映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「グリーン・ナイト」デイヴィッド・ロウリー&デヴ・パテル

2022-11-27 09:23:50 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「グリーンナイト」を映画館で観てきました。


映画「クリーンナイト」はデイヴィッド・ロウリー監督による騎士への道を目指すアーサー王の甥であるサー・ガウェインの成長物語「スラムドッグミリオネア」奇蹟がくれた数式デヴパテルの主演である。

元東大総長蓮實重彦デイヴィッドロウリー監督を新書本「見るレッスン」の中で絶賛していてセインツ他2作を観た。今回も作品情報で推奨コメントをだしている。それに加えて、デヴ・パテルの過去の出演作は自分とは相性がいい。ダークファンタジーのジャンルは苦手だけど映画館に向かう。思いがけず観客が多くおどろく。男性陣の一方でインテリと思しき熟年女性も目立つ。

高校の世界史「アーサー王物語」は騎士道物語として暗記したことがある。当然、内容までは知らない。アーサー王の甥であるサー・ガウェインはアーサー王物語の主要人物だ。もちろん架空の人物である。この映画の原作「サー・ガウェインと緑の騎士」は長きにわたり伝承されてきた騎士道物語の一つだ。


アーサー王の宮殿で円卓を囲むガウェイン(デヴ・パテル)の前に、全身緑ずくめの騎士が現れる。首を切ってみろという騎士の首を切ると、騎士はその首を持って「1年後のクリスマスの日に仕返しするぞ」とその場を去る。そこから1年後までまだ騎士になりきれないガウェインが彷徨う話である。物語ではガウェインがさまざまな人に出会う。まさに中世の暗いムードを象徴するようなダークファンタジーだ。


自分には馴染みづらい映画であった。
映画を見始めてしばらくしてウトウトしてしまう始末だ。ガウェインが苦境に陥る場面で目が覚めてあとは最後までもつ。溝口健二の「雨月物語」を観た時のような夢か現実か分からない人物が登場する。ガウェインにもこの世のものとは思えない登場人物たちだ。時には高貴なご婦人(アリシア・ヴィキャンデル)から誘惑まがいの状況となり、白い精液のようなものも映し出す。


いつ死んでもおかしくない状況に何度もなるが、そのまま生き延びる。そして緑の騎士に再会する。緑の騎士は岩陰からの登場の仕方を含めて、大映映画の「大魔神」を連想する。映画館にいるインテリと思しき女性たちは、英国古典文学のうんちくを語れるような淑女たちだったのか?自分には到底行きつかない境地かもしれない。
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映画「ザリガニの鳴くところ」デイジー・エドガー=ジョーンズ

2022-11-26 20:02:21 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)
映画「ザリガニの鳴くところ」を映画館で観てきました。


映画「ザリガニの鳴くところ」は動物学者ディーリア・オーエンズの書いたベストセラー小説をオリビアニューマン監督で映画化した作品である。当然原作は未読。リース・ウィザーススプーンが原作を読んで感激して、プロデューサーをかって出たという。予告編で若い女性の冤罪物語だと推測した。著名な出演者は出ていないが、舞台となる湿地帯を映し出す景色がきれいでオーソドックスなアメリカ映画という印象をもつ。

ミステリー仕立てのラブストーリーである。
予想よりおもしろかった。2時間以上映像に目が釘付けになる。飽きない。背景となる水辺の景色が美的感覚に優れ、音楽のセンスも抜群だ。カイアという野生の少女に焦点をあてたストーリーだが、法廷劇の要素ももつ。この映画は予備知識なしで観たい。

ノースカロライナ州の湿地帯で、若い男性チェイス(ハリス・ディキンソン)が死体で発見される。水辺の小屋に1人住むカイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)が殺人犯として逮捕された。少女時代のカイアはDVの父親に耐えかね母親や兄が家を飛び出したにも関わらず、父親と2人暮らしていた。学校にも行かず文盲で、雑貨屋の黒人夫婦だけがカイアの味方だった。そのうち、父親も飛び出して小屋で1人で暮らしていた。


エビ漁師の息子テイト(テイラー・ジョン・スミス)がカイアに好意を持ち、字も読めないカイアにABCから勉強を教えた。結局のところ、大学進学することになったテイトは町を出て行くが、湿地帯の生物を観察してスケッチブックにまとめたものは編集者にウケて金になるよと教える。その後、町の有力者の息子チェイスと知り合う。チェイスはデートに誘い、徐々に孤独な少女に近づいていったのだ。

そんなチェイスが死体で発見されて、カイアが関係しているとされる証拠品などで、犯人と特定された。もはや無期刑か死刑かという崖っぷちになった時に、老弁護士がカイアの弁護に立つ。

⒈学校に行かない野生の少女
町からは離れた湿地帯の水辺の小屋に、両親や兄姉と住んでいた。父親が面白くないとすぐ暴力を振るう。母親をはじめとしてみんな嫌気がさして家を出て行くのにカイアはとどまる。父親から学校には行くなと言われるが、町の人の勧めで授業を受けると、クラスメイトからバカにされて1日で登校拒否だ。字も読めないし、買い物をしてもおつりの計算もできない。そんな中、父親まで家を出て行く。

1人になったカイアは貝を獲り、それを町の雑貨屋で売って生計をたてる。町の福祉課は1人暮らしのカイアをグループホームに入れようとするが、ひたすら逃げ回るのだ。そんなカイアを見るに見かねて、テイトという青年が勉強を教えると同時に、カイアが湿地帯の生態系をよく観察しているのに注目して、その能力を伸ばそうとする。2人の間に恋が芽生えて行く。


孤独な野生の少女の成長と恋の物語でもある。人嫌いの少女が心を許しても、うまくいかない。そんなストーリーを織り交ぜる。そのストーリーのバックには美しい湿地帯の景色が映し出されて目の保養になる。ロケ地はニューオリンズだという。映画を観ながら、ハンフリーボガードの「アフリカの女王」を連想する。ロケハンに成功していると言えよう。


⒉ミステリー要素と法廷劇
死体が発見されたのは、カイアの家の近くの物見櫓(やぐら)のそばだ。そこからは指紋は発見されていない。近くに足跡もない。物見櫓の屋上からチェイスが落ちたとも推定できる。検察側の追及とそれをかわそうとする弁護側の対決は、一級の法廷劇を観ているようでおもしろい。

必ずしも被告側に有利になる証言が多いわけではない。当日、カイアが書いた生態系に関する本の編集者に会うためバスで街を離れていたアリバイもある。でも、その気になれば、とんぼ返りで戻れば殺人を犯すこともできるという検察側の指摘もあるのだ。最後まで目が離せない。


そんなおもしろい展開が続いた結果は言わぬが花だろう。でも、最後の最後にアレ?と驚かせるシーンには一瞬これってどういうことかと思わせる。さすがベストセラーだけのことはあると感じる。
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映画「宮松と山下」 香川照之

