映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「フェラーリ」アダム・ドライバー&ペネロペ・クルス&マイケル・マン

2024-07-07 07:25:18 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「フェラーリ」を映画館で観てきました。


映画「フェラーリ」マイケルマン監督、アダムドライバー主演でフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリ1957年の動静に絞って描いた作品である。個人的にはマイケルマン監督もアダムドライバーも相性がよく、しかもペネロペクルスが出演することで楽しみにしていた作品である。2020年初頭の傑作「フォードvsフェラーリ」ではフォードの目線でライバル関係を描いていて、エンツォフェラーリ謎めいた気難しい存在だった。

1960年代に入ると、フェラーリが連戦連勝でフォードが挑戦する立場となる。その前の1957年はむしろエンツォフェラーリにとっては公私ともども試練の年であった。フェラーリ社の長い歴史の中でも重要な年に絞って、創業者フェラーリの動きを追っていく。

1947年にエンツォフェラーリ(アダムドライバー)は妻ラウラ(ペネロペ・クルス)との共同出資でフェラーリ社を設立した。前年1956年に難病の息子ディーノを24歳で亡くし、会社の金庫番である妻ラウラとの仲は冷えきっている。フェラーリには大戦中に知り合った愛人リナ(シャイリーン・ウッドリー)がいて、2人には息子ピエロがいた。ピエロがフェラーリ姓を名乗れるかの問題があった。


仕事上では資金ショートの局面に陥り、アメリカのフォード社からの出資話や同じイタリアのフィアットがそれに対抗してカネを出す話もある。カネの動きから愛人と息子の存在を知ったラウラとの関係が最悪となる時に、エンツォはイタリアを縦断するロードレース「ミッレミリア」に参戦する。エンツォは自薦他薦のレーサーから5人を選んでレースに臨む。


エンツォフェラーリの実像に迫るマイケルマンによる快作だ。
感動するといった映画ではない。エンツォフェラーリの暗部に着目する内容で、倦怠期の妻との関係、隠し子の存在、レースに対する冷徹な態度、予期せぬ事故など決して明るい映画とは言えない。

それでも、毎回ゴージャスな姿を見せるペネロペクルスが髪を振り乱して嫉妬するいつもと違う一面、テストコースでの走りをスピード感をもってとらえるカメラ、イタリア観光案内のように歴史ある街並みをひたすら走るレースの迫力など見どころは満載なので飽きさせない。さすがに男性客がいつもより目立ったが、女性が観ても楽しめる作品と感じる。


恥ずかしながら「ミッレミリア」のレースの存在は初めて知った。夜に出発して、なんと1600キロも一般道を走り抜くのだ。当然、1957年であれば現在よりは道は整備されていないであろう。そんな中で全速力で走り抜く。夜の描写が得意中の得意のマイケルマンが映すイタリアのレースの場面がすばらしく、レースの全容を俯瞰したカメラとレーサーに接近したカメラを使い分けて躍動感をだす。レーサーの人間模様にも迫る。

歴史ある建物がそのまま残っているイタリアの市内で、観客のエキストラが大挙して応援している中、レーシングカーを細い道で走らせる。この閉塞感も大画面で見ると迫力がある。こういうシーンも日本映画では無理だなあ。お見事である。


最近多い3時間近い放映時間にまとめてエンツォフェラーリの人生をもう少し長く捉えるようにすると中途半端になったかもしれない。当然、エンツォフェラーリを演じたアダムドライバー「パターソン」などのいかにもアメリカ人ぽい風貌でなくイタリアの大物ぽい雰囲気になりきる。レーサーの起用にはきびしく、「ブレーキを忘れろ」なと手厳しいエンツォの実像がよくわかる。役者としての大きな成長を感じる。


マイケルマン監督作品では個人的にはトムクルーズ「コラテラル」がいちばん好きだ。「パブリックエネミーズ」も自分のベスト100に入る。今回もレースシーンを丹念に描いて、家庭内の複雑な関係も巧みに映す。おおらかな顔を見せないペネロペクルスの使い方も上手い。さすがである。
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映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」 アレクサンダーペイン&ポールジアマッティ

2024-06-21 22:02:51 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ホールドオーバーズ」を映画館で観てきました。


映画「ホールドオーバーズ」「サイドウェイ」監督アレクサンダー・ペインと主演のポール・ジアマッティが再度コンビを組んだ新作である。黒人女優のダヴァイン・ジョイ・ランドルフがアカデミー賞助演女優賞を受賞している。「サイドウェイ」はカリフォルニアの郊外のワイン畑をまわるロードムービーの傑作でこの映画をきっかけにポール・ジアマッティの作品を観るようになる。3人が一緒になるポスターが目につくが、先入観なしに映画館に向かう。

1970年冬、ボストン近郊にある全寮制のバートン校で古代史の教師ハナム(ポール・ジアマッティ)は融通が効かない教師で、斜視で堅物と生徒からも嫌われていた。クリスマス休暇で生徒と教師のほぼ大半が家族と過ごすなか、ハナムは校長から学校に残るようにいわれる。あとは勉強はできるが家族関係が複雑なアンガス・タリー(ドミニク・セッサ)と息子をベトナムの戦場で亡くした料理責任者メアリー(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)が学校に残ることになった。3人で迎えるクリスマスにアンガスからある提案があった。

気の利いたアメリカ人情劇で自分が好きなタイプのアメリカ映画だ。
脚本の巧みなリードで当初感じた嫌悪感から自分のハートを徐々に情感処理していく。「気の利いたウソ」が映画の主題といった印象をもつ。何せポールジアマッティがいい。

雪景色の学校やボストンの街などのバックに映る背景がすてきだ。ボストンは時代を感じさせる街なので、1970年の設定でも何とかなっちゃう。レストラン、屋外スケート場、博物館、古本市、ボーリング場などを通じてアメリカらしさが伝わる、寮生の部屋に貼っているポスターやペナントで時代を感じさせて、「ノックは3回」や「ヴィーナス」などの全米ヒットチャート1位になったポップスのヒット曲で1970年当時の空気が伝わる。


⒈ポールジアマッティ
ポールジアマッティは名門イェール大学出のインテリで、父親はイェール大学の学長もつとめた血統だ。学校の教師役はお手のもの。でも、ダメ男を演じることが多い。「アメリカンスプレンダー」のオタク男や「win win」の仕事のない弁護士などそうだ。「ラブ&マーシー」でのブライアンウィルソンの主治医のような悪役もある。ともかく役柄は幅広い。


アレクサンダーペインがアカデミー賞脚色賞を受賞した「サイドウェイ」では小説家志望の国語教師だった。女に尻込みするパッとしない奴なのにワインのうんちくを語らせると突如能弁になる主人公である。ここでも世界史の序盤戦ギリシャローマ史は専門でくわしい。ある意味似ている。でも、今回は前回と違ってイヤな奴だ。上位大学に進学が決まった生徒にも平気で悪い点をつける。落第寸前の生徒にクリスマス休暇での勉強を前提とした追試を設定する。われわれがよく知っているイヤな教師だ。

結局、クリスマス休暇に最終的に3人残るわけだが、その辺りから様相が変わってくる。3人の距離が縮まる。そしておもしろくなっていく。本当は学校に残っていなければならないのに「社会科見学」とこじつけて3人でボストンに向かう。そこでハナム先生も二度と会うはずのなかったハーバード大学時代の同級生と偶然出会うのだ。そこに居合わせた生徒のアンガスに意外な事実がわかってしまう「気の利いたウソ」がポイントになるようにストーリーの展開が変わっていく。

