映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

久々の関西へ4(天王寺)

2012-12-31 11:26:11 | 家族
さすがに30日には関東に戻っていなくては
妻の親族が眠る四天王寺にお参り行った。
天王寺駅を降りて高層ビルの高さに圧倒される。横浜のランドマークタワーよりも高い建物だという。
2014年完成まであと一年、凄いことになったなあ


四天王寺は初めて
妻が四十九日の準備をする。雨が降っているので娘と2人控室で静かにしている。

ここは宗派を問わず、入れるという。知らなかった。
いかにも大衆的な大阪らしいやりかただ。

食事をしようとして、駅ビルに戻る。
ずいぶんと変わっているようなので、単独行動させてもらってどのように変わったかを見る。
近鉄百貨店はまだ営業中、隣のごちそうビルは自分が阿倍野に住んでいるころにできた。
横は都ホテルだ。

駅から近鉄百貨店の裏側に行ってビックリした。
以前自分が住んだ天王寺は18年ぶりだ。元々区画整理の話は自分がいたころからあったが、急激に進んだようだ。あの猥雑な阿倍野のテイストが一気に変わっている。
それでも走る阪堺線は大したものだ。

阪堺線の線路の反対側にすばらしいショッピングモールができた。
これも驚いた。このあたりは大阪らしいディープそのもののエリアであった。
こうも変わるものなのか?区画整理のスピードに驚く。(大宮東口の遅さはいったい何!!)



裏に行ってもこんなエリアがある。この近くに「あべのスキャンダル」なんてディープスポットあったな。
梅田、難波、天王寺いずれもが凄い進化を遂げた。
これで大阪経済が沈滞しているとは思えないんだけどなあ。。。。


実に不謹慎だが、一生にあまりないきっかけで関西に行くことになった。
昔の姿がそのまま残っている尼崎と新しい姿を見せつめる梅田、難波、天王寺のまるっきり反対の姿に関西の奥行きの深さを感じた。
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久々の関西へ3(尼崎~なんば)

2012-12-31 11:24:15 | 家族
阪神尼崎駅には下車したことがない。

妻は小さい頃まで尼崎に育った。元々親は尼崎にいて、異動で和歌山に移って永住した。
駅を降りて、生家に向かった。途中大きな寺があった。歴史が古いようだ。

用事がすんで近くの寺の中から移動しようとしたら、たこ焼き屋があった。
何気なく通り過ぎようとして価格表が目に入った。
7個100円14個200円と書いてある。うそだろ?!!ともう一回見直す。
間違いない。ただし、7個は小学生のみと書いてある。200円で14個分を買った。

写真を撮りたかったが、いかにも関西のおばちゃんという風貌の人がタバコを吸いながら店の前にでんと座っているのでとれなかった。たこ焼きを食べたら妻の喜んだこと!!!。ムチャクチャおいしいというわけではないが、こんな値段で今どき食べられるということに感動した。妻は関東はだからダメなんだと言いはじめた。黙って聞いていた。

妻は小さい頃の思い出を語るとよく賑やかな尼崎の商店街の話をしだす。自分が育った近所に品川の戸越銀座商店街と武蔵小山商店街があった。いずれも全国有数の商店街と言われている。それを知っているのでそうでもないだろうと思っていた。ところが行ってみて本当に驚いた。まさに凄い商店街だと思う。

戸越銀座にしても武蔵小山にしても、昔からそのままある店は少ない。銀行のキャッシュコーナーや居酒屋や外食チェーン店にみんな変わっていて、これが商店街だと元気よく言えるものではない。ところが、尼崎は違う。まさに昭和40年代にタイムスリップしてしまうのである。

商店街に入ってみるとパチンコ屋が多い。バクチ好きの関西人向きの場所と思っていたら、急に昭和40年代の商店街に代わって行くのだ。

今では少ない業態も多い。小さい頃五反田で見たようなミニ市場だ。
商店街の中にこういうのがいくつかある。

こういう古典的米屋というのも見なくなったなあ。
お菓子屋、八百屋、果物屋などから始まって肉屋も多い。

今どき肉屋って本当に見なくなった。古臭い店に色がきれいなおいしそうな肉が陳列してある。ホルモン専門の肉屋もあった。尼崎は労働者の街だけあって作業着屋もある。

模型屋や文房具屋も自分が知っている昭和40年代の匂いだ。

飲み屋のお姉さんが着るようないかがわしいドレスも陳列してある。

凄い衝撃を受けた。尼崎商店街は関西ではメジャーなんだろうか?
背筋がぞくっとする衝撃だった。戎神社が近くにあった。
関西人は戎さんが大好きである。そういえば鳥居はまだくぐれないんだ。

尼崎から難波に向かう阪神電車に乗る。
此花や九条なんていかにも大阪のディープなエリアを通る電車だ。

まずは定番で戎橋に向かう。少し変わったかな?






戎橋から心斎橋筋の商店街を歩いた。尼崎で感動していたので、普通に見えた。
お腹がすいてきたので、道頓堀脇でフグを食べた。




カフェ同様タイミング良く店に入れた。運がいい。
出るときには店前は大行列になっていた。

席は道頓堀沿いだ。窓からドンキホーテを写す。
目立つこと!凄いなあ

てっさ 娘が思わずおいしいという。

ふぐ唐揚げ

てっちり
妻も娘も満足だ。ラストは雑炊で

最近では東京付近でもふぐの安い専門店ができたけど、基本的にふぐは高い。大阪に行くまではそんなに食べたことなかったのに、大阪に異動したらフグが安く食べられるので驚いた。

不謹慎だが、家人も気を紛らわせられただろう。

高島屋のライトアップが最高にきれいに見えた。
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久々の関西へ2(梅田)

2012-12-31 11:18:56 | 家族
3日目は大阪へ向かった。
妻の親が昔所帯を構えた尼崎に行くためである。大きく変わった梅田を見てみたい気持ちもある。
和歌山市駅から南海電車の特急サザンに乗った。
和歌山の人は「ザジズゼゾ」が言えない。「全然」なんて言葉は「デンデン」になってしまう。しかるに特急サザンはサダンになってしまうのだ。笑うしかないが、向こうは真面目だから面と向かって笑えない。

大阪までずっと車窓を眺めていた。みさき公園をこえて、海が見える。遠くに関西空港も見える。泉佐野につく。車窓から見える海側はずいぶんと変わった。ちょうど自分が大阪に行った時、堺から以南が担当エリアだった。泉佐野なんて地名聞いたことがなかった。でもその時とんでもないバブルが起こっていた。関西空港開港に伴う土地の収用で泉佐野市民は巨万の金をもらっていたはずだ。
城が見える。岸和田だ。ここではお世話になった人たちがずいぶんといた。だんじりにかけた人たちの心意気にうたれた。徐々にサザンもフルスピードになる。泉大津をこえる時、海側にマンション群が見える。この風景は初めてみる。高石、浜寺なんて場所も異動するまでまったく知らないところだった。いずれも海側の風景が違っている気がする。堺をこえると天下茶屋に止まる。昔はとまらななかった。そして新今宮をこえ難波だ。駅に近づくと雰囲気が違う。大阪スタジアムもない。高層ビルが増えてきた。

大阪に異動した時の着任地は難波だった。ミナミの繁華街のパワーには圧倒された。
南海の駅の雰囲気も華やかになった。もうちょっと泥臭かった。着任してすぐ当時の上司が焼肉屋につれていってくれた。大阪というとやっぱり焼肉だ。汚い店に行きながら上司が「これが大阪だ!」と言いはった。でも駅前にでっかいマルイもできて、歌舞伎座以外はまったく雰囲気が違う。