2022-11-23 06:53:52 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「宮松と山下」を映画館で観てきました。


映画「宮松と山下」は香川照之主演のシリアスドラマである。佐藤雅之、関友太郎、平瀬謙太郎の3人の監督集団の演出で、香川照之が記憶喪失したエキストラ俳優を演じる。銀座ホステスの問題でメジャー路線から干されてしまった香川照之であるが、ここでは静かに役柄に没頭している。

時代劇の斬られ役のエキストラ俳優の宮松(香川照之)は、ロープウェイの下働きも兼ねながら京都で暮らしている。宮松には過去の記憶はない。そんな宮松のもとに元同僚だというタクシー運転手(尾身トシノリ)が訪れる。映像でみて「山下」という名だった男に気づいたのだ。12才下の妹が心配しているよと横浜に呼び寄せ、兄妹再会するのであるが。。。


ゆったりしたムードで流れる。質の良い短編小説を読んでいる気分になる。
TVでは悪役で売っていた香川照之が、いつものかんしゃくを見せない。3人のインテリ監督による映像である。セリフを極力少なく、演技する俳優の表情で変化を伝える映像だ。監督は映画理論にうるさそうだ。はっきりと言葉にせずに、観客にある事実を推測させる映画である。

観客を騙そうとする意図が感じられる場面がいくつもある。あえて詳しくは語らないが、エキストラで役柄を演じている場面とリアルな場面が交錯するので、アレ?という感じで意表を突く。観客に錯覚を起こさせようとする。この辺りの誘導はうまい。自分もまんまと引っかかる。


エキストラの場面では、香川照之も三枚目に徹する。それがいい。銀座ホステスの問題は、異論もあるだろうが不運と感じる。銀座に行くと、夜の蝶の美女たちは「銀座の女がすることじゃないよ。」と誰もが香川照之を擁護する。ただ、公人的にはアウトだろう。世の中、目立たず生きるのがいちばんかもしれない。
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映画「ある男」安藤サクラ&窪田正孝

2022-11-20 17:51:33 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「ある男」を映画館で観ていました。


映画「ある男」は平野啓一郎の原作を映画化した作品で、今年観た数多い予告編の中でももっとも行ってみたいと思わせた作品だった。原作は未読である。「一緒に暮らしていた夫が全くの別人だった。」という安藤サクラと窪田正孝の映像はいったいどんなストーリーになるんだろうと興味を抱かせる。期待して観に行く。当然事前情報が少ない方が楽しめる。

宮崎で文房具店を営む里枝(安藤サクラ)は子連れで故郷に戻ったシングルマザー、その店にスケッチブックを買いにくる谷口大祐(窪田正孝)は林業の仕事をしていた。親しくなり2人は結婚して、娘も授かった。ところが、樹木を伐採している時に不慮の事故に遭い亡くなってしまう。葬儀後、一周忌に伊香保温泉で旅館を営む大祐の実家から兄(眞島秀和)が訪れ写真を見て、写真にうつる男は大祐ではないと言われて里枝はあぜんとする。DNA鑑定も別人を示していた。


里枝は自分の離婚調停で世話になった横浜の弁護士城戸(妻夫木聡)に相談して、真実の調査を依頼する。

期待以上とはならなかったが、予告編にない展開もあり興味深く見れた
映画を観た後に作品情報を改めてみながら、原作はどうなっているのかと確認する。もともとは作家の一人称小説で、バーで出会った弁護士の城戸を主体にしているようだ。もちろん、ここではそうしていない。ラストに弁護士がバーで誰かと会話をするシーンがあり、そこで終了する。

これって、原作を読まないと「何でこのラストシーンがあるの?」と思ってしまう。エンディングロールのクレジットでは格で妻夫木聡が1番目となっていると思ったが、主役もあくまで城戸弁護士ということなのだ。


この映画についてはネタバレに近いことまで言及してみる。映画を観る前は読まないで下さい。

⒈妻夫木聡
この映画の予告編はよくできている。映像に妻夫木聡がでてきて、これが真実の男なの?と一瞬思わせた。改めて見ると,途中で予告編の内容が変わって、仲野大賀の写真も出てくるので違うんだなとわかるが、あまり情報がない方が意外性を楽しめる。

帰化している在日3世の人権派弁護士の設定である。最近妙に韓国寄りの発言が多い真木よう子も妻役で出てくるので、在日やヘイトスピーチの話を意図的に加えたのかな?と映画を観ながら感じていた。終わって、原作を確認すると、その通りになっている。城戸弁護士は,伊香保温泉に行って、兄やむかしの恋人に会ったり、戸籍交換で捕まった男がいるとわかり、刑務所までその男に会いに行ったり丹念な捜査をしている。京大出の平野啓一郎だけに在日コリアンとの縁は深いかもしれない。

ただ、柄本明妻夫木聡演じる弁護士に対してお前の顔を見たらすぐ在日だとわかるぞと言ったセリフがあったが,あまり妻夫木聡の顔は在日には見えない気がする。

在日2世はわれわれの同世代で、高校の同級生にもいた。明大から韓国系金融機関に行き、最終妻の実家のパチンコ屋を営んだが、60過ぎにがんで亡くなった。高校時代、「自分たちは普通の就職はできない。汚れ仕事をやるか、893になるか、勉強して医者になるしかない」と言っていた。兄貴2人いて、上は左右両刀使いの反政府運動をしてパチンコ屋をやり、下の兄は秀才で医者になった。姉は街金融を営む家に嫁いだ。でも、その友人の在日3世となる息子は、普通の日本の名門大手企業に勤めた。死ぬ前に日本も変わったと言っていたものだった。

⒉窪田正孝
この映画でもっとも頑張ったといえよう。ナイーブな性格を演じていて,安藤サクラに近づいていく時の雰囲気が柔らかく良い。映画が始まり, 30分位で窪田正孝が死んでしまって,もう出番はないのかなと思ってた。

ところが,過去を回顧するシーンを演じるにあたって,謎の男窪田正孝が改めて前面に出てくる。これは予告編には全くないシーンだ。新人王を目指すボクサーだったのだ。これがよかった。

映画の大きなテーマに「殺人者の家族の悲劇」と言う一面もある。結局,一緒に暮らした謎の男が、なぜ赤の他人を演じなければならなかったのかと言う理由がある。その理由について語られていく。映画を観る前は予測していなかったいいシーンであったし、窪田正孝は好演している。トレーナー役のでんでん「あしたのジョー」の丹下段平を思わせてよかった。


⒊安藤サクラ
安藤サクラの代表作と言えば,「百円の恋」であろう。安藤サクラが一気に成長した。「ある男」で安藤サクラを見て優しい顔立ちになった気がする。窪田正孝に合わせたナイーブな感じも良い。実生活でも母親になった影響があるせいか、今回の母親役は非常に良かった。

