順調に進んだ。水平掘削機によってケーブル敷設が進むが、直線距離で通過するアパラチア山脈は国立公園であるうえに、花崗岩を掘削するのが難しい。16ミリ秒を達成するのは不可能だと考えるアントンを横目に、ヴィンセントは大風呂敷を広げて政府にコネをもつ要人も説得。国立公園内を横断する掘削についての許可を取り付ける。


ヴィンセントとアントンが突然会社を辞めたことに、上司のエヴァ・トレス(サルマ・ハエック)は怒り狂っていた。ヴィンセントはともかく、ミリ秒短縮のアルゴリズム作成の天才であるアントンを手放したくないのだ。エヴァは退職後の彼らの行動を監視。カンザス/ニュージャージー間のケーブル計画を知る。

0.001秒を短縮するために、ホテルの部屋にこもりきりとなったアントンの居場所も突き止めたエヴァが、ヘリコプターで乗り込んで来た。そして、かつて社内の重要コードを持って退職した元社員に対し、FBIの力も借りて罪を着せ、エヴァはアントンを脅迫する。(作品情報 引用)

主人公ヴィンセントには葛藤がいくつもある。技術者である従兄弟のアントンに言うこと聞かせるのもストレスだ。
⒈元会社の上司からの妨害、⒉土地買収、⒊資金繰り、⒋予測が難しい工事進行状況、⒌病魔 このくらいストレス要因があれば、誰しもが身体を悪くするだろう。胃がんになってしまう。主人公には女の影はない。ひたすら仕事をするのみである。

54班に分けた分業とはいえ1万軒もの土地買収というのは半端じゃない。中には強行突破することもある。通させてくれないというのなら、30メートルより下の地下掘削を試みる。地下深くは石油などの利権がなければ普通の所有権とは別だというのだ。抵抗に遭いながら、深く掘る。配管工だったという父親の血筋をひいているがごとく。


いとこのアントンは超高速回転売買をするためのシステム構築に向けてチームを組んでいる。プライドの高い口うるさい女上司から叱責をうけながら、懸命に取り組んでいた。でもいとこのヴィンセントの勢いにおされ、カンザスからニューヨークの回線を通すためのプロジェクトに参画する。回線スピードを0.001秒単位で縮めるシステムサポートに着手する。うまく行く保証はない。狂気と紙一重のレベルでその才能を生かそうとする。

乱気流という言葉で取り乱すくらい飛行機が怖い。もともとは小心者で普通に娘をかわいがるいいパパなのだ。元の上司のプレッシャーにも耐えながら、技術面を請け負っていく。


最終的にはハンフリーボガード「黄金」イヴ・モンタン「恐怖の報酬」の匂いも感じさせる作品である。
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