映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「黒い牡牛」

2022-11-17 20:52:43 | 映画(洋画 69年以前)
映画「黒い牡牛」を映画館で観てきました。


映画「黒い牡牛」は1956年のメキシコを舞台にしたアメリカ映画だ。企画「12ヶ月のシネマリレー」の予告編で、超満員の闘牛場に颯爽とした姿を見せる闘牛士の姿が気になっていた。闘牛になる牛と育てた少年との友情物語である。

戦後映画界の赤狩りで第一線から退場した脚本家のダルトントランボが関わっている。ロバート・リッチとして「黒い牡牛」アカデミー賞原案賞を受賞している。これは、ダルトントランボの別名であり、授賞式には当然姿を見せていない。映画トランボ ハリウッドに嫌われた男は以前観た。傲慢さと社会主義思想で一度はハリウッドを追い出されたダルトントランボが徐々に復活していく物語であった。アカ嫌いの自分でも比較的おもしろかった


メキシコの田舎の農村で、懐妊しているメス牛が落雷で木が倒れて死んだ時に牡牛を産んでいた。レオナルド少年がヒタノと名付け父親とともに育てるが、父親の雇い主である牧場で母牛が育ったので、牧場のものだとされて烙印を押される。

このエリアでは、闘牛として闘う牛を育てている。ヒタノには猛牛としての素質があるとわかり、やがて所有者の牧場によってメキシコシティの闘牛場に売られていく。それまで仲良くしていたレオナルドは何とかヒタノの命を救おうとメキシコシティに乗り込み、右往左往する。しかし、ヒタノはすでに闘牛場で闘牛士と対決しているのだ。

ダルトントランボ作品だからといって、映画を観ても、思想的な部分は見当たらない。ディズニー映画にもありそうな子ども連れの家族で観るような映画である。シネマスコープの映画で、本当はもっと大劇場で観れたら良かったが、仕方ない。原色をあえて多く使っているのがわかる色合いもきれいな作品だ。50年代のアメリカ映画だけに音楽はうるさ過ぎ。これは仕方ない。

⒈超満員の闘牛場
少年と牡牛の友情というベースはあっても、見どころはやはり闘牛場での場面だ。CGなんてものは存在しない時期だけに、この超満員の闘牛場の迫力に圧倒される。予告編で観た通り、颯爽と満員の観客に合図する闘牛士の姿がカッコいい。実際に映像の中で闘牛が行われているし、観客の中に闘牛が飛び込んでいくシーンまである。これってどうなっちゃうんだろう。

ありえないだろうと思うシーンもいくつかあるけど、子ども向けのディズニー映画を観ている気分になれば許せる。


⒉メキシコシティ観光案内的映像
闘牛場があるのはメキシコシティだ。自分は行ったことはない。田舎からトラックの荷台に乗ってメキシコシティに来たレオナルド少年が、車が走る広い道路のど真ん中を縦横無尽に駆け抜けるコンプライアンス無視の映像が印象的だ。我々も世界史で習ったメキシコの英雄ファレスの銅像をはじめ、市内の観光名所と思しき場所を映し出す。美しい。

何より、ものすごい台数の車がメキシコ市内を走り回っているのに驚く。乗用車も多い。同じ1956年の日本映画で東京を映し出すシーンではこんなに車は走っていない。トラックはあっても乗用車はほとんど見当たらない。街の中も当時の東京より近代的に見える。もう10年強経つと、一気に日本の方が抜くが、戦後10年ちょっとではまだかなわないことに気づく。

前回の東京オリンピックの次が1968年のメキシコオリンピックで、小学生の自分は先生の好意で授業を放り出して教室内のTVにかじりついていた。走り幅跳びで長きにわたり破られなかった歴史的記録をつくったビーモンマラソンで2着になった君原健二の印象が強い。その時、実況中継もメキシコが高地にあって空気が薄いことがやたら強調されていた。そんなことを思い出しながら楽しめた。

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映画「サマー・オブ・ソウル」

2021-08-29 18:06:08 | 映画(洋画 69年以前)
映画「サマーオブソウル」を映画館で観てきました。

これはすごい!感動した。

1969年夏のニューヨークで、こんなすごいソウルミュージックのイベント「ハーレム・カルチャラル・フェスティバル」が開かれているとはまったく知らなかった。しかも、歴史的ロックコンサート「ウッドストック」がここから160km離れているところで開催されていたという。


日本中の家庭でみんな見ていたアポロ宇宙船が月面に着陸するのもこの時期だ。ここでは、当時の代表的な黒人アーチストが数多く参加している。メンバーもすごい!ある意味、ウッドストックよりもすごいかもしれない。ハーレム・カルチャラル・フェスティバルには30万人が合計で集まったという。カメラは観客にもフォーカスが当てられ、約20%程度は会場内の雰囲気を映し出す。


映画がはじまって早い時間にスティービーワンダーのドラムソロが映し出される。これまた珍しい。当時19歳でまだ若々しい。「迷信」が全米1位になるのが1973年で、69年までにもヒット曲はあったが、その後の世界的スーパースターぶりからすると、天才少年の域を抜けず、まだ飛び抜けたヒーローではない。この後、ブルースの帝王BBキングのコテコテのブルースが自らのブルースギターのノリも良くいい感じと思っていた時に、来たー!というグループが登場する。

フィフスディメンションだ。
全盛時の姿が観れるだけもいいと思ってしまう。

⒈フィフスディメンション
イエローとオレンジが基調のコスチュームで登場する。1969年という年は彼らにとって重要な年だ。ブロードウェイミュージカル「ヘアー」の中の「アクエリアス〜レットザサンシャインイン」が4月に全米1位の大ヒットとなり、同じ年の11月に「ウェディングブルース」もヒットチャート1位と年間2曲も1位となるまさに飛ぶ鳥を落とす勢いの年だ。映画の中で、ひょんなきっかけで「ヘアー」の曲を歌うようになる逸話も元メンバーのビリーデイヴィスから語られる。


「アクエリアス」のイントロがステージで流れた時、大画面を見ていた自分は背筋に電流が走った。小学生だった自分はこのシングルを持っていた。針がすり減るほど聴いたものだ。今のように海外と往来が自由でなかった日本でも、ミュージカル「ヘアー」が話題になっていた。新聞記事の下段にある女性週刊誌の広告にやたらに「ヘアー」と「ドラッグ」の結びつきが書いてあった記憶がある。しかも、日本のTVで誰かしら「レット・ザ・サンシャイン・イン」を歌っているので、この主旋律が耳に焼き付き親にねだってシングルレコードを買ったのだ。


映画で歌っているのをみると、ゴスペル風に主旋律に横から入るビリーデイビスの歌が効果的だ。回想する現在のビリーとマリリンが見れてうれしい。

⒉スライ&ザファミリーストーン
このライブイベントで観客に最も支持されているのは「スライ&ザファミリーストーン」ではないか。熱狂的ファンがステージ手前まで押し寄せている。ウッドストックにも登場した。1969年の2月に「エブリデイピープル」が全米ヒットチャート1位になって昇り調子だ。大画面で見るスライストーンがまだ若い。しかも、すごくパワフルである。ドラッグ漬けの度合いもまだ低いのではないか。


黒人の女性トランペッターや白人プレイヤーが2人が入って、それこそ最近言われる多様性の先駆者になっている。のちにサンタナやウェザーリポートと組むグレッグエリコのパワフルなドラムも印象的だ。

スライが登場する前は、黒人バンドもスーツにネクタイの正装が多くその流れを変えたのがスライストーンと映画の中で語られていた。自分もそう言われるまで気付いていなかったが、確かにそうだ。スライストーンに影響を受けたマイルスデイヴィスは60年代中盤過ぎても、コンサートでは仕立ての良いスーツ姿だったのにラフな服装に変わった。なるほどそういうことなのね。

⒊スライストーンからの影響
フィフスディメンションと異なり、自分がスライ&ザファミリーストーンを意識するようになったのは1971年の暮れだ。「ファミリーアフェア」が全米ヒットチャート1位になった頃、自分はすでにヒットチャートマニアになっていた。まだ有名になる前の小林克也がFM東京で最新の全米ヒットチャートをリアルタイムで国際電話で確認して主要曲をオンエアしていた。ヒットチャートがどう変わるのかが1週間でいちばんの楽しみだった。