⒉ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ
自分が好きなエディマーフィ主演のNetflix映画「ルディレイムーア」で主人公の妻役の歌手だったのを思い出した。1970年といえば、1968年のキング牧師暗殺はそんなに昔のことでないし、その年にはメキシコオリンピックで黒人選手が表彰台で抗議した。大学の賄いを受けもつ黒人のメアリーの存在も微妙だ。生徒によっては露骨に差別する奴もいる。そんな複雑な立場だ。

ベトナム戦争で息子を亡くしている。若者にとっては暗い時代だ。そんな時代に息子を亡くした母親の立場は、アメリカ人で胸にしみる人も多いだろう。もちろん表情豊かで個性的な演技は評価すべきだと思うが、アカデミー賞でも同情票も集まっただろう。


⒊人情モノ的要素
実はクリスマス休暇に学校にやむなく残った3人それぞれにドラマがあった。最初は寮の中で好き勝手に振る舞う生徒たちがなんかイヤだなと思っていたら徐々に人情モノ的な要素が出て来る。1人残った生徒も再婚した母が新しい夫と旅行にいくので休暇といっても帰れない。そこで実の父親との交情も含めた話になっていく。ひと時代前の日本映画に多い展開だ。

そういうドラマが展開する中で堅物のハナム教師も変わっていく姿がいい。ネタバレできないが、ラストに向けては、うーんという同情心とほろ苦い感触をもつ。でも、映画の後味は悪くない。

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映画「ブラックベリー」 

2024-06-16 17:09:14 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ブラックベリー」(日本未公開)をNetflixで見ました。


映画「ブラックベリー」は2023年のカナダ映画、日本未公開である。新しくNetflixのラインナップに入ってきた。知らない映画だなぁと思ったが、スマートフォンの創成期が取り上げられ興味深く感じた。ブラックベリーの携帯電話についての知識はない。監督は自ら出演しているマットジョンソンである。

日本映画でも洋画でも, IT技術者に関わる映画は、自分とは比較的相性が良い。昨年公開の東出昌大主演の「winny」も好きな映画だった。近くのTSUTAYAが閉店以来日本未公開のDVDを見る機会がすっかりなくなった。残念である。未公開作品には意外に掘り出し物ってある。今回も興味半分で観てみると、これがおもしろい!

通話機能だけだった携帯電話にメールとメッセージの機能を加えたコンパクトサイズの携帯端末を開発した男たちの物語である。

1996年、カナダのオンタリオ州ウォータルー「リサーチ・イン・モーション(RIM)」マイク・ラザリディスとダグラス・フレギンは、「SSサザーランド・シュルツ」のジム・バルシリー副社長の元へ「ピンクリンク」という名の携帯電話にメール機能を加えた機器のプレゼンを行う。他のことで気をとらわれていたジムはその場で却下する。ところが、ジムが突如RIMの事務所にやってくる。

まさに掘り出し物の映画だ。実におもしろい!
こういうときこそNetflixに感謝する。

最初の出だしだけ一瞬よくわからないまま進むが、オタクのRIMの2人とハーバード出の上昇志向の強い男が出会う場面からリズムが良くなる。高揚する場面とクレームであたふたする場面を巧みにバランスよく配置する。出演者の名前は誰も知らないし、日本未公開はやむを得ない。主要な役柄のキャラクターはかなり個性的である。オタク集団らしさもよく伝わり、それぞれの個性を浮き彫りにする演出もいい。


⒈ルーズなオタク集団
通信機能にメール機能がついた機器を売り込んだ相手先のジム副社長が、オレに売らせろと自分に50%の株を売って経営者にさせろと乗り込んでくる。会って間もない奴に任せられるかというのは当然だろう。RIMのオタク集団はモデムを有力会社に売り込んでいるが、完成まで代金回収ができないことも判明する。RIMのトップのマイクとダグラスは、会社のヤバい資金繰りを踏まえてジムの受け入れを決意してジムも共同経営者になるのだ。

⒉プレゼンの成功
ジムは経営状態が厳しいのを承知で,個人資産も注ぎ込む。早速営業にかかる。でも試作品がない。これまでのツテで売り込み先はあっても、ツールがない。クライアントはそれではわからない。マイクに試作品を作るように迫る

でも,そんなに簡単には作れない。ジムからの強い要求にマイクとメンバーは慌てて電気部材を買いに行き、ベル・アトランティック(ベライゾン)へのプレゼン当日までに徹夜でメンバーが試作品を作り上げる。それを持ってマイクとジムがニューヨークのクライアントに乗り込むのだ。ところがマイクはうっかりタクシーの中に試作品を置き忘れてしまう。2人は呆然とする。

クライアントが待つプレゼン会場は手ぶらのジムが入るだけだ。相手はジムの口だけの説明では納得しない。そこにようやく,マイクが入ってくる。
プレゼンの相手の専門的質問にも全て納得ずくめに返答し、試作品も起動する。オタク社長の熱いプレゼンの成功である。この後ブラックベリーは一気に売れていく。

いざとなったらオタクの強みが何より必要なのがよくわかる場面だ。


⒊好条件での人材探し
ブラックベリーは軌道に乗る。しかし契約数も劇的に伸び、回線数は限界まで達してきた。そこでメール使用不能の不都合が起きる。回線数オーバーを会社内で対応できる人材がいない。ジムは無理矢理やらせようとする。でも無理だ。

どうしたらいいかと相談して、超有名企業の有能な人材を引き抜くことにジムが着手する。GoogleやMicrosoft、任天堂などへスカウトに行く。そして10,000,000ドルに及ぶ株価オプションを利用する高額の条件を提示する。こんなことって日本じゃないよね。あまりに公平をうたいすぎて沈没する日本社会を思う。

その結果有能な技術者は採用できた。同時にこの採用活動で見つけた営業管理者をCOOでスカウトする。ダグラスの立場が弱くなり職場の緊迫感が強くなり社内の雰囲気は変わっていく。


⒋ iPhoneの登場
ブラックベリーはコンパクトサイズだが、キーボードがあった。そこに登場したのがiPhoneだ。スティーブ・ジョブズがプレゼンする実際の映像が映し出される。全世界をあっと言わせた場面だ。マイクはキーボードの重要性を相変わらず主張するが、世間の流れは変わっていた。しかも、米国証券取引委員会(SEC)から主要メンバーがにらまれるのである。それからは転落の一途だ。

ブラックベリーの栄枯盛衰を描いた映画である。まさにリズミカルで簡潔にRIMと携帯端末の歴史を追っている。見てよかった。
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映画「ブルックリンでオペラを」ピーターリンクレイジ&アン・ハサウェイ

2024-04-26 09:08:07 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ブルックリンでオペラを」を映画館で観てきました。


映画「ブルックリンでオペラを」は小人の俳優ピーターリンクレイジとアン・ハサウェイ主演のニューヨークを舞台にしたラブコメディだ。監督は女性監督のレベッカミラーだ。いかにもアンバランスにピーターとアン・ハサウェイが並ぶポスターが目立つ。そこにベテラン女優のマリサトメイが加わる。スキマ時間ができた時に、いくつかの作品から選ぶ。主演の2人よりマリサトメイが出ていることが気になる。

ニューヨークブルックリンに住む現代オペラの作曲家のスティーブン(ピーター・ディンクレイジ)は。5年前にスランプに陥り、担当医となったパトリシア(アン・ハサウェイ)と出会い結婚した。でも、状況が変わらず曲想が浮かばない。

スティーブンが散歩に出てバーでウイスキーを飲んでいると、女性客カトリーナ(マリサ・トメイ)に話しかけられる。タグボートの船長だという彼女に誘われ船に入ると、カトリーヌは黒い下着姿になり気がつくとメイクラブ。我に返って船から逃げ出す。すると突如、曲想がわいてくる。