御堂筋線に乗って梅田に行く。地下鉄の乗り入れ口から地上に上がる。確かに風景は変わった。阪神電車に乗る前に日経MJのヒット商品今年の番付で小結にはいった「阪急百貨店うめだ本店」にいく。東京駅よりも番付は上だ。

これはずいぶんと大きくなったものだ。

中で食事した。食堂街に行ったら長蛇の行列だ。これはまずいと思ったら、妻が階下の9階の広場横のカフェは空いていたよと移動する。でもこれが大正解だった。

まずは広場にビックリだ。空間をぜいたくに使う設計だ。
カフェに入る。入る時間のタイミングが良かった。



カフェでは本日の魚料理でスズキの料理が出てきた。先日家族でフレンチ行った時もスズキがでた。
当たりだなこの店




JR大阪駅と大丸。大丸もずいぶんと大きい。
ここにも入ったけど、阪急からは高級感を感じたが、大丸は普通のデパートという印象だ。

阪急メンズ館だ。新宿の伊勢丹メンズ館もいいけど、それぞれのフロアがそんなに広くない。このフロアはそれなりの広さで高級品中心のディスプレイ。なかなかだ。

感心しつつ阪神電車に18年ぶりに乗って尼崎に向かう。
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久々の関西へ1(和歌山)

2012-12-31 11:08:33 | 家族
26日ブログ更新して、すぐ寝たら11時半過ぎに電話を受け家人があわてている。誰か亡くなったのかな?
話を聞いて「え!」という感じだ。妻の親がなくなった。翌日27日通夜で28日告別式
東京だと28日友引は火葬場は休みのはずだが、向こうは関係ないのか?
義理の親だから立場的には通夜から行かねばなるまい。
27日は仕事納めで納会はあるけど、行く準備をし始めた。
仕事はほとんど片付いていた。あいさつ回りも大体終えていた。強い約束もないので大丈夫だろう。
朝の朝礼で挨拶して11時過ぎに事務所を出ることにした。
東京駅で新幹線のホームにつく。家人と娘を見かける。ビックリだ。
それぞれに切符を取って現地で会う前提で出たのに、ばったり会う。おいおいこんなことってあるの!

名古屋を新幹線が出たあたりから初めて関西へ着任した時のこと頭に思い浮かべた。
東京の生まれ育ちで大学も東京、就職先は関西系の企業を意識して避け、東京本社の会社へ。
東京支店に配属になって頑張っていたのに突如大阪支店の異動辞令がきた。ショックだった。
直後に上司から「リーダー」で行けるかもしれないよと言われ、気を取り直す。でも本当になれるかなあ?最小単位のリーダーにはなりたかった。それでも大阪に行くくらいなら実家の家業を継いでもいいのかなと思い、3月初旬の内示から1カ月落ちつかなかった。結局2回往復して大阪天王寺の近くに住居を決めた。恐る恐る異動先に行くと、自分のための座席が用意されていた。リーダー席だった。うれしかった。

最初はすぐにでも東京に帰れるようにと、新大阪付近で家を捜そうとした。ところが、街を歩くと至る所に「部○解放」の文字がある。「何じゃいこれは?」と思いやめた。今回久々に新大阪の駅を降りたけど、近くにその文字はなくなっていた。時代の推移だろう。

新大阪の駅で和歌山行き特急「くろしお」に乗った。

そうしたら何と隣の座席に妻と娘がすわった。またまたびっくりした!
車窓を眺める。梅田周辺の雰囲気が変わったようだ。高層ビルが増えて、ずいぶんとダイナミックになった。福島をすぎしばらくすると、妙なドームの建物に気が付いた。「京セラドーム」のようだ。大阪環状線のラインを大人になって初めて通った時、ずいぶんと汚い風景だと思った。瓦の汚さが目立ったが、今回は割と屋根が葺き替えられていた印象をもった。天王寺だ。高層ビルをたてている最中だ。
天王寺から駅1ついった所に住んでいた。車窓から天王寺高校が見える。住んでいたところは高校に近いところだ。でも見えない。わりと雰囲気が変わっていた気がした。大和川をこえるのも久しぶりだ。電車は堺の鳳あたりまでは比較的ゆっくり走る。その先はぐんぐんスピードをあげていく。

阪南エリアをこえるともうすぐ和歌山だ。妙に緊張する。
山を越えると和歌山の平野が見えてくる。空の旅では上空から和歌山市内の上をよく通る。でも陸路で向かうのは久しぶりだ。別に緊張する必要はないのに落ち着かない。
今から18年前、和歌山から異動するとき、駅で当時の部下たちにバンザイされながら離れた。涙が止まらなかった。その思いと異動辞令が出て、初めて和歌山に特急「くろしお」に乗って行くときのこと両方が脳裏にへばりついてきた。車内放送で『まりと殿様』「テンテン・テンマリ」と流れるのが印象的だったが、割と普通の放送に変わっていたのが残念だった。大阪に行くときは大淀の橋を渡ると大阪に来たという実感がある。和歌山の場合は「紀ノ川」だ。水量の多い美しい川だ。渡って本当に和歌山に来たなと実感する。海側には住金の大きな工場が見える。


和歌山市駅に行き、そこからもう一度電車に乗って葬祭場に行く。

紀ノ川をこえるときは、ちょうど夕日が沈みつつあるときだった。これがまた美しい。
通夜に向かう。
家族葬で簡単に済ませる方針だ。それの方がいい。自分の両親の場合、近所や外野がうるさいので、普通にやった。参列者はそれぞれ450人くらいだった。1年の内に2回も葬式をやり気苦労も多かった。
でもこうやって家族葬というものを初めて経験すると、気楽な方がいいと思えてくる。

ホテルに戻ろうとしたら、その昔飲みに行った場所が気になった。捜しに行くことにした。
でも見つからない。住宅地の一角にあるところで、繁華街の中ではない。記憶をたどってこの辺りかと懸命に捜したがない。あたりには人は歩いていなかった。そう言えばあの頃より飲酒規制が厳しい。客が減ったかな?なんて思いながらきっと無くなったのかと確信した。

昔いた事務所に向かった。まだある。全国最小の事務所だった。暗くなったときに見て胸がジーンとした。
思い出に浸った。

翌朝早くおきて和歌山の街を歩いた。
基本そんなに変わっていない。南海和歌山市駅周辺は悲しいくらいに廃れた。昔食べた店もなくなった。メインの百貨店「丸正百貨店」はなくなった。商店街があるブラクリ丁も寂れていっていると聞く。

お城だけは変りようにないだろうなあ。

街の雰囲気は少し変わったくらいか
お堀の傍は遊歩道になっていた。



番丁のメイン道路
和歌山県民は所得は少ないが貯蓄高は多い。大手証券会社だけでなく、大手都銀もある。
合併して三井住友銀行になって、元の三井銀行の建物が居抜きで和民になっていたのには笑えた。

大きなホテルができた。でもこのくらいしか高い建物はない。

思い出はたくさんある。和歌山の現地採用の人たちと一緒に仕事した。部下が年上ばかりだったので、最初は本当に大丈夫かと思った。異動で行くときは気が重かった。でも一緒に働いてくれた人たちは本当に気のいい人たちだった。助けてくれた。ここに行かなかったら今の自分はなかったかもしれない。

火葬場の和歌山斎場は立派な建物だった。両親の葬儀は品川の桐ヶ谷斎場でやった。桐ヶ谷の陳腐さと比較するとあまりの凄さに驚いた。プロの設計士による仕事だと感じる建物だ。控室が3mくらいある高天井の部屋で、そこで精進料理を食事したがおいしかった。先日近所の人の葬式があり、桐ヶ谷に出入りしている仕出し料理のまずさは自分と妹が体験してわかった。親の葬儀の時あんなマズイものを参列していただいた人に出していたのかと思うと気恥ずかしくなった。これが東京の城南地区のメインの葬儀場でいいのかと思う。
妙なことを感じながら葬儀は無事終わった。
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映画「ルビースパークス」 ポール・ダノ&ゾーイ・カザン

2012-12-26 21:48:32 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「ルビースパークス」を劇場で見た。
実におもしろかった!脚本、美術、音楽そして出演者すべていい。
好きなタイプの映画だ!

