映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「キッズリターン」北野武

2019-07-02 05:36:55 | 映画(日本 1989年以降)


キッズ・リターン
金子賢,安藤政信


映画「キッズリターン」は1996年の北野武作品だ。

「キッズリターン」は1996年のキネマ旬報ベストテンで2位の高評価を受けている作品だ。北野武は出演せず、監督に徹している。機会がなく見れていなかった。教師に逆らってばかりいるはぐれ高校生2人が主役で、ボクシング、やくざの道それぞれの頂点を目指して悪戦苦闘する話である。


見ていて、最初は単なる不良のいたずら話かと思ったら、ボクシングジムに2人が入門するあたりからテンポがよくなる。さまざまな登場人物を好位置に配置して、2人のゆくえに大きな影響を与えさせる。

脇役を充実させ、重層に展開させる北野武の脚本が実にうまい。もともと大学では工学部であった北野武が他の作品以上に綿密な設計図を書いて「キッズリターン」をつくった軌跡を感じる。出演していない分、客観的に映画作りができているのではなかろうか。疾走感のある映像を映すカメラの巧みさも冴え、傑作と言えるものとなっている。

18歳の秋、シンジ(安藤政信)とマサル(金子賢)はいつもつるんで学校をサボってはやりたい放題の毎日を送っていた。ある夜、ヤクザ(寺島進)に絡まれたシンジとマサルは、それをいさめた組長(石橋凌)の貫禄にさすがだと感じる。そんなころ、以前にカツアゲした高校生が助っ人に呼んだ男にのされてしまったマサルは、自尊心をひどく傷つけられ、自分もボクシングを始めるのだった。


酒もタバコもすっぱりやめたマサルは、毎日ジムに通って練習に励んだ。そんなマサルに連れられてジムを訪れたシンジも、なりゆきからジムに入門することになった。ところが、遊び半分のスパーリングで、マサルに鮮やかなカウンターを浴びせたシンジは、センスの良さをジムの会長(山谷初男)に認められ、本格的にプロを目指すことになる。面白くないマサルはジムをやめ、以前出会った組長のもと、ヤクザの世界に足を踏み入れてしまう。マサルは学校にも来なくなり、互いに顔を合わせることもなくなっていった。

高校を卒業したシンジは、いよいよプロボクサーとしてデビューし、着実にその才能を伸ばしていた。マサルは今では子分をかかえてシマを任されるまでにのし上がっている。ある日、マサルがシンジを訪ねてジムにやってきた。ふたりは、お互いにそれぞれの世界でトップに立った時にまた会おうと約束する。


1.脇役の使い方のうまさ
ヤクザの組長(石橋凌)、若頭(寺島進)、ジムの先輩のハヤシ(モロ師岡)、同級生で漫才をやるコンビ、内気な高校生と常連の喫茶店の母娘など、各登場人物に意味を持たせてつなげている。北野武の脚本は重層構造で、物語に深みを持たせる。同時並行で同級生たちの成長物語を語っていく。


シンジの先輩のハヤシのうまさはこのあと語るが、やくざの組長の石橋凌がうまい。突っ張っているマサルが若頭に突っかかっていくときに、見どころある若者だとみなしてか組長は優しく取り扱う。その組長はタバコを買ってきてと一万円札を渡す。釣りはいらねえよというその見栄っ張りぶりを繰り返し見せる。よくありげな感じだがらしさがにじみ出ている。

2.ボクシング映画のもつスピード感
カツアゲの仕返しで連れてこられたどこかのアンちゃんに、マサルがパンチで仕留められる。粋がってもケンカの実力がないことに気づき、ボクシングジムに入門する。ところが、マサルの付き合いで入門したシンジのパンチをみて、トレーナーが筋の良さを認める。

教えていくと面白いくらい上達して、結局マサルよりシンジの方が強くなり、マサルはボクシングジムを辞める。そして、ジムで指導を受けながら勝ちまくっていく。このあたりの展開がいかにもスポーツ映画特有の上達への一本道だ。こういうときのスピード感は見ていて心地よいものだ


ところが上昇もあれば、下降もある。元新人王だというハヤシという先輩は、飲みにつれていったりシンジを誘惑にさそう。普通ボクシング映画では、「レイジングブル」のジョー・ペシ、漫画でいえば丹下段平のように狂ったように指導の鬼と化すトレーナーがいるものだが、ここではそこまでの存在ではない。そのためか、先輩の悪影響だけで徐々にペースを崩していく。でもこの転落があるからこそ映画が成立する。

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映画「彼女が水着に着がえたら」 織田裕二&原田知世

2013-09-17 18:23:57 | 映画(日本 1989年以降)
映画「彼女が水着に着がえたら」は89年バブル絶頂時につくられたホイチョイプロダクションの作品だ。
人気絶頂の原田知世のお相手となるのは、「東京ラブストーリー」でブレイクする前の織田裕二だ。

ホイチョイプロダクションによる前作「私をスキーに連れて行って」は今もって色あせない若者のバイブルだと思う。スキー人口が減りゲレンデが寂しくなっても、冬になればこのdvdを見て冬のリゾートを楽しもうとわくわくする人は多い。
「彼女が水着に着がえたら」は一転マリンスポーツが基調となる。スキューバ好きの人口は今も昔も変わらないのでは?今の若者が見ても十分楽しめるのではないだろうか?何しろこの作品での水上バイクなどの使い方は凄すぎる。