1971年の年末はジョージハリソンボブディランやエリッククラプトンや錚々たるメンバーを集めて夏に開いたバングラディシュ救援のチャリティコンサートのアルバムが発売された。これもねだって当時5000円の輸入盤を購入した。当然、一気に全米アルバムチャートを駆け上るわけだが、どうしても1位になれなかった。その時、しぶとく1位に残ったのがスライのアルバム「暴動」である。あまり知らないアーチストがなのにどうして抜けないんだと自分は思っていた。次に1位になったのがドンマックリーンの「アメリカンパイ」でバングラディシュは1位になり損なった。スライ&ザファミリーストーンを意識し出したのはそれからである。


高校生の時、放送部に属するクラスの女の子から番組を編成したいので何かいいのはないかと、音楽好きの自分が相談された。その時推薦したのはスライ&ザファミリーストーンのアルバム「スタンド」である。ちょうどこの時期1969年5月に発売され、今でも傑作だと思っている。このコンサートでもアルバムから3曲演奏している。聴いていて泣きそうになった。

⒋マヘリアジャクソンとゴスペル
黒人音楽といえばゴスペルで、このコンサートでもいくつも取り上げられている。ステイプルシンガーズも登場する。その中でももっともパワフルな女性はマヘリアジャクソンだ。太目のボディに真っ赤なドレスを来てど迫力だ。彼女は「真夏の夜のジャズ」でも歌を披露している。このマヘリアジャクソンはこの2年後1971年に60歳の若さで亡くなっている。その意味でも貴重な映像だ。


自分自身がゴスペルに魅せられたのは、映画「ブルースブラザーズ」でのジェームスブラウン演じる牧師と教会の黒人合唱団を見てからなので、ちょっと遅い。ここでは日本でもお馴染みの「オーハッピーデイ」もオリジナルのエドウィンホーキンスひきいるメンバーによって歌われている。これもいい感じだ。

⒌グラディスナイト&ザピップスと悲しいうわさ
1973年10月に「夜霧よジョージアへ」という全米1位のヒット曲がある。個人的にはその印象が強い。日本でもTV放送していた「ソウルトレイン」に出ていた記憶がある。女性リードヴォーカルの後ろで、スーツを着た3人の男性ダンサーが踊るというこれまでのパターンだ。グラディスナイトのヴォーカルは実に迫力がある。ダンサーの動きもリズミカルでいい。曲名を見たら「I heard it through the grapevine」 これってまさにマーヴィンゲイの1969年の全米1位ヒット曲「悲しいうわさ」じゃない。でも、まったく別の曲のようだ。


調べると、グラディスナイトの方が先に「I heard it through the grapevine」をヒットさせているじゃない。自分がヒットチャートをノートに控えているのが1969年からで、グラディスナイトが全米2位までヒットさせていることを知らなかった。それにしても、気持ちがいいくらいノッテいる。現在のグラディスナイトが懐かしくこのフィルムをみるシーンがある。

全盛時のCCRがアルバム「コスモスファクトリー」の中で10分を超えるロングヴァージョンで「I heard it through the grapevine」を演奏している。ジョンフォガティの長いギターソロが印象的だ。実際にはCCRのを自分は一番聴いている。マーヴィンゲイバージョンのアレンジだ。

⒌1969年の全米ヒットチャート
60年代後半から70年代前半にかけて、白人と黒人の分断があるのが影響しているか分からないが、交互に全米ヒットチャートナンバー1をとりあっている。今回参加しているアーチストでいえば、スライ&ザファミリーストーンとフィフスディメンションが1969年に1位をとっている。あと黒人系で言えば、マーヴィンゲイ、テンプテーションズ、そしてシュープリームスのラストソングも1位になっている。

一方でまさに最終場面ともいえるビートルズが「ゲットバック」と「カムトゥゲザー/サムシング」の両面ヒット、先日ドラムスのチャーリーワッツが惜しくも亡くなったローリングストーンズが「ホンキートンクウーマン」、ラスベガスで復活したエルヴィスプレスリーの「サスピシャスマインド」と歴史的名曲があいだに挟まる1位になっているのだ。リストを見るだけで興奮する。ビートルズ以降につながる一瞬の過渡期かもしれない。

他にはニーナシモンの迫力あるヴォーカルが印象的、歌詞の訳をみると、ずいぶんとメッセージ性が強く黒人差別に対する抵抗を感じる。メキシコオリンピックの表彰式での人種差別抵抗シーンから1年経っていない。

ニューヨークのリンゼイ市長がコンサートで挨拶しているシーンが出てくる。妙に浮き上がる。いかにも白人エリートの典型といった振る舞いにコントラストを感じる。

ここ最近のミュージック系のドキュメンタリーで、いちばん感動した。正直「モータウン」のドキュメンタリーもそこまで良くなかった。ソウルミュージック好きにはたまらない快作だ。
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映画「私は死にたくない」スーザン・ヘイワード&ロバート・ワイズ

2020-08-04 20:29:20 | 映画(洋画 69年以前)
映画「私は死にたくない」は1958年のアメリカ映画


「ウエストサイドストーリー」「サウンドオブミュージック」という不朽のミュージカル映画のメガホンをとったのはロバートワイズ監督である。彼がこれらの名作を撮る前1958年に公開したのが「私は死にたくない」だ。主演のスーザン・ヘイワードはアカデミー賞主演女優賞を受賞している。スーザンヘイワードのアバズレ女ぶりが見ものだ。

子供のころから家庭に恵まれず、犯罪を繰り返し起こしていた主人公が、悪さする仲間だった札つきの2人の男とともに殺人の嫌疑をかけられる。一種の冤罪モノの映画で、無実を前提に話が組み立てられるが、結局は有罪となり処刑されるまでを描く。

映画が半分くらい進んだところで死刑判決が確定される。よくある冤罪モノのようにさまざまな反証の映像が次から次へと出るわけではない。それでも、弁護人が何度も復活折衝に入ろうとするがうまくいかない。死刑囚が処刑を受ける場面を、死刑執行人が下準備に入るところから丹念に映し出している。近年では「デッドマンウォーキング」などで、死刑執行のシーンをじっくり映す映画もあるが、割とここまで詳細に処刑場面を映すのは珍しい。

バーバラ・グレアム(スーザン・ヘイワード)は売春で引っ張られ収監されたり、悪さをした男たちに頼まれてでたらめなアリバイを言って偽証の罪で1年の懲役で刑務所暮らしをするような女だ。出所後夜の街で売春のカモを漁ろうとしていたところを、カモを警察と見破ったバーテンダーに助けられる。そして、そのバーテンダーと結婚をして子供を産むのだ。

でも、旦那は競馬にくるって、バーバラに金の無心をする。いよいよ愛想を尽くしたバーバラは手切れ金のつもりで小切手を渡し、夫は飛び出していく。そのあと、いかさま博打の仲間だった前科者・エメットとジャックのところへ居候させてもらう。 


そのエメットとジャックとともに一緒にいたバーバラも共犯の疑いで逮捕される。逮捕の現場には大勢の新聞記者たちが来ていた。1952年3月9日、カリフォルニア州バーバンクで、老寡婦が惨殺された殺人の容疑だ。 

新聞記者たちは最初からバーバラを主犯のようにでっち上げて扱っていた。むしろ、女性を極悪に仕立てる方が新聞が売れる。一方でバーバラは弁護士に調査費を払おうにも金がない。しかも、夫は出ていって行方不明だし、1歳の息子は証人になりえないし八方塞がりだ。

そんなとき、囚人仲間のリタという殺人犯の女がバーバラに当日別の場所にいたというアリバイをつくることをすすめてきた。ベンという男が面会に来て事件の夜、あるモーテルに2人が泊っていたことにするといった。ベンはしつこく本当はどこにいたんだときき、誘導尋問されるがままに彼女は2人と一緒にいたと言った。