「リトル・ミス・サンシャイン」のジョナサン・デイトン&バレリー・ファリスが同作以来6年ぶりに手がけた監督作ということに目をひかれた。この映画大好きだ。スランプ中の若手作家と現実世界に出現した小説のヒロインが繰り広げる恋を描いたラブストーリーという触れ込みに関心をもった。最近DVDは外れっぱなし、正直あまり見に行きたい映画がない中、ミニシアターでファンタジー的青春映画の楽しさに引き込まれた。


主人公カルヴィン(ポール・ダノ)は作家である。高校中退で書いた作品は人気を集め、天才作家と言われた。まずはその彼が愛犬とともに一人暮らしをしている姿を映す。マスコミの取材を今でも受けることはあれど、タイプ打ちは進まない。新作が書けない。相談している心療内科科医に自分の好きな女性をイメージをして小説を書いてみろと言われる。夢に一人のかわいい女の子が現れる。


ルビー(ゾーイ・カザン)という。小説には関心がない。アートが好きだという。ハッと気が付くと目が覚める。やはり夢だったのだ。その子のことをタイプに打ち始めた。何度か彼女の夢を見た後、ある時兄(クリス・メッシーナ)夫婦が主人公の家に遊びに来た。義姉が引き出しをあけると、女性のブラジャーがある。何これと問い詰められた主人公は犬が隣から持ってきたんだろうという。でもそれにしても至る所に女性用小物がある。おかしいなあ?と思っていたら、家の中で女性の声がする。部屋の中に夢に出てくる女の子がいるではないか?「うそだろ!」と机の下に隠れながら電話しまくる。主人公が外に出ようとすると、夢だと思っていた彼女が一緒に遊びに行こうと誘われる。


2人で一緒に外に出た後、主人公は街のカフェでこっそり昔の同級の女の子と会う。同級生はしつこく主人公に迫っていた。そんな時夢の中にいるはずの彼女が脇から話しかけてきた。昔の同級生に向かって、「カルヴィンの恋人です。」と話しかける。それを見て主人公は驚く。同級生に聞く。「彼女見えるの?」当然とばかりに憤慨して帰っていく。ルビーは嫉妬する。その場を去ろうとするが、カルヴィンが追いかけ2人は抱擁する。


驚く主人公。兄が訪ねてくる。弟の話はどうせの夢の話だろという兄は実在する彼女に驚く。料理を作り始めたら、フランス語を話しはじめた。主人公は小説の中で「SHE SPEAKS FRENCH」と書いたからだ。彼女は主人公が書いた通りのプロフィルになって行くのだったが。。。

エンディングロールになって脚本がkazanという名を見た。覚えておこうと思ったら、俳優のところで2番目に出てくる。「え!」「男女どっち?」なんて思って、解説を読んだらなんとエリアカザンの孫だという。しかもあのかわいい女の子!?これは驚いた。おじいさんはジェームスディーンの「エデンの東」であまりにも有名だし、マーロンブランドの「波止場」など50年代から60年代にかけて大活躍していた監督だ。

最近遺伝の本を読んで、人の能力はかなりの比率で遺伝によることを知った。この間有馬記念で優勝した馬のことを「血統が抜群」と新聞で評していたが、馬にあって人間にないことはない。世襲を否定する人は、遺伝の否定にもつながる。これ自体は潜在能力の否定だ。人間は誰もが比較優位の才能をもっているはずで、カザン家にとっての比較優位である映画の才能を生かした彼女は凄い。



そのキュートなカザンのお相手のポール・ダノが抜群にいい。インテリ風に見えるけど、ちょっとナイーブな男の子。セルロイドのメガネをかけて演じる姿はその昔のジョンレノンの匂いもある。その彼から発せられるオーラが自分の感覚に合う。どうも実生活でも付き合っているらしい。2人の呼吸は確かにあっている。あえてポールと対照的に兄役でマッチョ系のクリス・メッシーナ、母親の恋人役でラテン系濃い目のアントニオ・バンテラスをもってくる所が憎い。配役のうまさだ。

この後主人公の母親が恋人と住む住まいに2人で遊びにいくシーンもある。母親はアネットベニング、自分の好きな女優だ。その恋人がアントニオ・バンテラスというメンバーだが、この家のインテリアがトロピカルテイストでいい。住まい自体にプールがあってリゾート感覚抜群、まわりのグリーンがうまくマッチしている。主人公の自宅は空間が広く使われている現代モダン建築のテイストで別荘とは対照的だがプールがある。ずいぶんといい家だ。衣装もそうだが、小物のセンスもいい。この映画裏方の実力がずば抜けている。それを包む音楽もいい。


いいことばかり言ったが、途中緩慢になりそうな部分もいくつかある。でもすぐに素早くいい方向に向かう。自分が書いた小説通りの彼女が出現するという設定が新鮮だし、笑える場面をいくつか作る。手塚治虫の漫画「火の鳥」に持ち主が自由に性格も設定できるロボットがいたが、それよりも凄い「発明」である。書いたらすぐその通りになる。突然フランス語を流暢に女の子が話しだすシーンは笑えるし、つれないのでもっとくっついてと言ったらべったりする。この脚本1年近く練られたというが、じっくりアイディアが積み重ねられた痕跡がある。それだけによくできていると言える。

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映画「五番町夕霧楼」 松坂慶子

2012-12-24 15:58:10 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「五番町夕霧楼」は水上勉の2つの原作をもとに映画化した1980年の作品だ。

まだ若き日の松坂慶子が京都の廓町の娼婦役を演じ、奥田詠二がドモリの僧を演じる。金閣寺炎上という大事件の犯人とフィクション上の幼馴染の娼婦とのはかない恋の物語だ。例によってこの当時の松坂慶子は美しい。


昭和25年前後の設定だ。丹後の木樵の娘・夕子(松坂慶子)は、貧しい父、肺病の母と3人の妹と暮らしていた。その村に京都の廓町である五番町の夕霧楼の女将(浜木綿子)が葬儀のために来ていた。友子は母の治療費のために自ら売られて京都へいく。遊郭には同じように不遇で娼婦となった女性がいた。女将は早速西陣の織元の旦那甚造(長門裕之)に夕子を売り込む。旦那は夕子を気にいり、2万円で水揚げする。贔屓を得て、1年後には夕子は五番町で一、二を争う売れっ妓になっていた。


だが夕子には同郷の幼友達であり思いを寄せていた青年僧の正順(奥田詠二)がいた。正順は丹後の禅宗寺の跡取りだったが、ドモリがひどくコンプレックスをもっていた。鳳閣寺の長老(佐分利信)の厳しい指導に耐えていたが、ある時夕子がおとづれて来たのを機に遊郭へ行くようになる。夕子は彼をやさしく迎える。しかし、正順は夕子の身体を欲せず、何もせずに二人で時間を過ごすだけで帰って行ったのであった。だが夕子を妾にしようとしていた甚造は鳳閣寺の長老に彼の廓通いを密告するが。。。


