映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「気狂いピエロ」ゴダール&ジャン・ポール・デルモンド

2019-06-29 06:01:18 | 映画(フランス映画 )

気狂いピエロ
ジャン=ポール・ベルモンド,アンナ・カリーナ


映画「気狂いピエロ」はゴダール監督が1965年に撮ったヌーベルバーグの代表作といわれている作品だ。

パリで優雅な生活を送っている男が、昔の恋人に5年ぶりに偶然再会、彼女の兄を捜しに2人で南仏に向かうロードムービーである。流れるのはストーリーという感じではない。アマチュア映画集団が作った細切れ作品のようなドタバタさを感じる。


映像コンテのデパートのように細かいカット割りで数々のパフォーマンスを映す。途中でジャン・ポール・デルモンドが観客に語り掛けたりもしてしまう。カラフルな色彩設計は視覚を刺激する。さすがにこの当時の日本映画とは肌合いが違う。どちらかというと、カフェバーなどでBGM的に大きな画面の映像で流しておくような作品のような気もする。

フェルディナン(ベルモンド)は、金持ちの妻との生活に退屈し、逃げ出したい衝動に駆られていた。そんなある夜、夫婦がパーティに出かけるため、幼い娘のベビーシッターがやって来る。彼女はなんと、かつての恋人マリアンヌ(カリーナ)だった。パーティを抜け出し、1人で帰宅したフェルディナンは、彼女を車で送り、そのまま一夜を共にする。翌朝目覚めると、彼女の部屋に、首にハサミを突き立てられた男の死体が。驚く彼とは裏腹に、平然と朝食を作り歌うマリアンヌ。


フェルディナンは、わけは後で話すという彼女と一緒に、着の身着のままでパリを後にし、マリアンヌの兄がいる南仏へ向かう。お金のない2人は、ガソリン代を踏み倒したり、物語を語ってチップをもらったり、車を盗んだり。はては海岸の一軒家で、ロビンソー・クルーゾーよろしく自給自足生活。フェルディナンは大満足だったが、マリアンヌは欲求不満を募らせ街に飛び出す。そこで出会った小男(カルービ)がまたもハサミで殺され、マリアンヌは姿を消す。(作品情報より)


数々の小道具が映像のアクセントになって観る我々を楽しませる。いきなり映すのは、妻と一緒に暮らす金持ちの悪趣味のような部屋とバスルームに入るジャン・ポール・デルモンドである。そのあと、パーティでは薄い乳輪の裸の女を囲むブルジョア男とわけも分からないセリフを話す映画監督が出てくる。雰囲気はゴージャスである。でも翌朝異変が起き、2人は車に乗って出ていく。無一文で飛び出した後、車を盗んだり、ガソリンスタンドで給油して逃げたりあまり行儀良くない。それでも、ここに映る華奢なアルファロメオのような60年代半ばのフランスの雰囲気が心地よく伝わる。


格言のような言葉が映画の段落の後に発せられる。「絵も映画も見る側が勝手に解釈するものだ」「観光客は現代の奴隷」なんて言葉が印象的。当時、ベトナム戦争が激しくなっていたころである。反戦映画ではないが、ときおり現地ドキュメンタリー映像をまぜている。爆撃でベトコンが110名がなくなった話に対して、それぞれに人生があったはずなのにその一言で終えてしまうのはさみしいなんてセリフもある。日傘をかぶったベトナム女性に変装したアンナ・カリーナがかわいい。
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映画「COLD WAR あの歌、2つの心」

2019-06-28 19:21:26 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )


映画「COLD WAR あの歌、2つの心」を映画館で観てきました。

「COLD WAR」はポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ監督がカンヌ映画祭監督賞を受賞した作品である。オーディションを経てポーランドの舞踏団の団員になった主人公ズーラが、舞踏団の音楽指導者ヴィクトルと恋に落ちる。ポーランドからパリ、ユーゴスラビアと場所を移し、つかず離れずの腐れ縁の恋を描いている。第二次大戦後ソ連が主導権をとった共産党当局に画家が虐待されるポーランド映画「残像」を見た。同じような時代背景ということで「COLD WAR」に関心を持ち、早々に観にいく。


民族芸能を主体にした舞踏団に対して、政府当局から国家の歌をやるように指示を受ける。その後、スターリンの大きな肖像の前で舞踏団が賞賛の歌を歌うシーンも出る。その偶像崇拝は現在の北朝鮮みたいだ。「COLD WAR」の名のごとく冷戦を描く映画と思ったらそうでもない。 強制連行などむごい描写は弱められる。 モノトーンの画像にもかかわらず、鮮明な印象を受ける。


冷戦に揺れるポーランドで、歌手を夢見るズーラ(ヨアンナ・クーリグ)とピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)は音楽舞踊団の養成所で出会い、恋におちる。だが、ヴィクトルは政府に監視されるようになり、パリに亡命する。ズーラは公演で訪れた先でヴィクトルと再会、幾度かのすれ違いを経て共に暮らし始める。しかし、ある日突然ズーラはポーランドへ帰ってしまう。あとを追うヴィクトルに、思いもかけぬ運命が待ち受けていた。(作品情報より)


1.情熱的な主人公
1949年舞踏団の団員になるためのオーディションから映像はスタートする。審査員の前で仲間と2人で歌を披露した後、ズーラは自ら得意の曲を歌う。ここまでという審査員の声にも、これからがサビだと巧みな歌を続ける。審査員はこの子が父親に反抗して刺し殺したことを知っている。

やがて、もともと審査員で音楽指導者だったヴィクトルとひそかに恋仲になる。2人は結ばれる。それぞれかんしゃくを起こして、離れたりくっついたりする。ズーラは芯がしっかりしていて気が強い。自己主張も強い。パリに移っても、どこへ行っても性格は変わらない。ヨアンナクーリグは快演である。映画観ている間、ジェシカ・チャスティンに似ているように見えたんだけどなあ。


2.究極の腐れ縁
森雅之、高峰秀子の映画「浮雲」はもともと仏印で結ばれていた2人が戦争を経て、日本で再会し、くっつき離れるのを繰り返しながら究極の腐れ縁から逃れられない姿を描いている。名作である。映画「COLD WAR」の根底に流れる恋は「浮雲」と同じ腐れ縁の恋である。
浮雲
林芙美子


ヴィクトルがポーランドを離れ西側社会に向かった後で、ジャズピアニストとしてパリで演奏活動をしているヴィクトルとズーラが再会する。その時はお互いに夫や妻がある。それでも2人は強い吸引力で結びつく。この後にも、何回かの別れと再会を繰り返す。そのたびごとに熱く抱擁しあう。

3.多彩な音楽
ポーランドの民族音楽が流れる。それを透き通った声でズーラが歌う。そのあとで、久々にロシア民謡「カチューシャ」を聞く。最近はあまり聞かないなあ。ズーラの声が透き通っている。清楚な響きがいい。