スティーブンの作った新作現代オペラは公演で大喝采を浴びる。その話はスティーブンのちょっとした気まぐれな逢引きがきっかけだ。すると、もともとストーカーの気があったカトリーヌはスティーブンを追いかけるようになる。

事前予想よりおもしろかった。
アメリカのラブコメディだけに、ロケ地の設定、室内の調度品も含めた美術、登場人物の衣装を含めて完璧だ。ピアノ基調の音楽もよく、現代オペラは自分には縁のない世界だけど、普通の現代演劇をオペラ歌手が演じるようでおもしろそう。アンハサウェイもニューヨークのセレブらしさがでていていつもより美しく見える。


さすがに基調となるストーリーだけでは2時間はもたない。主人公の18歳の息子のラブストーリーも並行する。息子の16歳の彼女の母親はなんとスティーブンの家のメイドだったのだ。裁判所の速記官である相手の継父は娘の相手が気に食わず一悶着が起きる。16歳では結婚できないのに彼氏とメイクラブしている証拠を見つけ、裁判にかけると大騒ぎ。そんなドタバタが続く。


久々にマリサトメイを観た。60歳に近づいてきた。若き日にいとしのビニーでアカデミー賞助演女優賞を受賞している。でも停滞期を経て、40代になってからストリッパー役だった「レスラー」「その土曜日, 7時58分」などで形のいいバストを披露した。これはなかなかの美乳でこちらも興奮する。今回、黒い下着姿でピーターリンクレイジにかぶさる場面では久々に見れるかと一瞬ドキドキしたがそれはなかった。さすがにその年齢では無理か。
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映画「異人たち」

2024-04-22 18:48:40 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「異人たち」を映画館で観てきました。


映画「異人たち」山田太一原作、市川森一脚本、大林宣彦監督による1988年の作品「異人たちの夏」のリメイクである。自分のベスト100に入れているくらい好きな映画である。泣けて泣けて仕方なかった。今回はロンドンと郊外の町が舞台で、「さざなみ」「荒野にて」アンドリュー・ヘイが監督である。主人公がライターということは同じで、亡くなった父母に会う設定も変わらない。前回、主人公風間杜夫の恋人役で名取裕子が登場していた。主人公はゲイの設定で、男性の恋人を持つ。原作のファンだけに見逃せない作品だ。


孤独に暮らす中年の脚本家アンドリュー・スコット)が住むロンドンのマンションには、2戸しか住んでいない。ある夜、もう1人の住人(ポールメスカル)が突然、ウィスキーを片手に誘ってくる。でも、その場は酔客の申し出を断る。

脚本家は自分が幼少期を過ごした郊外の町を訪れると、町の店で父によく似た男(ジェイミーベル)を見かける。あとをつけて行くと男の方から声をかけてきた。そのまま家に向かうと母(クレアフォイ)もいた。12歳の時に両親は交通事故で死んだのに、前と変わらない姿でやさしくしてくれる。世界を不思議に思わない。自宅に戻った後でマンションの住人に近づき、やがて恋人のようになっていく。そして何度も両親に会いにいくのだ。


もう一歩のれなかった。
ストーリーの基調として、なつかしの父母に会う設定は変わらない。同じアパートに住む恋人と親しくなるのも変わらない。でも、恋人は男性だ。ゲイ映画の色彩が強い。ゲイ同士の恋の映画は苦手。男性同士の性的な場面も多い。セリフも当然変わってくる。母親がひと時代前の価値観なのかもしれない。息子がゲイであることに対して,強い嫌悪感を持つ。でも、最終的にはかわいい息子だけに少し気持ちが変わってくる。


演技のレベルは高かった。特に主人公と母親とのセリフのやりとりが良かった。母親は自分の息子がゲイになることに対して嫌悪感を持ち態度がかわる。主人公の悲しい表情がリアルであった。それでも,母親は優しい。こうやって映画を見ていると亡くなった父母が自分の目の前に現れてくるような感覚を少しだけ持った。「異人たちの夏」を直近で観たのは父母が亡くなって少し経ったときだった。泣けて泣けて仕方なかった。そこまでの感覚はなかった。


いまいち乗れなかったけれども,父母がもうこれ以上自分たちに会ってはいけないと語るシーンはジーンとしてきた。浅草とロンドンと舞台が変わり,大衆的なムードはない。いかにも英国的な雰囲気が漂う。しかも、今回は恋人になったマンションの男性は名取裕子のように大暴れはしなかった。大きく違うのはそこなのかもしれない。
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映画「アイアンクロー」 ザック・エフロン

2024-04-10 20:25:04 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「アイアンクロー」を映画館で観てきました。


映画「アイアンクロ-」はプロレスラーの鉄の爪フリッツフォンエリックと4人の息子との物語である。自分と同世代か少し下までの少年たちには、フリッツフォンエリックの存在はかなり強烈なものがある。馬場、猪木時代の日本プロレスに再三来日して、我々少年たちを恐怖に陥れた存在だった。プロレスごっこをすると、アイアンクローをやる少年は多かった。題名自体にグッと引き込まれてしまう。映画館内も自分と同世代か上の男性が目立つ。同じような思いで来ているのであろう。


1960年代から70年代にかけて、プロレス界で一世を風靡した鉄の爪フリッツフォンエリック(ホルトマッキャラニー)、は,息子3人をプロレスラーに育てあげた。1980年代次男ケビン(ザックエフロン)、 三男デビット(ハリスリキンソン), 四男ケリー(ジェレミーアレンホワイト),五男マイク(スタンリーシモンズ)は世界の頂点を目指していた。しかし,デビットが日本でのプロレスツアー中に急死する。さらにここから悲劇に見舞われる。フォンエリック家は祖母の血筋の名前であるが,呪われた家族と言われていた。


まさに呪われた家族の物語である。
1980年代になると,自分はあまりプロレスを見ていなかった。それなので、あのフリッツフォンエリックの息子たちがここまでプロレス界で活躍していることを知らなかった。しかも、亡くなったケリーはNWAの王者にもなっている。息子たちが次々と亡くなるのには驚いた。

次男のケビンを中心にストーリーが展開する。ザック・エフロンはいかにもプロレスラーらしく、体を鍛えて、この映画に登場する。プロレスファイトのシーンも多い。NWA世界チャンピオンハーリーレイスやリックフレアも出てくる。両者との戦いもすっきりした形にはならない。プロレスファイトのシーンで高揚感を覚えることもほとんどない。ただただ,悲劇的な家族のことを描き出す。


映画自体は,最後まで飽きずに観ていける。ひいき目もあるかもしれないが、父フリッツ役ホルトマッキャラニーの好演が目立った。それにしても、これって本当に実話なのかと思ってしまうような悲劇であった。

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映画「オッペンハイマー」クリストファーノーラン&キリアン・マーフィー&ロバート・ダウニー・Jr

2024-04-01 17:06:52 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「オッペンハイマー」を映画館で見てきました。


映画「オッペンハイマー」は、本年度アカデミー賞作品賞に輝いた原子爆弾製造のリーダーを務めたロバートオッペンハイマー博士の物語である。クリストファーノーランがメガホンを取る。アメリカの公開からかなり遅れての日本公開である。下手すると同時公開がある位の時間的感覚なのに、今回は原子爆弾が題材になっているだけでせっかくの傑作をようやく見れた。3月は飲み会だらけで,映画をあまり見れなかった。本当の最終日にようやく観れた。

アカデミー賞受賞の主演男優賞のキリアン・マーフィー,助演男優賞ロバート・ダウニー・Jr、いずれもハイレベルの演技で当然の受賞であった。キリアンマーフィーは、特徴ある目の演技が素晴らしかった。オッペンハイマーと敵対するルイスストローズ役をロバート・ダウニー・Jrであると一瞬でわかる人は映画ファンでも少ないだろう。