テレビ朝日の2時間ドラマを見ているがごとくである。全盛時代の松坂慶子くらいが見どころだけど、この映画は割と芸達者が数多く出ている。昭和に戻ったようで、何か気分は悪くはない。
朝鮮戦争に突入というのが、映像の中で出てくる。昭和25年6月である。実際の金閣寺炎上事件も同じ年の7月だ。米軍兵が京都の街中を闊歩する場面も多い。実際京都は戦災に遭っていない。戦争相手がまともだったと思うしかない奇跡である。溝口健二の映画の「お遊さま」「祇園囃子」でもこの時代設定と同じような京都が登場する。何か神がかったものがあるのであろう。
2万円で水揚げというと、今で言うとどういう金銭感覚なのであろう。日経平均株価が昭和25年を100として現在が1万円と考えると、貨幣価値がほぼ100倍と考えていいと思う。そうすると約200万か、水揚げしても全部自分のものになるわけではないからちょっと高いかなって気もするけど、戦災に遭っていない旦那衆はそのくらいどうってことないか。

金閣寺炎上事件は三島由紀夫の小説「金閣寺」があまりにも有名だ。水上勉「金閣炎上」を書いたのはこの映画が上映される前年だ。大映映画で市川雷蔵主演で「炎上」というこの事件をもとにした映画があった。本当に暗い映画だった。市川雷蔵も暗かったが、仲代達矢の友人役がもっと暗かった。ここでは松坂慶子という美形をクローズアップするために僧の精神状態に入り込むというよりも、娼婦になった彼女を追いかけていく。


注目すべきは、五番町夕霧楼の女将役を演じた浜木綿子だ。俳優香川照之氏の母上だ。年齢は当時45歳、華やかな夜の街を切り盛りする女将が実に似合っている。最近でこそ見なくなったが、このころはテレビのドラマで変幻自在の活躍を見せていたものだ。女手一つで当代きっての名優を育てたところが凄い。ただこの映画では、いかにも裏も表も知り尽くしたやり手の女将という姿しかない。自分が当時の彼女の年より上のせいもあるけど、非常に魅力的に感じてしまうのは年のせいかな?


娼婦には中島葵や風吹じゅん、根岸季衣が名を連ねる。中島葵はにっかつポルノで見せたような存在感はない。いずれにせよ、今で考えると全然色の香りがしない。ジャケットとは正反対に松坂慶子もほとんどその裸体を見せないし、バストトップも姿を現さない。そう言った意味では見る人たちを落胆させるかもしれない。




(参考作品)
五番町夕霧楼」
妖艶な松坂慶子


炎上
市川雷蔵演じる修行僧
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映画「ひまわり」 ソフィアローレン

2012-12-24 07:54:36 | 映画(洋画 89年以前)
映画「ひまわり」を久々に見た。
イタリア映画の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督が2人の大スターソフィアローレンとマルチェロ・マストロヤンニを率いて製作した名作だ。第2次世界大戦時に別れ別れになっていた元夫婦の悲哀映画だ。ストーリーの大筋はあまりにも有名だが、ディテールはすっかり忘れていた。地平線まで続くひまわり畑と哀愁こもったヘンリーマンシー二の主題歌が繰り返し流れるのが印象に残っていた。

二次大戦終結後のイタリア。
出征したきり行方不明の夫の消息を求め、役所へ日参する女性の姿があった。
戦時中、お針子のジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアフリカ戦線行きを控えた兵士・アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は海岸で出会い恋に落ちた。結婚休暇を目当てに結婚式を挙げたふたりは幸せな新婚の日々を過ごす。精神疾患による除隊を目論んだアントニオは首尾よく精神病院に入院するが、仮病がわかってしまう。懲罰の為、ソ連戦線へと送られる。

終戦後、ジョバンナは年老いたアントニオの母親を励ましながら夫の帰りを何年も待ち続けた。同じ部隊にいたという男に出会う。男の話によるとアントニオは敗走中、極寒の雪原で倒れたという。ジョバンナは生存を確かめるため、ソ連へと足を運ぶ。

かつてイタリア軍が戦闘していたという街でアントニオの写真を見せて回るジョバンナだったが、一向に消息が掴めない。 言葉も通じない異国で懸命にアントニオを探し続けているうちに、写真を見た人からあの家の主人じゃないのかなと一軒の家を紹介される。家に向かうと洗濯物を干す若い女性がいた。無言でその女性を見つめる主人公だ。幼い女の子供もいる。そして主人公はその女性にアントニオの写真を見せる。

ロシア人女性・マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)は家の中にジョバンナを向かい入れる。動揺しながらも家の中で待つジョバンナだ。やがて汽笛が聴こえ、マーシャはジョバンナを駅に連れて行く。汽車から次々と降り立つ労働者たちの中にアントニオの姿があったが。。。

ロシアに向かって夫を探しに行ったあとで2人が出会うシーンは映画史上に残る名シーンであろう。そのシーンだけはさすがに背筋がぞくっとする。でも2人が知り合ってから出征する途中までは比較的緩慢だ。ソフィアが懸命に夫を探そうと、役所に怒鳴りこんだり、ロシアの役所と人と現地をまわるシーンとなってくると、グイッと引き締まってくる。同時にソフィアの表情が幸せだったころより美しく見えてくる。

主演2人の存在感があまりに強いので、すっかりその存在を忘れていたが、現地で妻になったマーシャを演じたリュドミラ・サベーリエワがかわいい。濃い女ソフィアローレンと対照的なやさしい匂いのする女性である。旧ソ連の体操選手クチンスカヤを連想する可憐な姿に惹かれる。監督はあえて正反対の彼女を起用したのだと思う。旧ソ連の名作「戦争と平和」にも出ていた美人のロシア人だ。我々が日本で酔った勢いで行くロシア人パブにはアバズレばかりでこんな可憐な美人はいない。

この映画の脚本にはいくつか欠点もある。ネタばれ系なので控えるが明らかにおかしい部分がある。当然この映画の撮影当時は冷戦が続いているわけで映画撮影の許可をもらうのも大変だったろう。それを差し引いて考えねばならないだろう。ヴィットリオ・デ・シーカ監督は映画「終着駅」ジェニファージョーンズとモンゴメリークリフトを起用し、駅での名シーンをつくった。ここでもその流れを組む。駅というのはドラマを生む。

初めてみたのが小学生、次に見たのは名画座で20代だったかな?
それぞれに違う思いがある。もう一度出会ったときに2人が交わす会話は大人になった時でないとわからないものがある気がした。

ひまわり
戦争で離れ離れの2人とその再会
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矢沢永吉 2012年紅白歌合戦出場決定!!

2012-12-21 19:49:35 | 矢沢永吉
とんでもないビックニュースが来た。

横浜の40周年コンサートへ一緒に行った友人からメール。
「ご存知ですか?」 何だろう!メールを開くと
「友達が騒いでいます。 ヤザワが紅白にでるって!」

「うそ?!」ヤザワ大ファンの友人なので、間違いないと思うけどまだわからない。
「北島三郎ばりにこの間の武道館最終日のように雪の中歌ったらいいかも?」なんて返信する。
そういえば紅白総合司会はこの間インタビュー番組でお相手した有働由美子アナウンサーじゃなかったかな?
と思いだす。

ネットを見る。
ニュースに出ている。どうやら間違いなさそうだ。

ファンクラブサイト記事を引用すると

NHK総合「NHK紅白歌合戦」に出演いたします。

番組名:「NHK紅白歌合戦」
放送局:NHK総合
放送日:2012年12月31日(月)19:15〜23:45
※出演時間は未定です。
※放送日時等は予告無く変更される場合がございます。予めご了承下さい。

3年前突如紅白に登場した。本当にビックリした。
「時間よ止まれ」を最近歌っていないせいかとちる。
でもいかにもヤザワらしい貫禄のステージだった。
気にしているせいか翌年のコンサートでもあえて「時間よ止まれ」歌っていた。。