やがて、パリではジャズである。モダンジャズバンドを率いたヴィクトルがテンポのいいジャズを演奏する。そこにズーラが加わり、しっとりしたボーカルを聞かせる。ヴィクトルはパリの有力プロデューサーをズーラに紹介する。「スラブ的魅力」に魅せられ仕事が増える。そのあとも、ズーラが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」に合わせて踊りまくるシーン、メキシカンギターバックの情熱的なラテンの歌を歌うシーンなど多種多様に盛りだくさんだ。


エンディングロールでバッハのピアノソナタが流れる。人の唸るような声がピアノのバックに聞こえるので、グレングールドの「ゴールドベルク変奏曲」であると確信する。それまでに出ている音楽と違うタッチだ。映像をじっくり味わった後でのグレングールドのバッハが胸にジーンと響く。いい瞬間だ。

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映画「さらば青春の光」フィル・ダニエルス

2019-06-27 18:50:35 | 映画(洋画 89年以前)

映画「さらば青春の光」は1979年公開の英国映画だ。
さらば青春の光
フィル・ダニエルズ


60年代中盤の英国南部の町ブライトンが舞台である。その時代に英国で流行したモッズと言われる音楽、ファッションのライフスタイルがある。初期のビートルズが3ツボタンの細身のスーツを着ていたのを思い出すと良い。ここではモッズに傾倒している1人の労働者階級の若者とその仲間たちがスクーターで遊びまわり、ライバルのロッカーズとブライトンの町で競い合う姿を描く。原題は「四重人格 Quadrophenia」、ザフーのロックオペラの名前である。


ライバルの暴走グループとの抗争では街中の人たちを巻き込む。交通違反という次元を超えるハチャメチャぶりだ。ケンカするだけでなく一般のお店のショーウインドウを破壊したり、メチャクチャだ。この映画の出演者はあまり行儀のよくない連中で、自分も歳をとったせいかなかなか感情流入しずらい連中である。

派手なデコレーションをしたスクーターに乗った若者たちが細身のスーツにネクタイを締め、米軍放出のロング・コートを無造作に着こなす。彼らは「モッズ」と呼んでいた。ジミー(フィル・ダニエルス)は、広告代理店のメイル・ボーイをしている。会社がひけるとジミーは、モッズの溜り場のクラブに行き、夜中をそこで過ごす。ロックンロールが流れるクラブにはデイヴ(マーク・ウィンゲット)、チョーキー(フィリップ・デイヴィス)らが集まっていた。ジミーはその店で見つけた娘ステフ(レスリー・アッシュ)に関心を寄せていた。


リーゼントの髪を固め、汚ない皮の上下でオートバイを乗り回しているこのロッカーズとはモッズはことあるごとに衝突していたのだ。次の週末には、ブライトン・ビーチで勝負をつけることになっておりジミーはスーツを新調し、クスリを大量に手に入れ、その日の来るのを待った。いよいよ、決闘の日が近づき、ブライトン・ビーチに集まるモッズとロッカーズ。ステフも来ている。しかし、彼女はクロームの銀ピカのスクーターでキメているエース(スティング)に夢中のようだ。翌朝海岸通りをシュプレヒコールで歩くモッズとロッカーズの乱闘がはじまった。しかし、その決着がつかぬうちに、警官隊が出動した。


⒈劇中の音楽
これはご機嫌だ。いきなり主人公とその仲間が街中をスクーターで疾走する場面が出る。そのバックの軽快な音楽がいい。ライブハウスに行くと、ゴーゴーダンスと思しき感じでみんな踊りまくる。バックに流れるのは60年代前半のポップスが多い。ロカビリータッチだ。主人公は広告会社の雑用係というべき社内郵便集配係である。そんなプロレタリア少年は仲間と大騒ぎ、スクーターでさっそうと現れるときはかっこいい。でも普段の服装はダサい。ジジババ洋品店で売っているようなポロシャツを着ている。途中でフレッドペリーのポロシャツに変わるが、それでも基調が垢抜けない。


⒉青春映画
原題の「四重人格」をよくも、清々しい日本題の「さらば青春の光」に変えたものだ。ロック好きとしてザ・フーやピート・タウンゼントの名前は知っていても、なかなか好きになることはなかった。60年代に英国で若者であった人たちには受けるだろう。仲間どうしで、どこかの居宅でパーティをやる。酒の勢いも借りてかいつのまにか男女カップルができてくっつき始める。気がつくと朝になると、各部屋ごとに男女絡みあって寝ている。この同じ時代の日本ではこういうのはあまりなかったんじゃないかな?


「エブリバディウォンツサム」という映画がある。80年前後のアメリカの青春物語もこの映画で若者がいたしている姿に大差はない。育った国は違うが、同世代で青春時代を過ごした自分にとってはディスコミュージック主体の音楽も黄色いラコステを愛用するファッションも共通項があるので「エブリバディウォンツサム」にムチャクチャ惹かれる。要は自分にとっての共通点があるかないかだな。
エブリバディ・ウォンツ・サム!!
ブレイク・ジェナー

最後に向けての断崖絶壁には驚く。白い崖が美しい。ネットを見るとビーチーヘッドというようだが、こんな場所知らなかった。


疾走する主人公が気分良さそう。最後に向けての主人公のパフォーマンスはなるようになれという感じだが、この映画のあとしばらく経って公開されたテルマ&ルイーズを連想した。
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映画「アメリカンサイコ」 クリスチャン・ベール

2019-06-26 17:50:14 | 映画(洋画:2000年以降主演男性)
映画「アメリカンサイコ」は2000年公開のアメリカ映画だ。
アメリカン・サイコ
クリスチャンベール


「アメリカンサイコ」の「サイコ」の文字が気になる。何かありそうだ。80年代後半のニューヨークを舞台にクリスチャン・ベール演じる金融系リッチの主人公が優雅な生活をしつつも、殺人鬼の一面をもつというストーリーだ。まさにマイケルダグラス主演映画「ウォール街」の登場人物が改めて飛び出すような既視感がある。まだ、「バットマン」シリーズに出ていない頃のクリスチャンベールが性格の悪さがにじみ出ている人格破壊の金融系リッチを演じる。鍛え切った精悍な身体をつくり、クリスチャンベールはこの映画以降のキャリア同様に完璧な役作りをしている。


1980年代のニューヨーク、パトリック・ベイトマン(クリスチャン・ベール)は、ウォール街のリッチなビジネスマンだ。高級マンションに住み、ゴージャスな生活をしている。恋人のイヴリン(リース・ウィザースプーン)から早く結婚するよう求められるがスルーしている。そのほかに愛人コートニー(サマンサ・マティス)もいるし、秘書のジーン(クロエ・セヴィニー)は彼に恋い焦がれていた。そんな彼は同類項というべきビジネスマンであるポール・アレン(ジャレッド・レト)にムカついていた。そして、強い衝動に襲われてベイトマンは、アレンを自宅に呼び出し殺害した。

そんなベイトマンの前に、失踪したとされたポールのゆくえを調査している探偵キンボール(ウィレム・デフォー)が現われ、ベイトマンから話を聞き始めるが、平静を装う。それでも、ベイトマンは殺人衝動が暴走する。別の人格が主導して残虐な行動を繰り返すのであるが。。。