アクション映画を見ていると錯覚するほどだ。しかも、桑田圭祐の歌が全開、これほどまでサザンの曲が映像にマッチしている映画はないだろう。

朝鮮戦争時、戦争成金のチャーター機「ドラゴンレディ」が、宝石を積んだまま相模湾上空で墜落し海底に沈んだ。映画ではその財宝を自分のものにしようと狙う中国人の一味が映される。
22歳のアパレル会社OL・田中真理子(原田知世)と同僚の恭世(伊藤かずえ)は大のスキューバ・ダイビング好きだ。金持ちのプレイボーイ・山口(伊武雅刀)に誘われ、豪華クルーザーのアマゾン号に乗り込んだ。二人はクルーザーの仲間とともに深く潜る。皆とはぐれた際に海底で飛行機らしき残骸を見つけた。ところが35Mまで深く潜りすぎたことに気づき、慌てて水上に戻る。
そこでヨットのツバメ号を操る大塚(谷啓)と吉岡(織田裕二)に助けられた。その晩、アマゾン号のパーティに戻り、二人は突然襲ってきた大塚らに連れ去られる。アマゾン号の仲間も追う中、海辺の店に逃げ込む。しかし、これはアマゾン号とツバメ号の恒例の女の子争奪ゲームだった。
店内の写真パネルを見て、今日見た飛行機だと真理子が海底の残骸について話すと皆はびっくりする。山口と大塚はともに財宝探しをしていたのだ。そんな中真理子と吉岡はお互いに好意を持つが、なかなか素直に心を打ち明けることができない。そうしているうちに大塚が何者か怪しいボートに襲われて入院。その間に飛行機も引き上げられてしまった。真理子と吉岡は「山口の仕業に違いない」と腹を立てる。実は襲った犯人は恐るべき第三者だったが。。。

原田知世もそうだが、ベリーショートヘアの伊藤かずえ のメイクがまさに昭和の終りのメイクだ。

眉毛が濃い。そんな彼女たちがスキューバで泳ぐのは、湘南ベイエリアだ。いきなり海の中のシーンになり、水中スクーターが出てきて、集団でダイビングを楽しむ。ここで流れるのはサザンの「ミスブランニューデイ」だ。カラオケでさんざん歌ったなあ!この曲は。いかにもホイチョイ映画らしい盛り上げ方だ。
そのあとも海上を走るはずのホーバークラフトが陸上を走って、車と競争するシーンなんて凄いなあと思う。これってもしかしてコンプライアンス上ヤバいんじゃないと心配してしまうが、89年当時だとまだまだ引っかからなかったのかもしれない。

映画のストーリーはたいしたものではない。
それよりも、今から24年前の遊び人の偶像を見て楽しむといった感じだ。
ホイチョイプロダクションは本当にすごい。このあと91年に湘南を舞台に映画「波の数だけ抱きしめて」を製作し、94年に「東京いい店やれる店」を出版する。そういえば、今人気絶頂の「今でしょ」の現代国語の林修先生が若手芸能人恋愛講座を最近テレビでやった時、引用したのがこの本だ。この本の凄味は別に語りたい。


テーマ曲が「さよならベイビー」、調べて初めて知ったがサザンにとって初めてのオリコン№1だったそうだ。てっきり「いとしのエリー」だと思っていた。89年生まれて初めて東京から大阪に異動した時だった。車の中でFM802をよく聴いた気がする。ビーチボーイズの「ココモ」も同じくらいだったかな?よく流れていたなあ。未知の場所で彷徨った思い出がよみがえった。

参考作品

彼女が水着にきがえたら
原田知世&織田裕二で昭和の終わりを楽しむ


波の数だけ抱きしめて
中山美穂&織田裕二


私をスキーに連れてって
これを見たらスキーに行きたくなる
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映画「あ、春」 佐藤浩市

2013-06-21 19:25:54 | 映画(日本 1989年以降)
『あ、春』は1998年に相米慎二監督、佐藤浩市主演で制作されたホームドラマである。
その年のキネマ旬報ベストワンとなっている。

「ニ流小説家」「嘆きのピエタ」いづれも生死不明の親が突如出現する物語だった。
それを見ながら、「あ、春」を思い出す。
良家の娘と結婚して平凡な生活を送るエリートサラリーマンの主人公の前に、死に別れたはずの父親と名乗る男が現れ大騒ぎになる話だ。ほのぼのとしたムードが流れる中、父親山崎努の大暴れぶりが見ものだ。


主人公韮崎紘(佐藤浩市)は、一流大学を出て証券会社に入社、良家のお嬢様・瑞穂(斉藤由貴)と逆玉結婚して1人息子にも恵まれていた。実の母親(富司純子)からは幼い時に父親と死に別れたと聞いてきた。ところがある日、彼の前に父親だと名乗る男が現れたのである。酔った帰り道に絡んできた男・笹一(山崎努)を、いきなりは父親だと信じられない。それでも、笹一が話す内容は紘の記憶と符合するものもある。妻の母親(藤村志保)と一緒に住む自宅に笹一を連れて行った。
しかも、実家の母親に確認すると、まだ生きていたの?という反応だ。笹一は遊び人でどうしようもない男だと言う。

それでも、彼を追い出すわけにもいかず、笹一をしばらく家で預かることにした。笹一は庭の草木の手入れや男手の要る仕事をこなしたり、節分には鬼を演じて子供もなついて喜ばれたりもした。しかし、昼間から酒を飲んだり、幼い息子にちんちろりんを教えたりした後、義母の風呂を覗いたのがばれ笹一は追い出された。

笹一は近所の公園に棲家があるホームレスの男たちと一緒に生活するようになる。ところが、街角で酔ったサラリーマンに暴力を振るわれているのを見て、息子が助けたことから、再び同居するようになる。それからも悪びれる風もなく一緒に暮らす。証券不況が続き、会社も倒産がささやかれるのが紘は家も会社も問題を抱えている状態だ。

そんなある日、笹一の振る舞いを見かねた紘の母・公代が来て、紘は笹一との子ではなく、自分が浮気してできた子供だ、と告白する。その話に身に覚えのある笹一は、あっさりその事実を認め、荷物をまとめて出て行こうとするが、その途端に笹一が倒れてしまう。病院の診断では、末期の肝硬変だというが。。。。