まずは、犯人の仲間キングが証言にたち、バーバラが殺しを主導していると証言した。キングは検事と司法取引をしていた。公判で味方だと思っていたベンが証拠人として立つと、実は警官だったのだ。接見での会話は隠しマイクで録音されていて検事側の有力な証拠となった。その上、ようやく見つかり出廷した夫は何もしなかった。

第1審の判決は3人に死刑を宣告した。新しい弁護士マシューズは心理学者パールバーグを連れてきた。バーバラと相性が合い、パールバーグを信頼し、ウソ発見器にも進んでかかった。心理テストでは嘘は言うが、暴力嫌悪で殺人を犯すはずはないと示していた。この事件を担当してきた新聞記者のモンゴメリーがそのことを記事にするが、彼女の無罪を確信し始めた。モンゴメリーらの努力にもかかわらず、再審を望む訴えは却下されるのであるが。。。

⒈ジャズ色の強いバックミュージック
いきなりジャズクラブで4人のホーンセクションがノリのいいモダンジャズを演奏しているシーンが映し出される。ジェリーマリガンが奏でるバリトンサックスのソロがダイナミックだ。4つのホーンの組合せが粋なセッションを生み出す。


1957年にマイルスデイヴィスがパリに向かい、映画「死刑台のメロディ」のバックミュージックを即興で演奏している。今に残る不朽の名作だ。ジャズを映画に組み込んだその影響が少しはあるだろう。後にミュージカル映画の傑作を生み出すロバートワイズは、映画のムードにあったジェリーマリガンのモダンジャズを巧みに使っている。特にミュートのトランペットが効果的に雰囲気をつくる。

⒉嘘つき女
育ちが悪く、父親の顔は知らないという。小さいころから犯罪を重ねて、売春や偽証と前科の数は指折り数えて片手ではきかない。感化院にも2度入っている。家庭にはまったく恵まれていない。昨年の中東映画存在のない子供たちで極貧生活を送っている主人公が絶えず周囲にウソをついている場面に出くわした。この女も同じようなものだ。2人に共通するのは「いちばんの重罪は自分を産んだこと」というセリフである。責めるのは産んだ親だ。

3回目離婚した後に、警察にパクられるのを救ったバーテンと結婚し子宝に恵まれた。でも、旦那はバクチに手を出してすっからかんだ。しかも、旦那がバクチの支払いに使った小切手は不当たりで明日までキャッシュをよこせと言われている。どうにも困って、知り合いの札付きに子連れで身を寄せようとする。そして逮捕される。


まあ、このバーバラという女、道徳規準のない嘘つきで、偽証や売春をしても人を傷つけたり殺人はしないよなんて鑑定まで出ている。でも、冤罪とかばうほどではない。育ちの悪い連中に共通するこの嘘のつきっぷりは犯罪を犯してもおかしくないように思われる。

⒊マスコミに取り囲まれる
逮捕されるときに記者たちが押し寄せているのは不思議ではないが、逮捕された後も何かとマスコミにインタビューされる場面が出てくる。そのたびごとにアバズレのバーバラらしいコメントを述べるわけだ。しかも、バーバラの息子である赤ちゃんの面談までマスコミが押し寄せているシーンにはあっけにとられた。


日本では絶対ありえないシーンだ。
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映画「打撃王 ルー・ゲーリッグ」 ゲイリー・クーパー

2017-01-04 05:56:06 | 映画(洋画 69年以前)
映画「打撃王 The Pride of the Yankees」は1942年(昭和17年)のアメリカ映画である。


鉄人と言われたルー・ゲーリッグは2130試合連続出場の記録を長らく持っていたヤンキースのスラッガーである。球聖ベーブルースと史上最強の3,4番コンビを組んでいた。ところが、難病に侵され1939年惜しくも引退、その後1941年に37歳の若さで亡くなった。その余韻がある翌年1942年にこの映画がつくられている。実際のルー・ゲーリッグとゲイリークーパーは似ていると思う。

子供のころから2回この映画は見ている。いつ見ても泣ける。もう一度見てやっぱり泣けた。
ある意味、巨人の王長嶋のON砲のうち、片方が突如難病で引退して、その2年後に亡くなるということを想像してみれば、当時のアメリカ球界でとんでもない大事件だったということがわかるだろう。

1936年にメジャーリーグに昇格したマリリンモンローの元夫としても有名なジョー・ディマジオルーゲーリッグとともにヤンキースの一員としてプレイしている。いまだに56試合連続安打のメジャー記録を持つ彼もルー・ゲーリッグの引退式は本当に泣けたと言っている。その気持ちはよくわかる。


少年時代からルーゲーリッグは類い稀な野球の素質をもっていた。名門コロンビア大学に進学したあとはアメリカンフットボールの選手でもあったが、その打撃センスを新聞のスポーツ記者から注目され、大リーグのスカウトもねらっていた。ドイツからの移民である母親はゲーリッグの叔父が優秀な技師であったことから、ルーを技師にしたいという念願があった。ところが、父親に代わり家計を支えていた母親が突如入院、良い治療をするためには多額のお金がいることで、急遽ル―・ゲーリッグ(ゲイリークーパー)はヤンキースへの入団を決意する。まずはマイナーリーグでスタートとなり、ハートフォードへ向かう。母親は「ハーバード」へ進学するのだと勘違いしていた。

やがて1923年メジャーリーグに昇格しヤンキースの一員となる。近所の人たちは大騒ぎとなり母親にもそのことがわかってしまう。ヤンキースは主砲ベーブルースの全盛期で、ル―は控えで遠征をまわっていた。ところが、正一塁手が目が悪くなり、ルーにチャンスがまわってきた。ル―はそのチャンスをすかさずモノにするのである。シカゴの遠征時ハンバーグ王のお嬢さんエレノア(テレサ・ライト)が見に来ていた。ル―は彼女の前ですってんころり転んだりドジを踏んで失笑をかっていたが、やがて2人の間に恋が芽生えてくるのであった。

1.ルー・ゲーリッグ
自分は少年時代から野球の記録に強い関心を持っていた。戦前の巨人のエース沢村栄治の物語は池部良主演で映画にもなっている。小学生時代にテレビでその映画を見たことがあった。まだ日本のプロ野球が始まる前、1934年日米野球でメジャーリーグのオールスターが来日し、全勝したのはベーブルースの伝記でも読んでいた。その中で、沢村が0対1で惜しくも負けた試合が1試合だけあり、メジャーリーグの超一流の選手から三振を奪ったことが語り草になっている。その1失点はルーゲーリッグのホームランによる失点である。自分がルーゲーリッグの名前を知ったのはその時であった。


日米野球があった1934年ルー・ゲーリッグはヤンキースの不動の4番で三冠王をとっている。まさに全盛時代だ。沢村栄治の好投は今でもいろんなところで語られるが、この格の違いはいかんともしがたい。

2.ベーブルース
映画「打撃王」はルーゲーリッグの追悼ということもあるが、本塁打王ベーブルースが本人役で出演していることに強い意義を感じる。ニュース映像で短時間見るだけでなく、リアルにコミカルにベーブルースが出演する姿を見れるのはすばらしいことである。それだけでも貴重な映像といえるのではないか。子供のころ、偉人伝の全集を読んだが、もっとも関心深かったのが「ベーブルース」の偉人伝である。それだけに最初に「打撃王」を見た時ベーブルースの姿には感動したが、今回久々に見てショーマンシップあふれるベーブルースの演技にはなおのこと胸を打たれる。


有名な引退セレモニーのシーンの時も、あのブルドッグのような顔をしたベーブルースゲイリークーパーがスピーチする場面の一角で映っている。このスピーチは感動的に本当に泣けてくる。

3.テレサライト
この映画の時で24歳、可憐な姿は自分が映画ファンになってからいろんな映画で見ることができる。やはり一番印象が強いのはアルフレッド・ヒッチコック監督「疑惑の影」である。ジェゼフ・コットン扮する大好きなおじさんに殺人者としての疑いを持つ、かわいい姪という役柄はサイコサスペンスとして緊迫感が高い。このときテレサライトの表情があこがれのオジサンを見る羨望のまなざしから殺人鬼として疑う表情に徐々にかわっていく。この演出がピカイチで、オールタイムでこの映画を推す映画ファンも多い