1.金融系リッチマンの裏の姿

ベイトマン(クリスチャン・ベール)のふだんの顔はハーバードのビジネススクールをでたエリート金融マンである。自分の周りの人物はほぼ全部格下とみなして態度がでかい。クリーニング屋ではシミが取れないと異様な大騒ぎ。すべてをバカ扱いするイヤな奴だ。たまに高級レストランでわがままお嬢様の恋人イヴリン(リース・ウィザースプーン)とデートする。でも早く結婚しようよと言われても上の空だ。高価なスーツを着てパーティに出て、普段は似たような金融リッチとサロンでだべったりする。そんな彼はイェール大学出身のポール・アレン(ジャレッド・レト)がえらそうにしているのが気に入らない。それだけで殺してしまう。


ベイトマンは、前に買ったことのある娼婦クリスティ(カーラ・シーモア)を街角で見つけると3P可能かと聞いて自宅へ連れて、もう一人とたっぷり3Pを楽しむ。金持ちの悪趣味っぽいこれが露骨でエロイ。ベイトマンはヒットチャートマニアなのか、ヒューイ・ルイスやホイットニー・ヒューストン、フィル・コリンズなどの曲を取り上げてライナーノートのようにうんちくをいいながら女を抱いていく。かなり変態だ。


2.完璧な美術と色彩設計
自室のパウダーコーナーにはたくさんの男性用化粧品があり、顔にパックしたり、いかにもスポーツジムで鍛えたような身体に身につける。金融リッチとのサロンでの会話ではジバンシーをはじめ、高級ブランドの名前が多数でてきて、自慢をしあう。

そういう連中を映し出す映像のバックをアレンジする美術はいかにも完璧である。高級マンションのインテリアもすばらしくコーディネイトされ、高級レストランの料理もキメが細かく意匠的にきれいでゴージャスだ。アメリカ映画らしい美術の見事さだ。しかし、ここでの色彩設計の基本カラーはどう考えても噴出した血の色すなわちレッドであろう。


3.残虐な殺人

ウォール街のエリートビジネスマンの実態といかにもその性格の悪さを誇張する映画なのかと思っていたら、「サイコ」の名のごとく残虐度が強烈にエスカレートする。自宅には、殺しの道具の刃物がたっぷりある。手斧、ナタに電動ドリル、これを殺しに使うとするといやはやむごい。未遂も含めて目をそむけたくなるシーンが続く。それでもこの殺人が真実なのか、それとも妄想なのかどうか??途中で観客に疑問視させる場面となるのであるが。。。




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映画「約束」岸恵子&萩原健一

2019-06-23 08:47:02 | 映画(日本 昭和35年~49年)

映画「約束」を名画座で観てきました。
約束
岸恵子,萩原健一


岸恵子と萩原健一のコンビ、名作の誉れが高い1972年の映画「約束」はなかなかDVD化されず観そびれていた。名画座での「萩原健一特集」でいきなり「約束」が放映されるとなるといくしかない。列車の中で偶然出会った男女のつかの間の恋を映す。日本映画自体が下火になっていたころで、岸恵子と萩原健一の組み合わせは話題になった記憶もある。


海辺を走る急行列車の座席に蛍子(岸恵子)の前にチンピラ風の青年朗(あきら)(萩原健一)が座る。朗は盛んに話しかけるが、蛍子は何も答えない。停車駅で外に飛び出した朗は駅弁を三つ買ってきて蛍子と横に座る中年女性に渡す。そこで初めて言葉を発し、その弁当を食べる。列車の中では護送犯(中山仁)が刑事とともに乗車してきた。朗は護送犯に何をやったの?とちょっかいを出すが、警官に止められる。どこまでいくのと蛍子に聞くと、羽越までと答える。朗も羽越まで向かっているのであった。そのあとトイレに向かう蛍子の姿を横に静かに座っている中年女性が目で追っている。


駅をおりて用事を済まそうとしていた朗だが、横に座っていた中年女性と一緒に旅館の中に入る蛍子を見つける。しばらくして旅館から外出した蛍子の後を追っていく。蛍子は海辺の墓に向かい参拝するが、朗はそのあとを追う。同時に蛍子の付き添いの中年女性もひそかに追っていく。朗がさかんに蛍子に話しかける中、次第に朗と気があっていく。お互いにひかれつつあって翌日に旅館で待ち合わせる約束をするのである。

しかし、翌日の定刻には朗は来れなかった。戻るべきところがある蛍子は付き添いの女性とともに駅に向かい列車に乗車する。すると、朗も駅にきて、しばらくこの町に一緒にいようよと言うが、蛍子はかたくなに列車に向かう。そこで蛍子ははじめて自分の身の上を話す。そして列車に乗車するが、朗も改札を強引に入り込み、走り出す列車に無理やり乗車するのであるが。。。


1.萩原健一
小学生の時にGS全盛時代を経験している。比較的後発でテンプターズがデビューした。1968年「神様お願い」がヒットし、直後の「エメラルドの伝説」がヒットチャートナンバー1になる。まさに頂点のころ、クラスメイトの女子小学生はキャーキャーうるさかった。自分も幼心にリードボーカルがかっこいいと思っていた。しばらくしてGSが下火になり、沢田研二とのツインボーカルで「PYG」というバンドが結成される。でもバンドデビュー以降にマスコミに取り上げられたことは少なかったんじゃなかろうか?


そのころに制作されたのが「約束」である。当時22歳、顔の形成が中途半端な感じがする。ここで演じるチンピラのキャラは「傷だらけの天使」の木暮修とまさに同じだ。このころもGS時代からの女性ファンは数多いと思う。でも「太陽にほえろ」と「傷だらけの天使」でのショーケンはまだ中学生だった我々少年たちから圧倒的支持を受けていた。なんせ菊池武夫デザインによる「メンズ・ビギ」をここまでかっこよく着こなせる男はいない。真似をしようと思っても足元にも及ばなかった。まったく色彩の違う美しい女性芸能人とのゴシップが流れることが多かったが、彼女たちが魅かれる気持ちがよくわかる。



2.岸恵子

昭和40年代前半まで海外へはそう簡単には行けなかった。そんな中フランスの映画監督にもとへ嫁いだ岸恵子はあらゆる日本人から羨望のまなざしで見られた女性であったろう。まだフランスに住んでいたころにこの映画に出演している。「約束」の翌年1973年に上映された「男はつらいよ 私の寅さん」がシリーズ歴代最高の観客動員だという。それだけ岸恵子に対する思いが強い男性は多いのであろう。萩原健一との激しいキスシーンを見て動揺したオールドファンもいるかもしれない。

男はつらいよ 私の寅さん
渥美清,岸恵子


ただ、寅さん映画の時にもコメントしたが、自分はここでの岸恵子自体に華を感じない。陰りのある登場人物なのでそう見えるように演じているのだろうか。ただ、ここで陰のある女性を演じたことが市川崑監督「悪魔の手毬唄」での名演につながったのかもしれない。この下の写真は当時の写真であろう。萩原健一と一緒でうきうきしているリアルな女岸恵子は美しい。