この映画は98年に製作という世相をあらわしている。山一證券他いくつかの証券会社の倒産が97年の秋だった。北海道拓殖銀行の倒産も世間をあっといわせた。
そのころからリストラが盛んになり、職を失った人たちが増えていく。ホームレスもあちらこちらで見られる。ホームレスの男たちをいたぶる男たちがいることも話題になった。
主人公とそれを取り巻く環境はその縮図のようだ。

この映画はそういう世相の中、それぞれマイペースに生きる人を取り上げる。
キャラが浮世離れはしていない。それなので自然に入っていける。

佐藤浩市と同僚村田雄浩との会話はリアリティがある。2000年をピークとするIT相場があるので、98年くらいから相場はよくなるけど、信用不安があるので、証券も銀行も強者にお金が集まる傾向があった。証券は野村證券、銀行は東京三菱銀行のそれぞれ1人勝ちだった。それ以外であれば、かなり厳しい状況だったのではないか。主人公が客先に電話をして、以前は取引の多かった顧客が口座を引き上げる場面が出ている。その時、主人公が勤める証券会社はかなりやばい状況になっていて、村田演じる同僚は次の勤め先を探している。そして見つける。主人公を誘う。
それでも主人公は転職を決意しない。そのうちに状況は悪化する。
この頃のサラリーマン事情を良く捉えている印象だ。

その奥さん役の斉藤由貴がかわいい主婦を演じる。精神状態が不安定である。別に旦那が悪いわけでない。ちょっとしたことでもストレスに感じる弱い女性を演じているのだ。そんな彼女は最初は山崎努を嫌がるがホームレスになっているのを見て同情する。むしろ夫よりも感情流入している。
父親がいない娘をうまく演じている。

母親役は藤村志保でお嬢さんテイストが染み付いている女性という印象だ。フェリス女学院から大映女優になるという絵に描いたようなキャリアで着物が似合う。
成金じゃないお嬢様上がりのおばあさんを演じるのはお手の物だろう。

富司純子がいつもとちょっと違う役を演じる。主人公の母親だが、やり手オバサンのテイストだ。丹沢のドライブインを切り盛りしている。いい年をしているが、彼女目当てに来るトラック運転手も多い。
すべてのお客さんにいい顔をして愛想を振りまく。息子夫婦の三浦友和、余夫婦とは合わない。その彼女が昔の連れ合いの出現に戸惑うが、狼狽するわけではない。腰が据わって堂々としている。ヤクザ映画で備わった貫禄だろう。

それぞれの個性がまざり良い映画になった。
相米慎二監督が今でも生きていればとつくづく感じる。

あ、春
リストラが始まったころの日本
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波の数だけ抱きしめて  中山美穂

2011-07-27 22:26:29 | 映画(日本 1989年以降)
「波の数だけ抱きしめて」は織田裕二、中山美穂のトレンディドラマのスターを中心にした1991年の映画。ホイチョイプロダクションの制作だ。今でも雑誌等で名をなすプロダクションの中心人物馬場康夫の監督作品だ。1982年の神奈川県・湘南にあるミニFMを舞台にして、当時の湘南ボーイ&ガールの日常を描く。いかにもホイチョイプロダクション制作らしいセンスの良さが満ち充ち溢れていてみていてご機嫌になる。同世代の逸話だけに気持ちが童心にかえるような気がする。バックの選曲のセンス良さは飛びぬけている。



1982年5月江の島から茅ヶ崎に向かう湘南の海辺が舞台だ。黄色のワーゲンにのった軟派男こと別所哲也が彼女とデートの途中、砂浜をドライブしようとしてタイヤが砂にはまり空回りする。あたふたしている彼を色黒の美女こと中山美穂が助ける。一目ぼれした別所は美穂を追う。名乗らない美穂はバイト先のサーフショップに入っていく。彼女はそこを拠点にしたミニFM局のDJだったのだ。
大学4年生の男女それぞれ2人の4人はミニFM局Kiwiを運営していた。サーファーが集う海岸のFM局を無線マニアの芹沢こと坂田ヒロユキを中心に始めたが、湘南じゅうの海岸で聞けるようになることを夢見ていた。小杉こと織田裕二中山美穂が好きだったが、なかなか言えない。美穂はロスに駐在中の両親から7月にはロスの大学に編入するように言われている。美穂は織田に引きとめてほしいのだが、シャイな織田は好きと言えない。
そういう状況で軟派男別所哲也がFM放送局の仲間に入りたいと言ってくる。別所は東京の広告代理店の社員だった。別所は持ち前の業界人らしさを発揮して中継局作りに積極的に協力しはじめる。そして積極的に中山美穂を口説こうとする別所と本来の仲間の織田裕二との葛藤が高まる。同時にFM局のネットは国道134号線沿いに江ノ島方向へ急速に伸び始めるが。。。。。

87年の「私をスキーに連れて行って」で若者のハートをつかんだホイチョイプロダクション「彼女が水着に着替えたら」に続いて制作した。ホイチョイといえばレストランガイド『東京いい店やれる店』には大変お世話になったものだ。東京を知り尽くした完ぺきなガイドだと思う。
91年といえばバブル絶頂の余韻がある時代、同時にユーミンのCDがバカ売れしていた時期だ。そのユーミンの歌が映画の基調となる。何とも言えない取り合わせの良さだ。



FM局のDJとしての中山美穂はちょっと稚拙だが、絶頂の時期だけに魅力的だ。日焼けして色黒になったというより、メイクでつくられた色黒のようで共演の松下由樹ともども不自然さを感じる。ガングロみたいだ。当時サーファーガールにみんな憧れたものだ。色白メインの今とは違い、色白の女の子も懸命に色黒を演出した。自分は男なので気持はよくわからないが、あのころ意図的に色黒にメイクしたという告白も同世代や少し下の女性からきく。あとは肌には絶対よくないと思いながら、懸命に焼きまくった子も多い。今になって鏡を見て後悔しているのでは?