「打撃王」
ではやさしい賢夫人を演じる。なんとこの映画から50年以上たった時始球式に誘われたそうだ。なんせ英題はThe Pride of the Yankeesである。こういう功績を忘れないところがヤンキースのいいところだ。
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映画「サムライ」 アランドロン

2016-12-31 17:57:32 | 映画(洋画 69年以前)
映画「サムライ」は1967年のアランドロン主演のフランス映画である。


アランドロン主演でもこの映画はなかなか見るチャンスがなかった作品だ。いわゆるフィルムノワールとされるジャンルに入る渋い映画で、極めて寡黙に演じるアランドロンの魅力が満載である。

ジェフ・コステロ(アランドロン)は古ぼけたホテルに小鳥とともに暮らす殺し屋だ。鍵のあいているシトロエンに忍び込み合鍵で車を発進させ、場末の修理工場へ向かう。そこでナンバープレートを変えてそのままナイトクラブに行き、経営者を殺す。その場を立ち去ろうとしたら、クラブで演奏する女性ピアニスト(カティ・ロシェ)とすれ違う。ジェフはアリバイを示すために真夜中に愛人(ナタリードロン)のところへ行く。


殺しの現場に警察がすぐ駆けつけた。目撃者の証言では、帽子をかぶったトレンチコートの男らしい。街の賭場でカードゲームしているジェフは警察に引っ張られる。クラブの店員に面通しをしたが、ピアニストはこの男でないと証言し、愛人は自分のところにいたと話したのでジェフは釈放される。釈放されたジェフは依頼人筋と待ち合わせるが、「おまえは取り調べを受けただろ」と言われ銃で撃たれる。

警部(フランソワ・ペリエ)はアリバイを示す証言があってもジェフを犯人とにらんでいたので、そのまま内偵を続ける。一方で依頼人筋はある事情からもう一度ジェフに接近し、報酬を払うと同時にもうひと仕事をしてほしいというのであるが。。。

1.アランドロン
1960年の「太陽がいっぱい」は全世界でアランドロンの名をとどろかせる。そこでは役柄からすると殺人を犯した単なる若いアンちゃんなんだけど、60年代から70年代にかけて日本でもすごい人気だった。ハンサムというとアランドロンの名前がすぐさま出てくるくらいの存在である。「太陽がいっぱい」で裸でヨットの舵をとるアランドロンの写真を下敷きの中に入れていた小学校や中学の同級生もずいぶんといた。


この映画でも確かにそのカッコよさがにじみ出ている。端正な顔立ちにトランチコートがよく似合う。しかも寡黙である。登場人物の動きが割とあるのに、映画全体に無駄なセリフが少ないフィルムノワールのタッチである。主人公ジェフが犯人と警部に決めつけられるが、いったん釈放される。

それでも警察は盗聴をかけたり、尾行をする。この地下鉄での尾行シーンがいい。60年代後半のパリの街並みが映像ににじみ出る。パリの警察が威信をかけて、至る駅周辺でアランドロン演じるジェフをマークする。ジェフも電車を降りないようでドアが閉まる寸前で降りたりして懸命にまこうとする。沈黙の中で繰り広げられる心理戦が見ものだ。


2.美女二人
ナタリードロンは当時アランドロン夫人である。これがまた美しい。設定では娼婦ということであるが、下品なイメージはない。旦那にまだまだ映画界で仕事をさせてくれと言ってから関係が悪化したと言われる。あまり資料がなくわからないが、ピアニストを演じたこの映画のカギとなる存在のカティ・ロシェが魅力的だ。黒人ということだが、メイクであろうか?この細みの女性の魅力も映画の格をあげている。


どうして殺し屋を依頼主が雇ったのか?殺し屋ジェフはどういう素性に育った男なのか?愛人とされる女はどういう素性で、ジェフとどういう関係なのか?ナンバープレートを変える自動車修理工はどういう男なのか?疑問は尽きない。でも何も明かさず、最後まで進む。簡潔だ。

この映画の寡黙ぶりはいろんな映画に影響を与えていると言われる。確かにそうだが、個人的にはアランドロンの一時期のライバルであるチャールズ・ブロンソン主演の「メカニック」の冒頭でセリフなく10分以上ブロンソンが殺しのための仕事をするシーンを連想した。殺し屋の過ごした数日という設定はある意味トムクルーズ「コラテラル」を彷彿するものもある。
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映画「間違えられた男」 ヘンリー・フォンダ&ヴェラ・マイルズ

2016-12-23 21:26:53 | 映画(洋画 69年以前)
映画「間違えられた男」は1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督の作品


「ヒッチコック/トリュヒュー」の中でも「間違えられた男」がとりあげられていた。「めまい」の前に製作された作品で、急に見てみたくなった。数多いヒッチコック作品の中でも、実話をもとにした異色作品である。映画の冒頭で、ヒッチコックが自らそのことを観客に向かって語る。

ヒッチコック映画の中にも犯人に間違えられる話はよくあるパターンだが、むしろ「北北西に進路をとれ」や「逃走迷路」のように逃げ回る話の方が多い。冤罪でとらえられた実話となるとより犯人にさせられた男が気の毒に見えてくる。ここでは、ヘンリーフォンダがはめられていく中で、徐々に人相が悪くなっていく。表情もなかなかうまい。1956年当時のニューヨークの風景もふんだんに出てきて、それ自体も楽しめる。

ニューヨーク、妻ローズ(ヴェラ・マイルズ)の歯の治療費が多額になることが分かり、クラブでベーシストをやっているマニー(ヘンリーフォンダ)は妻の生命保険を担保にお金を借りようとして、証書をもって生命保険会社を訪れる。受付で対応した事務員がマニーの顔を見て驚き、別の事務員に声をかける。以前、会社に強盗で襲った男に似ていることに気づいたのだ。妻のサインが必要なので、また改めて来てくださいと告げて帰ってもらった後で、あわてて警察に連絡する。そして自宅に帰る直前に警察に任意同行を求められる。


警察で筆跡を鑑定したところ、字がよく似ていて同じようなスペリングの間違いをしていた。同じような強盗に入った場所で顔を見てみてもらったところ、似ているということになりマニーは拘束される。いつも定時に自宅に帰るマニーが帰らず、妻ローズは心配して、マニーの実家にその他に連絡するがつかまらない。結果、警察に拘束されていることが分かり驚く。その後も不利な状況が続いたあとで、牢屋に入れられたが、保釈金を身内に出してもらいなんとか釈放される。

証人を探したが、すでに死亡している。弁護士をなんとか頼んで裁判に持ち込むが、少しも好転しないk状況が続くのであるが。。。

1.ヒッチコックはなぜモノクロで撮ったのか?
アルフレッド・ヒッチコックは1955年に「ハリーの災難」を撮り、同じ1956年にはドリス・デイが劇中で「ケセラセラ」を歌う「知りすぎていた男」を撮っているが、いずれもカラーである。その後の「めまい」もサンフランシスコの景色をカラーで実に美しく撮っている。それなのに、モノクロで撮っている。ヘンリーフォンダの顔立ちはいかにも不安を醸し出している。それを陰影の強い白黒で示すことで実話ではあるがスリラー的な要素を見せているのではないか?その後「サイコ」でもう一度モノクロで撮っている。ヒッチコックの中でもスリラー的な要素が強い映画である。


2.ヘンリーフォンダ
法廷物の名作「十二人の怒れる男」の前年に撮られている。「十二人の怒れる男」も白黒であるが、この映画の弱々しさとは対照的な裁判員を演じている。艶福かとしても知られ、子供で俳優であるピーターフォンダジェーンフォンダと長らくあまりいい関係ではなかったのは、あまりにも有名だ。この映画の顔立ちと最後の作品でアカデミー賞を受賞した「黄昏」キャサリーン・ヘップバーンと娘のジェーンフォンダと共演した時の円熟した枯れ切った演技を見せた時の表情はまったく異なる。