3.海辺を走る急行列車
荒波の横を走り抜ける急行列車の映像が映る。これはどこかな?日本海かな?と思っていると、糸魚川駅に停車するシーンが出てくる。その後、柏崎駅も映る。なるほど、日本海沿いに北陸から新潟、東北方面へ向かっているのだなと感じる。萩原健一と岸恵子の2人は行き先が一緒でうえつ駅に向かうというセリフがある。とっさに「うえつ」って地名あったかな?と思うが、そのまま列車は進み、2人は下車する。

この映画の海をとらえるカメラ構図はなかなかいい。ワイドスクリーンであることを有効に活用して海辺の町を情緒あふれる映し方をする。建物の古い手書き看板に昭和の匂いがたちこめる。映画館で観たほうが断然いいタイプの映画だ。

うえつってどこかなと検索する。羽越本線の名称はあれど羽越という駅はない。そういえば2人が到着したとき敦賀って表示が見えた気がした。あれ?方角反対じゃない?このあたりはフィクションらしく架空の駅を用いてストーリーを描いているんだなと思う。

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「ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則」バーバラ・フレドリクソン

2019-06-17 20:26:04 | 
「ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則」

4月上旬に顔に大ケガをした。夜の会合が重なりつかれてきて、そろそろ抑えようと思った時である。かなり強い精神的な打撃を受けた。翌日は片目は見えず、2日間会社を休んだあと、サングラスをして出勤。人様に見せられる顔でなくなったのだ。当然酒は飲まず、会合があってもウーロン茶で済ます。これまででは考えられない話である。憂鬱でブログの更新も2か月しなかった。約一か月酒断ちした後、業界の会合で復活、何回か飲んだ。でも完全に治るまではやはり断酒しようと今は禁酒中である。

そうすると頭は冴える。4月下旬から読書のピッチは上がった。ちょうどいい具合にゴールデンウィークとなる。自分自身は最初と最後に出勤して8連休とした。そんな時にピックアップしたのが前野隆司「幸せのメカニズム」である。その本でポジティブ心理学というものを知る。

筆者は身体的な要因、性格や心の状態、社会的自己の状態などの「幸せのチェックリスト」をつくってチェックが多いほど幸せなのかどうかと調べた。その際、チェックが少なくても幸せだという人にであう。もしそうならば、どれを満たせばよいのかということで幸せの因子分析を行う。これは多変量解析の一種で、4つの因子を心的要因に絞り第一因子「やってみよう」因子(自己実現と成長)、第二因子「ありがとう」因子(つながりと感謝)、第三因子「なんとかなる」因子(前向きと楽観)、第四因子「あなたらしく」因子(独立とマイペース)にわけて質問と回答によるデータを分析していくのだ。(前野 2013 pp.96-111)
幸せのメカニズム 実践・幸福学入門
前野 隆司

へえこんな手法あるのかと思い、ポジティブ心理学の本を次々と読み進めていく。

「実践ポジティブ心理学」 前野 隆司、「ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則」 バーバラ・フレドリクソン、「オプティミストはなぜ成功するか」、「ポジティブ心理学の挑戦」、「つよい子を育てる心のワクチン」 マーティン・セリグマン、「ポジティブ心理学が1冊でわかる本」 イロ―ナ・ボニウェルの6冊はまず読んだ。イロ―ナ・ボニウェルによれば、ポジティブ心理学とは「人間の生活におけるポジティブな側面、つまり、幸福やウェルビーイング、繁栄について研究する学問」であるとする。(ボニウェル 2015 p.22)

「実践ポジティブ心理学」「ポジティブ心理学が1冊でわかる本」
の2冊でポジティブ心理学の概要をつかむ中で、ポジティブとネガティブの比率に着目した「ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則」の内容が気になった。
ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則


まずフレドリクソンはポジティビティが持つ6つの重要な事実を説明する。
事実1 ポジティビティは気分がいい。
「いい気分」こそ生き方を変える動機づけになる
事実2 ポジティビティは精神の働きを変化させる。
ポジティビティが思考の幅を広げる
事実3 ポジティビティは未来を変える。
ポジティブな感情を経験するうちに人が自分の中に蓄えている能力やエネルギー(リソース)を形成する。
事実4 ポジティビティはネガティビティにブレーキをかける。
ポジティビティこそが困難から立ち直る秘密のカギ
事実5 ポジティビティは「ティッピングポイント」をもつ。
いい瞬間が続いて起こると、さらに上昇外向モードになって、もはや下降・内向が起こらなくなる。
事実6 ポジティビティは増やすことができる。
ポジティビティを増やすことで、新たな可能性を発見し、挫折から立ち直り、良い人間関係を築き、自分をよい状態に保つことができる。

バーバラ・フレドリクソンはポジティブでいることの2つの効果について語る。1つは拡張効果でポジティビティは精神の働きを広げ視野を拡大するとする。ポジティビティで広い視野を持てば上方スパイラルが起きるとする。広い視野で異質のものを取り入れると相乗効果がでていい成果を得ることができるのだ。またポジティビティでいると悪い感情を流し切り、逆境の時に解決策を思いつくこともできる。逆境に耐えうるレジリエンスの力をアップさせる。速やかに立ち直る人は、ストレスに直面したときに、ほかの人に比べて複合的な感情を持っているのである。(フレドリクソン p109,p156,p183)

もう1つは形成効果でポジティビティが個人的リソースを形成して人を成長させるとする。ポジティビティにより心を開く実験により証明する試みも行われている。それにより生き方をよい方向に転換させるのに有効であることがわかった。また、人とかかわるときにポジティビティは大きく上昇することもわかる。かかわりによって活力が得られるのである。

ポジティビティとネガティビティの割合を少なくとも「3:1」にする。
フレドリクソンはネガティビティもまた大事で、ネガティビティなしの繁栄などないとする。(フレドリクソン pp.62-63 )ゴットマン博士によると「繁栄する結婚」のポジティビティ比はおよそ「5:1」、ロバート・シュワルツ博士によれば、最適なポジティビティ比が「4:1」、大多数の人の比率は「2:1」、うつ病は「1:1」以下であるとしている。(フレドリクソン pp.190-191 )いずれもゼロとしないところが、肝心である。ネガティビティゼロは現実から遊離しているのだ。

うつ病というわけではないが、思い切って目の前にある対象の事柄に飛び込めない奴も多い。常に言い訳を言いつつ前に進めない。目標はネガティビテイを減らすことで、完全になくすことはない。減らすべきは、不適切で不当なネガティビティ。(フレドリクソン pp.224 )そうして、ネガティブ思考に反論するエクササイズを示す。マーティンセリグマンの本でも取り上げられた。
気持ちは何が起こっても何とかなるだろうというスタンスが大切なのであろう。

オプティミストはなぜ成功するか
マーティン・セリグマン


長い人生いろんな上司についた。ガードが固く人の行動を常に疑問視する性悪説の人もいる。一方であいつはやってくれるだろうと人を信じる性善説の人もいる。両方支えたが、性悪説が正解の局面に出くわしたことも多い。営業状況の確認やプロジェクトの進行のチェックにあたって任せぱなしではうまくいかないことも多い。そういうのをネガティヴというのかはわからない。ただ、ふつうにルーティン的な業務であれば、人に任せて何も問題ないと思う。むしろ「9:1」くらいルーティン的に業務が流れるように下を育てることが必要なんだろう。でも我々が取り組むことの難易度には差がある。平常時とそうでない時の比率を「3:1」と考えると間違いなく業務が流れるのであろう。