安藤サクラの母親役が山口美也子だと知る。若い頃は日活ポルノでお世話になっている。懐かしい。

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映画「ザ・メニュー」レイフ・ファインズ&アニャ・テイラー=ジョイ

2022-11-19 20:57:44 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「ザ・メニュー」を映画館で観てきました。


映画「ザ・メニュー」は孤島にある予約のとれない高級レストランの一夜で起きる一部始終を描いたサスペンスグルメ映画である。英国映画界ベテランのレイフファインズがカリスマシェフ役で、Netflix「クイーンズギャンビッド」から人気急上昇のアニャ・テイラー=ジョイが主要顧客の1人を演じる。予備知識なしで観に行く。

人気シェフのいる孤島のレストランに船に乗って向かう12人の中には、情婦を連れた芸能人、料理評論家を連れた編集者、富豪の夫妻、よからぬ取引で金儲けした男たちとタイラー(ニコラスホルト)とマーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)が乗船していた。1人あたり1250ドルの高い料理だ。もともと乗船予定だった女性と代わったマーゴに女性給仕長は怪訝な視線を向けたが、全員オープンキッチンを目の前にしたテーブルにつく。そして、シェフであるジュリアン・スローヴィク(レイフ・ファインズ)が登場して、牡蠣の料理からスタートする。


ここまでは、普通のグルメ番組と変わらない展開だ。
ただ、メニューは普通ではない。それに対して、顧客が注文をしても女性給仕長がすべてはねのける。ムードが徐々に険悪になるが、コース料理は進む。しかし、マーゴが反発する。料理に注文をつける。マーゴは客席の雰囲気とシェフの態度に何か違うものを感じる。

この映画の感想もむずかしい。何を言ってもネタバレになりそう。主役の若い女性が周囲の雰囲気に1人違和感を感じて物語が動く。直近で観た「ドント・ウォーリー・ダーリン」と展開が同じである。だいたい映画の半分程度まで進んだ時からあっと驚くようなハプニングが続く。これは全部自分の予想外の展開だ。


出される料理は美しい盛り付けがしてある。「ボイリングポイント」というレストランの一夜をノンストップの一筆書きで描いた作品があった。よくできている映画だった。しかし、この映画ほど料理の美的感覚を感じなかった。この映画でプレゼンされる料理は、料理界をにぎわせ、映像にもなったレストラン「ノーマ」の料理にアナロジーを感じる。しかも、それを通り越したものすごい料理が給仕される。グルメ映画のジャンルではかなりレベルの高い料理だ。ここではネタバレで言えない。


レイフファインズは、名作「イングリッシュペイシェント」の頃と比べると、怪優としての存在で認知されるようになってきた気がする。この映画もそうだ。孫のようなアニャ・テイラー=ジョイはここでも大活躍だ。「ラストナイトインソーホー」は数多い2021年の映画の中でも3本の指に入る怪作だった。アニャは主役として、力量を発揮するタイプだと思う。脇にまわった「キュリー夫人」「アムステルダム」ではそこまでよく見えない。将来的にはスカーレット・ヨハンソンのような存在になりそうだ。今が世代交代の時期かもしれない。

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映画「ドント・ウォーリー・ダーリン」 オリヴィアワイルド& フローレンス・ピュー

2022-11-19 05:04:06 | 映画(洋画 2022年以降主演女性)
映画「ドント・ウォーリー・ダーリン」を映画館で観てきました。


映画「ドントウォーリーダーリン」は悪夢と現実が交差するサイコスリラー映画である。オリヴィアワイルド監督の作品、名前を聞いてもピンと来なかったが、エンディングロールで出演者と監督の名前が一致していることに初めて気づく。「え!誰」と作品情報を見直して、主人公と仲良しの女性とわかる。映画を観ながら、この女性は観たことあると思っていた女性だった。

オリヴィアワイルドの履歴を見ると、クリントイーストウッド作品「リチャードジュエル」で主人公を陥れようとする女性新聞記者を演じていた。あの時はストーリーのカギになる女の役柄だったけど、むちゃくちゃ嫌な女をうまく演じていた。キャスティングのうまいイーストウッドらしいなと思っていた。他にも自分の好きな「ラッシュ」などでいい女役を演じていて、顔を見たことがあると思う人は多いと思う。


オリヴィアワイルドによるこの映画の感想を書くのは難しい。観終わってしばらくしてもストーリーの全容がまだ理解できていない。ゴールデンエイジ時代の幸せなカップルに焦点をあてる。ヤシの木が道路に立ち並ぶヴィクトリアという郊外の美しい街で、同じ仕事に従事して鮮やかな色のアメ車で通勤する夫とそれを支える家族が暮らしている。リッチな感じだ。


50年代を思わせるアメリカの家庭を映す映像は、ヴィジュアルセンスあふれるアメリカ映画の優秀なスタッフを集めた結晶によるものではないか。衣装、美術、インテリアを含めて美的感覚にあふれた映像だ。色合いもいい。エスターウィリアムズ「百万ドルの人魚」を水上からダンスフロアに移したような映像も含めて、名作からの引用的な映像もある。オリヴィアワイルドの映画的センスを感じる。

誰も彼もが幸せムードたっぷりの中で、「何かおかしい?」と感じる若き美人妻アリスのヒロインの不安をクローズアップする。ラブラブなはずの夫ジャックの動きも途中からおかしくなる。周囲もこの仲間たちを仕切るリーダー(クリスパイン)もどこか変だ。妙な展開が続く。Netflix「イカゲーム」にでてくるピンクの服装の不気味なスタッフのような集団も登場する。これって新興宗教扱った映画なの?と一時思った。類したテイストもある。


でも、正直ついていけなかった。
夢と現実が交差する映像はデイヴィッドリンチ監督が得意な世界だけど、それとは違うものを感じた。デイヴィッドリンチ作品は常にどんより陰だけど、この映画陰と陽のコントラストが強い

ヴォリューム感あふれるピチピチの主人公アリスを演じたフローレンス・ピューは、今の日本の女優にはいないタイプで、スッピンの映画ポスターよりもずっといい女だ。ジャックとの大胆なからみは脱いでいないのにエロチックだ。その主人公とクールビューティたちでつくる映像は日本映画で作るのは不可能と思われる映像美だと思う。視覚、聴覚だけは楽しめたが、意味は未だよく理解できていない。
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映画「黒い牡牛」

2022-11-17 20:52:43 | 映画(洋画 69年以前)
映画「黒い牡牛」を映画館で観てきました。


映画「黒い牡牛」は1956年のメキシコを舞台にしたアメリカ映画だ。企画「12ヶ月のシネマリレー」の予告編で、超満員の闘牛場に颯爽とした姿を見せる闘牛士の姿が気になっていた。闘牛になる牛と育てた少年との友情物語である。