3時間ずっと音楽がなり続ける。不穏な音楽だ。流れるムードは暗い。
原子爆弾がテーマではあるが、よくよく見ると,マッカーシズムの赤狩り摘発の映画と言ってもいい。東西冷戦に至る前、共産主義に強い対抗意識を持った戦後アメリカ史を理解しないで,この映画を理解できるのかなと言う感じもした。オッペンハイマーは、いらぬ疑いをもたれた被害者である。


原子爆弾製造の過程のプロセスと,原子爆弾の実験, 投下にもっとストーリーのウェイトがあると思っていた。オッペンハイマーがもともと共産主義者だったこと,組合結成に入れ込んでいたことなどを通じて左翼思想者だった事実が強調される。戦後ソ連が原子爆弾を開発する。それに対して,オッペンハイマーがソ連のスパイではないかと疑われた。そのための公聴会だ。映画を通して、その公聴会の映像が映る。周辺には確かにソ連のスパイが存在した。オッペンハイマーの妻は元共産党員であり,エロい場面もある浮気相手も共産党員だ。要はかなり前に共産主義者だった人まで摘発してしまおうとするマッカーシズムの怖さである。赤嫌いの自分が見てもやり過ぎだ。

いくつかの出来事が,時間差で映し出される。頭が混乱する観客も多いだろう。戦後の公聴会でのオッペンハイマーのパフォーマンスと, 1942年原爆製造の「マンハッタン計画」が始まってから原子爆弾完成までの映像が交差する。

コンピューターを作り上げ、原子爆弾製造にもにも関わった物理学者フォンノイマンの伝記を繰り返し読んでいたので,原爆投下までの流れは一応わかっているつもりだ。フォンノイマンはバリバリの赤嫌いだ。逆にオッペンハイマー共産主義に入れ上げていた過去がある。対照的なので、ファンノイマンの伝記ではオッペンハイマーの存在は英雄ではない。水爆の開発に関わった人たちに、オッペンハイマーに不利な証言をした連中がいたようだ。


原子爆弾の後に,より強い破壊力を持った水素爆弾製造に至るときに,オッペンハイマーが反対していた事は本を読んで知っていた。原子爆弾投下で一躍ヒーローとなったオッペンハイマーをトルーマン大統領がホワイトハウスに招いたときに、その発言に、あいつは二度と呼ぶなと言ったシーンもある。水爆製造反対だからといって,ソ連寄り、共産主義者とは違う。


この映画はオッペンハイマーの苦悩を示すものとなっていると想像はできた。確かに,原子爆弾が広島に投下された時、歓喜の声を上げるシーンはある。日本人はむかつくだろうと想像したわけだ。でも,原子爆弾投下完了の時点でも自分がリーダーとして爆弾を作ったのにオッペンハイマーは良心の呵責に悩まされている。それなのに、こんなに世論を気にして、この映画を公開させない日本映画興行界の知的レベルの低さを感じた。
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ドキュメンタリー映画「リトル・リチャード アイ アム エヴリシング」

2024-03-06 20:37:53 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「リトル・リチャード アイ アム エヴリシング」を映画館で観てきました。


映画「リトル・リチャード アイ アム エヴリシング」チャックベリーと並ぶロックンロールの帝王リトル・リチャードの人生を語るリサ・コルテス監督のドキュメンタリー映画である。

ビートルズに関心を持ち始めてすぐ典型的ロックンロールの曲「ロングトールサリー」が好きになり、リトルリチャードの名前を知った。いわゆるオールディーズと言われるロックンロールミュージックで誰もが知っている曲を作ったのがチャック・ベリーであり,リトル・リチャードである。

初期のビートルズは2人の歌を自らアレンジしてアルバムに収めていた。ロック界に影響与えたなんて宣伝文句が飛び交っているが,このリトルリチャードだけはまさに本物である。そんなリトルリチャードの人生を描いたドキュメンタリーとなると見てみたくなる。


編集力に優れた音楽ドキュメンタリーである。
ものすごい数のフィルムから映像を的確に引用し,それぞれをコンパクトにわかりやすく編集してまとめている。リトルリチャードの音楽人生がこの映画を見るだけでよくわかる。気分が高揚する映画である。

映画ではリトルリチャードの生まれてからの家族との関わりやその後音楽界で這い上がっていく履歴、そしてヒット曲を出してからのリトルリチャードの姿を追っていく。ポールマッカートニー,ミックジャガーといったロック界の巨人の証言なども交え、いかにリトル・リチャードがロック界に大きく影響を与えたのかも示している。。

若き日にコンサートツアーで一緒だったミック・ジャガー「ロックンロールは彼が始めた」と証言し、ポール・マッカートニー「歌で叫ぶのはリチャードの影響」と語る。この映画でリトルリチャードの歌っている歌詞がかなり卑猥だと言うことを知った。これはこれでいろんな影響与えているかもしれない。


ゲイだったリトル・リチャードが偏見を持たれた人生を送った。リトルリチャードと言えばあのオカマっぽいメイクやファッションが印象的である。ジョークを飛ばしまくりで,大きな口を開けながらボクシングのモハメッドアリのように大口を叩く。見ようによっては,バットマンのジョーカーのようにも見えてくる。


リチャードに不利だった契約書にサインして後に作曲して得られる印税がもらえない悲劇も映画の中で触れる。これには驚いた。ともかくオールディーズの曲がライブハウスでかかるとリトルリチャードの曲が流れる割合はむちゃくちゃ多い。ビートルズだけでなくエルビスプレスリーやパットブーン、クリーデンスクリアウォーターリバイバルなど彼の曲のリメイクを歌っているアーティストは多い。金に困った話にも触れる。契約書の読み込みさえ間違っていなければ本来は巨万の富を築いたはずだったのに気の毒である。

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映画「ダム・マネー ウォール街を狙え」 ポール・ダノ

2024-02-03 04:59:06 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ダム・マネー ウォール街を狙え!」を映画館で観てきました。


映画「ダム・マネー ウォール街を狙え!」は2020年末のゲームストップ株騒動を描いたポール・ダノ主演の新作である。女子フィギュアのお騒がせ女を描いた「アイ,トーニャ」クレイグ・ギレスピー監督がメガホンをもつ。期待できそうだ。株式投資に関わる話とあってか、アメリカンコメディでは珍しく男性陣の観客が目立つ。

大発会こそもたついたとは言え、年始から全般的に日本株も好調である。ただ、大型株が買われる正統派の相場なので、ちょっとこの映画の仕手株騒ぎとは違うかも。それでも、株好きはついつい劇場に向かうだろう。


2020年マサチューセッツ州の会社員キース・ギル(ポール・ダノ)は、全財産の5万ドルゲームストップ株につぎ込んでいた。実店舗でゲームソフトを販売するゲームストップ社は倒産間近のボロ株と見なされていたが、キースはネコのTシャツ姿で動画を配信し、ネット掲示板の住民に訴える。すると、個人投資家がゲームストップ株を買い始め、ジワリと上昇した後に大暴騰となる。

ゲームストップを空売りしていたヘッジファンドの主は大慌て。ゲームストップ株の大暴騰のニュースは、連日TVメディアで報道され、全米を揺るがす社会現象に発展する。キースは利食いせず、数百万人のちょうちん筋も持ちづけた時に事件が起きる。