今年東京スカイツリーでのライブ40周年のインタビュー番組いずれもNHKに出演してずいぶんと貢献した。噂があったが、本当に実現してうれしい。有働さんもかなり説得したのであろうか?武道館コンサートの余韻がやまないままに、素晴らしいステージを見せてくれるだろう。

比較するのがいいか悪いかどうかを別として1990年末紅白の植木等のステージを連想する。いかりや長介がまだ存命だった時のドリフのステージもよかったが、90年の植木等は「スーダラ伝説」を歌い実に迫力があった。小林信彦の本によれば「これでいつ死んでもいい」と植木は言ったそうだ。偶然だが、あのときの植木等と今のヤザワは同じ年だ。大スターが紅白の中で自分自身の集大成として存在感を見せるパターンってある。ヤザワも同様かも?ぜひ長めにやらせてほしい!!
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矢沢永吉 122回目の武道館(2012年)2

2012-12-19 14:40:19 | 矢沢永吉

MCだ。何度も引越しをこれまでしてきた。
一番印象的なのはオーストラリア事件の後、アメリカに家族で6年行ったときのことだ。
自分も荷造りを手伝った。疲れて家族中がボロボロになった。
アメリカの吉野家は気楽に食べられるのでいつも行っていた。
引越しのときも行った。いつもはいない日本人が入ってきた。先方はすぐヤザワだとわかった。
「矢沢さんですね」といわれてこちらも会釈した。ちょうどの事件のあとで、先方は何か話しかけたそうだったが、そのまま「がんばってください」ということで終わった。
何気ない話を面白おかしくヤザワが語る。

アコースティックギターの調べが美しい「ひき潮」だ。バックにはストリングスが入る。
ヤザワは夏の終わりの切なさを歌わせると天下一品だ。
バラードに身を任せながら、静かに目を閉じる。高校時代の思い出が浮かんでくる。
いまさらながら「こうすればよかったなあ」なんてことを思ってしまう。
この当時の歌を聞くと、いつも同じ展開になる。
ヤザワとともに歩んできた40年、あっという間だったなあ!

新曲が2曲続く。「イッツアップトゥユー」「ジャミンオールナイト」だ。
この2曲が良かった。リズムセクションが充実して、70年代のストーンズを思わせるギターの柳のノリもいい。
ヤザワには失礼だが、CDをきいているだけではこの2曲そんなに良くはきこえない。
この2曲ともCDの10倍いい。コンサートではえる歌なんだろう。重厚感のあるロックだ。
良質のフルボディワインを飲んでいるような感覚だ。
「YOKO」を歌う。
最近この歌やってくれないじゃないの~と娘に言われたらしい。

手を上げながら軽くタオルがあげられる「ワンダフルライフ」
誰が指示しているわけでもないのにみんなが同じ動きをする。不思議なもんだ。
この曲が出てくるとコンサートが終盤にかかってくる感じがしてくる。
「真夜中のロックンロール」は典型的なヤザワのロックンロール、曲に合わせて
ツイストでも踊りたくなる。キャロルのノリが残っている。
「BUDDY」は新曲でなじみが薄いが、悪くない。長く歌われる歌になるかもしれない。
そして「背中越しのI LOVE YOU」だ。この曲やるのは久しぶりじゃないかしら?
地方転勤から戻ってきて、仕事の取引先の人にヤザワの武道館に誘われた。
久々のコンサートは最高だった。そのころ新作CDで歌われていたのがこの曲だ。
最初聞いたときはそんなによく感じなかったが、何度も聞くうちに耳に焼き付いてきた。

アンコールになる。
後ろのダンサーはいないけど「最高のROCK YOU」はいつもながらノリノリだ。
ツインギターが2人ともギター交換するので「HAHA」だなと
ステージに噴射するスモークにあわせて、ギターのフレーズが流れると観客は準備してきたタオルをここぞとばかり真上に投げる。この時間のために1年間働いてきた人も多いだろう。
ロック演歌という感じがする。「離れない」と観客も一緒に歌う声が響く。
みんな酔いしれている。
そして「トラバス」若干じらしながら「ルイジアナ!」と言ってスタートする。
トラバステープが舞い上がるのを目で追う。今回は妙にきれいに飛んでいる気がした。
観客の上にテープが落ちるので、アタフタ拾おうとしている人がいない。
これで終わりかな?とみんなのっている。

そうしたらヤザワが水を飲む。あれもう一曲だな?
武道館の天井近くにミラーボールがあるのは入ってすぐ気がついた。
どのバラードでやるのかな?と思っていた。途中そのことをすっかり忘れていた。
最後でやってくれました。昨年は「ラストクリスマスイブ」で雪が舞い散ったが、今回は「回転扉」だ。
バックはアコースティックピアノでシンプルなアレンジだ。これが最高だ。
胸にジーンと来るバラードだ。武道館の天井を照らし続けるミラーボールの光が美しい。
今年一年これで終わるなあと感じつつ、コンサートが終盤を迎えた。
去り際にバンドの連中が観客に手を振っていたのが印象的だ。

反省会を新宿でやりながら、ヤザワのパワーに敬服した。
飲みだしたら止まらない。翌朝はお決まりの二日酔い。
いずれにせよ、一年間ご苦労様でした。

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矢沢永吉 122回目の武道館(2012年)1

2012-12-19 14:29:55 | 矢沢永吉
年末恒例の矢沢永吉武道館コンサート最終日にいってきました。
イチョウの木が黄色く色づくころはいつもウキウキする。武道館にいかないと年が越せない心境だ。

横浜のときはチケット交換で大変な混乱だった。今回はあっさり通過、ただ手荷物検査がいつもより厳重だった。カメラとペットボトルのことを言っていたけど、中で飲酒するやついるんじゃないかな?
そういうための検査なんだろう。

外も寒いので6時過ぎに館内に入る。ステージ真正面のいい席だ。席の前が通路だし、全体が良く見渡せる。
6時20分過ぎからこれも恒例のエーチャンコールが始まる。白いスーツのお兄さんたちは学芸会に出演の児童たちのようだ。
開演の7時になる前は観客席でウェイブまで始まった。横浜を思い出す。すぐに開演を伝える館内放送が流れる。ロックのリズムが鳴り響き、幕が開くが誰もいない。え!と思ったらバンドが入ってくる。
ライティングがきらきら光る。裏は飛行機のプロペラが回っているようだ。
そしてヤザワ登場だ。
柳、柳沢のツインギターを従えながら、ロックのリズムが流れると観客の興奮は絶頂に達した。
「レイニーウェイ」だ。ヤザワものっている。そして「ロックンロールに感謝」といつもの台詞
イントロで迷彩を施すが「恋の列車はリバプール発」に続く。古いファンはみんな一緒に歌う。
横浜でも早いうちにこの曲をやった。次は新曲かな?なじみのない曲だ。

「122回目の武道館コンサートにようこそ」でMCがスタートする。
ついこの間100回を迎えたばかりなのにあっという間だ。
今年一年ジャニーズのように走り続けた。取材も120回受けたといっていた。
本当に本当にご苦労様

エレクトリックピアノのやさしい音にあわせたバラード「エイシャンシー」だ。
これはなかなかいい。ちょっと喉の調子がワルそうという情報があったが、このバラードの声なら大丈夫だ。
初期のロックでゴールドラッシュから「ガラスの街」「黒く塗りつぶせ」と続く。
横浜と似たような選曲の展開だ。
ヤザワファンおなじみの「GET UP」
観客が右手を上げながら、ノリノリの姿を上から眺める。気分がいい。