戦後映画界の赤狩りで第一線から退場した脚本家のダルトントランボが関わっている。ロバート・リッチとして「黒い牡牛」アカデミー賞原案賞を受賞している。これは、ダルトントランボの別名であり、授賞式には当然姿を見せていない。映画トランボ ハリウッドに嫌われた男は以前観た。傲慢さと社会主義思想で一度はハリウッドを追い出されたダルトントランボが徐々に復活していく物語であった。アカ嫌いの自分でも比較的おもしろかった


メキシコの田舎の農村で、懐妊しているメス牛が落雷で木が倒れて死んだ時に牡牛を産んでいた。レオナルド少年がヒタノと名付け父親とともに育てるが、父親の雇い主である牧場で母牛が育ったので、牧場のものだとされて烙印を押される。

このエリアでは、闘牛として闘う牛を育てている。ヒタノには猛牛としての素質があるとわかり、やがて所有者の牧場によってメキシコシティの闘牛場に売られていく。それまで仲良くしていたレオナルドは何とかヒタノの命を救おうとメキシコシティに乗り込み、右往左往する。しかし、ヒタノはすでに闘牛場で闘牛士と対決しているのだ。

ダルトントランボ作品だからといって、映画を観ても、思想的な部分は見当たらない。ディズニー映画にもありそうな子ども連れの家族で観るような映画である。シネマスコープの映画で、本当はもっと大劇場で観れたら良かったが、仕方ない。原色をあえて多く使っているのがわかる色合いもきれいな作品だ。50年代のアメリカ映画だけに音楽はうるさ過ぎ。これは仕方ない。

⒈超満員の闘牛場
少年と牡牛の友情というベースはあっても、見どころはやはり闘牛場での場面だ。CGなんてものは存在しない時期だけに、この超満員の闘牛場の迫力に圧倒される。予告編で観た通り、颯爽と満員の観客に合図する闘牛士の姿がカッコいい。実際に映像の中で闘牛が行われているし、観客の中に闘牛が飛び込んでいくシーンまである。これってどうなっちゃうんだろう。

ありえないだろうと思うシーンもいくつかあるけど、子ども向けのディズニー映画を観ている気分になれば許せる。


⒉メキシコシティ観光案内的映像
闘牛場があるのはメキシコシティだ。自分は行ったことはない。田舎からトラックの荷台に乗ってメキシコシティに来たレオナルド少年が、車が走る広い道路のど真ん中を縦横無尽に駆け抜けるコンプライアンス無視の映像が印象的だ。我々も世界史で習ったメキシコの英雄ファレスの銅像をはじめ、市内の観光名所と思しき場所を映し出す。美しい。

何より、ものすごい台数の車がメキシコ市内を走り回っているのに驚く。乗用車も多い。同じ1956年の日本映画で東京を映し出すシーンではこんなに車は走っていない。トラックはあっても乗用車はほとんど見当たらない。街の中も当時の東京より近代的に見える。もう10年強経つと、一気に日本の方が抜くが、戦後10年ちょっとではまだかなわないことに気づく。

前回の東京オリンピックの次が1968年のメキシコオリンピックで、小学生の自分は先生の好意で授業を放り出して教室内のTVにかじりついていた。走り幅跳びで長きにわたり破られなかった歴史的記録をつくったビーモンマラソンで2着になった君原健二の印象が強い。その時、実況中継もメキシコが高地にあって空気が薄いことがやたら強調されていた。そんなことを思い出しながら楽しめた。

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映画「窓辺にて」 稲垣吾郎&今泉力哉

2022-11-16 18:53:47 | 映画(日本 2022年以降 主演男性)
映画「窓辺にて」を映画館で観てきました。


映画「窓辺にて」は稲垣吾郎主演で今泉力哉監督のオリジナル脚本による新作である。元SMAPのメンバーが次々と映画出演しているのと同様に稲垣吾郎も役者らしくなってきた。「半世界」で好演したあと、長回しが多い今泉力哉作品で役者限界能力への挑戦といったところか。妻の不倫に揺れる夫という設定をどう演じるかが見ものだ。健闘していると思う。

フリーライター市川茂巳(稲垣吾郎)は編集者の妻紗衣(中村ゆり)と2人暮らし。17歳の高校生作家久保留亜(玉城ティナ)がある文学賞を受賞する。マスコミ向け受賞発表会で、市川が対象作を深読みしたと思しき質問をすると、留亜から好感をもたれる。そして、請われて直接面談するようになる。小説のモデルになっている人に会わせると言われて、留亜の若い恋人や叔父に会う。市川は留亜の叔父と会話している際に、ふと妻が浮気をしていて、自分も気がついていること。その浮気に関して腹もたたないでいることを独白する。

この間、上映時間は約1時間。その途中には、市川の若き友人有坂(若葉達也)が妻(志田未来)と子がいるのにタレントのなつ(穂坂もえか)と不倫しているシーンや市川の妻紗衣が小説家の荒川と浮気している場面を織り交ぜる。


観ていてしばらく、人間関係がつかめない。市川が独白するまでは、いつもの今泉力哉監督作品のような長回しで、不倫から離れられない2組のカップルとわがまま娘の留亜に翻弄される市川をじっくりとセリフ多めに映す。ダラけてはいないが、完全にはのれない。

それでも、市川が告白してから妙に重いモノがとれた感覚をもつ。「誰にも話せないというのは、周囲を見下しているのではないか」と留亜の叔父に言われるのだ。そこから市川が動く。将棋の戦いで睨み合いから互いにぶつかり合うが如く、人間関係が少しづつ交わっていくと、徐々に頭脳が反応する。

⒈今泉力哉と重層構造の脚本
今回の今泉力哉の脚本はなかなかの重層構造だ。こうやって映画を見終わると、今泉力哉が計算づくでつくっているのがわかる。出版マスコミ系で男女の入り乱れた恋というのは「猫は逃げた」も似たような感じだけど、物語づくりは上手だ。

それでも、途中まで自分には全容がつかめない。勘のいい女性観客陣はもう少し早く理解しているかもしれない。ようやく、稲垣吾郎が独白してからは、謎解きパズルを少しづつ解いていくようになる。ステップを踏んで均衡点に迫っていく。ミステリーものではないのに、どうやって決着つけるのか気になってしまう。稲垣吾郎をはじめとした配役も成功だ。今泉力哉作品の常連若葉竜也も彼らしいキャラクターで安定している。


⒉長回し
今泉力哉監督作品をこれまで観ているので、いつものごとく長回しの映像が続くのは覚悟している。これって演じる方はさぞかしたいへんだろう。稲垣吾郎もよく応えた。前半戦は、クエンティンタランチーノ作品によくある「ダラダラしたダベリ」が多すぎる印象をもった。人気の「街の上で」では無意味なセリフが多すぎで、女性陣の性格が悪すぎで好きになれなかった。逆に「愛はなんだ」江口のりこの使い方がうまい気がした。


「猫は逃げた」は肝心なところでの長回しシーンに絞って109分にまとめてくれて良かった。各シーンの時間を計るのにまさかストップウォッチを使うわけにはいかないけど、これは長すぎる。ある意味、今泉力哉のフォームかもしれないが、これってもう少し何とかなるのでは?