傑作と言うわけではないが,ひたすら面白い。
言葉遣いも汚くて,現代アメリカ映画らしい荒っぽい作品だ。ネットでゲームストップ株の推奨をし続けるキースだけに焦点を合わせるわけではない。ゲームストップ株をスマホで買って一喜一憂するネット投資家も、ゲームストップの店員や女子学生、看護婦など数多く登場する。最初は静かに買い始めた後で,強い上昇基調に利食いをためらっていく構図が面白い。同時に, 100億ドル以上の運用資産を持っているヘッジファンドの投資家が完全にナメきっていたゲームストップ株の暴騰に唖然とする姿も見ていて面白い。


自分自身が大ファンであるボールダノのDJパフォーマンスが実に楽しい。またより面白くさせるためにセス・ローゲンなどのコメディーの人気俳優を登場させる。新NISAが始まって,シコシコ積み立て投資をし始めている人には,この映画の真意がわかるかなぁと言う素朴な疑問はある。信用取引をやったことない人には空売りの踏み上げをくらう精神的苦痛はわからないだろう。

⒈空売りの踏み上げ
信用取引での空売りは,証拠金を預けて株を売って,安いところで買い戻して利益を得る。それ自体はなんとなくわかるであろう。しかし、証拠金の担保割れ,すなわち追証発生の原理を理解していないと本質なところはわからないのではないか。

結局株で資産を失うのはレバレッジが絡むものである。100万円で2割下がっても20万円の損失で済むが, 100万円の証拠金で300万の株を買い2割下がったら証拠金は60万減り40万になるわけである。しかも売りの場合損は無限大である。担保割れになって,追証が発生して追加金を入れなければいけない苦しさは味わったものでないとわからない。

それにしても,日本と違いストップ安あるいはストップ高のないアメリカでは,青天井に急上昇あるいは下落していく。ゲームストップの売り方は肝を冷やしているだろう。黒木亮の小説にも「空売りファンド」の話が出てくる。ヘッジファンドは別にインチキをやっているわけではない。潰れそうな株を売り浴びせて倒産寸前に買い戻す正当な商行為なわけだ。ここでも大富豪たちがヒヤヒヤしている場面が数多く映って,観客の笑いを誘っていた。


⒉SNSで動く買い方
ポールダノが演じているのは実際のキースのパフォーマンスを真似していたのであろう。YouTubeの画面の前でパフォーマンスをしてゲームストップ株がいかに素晴らしいかを語っていく。それに対しての支持者が数多く出てくる。当初は数倍上がっただけだった。ただ、それだけでも凄い話だ。

狂信的支持者が一気に増えていく。買い方が何百万人と言うわけだ。ボリンジャーバンドと言う株価分析がある。その分析の中でバンドウォークという急上昇場面がある。2標準偏差以上の移動平均との乖離が続く。いわゆる偏差値で言えば70から80以上の乖離場面がずっと続く世界だ。

チャートを確認していないが,ゲームストップ株にとっては超バンドウォークの極致の域に入っていたのであろう。今年入ってすぐの日経平均もこのバンドウォークの域に数日入っていた。上昇し始めると止まらず、逆張りが一気に持っていかれる世界だ。


素人とプロ投資家の対決と映画宣伝でしたのは正直大げさな気もする。上昇しているときに売らない投資家だけ映画で取り上げたけれども,おそらくはかなりの投資家が利食いを繰り返して儲けたのではないか。一般投資家を先導しているキースは自ら公表している手前利食いができなかった。やはりええカッコしいで目立ちすぎはいけないと感じる。
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映画「小説家との旅路」 マイケルケイン

2024-01-24 17:43:14 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「小説家との旅路」(原題Best Sellers)は2021年製作の日本未公開のカナダ映画である。


以前はTSUTAYAのDVDコーナーに日本未公開の掘り出し物がいくつかあった。近所のTSUTAYAが潰れ、めっきりそういう作品を見なくなった。今回Netflixの一覧画面を見ているときにマイケル・ケインの主演作品「小説家との旅路」を見つけた。こんなの見たことないやと思い,やはり日本未公開だった。本がテーマなのでなんとなく話に乗れそうな感じを覚えたので見てみる。いい感じだった。カナダ人女性リナロースラーが監督で、復活したベストセラー作家マイケル・ケインが演じ,出版社の女性社長をオーブリー・プラザが演じる。

親が経営していた出版社を引き継いだルーシー社長(オーブリープラザ)は,経営難を打開しようと父と組んでいたベストセラー作家ハリスショー(マイケルケイン)の小説を出版する。そして,本を売り込むためにトークショーなどで地方をまわるブックツアーに出る。ところが、人嫌いのハリスは方々で突飛な行動を起こしルーシーを戸惑わせる。

ハートウォーミングなロードムービーだ。
掘り出し物のヒューマンドラマである。
恥ずかしながら「ブックツアー」と言う言葉を初めて知った。日本でも出版記念でサイン会を書店で著者が行うことがある。「ブックツアー」は地方のどさ回りをして著者自らプレゼンテーションするプロモーションを行う意味だ。海の向こうではごく普通に行われている作家の仕事のようだ。


まさに偏屈な老人の典型のようなハリスは、奇怪な行動をとる。酒のボトルが離せない。ルーシー社長も酒でハリスを釣ってブックツアーにでる。ハリスは出版レセプションでNYタイムズの書評家を脅したり、自分の本に放尿したりメチャクチャだ。抑えるルーシー社長が大慌てだ。でも突拍子もない振る舞いがSNSで評判になり本は売れる。公開当時は88歳だったマイケルケインが,オーブリープラザと絶妙なコンビを組んでいる。

残念ながらマイケルケインは直近に俳優業からの引退を発表した。助演男優賞で2度アカデミー賞をとっている名優だ。「アルフィー」「ミニミニ大作戦」の主演作は1960年代だ。戯曲の映画化「リタと大学教授」も印象に残る。直近では「サイダーハウスルール」バットマンの執事のイメージが強い。年齢からしたら引退は仕方ないと思うがクリントイーストウッドやウディ・アレンなど映画界には長寿な人たちがずいぶん目立つものだ。

マイケルケインと一緒にブックツアーに出るオーブリープラザもベテラン相手に一歩も引かず良かった。ラブコメの人気女優もドタバタに付き合わされたいへんだったが、終わり方は悪くない。一方で年老いたマイケルケインも自分の年齢の半分以下の若い女優や女性監督を相手にボケたふりをしながら楽しんでいるように見える。
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映画「サンセバスチャンへ、ようこそ」 ウディアレン

2024-01-21 11:14:26 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「サンセバスチャンへようこそ」を映画館で観てきました。


映画「サン・セバスチャンへ、ようこそ」は久々日本公開のウディ・アレン監督脚本のコメディ作品である。いろんな問題で干されているウディ・アレンだけれども,自分は大好きだ。新作をずっと心待ちにしていた。今回の舞台はスペイン,アメリカから映画祭に来ている映画の元大学教授が主人公だ。主演のウォーレスショーンは初期のウディ・アレン作品から出演している名脇役だ。自分にはルイマル監督「my dinner with Andre」の主演としての印象が強い。ここではウディアレン監督の分身のような存在だ。フランス,スペイン,ドイツの名俳優たちが脇を固める。

かつて大学で映画を教えていたモート・リフキン(ウォーレス・ショーン)は、今は人生初の小説の執筆に取り組んでいる。映画の広報の妻スー(ジーナ・ガーション)に同行し、サン・セバスチャン映画祭に参加。スーとフランス人監督フィリップ(ルイ・ガレル)の浮気を疑うモートはストレスに苛まれ診療所に赴くはめに。そこで人柄も容姿も魅力的な医師ジョー(エレナ・アナヤ)とめぐり合い、浮気癖のある芸術家の夫(セルジ・ロペス)との結婚生活に悩む彼女への恋心を抱き始めるが…。(作品情報引用)