営業の世界で自信過剰な奴っている。すべて自分の都合のいいように解釈して、常にハイで前向きに進む。それ自体はいいことである。前足はよく、仕事をとってきても、ネガティヴゼロで用心深くない奴も多い。必ずどこかで引っかかる。関係者にも大きな迷惑をかけていることも多い。こういう奴が「3:1」のリズムがベストと考え、自分を振り返るコツを覚えたら押しも押されぬトップセールスになるのであろう。

これからも読んでポジティブ心理学というものを整理してみたい。
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映画「嗚呼!おんなたち・猥歌」内田裕也

2019-06-14 20:12:43 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「嗚呼!おんなたち・猥歌」を観てきました。

内田裕也特集の神代辰巳監督とのコンビのもう一作である。自由奔放な内田裕也と過激な演出の神代辰巳監督との相性はいい。内田裕也はロック歌手を演じる。ロックの帝王といっても、これといったヒット曲がないのが内田裕也である。女癖の悪い売れないロック歌手というキャラはいかにも自らを演じているのでやりやすいだろう。1981年キネマ旬報ベストテン第5位とやけに評価はいい。内田裕也のハチャメチャさがうまく引き出せている。


売れないロック歌手ジョージ(内田裕也)は妻(絵沢萌子)と別居中で、今は風俗嬢の佳江(角ゆり子)のヒモ同然の暮しをしている。ある日、結婚に煮え切らないジョージの態度に、佳江はヒステリーを起こし彼の運転する車のハンドルを一方に切りまくり車は横転大破する。佳江は重傷を負い入院するが、ジョージはカスリ傷だった。ジョージは病院で眠っている佳江の隣りのベッドで看護婦の羊子(中村れい子)と話すうち強引に犯していった。

ジョージはマネジャーのユタカ(安岡力也)と新曲のキャンペーンでレコード店に行き、街頭に立ち歌うが誰からも相手にされない。キャバレーで歌っていても、客に野次られ喧嘩になってしまう。子供の誕生日に、ジョージはプレゼントを持って久しぶりに家へ戻るが、妻からなじられる。ある日、佳江は羊子の存在に気づき、彼と別れてくれと迫り大ゲンカ、でもやがて、二人の間に奇妙な親近感が生まれ、妙な三角関係となっていく。


その頃、売り込み効果が出て新曲が有線放送の二十九位にランクされた。ジョージはマネージャーのユタカと喜びを分かち合うが、悪い女癖がでて控え室にいたユタカの恋人の一美(太田あや子)を犯してしまう。一美は警察に訴えジョージは留置されてしまうのであるが。。。

1.売れないロック歌手
ここでは内田裕也自身のキャラが生かされる。東京の下町商店街あたりでは今でも見るようなレコード屋でマイクを持って前に立つ。演歌中心にDVDやカセットが置いてあるレコード屋に売れない歌手がきてキャンペーンを張っているのは今も同じ。通り過ぎる人で物珍しそうな顔で一瞥する人もいるが、止まって聞く人はほとんどいない。


あとはキャバレーどさ周り。80年代までは東京でもグランドキャバレー的な店はいくつもあった。典型的なロックンロールのイントロで始まる「コミック雑誌はいらない」を歌う。店に来ている客は演奏など気にせず、大きな声で女の子をからかっている。なぜかむかつき、客と喧嘩。いかにも売れない歌手モード満載である。


確かに内田裕也に代表曲というのはない。でも死ぬまで何かインタビューをされたら、最後に「ロックンロール」とのたまう。その一貫性に誰もがすごいと思う。これだけいい加減で悪態ついてもムカつかないキャラだ。アウトローであっても暗くない。基本的にネアカだと思う。映画を見ての後味がいい。

2.ソープでなくトルコ
この時代はまだソープでなくトルコである。 いきなり角ゆり子が泡まみれになって泡踊りをしているトルコ風呂シーンから映し出す。客には懐かしの黒田征太郎もでている。途中でトルコ嬢の佳江が羊子にどんなことやるのと頼まれて秘技を加える。当然感じまくりでジョージはカヤの外だ。そのあとで大物ピンク女優珠瑠美が演じる有閑マダムが女性用トルコに入り、内田裕也が奉仕するというシーンがある。脂がのった珠瑠美の身体を泡だらけにして内田裕也が楽しんでいる。脚本の荒井晴彦にこういうのをやらせろよと言っているみたいだ。

3.中村れい子
これがいい女で、この当時大好きだった。「水のないプール」内田裕也と再共演する。当時としては現代的美貌に加えて、しなやかな肢体の中村れい子に当時ノックアウトした男どもは多かった。男好きする甘ったるい声もいい。あか抜けない感じの看護婦役で登場するが、徐々に色っぽく熟れてくる。

内田裕也のお気に入りといった感じだ。
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映画「少女娼婦 けものみち」内田裕也&神代辰巳

2019-06-13 22:08:09 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「少女娼婦 けものみち」を映画館で観てきました。

名画座で故内田裕也特集をやっている。この日は映画に頻繁に出るようになった40代前半の2作の上映である。神代辰巳監督作品は、かなり大胆な演出で同じ日活作品でも際立つ。破天荒な内田裕也とは絶妙なコンビだと思う。これは見るしかない。


まずは1980年3月公開の「少女娼婦 けものみち」だ。ストーリーはどうってことない。高校生の女の子が恋人と交わり大人の世界に一歩踏み入れる。ほぼ同時に2人の男との交渉で懐妊が判明する。でもどちらの子かわからない。こんな話はどこにでもある話だ。吉村彩子はクレジットには新人とある。記憶にないなあ。初めて見るけどいい女だ。男出入りの激しい母親のもとに生まれて育った16歳の女の子を演じる。その子も自ら母親と同じようなはずれた道を歩みそうな感じをだしつつ映画は展開する。


サキ(吉村彩子)は、屋台を引いて生計をたてている母・圭子(珠瑠美)と二人暮らしの十六歳の少女。ある冬の日の午後、サキはボーイフレンドの外男と、自転車で海辺へ行き、初体験を済ませた。そのあと、サキは外男を追いやった。彼女は一人になりたかったのだ。ダンプカーの運転手のアタル(内田裕也)が遊子(水島美奈子)を乗せて国道を走っていた。その道をサキが自転車で走っている。彼女に気づいたアタルは、ドライブインで遊子を降ろすと、サキを追う。そしてデートをした二人は、そこで関係を結ぶ。

その後サキは子供を宿していたことがわかる。どちらの子であるか分らない。アタルは妊娠の事実をサキに聞くと、「産めよ」とやさしく言うのだった。一方、外男は堕胎費用を集め、彼女に渡す。でもサキはその札束を放りなげる。ある日、サキはアタルの部屋に行くと、彼は遊子と絡み合っていた。嫉妬した彼女は、アタルの足を包丁で刺してしまうが、彼はそんな彼女をやさしく迎えるのだった。