⒊中村ゆりと玉城ティナ
この映画では、今泉力哉監督の女優の使い方が実にうまい中村ゆりと玉城ティナに加えて志田未来の存在で不思議なコントラストをつくる。


中村ゆりと気づかない時に、その美貌に驚く。ずっとこのいい女は誰だろうと思っていた。担当編集者の領分を越えて、作家と不倫している。今泉力哉の盟友城定秀夫作品だとベットシーンがあるけど、ここではない。それが残念。ラストに向けての、稲垣吾郎と2人での長回しシーンは良かった。そう簡単には演技できない長さで、セリフも含めてお見事だ。


玉城ティナ惡の華での高校生役でその存在感に圧倒された。あの演技があったからの起用だと思う。平手友梨奈主演で高校生で文才のある少女が主人公の「響」も意識していると思う。2つを混ぜたキャラクターでかなりませた高校生だ。稲垣吾郎相手に一歩も引かず、大人びた高校生になり切る。ちょっと変態系な女の役への今後の起用もあるだろう。
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映画「人間蒸発」 今村昌平

2022-11-15 18:41:32 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「人間蒸発」を名画座で観てきました。


映画「人間蒸発」今村昌平監督の昭和42年の作品である。実際に失踪した男の婚約者とリポーターの露口茂が男性が失踪した手がかりを追うドキュメンタリータッチの作品である。大好きな今村昌平監督の作品なのにこの作品だけポッカリ抜けて縁がなかった。DVDにはなっていても、どうしても映画館で観たかった作品だ。

以前、日本経済新聞今村昌平「私の履歴書」を読んだ時、いくつもアッと言わせる場面があった。印象的だった1つが「人間蒸発」の製作過程だからだ。こうやって観れてうれしい。

プラスチック問屋に勤めるセールスマンの大島という男が福島に出張した後失踪する。婚約者だった早川佳恵(通称ネズミ)はリポーターの露口茂とともに聞き込みを始める。2人と撮影スタッフは勤務先、親類、近所の人、以前付き合っていたらしい女性などにあたってインタビューする。それでも、消息がつかめない。TVの木島則夫ワイドショーの探し人コーナーにも出演する。しかし、探しているうちに大島の予想もしなかった実像が浮かび上がってくる。

スピード感あふれる映画だ。
婚約者とリポーターは次から次へとインタビューをしていく。内容は短い時間で簡潔に編集されている。ひたすらテンポは早い。でも、訳がわからなくなることはない。ジワリと男の実像があぶりでる。勤務先の問屋は、少年の頃からたたき上げで勤めていた会社だ。社長もかわいがっていた。それでも、使い込みをしたことがあるらしい。付き合っていた女もいたようだ。数多くのインタビューを通じてわかってくる。

まずは、現代とは時代背景がちがう。プライバシーが何から何まで暴きだされる。おいおい大丈夫?一部、どうしても顔出しできない人もでてくる。でも稀だ。こんな映像を今出したら、たいへんなことになる。


映し出される60年代後半は、自分も小学生だ。実際に生きていた頃だ。インタビューに訪れる商店の雰囲気が昭和そのものである。福島まで電車で向かった時の町が完全なる田舎の風景だ。たまに親類のいる地方に行くと、ここはどこなのか?と思うくらいロードサイドの店舗に全国統一的な風景を感じる。ここで映し出される顔立ちは誰も彼も鈍臭い

婚約者のネズミ(早川佳恵)は勤め先を退社して、婚約者探しに専念している。
ここで2つの問題が起きる。
リポーターの露口茂と常に一緒にいるネズミが露口にだんだんと惚れ込んでいくのだ。のちに「太陽にほえろ」の渋い中年刑事役だった露口茂もここではまだ若く長身で2枚目だ。婚約者を探そうと必死になっていたネズミが男を忘れてうっとりしてしまう。それに気づいた今村昌平監督はこれを逃してはならないと、隠しカメラとマイクを用意する。見どころの一つだ。


もう一点はネズミの姉と婚約者の2人が一緒に歩いているのを見たという目撃者の証言がでてくる。何か起きたのでは?と妹は姉を追求する。そんなことはないと姉は否定する。姉は若くして芸者の置屋に養女として送られた女だ。もともと姉妹の信頼関係がない。この場面になって急に停滞がはじまる。最初の連続的なインタビュー映像のテンポの良さが急にこわれたレコードの針のように同じようなセリフが続く。

今村昌平監督はじめスタッフも映し出されるが、途中でのネタギレを感じる。しかも、資金不足のようだ。別の進展かあれば、もう少しいい展開で進んだかもしれない。ここで久しぶりに今村昌平「私の履歴書」を読み返してみる。

今村昌平は「もしも大島を探し出せなかった場合にはこの女の内面の探索を中心に映画を作ろうと考え。。」(今村昌平 映画は狂気の旅である2004 p135)としている。そして懸命に追っても足取りがやはりつかめなかった。

「大島捜索を断念した私は,ネズミと言う人間を丸裸にしようと躍起になった。映画をなんとか情念の世界に持ち込みたい。。。撮影のない日も隠しカメラで尾行し,現場から宿まで送り迎えするスタッフの車に隠しマイクを仕込んだ。新宿の喫茶店でネズミが露口と密会し「あなたが好きなの」と泣いて告白するシーンは隠し撮りをしている。」(今村2004 p136)
プライバシーの侵害で問題になったこともあったという。この後も面倒なことはまだ続き、今村昌平監督の苦悩が読みとれる。でも、意外にも婚約者を探していたネズミは久々会うとサバサバしていたという。「人間蒸発」からも今村昌平映画の凄みが感じられる。
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映画「あちらにいる鬼」寺島しのぶ&豊川悦司

2022-11-14 21:17:25 | 映画(日本 2019年以降主演女性)
映画「あちらにいる鬼」を映画館で観てきました。


映画「あちらにいる鬼」は直木賞作家井上荒野が自身の父井上光晴と瀬戸内寂聴(晴美)との不倫関係を中心に描いた小説の映画化である。寺島しのぶが潔く髪を剃った予告編に目を奪われ、寺島と腐れ縁のような豊川悦司が共演で、荒井晴彦が脚本を書くというだけで楽しみにしていた。すぐさま映画館に向かう。