久々ウディ・アレン作品に出会えてうれしい。
例によってウディ・アレン監督自らの分身とも言える男に独白させるシーンが多く,独りよがりなテイストが強い。その分身は映画祭に来ても現代の映画にはなじめない。妻の浮気を疑って悶々とする一方で診察を受けた女医に心をときめかして近づく。分身の主人公と一般人のセリフがかみ合わないのもいつも通りだ。ただ、ウディ・アレン作品らしくて良い。

それにしても,バックに映るサンセバスチャンの街の美しさに驚く。尋常じゃない。海辺の街並みが色鮮やかだ。デイヴィッドリーン監督の「旅情」のように観光案内的にバックの風景にこだわって映像コンテを作る。つい先日ブログアップした「ミツバチと私」も同じスペインのバスク地方が舞台だった。この映画は海辺が中心で、「ミツバチ」がの方だ。映画はいいね。簡単にはいけない所に連れて行ってくれる。

主人公の妻役のジーナ・ガーションはかつてポールヴァーホーヴェン「ショーガール」やウォシャウスキー姉妹「バウンド」のようなエロチックなテイストを持つ作品で存在感を示した。今でもフェロモンムンムンでボリュームたっぷりだ。浮気性の奥さんはフランスの人気俳優ルイガレルが演じる若き映画監督と逢引きをする。夫に関係を問われて、最初は「何もない」と言ったのに、「実は1回、いや2回」と思わず言ってしまうのが笑える。



診療所の魅力的な女医を演じるエレナ・アナヤはペドロアルモドバルの「私が生きる肌」「トークトゥハー」で主演を張った。解説を見るまでまったく気づかなかった。主人公はぞっこんになり、病気でもないのに仮病を使って強引に近づく。夫の浮気にわめき散らすシーンでは荒っぽいスペイン語だ。ペドロアルモドバルの映画を観てからずいぶん経つが、エレナ・アナヤは相変わらず魅力的だ。


ウォーレスショーンはハーバードとオックスフォードで学んだインテリだ。俳優でもあり、脚本家でもある。若い時からはげている。「死刑台のエレベーター」のルイマル監督「my dinner with Andre」は日本未公開だけど、アメリカの知識人に人気が高い1981年の隠れた名作だ。マンハッタンのレストランで繰り広げられるダイアログ観念的なセリフが続く。自分の高校の恩師から自ら翻訳した字幕付きのvideoを頂いて観た。むしろブ男の部類に入るウォーレスショーンもスペインで美人女優に囲まれさぞかしご満悦だったろう。

どんな映画がオススメと言われたウォーレスショーン演じる主人公は稲垣浩監督「忠臣蔵」と黒澤明「影武者」を薦める。これには驚く。薦められた方は唖然としていた。


最後に向けては、イングマールベルイマン監督の「第七の封印」の名シーンである死神とのチェスを再現する。ドイツのアカデミー賞俳優クリストフ・ヴァルツ死神を演じて主人公と一局指す。出てきた時には思わずゾクッとする。死神にチェスで負けたらあの世行きだ。他にも「男と女」「勝手にしやがれ」など古い映画などからの引用が多い。ベテラン映画ファンはその流れにすんなり入っていけるけど、若い人はわけがわからず戸惑うのでは?
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映画「ファーストカウ」

2023-12-26 06:08:47 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)

映画「ファーストカウ」を映画館で観てきました。

映画「ファーストカウ」は19世紀前半西部開拓途中のアメリカオレゴンでの出来事を描いた女性監督ケリー・ライカートの作品である。ケリー・ライカート監督作品は初めて、アメリカでは2019年に公開されている。普通だとスルーのパターンだが、評論家筋の評判が良い。他にイマイチな作品ばかりなので選択する。

 

オレゴンの田舎町に、料理人のクッキー(ジョン・マガロ) と中国人のルー(オリオン・リー)が流れ者のように来て毛皮業に足を突っ込む。気のあった2人は何か商売をやろうと企んでいた。

仲買人のファクター(トビー・ジョーンズ)が購入した一棟の乳牛に注目して、こっそり乳牛から乳をとり、材料を混ぜ合わせてお菓子にする。市場で売り出すと、おいしいと評判になり連日行列だ。うわさを聞きつけ乳牛の持主の仲買人も買いに来るのであるが。。。

 

評判ほど大きな感動は特になかった。

確かに独特のムードは悪くはない。でも、題材がある種の「泥棒」なので、潔癖症が多い日本人でも自分にその自覚のある人は見ない方がいいだろう。泥棒行為が見つかるかどうかの話に過ぎない。同じような題材を中世や近世以前の日本を舞台にしても作れる話だ。映画の結末を「寛容」という一言で片付ける評論家の神経を疑う

 

開拓途中のオレゴンといっても、よくある西部劇に出てくる町の域に達していない。もっと原始的だ。一時代前の西部劇だと、原住民と開拓民の対決がテーマだった。ここでは共存共栄で生きている。一世紀時代はズレるが、マーチンスコセッシ監督「キラーズオブザフラワームーン」に出ていたリリーグラッドストーンが似たような役柄で出演している。

 

コンビを組んだ2人は身寄りもなく金もない。前半はかなり沈滞しているムードだ。

気がつくとウトウトしてしまう。

色んなアイデアを2人が思いつくけど、実現不可能となった時にクッキー(ドーナツと言ってもいい)を作ることを思いつく。ここからは話が引き締まってくる。目がシャキッとして飽きのこない展開にかわる。

 

深夜に牛のいる邸宅に忍び込んでも誰も気づかない。乳を絞られるは大きな鳴き声を出さない。静かだ。こっそりととった乳をベースにドーナツをつくって市場で売ると大ウケだ。誰もがおいしいと言って行列もできる。材料は?と聞かれて、中国の秘伝として乳牛の乳とは当然言わない。2人はもっと儲けてやろうと、連日深夜の乳とりを欠かさない。

そうしているうちに、牛の所有者の仲買人が噂を聞きつけ、食べに来る。故郷英国の味と似ていると大喜びで、屋敷に招待してブルーベリーを混ぜたお菓子をつくる。そろそろ潮時かと思っても、やめない。そこでミスが起きる。バレてしまうのだ。

実はそれだけのストーリーだ。

ただ、中国でも北部出身のルーが広州からの貿易船に乗って、ピラミッドを見ながら欧州経由でアメリカに向かうセリフの事実がありえるとは思えない。映画作品情報記載の1820年代にスエズ運河は当然ない。1840年のアヘン戦争前の中国は世界中から開国と自由貿易を迫られてもびくともしない時代だ。こんな中国人がいるのかな?と思ってしまう。最近のアメリカ映画は人種を均等に入れることにこだわりが強い。アジア人を強引に入れ込む結果として不自然な設定になったのでは?