3.ヴェラ・マイルズ
ここでのヴェラ・マイルズは実に美しい。


「めまい」でもヴェラマイルズを起用しようとしていたという逸話はよくわかる。ご懐妊で出演できなかったらしい。いかにもヒッチコック好みである。結局、「サイコ」ジャネット・リーの妹役を演じて、映画「サイコ」の後半戦で活躍した。でもジャネットリーとまるで一人二役やっているみたいに良く似ていたなあ。




間違えられた男
珍しい実話に基づく映画
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映画「めまい ヒッチコック」 ジェームズ・スチュアート&キム・ノヴァク

2016-12-18 21:32:50 | 映画(洋画 69年以前)
映画「めまい」はアルフレッド・ヒッチコック監督による1958年の作品

先日「ヒッチコック/トリュフォー」の映画を見に行った。その中でも「サイコ」と「めまい」の2作品を綿密に解説している。もう一度見てみたい衝動にさらされ、「めまい」を再見した。妻と愛人が共謀して男を殺そうとする怖いあらすじで結末は言うな!とくぎを刺すフランス映画「悪魔のような女」の原作者であるピエール・ポワローとトーマ・ナルスジャックのミステリー作家チームによる作品である。詳細はともかく大枠のストーリーは把握しているので、映画のディテイルに目がいく。傑作は何度見てもいいものだ。


警察に勤めていた中年男性「スコティ」ことジョン・ファーガソン(ジェームズ・スチュアート)が高所恐怖症の影響で退職したことを聞きつけ、造船所の経営者である旧友エルスターから連絡が入る。妻マデリンの様子がおかしいので尾行してくれないかという依頼である。


スコティは夫とレストランで食事している美しい妻マデリン(キム・ノヴァク)の顔を確認した後、妻の居場所で待ち伏せして、彼女が運転する深緑のジャガーを自分の車で追う。彼女はサンフランシスコの街を彷徨い美術館に行ったり、買い物をしたり、お墓に行ったりしている。スコティは美術館でじっと眺めていた女性の絵の髪型が彼女にそっくりだということに気づく。どうやらその絵の女性はマデリンの祖先で26歳で自殺をしたということを依頼者である友人から聞きつける。

その後も尾行が続くが、似たようなルートを彷徨って、ゴールデンゲイトブリッジ横の海岸に向かう。そこでなんと、彼女は飛び込むのだ。あわててスコティも海に飛び込み、マデリンを救出する。そして自宅に連れていく。


自宅で目覚めたマデリンにはほとんど記憶がなかった。スコティから事情を聞き、あわてて自宅に帰宅する。その後も尾行を続けたが、行き先はスコティの自宅だった。やがて二人は惹かれあい、逢引きをするようになる。しかし、マデリンの不安定な状況は続く。そして郊外の教会の鐘楼の上に向かって、とりつかれたように階段を昇っていく。追いかけようとしたスコティはめまいでクラクラして階段が登れない。その時、屋上から女性が落下するのを目にするのであるが。。。

物語はここでは終わらない。尾行を依頼されながら、自殺させてしまった失意にスコティは神経が衰弱してしまう。でもこの後にものすごいドラマが待っている。前半で終わったように見せかけて、後半に別の女性を登場させる。

1.美しいサンフランシスコのロケ地
尾行を依頼され、2人それぞれの大きなアメ車がサンフランシスコの街中を走る。坂の多いサンフランシスコの街で向かう場所それぞれが実にすばらしい。最初に見たとき、まさに総天然色で映すその美しさにため息が出た。衣装を含めて色彩設計は抜群である。
ピックアップしてみる。

The Palace of the Legion of Honor, Lincoln Park


ゴールデンゲイトブリッジ


The Palace of Fine Arts



2.キムノヴァクの美貌
一人二役というべき役柄を見事にこなした。サンフランシスコの海には実際に飛び込んだという。さぞかし冷たかっただろう。この映画でのヒッチコックとの関係は最悪だったと言われる。それだからか、映画「ピクニック」や「愛情物語」で見せる美貌の方が上ではないかと個人的には感じる。


映画「ヒッチコック/トリュフォー」では髪型をマデリンそっくりに変えて登場したキムノヴァクが、ジェームズ・スチュアートの前に現れる場面がすばらしいとマーティンスコセッシが絶賛していた。

3.サプライズ
自分が最初に見た時、三つの場面で驚いた。
まずは、キムノヴァクがサンフランシスコ湾に突然飛び込んでしまう場面、すでに亡くなったマデリンとそっくりな女性を街の中でスコティが見つけて驚く場面、スパニッシュ系の鐘楼の上にマデリン(ジュディ)とスコティがいるときに突然人影が現れて、マデリン(ジュディ)がうろたえる時


それぞれにドッキリしてしまったが、今回は結末がわかっているとさほどでもない。それでもアルフレッドヒッチコックは驚かすのが巧みである。ブライアン・デ・パルマも驚かすのが好きな監督だが、そのエッセンスはヒッチコックから得たと言ってもいいだろう。「めまい」が基本になってデ・パルマ「愛のメモリー」が生まれたと言っても過言ではない。マーティンスコセッシもかなり影響を受けているようだ。


4.女のやきもち
この映画の冒頭にでてくる主人公スコティの元婚約者で友人のロイド眼鏡をかけた女性という存在は映画のバランスをとるために脚本家が考えた人物であろう。もともとは旧友だけにちゃんと相手にしていないが、尾行している女性が美女とわかると、密かなやきもちを妬いているようなそぶりを見せる。そういう第三者の存在はヒッチコックの妻が考えたような気がする。そういえば「見知らぬ乗客」に出演しているヒッチコックの娘もロイド眼鏡をかけていたっけ

この映画の評価は最初あまりよくなかったようだ。それにはヒッチコックもがっかりしたようだが、今では最大級に評価されていると言ってよい。同じようなストーリーも数多く、この展開は日本のサスペンスドラマでもよく見るなあ。

めまい
死んだはずだった愛する女性が現れる
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映画「さよならをもう一度」 イヴ・モンタン&イングリッド・バーグマン

2016-11-13 14:22:39 | 映画(洋画 69年以前)
映画「さよならをもう一度」はイヴ・モンタン&イングリッド・バーグマン主演の1961年の作品


イヴ・モンタンとイングリッド・バーグマンが並ぶ優雅なジャケットをみると、カサブランカのボギーとバーグマンのようだ。元々はフランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」の映画化である。男性からすると手にとりずらい小説だ。

未婚同士の中年カップルの恋に若い男が三角関係のようにからんでいくなんて、古今東西たくさんつくられている物語のよくあるパターンだ。ここではアルフレッドヒッチコックの「サイコ」で恐怖の屋敷の主人を演じたアンソニーパーキンスを登場させ、イングリッド・バーグマンに憧れる若い弁護士を演じる。彼はこれでカンヌ映画祭で賞を受賞している。

トラック会社の重役ロジェ(イヴ・モンタン)は室内装飾家ポーラ(イングリッド・バーグマン)と5年越しでつきあっている。しかし、ロジェは若い他の女性と浮気をしている。ロジェは最近、仕事が忙しくパリに住むアメリカ人の富豪バンデルベッシュ夫人の邸の室内装飾にポーラを推薦すると彼女を同行しながら自分は先に帰ってしまった。1人で夫人を待つポーラの前に夫人の息子で弁護士のフィリップ(アンソニー・パーキンス)が現れると、25歳のフィリップはポーラに一目惹かれてしまう。一方ロジェは、ポーラとの約束を取り消して他の女と旅行に出た。それをフィリップが目撃しまうとともに、フィリップはポーラに急接近するのであるが。。。


アメリカ映画だが、パリのシーンが多い。当時のシトロエンだけでなく、クラシックカーを数々走らせる。社交界を映しだす部分も優雅で、主役2人の雰囲気によくあっている。

1.イヴモンタン
当時40歳、トラック会社の重役という設定だ。名作「恐怖の報酬」でニトログリセリンをトラックで運ぶ役をつい連想するが、あの時のワイルドな感じとは正反対だ。ハンサムでダンディを地で行くこの時点で、マリリンモンローとも浮気をしていたと言われる。それが発覚しフランスの女優でありながらオスカー女優でもあるシモーヌ・シニョレが自殺未遂を起こしたという。まさにその前後にとられた作品だ。