MCにはいると、キャロルの話になる。
その昔はそんなにキャロルの話はしなかった気がする。
解散寸前の話だ。末期に若干バンドが緩慢になってきて、気合を入れようかと
「解散しようか」とメンバーに持ち出した。本当はそんな気は全然なかった。
そうしたらメンバーが「そうだね」といって逆にヤザワがあわてたという。
男と女の関係でも「終わりにしたくない人」が終わりにしようというんじゃないとヤザワがのたまう。

「共犯者」だ。これもいい。今回はこういうブルース系のロックが良く聞こえた。
ライトが消えた後「MISTY」ステージの周りをグリーンが包む。素敵なバラードだ。
「YOU」ではツインギターがさえる。柳はいつも通りだが、柳沢が戻った。
ドラムスとベースが変わっていた。リズムセクションの充実でロックナンバーが重厚に聞こえる。
「ローリングナイト」で「雨降るシカゴじゃ。。。」とアメリカの地名が続く。
ブルース系の色彩が今回は強い印象だ。
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映画「灼熱の肌」 モニカ・ベルッチ

2012-12-16 21:28:47 | 映画(フランス映画 )
映画「灼熱の肌」はフィリップガレル監督によるフランス恋愛映画で、イタリアの美人女優モ二カベルッチと監督の子息ルイガレルの共演だ。

俳優のポール(ジェローム・ロバール)は友人の紹介で、画家のフレデリック(ルイ・ガレル)と出会う。フレデリックは、イタリアで女優をしているアンジェル(モニカ・ベルッチ)と結婚生活を送っていた。ある日、ポールは端役で出演している戦争映画の撮影現場で、女優のエリザベート(セリーヌ・サレット)と出会い恋に落ちる。

数日後、ローマにいるフレデリックとアンジェルから「絵画を見に来い」と誘いを受けポールとエリザベートが訪れる。ポールは、フレデリックのアトリエで絵を見せてもらう。フレデリックとポールとが男同志仲良く過ごしていた。2人は革命思想で意見が一致する。「いつも彼と一緒ね。」とエリザベートが男のポールに嫉妬心をもつ。4人はクラブに出ていく。アンジェルとエリザベートはフロアで踊りだした。するとアンジェルと一人の男性が一緒に踊りだす。その姿を見ていたフレデリックが「娼婦みたいだ」と言い放つと、アンジェルは腹をたてた。
明け方、アンジェルが部屋に戻るとフレデリックからの手紙が置かれていた。「君を傷つけて悪かった。人生で君ほど愛した人はいない」結局仲直りしたが、4人で行く予定の旅行に行くのをアンジェルはやめた。

映画の助監督であるロランと昼下がり、安いホテルで落ち合っているのであったが。。。

先日劇場で同じフィリップガレル監督の「愛の残像」を見た。モノクロカラーの光と影の映像が美しい映画だったが、もう一つ盛り上がらなかったので、この作品を見に行くのは止めた。

映画はじまってすぐルイ・ガレルがたたずんでいる姿を映した後、モニカ・ベルッチがその豊満なバディを見せる。おっとこれから先が楽しみかな?と一瞬思わせた後で、ルイガレルが運転する姿を映す。彼はそのまま激突してしまうのだ。そうした後で最初の場面に映画の時間軸を戻す。
上に述べたようにストーリーが展開するんだけど、何か緩慢だ。

モニカ・ベルッチは当然きれいなんだけど、そのバディはいかにも中年の域に達していて熟女の世界だ。でもバディだけを見たら、日本のAV熟女ものの方がマシに見えるんだけどなあ。しかも、彼女以外に見どころがない。残念だった。
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007 スカイフォール ダニエル・クレイグ

2012-12-12 20:20:15 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
映画「007スカイフォール」を劇場で見てきました。
ジェームスボンドがダニエルクレイグになって三作目だ。今年はロンドンオリンピックの開会式でエリザベス女王をエスコートしたのが印象的だった。前作が割と短かったのと対照的に2時間半近くの作品となっている。いきなりのアクションに度肝を抜かれた。ボンド作品では珍しい登場人物の深層心理に迫る比較的違った展開だ。

各国のテロ組織に潜入している工作員を記録したMI6のハードディスクが何者かに奪われる。トルコイスタンブールで同僚のエージェントが負傷して、ジェームスボンド(ダニエル・クレイグ)は犯人を市内で懸命に追いつめる。そしてボンドは列車の上で逃げる犯人と格闘する。そこをMI6の長官M(ジュディ・デンチ)の命令で黒人女性から放たれた銃弾に撃たれ、橋の上から谷底の川へと落ちていく。Mはリストが奪われた責任を追及され上官(レイフ・ファインズ)から辞職を迫られるが、これを拒否。しかしその直後、リストを奪った犯人によりMI6のオフィスが爆破され、さらなる犠牲者を出してしまう。死んだと思われたジェームスボンドは生きていた。ひっそりと海辺の街でアルコール漬けの生活をしていた。テレビでこのニュースを見たボンドは再びMのもとへ舞い戻り、現場へ復帰する。そして犯人の手がかりを求めて上海へと渡るが。。。


いきなりのアクションが凄い。末梢神経を刺激される。
同僚が撃たれているのを見て、犯人を追いかけていく。見ている方がひやひやする人ごみの中のカーアクションのあとにバイクに乗って色づいた瓦葺屋根の上を走り回る。ドーム形の建物がイスラム系寺院に見える。しかも、歴史あるバザールを映し出すのでイスタンブールではないか。そう思っている時もアクションが続く。列車の上を格闘する。格闘している2人がトンネルに差し掛かるを見るとひんやりする。そうしている間にMからの指令が届く。あれよという間にボンドが狙撃され鉄橋の下におちていく。連続性があるこの活劇的アクションにビックリする。でもこれがこの映画のアクションのピークであった。

前回は短くまとめるために、次から次へと舞台が変わり、内容がわかりづらかった。今回のテンポは自分向きだ。サムメンデス監督というと「アメリカンビューティ」「ロードトゥパーディション」いずれも好きな作品だ。特にジュードロウの悪役ぶりが冴える「ロードトゥパーディション」はよく人に薦める。最近は精彩を欠く印象だったが、Mや悪役の心理的な動きに注目させるあたりが他と若干違う。

上海やマカオの映像も見ていて楽しいが、度肝を抜かれるような部分はない。

マカオの海上カジノのイメージがちょっと違う。どちらかというと、コンチネンタルスタイルのカジノほど品よくない。タキシード姿は見たことないなあ。大声を出す中国人が目立つ大衆的な感じである。しかし、ここで見せるアジアンテイストのインテリアがなかなか素敵だ。格子が美しい。上海での狙撃場面にモジリアー二の絵画が出てくるのが御愛嬌だ。ライティング設計がエキゾティックだ。マカオのボンドガールもなかなかエロティックだ。


この映画で冴えるのは悪役バビエル・バルデムだ。

彼はなかなか出てこない。「ジョーズ」でサメが約1時間半近く姿の全容を見せないと同様である。そして廃墟の一角で姿を現す。コーエン兄弟のオスカー作品「ノーカントリー」で演じた非情な殺人鬼のイメージもあるが、どちらかというと「バットマン」のジョーカーのような変態的な要素をもつ。登場する時に派手にあらわれるところが似ている。「恋するバルセロナ」で演じた色男もうまいけれど、西洋版「生きる」というべき「ビューティフル」で演じた末期がんの男を含めワルが似合う俳優である。