1.内田裕也
演技という次元を通り越した存在感があった。個人的には寺島しのぶ主演「赤目四十八瀧心中未遂」で演じた彫り師に脅威を感じる。こういうはぐれ者をなかなか演じる人はいない。でもまだ若かった時のこの役には末期の凄みというのはない。海辺の静かな田舎町に暮らすトラックの運転手だ。バックに小林旭の「自動車ショー」がすっとぼけたように流れる。現在も風景は変わらないような海辺の片隅で、ひたすらオンナと交わる。夕陽を浴びた船の上でいたすシーンが印象的だ。日活の名カメラマン姫田真佐久の腕前が冴える。波打つ荒波も情感がある。


2.神代辰巳

中学から高校にかけて故萩原健一、水谷豊コンビの「傷だらけの天使」をよく見たものだ。その中でも深作欣二と神代辰巳が演出した作品は一番印象に残る。池部良の使い方がうまかった。日活で「黒薔薇昇天」という神代辰巳監督作品がある。当時18禁なのに見に行ったが、あまりの激しさにぶったまげた記憶が今でも残る。岸田森と谷ナオミの共演でからみが強烈すぎ。ワイルドだ。数多き日活P作品の中でも頂点に位置する。それだけにこの2作が気になった。


ここでも神代辰巳監督内田裕也に激しいカラミを要求する。まだ若い内田がそれに応えて腰の切れもいい。



3.珠瑠美

ませていたせいか、五反田の18禁映画館には中学生の頃からよく潜り込んだものだ。いわゆるピンク系は見ているといつも同じような俳優が出てくる。その中でも頻度が高かったのが、谷ナオミと珠瑠美であった。老け顔なのかなあ、当時30代前半とわかって驚く。しかも中年の女役が多い。ここでは屋台を引く主人公の母親役。男が替わるたびに新しい屋台をつくるなんて言って5台目だという。こういう男に依存しつつ、その男をダメにするなんて役は適役だ。珠瑠美のねっとりとした身体を見ても中学生の時は何とも感じなかったが、人間歳をとるとこういうのもいいかと思ってしまう。



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映画「教誨師」大杉漣

2019-06-11 18:30:55 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「教誨師」は2018年制作の日本映画。

大杉漣
の遺作というべき佐向大監督による最後の主演作である。気になっていたが、とりあえず後回しにした。大好きな「孤独のグルメ」(鶯谷編)を見ていたら大杉漣が出ているので、これは「教誨師」を見ろということだなとDVD手に取る。


大杉漣が演じるのは死刑囚を相手するキリスト教の教誨師である。男5人、女1人の6人の死刑囚を受け持つ。変わった奴らだが、長い間生きていると似たような奴にあったものだ。きっとモデルはいるのであろう。まあ面倒な仕事だ。何かの間違い死刑囚となってしまったのであろう。彼らは刑務所でなく、拘置所で独房ににいる。独房の中の生活は映さない。

再審が必要とのことでH死刑囚が釈放された。長い間の拘置所生活で完全に精神が錯乱されているようにTVでは見えた。1人でこんな閉鎖空間にいたら頭がおかしくなってしまうだろう。かなり特殊な人物との会話を描いている。

プロテスタントの牧師、佐伯保(大杉漣)。彼は教誨師として月に2回拘置所を訪れ、一癖も二癖もある死刑囚と面会する。無言を貫き、佐伯の問いにも一切応えようとしない鈴木(古舘寛治)。気のよいヤクザの組長、吉田(光石研)。年老いたホームレス、進藤(五頭岳夫)。よくしゃべる関西出身の中年女性、野口(烏丸せつこ)。面会にも来ない我が子を思い続ける気弱な小川(小川登)。そして大量殺人者の若者、高宮(玉置玲央)。佐伯は、彼らが自らの罪をしっかりと見つめ、悔い改めることで残り少ない“ 生” を充実したものにできるよう、そして心安らかに“ 死” を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き、聖書の言葉を伝える。しかしなかなか思い通りにはいかず、苦難の日々が繰り返される。(作品情報 引用)


教誨師という仕事を知ったのは小学生のころ「東京裁判」に関心をもち児島襄の本を読んだ時だ。A級戦犯が過ごす拘置所内での状況を花山教誨師が書いた本から引用している。東条英機、広田弘毅といった元首相が死刑判決をうけて、人生を達観視して悠然とその日を迎えている姿が描かれていた。今回の死刑囚はそのような品位はない。大杉漣演じる教誨師は一癖ある男女を相手にしている。でもこの教誨師にも複雑な過去があるのだ。

1.文盲の男

長い人生で文盲の日本人に自分はあったことがない。教誨師は面談中にこの人は字が読めないと気づく。性格は温和である。ホームレスだというが、結果として車での事故で殺人を犯したと告白する。文盲で運転免許は取得できるわけないからおかしいと思うが、よくテレビで長い間無免許だった人が捕まるなんて話を何度も見たことがある。そう考えれば、ありえないことではないかもしれない。起こした犯罪のディテールはわからないが、面倒な連中の中では応援してあげたい類だ。


2.やくざ上がりの男
こういうタイプはヤクザでなくてもたまに見る。お調子者である。立石のキャラはヤクザとは違うかな。俺のいうようにやってみろよと教誨師に何度も語りかける。口八丁手八丁で這い上がるタイプだ。教誨師に実はあの殺人事件殺したのは俺だとコソコソ話をする。でも教誨師はそれを額面通り受け取らない。死刑になったら、証拠がなくなるので当分は処刑はなくなるという死刑囚の思惑があるとみるからだろう。

処刑を恐れている。12月24日前になんでケーキが出るんだ。次は俺かと慌てふためく。


3.支離滅裂な関西女
言っていることが支離滅裂だ。存在しない拘置所職員の名前をだして、その職員はこう言っているという。自分の話のつじつまが合わず、話しているうちにヒステリーを起こす。


烏丸せつこは久々見た。四季奈津子の映画から40年近くの年月が過ぎ、彼女も64歳である。ボリュームたっぷりのバストをあらわにして、世の男性陣をとりこにしたのは嘘みたいな変わり様だ。おとろえたなあ。これが演技のために造られたメイクとなればすごいけど。

4.屁理屈にあふれた若者
大量殺人を犯したという。屁理屈を言って、自分の殺しを正当化する。斜に構えている若者だ。自分が1番嫌いなタイプで学園紛争の時期にはこういう奴は大勢いたかもしれない。教誨師にも強気で議論を吹っかける。教誨師もつじつま合わずタジタジだ。

リンゴを盗んだらコソ泥で捕まり、国を盗んだら支配者になるなんてのたまう。チャップリンが「殺人狂時代」で言った大量殺人なら英雄になるというセリフが脳裏に浮かぶ。この6人の中で最も嫌な奴だが、印象にも残る。