2.イングリッド・バーグマン
当時46歳、大きな画面でアップに耐えられるその美貌は本当にきれいだ。こんな美女が登場すると、若いいい男がはまっていく姿が絵になる。自分の大学でちょうど卒業25年で同期のパーティがある。だいたい48歳くらいだ。この時点で輝きをもつ女性とくすんでいく女性と大きくわかれる気がした。もちろんバーグマンは前者だ。

もう若くないのとバーグマンが言う。でもこんな美人若くなくても全然OKですよ。

恋多き女といわれる。カサブランカやガス燈や一連のアルフレッド・ヒッチコック作品でその美貌を示した後で、イタリアのロッセリーニ監督と不倫をしてその元へ向かう。これ自体がアメリカ議会でも問題になったことがあるという。そのため、ハリウッドと距離をしばらく置いたあとに、映画「追想」で復活し二度目のオスカー主演女優賞を受賞する。そして57年ロッセリーニと離婚するのだ。この映画はそのあとで撮影されている。


あと振られっぷりが見事なのはアンソニーパーキンスだ。映画「ソフィーの選択」に通じる部分も多い。もっと活躍してもよかったのにという男優だが、ちょっと奇想天外な動きをしたのが残念かもしれない。
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映画「処女の泉」 イングマール・ベルイマン

2015-01-15 19:49:14 | 映画(洋画 69年以前)
映画「処女の泉」は1960年のイングマールベルイマン監督のスウェーデン映画


先日イングマールベイルマン監督作品の「野いちご」をコメントしたが、この作品は「野いちご」より後に製作されているが、日本では先に公開された1961年のキネマ旬報洋画部門1位の作品であり、1960年のアカデミー賞外国映画賞を受賞した。
中世のスウェーデンが舞台で、1人の少女が流れ者に強姦され殺された後で、父親が復讐をするという話に宗教的意味をもたせてつくられた作品だ。自分の感覚では、単なるレイプ映画の粋を超えない。「野いちご」と比較するとそんなにいいとは思えない。

16世紀のスウェーデン。豪農テーレ(マックス・フォン・シドー)の屋敷。召使のインゲリ(グンネル・リンドブロム)は、朝の支度の手を止め、異教の神オーディンに祈りを捧げていた。家の中ではテーレと、敬虔なキリスト教徒の妻(ビルギッタ・ヴァルベルイ)が朝の祈りを捧げている。寝坊して朝食に遅れた一人娘のカーリン(ビルギッタ・ペテルソン)は、父親のいいつけで教会に寄進するロウソクを届けに行くことになる。母親の心配をよそに、晴れ着をまとって上機嫌のカーリン。美しく世間知らずの彼女を妬むインゲリは、お弁当のサンドイッチにヒキガエルを挟み、ささやかな復讐を試みる。


両親と召使たちに見送られ、馬に乗って出発したカーリンとインゲリは、美しい湖畔や野原を越えていく。小川の流れる小屋にさしかかった時、インゲリは急に言い知れぬ不安を覚え、教会へ行かないようにと頼みこむ。笑って聞き流したカーリンは、インゲリを小屋に残し、ひとりで先を進んでいく。インゲリは、オーディンの神を信奉するという小屋の主人に心を見透かされ、恐れて逃げ出す。
森の奥深く進んでいくカーリンの姿を、三人の浮浪者が見つめていた。

この構図はきれい↓


疑いを知らない彼女を言葉巧みに誘い、一緒に昼食をとるが、連れていたヤギが盗んだものであることを見抜かれ、カーリンを強姦して殺してしまう。少年の浮浪者は、目の前の光景を恐ろしげに見つめていた。後から追ってきたインゲリは、その一部始終を目撃するが、憎いカーリンが犯される愉快さと恐怖を同時に味わい、止めに入ることができない。


夜になり、娘の帰りを待つテーレの屋敷に、そうとは知らない浮浪者たちが現れ、一夜の宿を乞う。中に招き入れ温かい夕食を供するが、少年は目撃した罪の恐怖で震えが止まらず、食べ物がのどを通らない。夜中、様子を見に行ったテーレの妻は、浮浪者たちにカーリンの晴れ着を売りつけられる。事情を察した彼女は、寝ていたテーレに娘の服を見せる。テーレが刀を持って外に出ると、階段の下にインゲリが震えていた。事情を聞いたテーレは、シラカバの木を倒し、その枝を切って沐浴する。身を清めたテーレは、刀を手に浮浪者が寝ている部屋に向かう。テーレの妻は、夫が入った部屋に鍵をかけた。
(作品情報より)

「強姦された娘の復讐をする父親」という一言で語ると、どうってことない話に思えるが、実際そうである。
最初に日本で公開された時は、強姦された場面が映倫でカットされたようだ。別に少女を裸にしているわけではないが、見ようによってはむごいと感じさせる部分もある。ただ、現代ではレイプシーンというのは見慣れたものになっているし、この程度のきわどさはさほど驚くものではない。それを除いて公開されたにもかかわらず、一番すぐれた映画としてしまう意味が現代感覚の自分からするとよくわからないといわざるを得ない。

召使いのインゲリが異教の神を信じているというのがポイントのようだけど、宗教の話はよくわからないなあ。彼女はお嬢様であるカーリンを嫉妬している。しかも、強姦される前にインゲリはカーリンにピンタをくらっている。ムカついているわけだ。強姦されても仕方ないくらいの気持ちもあったように見受けられるが、さすがに殺されてしまうまでは思わなかったようだ。

それにしてもこの女不気味な顔をするのがうまい。



監督は多分に女性を下等と見ないしている部分がある。ここでもそういったネタミを前面に出して、強姦する流れ者も悪いけど、それだけのせいにはしていない。でも最後にカーリンの死体の下から突如として泉が流れる。これは神の仕業としている。こういうのはちょっと苦手

(参考作品)

野いちご
老医師の妄想


処女の泉
知識人好みの60年代のレイプ映画
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映画「メリーポピンズ」 ジュリ―アンドリュース

2014-04-02 06:52:50 | 映画(洋画 69年以前)
映画「メリーポピンズ」は1964年公開のミュージカル作品
映画「ウォルトディズニーの約束」を見に行ったあと、思わず見たくなりDVDを借りた。公開の時はまだ幼稚園だったので行っていない。でも街の掲示板に「メリーポピンズ」の映画ポスターがしばらく貼ってあった気がする。それなのでリバイバルの時には行った。何より音楽が親しみやすくて心に残った。96年ブロードウェイでジュリーアンドリュースのミュージカルをみたのもその印象が強かったからだ。

改めて見直してみるといい。当然CG処理が格段の進歩を遂げた最近の映画に比べると映像技術こそ古めかしいが、ジュリ―アンドリュースの歌声を聴くと、心が洗われるような気がする。

1910年。ロンドンでも美しい桜通りに住むバンクス氏(デイヴィッド・トムリンソン)は銀行家で気むづかし屋。奥さん(グリンス・ジョーンズ)も婦人参政権運動に夢中で子供は放りっぱなし。乳母任せの子供たちは腕白ざかりで一向に乳母が居つかない。
ある日、子供たちは自分の夢にぴったりの、優しくて、美しい、親切で若い乳母の条件を書いて父親に見せたが父は紙片をストーブに放りこんでしまった。それは煙突から空高く飛んでいった。

翌朝、パラソルを開いた若い女性がフワフワ空からやってきた。子供の書いた紙片を持って。メリー・ポピンズ(ジュリー・アンドリュース)である。自分勝手に子供部屋へ行き、指を鳴らすと魔法のように散らかったものが片づき、不思議な鞄からは何でも出すのだ。日課の散歩のときなど大道芸人バート(ディック・V・ダイク)の描く絵の中にさえ入って行け、遊ぶことさえできる。

彼女がやって来てからは家中が朗らかになり、歌まで歌いだしたのがバンクス氏は不思議でたまらない。子供の躾に厳格なバンクス氏は子供たちに倹約を教えようと預金させようとした。銀行の老頭取が無理に預金をさせようとしたので、子供は思わず「私のお金を返して!」と大声をだした。それを聞いた預金者たちは銀行が危ないのではないかと勘違い、あわてて払いもどしに殺到、大混乱になった。