でも服装のセンスその他の時代考証については間違いない。ましてやホイチョイプロダクションがつくった映画だけに抜群のセンスだ。中山美穂、松下由樹、織田裕二の服装はいかにも湘南付近をたむろっていた連中のものだ。小物も出来過ぎている。別所哲也は博報堂の社員という設定、普段着はポロシャツで、仕事着はアイビーでという雰囲気。若干決まりすぎという感じもする。でも自分も年をとってもこの映画の彼の服装とは大して変わらない。ある意味自分の世代からするとこのほうが気が楽なのかもしれない。別所が中山美穂をしゃれたレストランに連れて行っていやらしく口説く姿をみて、妙に昔の自分にダブらせ恥ずかしさを覚えた。
ディスコ「ナバーナ」が出てくる。その前身「キサナドゥ」の時代から自分もよく知っている。ここで流れている「シャイン」「ドントトーク」「インザナイト」は当時のディスコでも流れたものだ。当時六本木のディスコはメローな歌が中心で、新宿とは明らかに一線を引いていた。

こういう楽しみを今の若者が持っている感じがしない。かわいそうだ。ここ数年世間の不況音に就職活動に追われてばかりいる気がする。生まれてすぐ幼少時にバブル崩壊、日本経済の没落を肌で感じ、デフレ社会に生きてきた。悲しいなあ。逆に我々の人まわり上の世代は学園紛争にあけくれたような自堕落な人たちが多い。(今の政治がおかしいのもそういう左翼思想の連中がのさばっているからであろう)我々は「簡単なことまで難しく言う」そういう人間のくずのような学生運動にあけくれた世代に反発をおぼえ、能天気な遊びをしていた。「ポパイ」「JJ」文化も我々の世代で生まれた。実に楽しかった。今でもその余韻だけで生きている。

そんな古き良き時代を思い起こすこの映画にはみるべきものはたくさんある。BGMのように夏に楽しむべき映画であろう。

参考作品
波の数だけ抱きしめて
中山美穂&織田裕二


彼女が水着にきがえたら
原田知世&織田裕二で昭和の終わりを楽しむ


私をスキーに連れてって
これを見たらスキーに行きたくなる
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どいついたるねん  赤井英和

2011-05-21 14:48:50 | 映画(日本 1989年以降)
「浪速のロッキー」とまで言われた赤井英和の自伝的作品だ。荒戸源次郎事務所作品として、今でこそ日本映画の巨匠となった阪本順治監督と俳優としてはほとんど実績のない元ボクサー赤井英和がコンビを組む。プロによる本格的なボクシング映画だ。少し太めになった赤井英和の姿から見ると、20年前は実に精悍だ。


大阪が舞台、試合でノックアウトされ再起不能となった元チャンピオンこと赤井英和は、自らのジムを設立した。ある日、ジムにふらりと中年男が現れた。男は元ウェルター級の日本チャンピオンこと原田芳雄だった。赤井は原田をコーチとして雇うが、ジムに集まった練習生たちは赤井のあまりの横暴さに嫌気をさし、みな去ってしまう。結局、ジムを閉めることになった赤井は、元の所属ジムに戻り、会長麿赤児とその娘こと相楽晴子、そして原田と共に現役カムバックへと向かっていった。過酷な減量に苦しむ赤井だ。4回戦ボーイからやり直しとなった赤井のカムバック戦の相手が決まったが。。。。

コテコテの大阪が舞台である。なつかしい。
これが公開された89年に会社の異動で大阪へ行った。天王寺から一つ先のところに住んだ。最初に天王寺動物園が出てくる。御堂筋線のホームはいかにも動物園らしくなっていて途中下車したくなるが、周りの連中は「あそこで降りたらあかんで」と言う。確かに行ってみると驚いた。通天閣は大阪の象徴だと思っていたが、通天閣に上ったことがないという関西人にずいぶんと出あった。そんなコテコテのディープなエリアがこの映画の舞台だ。新世界のロケってものすごく情緒を感じる。飛田も出てくる。

映画公開の数年前まではバリバリの現役だった赤井英和だけにリアル感がある。彼は大学の時からものすごく有名だったらしい。当時を知る人の話では、近大に赤井ありと言われていたらしい。かっこいいので有名だったそうだ。本気で殴っているなあ!と思しきシーンもずいぶんとある。原田芳雄も今からすると22年前だけに、その昔の荒々しさを残している。

何と言っても適役なのは麿赤児だ。関西の匂いをぷんぷんさせる彼に「あしたのジョー」の丹下役をやらせてみたかった。途中だれておもしろくないという展開もあったが、試合の場面では盛り上がりが凄い。ある意味名作ロッキーのような後半戦となっているのでわくわくする。
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天城越え  田中裕子

2011-04-28 05:45:04 | 映画(日本 1989年以降)
石川さゆりの名曲「天城越え」は去年の紅白でも歌っていた。いつもながらの熱唱は大好きだ。
直接的な関連はないのに、この歌を聴いていると松本清張の「天城越え」を思い出す。短編「天城越え」を最初に読んだときには背筋がぞくっとした。
印刷会社の社長が老刑事の訪問を受け、昔の犯罪に関する調書の印刷を頼まれる。その犯罪はまぎれもなく自分が少年時代にかかわった犯罪だったのだ。
誰しもが犯罪ではなくても良心の呵責にかかわる出来事ってあると思う。そんな話を時間がたってから突如として誰かに指摘されるとドキッとする。そういう心理が本を読んでドキッとさせたのであろう。

「天城越え」は83年の松本清張の小説の映画版である。テレビ朝日の2時間ドラマのような流れである。ひと時代前の古さを感じる。一つだけ際立つのは田中裕子の熱演である。このころの彼女は何か違うオーラがある。