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映画「アラジン」ウィル・スミス

2019-06-09 16:38:20 | 映画(洋画:2019年以降主演男性)
映画「アラジン」(字幕版)を映画館で観てきました。


娘と2人で楽しい時間を過ごせた。
ディズニーのファンタジーだし、当然絢爛豪華な映像にお金がかかっている。こういう映画だとストーリーの信憑性とか難しいことは何も考えなくてよい。映画が始まってすぐ「ディズニーシー」のアラビアンコーストの中にいるかのような音楽が流れ、気分もディズニーの世界に頭の構造がチェンジしていく。そこに映し出される猥雑な感じのアグラバーの街、主人公アラジンが活劇のように立ち回るのを観ているだけでハイな気分がますます高まる。そこにジーニー役の(ウィル・スミス)が大魔神のような存在感を持って出現、ファンキーな彼のキャラにピッタリだ。

ストーリーが進んでいくが、内容ははっきり言ってどうでもいい。ただ、ひたすらディズニーのアラビアンコーストの世界に身を任せているだけだ。

アグラバーの街で相棒の猿・アブーと貧しい暮らしをしている青年アラジン(メナ・マスード)は、お忍びで王宮の外にでた王女ジャスミン(ナオミ・スコット)と出会う。


ジャスミンを侍女だと思ったアラジンは監視の目をかいくぐり宮殿に入り込む。ところが、王国を乗っ取ろうと企む、邪悪な大臣ジャファー(マーワン・ケンザリ)に捕まってしまう。ジャファーは強大な力を得るために魔法のランプを狙っている。そのためにアラジンとアブーを洞窟に忍び込ませて持ち帰らせようとするが失敗する。その窮地を“ランプの魔人”ジーニー(ウィル・スミス)に助けられる。しかも、ジーニーには“3つの願い”を叶えてあげるといわれる。アラジンは王子になりたいとジーニーに願い、ある国の王子ということでアグラバーの街に凱旋するのであるが。。。


1.ミュージカルの要素
「ディズニーシー」のアラビアンコーストにいるような音楽が鳴り続ける中で、王女ジャスミン(ナオミ・スコット)の華麗な歌が響き渡る。これがいい。ヒロインにピッタリのなかなかの美貌である。エキゾティックな風貌は中東の血が入っている女優さんと思いきや英国人だ。母親がインド系移民というプロフィルだそうだ、なるほど。ディズニー映画の名作曲家アラン・メンケンと、「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」のチームによる新曲はいずれもいい。そこに名曲「ホール・ニュー・ワールド」も肝の部分で流れる。空飛ぶじゅうたんに乗って2人があちらこちら飛び回るシーンは映画館ならではの臨場感で十分楽しめる。

2.アラジンと魔法のランプ
ストーリーの流れのベースは一緒である。悪者がいないと葛藤が生まれないので邪悪な大臣ジャファーが活躍する。ふとしたことで魔法のランプがジャファーに渡り、それをこするとジーニーが出てきて、ジャファーの言うことを3つかなえるという。宮殿もアラジンもピンチである。そういったピンチも作りながらストーリーは流れる。怪人、魔人いろんな言い方があるけど、ウィル・スミスはうまいなあ。どちらかというと最近はシリアスな映画にでていることが多い。やっぱりコメディタッチがいいよね。


実写版っていいよ。本物の声を聞きたいから当然字幕で。ジャスミン(ナオミ・スコット)の声がきれい。評論家筋は一部高評価だけど、あとはどちらかというと低め、賛否両論の映画は見ろ!というのは鉄則でこれは正解だった。最後はインド映画のように全員でダンスだ。これでファンキーな気分をますます高揚させる。映画が終わって食事、イスラム史好きの娘とは言えさすがに中東料理はないので「ディズニーシー」アラビアンコースト同様のインド料理で昼食、楽しい映画なので辛めにして食も進んだ。
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映画「ビブリア古書堂の事件手帖」黒木華

2019-06-08 09:43:53 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「ビブリア古書堂の事件手帖」は2018年公開の日本映画

「古書」というキーワードには弱い。しかも、三島有紀子監督の「幼な子われらに生まれ」はよくできた作品と感じたのでDVDを手に取る。恥ずかしながら「ビブリア古書堂の事件手帖」が人気文庫であることは知らず、もちろん原作は未読である。文学オタクの若き店主が営む古本屋にある太宰治の希少本をめぐって繰り広げられる話である。


人見知りだけれども、本に関する博学だという黒木華が演じるキャラには魅かれる。しかも、そのキャラを巧みに演じている。もう一人の主人公である古本屋に働きにきた野村周平演じる若者の祖母の若き日のラブストーリーも悪くないが、時代考証その他に難ありと感じる。原作を読んだことがないので評価はしずらいが、脚本が弱い気がする。至る所に疑問や矛盾を感じるところがある。でも、この主人公のキャラで少しは帳消しにできるかもしれない。

鎌倉の片隅にひそやかに佇む古書店“ビブリア古書堂”に、五浦大輔(野村周平)という若者がやって来る。亡き祖母(渡辺美佐子)の遺品の中から出てきた夏目漱石の『それから』に記された著者のサインの真偽を確かめたいという。若き店主の篠川栞子(黒木華)は極度の人見知りだが、ひとたび本を手にすると、とめどなく知識が溢れ出す。


そしてその優れた洞察力と推理力によって、栞子はサインの謎を解き明かし、大輔の祖母が秘密の恋に落ちていたと指摘する。過去のある出来事から本が読めなくなった大輔だったが、それが縁となりビブリア古書堂で働き始める。そんなある日、栞子は太宰治の『晩年』の希少本をめぐって、謎の人物から脅迫されていると大輔に告白。その正体を探り始めた二人は、漱石と太宰の二冊の本に隠された秘密が、大輔にかかわる一つの真実に繋がっていることを知る。(作品情報 引用)



1.北鎌倉と題材設定

桑田佳祐の妻である原由子がエンディングで歌う「北鎌倉の思い出」がいい。原作ではビブリア古書堂は北鎌倉にある古本屋ということになっている。自分の大学の同期が北鎌倉から山に向かって少し上がったところに昔から住んでいる。はじめて夜行ったときに真っ暗で怖かった。隣家に小津安二郎もいたらしい。東出昌大と夏帆が演じる不倫話で2人で密会する木陰のエリアがその友人宅の近所の匂いがした。野村周平が自転車で走らせる街にこの地の住居表示である山ノ内の表示があったので北鎌倉でロケかと思ったら、ロケ地は常陸太田とか別のところだったらしい。


映像で鎌倉を連想させるとなると、江ノ電を映すのがいちばんであろう。ただ、北鎌倉となると違うよね。長谷に本を盗んで人の家を探しに行くシーンがある。そこには私の父母の間を結び付けた母の先輩がいた。豪快な女性だった。実は大佛次郎の有名小説のモデルである。彼女も自分の夫がありながら、政治家でもある有名な弁護士の彼女になっていた。山手の港の見える丘公園に今も大佛次郎記念館がある。でも大佛次郎も鎌倉文化人である。若き店員の亡き祖母のラブストーリーで東出昌大が心を寄せる男を演じる。その男は裕福な家で引きこもりのように小説を書いている人物設定となっている。鎌倉に住む自分の友人の父親も売れるまで引きこもっていた似たような小説家志望だったらしい。鎌倉はそういう風土だったのであろう。それなので題材自体には不自然さは感じない。


