映画「ぼくたちの家族」は石井裕也監督による2014年の作品
昨年2013年「舟を編む」では賞を軒並み受賞した石井裕也監督のことを「川の底からこんにちは」からずっと注目している。普通だったら映画館に向かうが、なんか暗そうな雰囲気が漂いDVDスル―にした。母親が急に物忘れが激しくなり、病院の診断ではあと一週間の余命だという。病気の発覚を機に、家族が必死にもがく姿を描くヒューマンドラマである。
長まわしの多い演出はこれまでと同じであるが、今回の場合登場人物に感情流入できない。むしろみんな嫌いな奴ばかりといった印象で、自分には好きな作品ではなかった。しかも石井裕也監督のこれまでの作品のようには元気をもらえなかった。
若菜家の妻・玲子(原田美枝子)は長男の浩介(妻夫木聡)に初孫ができるということで喜んでいた。ところが、夫(長塚京三)と一緒に妻の両親とあった懐妊祝いの会食で長男の嫁の名前を間違えたり、突飛なことを話しはじめた。あわてて父と息子は妻を病院に連れて行く。CT検査の結果、脳に腫瘍が見つかった。医者から余命1週間を宣告され、すぐに入院、家族は唖然とする。
大学生の次男・俊平(池松壮亮)も駆けつける。夫と長男ほど動揺してはいなかった。その一方で玲子の病状は進んでいた。相手が誰だかわからなくなるのだ。治療費の捻出をどうしようかとしていると、妻に消費者金融からの多額の借金があることが分かる。しかも、自宅の住宅ローンはまだたくさん残っていて、脱サラして会社を起こした父親は会社でも多額の借金をしていた。家庭内の問題が次から次へと発覚して、若菜家は問題を数多く抱えていたことが判明する。しかも、病人の扱いが面倒だと入院した病院の医師が退院させて、自宅療養を勧める。2人の息子浩介と俊平は何とか他の病院で預かってもらおうと動き始めるが。。。引き取り手は探すのは困難であった。
自分も母親の病状が悪いのが突然判明するという経験をしている。それなので、こういう映画を見ると、共感を覚えてジーンとすることが多かった。でも違うんだなあこの映画は。。
1.恒常所得仮説(ミルトン・フリードマン)
以前はよかったが、今は家計が火の車というのを説明するには、ミルトンフリードマンの恒常所得仮説が適している。
典型的な貧困家庭はその日暮らしで貯蓄がない。でも貯蓄の少ない理由は収入の違いだけではない。貧困家庭にもかつて裕福だった時期がある。高い「恒常所得」に慣れているので、以前よりも低い金額を「変動所得」として受け取っていても、かつての消費行動が染みついているので貯蓄に回せない。それなので貯蓄率が低いというのだ。実感としてよくわかる。
若菜家も同様だ。父親は自分が営む会社が軌道にのっているという状況でもないのに、車を買い換えようとしている。妻は昔と同じように友人たちと遊び歩いている。しかも、次男の金の無尽にもなけなしの金を払って妻の借金は増える一方だった。。
6500万円も借りていたら、毎月の金利負担だけでバカにならないだろう。しかも、1200万円は長男が保証人になっているという。自己破産したら、息子に責任がまわってくるし、ローンで家も買えなくなる。おいおい今まで何やっていたの?会社なんか成り立つの?数人いる従業員の給料払えるの?突っ込みたくなる設定だ。
2.登場人物を嫌う理由
母親の病気を自分の妻にも最初か正直にら話さない長男のしぐさは見ていてイヤな感じだ。夫婦2人なのに、母親の看病で家に帰ってこない。それだったら、母親の病状を妻に言うのが普通だろう。しかも、会社の上司にも仕事が中途半端になっているのにきっちり話さない。変な奴だ。その妻も義母を見舞いに行こうともしない。変な夫婦だ。いずれも途中で変化があるけど、見ていて不愉快な感じだ。
オヤジも変だ。この家計ちゃんと成り立っているの?次から次へと毎月のショート分を借り入れに次ぐ借り入れでやっているんじゃないの?妻の入院費払えるかどうかわからないのに、夫は車のカタログを見て買い換えようとしている。ダメ人間の固まりだ。
それでも、途中から運が上向く。
病院を出されそうになり、別の病院を探す。いくつかまわる中で、自分のところでは引きとれないが別の病院にという話が出てくる。
病院を6か所まわっている次男の動きを見て、鶴見辰吾演じる医者が同情して助け船を出すのだ。
その後は極度に良くなったわけではないが、少しづつ上向いていく。
住んでいる街を俯瞰するように見渡せる場所で、妻夫木聡と池松壮亮が何とかしようと話し合うシーンはいい感じだった。