1966年、長内みはる(寺島しのぶ)が故郷徳島文化の講演会で作家の白木篤郎(豊川悦司)と一緒になる。白木には妻(広末涼子)と娘がいて、みはるも同居している腐れ縁の若い男(高良健吾)が同居していた。それなのに、お互いに魅かれる2人が急接近して、みはるが九州の講演に行った時に、白木がホテルに訪れ2人の関係が始まる。


それからはつかず離れずの関係が続いていく。
みはるは若い男と縁を切り、白木の浮気癖はまったく直らないけど、関係はずっと続く。

淡々と2人の関係を描く。
映画のリズムはおだやかである。ピンク出身の廣木隆一が監督で荒井晴彦の脚本だけにねちっこい絡みが予測されたが、最初に激しく結ばれる時を除いてはさほどでもない。長回しの演出が目立つ廣木だが、割と普通だ。広末涼子演じる白木の妻が嫉妬深くないので、激情する場面も多くはない。それだけに居心地は悪くない映像が続く。

作者井上荒野は関係が進んでいる時はまだ子どもだ。こんなリアルな関係を知るはずもないだろう。おそらくは、瀬戸内寂聴がこんな感じだったというのを井上荒野に語ったに違いない。まあ、すごい関係である。瀬戸内寂聴が出家しなかったらどうなるのであろう。

⒈豊川悦司と井上光晴
それにしても豊川悦司演じる井上光晴(白木)のダメ男ぶりには驚く。公表している素性は出身地から何から全部デタラメだ。ウソをつかないと生きていけない。そんな最低な奴だ。ウソで固められた人生って詐欺師によくいる。たまたま、少し本が売れたからいいものだけど。どうなのかしら?

最初に出会った時に、当時40歳の白木が44歳のみはるのトランプ占いをしてあげる。エースのカードが出て、あなたは書くものが変わっていくと予言する。改めて白木の本を読んだみはるが白木が住む団地に行き近づいていく。恋のはじめの盛り上がりからスタートする。


女グセは最高に悪い。
飲み屋の姉妹の両方に手を出すは、みはると付き合ってからも別の女に手を出す。家まで乗り込んでくる女もいる。

マメなのかなあ。この男。でも、映画では白木の妻(広末涼子)が文章を清書するだけでなく、ゴーストライターになっていると匂わせるセリフもある。ひでえ野郎だ。


⒉寺島しのぶと瀬戸内寂聴
寺島しのぶはこの作品を代表作にしようと思ったのかもしれない。トコトン瀬戸内寂聴になり切ろうとした。髪を剃ったその心意気を買う。しかも、40を過ぎてバストをあらわにして体当たりの演技をする。寺島には「赤目四十八瀧心中未遂」という傑作がある。尼崎で底辺の暮らしをする朝鮮人の娼婦を演じた。それを上回ろうと考えたのであろう。


家に文学全集があって、その中に瀬戸内晴美の本があった。子どものころから名前を知っていたけど、読んだことがなかった。世間をアッと言わせた出家の時に初めて存在を意識したのかもしれない。日本経済新聞で瀬戸内寂聴の私の履歴書を読んだ時、その男性遍歴に驚いた。普通に結婚した後、夫の教え子とくっつく。その男が腐れ縁でこの映画でも少し触れられる。

「夏の終リ」はもう少し若いころだ。子宮作家と言われた時期もある。ここでは井上光晴(白木)とつかず離れずの関係が描かれる。。「どうしようもない男だけど、愛おしい。」そんな寺島しのぶのセリフがある。その辺りのセリフの選択のうまさはいかにも荒井晴彦だ。

今回は、広末涼子もいい感じだった。一皮むけた感じがする。それがうれしい。ただ、長期に渡る3人の関係を描いていて焦点が絞りきれていない。瀬戸内寂聴の出家にも焦点をあてているので時間が間延びする感じもする。もともと左翼思想の井上光晴を描くとなると、荒井晴彦だけに少し左巻きの要素もある。それでも、主演2人と広末涼子の熱演には拍手を送りたい。


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映画「青べか物語」 森繁久彌&川島雄三

2022-11-08 17:33:32 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「青べか物語」を映画館で観てきました。


映画「青べか物語」は1962年(昭和37年)の森繁久彌主演の東宝映画だ。山本周五郎の原作を脚本新藤兼人で川島雄三監督が演出している。架空の町浦粕が舞台となっているが、山本周五郎が若き日に東京を離れて浦安に住んだ時に見聞きした話が中心である。青べかとは現地の飲んだくれオヤジから無理やり買わされた海苔をとる1人乗りの小舟のことである。

これは観てよかった。
周囲に「先生」と呼ばれている森繁久彌演じるもの書きの主人公が、浦粕の町で下宿して文筆活動に入っている。現地の人情味ある町の人たちとの触れ合いを中心にいくつもの逸話をつづる。

何より、1962年当時浦安上空を江戸川沿いから俯瞰する映像が貴重だ。おそらく、戦前とこの映画が撮られた時と大きく変わっていない。まだまだ、周囲は畑だらけで葦だらけの湿地帯もある。浦安市民には必見の映画だけど、観るチャンスはないだろうなあ。

⒈川島雄三
川島雄三監督作品はかなり観ている方だ。この映画の公開翌年1963年に若くして亡くなっている。本当に残念だ。九段富士見の芸者にスポットを当てた女は二度生まれるなどでもわかるように、現地ロケの配分をわりと混ぜていく。今となっては別世界になった漁師町としての浦安の原風景がよくわかる。

なぜかWikipediaの川島雄三の欄にこの作品の記載だけが空白のように抜けている。よくできた作品だけに不思議だ。前作雁の寺のようなドロドロした人間関係を描いた作品もいいが、コメディの要素が強い作品に本領を発揮する。暖簾で組んだ森繁久彌とのコンビも絶妙だ。水商売女の描写がいつも巧みな川島も、今回は左幸子を場末の小料理屋の女給に起用する。カネを持っていると自慢する関西人の客からぼったくる。この女給役が適役でうまい。

⒉森繁久彌とフランキー堺
社長シリーズや駅前シリーズ全盛時代の森繁久彌やフランキー堺が登場している。この時代の森繁久彌はダメ男の方がうまい。ここでは、少し違う。言いよる女性の誘惑に負けない。社長シリーズでは新珠三千代あたりと浮気しようとしていつも失敗して、久慈あさみの奥さんが登場する。そんなシーンは見られない。喜劇俳優としてはおとなしい。

川島雄三作品では常連のフランキー堺は、地元商店のうだつの上がらないセガレで最初の奥さんの中村メイコには逃げられるし、甲斐性もない役柄だ。名脇役千石規子のお母さんの言いなりだ。でも、次が池内淳子なら役得かも、まあいいか。それぞれにいつものキャラとは違う。