静岡で印刷屋を営む小野寺こと平幹二朗のもとに、県警の嘱託である渡瀬恒彦が訪れる。「天城山殺人事件」という刑事調書の印刷を依頼しに来た。事務員から受け取った原稿を見て平は激しく衝撃を受けた。少年のころ、かかわった事件だったのだ。平は14歳の頃を回想する。
主人公は14歳のころ下田に住んでいた。家業は鍛冶屋だったが、父は亡くなって母こと吉行和子と暮らしていた。主人公は母が叔父といちゃつく姿を見て気分を害し、一人で家出する。天城越えの旅に出た。一人旅はさびしく、途中何人かの旅人とであったが、結局一人で天城越えをすることとなる。主人公は素足で旅する若い娘大塚ハナこと田中裕子と出会う。一緒に歩くあでやかな田中裕子に惹かれた。その時みすぼらしい格好した大工を見かける。。。。その後少年は下田の自宅に戻る。
下田に戻った後、少年は警察の訪問を受ける。みすぼらしい恰好をした大工が殺されている気配があることがわかる。少年が天城にいたことを知る目撃者がいたのだ。しかし、少年ということもあり、取り調べは簡単な聞き取りで終わる。その後流れの娼婦である田中裕子渡瀬恒彦刑事率いる警察の拷問を受けることになるのであるが。。。。


田中裕子は警察から拷問を受ける。その拷問がかなりの体当たり演技だと思う。渡瀬恒彦は強烈に彼女をいたぶる。彼女は妖艶さを見せると同時に、戦前の自白を導こうとする拷問をあえて表現してみたかったのだと思う。しかも、スター女優だったのにもかかわらず、ボリュームには難があるけどバストトップを見せる。この年彼女は「おしん」もテレビで演じていた。60%以上の視聴率を獲得した怪物番組の主演だった。のっているってこういうことなんだろうと思う。妖艶さにはぞくぞくする。
「夜叉」のときにも言ったが、ジュリー沢田研二が彼女に狂ったのもわからなくもない。

こうやって映画版を見ると、欠点が割と目立つ。原作に多少脚色している。事件の時期を大正から昭和にしたのには不自然さはない。しかし、殺しの場面、死体処理の場面こういう設定をすると不自然になってしまう気もする。また、印刷屋の主人が病気におかされている設定にした。あえてそうしたのであろうと思うが、自分には不自然に思えた。原作にある恐るべき余韻をなくしてしまうのではないか?
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踊る大捜査線 THE MOVIE  織田裕二

2011-02-06 17:45:43 | 映画(日本 1989年以降)
踊る大捜査線 THE MOVIEを久々にみてみた。
これまでの警察モノとは若干違うテンポで、映画で想像以上の大ヒットをした。こうやって見るとかなりアラが見えるし、設定もあり得なさそう。観客を笑わせようとしているユーモアもあまり面白くはない。でも故いかりや長介の姿を見ているとすべてが許せてしまう気になるのはどうしてか?


湾岸署管轄の川で男の水死体が発見された。胃に熊のぬいぐるみを詰められていた。一方対応に追われる湾岸署内で領収書や小銭入れなどが盗まれるまさかの窃盗事件が続出する。
そんなとき、警察庁参事官こと柳葉をはじめ、本庁の面々が物々しい装備でやって来る。彼らは湾岸署に特別捜査本部を設置した。警視庁の副総監こと神山繁が身代金目的の誘拐にあっていた。本庁の連中はそこで秘密裡に捜査を進めるばかりだった。織田裕二、いかりや長介はじめ湾岸署のメンバーは本庁のやり方に腹を立てながらも、殺人事件の捜査に躍起になっていた。被害者がインターネットで仮想殺人のホームページに頻繁にアクセスしていたことを知った織田刑事は、そのホームページの開発者との接触を図る。同じ頃、柳葉参事官たちは誘拐犯との身代金1億円の受け渡しを実行に移そうとしていた。ところが、指定された遊園地に刑事たちを配備していたことが犯人グループに知られてしまい、計画は失敗する。そのとき、犯人の電話の声をきくと遠くに織田刑事の声が聞えるではないか。。。。。


確かにこの映画までは、キャリア及び本庁職員と警察署員の対立をここまで前面にとりいれた作品は少なかったと思う。セリフの中でも、特別本部を置くと捜査費で多額の費用がかかっているとか、捜査にかかる領収書の取り扱いとか普通のサラリーマンのような話も出てくる。
藤田まことが「はぐれ刑事純情派」で真野あずさがママのバーで飲み歩いているのを見て、こういう金どうしているんだろうかなあ?と思っていたけど、警察内部の裏面をみると面白いところはある。
でも警察署内で窃盗事件が起きるとか、負傷者を救急車で運ばないで警察の車で運ぶとか、普通あり得ないなあ!というシーンは実に多い。



故いかりや長介は貫禄の演技というべきだろう。我々から下の世代は彼には大変お世話になった。あれだけテレビで見ていた彼を見ないのはさびしい。「紅白歌合戦」にドリフのメンバーと最後に出た雄姿は忘れられない。植木等の紅白メドレーもすばらしかったが、それと同じくらいドリフの紅白メドレーは素晴らしかった。思い出すとしんみりする。
ここでも臭い芝居とも思うが、「天国と地獄」もどきの煙突パートカラーのシーンはいい感じだ。


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男はつらいよ寅次郎の休日 渥美清

2011-01-07 05:59:33 | 映画(日本 1989年以降)
寅さんシリーズ第43作目である。90年の暮れの作品だ。
このころになると甥っ子の吉岡が大学生になっている。その出番がすこしづつ増え始めるころだ。
初期のころと違う「男はつらいよ」もたまには見てみたい。後藤久美子がレギュラーになってくる。
ただ山田洋次によればこのころから渥美の衰えが目立ったらしい。確かにそれはわかる。