逃げだした子供は途中で煙突掃除夫姿のバートに出会った。煙突だらけの屋上に上ると、煙突の中からメリー・ポピンズが現れ、あちこちから煙突掃除夫が飛んできて、皆で踊りつづけた。その夜、バンクス氏は銀行から呼び出しをうけて重役から叱りとばされたが。。。(KINENOTEより引用)

これは余計なことを言わずに動画を見ながら想い出に浸るしかない。
いずれも映画史に残る名場面だ。

Supercalifragilisticexpialidocious
この早口言葉はいえないだろうなあ。


バンクスさんが銀行で歌うシーンがよかった。彼の気持ちがよくわかる。



ジュリーアンドリュースのやさしく歌い上げる「薬なんていらないよ」というのがいい。
メリーポピンズのパフォーマンスに反応する2人の子供がかわいい。



小学生のころテレビでいろんな歌手が日本語で歌うのをずいぶんと聴いたなあ

こんなすばらしい映画もう一度思い出させてくれた「ウォルトディズニーの約束」(SAVINNG MR BANKS)に感謝
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映画「5つの銅貨」 ダニー・ケイ&ルイ・アームストロング

2013-03-10 16:17:40 | 映画(洋画 69年以前)
映画「5つの銅貨」は1959年の映画
ダニーケイが往年の人気演奏家レッド・ニコルズを演じる。まさに古き良き時代といった雰囲気で、ルイアームストロングもダニーケイと楽しく掛け合い演奏し、あの濁声で歌いまくるご機嫌な映画だ。



1920年代が舞台だ。
コルネットが得意の青年レッド・ニコルズ(ダニー・ケイ)が、ウィル・パラダイスの楽団への入団を申し込むところから映画はスタートする。そこで美人歌手のボビー(バーバラ・ベル・ゲデス)と知り合いになった。やがてボビーと恋仲になったレッドは、酒場でルイ・アームストロングと即興でかけあい演奏をやったことから彼と仲よくなり、次第にそのプレイを世に認められるようになった。
レッドとボビーは結婚した。結局バンドを脱退してレッドは“ファイブ・ペニーズ"楽団を結成し、全米ツアーをはじめた。娘のドロシーが生まれ、育つにつれて、デキシーランド・スタイルは一世を風靡する。楽団のメンバーにもトミー・ドーシーやグレン・ミラーが加わった。ボビーは成長する娘に巡業がよくないことを考えて、彼女を寄宿学校に入れた。しかし、別れて暮らすことが寂しいドロシーは夜一人さまよい、冷たい雨に打たれているうちに小児マヒにかかってしまう。病床にかけつけたレッドは、愛娘ドロシーにかまわなかったことを後悔した。落胆のあまりバンドを解散しまうのであるが。。。


再生の物語だ。娘が小児麻痺にかかりすべてを放棄してしまうが、復活に向かう軌跡を描く。
とはいうものの暗いムードは少なく、ウキウキの音楽とともに楽しく見れる映画だ。

何より見ていて楽しいのが、全盛時のルイアームストロングのプレイだ。
「聖者の行進」を濁声でダニーケイと輪唱のようにはもるシーンは本当に楽しい。
思わず「大将!」と声をかけたくなる。
全米ヒットチャート№1の「ハロードーリー」はこの数年後だ。

あと抜群にいいのは「ラグタイムの子守唄」ダニーケイの歌声が優しく包むシーンもナイスだ。
ハリーニルソンがオールディーズばかりを歌ったレコードに入っていた。邦題「夜のシュミルソン」だ。これ本当に好きなんだよなあ。ボロボロになるまで聴きづづけたあと、今でもCDをもっている。

余分なことは考えずにゴールデンエイジズの素晴らしいアメリカに酔いしれていった。
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上海から来た女  オーソンウェルズ

2011-08-12 22:30:02 | 映画(洋画 69年以前)
すべてのアメリカ映画のベスト100となると必ずトップになるのは1941年の「市民ケーン」である。監督主演はオーソンウェルズである。
朽ち果てた洋館の映像から始まるこの作品には30年先をいっている映画の手法が盛りだくさんだった。100年あまりの年月に数え切れないほどある作品の中でトップというのはすごい。でも放映当時はこの映画で取り上げられているメディア媒体から、強く反発を受けていた。しばらくウェルズは干されることになる。
70年代に「オーソンウェルズ劇場」というのをテレビでやっていた。同時にニッカウィスキーのCMにも出ていた。ニッカウィスキーのラベルのヒゲ親父そのままの顔であった。
何よりもまず名作「第三の男」におけるオーソンウェルズの存在感がすごい。


そのオーソンウェルズが「市民ケーン」のあとに作ったフィルムノワールが「上海から来た女」である。「市民ケーン」同様オーソンウェルズ自ら主演監督をつとめる。そして共演が当時の妻リタヘイワースである。


彼女はセクシー女優として名高い美女であるが、後年「ショーシャンクの空に」が公開され再度注目を集めた。主演のティム・ロビンスの刑務所の一室に掲げられていたポスターは、リタヘイワースだったのだ。スティーヴンキングの原作名は「刑務所のリタヘイワース」である。

この映画は放映に当たって、2時間半から約1時間分のフィルムをカットされたといわれる。
5分の2とはすごい長さだ。そこに監督のオーソンウェルズがかかわっていないという。悲劇である。
そんな映画なのに不思議な魅力がある。さすがオーソンウェルズだという映像が見られる。
何度も見てみたい衝動が襲う。「二郎ラーメン」のような麻薬的要素を持つ。

ニューヨークの映像からスタートする。
貴婦人ことリタヘイワースが馬車に乗ったところを、街のチンピラがからむ。からんだチンピラを撃退するのが主人公オハラことオーソンウェルズである。翌日オーソンウェルズの働いているところに一人の足の不自由な男が訪ねてくる。彼は貴婦人の夫だ。弁護士だという彼はオーソンウェルズとその仲間をカリブ海の航海にさそう。

カリブ海にヨットで航海へ出て西インド諸島からメキシコの湾にそっていきアカプルコに到着する。
航海に出ているときにウェルズに妙な男がちかづく。「君は人殺ししたことあるんだね。」「また同じことやる気ないか?」弁護士の執事グリスビーと見せかけるが、彼女によると自分を見張る探偵だとか。弁護士のバクスターは夫人がウェルズといい仲なのかもしれないと疑っている。
ウェルズはその執事から自分を殺してくれたら5000ドルを払うと依頼をされる。いったん今の人生を終えて、別の顔になって生きていきたいと彼は言う。生命保険金もからんでいた。
ヨットがサンフランシスコに着いたとき、執事グリスビーからウェルズが殺したという告白書にサインしてくれと言われる。死体が見つからなければ、殺人にはならないという。美しいリタと駆け落ちするだけの金が得られると考え、水族館でリタと駆け落ちの相談をするオーソンウェルズであるが。。。。


このあとオーソンウェルズは着手にかかる。しかし、そう簡単にはうまくはいかない。そして事態は二転三転する。そういう中映像はいろいろな場面を映す。バカンスのメッカであるアカプルコの海辺、1940年代の坂の街サンフランシスコ、チャイナタウンと京劇風景、遊園地とビックリハウスなどをこれでもかこれでもかとオーソンウェルズはいろんな映像を我々に見せつける。発明家の息子というのがよくわかる。ある意味「市民ケーン」よりも楽しめるシーンが多い。何度も見たいと思わせる中毒になる映画である。。。
詳しくは別のコラムで。。。  続く


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スミス都へ行く  ジェームス・スチュアート

2011-07-17 16:27:43 | 映画(洋画 69年以前)
「スミス都へ行く」はフランク・キャプラ監督の1939年の古典的名作だ。政治を題材に汚職と戦う議員を描く。その後ヒッチコック映画でも活躍するジェームススチュアートの姿がまだ若々しく、強烈な迫力を見せる。