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映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」 ティモシーシャラメ

2023-12-12 05:06:17 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」を映画館で観てきました。

 映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」「チャーリーとチョコレート工場」ジョニー・デップが演じた工場主ウィリー・ウォンカの若き日の物語である。メジャーへの道を歩んでいるティモシー・シャラメがウォンカを演じる。監督はポール・キングだ。

テイムバートンの長いキャリアの中でもジャックニコルソンがジョーカーを演じた「バットマン」と同じくらい「チャーリーとチョコレート工場」が好きだ。それだけに、監督と主演が代わってどんな作品になるか楽しみだった。ミュージカルの要素も強いようだ。ファンタジー系を観ることは少ない。今回はと観に行く。

ウィリー・ウォンカ(ティモシー・シャラメ)は亡き母(サリーホーキンス)との約束、「世界一のチョコレート店を作る」という夢を叶えるために、チョコレートの町にやってきた。彼が作る魔法のチョコは、瞬く間に評判に。しかし、それを妬んだ町のチョコレート組合3人組に目をつけられてしまう。

強欲な宿の主人(オリヴィア・コールマン)や小さな紳士ウンパルンパ(ヒュー・グラント)にもひどい目にあわされる。以前からマダムに働かされている人々や孤児の少女ヌードル(ケイラ・レーン)の助けでチョコレート作りをひっそりとおこなう。

単純なファンタジーストーリーだけど、歌と踊りをちりばめて美しく楽しい映像を見せてくれる。色彩設計も楽しめる。
「チャーリーとチョコレート工場」ティムバートンらしい悪夢の世界が映画に漂っていた。ジョニーデップ演じるウィリーウォンカ変わり者の謎の経営者であった。ティモシー・シャラメという日本流で言えばジャニーズ系の人気者を起用して、めっきり明るくなった。

ウォンカにアクの強さはない。毒の要素は、あくまでライバルチョコレート店の3人の店主とホテルオーナーに転化している。悪夢の世界もいいけど、好青年のイメージをもつティモシー・シャラメには似合わない。前回イヤミな少年少女もいたし皮肉めいた部分があったけど今回はない。子どもが観ても十分楽しめる。


映画を観ていて、次から次へとアカデミー賞級の英国の名優が登場するのに驚いた。しかも、悪役を押しつける。思わず、この作品が英国製作の映画でティモシーシャラメも英国俳優だったっけと思ったくらいだ。オリヴィア・コールマン「女王陛下のお気に入り」自体が、普通ではない女王様だし、今回の悪役ぶりが似合う。本年公開の「エンパイアオブライト」では若干の変態要素を持っていた。ひと癖ある役柄をこなすのはさすがオスカー女優の貫禄である。


逆にサリーホーキンスはウィリーウォンカにとって今は亡き優しいお母さん。彼女も個性的な役柄を演じることが多いけど、今回は割と普通だ。主演作「ロストキング 500年越しの運命」は本年公開作品の中でも自分のベスト上位である。目標に向けてひたむきに進む女性だった。今回はひたむきさは息子のウィリーウォンカに譲る。


加えて、久々に元ラブコメディの帝王ヒューグラントを観た。個人的に左利きのゴルフプレイヤーであるフィルミケルソンに似ていると思っていたけど、今回は小人でわからないなあ。この振る舞いだけは観ていて退屈になる。途中で味方だか敵だかわからないけど、最後は味方。あとはおかしな神父になりきるミスタービーンことローワン・アトキンソンが登場する。ただ、彼独特の個性が見せつけられる時間が少ないのは残念。それにしても、英国の主演級をよくかき集めたものだ。
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映画「マエストロ レナードバーンスタイン」 キャリーマリガン&ブラッドリークーパー

2023-12-10 18:12:16 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「マエストロ その音楽と愛と」を映画館で観てきました。


映画「マエストロ」はブラッドリークーパーが名指揮者かつ作曲家であったレナード・バーンスタインを演じたNetflix製作の新作で自らメガホンをもつ。マーラーの5番がバックで流れるモノクロの予告編のセンスがよく、キャリーマリガン演じる妻との語り合い場面がよく見える。予告編を観れば、説明がなくても、ブラッドリークーパーがレナードバーンスタインを演じているのがわかる。そっくりになるようにメイクしている。

このブログに登場する回数は、ブラッドリークーパー,キャリーマリガンともに奇遇にも11回目である。2人ともメジャーに這い上がってきた。もちろん2人の共演は初めてである。

1943年カーネギーホールのコンサートでブルーノワルターの代役としてニューヨークフィルの副指揮者だったレナードバーンスタイン(ブラッドリークーパー)が代役を務めることになりキャリアが開ける。ユダヤ系の父をもつバーンスタインはミュージカルの作曲家としても活躍していた。ホームパーティで妹の友人のチリ出身の俳優フェリシア(キャリーマリガン)と知り合い恋に落ちる。

時は流れ、レナードバーンスタインは名声を高め、フェリシアとの男1人、女2人の子どもが大きくなっていた。一方で仕事仲間の男性とバーンスタインが接近している姿を見てフェリシアはいい顔をしていない。世間でもバーンスタインの男色系の噂が流れるようになっていた。

レナードバーンスタインのウラの一面をクローズアップする。
想像以上に見どころが多く、十分堪能できた。

音楽ファンはNetflixで見れるとケチらずに映画館の大画面で観るべきであろう。


センスの良い予告編を見るだけでは、50年代のモノクロ映画のような肌あいだと思っていた。レナードバーンスタインの若き日をモノクロで、中年以降をカラーの画面で見せてくれる。カラーの画面自体も解像度を落として70年代の映画を思わせるトーンだ。映し出す建物のオーセンティックなインテリアがゴージャスで、ロケハンにも成功して背景も美しい。コンサートホールも皆タキシード姿で正装だ。


演奏や舞台の場面は当然すごいが、1番の見どころは、キャリーマリガンとブラッドリークーパーのトークの絡み合いである。掛け合いがリズミカルでまさに職人芸の域だ。若き日のラブトークだけでなく、結婚倦怠期での罵り合いと両方である。さすがアメリカの超一流俳優の共演だと思わせる。エンディングロールのクレジットトップはあえてだと思うが、キャリー・マリガンである。闘病シーンも巧みに演じる。

映画ではバーンスタインのバイセクシュアルな振る舞いに触れる。若き日のレナードバーンスタインのところへ、ニューヨークフィルの音楽監督のロジンスキーから臨時指揮者依頼の連絡がある。その時、バーンスタインは裸で男性とベッドを共にしている。その場面を観て、初めてバーンスタインにゲイの要素があることを知る。それが、映画のストーリーを追うごとにエスカレートする。今と違って同性愛がタブーとされた時代だ。当然、妻のフェリシアの苦悩を追っていく。

映画で流れる曲の数々は,ブラッドリークーパーが選曲したという。センスある選曲だ。予告編で流れるマーラー5番は一度だけ。「ウエストサイドストーリー」もあの緊張感あふれるプロローグだけだ。

ミュージカルの場面やコンサートホールで指揮する場面もあっても、女性のオペラ歌手を従えてオーケストラを指揮する場面がこの映画の一番のハイライトであろう。レナードバーンスタインを意識したブラッドリークーパーの大げさな指揮ぶりも迫力がある。前半、ブラッドリー本人が連弾でピアノを弾いている場面が出る。リアルに鍵盤を叩いている。音楽的素養を感じた。


自分がクラシックを聴くようになった70年代前半の中学生の頃、レコード店のクラシックのコーナーでは,カラヤンのポスターがやたら目立ったものだ。それに対抗してCBSソニーがレナードバーンスタインを徹底的に売り込んでいた。4チャンネル録音のレコードもあった。

中学の同級生に高校生の兄貴がいて、マーラーが大好きだった。友人の家に行った時兄貴がレコードコレクションを説明してくれて影響を受けた。マーラーの指揮者はレナードバーンスタインだった。その兄貴は添削のZ会のペンネームもマーラーにしていた。映画「ベニスに死す」でマーラーの5番が全面に流れた後で、高らかに鳴り響くレナードバーンスタイン指揮のマーラーの交響曲を聴いたものだ。


映画の作品情報で、「ウエストサイドストーリー」の作曲家として紹介されているのに驚く。あの当時、超有名指揮者のレナードバーンスタインウエストサイドストーリー作曲していたという事実に逆に驚いた。ただ、「ウエストサイドストーリー」版権だけでバーンスタインは一生金には困らなかったそうだ。