ついに大学に入った寅次郎の甥吉岡秀隆は悪友と遊びまわる毎日、一人住まいをしたいと言っては母のさくらこと倍賞千恵子に怒られていた。それでも出ようとしたある日、名古屋に住む一年前の初恋の相手こと後藤久美子がやって来る。久美子は両親の別居という不自然な生活に耐えられず、愛人と同居しているという父こと寺尾聡を説得しに来たのだったが、父親は九州の日田にいた。そんな久美子の切実な思いに動かされたが、さくらたちはいったん親元の名古屋に帰そうとする。
しかし、東京駅まで見送った吉岡も一緒に九州まで行ってしまう。そんな息子にオロオロしてしまうさくらに寅次郎は説教する。ところが泉の母こと夏木マリがくるまやに現れたことによって寅次郎は「すぐ探しに行きましょう」と、引き留めるさくらたちを振り切って二人出て行ってしまうが。。。。

「男はつらいよ」は時代を飛ばして見てみると新鮮な発見がある。
確かに初期に比べて明らかに渥美清の出番が減っている。毎回同じように柴又の団子屋での家族団欒のシーンがある。以前だったらタコ社長の毒舌に帰ってきた寅次郎が毎回ケンカを吹っ掛けるのであるが、大暴れにはなっていない。ずっと見ているファンもよくわかっているだろう。
ワンパターンなようでそうはなっていない。

得意のテキヤ口上は最後に関敬六と一緒にすこしだけ。これはいつもながら冴える。
生前渥美清は「おれも若いころは少しぐれたところもあって」といいながら、その経験を生かしたような鮮やかな口上を披露する。脚本を兼ねる山田洋次監督もここは好きにやらせているのであろう。
むしろ哲学的に近い、本来のキャラクターと違う高尚じみたセリフを言いながら途中でがくんと落とすパターンは脚本に加えて渥美のアドリブが加わっているといわれる。それがいい。
でもここではやはり盛りをすぎたと感じざるをえない。
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王手  赤井英和

2010-08-26 17:07:56 | 映画(日本 1989年以降)
赤井英和が大阪通天閣の新世界エリアで賭け将棋の真剣士に扮する91年の作品である。荒戸源次郎が制作にあたっている。いかにもディープなエリアの中で、こってりした大阪弁でのやり取りはいかにも大阪らしくて好感が持てる。20年くらい前の猥雑な大阪にタイムスリップした気分を味わせてくれる。



大阪の将棋真剣師の赤井英和と、プロの名人を目指して奨励会に通う加藤雅也は二人は将棋が取り持つ親友だった。赤井は新世界の将棋道場の顔役だが、生活が荒れて借金取りに追われてあたふたしている。ひょんなことでタクシーの運ちゃんと縁ができ、彼の故郷の日本海の町に出向いた。そこで赤井はストリッパーと出会い、想いを果たす。その翌日プロとの交流戦で赤井はその勢いに乗ってプロ棋士に勝ってしまい有頂天だ。そんな折り、伝説の老真剣師若山富三郎が現れ、対局でコテンパンにやられるが。。。。



平成3年はちょうど自分も大阪にいたころである。天王寺から駅一つの所に住んでいた。このロケ地もさほど遠くない。東京から初めて大阪に行くと聞かされたときはショックだった。でもバブルの絶頂の大阪は何かと楽しかった。勤務地は難波だった。
大阪着任してすぐ、地元の人間に通天閣へ行ってみたいんだけどというと、やめておいた方がいいよと言われた。あのあたりは大阪でも有名な危険地域だとね。それゆえか新世界エリアにはあまり近寄らなかった。

そういうディープな場所で、そこを地元とする赤井英和が主演だからいいテンポで話が進む。大阪というのは赤井英和のようなタイプの男は多い。気性がワイルドだ。今回地でいっているので彼もやりやすかっただろう。今よりもやせている。かっこいい。

あとは若山富三郎だ。伝説の真剣士ということでプロとの交流戦で勝つ赤井を赤子を手でひねるように退ける。ふるまいはさすがに貫禄がある。出演した大阪ロケの「ブラックレイン」から数年たったばかりだ。「ブラックレイン」の直後、松田優作が亡くなった。この映画のあと若山富三郎が亡くなっている。ネタばれになるので言えないが、この映画で何かを案じさせるようなセリフを通天閣の上で言っている。不思議だ。
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39 刑法第39条  鈴木京香

2010-08-11 22:39:16 | 映画(日本 1989年以降)
鈴木京香、堤真一主演の99年の森田芳光監督作品。犯行時に心身喪失状態であった時には責任能力がなく、心神耗弱時には極刑が免れるという刑法39条にスポットを当てる。殺人を犯した堤真一と精神鑑定の助手であった鈴木京香を中心に犯行時の責任能力の問題に疑問を投げかける。
バランスが取れた映画である。いきなり殺人事件で犯人がわかる場面からスタートするにもかかわらず、最後まで目が離せない傑作である。

団地で身重の女性とその夫が殺される場面からスタートする。女性の持った演劇のチケットから劇団員である堤真一が逮捕される。警察の尋問に対して大筋で罪の事実を認めた。国選弁護人として樹木 希林がつき、公判がはじまる。検察官は江守徹だ。起訴文を検察官が読み上げたあと、裁判官が本人に内容を確認したところ、堤は訳のわからない言葉を発する。弁護人はただちに精神鑑定を依頼した。精神鑑定には精神科医杉浦直樹と助手として心理を学んだ鈴木京香があたる。鑑定を実施したところ、本人には奇怪な言動、行動がみられた。そして犯行時に心身喪失であった旨杉浦医師より報告された。しかし、鑑定を手伝った鈴木京香は堤が詐病を装っていると主張するのであるが。。。。。



単純な殺人の審判を追うだけの法廷劇ではなかった。殺人事件の背景に大きな真実が隠されていた。脚本のうまさを感じる。それをゆったりと映像が追っていく。芸達者が多く、配役の妙もあり最後まで飽きさせない。主人公の二人だけでなく、現在脳の病気で病気療養中の江守徹、杉浦直樹の両ベテランのうまさも光る。岸部一徳の刑事役は天下一品だ。テレビの「不毛地帯」の里見役もうまかったが、嫌味っぽい役が実にうまい。