ある州の上院議員が突如亡くなる。後任候補は自薦他薦数多くいたが、指名を受けたのは少年団のリーダースミスことジェームススチュアートだ。少年たちには人気者だった。そんな彼をクロードレインズ演じる上院議員をはじめとした権力者たちが受け入れた。それは地元利権を握るテイラーの計画するダムの法案を通すため、政治に疎い者が望ましいという理由からだった。
田舎者のスミスは初めてのワシントンに戸惑った。変な誘惑も多かった。そのスミスは、少年キャンプ法案を提出した。ところが、その予定地こそ地元有力者テイラーたちの計画するダム建設予定地であった。ところが推進しようとして、逆にスミスが汚職の汚名を着せられる。そして上院から追放されそうになる。彼は失望し、リンカーン記念堂の中で、故郷に戻ろうと考えていた。そのとき、女性秘書があらわれ慰められるのであるが。。。。


巨匠フランクキャプラ監督らしい道徳的な正義感の色彩が強い作品だ。そののち汚職摘発の社会派映画は増えていくが、これはそのはしりだ。「素晴らしきかな人生」同様主人公を谷底までおとしめる。そこからの復活が見モノではある。何はともあれジェームススチュアートの強烈な激情に感動させられる。ありえないように思える話とも思えるが、彼のセリフが持つパワーが凄い。機関銃のようだ。のちの紳士風演技から比較すると彼の動きの若々しさに驚く。

その彼が対決するのがクロードレインズだ。「カサブランカ」の浪花節警察署長、「汚名」の陰謀含みの首謀者、「アラビアのロレンス」の老軍師など味のある演技を見せる彼がここでも活躍する。嫌味な役柄だ。土壇場の逆転は意外な感じだ。

大恐慌から徐々に回復に向かおうとする30年代アメリカの話だけに、ダムがテーマになる。少年のころはニューディール政策は素晴らしいと社会の時間に習ったものだ。ここでのダムが本当にダメなものなのかはわからない。でも経済活動はすべて悪と決め付けるような言論があることも事実だ。水戸黄門の話に悪代官と悪徳商人の結託がくりかえし出てくる。そんな話にすべて片付けてしまうのもどうか。
そういえばさいたま市を選挙区に持つ某官房長官の選挙ポスターには「腐敗は許さない」と書いてあったものだ。そんな正義感を持つ政治家であっても、権力をもつとただの人だ。原発を悪代官と悪徳商人の結託のように語ってもらったら困る。経済音痴を地で行くような発言も目立ち、脱原発を掲げて日本を廃墟に導こうとしているのが映画を見ながら急に連想された。
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地上より永遠に  モンゴメリークリフト

2011-02-27 20:24:24 | 映画(洋画 69年以前)
「地上より永遠に」1953年のオスカー作品賞を受賞した作品。真珠湾攻撃直前のハワイ米軍を舞台に、軍隊内の生活をクローズアップさせている。豪華俳優陣がそろうが、デボラカーの殺人的な美貌に目を引かれる。


1941年夏、ハワイホノルル兵営に主人公ことモンゴメリー・クリフトが転属してきた。彼は上官に反目したため一兵卒に落され、転属の憂き目となったのだ。この新しい部隊の中隊長大尉は、ボクシングに夢中で、モンゴメリーが以前、ミドル級ボクシングのファイターであったことを知って、下士官に昇進を条件に彼にチーム入りをすすめた。しかし、モンゴメリーはボクシングはもうやらないと誓いをたてており、断った。中隊の軍曹ことバート・ランカスターは、警告したが、強情なモンゴメリーは聞き入れなかった。そのため大尉のモンゴメリーに対するプレッシャーが強くなり、虐待行為を受けた。一等兵ことフランク・シナトラのみがモンゴメリーの味方だった。大尉の妻ことデボラ・カーは美しく、G・Iの間に噂の的となっている女性で、冷酷で不貞な夫を憎んでいた。バートランカスターがデボラカーと密通していた。週末オフの時間に、フランクシナトラはモンゴメリーを街のクラブに連れていった。モンゴメリーはその店で女給のドナ・リードという女に惹かれた。

大体の人間関係はそんなところである。虐待や軍隊内のケンカが頻繁に画像にでる。
後年ベトナム戦争当時を舞台に「フルメタルジャケット」が作られるが、そのはしりというべき作品だ。フランクシナトラが「猿」とからかわれる一兵卒を演じて、笑いを誘う。こんなに3枚目だったかな?と思わせるくらいだ。アーネスト・ボーグナインの嫌味な軍曹もいかにもという感じである。「マーティ」でオスカー主演賞を受賞する2年前の作品、「北国の帝王」でも取り上げたが、彼が脇に回った作品はどれも間違いない。



そんな芸達者に加えて、デボラカーが美しいその姿を映す。バートランカスターとの海辺でのキスシーンは今見てもかなり強烈なシーンである。アーネストボーグナインほどではないが、バートランカスターはどちらかというと3枚目だ。彼にとっては一世一代の大ラブシーンだったろう。この翌年アルドリッチ監督「ヴェラクルス」で見せるあの前歯を強調した不気味な笑い方とは究極の対称性だ。でもこの映画のクレジットトップはバートランカスターである。


最後に真珠湾攻撃のシーンが出てきて、いかにも不意打ちの攻撃であることを強調する。しかし、それ以外のストーリー展開はさほどおもしろいわけではなかった。個別の演技に注目する映画かな?
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白い恐怖 イングリッド・バーグマン

2011-01-10 20:25:03 | 映画(洋画 69年以前)
アルフレッドヒッチコック監督によるサイコスリラーである。
1945年というと終戦の年。監督にとっては「救命艇」のあと「汚名」の前の作品でイングリッドバーグマンをメインにする。「カサブランカ」「ガス燈」と続き、前年にはオスカー主演女優賞を受賞。彼女にとっての絶頂時期で実に美しい。今回は精神科医を演じる。眼鏡をかけたバーグマンも知的魅力にあふれている。もともと世界大戦のあと精神分析が流行していたそうだが、その分析に関する話は中途半端になってしまった印象だ。


「緑の荘園」と呼ばれる精神病院の前院長が退任して、新院長ことグレゴリーペックが着任した。病院の女医ことイングリッドバーグマンはお固いと同僚から言われていたが、精神医として高名な彼に急激に魅かれた。ある日、バーグマンはグレゴリーが白と黒のストライブ模様に対して異常な恐怖を抱いていることに気づく。また、彼女はグレゴリーのサインが新院長の著書のサインと違うことに気づき問い詰めると、本物の新院長を殺害したと思い込んでいた記憶喪失の患者である事を突き止めた。そして彼はそのままニューヨークへと姿を消した。彼女は心を惹かれたグレゴリーの失われた記憶を追うことで、真実をつかもうとニューヨークへと旅立つのであったが。。。



「白い恐怖」「汚名」はいずれもイングリッドバーグマンが主演で、サイコサスペンスの色彩もあるが、どちらかというと恋愛映画の色彩が強い気がする。それもイングリッドバーグマンの美しさを強調しているからなおのこと感じるのかもしれない。ヒッチコックは美男美女を主演にもってくることが多い。イングリッドバーグマンのあとはグレースケリーと続いていくが、最大のお気に入りはイングリッドバーグマンだとも噂される。有名なイングリッドバーグマンの恋の逃避行でもっとも失望したのはヒッチコックだそうだ。相手役のグレゴリーペックは「ローマの休日」の6年前の作品で、まだ新進気鋭といった感じ。バーグマンからみて格下の印象だ。

恋愛映画的雰囲気を盛り上げるのが、ミクロスローザの音楽だ。彼はこの作品でオスカー音楽賞を受賞している。この後のスリラー映画の基本ベースとなったテルミンによる恐怖の雰囲気を醸し出しながら、基調はラブロマンス的なストリングスの音楽である。繰り返される主題に合わせて、そこにバーグマンが登場すれば、否が応でもロマンチックムードが盛り上がる。

しかし、ヒッチコック得意の小技は他の作品ほどは冴えない。この映画は「夢のシーン」がよく話題に出るが、そんなに凄いとは思えない。やはり彼の本領が発揮されるのは「見知らぬ乗客」からではなかろうか?それまでに6年を要してしまう。「白い恐怖」「汚名」の2作は、これでもかとイングリッドバーグマンに何度もキスの演技をさせるのが印象的だ。
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