指揮者の岩城宏之は追悼文で「ウエストサイドストーリー」について
「対位法やフーガなどのあらゆる作曲技法といい、音楽的ハーモニーの複雑な使い方といい、あの曲はびっくりするほど高度なものを盛り込んでいる。おそろしく高度な作曲技法を使っていてびっくりした。」(岩城宏之 文藝春秋1990年12月号)と大絶賛だ。
50年の時を隔ててレナードバーンスタインの伝記を観れたことがうれしい。
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映画「ナポレオン」 ホアキンフェニックス&ヴァネッサカービー&リドリースコット

2023-12-03 20:07:10 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ナポレオン」を映画館で観てきました。


映画「ナポレオン」はリドリースコット監督がホアキン・フェニックス主演でナポレオンの生涯を描いた新作だ。予告編からスケールの大きい映画だと想像できる。戴冠式のシーンもあるようだ。初めてパリのルーブル美術館に行った時、ダヴィッドが描くナポレオンの戴冠式の絵がもつ迫力に圧倒された。幅が約10mと巨大で、名作の多いルーブルで最も感動した。ずっと目の前にいて唸っていた。


高校の授業でナポレオンのことを習った記憶がない。大学受験で世界史を選択していたので、フランス革命からウィーン会議にかけての出来事はこまかく暗記した。なじみのある名称の事件や戦争が続くが、映像で観るのは初めてかもしれない。ホアキン・フェニックスとの相性はいい。期待して映画館に向かう。

映画はマリー・アントワネットギロチン処刑からスタートする。ナポレオンも処刑場にいたことになっている。軍に入隊して、トゥーロンで英国軍を撃退して戦功をあげた後、ジョセフィーヌとの出会いや国内の内乱に絡むナポレオンを映す。エジプト遠征へ向かった後、国内のトップに上り詰めた時の戴冠式、ロシア、オーストリアとのアウステルリッツの戦いなど歴史をつないでいく。運命のロシア遠征のあと、エルバ島の島流しから復活して、いわゆる百日天下でのワーテルローの戦いとセントヘレナへの島流しまで約2時間半で映し出す。


86歳のリドリースコット監督によるスケールの大きい見事な作品だ。
戴冠式は別として、世界史でただ暗記していただけの事件が実際に映像になっていて、すんなり頭に入っていく。ともかく、戦闘場面の迫力がすごい。これも一部VFXとか使っているとは思うが、実際に颯爽と馬が走り、ぶつかり合う。圧倒される。音楽も実に的確に感情を揺さぶる。これもすばらしい。あとは、ジョセフィーヌへの愛情については、自分は知らなかったので興味深く見れた。

⒈人間味あふれるナポレオンとジョセフィーヌ
ナポレオンが戦功をあげて上流社会を垣間見るようになった時、ジョセフィーヌを見染める。愛人で子供もいたジョセフィーヌに一気に引き寄せられる。そこで見せるナポレオンは、自分の知らないキャラクターをもつ人間ナポレオンだ。ホアキン・フェニックスが巧みに演じる。単純にナポレオンの喜怒哀楽を示す。頑張って?も、ジョセフィーヌとの間にお世継ぎが生まれない。ナポレオンはずっとヤキモキする。バックでいたす場面とかもでてくる。この焦りが前面に現れる。

この映画は比較的セリフが少ない。だからといって、観客にむずかしい解釈能力を必要とさせる映画でもない。革命以降の基本的フランス史がわかれば、映像で理解できる。ジョセフィーヌ役のヴァネッサカービーは適役だと思う。男女の駆け引きを知る恋多き女のイメージにピッタリだ。「ミッションインポッシブル」をはじめとして、いくつかの映画で観たイメージと今回は通じる。


⒉戦闘場面の迫力
ナポレオンが名をあげるトゥーロン要塞の英国軍撃破から軍事の天才ぶりを示す。作戦のアイディアが次から次へとうまくいく。何から何までうまくいく場面を見せるのは痛快だ。

そして、アウステルリッツの戦いだ。雪の中、戦場を映す。静かな雪景色はきれいだ。相手のオーストリア兵の動きを見て的確に指示を出すナポレオン。雪に向かって撃った大砲は雪の下の湖(川?)を露わにする。凍った水面に落ちる兵士たち。そのそばを大量の馬も走っている。こんな面倒な水中シーンよく撮ったな。兵士役の俳優たち大丈夫だったかなと気になるくらいだ。


⒊侮ったナポレオンとロシア遠征
ナポレオンは常にロシアを意識している。アレクサンドル1世の動静を気にしているのが映画でもわかる。トルストイの「戦争と平和」はまさにこの時代を描いた大作だ。

1812年のロシア遠征で失敗して、ナポレオンが勢いを弱めるのはあまりにも有名だ。モスクワからの退却で冬将軍には敵わなかった。映画でも物資補給がうまくいっていない場面がでる。日本軍の末期も補給がなく、ドツボにはまるのは同じだ。


クラウゼヴィッツの戦争論でも、ナポレオンの戦いについての言及がある。
「1812年にナポレオンがモスクワに向かって進軍したとき、その戦役の主眼とするところは、アレクサンドル皇帝に和を乞わしめるにあった。。。たとえモスクワに到るまでにナポレオンの得た戦果がいかに輝かしいものであったにせよ、しかしこれに脅かされてアレクサンドル皇帝が講和に追い込まれたかは依然として確実でない。」(クラウゼヴィッツ戦争論上 篠田訳 1968p.229)

諸国に対するナポレオンの脅威が徐々に弱まり、直前の戦争の時と同じのようにあっさり講和してくれなかったということだ。これが思惑に反したのと同時に、退却で損害を受けその後ナポレオンの尊厳がなくなる。

⒋ワーテルローの戦い
往年のベストセラーで渡部昇一「ドイツ参謀本部」という本があった。若き日に読んだが、おもしろくて常に書棚に置いている。この中でナポレオンの戦いに言及している。
エルバ島を脱出したナポレオンが皇帝に復帰してワーテルローの戦いに臨む。その時、ウエリントン率いる英国軍と戦う前にプロイセン軍と何度も戦って勝っている。
渡部昇一の本によれば
「プロイセン軍は敗戦が命取りにならないうちに巧みに退却するのである。外見では敗戦であるが,退却している方の指揮官と参謀長は敗戦だと思っていないことを,ナポレオンはどうも最後までわからなかったように見える。」(渡部昇一 ドイツ参謀本部1974 p.85)

「プロイセン軍はウェリントンと連合作戦を取りやすい方向に向かって兵を引いたのである。。。以前のナポレオン戦争では,戦場の敗者は敗残兵だったが,今やそれは整然たる戦場撤退軍に変わっているのだ。」(渡部1974 p.88)

「フランス軍はワーテルローに陣取ったウェリントンに猛襲を加えた。。。午前11時半ごろから夕方まで繰り返して押し寄せるフランス軍の攻撃をよく持ち堪えたのである。その戦線は突破される寸前だった。その時,予定のごとくプロイセン軍が右手の方から現れてきたのである。」(同 p.89)

まさにこの映画でプロイセン軍が援軍として押し寄せてきたときである。

「一昨日の戦場の敗者は,ほとんど兵力を減じないで猛攻に出てきたのである。ワーテルローの戦いでナポレオンの軍隊は戦場の敗者であるのみならず,まったくの敗残兵になった。戦場で敗れても整然と引き上げると言う事はナポレオンの辞書にはなかった。彼は戦場ではほとんど常に勝っていたのだから。」(同 p.90)

若き日に初めてこの本を読んだとき,この場面を読んでゾクゾクした。天才ナポレオンがこのように敗者となったのかと感嘆した。そのゾクゾクした場面を実際に映画「ナポレオン」では映像にして見せてくれるわけだから興奮しないわけがない。しかもすごい迫力である。この映画を見て本当に良かったと思った瞬間であった。
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