法律については私は何とも言えない。被害者の立場で考えると、辛いものがあるだろう。問題提起したことでも意義のある映画といえよう。
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青春デンデケデケデケ  大林宣彦

2010-02-11 17:56:25 | 映画(日本 1989年以降)
92年の大林宣彦監督の青春ドラマである。四国香川の西にある観音寺市を舞台に、1965年から3年間高校生バンドが成長していく姿をやさしく描く。さわやかな感触だ。



1964年の香川県観音寺、高校教員の息子である主人公はラジオを聞いていて、ベンチャーズ「パイプライン」のエレキギターに背筋がゾクッとした。革命的なギターサウンズに魅せられてしまったのだ。高校にはいると音楽好きの3人の仲間とバンドを作る。寺の跡継ぎのベース、魚屋の息子のリードギター、ブラスバンドで打楽器をたたいていた男のドラムスと一緒である。4人はバンドに必要な資金をバイトでためようとするが。。。。

高校生が主演なので、演技に大きい期待はしていない。青春映画の特有の全体に流れるムードに期待してみた。原作どおり観音寺という四国の田舎町をロケ地に選んだのは成功だったと思う。ここは大林監督の出身地で「尾道3部作」を生んだ尾道の町のような情緒があるわけではない。海がそばにあるだけの普通の田舎町で、街並みや商店の並びもいかにも一時代前の日本の田舎町だ。普通の町に流れる空気が青春映画としてのムードを盛り上げている。

ヒロインに準ずる女性たちも出てくるが、男女間の関係は一歩進んでいかない。このうぶさがさわやかだ。60年代半ばに普通の高校生が歩んできた青春の匂いがする。
これがいい!!
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学校  山田洋次

2010-01-09 06:33:27 | 映画(日本 1989年以降)
夜間中学での教師と学生のふれあいを描いた山田洋次監督の作品である。教師である西田敏行と竹下景子がいわくつきで義務教育を終えられなかった学生たちに懸命に相対する話である。全般にほのぼのとした雰囲気が流れ、見やすい映画になっている。

荒川区の町屋のそばにある中学校に、夜間中学が付属してある。そこで教員として働く西田敏行は、それなりに理由があって中学の教育を受けられなかった学生たちのクラス担任として、公私ともに面倒を見ていた。場所柄在日朝鮮人や中国人の学生も多い。年齢層は10代から50代をこえる人までバラバラである。登校拒否で学校に行かなくなった生徒は10代、すでに孫までいる朝鮮料理店のママさんは50代にして読み書きが出来ず学校に通う。中国から来た男性は母親が日本人、文化大革命のときは相当いじめられたらしい。日本人に対する偏見がある。元シーナーに狂った女の子は美容師を目指すなど、さまざまな境遇の学生がいる。。。。。。

これらの学生たちのつらい境遇を一人ずつ語っていった後に、田中邦衛の中年中学生のことを語る。これがこの映画のメインである。字がかけないと、なんとか教育を受けることが出来ないかと、献血の場所にいる医師に相談して、初めて夜間中学を門をくぐる。ひらがなをカタカナにしてと言ってもできない。しかし、競馬は大好き。数年前のレース結果まですらすら暗誦できる。おぐりきゃっぷをカタカナに変換しろといわれたらそれは出来る。そういう学生だ。酒癖は悪い。しかし、飲みすぎなのか身体を壊してしまう。

田中邦衛が実に良い味を出している。加山雄三の若大将シリーズでの「ぼんぼん大学生」青大将とは対照的な育ちである。わけあって文盲寸前の人っているんだろう。非常にリアルに登場人物を描いている。

前から見たいと思っていたが、DVDが見当たらなかった。今回借りて、改めて良い作品だと思った。個人的にこういう世界にはほとんど接点がない。良い勉強になった。
情熱を込めて学生たちに接しようとする意気込みが、二人の教師の演技からは伝わってくる。渥美清が一場面だけ出てくるのはご愛嬌。この時期寅さん映画も大詰めに来ていた時期だ。まさに山田洋次ワールドといった作品である。

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岸和田少年愚連隊 岡村&矢部

2009-09-17 21:19:44 | 映画(日本 1989年以降)

大阪の南部岸和田のだんじりまつりの季節となった。荒々しい岸和田の男たちの偶像を描いた作品に岸和田少年愚連隊がある。井筒監督得意の不良少年物である。昭和の匂いがぷんぷんする岸和田の町をロケして、全編ケンカに明け暮れる少年たちを描く。「パッチギ」のような変な思想性がなく楽しく見れる。

時は昭和49年の岸和田。中学3年の岡村隆史と矢部浩之はケンカに明け暮れていた。学校内の勢力争い。他校との仕返しの繰り返しである。一言で言うとそれに尽きるストーリーだ。韓国映画とはまた違う暴力描写だ。中学からケンカに明け暮れ、高校もまともに通わず中退していく。そして裁判所に何度も何度も親と一緒に言い訳しに行く。そういうアウトローの世界を描く。

平成のはじめに大阪に転勤した。何もわからないところへの異動は不安だった。しかも、最初の担当エリアが堺より南の大阪南部であった。南海電車沿線の高石、泉大津、貝塚、岸和田、泉佐野といった地名はどれもこれもはじめて聞く地名であった。岸和田は大阪難波と和歌山のだいたい中間くらいのところだ。野球の清原の出身地でもある。そこでいろんな人と知り合った。この映画に出てくる人たちと同じ匂いを持った人たちだ。どちらかというとサラリーマン社会でなく、勉強一生懸命やって、それで偉くなってという人たちよりも、難しいことは言わず、だんじり祭りに命を描け、この町が大好きで、楽しく生きている人たちが多かった。その方が人間幸せなのかもしれない。映画の登場人物をみると、いかにも大阪南部と思われる人たちが多くうれしくなった。