石井裕也らしいシーンかもしれない。
昨年2013年「舟を編む」では賞を軒並み受賞した石井裕也監督のことを「川の底からこんにちは」からずっと注目している。普通だったら映画館に向かうが、なんか暗そうな雰囲気が漂いDVDスル―にした。母親が急に物忘れが激しくなり、病院の診断ではあと一週間の余命だという。病気の発覚を機に、家族が必死にもがく姿を描くヒューマンドラマである。
長まわしの多い演出はこれまでと同じであるが、今回の場合登場人物に感情流入できない。むしろみんな嫌いな奴ばかりといった印象で、自分には好きな作品ではなかった。しかも石井裕也監督のこれまでの作品のようには元気をもらえなかった。
若菜家の妻・玲子(原田美枝子)は長男の浩介(妻夫木聡)に初孫ができるということで喜んでいた。ところが、夫(長塚京三)と一緒に妻の両親とあった懐妊祝いの会食で長男の嫁の名前を間違えたり、突飛なことを話しはじめた。あわてて父と息子は妻を病院に連れて行く。CT検査の結果、脳に腫瘍が見つかった。医者から余命1週間を宣告され、すぐに入院、家族は唖然とする。
大学生の次男・俊平(池松壮亮)も駆けつける。夫と長男ほど動揺してはいなかった。その一方で玲子の病状は進んでいた。相手が誰だかわからなくなるのだ。治療費の捻出をどうしようかとしていると、妻に消費者金融からの多額の借金があることが分かる。しかも、自宅の住宅ローンはまだたくさん残っていて、脱サラして会社を起こした父親は会社でも多額の借金をしていた。家庭内の問題が次から次へと発覚して、若菜家は問題を数多く抱えていたことが判明する。しかも、病人の扱いが面倒だと入院した病院の医師が退院させて、自宅療養を勧める。2人の息子浩介と俊平は何とか他の病院で預かってもらおうと動き始めるが。。。引き取り手は探すのは困難であった。
自分も母親の病状が悪いのが突然判明するという経験をしている。それなので、こういう映画を見ると、共感を覚えてジーンとすることが多かった。でも違うんだなあこの映画は。。
1.恒常所得仮説(ミルトン・フリードマン)
以前はよかったが、今は家計が火の車というのを説明するには、ミルトンフリードマンの恒常所得仮説が適している。
典型的な貧困家庭はその日暮らしで貯蓄がない。でも貯蓄の少ない理由は収入の違いだけではない。貧困家庭にもかつて裕福だった時期がある。高い「恒常所得」に慣れているので、以前よりも低い金額を「変動所得」として受け取っていても、かつての消費行動が染みついているので貯蓄に回せない。それなので貯蓄率が低いというのだ。実感としてよくわかる。
若菜家も同様だ。父親は自分が営む会社が軌道にのっているという状況でもないのに、車を買い換えようとしている。妻は昔と同じように友人たちと遊び歩いている。しかも、次男の金の無尽にもなけなしの金を払って妻の借金は増える一方だった。。
6500万円も借りていたら、毎月の金利負担だけでバカにならないだろう。しかも、1200万円は長男が保証人になっているという。自己破産したら、息子に責任がまわってくるし、ローンで家も買えなくなる。おいおい今まで何やっていたの?会社なんか成り立つの?数人いる従業員の給料払えるの?突っ込みたくなる設定だ。
2.登場人物を嫌う理由
母親の病気を自分の妻にも最初か正直にら話さない長男のしぐさは見ていてイヤな感じだ。夫婦2人なのに、母親の看病で家に帰ってこない。それだったら、母親の病状を妻に言うのが普通だろう。しかも、会社の上司にも仕事が中途半端になっているのにきっちり話さない。変な奴だ。その妻も義母を見舞いに行こうともしない。変な夫婦だ。いずれも途中で変化があるけど、見ていて不愉快な感じだ。
オヤジも変だ。この家計ちゃんと成り立っているの?次から次へと毎月のショート分を借り入れに次ぐ借り入れでやっているんじゃないの?妻の入院費払えるかどうかわからないのに、夫は車のカタログを見て買い換えようとしている。ダメ人間の固まりだ。
それでも、途中から運が上向く。
病院を出されそうになり、別の病院を探す。いくつかまわる中で、自分のところでは引きとれないが別の病院にという話が出てくる。
病院を6か所まわっている次男の動きを見て、鶴見辰吾演じる医者が同情して助け船を出すのだ。
その後は極度に良くなったわけではないが、少しづつ上向いていく。
住んでいる街を俯瞰するように見渡せる場所で、妻夫木聡と池松壮亮が何とかしようと話し合うシーンはいい感じだった。
石井裕也らしいシーンかもしれない。