今回はMが重要な役割を果たす。データ漏えいも含め、MⅠ6の存在意義が問われるという設定である。ジュディ・デンチがピンチである。ましてやレイフ・ファインズ演じる上官が加わる。辞職まで迫られるし、サイバーテロを起こしたのは昔の部下だ。存在感がある。ボンド対テロリストというよりも、M対テロリストの構図とも考えられる。ジュディデンチもいい年だ。死んだ僕の母と同じ年だ。こんな映画に呼ばれることも少なくなるだろう。いつもながらのブリティッシュイングリッシュがなかなかいい。そう言えばボンドがMのことをBITCHと言っていた。戸田奈津子さんはこれを「クソババア」と訳していたのには笑えた。

この映画で一番驚いたのは長崎の軍艦島がロケに使われていたことだ。

この9月に行ったばかりなのでなおのこと驚いた。でも廃墟の島に上がった時に出てくる映像は軍艦島でないと思う。エンディングロールは普通途中帰ってしまうんだけど、確認するために最後まで見ていた。漢字で「軍艦島」と出てきたので、間違いないことを確認して帰った。

早くもボンド誕生50周年だという。初期の「007はニ度死ぬ」「サンダーボール作戦」とかで父親と一緒に映画館に行ったのがつい昨日のことのように感じられる。月日の流れるのは早い。ボンドカーのアストンマーチンが出てくると無性にしびれる。
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娘との勉強再開2

2012-12-12 09:34:14 | 家族
うっち先生へ

趣味で勝手なこと書いてある変なブログにコメントいただき恐縮です。私も大学時代は塾講師のアルバイトやっていました。

>娘さんの受験の際のブログにて公立校より私立校のほうが面倒見がいいのでは?といった内容がを書かれていましたが、その後2年間公立高校に通われて実際どのように感じられてますか?

確かにその記述を書きました。私立高校の個別説明会で、娘と同席して先生の話を聞きました。その時に直感で感じたことです。
2つ私立進学校合格しましたが、いずれも勉強をかなり熱心に指導している印象でした。娘の受かった進学クラスは部活入部禁止ということでした。ポイントはそこかな?と思っています。

今行っている高校は部活入部が必須になっています。勉強できる子は部活も勉強も両方ちゃんとやり、進学成績もいい。そういう話が学校で語られるので、部活も夕方というか夜までやります。娘は体力があるわけでないので、両立はできません。両方とも中途半端で、勉強しない癖が付いたので成績も下降の一途です。
どちらかというと、公立高校の方がこういう文武両道が語られるのではないでしょうか。
娘の学校の課題はものすごく多いです。各科の教員が全体のバランスを考えずに、課題を出すので気が付くと答えを写すので精いっぱいという状態になります。それなのに夜まで部活をやらせるというのは矛盾があります。私立高校はその進学成績で自分たちの給料が大きく影響されるので、勉強だけに集中している印象です。でもどっちに行くかはその人の考え方次第でしょう。
勉強だけが人生ではないという評価もあるでしょうから。
今娘の通っている学校でも、そういう文武両道をこなし有名校に行く人が割といます。でもそれって全体の1、2割といった印象です。合格体験記なんて見ると凄い勉強法やっているなあと感心する人もいます。私立公立どっちの評価はその人によるでしょう。

最近感じるのは、単に勉強のことだけ考えるのであれば、中高一貫校の方がいい気がします。途中で受験をはさまないので、中だるみもあるかもしれません。でも今の普通の高校教員たちは妙な焦りがある気がします。それと、今中学で習う内容と高校で習う内容に異様にギャップがあるということです。そのため短期間でいろんなことを詰め込もうとするので、一部の体力のある子を除けば付いていけないのではないでしょうか。中高一貫校であれば(想像になりますが)中学時代から高校で習う内容も少しづつ教えることができるので、まだ楽なのでは?

自分が崇拝する勉強本に有賀悠さんの本があります。知っている限りではこの本を上回る勉強本はないと思っています。絶版でアマゾンではなんと6万で中古本で売られています。彼は福岡の有名公立高校から東大に現役入学、その後薬学部卒業時に上級国家公務員、薬学部大学院、理科3類合格そして医学部進学という凄い人です。そんな彼も能力で絶対にかなわないなあと思ったのは、小学生までに頭をフル回転する訓練を受けた人だと書いてありました。例えば灘や東京の御三家出身者、将棋のプロになる人、そろばんの有段者などをあげていました。そして小学校の2年間はその脳を発達させるために一番いい時期だそうです。そこで脳をフル回転する訓練をすると中高6年が楽になると言っています。
頭の良し悪しは関係ないという人がいるけど、頭のいい人はいる。関係ないという人はきっとそれは屈辱的思いをしたことのない人だ。有賀さんはそういいます。同感です。理科3類に行った人だから、なおのことそう感じる場面は多かったのでしょう。遺伝による部分もあるでしょうが、それに加えての訓練も早いうちの方がいいという考えでした。

自分は公立高校出身で、娘も同じ道を歩みました。もうそれ自体は変えようにないので、今の設定条件でどこまでいけるか考えるしかありません。
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娘との勉強再開

2012-12-09 09:39:55 | 家族
中学の時、受験に備えてずいぶんと勉強したものだった。それはブログにも書いた。
先週、「その後どうですか?」というコメントをいただき、改めてやばいと思っているところです。

今高校2年生である。部活を遅くまでやっていい学校である。自分の場合、定時制がある高校だったので部活は遅くとも5時半までとなっていた。通常5時までだ。ただ練習が厳しいので5時寸前にかかる音楽を聞いてこれで終わりだとほっとしていた気もする。ところが、娘の場合は7時近くまでやっている。いや7時すぎることもよくある。学校まで約40~50分くらいか?電車に乗っている時間よりも歩いている時間も長い。帰りは早くはない。
そんな訳で気が付いてみるとまったく勉強しなくなっていた。

一年の時は少しは中間期末の前に付き合っていた。2年になると、だんだんそれもやらなくなってきた。数学が最悪の状態だ。嫌いだといってやらない。微分積分やベクトルとか点数がとりやすいのになんて思いながら、まったく教科書すら開かない。完全に国英社の私立型のことしか考えていない。それはそれで仕方ないと思うが、受験科目さえろくにやっていない。
そういう自分が同じころどうだったかと言えば、それなりにというしかない。高校一年終えて、英語の通信簿が初めて4をつけたのにやばいと思って、英文解釈と英作文の予習をやるようになった気がする。それはそれでよかった。あの時やらなかったら受験は駄目だったろう。でも基本麻雀に狂っていて、授業を抜け出して家で麻雀をやるのが日課に近くなっていた。学校の面々ともやるが、別の学校に進学した連中ともずいぶんとやった。高校中退で働いているやつもいた。徹夜になった。その面子は大学進学でない連中だから、いくらでも遊べる。奴らはディスコ通いにも狂い始めていた。ロックジャズをはじめとして音楽も好きだったので、そういうエリアは大好きだ。もちろん映画も好きだった。人のことそんなに言えることしたわけではない。

2学期の中間テストの時、一緒にやろうと試験10日くらい前に言ったけれどまったくやる気を示さなかった。本人がやる気を出さないんだから無理だろうと思い静観していた。どうもそれがイケないらしい。中間テストの成績は最悪だった。親も成績がわからない状態だった。そんな時「この教科書がない」と娘が懸命に探しているのを見て妻が一緒に探したら、見つかった本の中から成績表が出てきた。
アッと驚く妻で、相当絞ったらしい。

そりゃそうだろう。まったく勉強しなければ、誰だっていい成績なんてとれるわけがない。
こうなったら就職した方がいいんじゃないかと話だした。娘の学校で就職する人は数年に1回くらいしかいない。自分は共学の進学校だったが、当時2,3人就職した子はいた。家庭の事情もあったのであろう。いずれも日本を代表する企業に就職していった。でも時代が30年違うと、どうも勝手が違うようだ。そんな話をしたけど、本人はまだ大学進学しか考えていないようだ。田中真紀子さんがこの間騒ぎを起こしたように、大学だってたくさんできている。行こうと思えばどこでも行ける。でもでたはいいけど、就職はないでは困る。