1975年と最初画面に出てくるので、途中もしかして時代考証が間違っているのでは?と思ってしまった。キャロルのコンサートのチケットの話が出てくるからだ。キャロルは75年の春に解散したはずなのに、だんじりが終わった75年秋が舞台設定のこの映画ではおかしいな?と思った。でも最後の最後になって74年の秋からスタートする話だというのがわかった。繰り返し流れるアンルイスの「グッバイマイラブ」は74年の夏のはずだった。それでも突っ張り男たちのファッションは、あの当時はやったブランドワンポイントを基調にしたそれだし、大河内奈々子もあの当時に一番男に好かれそうな雰囲気を出していた。

井筒監督はやられたらやり返すツッパリ話が得意だ。「パッチギ」は一世を風靡した在日朝鮮学校と日本の高校生との戦いをうまく描いていた。ただ、最初の「パッチギ」はまともだったが、続作ではあまりに思想性が強すぎて非常にいやな感じがした。井筒監督に誤った思想が植えついている気がした。この映画はそういうのがない。もっと思想なんて持たずにシンプルにやってくれればいいのにと思ってしまうのは私だけだろうか??

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大誘拐  北林谷栄

2009-07-26 19:56:30 | 映画(日本 1989年以降)

紀州和歌山の山林王北林谷栄が誘拐される。身代金はなんと100億円。前代未聞の誘拐事件に全世界が大騒ぎするミステリーではなくコメディである。

和歌山の山奥に住む地主北林谷栄は静かに暮らしていた。そこに狙いをつけたのが大阪刑務所を出所してきたばかりの3人。彼らはスリやこそ泥の比較的軽い犯罪を犯してきた連中。リーダーは風間トオルである。風間は小さいころ新宮の施設にいて、そこに慰問に訪れた北林がいかにすごい金持ちかを知っていた。数週間自宅近くで潜伏した後、北林が孫娘と山歩きに抜け出すのをみて、誘拐を決行する。ストッキングをかぶった3人が山歩き中の二人の前に現れる。そのとき北林は誘拐話には従うが、孫娘は解放するように伝える。誘拐犯3人は彼女だけを連行するが、北林の指令で、北林の元の女中樹木希林のところに潜伏する。いくら要求するのかと北林は犯人たちに聞く。犯人たちは5000万円と伝えるが、自分の価値はそんなはした金ではないと、身代金を100億円に吊り上げさせる。警察側では、昔北林が世話をした緒方拳が和歌山県警本部長に出世していた。彼が陣頭指揮を執り、大捕り物が始まるが。。。。

北林谷栄はまだご存命のようである。しばらく出ていないが、若いころから長い間おばあさん役をしていた。貧乏なおばあさんもうまいが、富豪も演じるのもうまい。緒方拳はまだ若い。どちらかというと、今村昌平監督の悪役の方が似合う。数多くの脇役がここでも存在感を見せる。女中の樹木希林は最高のボケ振りである。

和歌山は海岸線を除くと、山が続くところである。まさにこの映画の舞台となる龍神村は奈良吉野の山々と接して本当の山奥だ。作者がこの場所に目をつけたのはよくわかる。確かに探し出すのは困難だろう。

その和歌山にこの映画ができたころ3年ほど仕事をしていた。異動のときは、いやだったが、みな人柄がよく気分のいい3年を過ごせた。山のほうでよくキャンプをやった。夏は水上スキーをやって楽しかった。この映画でもう少し美しい和歌山の海を見せてもらってもよかったかも?白浜を越えるあたりからすさみから串本にかけて海の色が本当に美しく変化する。和歌山市で仕事をしていたが、和歌山県というのは人口100万で半分以上は和歌山市周辺に住んでいる。あとはどこも過疎地帯。同県の新宮までは特急で3時間近くかかる。すごい広い県だ。
なつかしくなった
 昨日和歌山のとき仕事で関係した人から桃を送っていただいた。おいしかった。おいしい桃は手で皮をむいて食べる。離れて15年たつが、本当に和歌山県人は人がいい。

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墨東綺譚  永井荷風

2009-03-26 13:26:25 | 映画(日本 1989年以降)

新藤兼人監督の作品。小説に基づいている部分もあるが、戦後にまで話は進み、作家永井荷風の晩年を描く。津川雅彦は好演、何より墨田ユキが美しい。
結婚二度した後、気楽な独身生活をしている津川雅彦は、麻布の洋風住宅に住み、創作のかたわら、若い芸者の面倒をみてあげたり、銀座の女給宮崎美子に金をせびられたりしている。荷風の母親杉村春子には、理想の女性を捜し歩いているんだと言っている。
若い芸者が田舎に帰ると挨拶に来た後、荷風は花街で知り合った女性に似た美人が玉の井行きバスに乗っているのを見て、私娼の町玉の井にふらふら出かける。有名な「ぬけられます」の表示看板のある玉の井の中を歩いているときに雨が降ってきた。そのとき女郎墨田ユキに雨が降ってきたのでちょっと入れていってもらえません。と言われる。ついていくと一人の部屋にだどりつく。そこで意気投合する。美しい裸体を見せられるがその日は帰る。そして毎日のように通うようになるが。。。。

荷風の遊郭通いやレヴュー嬢を面倒みていた話は有名元慶応の教授、文化勲章受賞流行作家というプロフィールもあるが、資産家として死んだときにお金をたくさん残していたと言われる。まさに適役と言うべきか、この時代の津川雅彦はちょっとエロなおじさん役が実にうまい。杉村春子、新藤作品には欠かせない乙羽信子はじめ脇役陣は鉄壁 。
墨田ユキは単にきれいなだけでなく、情感あふれる演技はすばらしい。幼い顔をしているようで、きわどい色っぽさを見せる。 画像も美しく、脚本もよく、戦前遊郭の姿をうまく描いた傑作だと思う。

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