映画「グリーンナイト」を映画館で観てきました。
映画「クリーンナイト」はデイヴィッド・ロウリー監督による騎士への道を目指すアーサー王の甥であるサー・ガウェインの成長物語。「スラムドッグミリオネア」や「奇蹟がくれた数式」のデヴパテルの主演である。
元東大総長蓮實重彦がデイヴィッドロウリー監督を新書本「見るレッスン」の中で絶賛していて「セインツ」他2作を観た。今回も作品情報で推奨コメントをだしている。それに加えて、デヴ・パテルの過去の出演作は自分とは相性がいい。ダークファンタジーのジャンルは苦手だけど映画館に向かう。思いがけず観客が多くおどろく。男性陣の一方でインテリと思しき熟年女性も目立つ。
高校の世界史で「アーサー王物語」は騎士道物語として暗記したことがある。当然、内容までは知らない。アーサー王の甥であるサー・ガウェインはアーサー王物語の主要人物だ。もちろん架空の人物である。この映画の原作「サー・ガウェインと緑の騎士」は長きにわたり伝承されてきた騎士道物語の一つだ。
アーサー王の宮殿で円卓を囲むガウェイン(デヴ・パテル)の前に、全身緑ずくめの騎士が現れる。首を切ってみろという騎士の首を切ると、騎士はその首を持って「1年後のクリスマスの日に仕返しするぞ」とその場を去る。そこから1年後までまだ騎士になりきれないガウェインが彷徨う話である。物語ではガウェインがさまざまな人に出会う。まさに中世の暗いムードを象徴するようなダークファンタジーだ。
自分には馴染みづらい映画であった。
映画を見始めてしばらくしてウトウトしてしまう始末だ。ガウェインが苦境に陥る場面で目が覚めてあとは最後までもつ。溝口健二の「雨月物語」を観た時のような夢か現実か分からない人物が登場する。ガウェインにもこの世のものとは思えない登場人物たちだ。時には高貴なご婦人(アリシア・ヴィキャンデル)から誘惑まがいの状況となり、白い精液のようなものも映し出す。
いつ死んでもおかしくない状況に何度もなるが、そのまま生き延びる。そして緑の騎士に再会する。緑の騎士は岩陰からの登場の仕方を含めて、大映映画の「大魔神」を連想する。映画館にいるインテリと思しき女性たちは、英国古典文学のうんちくを語れるような淑女たちだったのか?自分には到底行きつかない境地かもしれない。
映画「クリーンナイト」はデイヴィッド・ロウリー監督による騎士への道を目指すアーサー王の甥であるサー・ガウェインの成長物語。「スラムドッグミリオネア」や「奇蹟がくれた数式」のデヴパテルの主演である。
元東大総長蓮實重彦がデイヴィッドロウリー監督を新書本「見るレッスン」の中で絶賛していて「セインツ」他2作を観た。今回も作品情報で推奨コメントをだしている。それに加えて、デヴ・パテルの過去の出演作は自分とは相性がいい。ダークファンタジーのジャンルは苦手だけど映画館に向かう。思いがけず観客が多くおどろく。男性陣の一方でインテリと思しき熟年女性も目立つ。
高校の世界史で「アーサー王物語」は騎士道物語として暗記したことがある。当然、内容までは知らない。アーサー王の甥であるサー・ガウェインはアーサー王物語の主要人物だ。もちろん架空の人物である。この映画の原作「サー・ガウェインと緑の騎士」は長きにわたり伝承されてきた騎士道物語の一つだ。
アーサー王の宮殿で円卓を囲むガウェイン(デヴ・パテル)の前に、全身緑ずくめの騎士が現れる。首を切ってみろという騎士の首を切ると、騎士はその首を持って「1年後のクリスマスの日に仕返しするぞ」とその場を去る。そこから1年後までまだ騎士になりきれないガウェインが彷徨う話である。物語ではガウェインがさまざまな人に出会う。まさに中世の暗いムードを象徴するようなダークファンタジーだ。
自分には馴染みづらい映画であった。
映画を見始めてしばらくしてウトウトしてしまう始末だ。ガウェインが苦境に陥る場面で目が覚めてあとは最後までもつ。溝口健二の「雨月物語」を観た時のような夢か現実か分からない人物が登場する。ガウェインにもこの世のものとは思えない登場人物たちだ。時には高貴なご婦人(アリシア・ヴィキャンデル)から誘惑まがいの状況となり、白い精液のようなものも映し出す。
いつ死んでもおかしくない状況に何度もなるが、そのまま生き延びる。そして緑の騎士に再会する。緑の騎士は岩陰からの登場の仕方を含めて、大映映画の「大魔神」を連想する。映画館にいるインテリと思しき女性たちは、英国古典文学のうんちくを語れるような淑女たちだったのか?自分には到底行きつかない境地かもしれない。