ともかく受験科目だけはやろうといい始めた。でもなかなかやらない。
挙句の果て、家では勉強したくないとまでいい始めた。勉強に集中できないというのだ。困ったなあと思いながら、先週は娘と2人ファミレスをはしごしながら少しずつやり始めた。完全に勉強をしない癖が付いているので、頭に入って行かない。定期テスト前だから教科書をやればいいようなものの、中学と違って教科書準拠の中間期末対策問題集なるものは高校にはない。学校から渡されている問題集には答えがない。教員でないと売ってくれない。授業を聞いていればいいけれど、アニメのキャラクターの絵しかノートには書いていない。友達に勉強の好きな子はいない。昔も今も女は高校になると落ちていくのかなあと思いながら、まだあきらめてはいけないと自分で心を引き締める。

比較的簡単な4択問題集からやり始めた。4択を選ばせることからはじめて、次にその答え自体が答えられるように、教材を加工した。自宅で加工して会社でひっそりコピーする。プラスでもう一冊問題集を用意した。参考書なんてやっても無理だ。まずは問題集の答えの言葉に慣れてもらうしかない。一時に比べると記憶のスピードは落ちたが、僕がやるよりはもの覚えは悪くない。でも覚えるのに時間がかかる。内容は簡単ではないからだ。
「中学校だったらもっとすぐ覚えられたのに今は覚えられない。」
「勉強して悪い成績だったら落ち込むからいやだ」なんてネガティブ言葉の連発だ。
困ったなあ。でもめげずに食らいつく。期末テストを前にして一日休暇を取った。代休でカバー可能だ。
映画もあまり見ていない。

今の中学はゆとりだ。でも高校の内容は決してやさしくはない。確かに数学を見ても、以前数Ⅰでやっていたことが数Ⅱになったり、数Ⅱの行列や一次変換が数Cで理系しかやらないなんてことあるけれど、中学と高校の学ぶ内容にギャップがありすぎて戸惑っているのかもしれない。しかも学校からの課題が多い。それはほとんど答えを写して終了。これじゃ学力向上どころの話じゃない。困ったものだ。

「覚えるのに一度で覚えられる人はいないよ。5回くらい繰り返さないと」と自分が持っている有賀ゆうの学習本を見せながらいう。自分も同じ問題集をやってみる。当然自力で全部解答するのに時間がかかる。お父さんもお互い一緒だよといいながらやっている。今日もやるつもりだ。イヤー困った。
今年は会社全体の業績が伸び悩む中、自分のまわりは一年中いいことずくめだった。他にも面倒な問題がいくつか解決した。
やっぱり全部うまくいくことはあり得ない。
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映画「人生の特等席」 クリントイーストウッド

2012-12-04 06:02:25 | クリントイーストウッド
クリントイーストウッドの新作映画「人生の特等席」を劇場で見た。
「グラントリノ」で俳優業卒業と言われていたイーストウッドがメガホンをとらずに、俳優に専念する。
予想よりもよかった。
父娘の愛情をこんなに素晴らしく描いた映画はそうはない。見ていくうちに引き込まれていった。
どちらかというと、娘をもつ父親が感動する映画のような気がする。

主人公ガス(クリントイーストウッド)はアトランタブレーブスの老スカウトだ。ガンコ一筋の性格で妻と死別して27年の一人暮らしだ。弁護士の娘ミッキー(エイミーアダムス)とは別々に暮らしている。老いて最近は目の調子も悪い。検査してもらったら失明の危機すらある状況なのに、そのままスカウト業を続ける。体調の異変に気がついた同僚(ジョングッドマン)は娘に連絡する。娘は弁護士事務所のパートナーになれるかどうかの瀬戸際で、次の裁判に勝ったらパートナーに推挙すると言われていた。そんな多忙の娘であったが、病院に問い合わせて父親の目が悪いことを知る。娘は父に勧告するが、父娘ともに頑固で話はいつものように決裂だ。


主人公は有望選手の出る試合を見にノースカロライナに向かう。そんな主人公を見て、同僚は娘に一緒についていってあげたらという。自分の昇進がかかった大事な時であるが、娘は休暇を取り追いかけて行った。
その有望選手は強打者でドラフトの目玉だ。他のメジャーリーグのスカウトも黙ってはいない。そこには以前主人公がスカウトした男フラナガン(ジャスティン・ティンバーレイク)もレッドソックスのスカウトとして来ていた。投げすぎて肩を壊してブレーブスからはトレードされて、今はスカウトだ。主人公は昔の仲間と旧交を温めにバーへ行く。娘も一緒についていった。そこで娘は店にいた男にからまれた。すぐさま助けに来る父親が男の胸ぐらをつかみ修羅場になる寸前、止めに入る。それをきっかけに娘とフラナガンは近づくようになるのであるが。。。

英題は「Trouble with the curbe」という。curbeはこの映画の中にいくつか出てくる。人生でもあり、車道でもあり、ピッチャーの投げるカーブでもある。一瞬なんだ?という英題が見終わるとなるほどと思えてくる。

野球映画でもある。
「マネーボール」の舞台となったアスレチックスはID野球の本場のようなチームだった。今回はまるで反対で主人公はパソコンは一切触れない、自分の触感だけしか信じられないスカウトとして描かれる。娘もその父の元で育ったので野球好きである。名前のミッキーはミッキーマントルからとられたのは明白、それ以上に野球オタクの域に達している。
劇中に野球の記録知識に関するクイズをレッドソックスのスカウトである恋人とバーで語りあう場面が出てくる。「20勝投手4人いたのに優勝できなかったチームは何処?」「両リーグでMVPを取ったのは誰?」なんて質問を語りあう。この場面、背筋がぞくっとした。少年時代野球の記録オタクだった自分は知っていた。こんな楽しいデートってないだろう。自分も大学時代こんな話を飲み屋で後輩たちと語り合った記憶がある。相手は男だけど、楽しい瞬間なので30年たっていても記憶から抜けない。最後に出た「レジーがワールドシリーズで3本打った時のピッチャーは誰?」しびれるなあ!!レジージャクソンだよね。自分は答えがわからなかった。
そんな娘ミッキーが途中から野球で重要な役どころを見せる。
これは見てのお楽しみだが、楽しい展開だ。

そんな娘との父娘愛も語られる。強い遺伝子があるせいか、2人とも頑固だ。すぐケンカしてしまう。それでも仲直りというか、普通の状態で話ができるというのもやっぱり親子だからであろう。突如小さい時のつらい思い出を普通の食事の時にべらべら話出して、楽しい場面を台無しにしてしまういかにも女性的混乱のシーンを見せたりするのが象徴的だ。

イーストウッドは明らかに「グラントリノ」から年を取っている。そりゃそうだろう、82歳だ。40年以上親しんだ彼の声も老いでかすれてきた。前回俳優業卒業を宣言した後のこの作品は本当に最後になるかもしれない気もした。劇中はほぼ出ずっぱりだったが、この声のかすれは限界に近付いている印象だ。

エイミーアダムスはいつもながらかわいい。今回は弁護士役でインテリだ。父親に距離を置きながら自立する女性を演じる。エリート弁護士に求愛されながらもふん切れない。相手との壁をつくってしまう。30過ぎの美人でインテリだけど結婚しない女の典型をうまく演じている印象だ。

映画「目撃」でも似たような親子愛があった。あの時泥棒役のイーストウッドはローラリニーと素敵な親子を演じた。自分が好きなイーストウッドの一つだ。今回の親子愛はもっと自分の心に響いた。
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