⒊人情味あふれる共演陣
むしろ、地元民を演じる東野英治郎や桂小金治の方が快調だ。その後に水戸黄門で主役を張る東野英治郎は、俳優座に所属しながら映画会社を超えて脇を固める。同じ年の1962年には「キューポラのある町」吉永小百合の飲んだくれオヤジを演じている。大酒飲みということではこの作品も同じだ。「青べか」の舟を売り付けたのは東野英治郎だ。消防署長の加藤武といいコンビだ。


桂小金治は天ぷら屋の亭主だけど、市原悦子の奥さんといつも夫婦ケンカばかりしている。しかも、奥さんの方が背が高い。取っ組み合いしてもやられてしまう。配役もあってか、浦安なのに東京の下町の匂いをぷんぷんさせる。

船長役の左卜全と森繁久彌のかけ合いもいい味だしている。左卜全の初恋の相手役は初代ウルトラマンのフジアキコ隊員桜井浩子だ。自分もTVはリアルで観ていた。東宝映画の青春ものには欠かせない存在だった。あとは、東宝映画だけに山茶花究や脚本の新藤兼人の連れ合い乙羽信子も下宿先の大家だ。


⒊浦安の今と昔
浦安はこの映画ができた後に千葉エリアの東京湾埋立が進み、ディズニーランドや住宅地ができて大きく変わった。この映画に映る浦安の面影はかなり消えたといってもいいくらいだ。川や土手は変わっていないけど、それくらいだ。もともとの浦安原住民は今もそれなりにはいるけど、大規模開発の後にきた人たちがほとんどだ。

漁船というより、小舟がたくさん川に停泊している。それが漁師の手でゆったりと川を下るシーンは趣ある。また、森繁久彌が無理やり買わされた「青べか」に乗って、晴れた日に海に向かい、昼寝したら潮が引いて砂の上に直接舟がのっているシーンも優雅だ。貝を密漁しようとする人を取り締まるシーンもある。


東日本大震災をはさんで5年間千葉で仕事をした。浦安もエリア内でよく行ったものだ。震災後は液状化現象で住んでいる方々はたいへんだった。浦安市民の所得は高く、東京23区を含めてもいつも全国上位10番台だ。神奈川、千葉、埼玉で浦安市より上のところはない。会社役員などが住んでいることもあるのであろう。

映画の最後に、森繁久彌がこれから湾岸の鉄道や道路が開発されていく浦安の将来の話をしている。そのセリフ以上に発展した。そんな浦安市の原風景をこの映画で観るのがうれしい。
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映画「アムステルダム」クリスチャン・ベール&デヴィッド・O・ラッセル

2022-11-06 08:27:52 | 映画(洋画:2022年以降主演男性)
映画「アムステルダム」を映画館で観てきました。


映画「アムステルダム」はクリスチャンベール主演の1930年代のアメリカを舞台にした作品だ。クリスチャンベールがアカデミー賞助演男優賞を受賞したファイターデヴィッド・O・ラッセルが監督をつとめる。ここで驚くのが出演者の豪華なことだ。ブラック・クランズマンジョン・デヴィッド・ワシントン「スキャンダル」マーゴット・ロビーだけでなく主演級をゴロゴロ集める。いったいギャラはどれだけになるだろうと思ってしまう。

1933年のニューヨーク、第一次大戦の復員兵の戦友会でスピーチすることになっていた元将軍が突然亡くなる。将軍の部隊にいた医師バート(クリスチャンベール)と弁護士のハロルド(ジョン・デヴィッド・ワシントン)の元に将軍の娘リズから解剖の依頼がくる。そこで胃の中に異常を発見する。その後でリズが群衆の中で誰かに道路へ押されて交通事故に遭い亡くなるが、いつの間にかリズのそばにいた2人がやったことにされてしまう。陰謀を感じた2人は身を隠す。

やがて、自分たちの身を守るために富豪のトム(ラミマレック)の家に向かうと、1918年フランスの戦場でバートとハロルドと行動を共にして、その後アムステルダムで過ごした元看護師のヴァレリー(マーゴット・ロビー)がいた。ヴァレリーがトムと同居する妹だということがわかる。改めて3人が一緒に動くことになる。


デヴィッド・O・ラッセル監督のアメリカンハッスル世界にひとつのプレイブックがもつコメディ系のタッチが映画を通して流れている。クリスチャン・ベールが演じる義眼の医師も「できる」男ではない。ドタバタしながら行動する。それなりにおもしろいし、最後まで飽きない。でも、両手をあげていいという訳ではない

ハリウッド映画らしくポストプロダクションや美術のレベルが高い。しかも、撮影は三回もアカデミー賞を受賞したエマニュエルルベツキだ。ロバート・デニーロや「ボヘミアンラプソディ」のラミマレックも含めてアカデミー賞受賞者をここまで集めた映画はないだろう。

自分が感じるに、コミカルにストーリーは進んでもマジメな意味で3つの題材がある。1つは人種差別、2つ目が復員兵、もう一つがナチス躍進に伴う陰謀である。

⒈黒人と白人の恋と人種差別
主役3人がもともと仲がよかったわけではない。第一次大戦末期にフランス戦線で知り合った時は、バートは軍医でなく戦闘で目をつぶされる単なる白人兵士、ハロルドは黒人の待遇が悪いと不平不満たらたらの黒人兵士、ヴァレリーはフランス語に堪能で、銃撃を受けた兵士の身体から銃弾を取り除く優秀な看護師だ。みんなはヴァレリーをフランス人だと思っていた。

3人を結びつけたのが、今回解剖をすることになった将軍だ。黒人にも融和的だった。ここで戦闘の最前線で真っ先に危険エリアに送り出される差別をクローズアップする。昔の映画であれば、それだけで終わってしまったであろう。ここでは、黒人男性のハロルドと白人女性のヴァレリーが恋に落ちる設定だ。医師のバートも解剖の名手である黒人看護師と恋心を持つようになる。

実際に白人女性と黒人男性の恋って1930年代にあったであろうか?こんなところを南部出身の白人に見つかったら大変だなんてセリフもある。最近の多様性重視でこんな恋の設定がアメリカ映画に目立つ一環かもしれない。


⒉第一次世界大戦の復員兵
戦争で活躍して国の英雄になり勲章をもらうのが最高の名誉だとするセリフがある。激戦と今でも言われる第一次世界大戦からの復員兵に対しては、当時、大きな敬意を表していたのであろう。映画から感じられる。ロバート・デニーロが演じるのは大戦で活躍した将軍である。その将軍が発する言葉の影響力は非常に強い。彼をどう取り込むのかというのが陰謀を企むグループと保守派の駆け引きにつながる。この映画の大きなテーマだ。

第二次世界大戦という大きな戦争があり、アメリカに関してはその後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と戦争が続く。映画でもその退役兵の苦しみを描いた作品が多い。随分と観た。名作「西部戦線異状なし」でもわかるように第一次世界大戦は過酷な戦争だったと言われるが、最近は「1917」以外は取り上げられていないので新鮮な題材である。