2.1964年って

東出昌大と夏帆が演じる秘密の恋の出会いは、夏帆の夫が営む食堂に東出昌大が食べに来たことからはじまる。その時1964年だということを示すために食堂の中でマラソン中継をやっている。国立競技場に2位で入場した円谷幸吉ヒートリーが追い抜く劇的なシーンを応援している姿である。でも、この店内の映像ちょっと古すぎない?10~15年くらい昔って感じかな?鎌倉って時間が止まっているところだけど、ちょっと違う気がする。


自分の家の別宅が江ノ島の腰越にあった。住所は鎌倉市腰越である。品川駅から横須賀線に乗って鎌倉に向かう。昭和30~40年代の横浜駅では大勢の崎陽軒の売り子がホームでシウマイを売る。電車も気を利かせて数分停車する。食べ始めてしばらくすると、右手に大船の観音様を見る。そして鎌倉につく。江ノ電に乗り換えるだけだけど、鶴岡八幡宮に向かって鎌倉街中もたまに歩いた。こういう風貌の食堂もあったかもしれない。でも1964年はもうちょっと現代に近づいていると思う。ちょうどそのころ祖母役の渡辺美佐子さんはTV「ただいま11人」にでて現代風娘を演じていた。時代考証教えてやってくれ。


3.ムカつく若者

ビブリア古書堂を手伝うようになった五浦大輔(野村周平)は店主の篠川栞子(黒木華)が大事に持っているお店で一番金額的価値のある本、太宰治の「晩年」を守ろうとする。大輔は狙いをつけてくる連中から守るために自宅で保管しようとする。栞子は結構ですといいたいところだが、むりやり持っていく。ところが、何者かに襲われ、本は奪われてしまう。ショックを受ける大輔。栞子に謝りに行くが、それは本物の希少本でないという。大輔は自分のこと信じてもらえなかったのですかと古本屋を辞めさせてもらうという。


このシーンがいちばんむかつく。自分が失くしてしまったことをすっかり忘れて、信じてもらえなかったとよく言えたもんだ。あえてそういうストーリーにしていると思うが、そのあたりから大輔というキャラにムカついてしまった。栞子さんが身内をも騙して隠すのは当然でしょう。後半はだれる。この男は責任感のかけらもないし、許せない若者だ。

いろいろ話はあるけれど、「幼な子われらに生まれ」での三島有紀子監督の手腕を期待したけど、さほどでもなかった。あの映画は脚本が奇才荒井晴彦でさすがにそれと比較するのは酷かもしれない。主演のキャラもいいし題材自体に不自然さは感じないけどちょっと弱かったという印象。


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映画「さよならくちびる」小松菜奈&門脇麦

2019-06-05 17:53:31 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「さよならくちびる」を映画館で観てきました。

小松菜奈と門脇麦の主演二人のパフォーマンスに引き込まれる心地よい作品である。
久々のブログアップである。4月上旬に大ケガをしてしまった。感想を伝えるほどの映画に出会える時間がなかった。


門脇麦「止められるか俺たちを」で演じた若松孝二監督に助手でついた女の子の印象が今も残る。次作に注目していた。ここでは人気俳優小松菜奈とインディーズ系フォーク系デュオを組む。解散することを決めた女性デュオが最後のツアーにのぞむロードムービーである。女性デュオには成田凌演じるマネジャー兼バックギターを弾く男が帯同している。ロードムービーといっても、行った土地でいろんな人と出会い起きる事件を描くというより、バンド結成までのいきさつを含めて3人の姿をずっと追っていく。

実際には門脇麦が作詞作曲をしてデュオをリードしている設定。かなり歌はうまい。小松菜奈は髪の毛をバッサリ切りショートカットである。雰囲気はいつもと違う。独特のトーンの歌は心地よく胸に響く。2人は素人芸を超えて実際にデビューするという話があるようだ。映画の中で再三再四同じ曲が流れ、最後に至るまでに初めて聞くこれらの曲が頭に刻み込まれている。ジーンと残る主題歌「さよならくちびる」の感触は悪くない。


「二人とも本当に解散の決心は変わらないんだな?」
全国7都市を回るツアーへの出発の朝、車に乗り込んだデュオ〈ハルレオ〉のハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)に、ローディ兼マネージャーのシマ(成田凌)が確認する。うなずく二人にシマは、「最後のライブでハルレオは解散」と宣言するのだった。
2018年7月14日、解散ツアー初日から波乱は起きる。別行動をとったレオが、ライブに遅刻したのだ。険悪なムードの中、何ごともなかったかのようにステージに現れるハルレオ。トレードマークのツナギ姿に、アコースティックギター。後ろでシマが、「たちまち嵐」を歌う二人をタンバリンでサポートする。二人が出会ったのは、バイト先のクリーニング工場。上司に叱られ、むくれていたレオを、ハルがいきなり「ねえ、音楽やらない?あたしと」と誘ったのだった。(作品情報 引用)

1.ロードムービー
男性マネジャーと女2人のロードムービーと言えば、女性プロレスラーとマネジャーの珍道中を描いたロバート・アルドリッチ監督の「カリフォルニア・ドールズ」を連想する。刑事コロンボで有名なピータ―フォークのマネジャーが個性的で、お金にもうるさい奴だった。ここでのマネジャーにがめつさはあまり感じられない。世捨て人のような奴だ。女子プロレスラー2人は仲良かったが、この2人の関係はいつの間にか最悪になっている。マネジャーは何とか引っ張って最終会場の函館まで連れて行こうとしている。どうせ最後だというなら、解散ということをリークしたらとライブハウスの店主に言われる。商売っ気出して解散をPRするシーンはないが、そのあと急に観客が増えるところから、何かしでかしたと連想させる。もうやめないでと言われ2人は戸惑う。


ここではいろんな地方都市のライブハウスを映し出す。浜松、大阪、新潟、酒田、弘前そして函館、全国方々にこういうライブハウスってあるんだなと思ってしまう。それぞれの都市の町並みはそんなに映らないが、大阪の路地裏を小松菜奈が歩き、古レコード屋でマネジャーの成田凌と出会うシーンがある。古いロックのレコードをあさる小松が可愛い。このシーンがなぜか素敵だ。いかにも大阪っぽいエリアを歩く2人を引っ張るように手持ちカメラが映し出すドリーショットウディ・アレンの映像タッチのようで好きだ。

2.何で解散するの?
もともとレオ(小松菜奈)を誘ったハル(門脇麦)には才能がある。詩もメロディも評価されている。インタビューされるとすると、話の矛先はハルに向かう。妬かなくてもいいのにレオの機嫌が悪くなる。しかも、レオは男出入りがよくない。変な男を好きになる。DVな野郎もいて顔に青タンをつくってしまうこともある。具体的にこうやって仲が悪くなったというシーンはないが、そういった積み重ねで仲たがいする。しかも、メンバー同士の恋愛はご法度といいながら三角関係は徐々に複雑になっている。



そんな2人も最終函館のレンガ倉庫に行きつく。ファンが殺到し、解散を惜しんでいる。果たしてどうなるのであろうか?
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