⒊ナチス躍進に伴う陰謀
復員兵の戦友会でスピーチすることが決まっていた将軍が何かの陰謀で殺されて、その死亡原因を追う娘が殺される。しかも、娘に依頼された主人公2人がはめられる。そんな構造は早い段階でわかった。でも、この陰謀って一体何なんだろう?徐々に外堀を埋めていき、最終的にはナチスドイツも絡めた陰謀だということがわかる。映画では優生学に伴うナチス戦略に近い状況も織り込まれる。そして、意外な人物が大きく関わっていることがわかるが、ここでは言わない。

ただ、この設定に少し疑問もある。映画の設定は1933年、ヒトラーが政権を握ったのが1933年1月である。ケインズ政策を戦前最も効果的に実行したのはナチスドイツであり、高速道路アウトバーン建設をはじめとした公共事業で600万人いた失業者をほぼゼロにしてしまう。それによりヒトラーは民衆から支持を高める。でも、政権を握ってすぐ着手したとはいえ、米国経済界に大きな影響力を持ったとは思えない。この映画の一部の場面設定が強引な設定にも見えてくる。


⒋1933年のニューヨーク経済
1929年から大恐慌が始まったことは普通に学校で歴史を勉強した人なら誰もが知っているだろう。ただ、その後の株価の推移を知っている人は少ない。今も続く米国ダウ平均は1929年に381をつけた後、何と1932年に41まで下落しているのだ。本来金融緩和をすべきところを、当時金本位制だったことも影響してか、むしろ連銀が引き締めていたことで恐慌が終焉しなかった。

ミルトンフリードマンの研究が有名だが、恐慌時の逆方向にカジをとったリーマンショック後の金融緩和政策により、今年のノーベル経済学賞をバーンナンキ元FRB議長が受賞した。当然だろう。アベノミクスにも大きな影響を与えた。

1933年の米国株式市場はルーズベルト大統領の登場で若干回復の兆しを見せる。50前後だったダウ平均も100を超えるくらい大きく戻している。そんな時期のニューヨークの姿を映し出す。悲痛な姿はこの映像にはない。財閥の主というべき経営者たちが映し出されている。でも、1933年では経済は回復しきっていない。そんな状態だ。ニューディール政策ではアメリカ経済はさほど良くなってはいない。結局アメリカ経済を復活させたのは戦争だった。
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映画「パラレルマザーズ」ペドロ・アルモドバル&ペネロペ・クルス

2022-11-05 08:00:09 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
映画「パラレルマザーズ」を映画館で観てきました。


映画「パラレルマザーズ」はスペインの奇才ペドロ・アルモドバル監督の作品である。ペインアンドグローリー以来長らく楽しみにしていた新作が観れてうれしい。盟友というべきペネロペ・クルスの主演で、たびたび映画の題材になる「取り違え子」の話に取り組む。いくつかの類似作品と比べて既視感のない展開である。48歳になるペネロペクルスは今でも魅力的で、いつもながらのペドロアルモドバルの色彩豊かな映像に花を添える。


ジャニス(ペネロペ・クルス)はスペイン内戦で迫害された人々の悲惨な歴史に関心を持つ売れっ子の写真家、同じ志を持つ仲間との不倫で懐妊する。シングルマザーになることを覚悟して出産のために入院した病院で若き妊婦アナ(ミレナ・スミット)と知り合う。2人は同じ日に出産した。


無事退院したあと、自分の娘セシリアと対面した元恋人から、「自分の子供とは思えない」と告げられる。自ら懸念していたことを言われ悩んだジャニスが、DNAキットで子どもと自分が本当の親子かどうか検査する。その結果、セシリアが実の子ではないことが判明するのだ。

ジャニスはそのことを黙って育てていった。そんなある時、自宅の近くのカフェで働いている病院で同室だったアナとバッタリ出会う

この後の展開は伏せる。ただ、日本人の脚本家がこの題材を選んだら違う書き方しただろうなあと感じる。日本人とスペイン人の感覚が違うのが歴然とわかる展開で意外な方向に進む。一緒の病室だったアナを演じるミレナ・スミットはペネロペ・クルスに引けをとらない演技力を持ち良かった。

⒈ペドロ・アルモドバル作品独特のムード
映画が始まり、いつものようにアルベルト・イグレシアスの音楽が流れていく。そして、ペネロペ・クルスcanon のカメラを持ち特異な色の被写体に向かう。ペドロアルモドバルワールドに入っていく感覚を覚える。色彩設計がいつもながらすばらしい。前作同様「赤」の使い方がうまいのと同様に補色的感覚の「緑」が際立つ。ペネロペクルスが入院する病室の壁も日本では考えられない派手な色づかいだ。視覚と聴覚で独特のムードに浸れるのはうれしい。

ペドロ・アルモドバルが長らく起用してきた女優ロッシ・デ・パルマがここでも登場する。奇怪なその顔がペドロアルモドバル作品のムードにピッタリだ。デイヴィッドリンチ監督作品のような別世界に入っていくような感触を我々にもたらす。

ただ、いつもの重層構造の脚本に比較すると、深みが少ないと感じる。「取り違え子」の話がベースである。いつもより展開は単純かもしれない。不安心理を誇張させるアルベルトイグレシアスの音楽も、音楽を印象づけるほどのシーンに恵まれない。

スペイン内戦で迫害を受けた祖先を持つという設定が加わり、始まりから「歴史記憶」という字幕が出てくる。何それ?という感じで現代スペイン史の基本的知識がないためか頭脳にしっくりこなかった。


⒉ペネロペ・クルス
48歳のペネロペ・クルスが美しい。強烈な印象を残したペドロ・アルモドバル監督作品「ボルベール」で32歳だった。写真家という設定もいい。canon カメラを手にする姿がカッコいい。さすがにバストトップは見せないが、軽い絡みを見せるシーンもある。いかにもラテン系美女というべきペネロペ・クルスが身近に現れたらゾクゾクしてしまうだろう。主人公のジャニスの名前はジャニス・ジョプリンからとったという。途中でジャニスの「サマータイム」が流れる。至福の瞬間だった。

自分の育てている子どもが、違う親から生まれた子だとわかる。普通だったら、出産した病院に問い合わせるだろう。でも迷わずそうしない。その展開に疑問を感じる部分はある。もしかして、自分の手元から去ってしまう不安もあるのだろう。一切黙っている。この辺りの微妙な女性心理の演じ方はうまい。各種女優賞の獲得は順当だろう。


大学卒業25年目に合同の同期会があった。ホテルに集まる男女の中で、48歳の着飾った女性に注目すると、衰えたと感じる女性と輝いている女性に分かれる。女性もまだ生理がある時期である。最後の盛りと思しき感じもある。この後還暦で集まると、かなり輝きが薄れる。ペネロペ・クルスはどうなっていくのであろう。そんなことを考えていた。
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